村上春樹の私小説的反私小説

今週の書物/
『一人称単数』
村上春樹著、文藝春秋社、2020年刊

1968年、セ・リーグ

ものを書く仕事に就いた者の常として、私にも作家志望のころがあった。学生時代、文芸サークルの部室に出入りしたことがある。友人たちとガリ版刷りの同人誌を出したこともある。思い返してみれば、20歳前後のころに会社勤めするつもりなどさらさらなかった。

結果としては会社員になった。ただ、就職先が新聞社で、あのころはほかの業界よりも多少は自由の空気が漂っていたから、内心の作家志望は捨てなかった。とはいえ新聞記者という職種のせわしなさは半端ではないから、ふだんはそんな野心をすっかり忘れている。帰宅後の深夜、こっそり小説を書きためる余裕もない。時折、このまま記者を続けるのかなあという迷いが心に浮かぶとき、自分が作家志望であることを再確認していたのだ。

私が「作家」を思い浮かべるとき、それは、ほとんど「小説家」と同義だった。私と同世代の新聞記者が駆けだしのころ、メディア界にはノンフィクション旋風が吹いていたから、記者の延長線上にノンフィクション作家を位置づけ、それを最終ゴールと考える人もいた。だが、私は違った。心のどこかで、事実に即してものを書く自分は世を忍ぶ仮の姿、と思っていたのだ。真に書くべきことは虚構のなかにこそある、とでもいうように。

その意味では、もはや私は作家志望ではない。野心は、いつのまにか雲散霧消した。たぶん、年齢のせいだろう。残された時間は限られている。ゼロから虚構を築くことにかまけてはいられない。自身の記憶を紡いで、そこから想念を膨らませていく――自分から逃れられないのが人間の宿命ならば、そのほうが自然ではないか。そう思うようになった今、この心境に響きあう短編小説集に出あった。当代きっての人気作家のものだ。

『一人称単数』(村上春樹著、文藝春秋社、2020年刊)。2018~2020年に『文學界』誌に発表された7編に、表題作の書き下ろし1編を加えた作品集。著者が古希にさしかかり、そして70代に入ったころの作品群である。当欄は去年、『猫を棄てる――父親について語るとき』(文藝春秋社、2020年刊)という作品――小説ではなく「文章」――をとりあげたが、それと似た空気感もある(2020年10月2日付「村上春樹で思う父子という関係

この短編集所収の作品群を一つに分類するのは、なかなか難しい。すぐに思いつくのは、私小説だ。もう一つ思い浮かぶのは、自伝である。ただ、よく読んでみれば、そのどちらとも言えない。それはなぜか? 今回は、このあたりから話を切りだしてみよう。

まず、なぜ私小説と言えないのか。書名『一人称単数』は、私小説性を暗示しているように見える。一連の作品も「僕」や「ぼく」や「私」の視点で書かれている。ただ、それらに著者の実体験が投影されている度合いは、まちまちだ。いくつかの作品では、私小説を支えるリアリズムが完全に吹っ飛んでしまっている。その空想体験が著者自身にあるのだとすれば私小説と言えなくもないが、ふつうの私小説とはまったく趣が異なる。

私小説らしくないのは、それだけではない。私小説らしい私小説では、作家が一人称で青春期の挫折や中年期の惑いなどを赤裸々に語る。「生きざま」と呼ばれるものが現在進行形で提示されるのだ。だがこの本では、過去を遠目に眺めている作品が目立つ。

では、自伝の変種なのか。どうも、それとも違う。自伝なら記述が系統だっているはずだが、そうとは言えない。もちろん、当欄が推した『植草甚一自伝』(著者代表・植草甚一、晶文社刊)のような例外はある(2020年4月24日付「J・Jに倣って気まぐれに書く」)。あの本は、植草がメディアに載せた文章を寄せ集めたものだったが、その組み立て方が本人の気ままな生き方にぴったり合うものだからこそ、「自伝」と呼べたのだ。

……と、ここまで書いてきて思うのは、稀代のストーリーテラーであっても齢七十ともなると自分が生きてきた現実の重みが増してくるのだなあ、ということだ。私的リアリズムと作家としての想像力が釣りあったところに、これらの作品群があるとは言えないか。

