「満洲」、人々は梯子を外された

今週の書物/
『ソ連が満洲に侵攻した夏』
半藤一利著、文春文庫、2002年刊

8月

ウクライナから届くニュース映像には背筋が凍る。集合住宅の中層階にぽっこり穴が開いている。穴の暗闇には、今テレビを見ている私と同じような人々がいたに違いない。

戦争とはそういうものなのだろう。一家団欒の〈日常生活〉が、それを営む者にとっては不条理極まりない一撃で一瞬のうちに〈無に帰する〉。あの穴の闇のような無に――。

そのことは、戦場がどこにあっても同じはずだ。中東であれ、アフリカであれ、南米であれ、〈日常生活〉が〈無に帰する〉という戦争の本質は変わらない。ただ、映像で見る限り、ウクライナの〈日常生活〉は日本のそれと類似している。列島のどこにでもあるような集合住宅が砲弾に刳り抜かれ、居住空間が〈無に帰する〉ことが身につまされるのだ。あの光景を見て戦争は縁遠いものでないと感じた人々が、私たちの間には少なくないだろう。

ただ、言うまでもないことだが、77年前、日本人自身も戦争の渦中にいた。列島の主要都市は空襲の標的となった。沖縄は陸上戦に巻き込まれ、広島、長崎は原子爆弾の直撃を受けた。〈日常生活〉が〈無に帰する〉ことになった人々は日本列島に数えきれない。

そんななかで見落とされがちなのが、外地邦人の苦難である。1945年の終戦時、中国東北部には内地出身者が大勢いた。生命を奪われた人、生命を絶った人、尊厳を傷つけられた人も少なくない。だが、そのことが後続世代に十分伝わっているとは言い難い。関係者の口が重い理由には、邦人の居留そのものが日本の侵略政策と無縁でないこともあるだろう。だが、だからこそ、外地邦人が当時置かれていた状況を記憶にとどめる意味は大きい。

で、今週は『ソ連が満洲に侵攻した夏』(半藤一利著、文春文庫、2002年刊)。著者(1930~2021)は入念な取材と史料の渉猟によって、昭和史など近現代史に迫った作家・ジャーナリスト。文藝春秋社で要職を務めた。当欄は著者が逝去した去年、代表作『日本のいちばん長い日』をとりあげている(*)。本書『ソ連が…』は1998~1999年に「別冊文藝春秋」に発表されたノンフィクション作品。単行本は1999年に同社から刊行された。

最初に「満洲」についてことわっておこう。「満洲」は、中国の遼寧省、吉林省、黒竜江省とその周辺を指す地域名だったが、今の中国では用いられない。日本のメディアも、一般記事では「中国東北部」という呼び方をしている。ただ、本書のように近現代史を跡づける書物では、史料を尊重して「満洲」「満州」を使うことが多い。今回の当欄もそれにならう。なお、私たちには「満州」の表記がなじみ深いが、もともとは「満洲」だったらしい。

当欄ではまず、在満洲の邦人たちが1945年の戦争最末期、内地の政府にどう扱われたかをたどっておこう。本書が問題視するのが、ソ連の対日参戦翌日8月10日早朝に出た大陸命1378号だ。「大陸命」は「大本営陸軍部命令」の略。東京の大本営陸軍部が、満洲国の首都新京(現・長春)に拠点を置く関東軍に向けて発したものだ。命令文の字面からは「対ソ全面作戦の発動」と読めるが、真意がそこにはないことを著者は強調する。

著者が注目するのは、対ソ作戦に乗りだす理由に「皇土ヲ保衛スル」ことを挙げている点だ。そのうえで「朝鮮を保衛スヘシ」と命じている。さらっと言われてしまうと気づかないが、「皇土」に満洲は含まれない。それは、あくまでも「満洲国」の国土だからだ。このとき、大本営上層部は「主敵アメリカの上陸作戦」とそれに対する「本土防衛」しか頭になかった。命令は、関東軍の主務であるはずの「満洲国防衛」に言及していない。

著者によれば、大陸命1378号の真意は「満洲放棄」と「朝鮮へ後退持久」だった。ところが命令文は、その作戦にあたって「一般民間人」をどう保護するかに触れていない。著者は、そこに一分の理は認める。戦争では、戦闘員が非戦闘員に「接触しない」のが「原則」であり、非戦闘員を「紳士的に保護」するのが「道義」だからだ。だが、現実は違った。日本の軍部は「ソ連軍に信頼をかけすぎていた」。ここに「判断の誤り」があるという。

もう一つ、この大陸命1378号には問題がある。軍部の機能不全だ。著者によれば、この命令は示達前日の9日午後6時前後に確定していた。その後まもなく10日未明、御前会議で一つの聖断が下る。連合国のポツダム宣言に応じて、天皇制に変更を加えないならば降伏しようというものだった。ところが大本営陸軍部中枢は、この聖断を受けて「動きらしい動きをほとんどみせていない」。1378号を「再考し、変更する」こともなかったのだ。

