「渡し」が繋ぐ昭和版ネットワーク

今週の書物/
『「渡し」にはドラマがあった――ウーラントの詩とレーヴェの曲をめぐって』
ウーラント同“窓”会編、発行所・荒蝦夷、2022年1月刊

ドイツワイン

「ネット社会」という用語は、いつごろから広まったのか。今、朝日新聞データベースの検索にかけると、この言葉の初出は1995年だった。インターネット元年といわれる年だ。ネット社会のネットがインターネットを含意していることが、このことからもわかる。

では、インターネット以前の世の中にネットがなかったかと言えば、そうではない。ここで言うネットとはネットワークのことであり、人と人との網目状のつながりを指している。考えてみれば、人間社会は太古の昔からネットワークをかたちづくってきた。

ただ、インターネットの人間関係は血縁や地縁、あるいは職域の縁とは様相を異にする。そこには、いくつかの落とし穴がある。たとえば、匿名性。自身の身元を隠した書き込みは誹謗中傷を誘発しやすい。しかも、困ったことに増幅効果もある。ネット論調は同調意見を雪だるま式に膨らませるので、ただでさえひと色に染まりがちだが、それが誹謗中傷をはらんだものならば、狙われた人物は集中砲火を浴びることになる……。

だが、インターネットには、こうした負の効果を差し引いても大きな魅力がある。長所をいくつか挙げよう。一つは公共性。ネットに載った情報は、だれでもいつでも触れることができる。仮想空間に広場があり、私たちはそこに出入り自由というわけだ。もう一つは関係の緩さ。これは匿名性と裏腹の関係にあるが、ネットを通じた情報のやりとりでは相手と顔を突きあわせる必要がない。私たちは適度の距離感を保った関係に身を置ける。

ふと思うのは、昔はこうしたインターネットの良さを先取りした人間関係が皆無だったのか、ということだ。もしかしたら、〈公共性〉と〈関係の緩さ〉を具えたネットワークがユートピアのように存在したのかもしれない――いや、たしかに存在したのだ!

で、今週の1冊は『「渡し」にはドラマがあった――ウーラントの詩とレーヴェの曲をめぐって』(ウーラント同“窓”会編、発行所・荒蝦夷、2022年1月刊)。ここには、昭和版のネットワークが見てとれる。しかも私の心をとらえたのは、その〈公共性〉や〈関係の緩さ〉を担保するものが、新聞や週刊誌、ラジオ番組だったことだ。マスメディアにはこんな働きもあったのか――これは、元新聞記者にとってうれしい驚きだった。

本の表題と編者名には説明が要る。「渡し」は、渡し船の渡し。ライン川支流ネッカー川の両岸を行き来する船である。ルートヴィヒ・ウーラントは、19世紀ドイツのロマン派詩人。弁護士でもあり、政治家でもあった。カール・レーヴェは、同じ時代のドイツの声楽家兼作曲家。この本の中心には、ウーラントの詩とそれに節をつけたレーヴェの歌がある。そして、編者名に出てくる“窓”は、かつて朝日新聞夕刊にあったコラム名に由来する。

ウーラント同“窓”会は、「窓」欄2006年7月6日付の「『渡し』にはドラマがある」という記事で結ばれた15人(うち2人は物故者)がメンバー。記事の筆者で、当時は朝日新聞論説委員だった高成田享さんが今回、この本を編集するにあたってまとめ役を務めた。

「窓」欄記事の書き出しはこんなだった――。ドイツ歌曲の音楽会で「不思議な光景」を目撃した。「渡し」という題名の曲が終わったとき、聴衆の一人が起立して頭を深く下げたのだ。その曲は、渡し船で川を渡るとき、かつて同乗した友に思いをめぐらせたことを歌にしていた。友の一人は静かに逝った。もう一人は戦争で落命した。船頭さん、今回の船賃は3人分払おうではないか。そんな歌詞だ。では、その人はなぜ一礼したのか。