所収作品のいくつかを覗いてみよう。最初にとりあげたいのは「『ヤクルト・スワローズ詩集』」という一編。「一九六八年、この年に村上春樹がサンケイ・アトムズのファンになった」(サンケイ・アトムズはヤクルト・スワローズの前身)とあるから、著者の個人史に即している。「僕」はそのころから神宮球場の外野席――座席がなく芝生の斜面だった――に腰を下ろし、試合を観ながら「暇つぶしに詩のようなものをノートに書き留めていた」。

1982年、「僕」はそれらを「半ば自費出版」で世に出した。「『羊をめぐる冒険』を書き上げる少し前」とあるから、これも個人史と矛盾しない。収められたのはどんな詩か。「八回の表/1対9(だかなんだか)でスワローズは負けていた」――この球団は下位低迷の時代が長かった。「阪神のラインバックのお尻は/均整が取れていて、自然な好感が持てる」(/は改行)――ラインバックがいたのもあの時代だ。現実のプロ野球史も踏襲している。

実は『ヤクルト・スワローズ詩集』は、著者が折にふれて話題にしてきた。その出版の真偽は、村上春樹ファンの間で永遠の謎であるようなのだ。そんな出版物の幻影がこの短編集にも顔をのぞかせた。時を重ねれば虚も実になる、とでも言うように……。

この作品の対極にあるのが「品川猿の告白」か。「僕」が「群馬県M*温泉」のさびれた宿で湯に浸かっていると、年老いた猿が浴室に入ってきて「背中をお流ししましょうか?」と声を掛けてくる。猿は言う。自分は東京・品川の御殿山近辺で大学教師の家に住んでいた。飼い主はクラシック音楽が好きで、自分もその影響を受けた。ブルックナーで言えば「七番」の「第三楽章」が好き――。これは、どうみても私小説とも自伝とも言い難い。

「僕」は深夜、品川猿を部屋に招き、ビールを飲みながら身の上話を聞く。その猿には、人間の女性に恋して「名前を盗む」欲求があった。免許証などをこっそり手に入れ、名前を見つめて念じる――そんな「プラトニックな行為」である。奇想天外な小話としてはおもしろい。ただ、この短編はそれで終わらない。「僕」は5年ほどして、その嘘っぽさが反転するような奇妙な体験談に出あう。もしかしたら、品川猿は実在するのかもしれない!

「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」という一編でも虚が紛れ込む。チャーリー・パーカー(1920~1955)はジャズ界では伝説のアルトサックス奏者で、バードの愛称で呼ばれる。「僕」は学生時代、バードが実は1960年代も生き延びていて、ボサノヴァ奏者と組んでLPを出したという「架空のレコード批評」を大学の文芸誌に寄稿した。編集長は、その「もっともらしいでっちあげ」をすっかり本気にしてしまったという。

15年が過ぎて「僕」は、その「若き日の無責任で気楽なジョーク」のしっぺ返しに遭う。舞台はニューヨーク。宿のホテルを出てイースト14丁目界隈をぶらつき、中古レコード店をのぞく……そこで何を見つけたかは、だいたい察しがつくだろう。

心にズシンと響くのは、最後に収められた表題作。「私」がバーでミステリーを読みながらカクテルを飲んでいると、一人の女性客が話しかけてくる。「そんなことをしていて、なにか愉しい?」。言葉づかいが挑発めいている。だが、誘っているのではない。「悪意」もしくは「敵対する意識」が感じられる。「あなたのことを存じ上げていましたっけ?」と聞きただすと「私はあなたのお友だちの、お友だちなの」という答えが返ってくる。

女性客は「私」を責めたてる。彼女の友だちは、そして彼女自身も「不愉快に思っている」「思い当たることはあるはずよ」「三年前に、どこかの水辺であったことを」……。「私」には「身に覚えのない不当な糾弾」だ。だが、「実際の私ではない私」が3年前に水辺で起こした悪事を暴かれ、「私の中にある私自身のあずかり知らない何か」が可視化されそうだという恐怖感が、「私」にはある。ここでは、「私」の自己同一性が揺らいでいる。

この短編集では、作家村上春樹が生きてきた実在の時間軸にいくつもの架空の小話が絡みついている。人間に恋する猿に出会ったという妄想も、バードがボサノヴァを吹いたというでっちあげも、3年前の出来事をなじる不意打ちも……どれもこれも、事実と虚構の境目がぼやけている。しかも、その境目は時の流れとともに微妙にずれ動いているようにも見える。もしかして70歳になるとは、そんな虚実の経年変化を実感することなのか。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年11月5日公開、通算599回
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