「人種」というかくも人為的な言葉

今週の書物/
『「他者」の起源――ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』
トニ・モリスン著、荒このみ訳・解説、森本あんり寄稿、集英社新書、2019年刊

人為の区分け

米国で「黒人」差別に対する抗議行動が広がっている。きっかけは、中西部ミネアポリスで「黒人」市民ジョージ・フロイドさんが「白人」警官に首を押さえつけられて亡くなった、という事件。公民権法の制定から56年。半世紀余の歳月を思うと、絶望感に襲われる。

フロイド事件を特徴づけるのは、「黒人」対「白人」の構図だ。米国では警官が「白人」、市民が「黒人」という組み合わせで加害行為があると、それが全土を揺るがす事件となる。犠牲者は一個人ではなく、「黒人」の象徴としての役回りを担わされる。

「黒人」と「白人」――。考えてみれば怖い区分けだ。肌の色の違いで分けたのだとしたら、粗っぽすぎる。「黒人」と呼ばれる人々の顔にはさまざまな色調があり、一概に黒いとは言えない。「白人」たちも同様で、白いとは言い切れない。米国社会では、そうした個人差をすべて捨象して人々の間に線を引いたのだ。今でこそ「アフリカ系」「欧州系」という呼び方があるが、今回のような事件の報道では「黒人」「白人」の用語が飛び交う。

抗議行動では、“Black Lives Matter”という標語が掲げられている。「黒人の命は大切だ」と訳される。今風に政治的公正(ポリティカル・コレクトネス)の表現にこだわれば“African-American Lives Matter”(アフリカ系米国人の生命は大切だ)と言うべきかもしれないが、差別に抗う側自身が“Black Lives”を前面に出していることに注目すべきだろう。“Black”には情念が感じられるからか。いや、それだけではなさそうだ。

たぶん、米国の「黒人」たちには「アフリカ系」という言葉で括れないなにかがあるのだろう。それは、自分たちもまた米国をつくってきたのだという自負のように思える。私たち日本人は第2次大戦後、太平洋の対岸から吹きつける米国文化の風にさらされてきた。だから、「黒人」なしの米国はありえないことを実感している。「黒人」は米国全人口の1割強に過ぎないが、文化の担い手としての存在感は半端ではない。

「黒人」なしでは絶対に生まれなかったものは、ジャズだ。あのリズム感はアフリカ由来だが、アフリカ大陸ではジャズが育たなかった。「白人」たちの音楽資源――たとえばピアノやベースやサックスなど――を取り込んで新しいジャンルを切りひらいたのである。ジャズの最大の魅力は、アフタービートだろう。ズンチャッ、ズンチャッ……のチャッが強調されるリズムだ。そこには、「白人」文化のクラシック音楽に乏しい躍動感がある。

「黒人」は、ジャズに代表される米国文化の担い手であることに誇りを感じている。その象徴が、“Black”なのだろう。だが、米国社会が「黒人」を正当に受け入れてきたとは到底言えない。だからこそ、今も“Black Lives Matter”の声がわきあがるのだ。

で、今週は『「他者」の起源――ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』(トニ・モリスン著、荒このみ訳・解説、森本あんり寄稿、集英社新書、2019年刊)。著者は1931年、米国オハイオ州で生まれた。大手出版社で編集者を務めるかたわら、作家として活動。代表作に『青い眼がほしい』『ビラヴド』などがある。93年、アフリカ系米国人として初めてノーベル文学賞を受けた。この本は、2016年のハーバード大学連続講演をもとにしている。

第一章冒頭のエピソードは強烈だ。著者がまだ物心もつかなかった1930年代前半、一族のなかで尊敬を集めていた曽祖母――「腕利きの助産師だった」――が訪ねてきた。自身は「漆黒の肌の持ち主」。その人が著者姉妹を見て「この子たち、異物が混入しているね」と言ったというのだ。「黒人」として「純血ではない」ということだろう。著者が逆説のようにして、米国社会の底流にある心理を知った瞬間だった、と言ってよいだろう。

この章には、米国やその周辺地域で「混血」がどのように進んでいたかを暗示する史実も明らかにされる。18世紀半ば、一人の英国青年が自国の植民地ジャマイカでサトウキビ畑の農園主となり、「反省あるいは識見の欠落している事実のみの日記」を遺した。それは、当人の奴隷女性たちに対する「性的活動」を「相手と会った時間、満足度、行為の頻度、とくに行為のなされた場所について記録している」ものだったという。

驚くべきは、この記録がラテン語交じりで書かれていたことだ。「午前一〇時半ごろ」「コンゴ人、サトウキビ畑のスーパー・テラム(地面の上で)」などというように。著者は、ここに「奴隷制度を『ロマンス化』する文学的試み」をみてとる。

