J・Jに倣って気まぐれに書く

今週の書物/
『植草甚一自伝』(植草甚一スクラップ・ブック40)
著者代表・植草甚一、晶文社、新装版2005年刊

ジグザグ

当欄の源流「本読みナビ」初回では、植草甚一本をとりあげた。植草本と言っても、ご本人の著作ではない。『したくないことはしない――植草甚一の青春』(津野海太郎著、新潮社)。身近にいて、彼の人となりを知る出版人が書いた伝記風の読み物だった。

植草甚一(1908~1979)、愛称J・Jと言えば、私たちの世代にとっては敬慕の的の著述家だった。興味の向かう先はジャズ、映画、小説……それも純文学ではなく、中間小説と呼ばれる半娯楽領域を語るのが得意だった。『したくない…』では、J・J青年が戦争末期、空襲で一度ならず蔵書を焼かれても古本屋漁りをつづけていたことが書かれていた。「したくないことはしない」は「したいことをする」の裏返しにほかならない。

私は、あの初回ブログで「スローで好奇心盛んな植草イズム」を見習う旨、宣言した。書評となると「要所要所に付せんを挟み込み、幾度も読み返す」という精読方式になりがちだが、当欄は、それにこだわらず「むかし読んで記憶の片隅に残る本や、拾い読みをした本のことなども、散歩がてらの立ち読み情報をやりとりするように話題にしていきたい」と心に決めたのである。

だが10年が過ぎてみると、自分は結局、「要所要所に付せんを挟み込み、幾度も読み返す」ことばかりだったなあ、と反省する。「書評」と呼ぶほどの論考は書いていないのだが、肩に力が入ってしまったことは間違いない。これを機に、ちょっと脱力したい……。

で、今週の1冊は『植草甚一自伝』(著者代表・植草甚一、晶文社「植草甚一スクラップ・ブック40」、新装版2005年刊)。「自伝」と言っても、1973~77年に『ワンダーランド』『宝島』両誌や読売新聞に載った13編を集めたものだ。このつくりそのものが、雑文の達人にふさわしい。本書初版は79年刊。奥付はJ・Jを「著者代表」としているが、巻末解説を除けば本人執筆のものと読めるので、当欄では「著者」と呼ぶことにする。

冒頭の1編は、著者が東京下町の小網町界隈(現・東京都中央区)で育った体験談。意表を突くのは、それを京都の話から切りだしていることだ。書きだしは「こないだ京都へ出かけて銀閣寺のそばにある親せきの家に一晩泊った」。その親類宅の書棚に英文の観光ガイドを見つける。「銀閣寺案内でも読もうと思ってめくると二条城案内のページが出てきた」。そして、「二条城の平面図を見た瞬間」に「軽い興奮をかんじた」という。

たとえて言えば、銀閣寺へ行こうとぶらぶら歩きを始めたら、方角違いの二条城に出くわしてしまった――そんな感じか。そこでたまたま目に飛び込んできたなにかに心動かされる。その緩さこそが、植草イズムの真髄のように思われる。

本文には、その二条城の平面図らしきものが添えられている。雁行型の建物を真上から見たかたちなので、四角のタイルをジグザグに並べたような輪郭をしている。著者が興奮したのは、「ぼくが少年時代に毎日のように歩いていた人形町とその付近が、だいたいこんな格好だった」からだという。

小網町の子が、なぜ人形町なのか。後段の一編を読むと、それもわかる。前者は平日の放課後「鬼ごっこや石蹴りやベエゴマなどをする裏町」だったが、後者は日曜日に買いものに歩きまわる町で、商店の一つひとつを「軒なみに知っていた」のである。

著者は別のページで当時の人形町界隈を俯瞰する略図も示していて、自分が行き来した街路を太線でなぞっている。たしかに、二条城に似ていると言えないこともない。そこにあるのは、世界地図でオーストラリアを眺めて日本地図の四国を連想するような遊び心だ。

著者は、小さな発見を楽しむ人なのだろう。そう痛感するのは、友人の死去を惜しむ一編になぜか差し挟まれた地下鉄話。東京では「発着前後に、からだが前後に揺れないことはない」が、ニューヨークでは「揺れた経験がなかった」。この実感をもとに、米国のスリラー小説『サブウェイ・パニック』(ジョン・ゴーディ著)にかみつく。J・Jの感覚では、作中で発車時の揺れが描かれていることが気になってしょうがないのだ。

この難くせの当否はわからない。私自身のニューヨーク旅行を思い返しても、地下鉄が揺れなかったという印象はない。ただ一つはっきり見てとれるのは、著者の繊細さだ。街に出れば、見るもの聞くものに感覚を研ぎ澄ますだけではない。体の揺れにも鋭い感度がある。

著者の気まぐれぶりが全展開されるのは、「大火事とボヤと友だちと遊ばなくなった中学生のころ」という一編。冒頭いきなり、「きょうは面白くもない話になりそうだけれど」と切りだしているところがおもしろい。続いて少年時代、左右の隣家が石油問屋と荒物問屋だったことを記憶から紡ぎだす。ここには書かれていないが、著者の実家は木綿問屋。要は、下町の問屋街のご近所話をしようというのだ。

石油問屋の話は、1923年にあった関東大震災の被災譚。富裕な一家だったので、家族は貴重品を運びだして自家用の伝馬船3艘に分乗、隅田川へ逃げようとした。ところが川面は同じような伝馬船であふれ返っていて、船火事が広がる。その結果、婿養子一人を除いてみな亡くなった。火に包まれた後に溺れたのだから、身元が判明しにくい。その家族は、両手の指に指輪をつけた人ばかりだったから確認できたという。乱歩風の凄みがあって怖い。