発端は、その50年前にさかのぼる。朝日新聞1956年9月13日朝刊の投書欄「声」に「次のような内容の詩をご存じの方はあるまいか」と尋ねる一文が載った。詩は渡し場が舞台。主人公は船上で、今は亡き友とこの渡しに乗ったことを思いだし、下船時に亡友の船賃も支払おうとする――そんな筋書きだったという。「どこの国のだれの詩か」。そう問うた投稿者は猪間驥一(いのま・きいち、1896~1969)さん。経済統計学者である。

今回の本『「渡し」には…』では、1956年の「声」欄を起点として2006年の「窓」欄を一応の収束点とするネットワークの軌跡が、関係者14人の寄稿をもとに再現されている。当然だがダブリの記述が多いので、寄稿群を併読してその要点をすくい取ろう。

まずは「声」の後日談。猪間さんの問い合わせには直ちに反響が多数寄せられ、その詩はウーラント作「渡し場」であるとの情報が届く。猪間さんは、そのことを8日後の21日付「声」欄で報告、27日には学芸欄にも寄稿した。その時点で反響の手紙は約40通に達していた。この話題には『週刊朝日』も飛びつき、10月7日号で手紙の幾通かを紹介している。うち1通が小出健さんのもの。当時28歳。50年後の音楽会で一礼した人だ。

『週刊朝日』によれば、猪間さんが探していたのは、小出さんが戦後、旧制大学予科の卒業直前、ドイツ語教師から贈られた詩と同一だった。君たちはこれからそれぞれの学部に進む、だが友のことは忘れるな――「ザラ紙にタイプした原詩と英訳」には、そんな思いが込められていたという。この情報提供がきっかけとなり、猪間さんと小出さんの交流が始まったようだ。誌面には両人の「共訳」による「渡し場」の邦訳も載っている。

最後の一節には、こんな言葉がある。
受けよ舟人(ふなびと) 舟代(ふなしろ)を
受けよ三人(みたり)の 舟代を

この訳詩に惹かれて「ノートに転記」した人がいる。1956年当時、高校3年生だった中村喜一さんだ。以来、この詩「渡し場」は心の片隅にすみついたようだ。長年勤めた化学会社を退職後にネッカー川を旅したりもしている。この本には、中村さんが「声」欄や『週刊朝日』の記事などをもとに作成した「日本における『渡し場』伝播径路図」が載っている。それによると、「渡し場」は日本では少なくとも二つの径路に分かれて広まったらしい。

「径路図」によると、「渡し場」を日本に最初に伝えたのは高名な教育者、新渡戸稲造。米国留学中に英訳を知ったらしい。1912年、著書に邦訳を載せた。翌年には、人気雑誌『少女の友』もこの詩を掲載している――これは、猪間さんの「声」を読んだ長谷川香子さんが寄せた情報だ。猪間さんは投書で、詩は「少年雑誌か何かで読んだ」としていたが、その雑誌は同世代異性の家族や知人が愛読していたものかもしれない。

では、小出さんのドイツ語教師は「渡し場」をどこで知ったのか。教師は旧制第一高等学校出身。一高では1913年、基督教青年会が開いた卒業生送別会で前校長の新渡戸がこの詩のことを語ったという。実はこの情報も「声」欄への反響の一つ。卒業生として送別会に居合わせた山岡望さんからもたらされた。くだんのドイツ語教師は山岡さんよりも学年が下だが、「渡し場」の話は下級生にも伝承されたのではないか、と中村さんは推理する。

「径路図」を見ていると、不思議な気分になる。詩歌「渡し場」への共感は、『少女の友』ルートと一高ルートに分かれて伝播した。それぞれには多くの人々が葡萄の房の実のように群がり、同じ一つの詩を愛してきた。興味深いのは、その系統違いの人々が数十年後、新聞の片隅に現れた1通の投書でつながったことだ。こうして昭和版ネットワークが生まれた。それを象徴するのが、猪間さんと小出さんの「共訳」という化学反応だった。

一つ、書き添えたいことがある。中村さんは1938年生まれだがデジタルに強く、自身のウェブサイトに「友を想う詩! 渡し場」というサブサイトを開設している。昭和版ネットが今はインターネットに受け継がれている――これも、ちょっといい話ではないか。
*この本の話題は尽きないので、来週もとりあげる予定。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年2月18日公開、同日更新、通算614回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

今ここの宇宙論という哲学

今週の書物/
『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』
伊藤邦武著、ちくまプリマー新書、2019年刊

無限?

