武蔵野夫人というハケの心理学

今週の書物/
『武蔵野夫人』
大岡昇平著、新潮文庫、1953年刊

深い思い入れがある東京西郊、国分寺崖線の話を1回で終わりにする手はない。ということで、今回も引きつづき『武蔵野夫人』(大岡昇平著、新潮文庫、1953年刊)をとりあげる。(当欄2021年4月23日付「武蔵野夫人、崖線という危うさ」)

先週は、主人公道子の倫理的とも言える婚外恋愛――これも不倫と呼ぶのだろうか――の感情が崖線の自然のなかで自覚される様子を作品から切りとってみた。そこには、「はけ」の地形から湧き出る水の湿潤があった。斜面を覆う樹林が生み出す陰翳もあった。

前回、私が焦点を当てたのは、道子が父方の従弟、勉とともに崖線沿いを流れる野川の水源を探し求める探索行だ。少年少女の小さな冒険のような趣がある。だが、二人の内面をのぞくと、そうとばかりは言えない。崖線を歩いていても成人男女の心の綾がある。というのも、この物語は二組の夫婦と一人の青年の5人によって織りなされる群像劇であり、そこにドロドロした5元連立方程式が潜んでいるからだ。だが当欄は、その筋に踏み込まない。

今回は、筋立てからは完全に離れて、「はけ」の地形や生態系、そこに漂う空気感を浮かびあがらせようと思う。なぜなら、この作品では、著者がそれらの細部をさながら科学者のような目で描きだしているからだ。自然が登場人物の心理と響きあっているように見える。

まずは、地形学。道子が夫の忠雄と住む「はけ」の家はどんなところに位置しているのか。勉が戦地から帰還後、この家を再訪するときの描写が手がかりになる。中央線の駅――たぶん、国分寺か武蔵小金井だろう――を降りて、武蔵野の風景の只中を歩いていく。「茶木垣に沿い、栗林を抜けて、彼がようやくその畠中の道に倦きたころ、『はけ』の斜面を蔽う喬木の群が目に入るところまで来た」。高台の突端に豊かな緑があるのだ。

著者の記述によれば、「はけ」の家の敷地は、この斜面の上から下まですべてに及んでいるらしい。「上道」と「下道」の両方に接しているということだ。近隣の家々は、北側の上道に門を構えていたが、道子の家は違った。道子の父、故宮地信三郎が「ここはもともと南の多摩川の方から開けた土地」と主張して譲らなかったからだ。上道にも木戸だけはあったが、宮地老人は生前、そこからは客が入り込めないようにしていた。

勉は、それを知っているがゆえに、木戸の脇から手を突っ込み、掛け金をはずして中へ入った。小道は草が茂り、段状にうねりながら下っていく。下方に「はけ」の家が姿を現す。「見馴れぬ裏屋根の形は不思議な厳しさをもって、土地の傾斜を支えるように、下に立ちふさがっていた」。道なりに歩いていくと、ついには「『はけ』の泉を蔽う崖の上」に出る。家のヴェランダが見え、道子が母方の従兄の妻、富子とおしゃべりしている――。

この一節は、恋物語の導入部として絶妙だ。青年は駅前の喧騒を背に田園を抜け、崖線に至る。禁断の裏門から忍び込んで、草を分け入り、坂道を下りていくと、そこには密やかな泉の湧き口があり、これから青年の心を揺り動かす女たちがいる。

次は、物理学。勉には「物の働きに注意する癖」があった。だから、「はけ」の家に住み込むようになってからは湧き水の「観察」に余念がない。「水は底の小砂利を少しずつ転ばしていた」「一つの小砂利が、二つ三つ転がって止まり、少し身動きし、また大きく五、六寸転がり、そうしてだんだん下へ運ばれて行く」。関心は定量的となり、小砂利が10分でどれほど進むかを測ったりもする。無機物からも生気を感じているかのようだ。

生物学もある。道子と勉が7月の日差しを浴び、ヴェランダで腰掛けていたときのことだ。一羽の小鳥が「上の林から降りて来て、珊瑚樹の葉簇(はむら)を揺がせて去った」。ここで読み手は、鳥の動線にハッとさせられる。崖だからこそ、こんな急降下をするのだ。「はけ」の水が池に流れ、池の水がさらに下方へ流れ落ちるように、崖は自然界に垂直方向の動きを促す。生きものも例外ではない。3次元の世界を軽やかに行き来する。