10日未明の聖断は、そのままポツダム宣言受諾とはならなかった。連合国側は無条件降伏を求めていたので、日本が一つでも条件をつけたことに納得しなかったのだ。ただ、これが転換点となり、戦争終結の流れは定まった。こうして14日、受諾の聖断に至る。

考えてみれば、この状況は混沌の極みだ。政府は、国としては終戦に舵を切った。それなのに関東軍に対しては表向き、新たな敵となったソ連と戦うよう号令をかけている。筋が通っていない。しかも、現地に居留する邦人たちは蚊帳の外に追いだされているのだ。

実をいえば、蚊帳の外はこのときに始まったことではない。1944年、太平洋方面での対米戦で敗色が濃くなると、陸軍中枢は「関東軍の精鋭師団の南方転用」に踏み切った。ただ、師団の移動は攻撃の的になりやすい。だから、この動きは厳秘だった。民間人も軍が離れたと知れば、大挙して退去するだろう。これは、敵に気づかれるきっかけになる。「敵を欺くにはまず味方から」。在留邦人は軍事行動のカムフラージュに利用されたのである。

こうして関東軍は「空洞化」された。関東軍自身も1944年夏、「今後は防衛を第一とする」という方針に切り換えている。このとき、満洲国で進行中の振興計画は中断された。それなのに「民間人(とくに開拓農民)を国境線から引き下げる」などの指示は出ていない。

著者はここで、関東軍が邦人の満洲移民を牽引した歴史を振り返る。開拓団が「現地住民を追いはらってまで」入植に心血を注いだのは関東軍に対する信頼があったからだという。ところが、陸軍中枢が南方と本土の防衛を優先して関東軍を見限ったとき、「関東軍はそれならばと居留民と開拓団を見捨てた」。日本の軍国主義は民間人を侵略政策の最前線に送り込んだ挙句、最後の最後にその梯子を外したのである。罪深いというしかない。

本書には「歴史的汚点」とされる史実も記されている。ソ連参戦翌日の8月10日、さすがに関東軍も新京一帯に住む邦人婦女子の後方避難を決める。当初は民間人家族→官僚家族→軍人家族の順で列車に乗せる方針だったようだが、11日昼までに用意された計18便に乗れたのは軍や大使館、満鉄(南満洲鉄道)関係の家族が大半だった。軍人家族は機敏に動けるので避難行動の「誘い水」にした、という軍部の言い訳は空々しい。

こうして満洲は、慌ただしく8月15日を迎えた。だが現実には、この地には諸般の事情から終戦がなかったのだ。本書によると、関東軍が戦闘をやめたのは最後まで山中で戦っていた師団が武装を解いた8月29日。居留邦人の多くはこのときまで、いや、このときを過ぎても取り残され、危険にさらされ、苦難を強いられた。本書は、現地で何があったかを丹念に掘り起こしている。ただ、当欄はそれをなぞらない。あまりにも悲惨だからだ。

一つだけ、印象深い話を拾いあげておく。8月22日、関東軍が総司令部庁舎をソ連軍に明け渡したときのことだ。退去後も居残ることになった日本人が一人だけいた。地下室でボイラーを焚く老人だ。とどまってほしいというソ連軍将校の意向を受けて関東軍将校が老人に打診すると、「身寄りのないものゆえ、どこで死んでもいいから残ります」と言ったという。この言葉に、祖国から突き放された者の諦念を感じるのは私だけか。

さて私は先ほど、満洲で戦闘の終結が遅れた理由を〈諸般の事情から〉と書いた。その事情の過半は、日本外交の拙さに原因する。弱点は、終戦前後に次から次へ露呈した。著者の筆はそれらを鋭く突いている。次回は、そのあたりのところを浮かびあがらせる。
*当欄2021年8月13日付「半藤史話、記者のいちばん長い日
(執筆撮影・尾関章)
=2022年7月29日公開、同日更新、通算637回
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経済学もヒトの学問である

今週の書物/
『〔エッセンシャル版〕行動経済学』
ミシェル・バデリー著、土方奈美訳、ハヤカワ文庫NF、2021年刊

財布

コロナ時代、高齢者最大の楽しみは散歩である。足を延ばしても、せいぜい隣駅くらい。半径1kmほどの圏内を歩きまわる。それで毎日、出かけるまえに悩むのは「きょうは、どっち方面をめざすか」。気まぐれな散歩にも、とりあえず目標は必要なのだ。

そんなとき、家人に「なにか、買ってこようか?」と申し出る。野菜であったり、豆腐であったり、焙煎コーヒーの粉であったり、夏の冷菓であったり、シャンプー類であったり……候補はたくさんある。何を買ってくるかが決まると、目当ての店を経路に組み込む。

おつかいを言いつけられた子どものようにも思えるが、ちょっと違う。私は、買いものを命じられているのではない。散歩しようという気持ち――いわゆる、モチベーション――を高めるため、自分で自分に任務を課しているだけ。それでわざわざ、家人に買いものの発注を促しているのだ。結果として、ある日はスーパー、別の日は豆腐店、あるいはコーヒー焙煎店……と散歩の目標が定まり、日々異なる方角をめざすことができるようになる。