今風の起業で財を成した富豪が自腹を切って地球を飛びだす。そんなニュースが去年相次いだ。一般人が宇宙を旅する時代はもうすぐ、というとりあげ方が目立つ。

だが、待てよ、である。あの人たちが体験したのは本当に宇宙なのか? 宇宙は広大だ。地球は太陽系の一部であり、太陽系は我が銀河、即ち銀河系の一角にあって、銀河系は無数に散らばる銀河の一つだ。富豪たちが出かけたのは地球の庭先にほかならない。

逆に言えば、あの人たちは――ということは私たち一般人も――この世に生まれ落ちた瞬間から宇宙に存在しているのではないか。銀河系は宇宙の一要素であり、太陽系は銀河系の一かけらであり、地球は太陽系の一員だからだ。こんなことを言うと、へそ曲がりの小理屈だな、と揶揄されそうではある。でも私は、科学記者に珍しく、本気でそう考えてきた。宇宙開発を「夢だ、ロマンだ」ともてはやすことには違和感がある。

私たち人間は、だれもがみな、自分は今、ここにいると感じている。その〈今、ここ〉はどれも、宇宙の時間と空間のなかにある。宇宙は私たちの存在の土台なのだ。それが何かは、人間にとって切実な問題といえる。夢やロマンのようにふわふわしていない。

言葉を換えれば、宇宙は哲学のテーマである。実際、ギリシャ以来いつの時代も、哲学はときどきの宇宙観を人々に提供してきた。近世以降は自然哲学者や科学者によって提示される宇宙観が数式で理論づけられ、観測で裏打ちされるようになった。ただ、そんなこともあってか、宇宙の探究が私たちの〈今、ここ〉と切り離されてしまった感がある。そうならば残念なことだ。現代の宇宙観もまた、〈今、ここ〉と無縁ではありえない。

で、今週は『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』(伊藤邦武著、ちくまプリマー新書、2019年刊)。著者は1949年生まれの哲学者で、京都大学名誉教授。京都の風土に根ざして研究を重ねたせいだろうか、著書では、文理の垣根を超えて宇宙論も扱ってきた。

本書は、三つの章で組み立てられている。時代区分で言えば「古代」「近代」「現代」。第1章はギリシャ(本書の表記では「ギリシア」)哲学の宇宙観を振り返り、とりわけプラトンの天文思想に光を当てている。第2章の主役は、ドイツの哲学者イマヌエル・カント。近世に一新された宇宙観を近代の哲学者がどう受けとめたかを解説している。第3章では、ビッグバン宇宙論などの20世紀科学が哲学に与えた影響を浮かびあがらせている。

プラトンについては、その著『ティマイオス』の宇宙論が素描されている。それによると、デミウルゴスという神が「設計者」となった宇宙は「調和の世界(コスモス)」をめざしていたという。だが、現実の宇宙は究極のコスモスを実現しているわけではない。

恒星が散在する天空、即ち「恒星天」は「完全な球体」であり、星々も「最高度に完全な運動である円運動」をしているので、コスモスそのものだ。ところが、太陽や月、惑星の世界はこの球体に乗っていない。とはいえ、私たちが太陽や月を見て「季節」「日時」を認識していることでわかるように、これらにも「時間という秩序」のもとになる「数学的な比例構造」が組み込まれている。だから、宇宙は全体として調和している、とみる。