ただ、その「文学」が欺瞞に満ちたものであることは、巻末の「訳者解説」を読むとよくわかる。「奴隷制度のもとでは、白人の農園主たちは奴隷女と関係を持ち、奴隷を増やすことが奨励された」というのだ。「奴隷は財産」であり、「奴隷女から生まれた子どもも奴隷」として扱われたから、「農園主は自分の財産を増やすためにも関係を持った」――「ロマンス化」の裏側には、人間を人間と見ない醜悪な経済原理が横たわっていたのである。

講演録本文に戻ろう。著者は、ウィリアム・フォークナーの小説『アブサロム、アブサロム!』をとりあげる。この作品では、近親相姦と「人種」混交を比べれば後者のほうが「おぞましい」とみる南部「白人」社会にあった価値観が描かれている。「白人」による「ロマンス化」を「白人」自身が否定していたのだ。作中では、「黒人」の血を16分の1だけ受け継ぐ男が悲劇に見舞われる。「黒人」の血は「一滴」であれ「異物」とみなされたからだ。

主従の関係にまかせた性的活動は、当時の道徳観からみても許しがたかったのだろう。著者は「奴隷が『異なる種』であることは、奴隷所有者が自分は正常だと確認するためにどうしても必要だった」とみる。このときに都合よく使われたのが、「人種」という概念だ。

この歴史を踏まえると、著者が講演で「他者」「よそ者」に焦点を当てた理由が見えてくる。生物分類学の視点に立てば「わたしたちは人間という種」(より厳密に言えば、現生人類か)にほかならない。にもかかわらず、人間は同じ社会の空気を吸っていても「人種」という小分類にこだわり、わざわざ「他者」「よそ者」をこしらえていく。「一滴の血」ですら「他者」「よそ者」の証明にしてしまうのだから、そこにあるのは排除のベクトルでしかない。

この本からは、著者が米国社会を蝕む「他者化」のバカバカしさ、愚かさをどのように見破ってきたかを知ることができる。そこにあるのは、作家としての技法を凝らした作品群だ。ここでは、二つの方法論を紹介しておこう。

一つは、「人種消去」。短編小説『レシタティフ』で試みたものだ。登場人物のだれがどの「人種」か、一切わからないようにした。これは、従来の「黒人文学」が「黒人の登場人物を描き出し、力強い物語をつむぐ努力をしてきた」のとは逆向きの姿勢だ。著者が駆逐したかったのは、「安っぽい人種主義」や「お気軽に手に入る『カラー・フェティッシュ』」だという。「カラー・フェティッシュ」とは、肌の色に対する過剰な思い入れである。

もう一つは、「黒人町」。南部オクラホマ州には、「黒人」が「白人から可能なかぎり遠く離れて」暮らすために、自分たちの町をいくつも建設したという現実の歴史がある。著者は『パラダイス』という長編小説で、この州に開かれた「ルビー」という架空の黒人町を描いた。そこでは「もっとも黒い肌――ブルー・ブラック」が「受容可能な決定的要因」となっている。曽祖母の視点が導入され、「一滴の血」の反転とも言える思考実験をしたのだ。

『パラダイス』を読んでいないので、私は作品の要点を書けない。ただ、著者がこの講演で披露した自作解説からうかがい知れるのは、ルビーという純血社会にも住人の間に「軋轢」があり、それを取りのぞくため、外によそ者を見いだそうとする人がいることだ。

人は、他者を勝手につくりたがる。それも、自分に都合のよい他者を。他者とは本来、自分ではない存在のことであり、存在の一つひとつで異なっているはずなのに、そんなことはお構いなしにひとくくりにして「異物」のかたまりにしてしまう。困ったものだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月24日公開、同日更新、通算532回
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おまじないとどうつきあうか

今週の書物/
書評『見るだけで楽しめる!
まじないの文化史――日本の呪術を読み解く』
須藤靖評、朝日新聞読書面2020年7月11日付

神社の樹林

小さいころから、おまじないの魔力には呪縛されている。それは今も変わらない。

たとえば、手洗いだ。コロナ禍のせいで丁寧に洗う人がふえたようだが、私は子どものころから念入りだった。時間は人の倍ほどかけた。それと言うのも、ゴシゴシとこする回数を心の中で数えていたのだ。指先を3回、念のためにもう3回、次に親指で手のひらを3回……というように。汚れがひどいときは3回が5回になるが、4回はダメ。もし、うっかりどこかで4回が交ざったら最初からやり直し。要するに「4」がイヤだったのだ。

この儀式めいた習慣、最近はほとんど消え去った。だがときどき、トイレの洗面台に向かってゴシゴシやっていると、手先に3、3、3……の亡霊が蘇ってくることがある。いつのまにか、「4」を避けている自分がいるではないか。呪縛は完全には解けていないのだ。

