経済学もヒトの学問である

今週の書物/
『〔エッセンシャル版〕行動経済学』
ミシェル・バデリー著、土方奈美訳、ハヤカワ文庫NF、2021年刊

財布

コロナ時代、高齢者最大の楽しみは散歩である。足を延ばしても、せいぜい隣駅くらい。半径1kmほどの圏内を歩きまわる。それで毎日、出かけるまえに悩むのは「きょうは、どっち方面をめざすか」。気まぐれな散歩にも、とりあえず目標は必要なのだ。

そんなとき、家人に「なにか、買ってこようか?」と申し出る。野菜であったり、豆腐であったり、焙煎コーヒーの粉であったり、夏の冷菓であったり、シャンプー類であったり……候補はたくさんある。何を買ってくるかが決まると、目当ての店を経路に組み込む。

おつかいを言いつけられた子どものようにも思えるが、ちょっと違う。私は、買いものを命じられているのではない。散歩しようという気持ち――いわゆる、モチベーション――を高めるため、自分で自分に任務を課しているだけ。それでわざわざ、家人に買いものの発注を促しているのだ。結果として、ある日はスーパー、別の日は豆腐店、あるいはコーヒー焙煎店……と散歩の目標が定まり、日々異なる方角をめざすことができるようになる。

もう一つ、子どものおつかいと異なるのは、買いものの代金がいつも自分の財布から出ていることだ。子どものように100円硬貨何枚かを握らされ、「おつりがあったらお駄賃ね」ということはない。で、ある日、家人が「生活費なんだから、別途支給しましょうか」と言ってきた。このとき、私の口をついて出た言葉が「とんでもない」だった。買いものによって散歩のモチベーションを得ているのだから「払って当然」と思えたのだ。

私の財布も家計の一部とみれば、どちらでもよい話かもしれない。ただ、ここでは私の財布、即ち小遣いを家計から切り離して考えよう。豆腐を例にとると、本来は家計が支出すべき代金を私は小遣いから支払っている。1丁買った場合、自分が食べる半丁分だけでなく、1丁分をまるごと負担しているのである。でも、それを不満に思わない。それどころか、幸せを感じている。私は意外と気前のよい人間なのか――そう思いかけて、ふと気づいた。

これは、経済学の枠組みにかかわる問題なのではないか? 私個人と私の家庭、近所の豆腐店から成る小さな経済圏で、豆腐1丁の売り買いがあったとする。従来の経済学なら、そこに存在する価値は、豆腐という物品とその対価である通貨に尽きるだろう。ところが私個人の損得空間では、この取引に散歩のモチベーションというもう一つの価値が付随する。それをいくらとみるか評価は難しいが、少なくとも豆腐1丁よりは値打ちがあるみたいだ。

で、今週は『〔エッセンシャル版〕行動経済学』(ミシェル・バデリー著、土方奈美訳、ハヤカワ文庫NF、2021年刊)。著者は、英国ケンブリッジ大学で学位を得た経済学者。本書の刊行時点ではオーストラリアの大学で教授職にある。原著は2017年刊。英国オックスフォード大学出版局の“Very Short Introductions”シリーズに収められている。「エッセンシャル版」は、この意訳と思われる。邦訳単行本は、早川書房が2018年に刊行した。

第1章には、行動経済学とは何かが従来型の経済学との対比で素描される。従来型の経済学は「人間は数的計算を完璧にこなす生き物」とみる。ところが、行動経済学は「人間をとことん合理的な生き物とは考えない」。人間の意思決定は、いくつもの制約を受ける。認知機能には限界があるから、なにもかもは覚えていられない。一定時間に処理できる計算も高が知れている。その結果、非合理な選択をすることもあるというわけだ。

これは、研究手法にも反映される。従来型の経済学は、マクロ経済の指標を相手にしていた。ところが行動経済学では「何が人々の選択を決定づけるのか」が問題になる。ここで役立つのが実験だ。経済活動の一場面を想定して、被験者がどんな選択肢をとりやすいかを調べたりする。脳神経科学の研究でおなじみの機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を使って、意思決定が脳内の反応とどうかかわっているかを探ることもあるという。

第2章の章題は「モチベーションとインセンティブ」。本書は、この2語を厳密に使い分けていないが、前者は「動機づけ」、後者は「動機づけのための刺激」ということか。著者が強調するのは、行動経済学の見方では経済活動の意思決定が「金銭的インセンティブ」だけに左右されないこと、「さまざまな社会経済的・心理的要因」の影響も受けることだ。自身が学者でいるのも「非金銭的なモチベーション」による、と打ち明けている。