本書は、これをプラトン哲学のキーワード「イデア」に対応させる。イデアとは、現実の事物の「原型」であり「模範」でもある「完全な存在」だ。恒星天はイデアの「完全」を具現しているが、太陽や月、惑星はその「似像(にすがた)」や「影」の水準にあるという。

ギリシャの哲人は、宇宙にイデアを追い求めながらもその完全版は手に入れられず、一部は「似像」や「影」で満足しなければならなかった。これは、当時の宇宙観が天動説から脱け出せなかったからにほかならない。太陽系天体の扱いに手を焼いたということだ。

ところが近世になると地動説が強まり、天動説にとって代わった。本書によれば、カントがニュートン力学を哲学の側面から支える『純粋理性批判』(1781年)を執筆したころ、天文学は地球だけでなく、太陽系そのものも宇宙の中心から外して考えるようになっていたという。これは人間観も激変させた。人間は「宇宙の片隅のそのまた片隅の、非常に辺鄙(へんぴ)なところに生存する生物」とみなさざるを得なくなったのだ。

こうしたなかで、カントは「認識論的反省」を試みる。宇宙が「とてつもなく広い世界」であるならば「全体の大きさ」はどうなのか、宇宙が無限か有限かという難題に私たちは答えを見いだせるのか――こう問うた末にたどり着いた結論は「人間は、その理性の使用によっては、宇宙の無限・有限の問題に決着をつけることができない」というものだった。人間の「認識能力」に「制約」がつきまとうことを潔く認めたのである。

宇宙の時間について考えてみよう。著者の解説によれば、有限説の根拠はこうだ。もし宇宙に始まりの一瞬がなければ、それは物事の継起が無限に続くことを意味する。継起は「完結」しないということだ。そうなると、継起の完結時点である「現在」が成り立たない。

無限説はこうなる。もし宇宙に始まりの一瞬があるなら、宇宙は宇宙が存在しない「空虚な時間」に生まれたことになる。空虚が宇宙誕生の契機を宿すとは考えられない――。こうして、宇宙の時間をめぐる問いは二律背反(アンチノミー)に直面して頓挫する。

カントによれば、私たち人間にとっての「経験的世界」は「世界の事実の実相に迫った姿ではない」。それは「現象」であって「本物」ではないのだ。私たちにできるのは「世界の事物について時間的、空間的にその位置を特定し、その事物がどのように移動したり変化したりするかを因果法則という形式で表現する」ことである。人間は「時空の枠組み」と「因果性の概念」という「認識能力」をメガネにして世界を見ているに過ぎない。

興味深いのは、このカントの洞察が現代の宇宙論に思わぬかたちで示唆を与えていることだ。まずは、ビッグバン宇宙論に触れておこう。宇宙は大爆発(ビッグバン)で始まったという見方だ(*)。1960年代、その名残が宇宙背景放射として観測されたことで今や定説になった。宇宙には始まりがあったという宇宙観だ。カントの「認識論的反省」によれば答えを出せないはずの問題に、現代科学が正解らしきものを突きつけたのである。

ところが、話は一筋縄ではいかない。宇宙初期にはビッグバンに先だつ急膨張(インフレーション)があったとする理論が現れ、そこから、宇宙は一つではないという仮説が派生したのだ。本書は、インフレーション理論そのものには踏み込んでいない。ただ、宇宙が単一でなく、別の宇宙が「並行して存在」する可能性には触れていて、そのなかには私たちの宇宙より「時間的に先行」するものがあるかもしれない、と論じている。

これは、宇宙の始まりよりも前に宇宙があるという話だ。ビッグバン宇宙論によって、宇宙の時間の有限説が力を得たかと思いきや、次いで登場したインフレーション理論で無限説が巻き返した――。カントの洞察通り、人間はやはりこの問いに答えられないのか。