「4」の回避は、もっとも素朴なおまじないだ。4=四の音読みが「シ」で「死」を連想させるからなのだが、この呪いは日本語社会でしか成り立たない。現に日本のプロ野球では、かつて背番号4を外国人選手に割り当てることが多かった。気にする人だけに効果を及ぼす。ならば気にしなければよい――これが科学的思考というものだろう。それなのに科学記者歴30年の私は、今も心のどこかで「4」の魔力にとらわれている。

余談だが、前述の手洗いについては後日談がある。科学記者になってまもなく、健康相談欄の取材で精神科医に話を聞いたときのことだ。読者から届いた相談内容を医師に伝えると、即座に「これは強迫神経症ですね」(最近は「強迫性障害」と呼ぶらしい)という見立てが返ってきた。典型症状をほかにも挙げてもらうと、行為の儀式化も含まれていた。私の手洗いは、これだったのだ! まじないはやはり、心のありようと表裏一体の関係にある。

で、今週の「書物」は、『見るだけで楽しめる! まじないの文化史――日本の呪術を読み解く』の書評(須藤靖評、朝日新聞読書面2020年7月11日付)。評者の須藤さんは、東京大学教授の理論物理学者。宇宙論が専門で、最近は太陽系外惑星の研究でも知られる。今回批評した本は新潟県立歴史博物館監修、今年5月に河出書房新社から出た。科学のど真ん中にいる人がまじない本をとりあげたことに敬意を表して話題にさせていただく。

書評は「まじないが科学的ではないことは理解しているつもりだ」のひとことで始まる。言われなくともわかっている。言っている人は、最高学府の物理学教授なのだ。それでもあえてこう切りだしたのは、次に続く一文に重みをもたせたかったからだろう。

「しかしこの頃(ごろ)は両親の位牌(いはい)を前に、家族や友人、世界中の人々の無病息災を毎日祈り続けている」

地球規模の新型コロナウイルス感染禍は収まる気配がない。陽性だが無症状という人が数多くいるというのだから、だれがいつ感染するかわからない。さらに、これは書評執筆時より後のことかもしれないが、国内では豪雨災害が追い討ちをかけた。世の人々は、カミもホトケもあるものかと嘆きつつ、カミさま、ホトケさまに安寧を願うばかりなのだ。科学者だって例外ではない。この書きだしは、そんな心模様を巧く切りとっている。

書評では、この本が博物館の企画展を踏まえて刊行されたこと、読んでみると厄除け「おふだ」のルーツがわかることなどが述べられているが、私がグッときたのは最終段落だ。この本には「おふだや呪いを実践してみたい人」向けの参考情報も載っているが、その一方で「あまりおススメはしませんが…、自己責任で」と釘が刺してあるという。評者は、このことわり書きに目をとめて「科学的な注にも好感がもてる」と評している。

皮肉が効いている。寛容の精神が薄れ、なにかというと「自己責任」論がもちだされる昨今の風潮を、本の書き手は逆手にとり、まじないへの深入りは自己責任の領域にあると戒めた。これに評者も乗っかる。書評の前段落に「おふだを玄関に掲げれば、コロナウイルスも必ずや退散するだろう」との記述があり、真に受ける読者がいないかと元新聞人の私は一瞬ギクッとしたのだが、着地の妙に触れれば皮肉のスパイスだったことに気づくだろう。

さて私が、この書評に触発されて考えてみようと思うのは、おまじないとの適切なつきあい方だ。それは「科学的ではない」が、人間の意識から追い払い切れない。この現実をどう受けとめたらよいのか。ここでは、評者須藤さんの立ち位置が参考になる。

須藤さんは、私には旧知の人なのでよくわかるのだが、ふだんから非科学的な思考に対して厳しい見方をしている。ただ、その立場はメディアでよく目にする疑似科学批判とは力点の置き方がやや異なるように思える。どこがどう違うのか。

ふつう、疑似科学批判では、おまじないの信奉者が科学の法則を受け入れないことを非難する。このとき批判する側は、必ずしも自然界の出来事は法則によって〈決まっている〉と主張しているわけではないのだが、批判される側や議論を聴いている側は、そう受けとめることが少なくない。学校の理科でニュートン物理学の決定論に馴染んでいるからだろう。疑似科学批判=決定論ではないはずだが、世間はそうとらえがちなのだ。

ところが、須藤さんの言説にはこのイメージがない。それは、宇宙論学者として日々、20世紀物理学の産物に触れているからかもしれない。その代表は量子力学だろう。量子世界では、物事が観測されたとたん、いくつかの可能性がしぼんで一つの状態に落ち着く。確率論的にぽろりと……。いや、量子力学だけではない。ニュートン物理学の決定論世界でも、カオスと呼ぶ予測困難な非周期現象がしばしば起こることが20世紀後半にわかってきた。