もう一つ、子どものおつかいと異なるのは、買いものの代金がいつも自分の財布から出ていることだ。子どものように100円硬貨何枚かを握らされ、「おつりがあったらお駄賃ね」ということはない。で、ある日、家人が「生活費なんだから、別途支給しましょうか」と言ってきた。このとき、私の口をついて出た言葉が「とんでもない」だった。買いものによって散歩のモチベーションを得ているのだから「払って当然」と思えたのだ。

私の財布も家計の一部とみれば、どちらでもよい話かもしれない。ただ、ここでは私の財布、即ち小遣いを家計から切り離して考えよう。豆腐を例にとると、本来は家計が支出すべき代金を私は小遣いから支払っている。1丁買った場合、自分が食べる半丁分だけでなく、1丁分をまるごと負担しているのである。でも、それを不満に思わない。それどころか、幸せを感じている。私は意外と気前のよい人間なのか――そう思いかけて、ふと気づいた。

これは、経済学の枠組みにかかわる問題なのではないか? 私個人と私の家庭、近所の豆腐店から成る小さな経済圏で、豆腐1丁の売り買いがあったとする。従来の経済学なら、そこに存在する価値は、豆腐という物品とその対価である通貨に尽きるだろう。ところが私個人の損得空間では、この取引に散歩のモチベーションというもう一つの価値が付随する。それをいくらとみるか評価は難しいが、少なくとも豆腐1丁よりは値打ちがあるみたいだ。

で、今週は『〔エッセンシャル版〕行動経済学』(ミシェル・バデリー著、土方奈美訳、ハヤカワ文庫NF、2021年刊)。著者は、英国ケンブリッジ大学で学位を得た経済学者。本書の刊行時点ではオーストラリアの大学で教授職にある。原著は2017年刊。英国オックスフォード大学出版局の“Very Short Introductions”シリーズに収められている。「エッセンシャル版」は、この意訳と思われる。邦訳単行本は、早川書房が2018年に刊行した。

第1章には、行動経済学とは何かが従来型の経済学との対比で素描される。従来型の経済学は「人間は数的計算を完璧にこなす生き物」とみる。ところが、行動経済学は「人間をとことん合理的な生き物とは考えない」。人間の意思決定は、いくつもの制約を受ける。認知機能には限界があるから、なにもかもは覚えていられない。一定時間に処理できる計算も高が知れている。その結果、非合理な選択をすることもあるというわけだ。

これは、研究手法にも反映される。従来型の経済学は、マクロ経済の指標を相手にしていた。ところが行動経済学では「何が人々の選択を決定づけるのか」が問題になる。ここで役立つのが実験だ。経済活動の一場面を想定して、被験者がどんな選択肢をとりやすいかを調べたりする。脳神経科学の研究でおなじみの機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を使って、意思決定が脳内の反応とどうかかわっているかを探ることもあるという。

第2章の章題は「モチベーションとインセンティブ」。本書は、この2語を厳密に使い分けていないが、前者は「動機づけ」、後者は「動機づけのための刺激」ということか。著者が強調するのは、行動経済学の見方では経済活動の意思決定が「金銭的インセンティブ」だけに左右されないこと、「さまざまな社会経済的・心理的要因」の影響も受けることだ。自身が学者でいるのも「非金銭的なモチベーション」による、と打ち明けている。

著者は、モチベーションを「外発的」「内発的」に2分類する。「外発的」の代表例は給料など金銭的な報酬だが、非金銭的な「社会的承認」や「社会的成功」も含まれる。一方、「内発的」は「個人の内なる目標や姿勢」に起因する。「誇り」「義務感」「忠誠心」、そして「難問を解く楽しさ」「体を動かす喜び」――私の場合、豆腐1丁の買いものはこの喜びに突き動かされていたのだ。だから、お金を払うことくらいどうということはない。

第3章は、「社会生活」と題している。従来型の経済学は、経済活動をする人間を「利己的な生き物」とみなし、意思決定にあたっても「他の人々のことなど気にしない」と想定する。だが、行動経済学の視点に立つと「周囲の人々」の影響は無視できない。

この章で私たちの感覚にピンとくるのは、「ハーディング現象」だ。「群れ」のherdに由来する。「他の人々と同じ行動をとろうとする」ことや「他者の行動から学習する」ことをいう。日本社会に特徴的な「同調圧力」も同類だろう。本書によれば、他者をまねる経済行動は「ミラーニューロン」に関係するという見方もある。ミラーニューロンは模倣にかかわる脳神経細胞だ。経済学が細胞レベルで探究される時代になった。

「社会生活」が経済行動に与える影響はハーディングだけではない。「不平等回避」もその一つだ。一定額の予算をA、B二人がどう分け合うか(Aの提案にBが同意しなければ両者とも獲得金額がゼロになる)という実験で確かめられるという。実社会では、ボランティア活動への参加や慈善団体への寄付などが、これに当たる。「利他的行為」ではあるが、「自分が善良で気前のよい人間だとシグナリングする」という思惑も介在する。