このとき、二人の前には一対のアゲハ蝶が現れる。一羽の翅は黒っぽい。もう一羽は淡い褐色。二羽は雌雄のようで、一羽はもう一羽に近づいては離れ、また近づこうとしている。道子も勉も、その揺れ動きをじっと見つめ、そこに自分自身の心模様を重ねている。

著者によれば、「はけ」の一帯は鳥や蝶の「通い道」になっている。鳥は窪地の低い木々を好んだ。蝶は水辺の花で翅を休めた。こうした生物群が二人の眼前にふいに現れ、恋心を揺るがしていく。この作品は、生態系の妙までもすくいとろうとしているのだ。

そして、気象学。勉が夜更け、崖下の野川沿いを歩いているときのことだ。川面からは水蒸気が立ち昇り、それが靄となって遠方の明かりがかすんでいる。樹林からは、梟の声が聞こえてくる。ああ、道子はあの木立に隠れた家で、夫といっしょにいるに違いない――。「俺は一体こんなところでいつまで希望のない恋にかまけていていいのだろうか」。夜の「はけ」は闇の底で静かに息づいて、昼間にはない内省を青年の心に呼び起こす。

つまるところ、これは心理学の書物か。「はけ」だからこその人の動きがある、ものや生きものの動きがある。日差しもあれば、闇もある……。自然が魔力のように登場人物の心を震わせる様子が克明に描かれている。『武蔵野夫人』は、ただの恋愛小説ではない。
*引用では、本文にあるルビを原則として省いた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年4月30日公開、通算572回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

3 Replies to “武蔵野夫人というハケの心理学”

  1. 尾関さん、

    前回と今回の文章から、尾関さんの崖線への愛の大きさが伝わって来ました。崖線への愛着、とてもよくわかります。武蔵小金井や国分寺あたりの崖線だけでなく、深大寺あたりの崖線、成城から二子玉川にかけての崖線、そして上野毛・等々力から昔の多摩川園にかけての崖線、そんな崖線のあちらこちらに思い出があるのではありませんか。多くの斜面が南西向きなために富士山が正面に見え、鬱蒼とした木々の向こうには明るい景色が広がっている。そんな景色のなかに物語がないわけがない。あれは間違いなく特別な景色です(特別な景色でしたと書くべきでしょうか?)。

    北側の上道と南側の下道の話も、とてもよくわかります。武蔵小金井から「はけの森美術館」やその裏にある「はけの森カフェ」に行くとき、なぜか下道から行くのが正しいように感じられるのです。上道から行っては申しわけない感じがする。これは実際に行った者にしかわかりません。

    そして「つまるところ、これは心理学の書物か」という最後の言葉。そう、これは心理学の書物ー私もそう思います。恋という言葉を避けていた道子が、恋ヶ窪という地名が出てきたことで、自分の感情に気付いてしまう。恋に気付いてしまう。恋はいつも反社会的で、だからいとも簡単に死と結びつく。富子と秋山、道子と勉。不自由と自由、あいだにある木戸。社会と個人、あいだにある「はけ」。誰も信じることができないで、怖れと驚きを感じ、誇りと侮辱を感じる。設定のすべてが心理学的です。叢にかがむ勉、立ち上がる道子。静寂のなかの二人の距離感。世間知らずが正しく感じられ、無垢であることが良いことに見える。富士山が優美さを失い、世間が敵になる。

    日本の私小説からは最も遠いところにある、まるでフランスの小説をコピーしたかのような感じのする不思議な作品だと思います。ウンベルト・エーコとかオルハン・パムクとかに通じるなにかがある。。。 まあ、正直に言えば、「はけ」とか「湧き水」が出てくるから、いいと思うのですけどね。

  2. 38さん
    国分寺崖線の事情にお詳しいですね。
    同志を得たようで、うれしいです。
    《あれは間違いなく特別な景色です(特別な景色でしたと書くべきでしょうか?)》
    幸い、まだ「でした」にはなっていないように思います。
    ちなみに当欄の看板「めぐりあう書物たち」の背景画像(2021年5月3日時点)は今年3月、成城・旧山田家住宅(公開文化財)の前庭で撮った崖線「みつ池緑地」の樹林です。

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