では、須藤さんが非科学的とする標的はどこにあるのか。その一つは、〈誤差〉を容認しない社会だ。自然現象や社会現象には誤差がついて回る。科学者の世界では、観測値に幅をもたせてその範囲を〈エラーバー〉という棒線で表し、真の値はその範囲内にあるとみる。ところが今の世の中、エラーバーに留意せず、一つの値にばかりこだわる議論が多すぎる。数値にはもともと幅があると考えるべし。私は、この考え方にいたく共感する。

おまじないの話に戻ろう。私たちは20世紀物理学を知った今、それが決定論かどうかは別にして予測困難な世界に自分がいることを認識しなくてはならない。そこでは、哲学者スラヴォイ・ジジェクが「愚かな自然の偶発性」ととらえる疫病禍や小惑星衝突が起こっても不思議はないのだ(当欄2020年7月10日付「ジジェクの事件!がやって来た」)。だから、この世からおまじないがなくならないのは無理からぬことだろう。

そう考えれば、自嘲気味に自分で自分に皮肉を言いながら、おまじないをしてみるのは許されるのではないか。さあ、手を洗わなければ、3、3、3……、5、5、5……。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月17日公開、同日更新、通算531回
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ジジェクの事件!がやって来た

今週の書物/
「監視と処罰ですか?/いいですねー、お願いしまーす!」
スラヴォイ・ジジェク著、松本潤一郎訳、『現代思想』(2020年5月号、青土社)より

日々の管理

5年前のことだ。当欄の前身「本読み by chance」で『事件!――哲学とは何か』(スラヴォイ・ジジェク著、鈴木晶訳、河出ブックス)という本をとりあげたことがある(2015年12月18日付「ジジェク『事件!』の科学技術批判」)。著者は1949年生まれ、中欧スロベニアの哲学者。この本は2014年に刊行された。理系知をふんだんに取り込んだ同時代の哲学書。ネット社会の分析には、そうか、なるほどなあ、と目を見開かされた。

そこでは、ソーシャルメディア全盛の世相が皮肉られていた。なにごとかを世の中に発信する活動は、かつてはマスメディアに独占されていたが、今はだれにでもできる。これは、ネットという公共空間を一気に広げたように思えるが、そうではない、という。たとえば、「自分のヌードや個人的なデータや猥褻な夢をウェブ上にさらけだす人」が現れたことをどうみるか。私的空間を押し広げているととらえれば、公共空間の「私物化」にほかならない。

私は前述の拙稿で、著者には現代の科学技術が近代精神の産物を人々から奪いつつあるとみる歴史観があるらしい、と書いた。ネット空間の「私物化」は、IT即ち情報〈技術〉が「公共性」を脅かしている例だ。別の箇所には、脳〈科学〉批判も出てくる。科学者は神経回路の作用にばかり目を向けて、「自律した自由な主体としての〈自己〉の概念」を「幻想」と切り捨てるようになった、という。「主体性」も追いやられてしまったのである。

この本の題名にある「事件!」とは何か。文中には、事件とは何かを説明する記述があれやこれや出てくるので、ひとことでは定義できない。ただ著者は、人々が「公共性」や「主体性」を取り戻す契機となる事件を「!」付きで思い描いているようだと私は感じた。

もしかしたら……と思うのが、今回の新型コロナウイルス感染禍だ。これは、まぎれもなく人類史を揺るがす事件だが、著者は、そこに人々が変わるきっかけを見ようとしているのではないか。そうならば、この事件はまさに「事件!」ではないか。

で、今週は「監視と処罰ですか?/いいですねー、お願いしまーす!」(スラヴォイ・ジジェク著、松本潤一郎訳)を『現代思想』(2020年5月号、青土社)で読む。これは“The Philosophical Salon”というウェブサイトに今年3月16日付で載せた論考であり、原題は“Monitor and punish? Yes, please!”。「監視と処罰」は、ミシェル・フーコーの著書『監獄の誕生』(邦題)の原題から採ったらしい。コロナ禍の今を読み解いた論考だ。

そこで最初にとりあげられるのは、新型コロナウイルスの感染禍が「人びとの統制および規制措置の正当化と合法化」に手を貸しているように見える現実だ。例に挙がるのは、中国の「デジタル化された社会統制」やイタリアの「全面的厳重封鎖」。この種の統制や規制は、従来の「西洋民主主義社会」の常識では思いもよらぬことであり、リベラル派は警戒している。では、著者自身も同じ立場をとるのかと言えば、ちょっと違うらしい。

読み進むと、こんな記述に出会うからだ。「コロナウィルスの蔓延によってコミュニズムに新たな息吹が吹き込まれるかもしれないと提案したとき、案の定、私の主張は嘲弄された」(引用箇所で「ウィルス」とあるのは原文のママ、以下も)。表題同様に挑発的だ。