本書は終盤で、地球外生命探しの話題をとりあげている。そのくだりで著者は「人類の知性が生み出した科学や技術は、宇宙の中でどの程度まで普遍的で一般的なのでしょうか」と問いかけている。これは、人間観にかかわる哲学者の問題意識だろう。天文学では20世紀末以降、太陽系のほかにいくつもの惑星系が見つかり、地球外生命の現実感が高まっている。宇宙人探しは、もはや宇宙に夢とロマンを求める人たちだけのものではない。

この本を読むと、哲学者は物事を考えるとき、どこから先は知ることができないのかという視点も持ちあわせていることがわかる。ひたすら知ろうとする科学者との違いだ。私たちが科学本と併せて哲学本を読むことの意義は、そのあたりにあるのかもしれない。
*当欄2021年12月31日付「宇宙の最期か自分の最期か」参照
(執筆撮影・尾関章)
=2022年2月11日公開、通算613回
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メルケルは原発を「倫理」で裁いた

今週の書物/
『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争の真実』
熊谷徹著、日経BP社、2012年刊

緑の思想

元新聞記者には悲しい性がある。テレビのニュースを見ながら「この人のこと、よく知っているよ、無名のころからね」と自慢してみたりする。去年暮れ、政界を引退したドイツの前首相アンゲラ・メルケルさんも、私にとってはそんな自慢の種だ。もっとも、「無名のころから」「よく知っている」とは到底言えない。ドイツ国外で知名度がまだ低かったときにちょっと見かけたことがある、という話だ。だが、それはとても印象深い。

1995年4月、ベルリンでは第1回気候変動枠組み条約締約国会議(COP1)が開かれていた。この会議は脱温暖化の国際合意をめざしている。ベルリン後、年に1度ずつ回を重ね、今では各国の首脳級が顔を見せるほどの大舞台になっている。これまでに「京都議定書」や「パリ協定」をまとめてきた実績もある。だが、第1回は暗中模索の状態にあった。このときにドイツの環境相で、会議の議長を務めたのがメルケルさんだ。当時は弱冠40歳。

会議では、二酸化炭素(CO₂)など温室効果ガスの排出削減を2000年以降にどう進めるかが焦点だった。小さな島嶼国は、海面上昇への危機感から厳しい削減目標を求めた。米国などの先進工業国は、削減のために石油依存を改めることに消極的だった。インドなどの新興工業国は、大幅削減は先進工業国から、と言い張った。産油国は、脱石油の機運を警戒していた。こんな混迷のなかで、メルケルさんはホスト国の立場から合意点を探ったのだ。

私は当時ロンドン駐在で、ベルリンに出張して会議を取材した。このときに気づいたのは、メルケルさんが目を真っ赤にしていたことだ。やがて、その理由が噂話として報道陣にも伝わってくる。連日連夜、水面下の交渉を重ねて寝不足だったらしい。

COP1は結局、具体的な削減目標を決められなかった。ただ、2年後の第3回会議(COP3)までに目標を盛り込んだ文書をまとめることで合意した。期限を定めたことの意味は大きい。実際、京都で開かれたCOP3では京都議定書が採択されたのである。

そのメルケルさん(以下は敬称略)が2005年、保守政党キリスト教民主同盟(CDU)の党首として総選挙に勝った。以来16年間、政権を担ったのである。ドナルド・トランプ前米大統領に象徴される自国第一主義が世界を席巻した時代、それに抗して国際協調にこだわり続けた人である。私には、その政治姿勢がCOP1議長としての奔走ぶりとダブって見える。ただ、存在感を示したのはそれだけではない。もう一つ、特記すべきことがある。

それは、2011年3月11日に東日本大震災があり、東京電力福島第一原発の事故が起こったときの対応だ。翌12日にドイツ国内の原発総点検を表明、15日には古い原発の一時停止を決めた。そして6月、国内全原発の2022年までの閉鎖を閣議決定したのである。

これは二つの点で驚きだった。一つには、遠い国の事故に敏感であったこと。もう一つは、自身が決めた原発政策を覆したことだ。メルケル政権は当初、社会民主党(SPD)と大連立を組み、それまでSPDと緑の党の連立政権が進めていた脱原発路線を踏襲していたが、2009年の大連立解消後は原発容認に傾き、2010年秋には国内原発の運転延長を決めていた。それからわずか半年で再びの方針転換。朝令暮改の感は否めない。