第4章「速い思考」のキーワードは「ヒューリスティクス」だ。ここで著者がもちだすのは「選択肢の過負荷」や「情報の過負荷」。候補が多過ぎ、情報もあり過ぎて、何を選ぶか困ってしまう状況だ。こうしたときにAI(人工知能)なら、情報を一つ残らず処理して意思決定に至るはず。だが人間は「複雑な計算に時間と労力をかける」ことをせず、「シンプルな経験則を活用して」素早く決める。この経験則をヒューリスティクスという。

一例は「利用可能性ヒューリスティック」。著者は旅行を手配するとき、いつも同じ旅行会社に頼むという。その結果、他社の「お得情報」の恩恵は受けられなくなる。それでも馴染みの会社には過去の利用履歴が残っていることもあり、なにかと便利というわけだ。

第5章「リスク下の選択」では「確実性効果ゲーム」の話がおもしろい。参加者にa)3週間欧州周遊の旅とb)1週間英国内の旅を提示して、a)を選べば50%当選、b)ならば100%当選ともちかけると、78%の人がb)を選択した。ところが、当選率の設定をa)5%、b)10%に改めると、a)を選ぶ人が67%を占めた。逆転したのは、100%保証の選択肢が消えたせいか。私たちは「確実な結果には不確実な結果より価値を見いだす」のである。

第6章「時間のバイアス」も実生活で実感する。ケーキを「今日食べるか、明日食べるか」と聞かれて「今日」と答える人は、1年後に食べるか、1年と1日後でもよいかと問われたら1年後と回答する――こうみるのが従来型の経済学だ。ところが行動経済学の視点でいえば、「今日」か「明日」かで「今日」を選ぶ人が1年ほど先の1日の違いにこだわるとは限らない。「時間選好」は、ちょっと先とだいぶ先とで違ってくるのだ。

本書は第9章まであり、行動経済学の新知見が満載なのだが、当欄はとりあえず、ここで打ちどめにする。これだけのことからでもわかるのは、旧来の経済学が不条理にも、人間を経済の合理性にのみ従う〈ホモ・エコノミクス〉の型に押し込んできたことだ。人間はなにより生きものとしてのヒトである、社会集団の一員でもある、能力は無限ではなく、有限の時空を生きている――そういう当然のことが、ようやく経済学を変えつつあるのだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年7月22日公開、通算636回
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ソシュールで歴史の呪縛を脱する

今週の書物/
『ソシュール』
ジョナサン・カラー著、川本茂雄訳、岩波書店「同時代ライブラリー」、1992年刊

共時的

今週も、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(1857~1913)の言語観を追いかけながら、私の青春期に一世を風靡した構造主義に迫ることにしよう。

思いだされるのは、構造主義が語られるときに「共時的」と「通時的」という一対の用語が必ずと言ってよいほど出てきたことだ。「意味するもの」(シニフィアン、能記)と「意味されるもの」(シニフィエ、所記)と同様、日常生活には馴染みのない概念だった。

「共時的」も「通時的」も、字面をじっと見ていれば意味が伝わってくる。数学の授業を思い起こしてみよう。先生が黒板に線を1本引いて「これは時間軸です」と言う。t=0分後、t=1分後、t=2分後……軸上の各点は異なる時点を表しているから「通時的」だ。ここでt=1分後の点で別の軸が直交していて、その軸上にx=0m、x=1m、x=2m……という地点があるとすれば、これらはどれもt=1分後の位置だから「共時的」だ。

私たちの日常は共時的でもあり、通時的でもある。職場の人間関係に悩むという状況を考えてみよう。悩みごとは、自分が今どんな人々とどういう仕事をしているか……といった現在の事情によって起こるから共時的だ。その一方で、自分はこれまで仲間たちと仲良くやってきたか……など過去の事情も影響してくるだろうだから、通時的ともいえる。私たちはふつう共時と通時を切り分けて考えないが、構造主義は違うらしい。

構造主義は世界を共時的にとらえる、と私は理解してきた。ただ、それは青春期の読書のおぼろげな記憶にもとづく。そこで今週も『ソシュール』(ジョナサン・カラー著、川本茂雄訳、岩波書店「同時代ライブラリー」、1992年刊)を読み、これを再確認したい。

実際、本書を読み進むと「言語体系の観点からは、重要な事実は共時的事実である」という記述に出あう。ソシュールが「共時」を重視しているのは間違いないらしい。当欄は前回、ソシュール言語学が「要素を創り出し、かつ画定するところの諸関係から成る根底所在の体系を提出する」という本書の記述を引いたが、実は、その「要素」にも「共時的体系の」という限定がついていた。「共時的体系の要素」しか相手にしないということだ。

本書によると、この問題でソシュールはfoot(足)とその複数形feetの変遷を初期アングロ・サクソン語の時代からたどっている。その音を片仮名書きで表すと、単数形はずっと〈フォート〉が続くが、複数形は最初〈フォーティ〉だったのが〈フェーティ〉となり、さらに〈フェート〉に変わった。これが現在の単数形〈フット〉、複数形〈フィート〉に行き着いたということだろう(母音を伴わないt音は便宜的に「ト」と表記した)。