では、そのコミュニズムとは何か。図式的に要約すればこうなる。「呼吸器関連の医療機器を大幅に増やす必要」→「国家が直接介入する必要」→「その成功は、他国との連携にかかっている」。最後には、ああインターナショナル! 国際連帯が求められるというのだ。

著者は医療資源の配分――たとえば人工呼吸器や病床を誰に優先的に充てがうかというトリアージ――にも言及する。その局面で「最も弱い年長者を犠牲にする」という「適者生存」の論理が頭をもたげるが、それに対抗するのも「再発明されたコミュニズム」だという。

この論考で興味深いのは、著者が統制の概念を国家、社会のレベルから個人のレベルに引き寄せていることだ。コロナ禍の今、私たちはあらゆる「接触」に神経をとがらせており、「気になる物に触らず」「ベンチに座らず」「抱擁や握手を避け」「鼻に触れたり眼を擦ったりしない」という日常を過ごしている。「われわれを統御しているのは国家やその他の機関だけではない。われわれは自分を統御し規律化する術も学ぶべきなのだ!」

著者は、スロベニア(旧ユーゴスラビアの一部)という共産圏に育った。コミュニズムの「統制」には反発もあるだろう。その人がコミュニズムの再生を予感しているのだ。このことの意味は大きい。「統制」は「西洋民主主義社会」の価値観と相性が悪いが、とりあえずは生き延びるために致し方ない。コロナ禍はそれほどのことなのだ。このあたりを読んでいると、私たちは今、歴史的な転換点にいることを痛感する。

著者の論述は、終盤で文明論の色彩を帯びてくる。「どれほどみごとな精神的建造物をわれわれ人類が築きあげても、ウィルスや小惑星といった愚かな自然の偶発性が、それを完膚なきまでに壊滅させるかもしれない」。ここでは、ウイルスを小惑星と並べているところに注目したい。ウイルスは、遺伝子を変異させて凶悪度を高める。小惑星は、カオス運動で地球に接近することがある。どちらも予測困難。災厄は不意にやって来る。

私たちは災厄に見舞われたとき、なすがままにされているわけにはいかない。人類は人類以外の敵と闘わなくてはならない、そのためには統制や連帯が欠かせない――著者によれば、それを実現してくれそうなのが「再発明されたコミュニズム」というわけだ。私は、そこに近代精神の再評価を見てしまう。その論調は、科学技術の時代に「主体性」や「公共性」の復権を求めた前述の書『事件!…』とも響きあっている。

この論考は、人間すらも客観視している。ウイルスはヒトの体に忍び込み、そのしくみを借りて自らの遺伝情報を複製していくが、同じような存在はもう一つある――「人間の精神もまた、一種のウィルスではないか」というのだ。これは思いつきではない。進化生物学者リチャード・ドーキンスが提案した「ミーム(模伝子)」の概念に呼応している。(「本読み by chance」2017年9月15日付「ドーキンスで気づく近代進化論の妙」)

たしかに「精神」はヒトに「寄生」して「自己複製」を繰り返す。ヒトの体を乗っ取ってきたとも言えるだろう。ところが、そこに新しい乗っ取り犯が現れて、先客を脅かすようになったのだ。私たちは今、ヒトをめぐるウイルス対「精神」の闘争の渦中にいる。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月10日公開、同年8月13日最終更新、通算530回
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5Gで2Hは変わるか

今週の書物/
『5G
――次世代移動通信規格の可能性』
森川博之著、岩波新書、2020年刊

スマホの向こう

2時間ミステリー(業界では2Hと呼ぶらしい)のことは、当欄の前身でも繰り返し話題にしてきた。マンネリのドラマによくつきあっていられるね、という揶揄も聞くが、マンネリのまったり感がよいのだ。いや、それだけではない。余得がいっぱいある。

2Hは最近、新作が少ないが、BS局やCS局で旧作再放映を観ることができる。その副産物として楽しめるのが、1980年代~2010年代へのタイムスリップだ。街の風景、人々の言葉遣い、身の回りの品々……どれも時代を映している。なかでも、それがいつかを教えてくれる最強の記号は電話だろう。拙稿「ミステリーで懐かしむ黒電話の時代」(「本読み by chance」2015年1月16日付)では、次のように時間軸をさかのぼった。

〈ざっくり色分けすれば、2010年代はスマートフォン、00年代なら折り畳み式携帯、それも最初のころはアンテナ付き、1990年代後半は畳めない細長携帯、それ以前は固定電話が優勢でプッシュフォン、1980年代半ばより前はダイヤル式も多かった〉

同様の時代区分はIT業界にもある。移動電話を第1世代(1G)から第4世代(4G)まで世代分けしている。1Gの起点を1980年代としているようだから、人々の実感よりも早い。新技術が市場に出回るまでには、それなりの時間がかかるということだろう。