著者は、モチベーションを「外発的」「内発的」に2分類する。「外発的」の代表例は給料など金銭的な報酬だが、非金銭的な「社会的承認」や「社会的成功」も含まれる。一方、「内発的」は「個人の内なる目標や姿勢」に起因する。「誇り」「義務感」「忠誠心」、そして「難問を解く楽しさ」「体を動かす喜び」――私の場合、豆腐1丁の買いものはこの喜びに突き動かされていたのだ。だから、お金を払うことくらいどうということはない。

第3章は、「社会生活」と題している。従来型の経済学は、経済活動をする人間を「利己的な生き物」とみなし、意思決定にあたっても「他の人々のことなど気にしない」と想定する。だが、行動経済学の視点に立つと「周囲の人々」の影響は無視できない。

この章で私たちの感覚にピンとくるのは、「ハーディング現象」だ。「群れ」のherdに由来する。「他の人々と同じ行動をとろうとする」ことや「他者の行動から学習する」ことをいう。日本社会に特徴的な「同調圧力」も同類だろう。本書によれば、他者をまねる経済行動は「ミラーニューロン」に関係するという見方もある。ミラーニューロンは模倣にかかわる脳神経細胞だ。経済学が細胞レベルで探究される時代になった。

「社会生活」が経済行動に与える影響はハーディングだけではない。「不平等回避」もその一つだ。一定額の予算をA、B二人がどう分け合うか(Aの提案にBが同意しなければ両者とも獲得金額がゼロになる)という実験で確かめられるという。実社会では、ボランティア活動への参加や慈善団体への寄付などが、これに当たる。「利他的行為」ではあるが、「自分が善良で気前のよい人間だとシグナリングする」という思惑も介在する。

第4章「速い思考」のキーワードは「ヒューリスティクス」だ。ここで著者がもちだすのは「選択肢の過負荷」や「情報の過負荷」。候補が多過ぎ、情報もあり過ぎて、何を選ぶか困ってしまう状況だ。こうしたときにAI(人工知能)なら、情報を一つ残らず処理して意思決定に至るはず。だが人間は「複雑な計算に時間と労力をかける」ことをせず、「シンプルな経験則を活用して」素早く決める。この経験則をヒューリスティクスという。

一例は「利用可能性ヒューリスティック」。著者は旅行を手配するとき、いつも同じ旅行会社に頼むという。その結果、他社の「お得情報」の恩恵は受けられなくなる。それでも馴染みの会社には過去の利用履歴が残っていることもあり、なにかと便利というわけだ。

第5章「リスク下の選択」では「確実性効果ゲーム」の話がおもしろい。参加者にa)3週間欧州周遊の旅とb)1週間英国内の旅を提示して、a)を選べば50%当選、b)ならば100%当選ともちかけると、78%の人がb)を選択した。ところが、当選率の設定をa)5%、b)10%に改めると、a)を選ぶ人が67%を占めた。逆転したのは、100%保証の選択肢が消えたせいか。私たちは「確実な結果には不確実な結果より価値を見いだす」のである。

第6章「時間のバイアス」も実生活で実感する。ケーキを「今日食べるか、明日食べるか」と聞かれて「今日」と答える人は、1年後に食べるか、1年と1日後でもよいかと問われたら1年後と回答する――こうみるのが従来型の経済学だ。ところが行動経済学の視点でいえば、「今日」か「明日」かで「今日」を選ぶ人が1年ほど先の1日の違いにこだわるとは限らない。「時間選好」は、ちょっと先とだいぶ先とで違ってくるのだ。

本書は第9章まであり、行動経済学の新知見が満載なのだが、当欄はとりあえず、ここで打ちどめにする。これだけのことからでもわかるのは、旧来の経済学が不条理にも、人間を経済の合理性にのみ従う〈ホモ・エコノミクス〉の型に押し込んできたことだ。人間はなにより生きものとしてのヒトである、社会集団の一員でもある、能力は無限ではなく、有限の時空を生きている――そういう当然のことが、ようやく経済学を変えつつあるのだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年7月22日公開、通算636回
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3 Replies to “経済学もヒトの学問である”

  1. 尾関さんの文章を読んだ後、

    https://youtu.be/5faZG83V0OY

    を見て、行動経済学がなんなのか、わかったような気になってしまいました。

    この「わかったような気がする」というのは困ったもので、実は何にもわかっていないのに、わかったような気になっている。

    尾関さんの文章や Michelle Baddeley さんの語り口がいいせいで そうなるのでしょうが、困ったものです。

    それにしても、トウモロコシの写真、いいですね!

    1. 38さん
      《それにしても、トウモロコシの写真、いいですね!》
      ありがとうございます。
      季節感があるのは、花や樹木だけではあるまい、と思った次第。
      「食」の対象というのは、どこかずっしり存在感がありますね。

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