ソシュールは、〈フォーティ〉→〈フェーティ〉→〈フェート〉の変化を偶然の仕業とみる。それは「あらたに取り込んだ意義をしるすべく運命づけられたものではない」。たまたま出現した一対の言葉を「単数・複数の別を立てるために流用」しているだけだ。

この話は、ソシュール言語学ではおなじみの「ラング」と「パロール」にもかかわる。ラングには「言語体系」、パロールには「発話行為」の意味あいがある。ソシュールの視点に立てばラングは「本質的」だが、パロールは「偶然的」だ。ソシュール言語学は、ラングすなわち「言語体系」の「単位」と「結合法則」を見定めようとしている。footの複数形の推移は、パロールすなわち「発話行為」の領域に属するから重要視しない。

ソシュールは「共時的事実」を「通時的事実」から切り離した。あくまでも注目するのは「同時に存在する二つの形式のあいだの関係ないしは対立」だ。〈フォート〉対〈フォーティ〉、〈フォート〉対〈フェーティ〉、〈フォート〉対〈フェート〉がこれに当たる。

この「共時」の重視は、当時の言語学界を根底から揺るがすものだった。「恣意性」への着眼などでソシュールにも影響を与えた米国の言語学者ウィリアム・ドワイト・ホイットニーも、「言語学は歴史的科学でなければならない」との立場は捨てなかった。「通時」の研究にこだわったのだ。だが、ソシュールが目を向けたのは「歴史上の連続性」ではなく、「共時」の次元で「意味の差異」を生みだす機能、すなわち「示差的機能」だった。

ただソシュールも、発話行為で生じる「歴史的変化」が言語体系に「影響を及ぼす」ことまでは否定していない。ラングも、パロールの「偶然的」なゆらぎに無縁でないわけだ。このことをどう考えるべきか、私にはまだわからない。これからの読書の課題としよう。

ここで、近代思想が歴史的なものの見方と切っても切れないことを思い返したい。ヘーゲルの歴史哲学がそうだろう。マルクスの史的唯物論も同様だ。だが、歴史にとらわれることには落とし穴がある。私たちが参照できる歴史が一つしかないことだ。歴史はやり直すことができない。これに対しては反論もあろう。世界にいくつもの文化圏があり、それぞれ歴史が異なるからだ。だが現実には、これまで欧州史が偏重されてきたのではあるまいか。

そんな状況を知ってか知らずか、ソシュールは歴史をスパッと切り捨てた。「共時的体系」に焦点を当てた探究ならば、一つの文化圏に目を奪われることなく、それぞれの文化圏の言語を相対化できる。欧州という一地域の事情に惑わされることもなく、地球規模の言語学を築くこともできるだろう。こうしてみると、ソシュールが言語学で採用した構造主義の手法が文化人類学など別分野にも取り込まれていった展開が腑に落ちる。

本書によれば、文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースは「言語学と人類学における構造分析」という論文で、ソシュールが「辞項間の関係」の研究で、話し手が意識していない「関係」の体系にも迫ろうとしたことに注意を喚起している。人類学者も「行為」や「事物」を「記号」として考察するとき、人々の意識にはない「関係」の体系にも目を向けるべきだという。「関係」重視の構造主義はこのようにして裾野を広げたのである。

構造主義は1960~1970年代、ポスト構造主義と呼ばれる新しい思潮の台頭で批判にさらされた。背景には、研究者風の客観的な姿勢に対する不満もあったらしい。これは私が若いころ、構造主義をマルクス主義や実存主義と同列に扱うことに違和感を覚えた経験に一脈通じている。俗な言い方をすれば、私たちの生き方にヒントを与えてくれないのだ。とはいえ、構造主義はポスト構造主義によって全否定されてはいない。

私が一つつけ加えれば、構造主義は科学の要素還元主義批判にも結びついている。今や物理世界を探るには、物質の最小単位クォークを見つければよいわけではない。生物世界を理解するにも、DNA塩基配列の遺伝情報を読みとるだけではダメだ。要素と要素の「関係」を調べるところから始めなくてはならない。一方、今日のネットワーク社会は文字通り、私たち自身を人と人との「関係」の海に誘い込んでいる。「構造」は今や旬なのだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年7月15日公開、通算635回
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ソシュールで構造主義再び

今週の書物/
『ソシュール』
ジョナサン・カラー著、川本茂雄訳、岩波書店「同時代ライブラリー」、1992年刊

色の差異

「主義」が輝いていた時代があった。私が学生だったころがそうだ。自己紹介で「僕はナニ主義者」と名乗るべきか、そのナニを何にしようか、といつも考えていた。

1970年代初め、よその大学で開かれる自主ゼミに通ったことがある。それを「自主ゼミ」と呼ぶのが正しいかどうかは、定義にもよるだろう。主宰者の男性若手教員は工学系だったが、テーマは彼の専門領域に限定されなかった。灯ともしごろの研究室に週1回、学内外の若者が勝手に集まり、なんでもよいからしゃべりたいことをしゃべり合うという感じ。その議論でも、「主義」という言葉には隠然とした重みがあった。