2020年代の私たちを待ち受けているのが5Gだ。コロナ禍がこの流れに水を差すという見方はある。だが、それとは逆の見通しもある。今、感染症に対する防衛策として社会活動を遠隔方式に改める動きが一気に広まっている。この潮流は、コロナ禍が収まっても次なる新型感染症の脅威が残るから変わらないだろう。そう考えると、5Gはブームがいったん勢いを失うかもしれないが、コロナ後の社会で待望されていると言えよう。

で、今週は『5G――次世代移動通信規格の可能性』(森川博之著、岩波新書、2020年刊)。著者は1965年生まれ、もともと電子工学を専攻した東京大学大学院教授。内外の審議会、公的委員会で要職を務めるなど、情報社会の未来図を描いてきた人だ。この本の刊行日は4月17日。コロナ禍の影響を考察する余裕はなかったようなので、コロナ後に5Gがどんな役割を果たすかに思いをめぐらすのは、読者自身ということになる。

この本には、移動通信の各世代を私たちに引き寄せた記述もある。「1Gは電話、2Gはメール、3Gは写真、4Gは動画」というのだ。たしかに携帯電話を初めて手にしたころ、それは持ち運び自在の電話機にほかならなかった。折り畳み式が出回るころには、短文メールをやりとりしていた。カメラとしても使われるようになると、撮影即送信という早業を楽しんだ。「写メ」である。そして今、スマホ画面で動画を見るのは日常になった。

では、5Gはどんなものになるのか。著者によれば、それは「超高速」「低遅延」「多数同時接続」の三つを具えた通信になる。このうち「超高速」は目新しくはない。1~4Gの進化は「高速化」の軸に沿っており、5Gはそれを「延伸したもの」に過ぎないからだ。

注目すべきは、残り二つ。低遅延の目標は、情報をやりとりするときの遅れを1ミリ秒、即ち1000分の1秒に置く。多数同時接続では1キロ四方の域内に端末機器100万台をつなげるようにする。これらは、ただの量的な進化ととらえるべきではない。それによって質の異なる「サービス」が生まれることになる。具体的には機械の「遠隔制御」、クルマの「自動運転」、リモート方式の「手術支援」などが期待されている、という。

1~4Gでは、通信の恩恵を受ける側の中心に消費者がいた。それは、前述の電話→メール→写真→動画の足どりをみてもわかるだろう。世代が代わるごとに消費者世界のありようが変わってきた。ところが、5Gは「制御」「運転」「手術」の列挙でわかるように職業人にも大きな影響を与える。たとえば、工事現場で重機が無人操作され、小売店が無人の営業になれば、建設業界や流通業界の人々の働き方は一変するだろう。

このあたりのくだりを読んでいて気になるのは、業界内でしかわからない用語が乱造されていることだ。たとえば、“B2C”と“B2B”。前者は企業が消費者向けにサービスを提供すること(本書では“Business to Customer”、ただし“Business to Consumer”とする説もある)を指し、後者は企業間取引(“Business to Business”)を意味する。5GはB2Bの市場を広げるというのだが、これなどわざわざ略語にする必要があるのだろうか。

私がこの本の長所と思うのは、ハードウェアの記述が手厚いことだ。情報系の本というとソフトウェアの話で終わってしまいがちだが、この本は違う。コトの技術にもモノの技術が必須要件としてかかわっていることを見落とすな、と叱られているような感じにもなる。

著者は「通信機器市場やスマートフォン市場では、残念ながら日本企業は競争力を失ってしまった」としたうえで、「5Gを支える部品や計測装置では日本企業の存在感は高い」とうたいあげる。5Gではミリ波など周波数の高い電波を使うので、これまでの部品が通用しないことがある。ある決まった周波数域だけを選り分ける「フィルター」などを例に挙げ、それをミリ波対応にする技術では日本企業が優位に立っていることを強調している。

地味だなあ、という気はする。主戦場で負けたから周縁部で取り戻す、という負け惜しみのようにも聞こえる。だが、必ずしもそうではない。実際、ハードの技術革新は都市を様変わりさせる潜在力があるのだ。たとえば「窓の基地局化」。電波は高周波になるほど障害物を回り込みにくくなり、到達距離も縮まる。だから、5Gの基地局は密に配置しなくてはならない。その結果、ビルの窓にガラスのアンテナが据えつけられるかもしれないという。

ここで著者は「生態系」という言葉を用いて、こう問いかける。「5G市場の生態系は、今までの延長線上となるのか、それとも新たな生態系が生まれるのか」――5Gは、消費者の目からみると、クルマ事情や買い物街の風景、病院の様子などを激変させるだろう。だが、それだけではない。生産者の立場からみても、新しい製品開発の機会をもたらしてくれそうだ。人間社会の「生態系」全体が変わるのは間違いないように私には思える。