メルケル自身の説明によれば、「日本という高度な技術水準を持つ国」で事故が起こったことで、原発に「予測不能なリスク」があることを認識したからだという(2015年の来日時、朝日新聞社主催の講演会での発言=在日ドイツ大使館のウェブサイトで読める)。ただ、それだけで重要政策を反転させたりはしないだろう。たぶん、本人の思考様式にもドイツ社会の思想風土にも素地があったのだ。本稿では、そこのところを探りたいと思う。

で、今週は『なぜメルケルは「転向」したのか――ドイツ原子力四〇年戦争の真実』(熊谷徹著、日経BP社、2012年刊)。「転向」の語感からメルケル批判本と受けとられかねないが、それは違う。一読すると、彼女の「転向」を賢明な選択とみていることがわかる。

著者は1959年生まれのジャーナリスト。NHKの国際記者としてワシントンに駐在、ベルリンの壁崩壊の報道などに当たった。1990年からフリーランスとなり、ドイツのミュンヘンに住んで、欧州の政治経済やエネルギー、環境問題を取材してきた。

この本は第1章で、福島第一原発事故がドイツ国内でどれほど大きなニュースとして報じられたかを報告している。人々は1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故を鮮明に記憶しており、福島事故を「我がことのように」感じたのである。有力紙には“Tokio in Angst”(「不安におののく東京」)という見出しが躍り、「福島から一万キロも離れているにもかかわらず、放射線測定器やヨード錠剤を買い求める人が続出した」という。

この不安は民意となって表れた。福島事故の約2週間後、バーデン・ヴュルテンベルク州の州議会選挙で原発問題が争点となり、脱原発を掲げる緑の党(正式には「連合90・緑の党」)が得票率を倍増させて、SPDとの連立で州首相の椅子を勝ち取ったのだ。

さらに4月、著者にとっても「大変意外」なことが起こる。電力企業を含む「ドイツ・エネルギー水道事業連合会(BDEW)」が、「電力の安定供給」などを条件に「原発の完全廃止に合意する」と言明したのだ。2023年までに、とした。メルケル政権が2カ月後に発表した期限より1年遅いだけだ。福島事故で原発反対の世論は極限まで高まった。これを受けて産業界も動きだした。メルケルの脱原発は、お膳立てができていたとも言えそうだ。

第2章は、ドイツ政界で西独時代の1970年代から繰り広げられてきた原子力問題の攻防を要約している。ここで注目すべきは、1980年に誕生した緑の党の存在だ。この党はただ、原発に反対するのではない。主張の背景には「エコロジー」という新思想があった。

では、エコロジーとは何か。著者によれば、それは「環境保護政策」の枠組みを超え、「人間の生き方そのもの」にかかわる。緑の党発起人の一人は、エコロジーを「人間の存在を自然環境の文脈の一部と考える」哲学と定義したという。ここから、党が掲げた「我々は地球を、我々の子どもたちから預かったにすぎない」というスローガンが生まれてくる。私たちには「子どもたちに美しい環境をそのまま引き継ぐ義務がある」ということだ。

この本の更なる読みどころは、メルケル政権が、どんな手順で脱原発を決断したかを解説した第3章だ。メルケルは、二つの委員会の助言を聴いたという。

一つは原子炉安全委員会。原子力技術者らでつくる既存の組織だ。福島事故後、ドイツの全原発に対して電力会社の提出データをもとに「ストレステスト(耐性検査)」をおこなった。地震、洪水、停電、航空機事故、テロ……など10項目の危険要因に対して、どれだけ耐えられるかを数値によって表す試みだ。2カ月後には「ドイツの原発は、航空機の墜落を除けば、比較的高い耐久性を持っている」などとする「鑑定書」を出した。