ただ興味深いのは、このときすでに社会主義の輝きが薄れかけていたことだ。主宰者の教員は新左翼への共感を明言したものだが、だからといってマルクス主義を説くことはなかった。連合赤軍事件が発覚するより前のことだが、新左翼運動はすでに衰退していた。

そのゼミで私が忘れられないのは、ある晩、初参加の青年が持論を延々と展開したことだ。芸術系の学生だったと思う。言葉の端々から、古今東西の書物を読み漁っていることがわかった。そこで飛びだした用語が「構造主義」である。私には、青年がこう言っているように聞こえた。マルクス主義は古い、実存主義も古い、今は構造主義だ――。さらに「ポスト構造主義」にも言及していたかもしれないが、そこまでの記憶はない。

そのころ、私も「構造主義」という言葉は知っていた。新書版の解説書はすでに読んでいたと思う。ただ、ピンとこなかった。その意図がつかみ切れなかったのだ。ところが、くだんの青年は弁舌さわやかに、それを思想史の時間軸に位置づけている!

私が構造主義に惹き込まれなかった理由は明らかだ。それは、新鮮ではある。「意味するもの」「意味されるもの」といった耳慣れない用語を駆使して、物事の本質を読み解いてくれる。だが、そこにとどまっていないか? 少なくとも私には、そう思えた。構造主義は、世界のしくみを理解するための方法論に過ぎない。自分がどう生きてどう行動するかという問いには、なにも指針を与えてくれない――そんな不満を拭えなかった。

だから、マルクス主義や実存主義は古い、構造主義は新しいという仕分けには納得できない面があった。これらは同列の品目ではないので、新旧を比べるのは適当でないように思えたのだ。私は青年の話ぶりに気おされながらも、心の片隅に違和感を宿しつづけた。

で、今週は『ソシュール』(ジョナサン・カラー著、川本茂雄訳、岩波書店「同時代ライブラリー」、1992年刊)。フェルディナン・ド・ソシュール(1857~1913)はスイスの言語学者。その研究は構造主義の原点に位置づけられている。著者は1944年生まれ、米国出身の近代語、比較文学の研究者。本書の原著が刊行された1976年時点では、英国の大学で教職に就いていた。邦訳の単行本は1978年、岩波書店が出している。

当欄は先週、ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』に登場する新言語「ニュースピーク」を素描した(*1)。痛感したのは、言語と思考が密接不可分なことだ。この機会に言語のしくみそのものも考察したい。そう思ったのも、本書を選んだ理由である。

本書によると、ソシュールは自身の研究の全体像について、ほとんどなにも書き残さなかった。このため、ジュネーブ大学での講義録『一般言語学講義』がよく読まれる。学生のノートなど複数の筆記記録をもとに関係者がまとめたものだ。著者は、これをノート原本と突きあわせると、ソシュール本人の真意を伝えていない面があることを指摘する。本書は随所で『講義』を参照しつつ、一方で著者なりのソシュール思想「再構築」をめざしている。

中身に入ろう。第Ⅱ章「ソシュールの言語理論」を開くと、さっそく「言語は記号の体系である」という一文に出あう。「音」はふつうにはただの音だが、それが「観念を表現ないし伝達するのに役立つ」場合にだけ、「言語」の価値を帯びる。では、どんなときに音は観念を伝えられるのか。音が「慣習の体系の一部」「記号の体系の一部」であるときだという。この「体系の一部」という表現に、私は構造主義の空気を感じとった。

ここで「記号」とは何だろうか。それは、「記号表示する形式」と「記号表示される観念」の「合一」だという。ソシュールの用語に従えば、前者はsignifiant(能記)、後者はsignifié(所記)。片仮名書きすると、シニフィアンとシニフィエになる。懐かしい響きだ。これらこそが〈意味するもの〉と〈意味されるもの〉だった。音がなにものかを意味し、なにものかがそれによって意味されるとき、言語という記号が成立するのである。

次いで本書は「言語記号は恣意的である」と書く。「能記と所記との特殊な結合」は気まぐれというのだ。所記として哺乳類の一種(日本語圏で「犬」と呼ばれるもの)を思い浮かべよう。英語圏の人は、これに対する能記にdogをあてがうが、それはlodやtetであっても一向にかまわない。いくつもある能記候補のうちの一つが最適という「内在的理由」はないのだ。これが、ソシュール言語学が言語記号に見いだした基本原理だという。

ただ、この恣意性は一筋縄ではいかない。本書がまず指摘するのは、言語によって所記が異なるということだ。フランス語にaimerという動詞がある。これを英訳するときは、like(好き)かlove(愛する)のどちらかを選ぶことになる。フランス語では「好き」と「愛する」が一つの概念をかたちづくり、一つの所記となっている。ところが、英語では別々の概念であり、所記なのだ。世界の「分節」の仕方が言語次第で多様なことがわかる。