この本からは、5Gがモノの物理に制約されている現実も見てとれる。5Gは低遅延化で「1ミリ秒以下」をめざしているが、著者によれば、それは「『無線区間』のみ」の遅れだ。基地局とサーバー(サービス提供用コンピューター)は光回線のような有線で結ばれているが、その区間の遅れは計算に入っていない。太平洋を越えた遠隔手術にも有線の壁がある。海底ケーブル部分に「往復で100ミリ秒程度」の遅延が見込まれるから、という。

有線遅延の制約を克服する技術として紹介されているのが「エッジコンピューティング」。昨今の情報管理では、手もちのデータを「クラウド」(雲)と呼ぶサーバー群に預ける方法が広まっているが、それに逆行する新機軸だ。基地局のそば、端末のそばに「エッジサーバー」を設けて情報処理する、という。端末そのものにエッジの役割を付加することもあるらしい。遅延を縮められ、貴重なデータを手近に置けるから、一石二鳥かもしれない。

著者は、コンピューターの技術が「集中と分散」を繰り返しているという歴史観を示す。20世紀半ばまでさかのぼって跡づけると、汎用機→パソコン→クラウド→エッジの流れがこれに相当する。技術の進化が生態系の遷移のようにも思えてくるではないか。

最後に、ハード面の話で気がかりが一つ。5Gに割り当てられる電波には、これまで移動通信に使われてこなかった高周波が含まれる。電磁波としてみると、赤外光や可視光に近い波長域。だから大丈夫かな、と思う気持ちがある半面、なじみの薄い電波が急に身近なところを飛び交うようになることに不安もある。欧州などで5Gの健康影響に警戒論があるのも、そんな事情があるからだろう。後日、5Gのリスクについても1冊読んでみたい。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月3日公開、通算529回
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渋谷という摩訶不思議な街

今週の書物/
『東京の異界 渋谷円山町』
本橋信宏著、新潮文庫

石段のある街

幼いころ、私にとって繁華街は二つしかなかった。新宿と渋谷だ。私が住んでいた私鉄沿線域からみると、もっとも近いターミナル、即ち終点の街だったからだ。デパートへ買い物に行くにも、外食のランチに出向くにも、たいていはこの二つの街で済ませた。

二つの街は私にとってほぼ等価だったが、青春期に入って新宿派に傾いていく。新宿の空気は、折からの対抗文化と共振していた。若手ジャズ奏者の生演奏が聴ける店、前衛作品が次々にかかる映画館や地下劇場……。それらを守護するように街区のあちこちに小さなジャズ喫茶が散在して、若者たちがスピーカーからあふれ出るリズムに体を揺らしながら時間をつぶしていた。そのエネルギーが、ときに政治闘争となって爆発したのだ。

私は活動家ではなかったが、それでも「反抗」に共感した。あのころ、政治を変えようとは思わなかったが、自分を変える必要は痛感していたのだ。それまでの価値観をぶち破る生き方を見いださなければ――新宿のジャズは、そんな衝動を後押しした。

一方、渋谷はどうだったか。ここにもジャズの店はあった。街頭闘争が繰り広げられたこともある。だがふだんは、どことなく穏やかな雰囲気が漂っていた。反抗の時代でも私鉄終点としての役どころを忘れず、沿線族が散策する街であり続けていたように思う。

20代半ばになると、私は渋谷派に転向した。反抗の気運は、反抗する側の行き詰まりがあって自滅も同然だった。私自身について言えば、オレは私鉄電車の沿線族だ、中産階級で何が悪い、と開き直れるようになっていた。それでも自分の生き方を変えられるではないか――そんな思いもあった。このあたりの心模様の移ろいは、今月初めの当欄「別役実、プチブル『善良』の脆さ」(2020年6月5日付)に書いたとおりである。

渋谷のほうも、この潮目を感じとっていたらしい。公園通りの周辺には、これまでのデパートや映画館とは一風異なる商業・娯楽施設が生まれていた。この一角が発信したのは、新しい生活様式で暮らすニューファミリー世代の消費文化だった。

渋谷はなぜ、新宿と違ったのか。これが、きょうの本題だ。私の仮説を先に明かしてしまえば、一因は地形にあると思う。渋谷の中心部は、地名の通り「谷」の底にある。ということは、周りに高台が迫っているということだ。東側には青山の瀟洒な街、西側には南平台や松濤の邸宅街が控えている。山の手の高級感がある地域とひと続きであるということが、渋谷の穏やかさを醸しだしているように思える。

だが、おもしろいことに、渋谷にはそんな空気感に異議を申し立てる一角がある。今はラブホテルが林立している円山町界隈だ。1970年代、そこにはジャズ喫茶がいくつかあったので、私もときどき足を踏み入れた。ジャズの店そのものは、ほかの街のそれと大差がなかったけれど、店まで歩いているときに異次元の空間に迷い込んだような気分になった。私の記憶では、今ほどにはラブホは建ち並んでいなかったように思う。それなのになぜ?