この一編では、ここで話が横道にそれる。さあ、次の話題、荒物問屋のボヤ騒ぎにとりかかろうかと思っていたら、そばにあったフランス小説に手が延びてプロローグを訳してみたくなった、と著者は打ち明ける。「そのとき『どうだい、おまえの話のつながりになりそうだな』とそのページが言っているような気がした」というのだが、なんとも都合のよい理屈ではないか。で、1ページ余を割いて、その訳文があたかも地の文のように綴られる。

さすがJ・Jと思うのは、この小説がロベール・サバチエという作家の『三本のハッカのおしゃぶり』という作品で、登場人物が重なる『スウェーデンのマッチ』の続編であることを解説している点だ。まさか、マッチつながりだから、というわけではなかろうが、このあとようやく話はボヤ騒ぎに移る。

火は、荒物問屋の倉庫から出た。これに著者の実家の番頭が気づき、一家総出のバケツリレーで鎮火した。で、話題はまた、その荒物問屋の息子「豊ちゃん」の近況に飛ぶ。「二年ほど前に電話が掛ってきて、そのときぼくは留守だったけれど、あとで豊ちゃんが二年間ニューヨークで高島屋の支店長をしていたと知った」というのである。東京・下町の問屋街で隣同士だった少年二人が後年、「ニューヨーク好き」と「ニューヨーク勤務」でつながるというのは愉快だ。

意外なのは、その豊ちゃんが電話で著者の家族に漏らしたという思い出話。著者が旧制中学に入ったころらしいが、「甚ちゃんと遊びたくなっても、勉強でいそがしいと言って遊んでくれないんで、いつも妹さんと遊んでいたんですよ」。著者は「遊び」という言葉がこれほど似あう人はいないと思えるほどの粋人だが、少年期はガリ勉でもあった。そのことを有名百貨店の要職にも就いた隣家の子が証言しているという構図がほほえましい。

この一編の流れをさらに追いかけよう。著者は豊ちゃんの回顧談を否定しない。「そう言えばねえ、学校から帰るなり二階の部屋で机にしがみつきどおしだったなあ」。授業を復習して丸暗記、参考書を手に就寝。「カミサマ」に「一番にしてください」と頼んでいたという。

そして実際、1番になる。3年生に進級するときは、親からの褒美でドイツ製のカメラを手に入れた。メーカー名は「エメルカ社」。同じころ、国内では「エメルカ映画」の名を冠した作品も上映されていたという。たとえば、「悪魔の満潮時」という「不思議な表現派映画」がそうだ。著者がこの作品を東京・万世橋の映画館で観たとき、弁士は徳川夢声。登壇しての第一声は「三人しかお客がいないな。やめてしまおうか」だった。

「悪魔の満潮時」の上映は、3日ほどで打ち切られたのではないか。著者は、そう推理してこう結ぶ。「そんなことを調べるには、やっぱり『キネマ旬報』だけしかないだろう」

元に戻って話題をもう一度たどれば、関東大震災→フランス小説→ボヤ騒ぎ→隣家の息子→ガリ勉→舶来カメラ→表現派映画→夢声→キネ旬。なんというジグザグ。まるで、人形町の街路か。これぞ、J・Jの気まぐれ世界ということだろう。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年4月24日公開、同月25日更新、通算519回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

7 Replies to “J・Jに倣って気まぐれに書く”

  1. 尾関さん

    新装開店おめでとうございます。
    これからも金曜日が楽しみです。

    随分と前のことですが、自分の心の動きといいますか、思考の流れを客観的に把握してみようと試みたことがあります。と言っても、主観が主観を追いかけようというわけですから、所詮は無理なんですが。

    例えばノートを前にしてエッセイを書き、思考の流れを記録しようとするのですが、ふと見ると白い紙の上を小さな黒い甲虫がせっせと歩いている。そういえばコイツ、子供の頃に宿題していた時にもいたなと思い出し、思いは同級生に飛び……..という具合に自分の心に埋没して思考の流れを追いかけていたことを忘れてしまうんです。

    以来、思考の流れはランダムで、必ずしも秩序立ったものではないと考えるようになりました。無論、論文や原稿を書く場合、秩序立って筆を運びます。或いは、私の集中力に問題があるのかも知れません。

    しかし、子供の頃から起承転結を教え込まれ、哲学の本からは考えることは秩序立った営みだと思い込まされている私達ですが、実は1日の大半、私達の心や思考はランダムに時空を超えて飛び回っているのではと思います。

    さて、J・J。彼の醍醐味が「緩さ」や「気まぐれ」にあるのは確かですが、その背後に、自分のランダムな思考を客観的に、そして洒落た書き物に出来るという常人にはない優れた才能があったとも言えるのでは。

  2. 虫さん
    久しぶりのコメント、ありがとうございます。
    J・Jの「気まぐれ」と「洒落た書き物」との関係を私なりに考えると、こうなる。
    J・Jは、二条城のかたちや地下鉄の揺れでもわかる通り、小さな発見にこだわる。
    こだわりが極まると、ふつうは「オタク」に移行するのだが、J・Jはそうならない。
    読み手の気をそらすんですね。
    するっと、次の話題に飛んでいく。
    ここのところが洒落ている。
    都会っ子らしいところかもしれませんね。

  3. 「したくないことはしない」は「したいことをする」の裏返し。その感じ、なんとも言えずいいですね。「ジグザグ」もいい。電気が流れやすい方向を見つけてはそちらに進んでいく雷とか、「足の向くまま、気の向くまま」といって路地に迷い込んでしまう散歩とか、行く先のわからないジグザグのワクワクはたまりませんね。

    新装開店の『めぐりあう書物たち』の順調な滑り出し、おめでとうございます。思い切り弾けちゃってください。「型破り」を楽しみにしています。

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