所記が「可変的・偶発的な概念」であることも具体的に語られている。例示される言葉は形容詞のsillyだ。もとは「幸いな」「恵まれた」「信仰深い」だったが、「無垢な」「力のない」などに変わり、今では「愚か」を意味するに至った。「能記sillyに付着された概念が継続的に境界を移し変え」「世界を一時代から次の時代へと異った仕方で分節した」わけだ。この間に能記も変化して、片仮名で表記すればセリーがシリーになったという。

著者によれば、ソシュールが恣意的とみてとったのは能記と所記の関係にとどまらない。所記が恣意的であり、能記も恣意的なのだ。「能記も所記もともに、純粋に関係的ないしは差異的な存在体である」――これがどうやら、ソシュール言語学の核心であるらしい。

本書では、いくつかの具体例が挙がっている。色名語、すなわち色の名前がその一つだ。brown(褐色)がどんな色であるかを学ぶときのことを考えよう。生徒は、brownという色がred(赤)やtan(黄褐色)、grey(灰色)、yellow(黄)、black(黒)と「区別」されることを教わるまでは「brownの意味を知るに至らない」。brownを「独立の概念」とみてはいけない。それは「色名語の体系中の一辞項」ととらえるべきなのだ。

「重要なのは区別」であることを実感する例には列車の呼び方もある。8時25分ジュネーブ発パリ行き急行とは何か? この列車は連日運行されるが、日によって車両も乗務員も入れ代わる。発車時刻がダイヤの乱れで8時25分より遅れる日もある。だが私たちは、それを同じ8時25分ジュネーブ発パリ行き急行と呼ぶのだ。理由は、この列車が10時25分ジュネーブ発パリ行き急行などとは別の列車であるからにほかならない。

本書には「言語学における説明は構造的」という記述がある。ソシュールが切りひらいた近代言語学は「要素を創り出し、かつ画定するところの諸関係から成る根底所在の体系」を提示して、そこにある「諸形式」と「結合法則」を説明づけようとしているという。難しい! これを私なりに意訳すれば、言語学は能記や所記の差異に目を向け、その関係図を描きだすことで言語の形式と法則を突きとめる試みである、ということか。

構造主義がようやく目に見えてきた。ソシュールはAやBを語るとき、A、BそのものよりもAとBの差異や関係から成る「構造」に注目したのだ。これは私たちの生き方に直接はかかわらないが、世界の見方に影響を与える。来週もソシュール思想を追いかける。
*1 当欄2022年7月1日付「オーウェル、言葉が痩せていく
(執筆撮影・尾関章)
=2022年7月8日公開、通算634回
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オーウェル、言葉が痩せていく

今週の書物/
『一九八四年』
ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、新訳版、ハヤカワepi文庫、2009年刊

ニュースピーク

言葉の貧困は目を覆うばかりだ。ボキャブラリー(語彙)が痩せ細った、と言い換えてもよい。「緊張感をもって」「スピード感をもって」「説明責任を果たしてほしい」……政治家の発言を聞いていると、同じ語句が機械的に並べられている感じがある。

有名人が不祥事を起こしたときのコメントも同様の症状を呈している。「重く受けとめています」「お騒がせして申し訳ありません」――記者会見があれば、ここで深々と頭を下げる。これは、官庁や企業の幹部が身内の不祥事について謝るときも同様だ。

市井の人々も例外ではない。たとえば、大リーグの大谷翔平選手がリアル二刀流の試合で勝利投手となり、打者としても本塁打2本を連発したとしよう。テレビのニュース番組が街を行き交う人々に感想を聞いたとき、返ってくる答えは「勇気をもらいました」「元気をありがとう」。勇気であれ元気であれ、心のありようは物品のように受け渡しできないはずだが、なぜかそう言う。世間には紋切り型のもの言いが蔓延している。

これらを一つずつ分析してみれば、それぞれに理由はある。政治家の「緊張感」や「スピード感」は、無策を取りつくろうため常套句に逃げているのだろう。有名人や官庁・企業幹部の「重く受けとめています」「お騒がせして申し訳ありません」は危機管理のいわば定石で、瑕疵の範囲を限定して訴訟リスクを下げようという思惑が透けて見える。そして「勇気」や「元気」は万能型の称賛用語で、ときには敗者を称えるときにも用いられる。

ただ、言葉の貧困から見えてくる共通項もある。今、私たちが無思考の社会にいるということだ。思考停止の社会と言ってもよいが、思考を途中でやめたわけではない。思考すべきところを思考せず、それを避けて通ったという感じだ。思考回避の社会とも言えないのは、思考を主体的に避けたのではなく、自覚しないまま無思考状態に陥っているからだ。私たちはいつのまにか、ものを考えないよう習慣づけられてしまったのではないか。

で、今週は言葉と思考について考えながら、引きつづき『一九八四年』(ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、新訳版、ハヤカワepi文庫、2009年刊)をとりあげる。著者は1949年の視座から1984年の未来を見通したとき、そこに監視社会という反理想郷(ディストピア)が現れることを小説にした。先週の当欄に書いたように、そのディストピアでは人々の思考も操られている。そして、このときに言葉が果たす役割は大きそうなのだ。