で、今週は『東京の異界 渋谷円山町』(本橋信宏著、新潮文庫、2020年刊)。著者は、1956年生まれのノンフィクション作家。その著作『全裸監督村西とおる伝』『AV時代』『東京裏23区』の題名からもわかるように、日本社会のアンダーグラウンドを活写する書き手だ。この本は、2015年に単行本として宝島社から出されている。文庫版には、単行本刊行後5年の歳月がもたらした後日談も「あとがき」に収められている。

この本は、渋谷・円山町界隈が明治期以降、花街として栄え、それが戦後、風俗の街の趣を強めるようになったいきさつを、さまざまな業種職種の人々の体験談を通じて浮かびあがらせている。その一つひとつが読みものとして秀逸なのだが、危うい話が次から次に出てくるので、それらを要約するのは極力控える。当欄では、私の仮説の延長線上でブラタモリ風に地形にこだわりながら、この街の魅力を探っていきたい。

「その不思議な街は渋谷の小高い丘の上にある」。著者自身もプロローグ冒頭で、このように地形の話から入っている。第一章でも、円山町が「高級住宅地はたいてい高台」「歓楽街・風俗地帯は低地に」という「土地の法則」から逸脱していることに触れている。

「小高い丘」なので、そこには坂がある。なかでももっとも有名なのが道玄坂。渋谷駅から南西方向へ延びる坂道で、駅を背にその上り勾配をゆっくりと歩いていくと、右側に広がっているのが円山町だ。もちろん、高低差があるのは、そんな表通りだけではない。

この本にはうれしいことに、等高線付きの地形図からラブホテルや飲食店の場所を示したマップ類まで、地図が幾枚か載っている。マップ類のところどころにハシゴのような記号で描き込まれているのが石段だ。この階段こそが異次元世界を象徴しているように思う。

この本を地形の観点から読むときに見過ごせないのが、歌手三善英史が語る幼少期の思い出だ。若い世代のために注釈しておくと、三善は1972年にデビューした。見るからに繊細そうな青年で、しっとりした抒情歌謡を得意としていた。73年にNHK紅白歌合戦で歌ったのが「円山・花町・母の町」(神坂薫作詞、浜圭介作曲)。この本によると、母は「渋谷円山町の芸者」であり、自身も「円山町で生まれ育った」のだという。

三善は、遠い日々の記憶を紡ぎだして「粋で優雅な町でしたね」と言う。通りには石畳、黒塀には見越しの松、三味線には鼓の音。「僕が母と暮らしていた家は、道玄坂を上がって、登り切るちょっと手前を右に曲がって細い路地を入って、階段を降りて…(中略)…八百屋さんがある、そのちょっと先のところなんですね」(ルビは省く、以下の引用も)。回想は、戦後の匂いが残る1950年代のことだろう。実体験なので微に入り、細を穿っている。

「道玄坂を上がって、登り切るちょっと手前」――そう、街は斜面沿いにある。「細い路地を入って、階段を降りて」――そう、迷路のような裏通りには段差が控えめに組み込まれている。三善の描写からは、地形の細やかな起伏が街に情緒を与えていることがわかる。

三善の回想には、もう一つ貴重な証言がある。「僕が小さいころは玉電(路面電車・東急玉川線)が道玄坂に走っていた」「246がまだ土手でしたから。道路じゃなかったんですね」。そうか、あのころ東京西郊から渋谷に入る表玄関は道玄坂だったらしい。国道246号線に首都高の高架がかぶさるのは、ずっと後のことだ。それにしても、「土手」とはどんな景色だったのだろう。「道路じゃなかった」とは幹線道路ではなかったということか。

私にも当時の原風景がある。渋谷に出かけるとき、路線バスを使うことがあった。三軒茶屋、三宿、池尻……と玉電沿いに進む。と突然、視界が開かれ、バスは高台の突端からゆっくりと谷底へ降りていく。前方の空には、デパートのアドバルーン。遠くのビルの屋上で銀色の半球ドームがキラキラと輝いている。五島プラネタリウムだ。あれは、心浮きたつ眺めだった。あのときにバスが通った下り坂は道玄坂だったのだろう、きっと。

現時点、道玄坂の高みに立っても、あの眺めはない。大小のビルが林立してしまったからだ。この本には、地元の芸者小糸姐さんが1950年代に目にした風景も描かれている。「円山町に立つとね、もう渋谷駅のほうが丸見え。何もない。焼け野原でしたよ」

渋谷の魅力は大地の起伏にある。かつては道玄坂のような大きな起伏が広大な眺望で高揚感をもたらし、円山町の石段のような小さな起伏が陰翳をともなって情感を生みだしていた。大小の起伏の入れ子構造が、いま再開発で消えてしまいそうなのが気になる。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年6月26日公開、同年8月7日最終更新、通算528回
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