『一九八四年』が秀逸なのは、そこに新しい言語「ニュースピーク」を登場させていることだ。たとえば、前回の拙稿(*1)にも書いたように、主人公のウィンストンは勤め先の真理省記録局で新聞の叙勲記事を書き換えるよう命じられるのだが、その業務命令もニュースピークで書かれているのだ。訳者は、それを巧妙に日本語化している。「bb勲功報道 倍超非良 言及 非在人間 全面方式書直 ファイル化前 上託」という具合だ。

bbによる叙勲の報道は大変によろしくないものだった、記事に出てくるのは居もしない人物だ、全面的に書き直せ……そう読み解ける。ここでbbは、英、米を含む大国オセアニアの「党」指導者ビッグ・ブラザーのことだろう。用件だけを伝えている感じの文面だ。

この言語がどんなものかは、この作品の末尾に添えられた「附録」を読むとわかる。「ニュースピークの諸原理」と題された一文だ。ニュースピークが「イギリス社会主義」の「要請」に適うように考えだされた「オセアニアの公用語」であること、1984年の時点では標準英語(オールドスピーク)と併用されていたが、2050年ごろまでには完全に置き換わるだろうと予想されていたことなどが、もっともらしく解説されている。

「イギリス社会主義(English Socialism)」は、略称「イングソック(Ingsoc)」。作品本体には、ビッグ・ブラザーの政敵の著書を引用するかたちでその説明がある。それはオセアニアの「党」が掲げる思想で、「党がオセアニアにある全てを所有する」という体制を支えている。支配層の中心は官僚、科学者、技師、労働組合活動家、広告の専門家、教師、報道人……などだという。中間層がいつのまにか一党独裁を生みだした、という感じか。

「附録」に戻って、ニュースピークの一端を紹介しよう。一つ言えるのは、それが英語を簡素にしていることだ。標準英語では、動詞の「考える」がthinkで名詞の「思考」はthoughtだが、ニュースピークでは動詞であれ名詞であれthinkでよい。これと反対に、名詞を動詞として使いこなす例もニュースピークにはある。「切る」はcutではなくknifeなのだ。これらの簡略化は、私のように英語を母語としない者には大変ありがたい。

簡略化は、このほかにもある。ニュースピークでは「悪い」のbadが不要で、「非良」のungoodが代用される。形容詞を強めたければ、語頭に「超」のplusや「倍超」のdoubleplusをくっつければよい。前出の「倍超非良」はdoubleplusungoodだったのだろう。

だが、ニュースピークには怖い側面がある。ひとことで言えば、意味を痩せ細らせることだ。典型例はfreeという言葉。標準英語では「自由な/免れた」の両方を意味するが、ニュースピークでは「免れた」の語意が強まった。「この犬はシラミを免れている」との趣旨で「シラミから自由である」という表現が成り立たないこともないが、「政治的に自由な」「知的に自由な」はありえない。この種の「自由」は言語空間から消滅したのだ。

同様のことはequalについても言える。equalという形容詞は、ニュースピークでも「すべての人間は等しい」という文に用いられるが、このときequalに込められた意味は体格や体力が「等しい」ということで、「平等」の概念はまったく含意していない。

これらの特徴から、イングソックがニュースピークに何を「要請」したかが浮かびあがってくる。それは、「イングソック以外の思考様式を不可能にする」ことだ。本稿のまくらにも書いたように、思考と言葉は密接な関係にある。だから、意味の痩せ細った新言語が広まれば、「異端の思考」をしそうな人が現れても「思考不能」の状態に追い込める――。オセアニアの「党」は、そんな「思惑」があってニュースピークを導入したのである。

もちろん、「思惑」通りには事が進まない。1984年の時点ではオールドスピークが日常言語だったから、ニュースピークで会話や文書を交わしても、オールドスピークにまとわりついた「元々の意味」を忘れられない。ここで威力を発揮するのが、「二重思考」だ。これは前回の拙稿で紹介した通り、とりあえずは「ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱き、その両方を受け入れる」という思考法だ。そのうえで危ない考えを回避していく。

このくだりで、著者は不気味な予言をしている。将来、ニュースピークしか知らない世代に代替わりしたら、その人々は「自由な」に「知的に自由な」の意があり、「等しい」が「政治的に平等な」も意味するとは思いも寄らないだろう、というのだ。「自由な」や「等しい」は即物的になり、その語句に詰め込まれた思想はすっかり剥ぎとられてしまう。言葉が思考から切り離され、ただの意思伝達手段、いわば信号になっていく感じか。

昨今の「緊張感をもって」「重く受けとめて」「勇気をもらいました」という常套句も、私にはニュースピークの一種に思われる。思考の気配がなく、定石の棋譜のようにしか聞こえないからだ。人類の前途にはオールドスピークからの完全離脱が待ち受けているのか。
☆引用部にあるルビは原則、省きました。
*1 当欄2022年6月24日付「オーウェル、嘘は真実となる
*2 本書『一九八四年』については、当欄2022年1月21日付「宗匠のかくも過激な歌自伝」でも言及しています。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年7月1日公開、同日更新、通算633回
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