もう一つは、メルケルが新たに設けた「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」。こちらは、人文社会系の学者や宗教家など原子力技術とは無縁の人が大勢を占める。著者も書いているように、臓器移植や着床前診断など医療に対する倫理委に似ている。政府内部にも、エネルギー問題になぜ倫理委か、と首をひねる見方はあったらしい。だが、原発事故には「多くの国民の健康に影響を与える可能性がある」とする理屈が通ったという。

この倫理委員会も2カ月後に「提言書」をまとめている。「福島事故は、原発の安全性について、専門家の判断に対する国民の信頼を揺るがした」と分析、原子力のリスクとどう向きあうかという問題は「もはや専門家に任せることはできない」との立場を明確に打ちだしたものだ。委員会内の合意点として「経済、社会、あるいは環境に著しい悪影響が生じない限り、原子力の使用をできるだけ早くやめる」との結論をまとめている。

ここで言い添えたいのは、著者が倫理委の結論について、「細かいデータやシミュレーションによって裏打ちされた分析結果ではない」と敢えてことわっていることだ。私も提言書からの引用を読んで、データよりも思想が際立っているな、という印象を受ける。

たとえば、提言書では「自然環境を自分の目的のために破壊せず、将来の世代のために保護する」責務が私たちにはある、という見解が示されている。根拠として「キリスト教の伝統とヨーロッパ文化の特性」を挙げているところは、旧来の保守思想と響きあっている。だが、この理屈づけを度外視すれば、緑の党の思想にそっくりではないか。エコロジーは緑の党だけのものではない、ということを如実に物語っているように私は思う。

興味深いのは、メルケルが二つの委員会のうちの後者、すなわち倫理委の結論を選択したことである。この事情を著者はこう読み解いている。メルケルは福島事故後、政治家として「政治的な生き残り」には脱原発しかないことを直観した。脱原発を決意はしたが、「独断で決めた」とは思われたくない。そこで「原子力について厳しい見方を持つ知識人を集めて倫理委員会を作り、急遽、提言書をまとめさせた」のではないか――。

これに100%は同意しないが、かなりよいところを突いてはいるだろう。ただ、彼女の決断を、政治家のしたたかさだけで説明づけて終わりにしたくはない。

メルケルは東ドイツにいたころ、物理学の研究者だった。福島事故に「予測不能のリスク」を見てとったのは、事実の前には謙虚でなければならないという科学者の良心の表れだろう。だが、彼女はそれだけの人ではなかった。科学技術政策には理系知だけでなく文系知も欠かせない、という見識を併せもっていたのだ。だからこそ、原発の是非を倫理委員会に諮ったのではないか。日本社会の原発論議に抜け落ちた視点がここにはある。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年1月28日公開、通算611回
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宇宙の最期か自分の最期か

今週の書物/
『宇宙の終わりに何が起こるのか』
ケイティ・マック著、吉田三知世訳、講談社、2021年9月刊、原著は2020年刊

暦果つ

今秋、友人から1冊の本を贈られた。今どきのことだから、ネット通販大手から直接、拙宅に届けられた。ありがたいことだ。厚意に応えて、この本のことを語りたい。そう思って感想を書いていた。暮れも押し詰まった今年最後の日、その拙稿を公開しよう。

それは奇しくも、宇宙の最期を考える科学本だった。物理学には宇宙論という分野があり、宇宙の起源はだいぶわかっている。20世紀半ばは、宇宙は無限の昔からずっと在りつづけているという定常宇宙論と、宇宙は天地創造の大爆発で始まったとするビッグバン宇宙論が対立していたが、1960年代半ばに大爆発(ビッグバン)の名残が見つかり、後者が定説となった。宇宙には始まりの一瞬があるという見方が定着したのである。

1980年代初めには、さらに進展があった。天地創造のとき、大爆発に先だって宇宙が指数関数的に急膨張したという説が出てきたのだ。インフレーション宇宙論と呼ばれる。これについても、その直接証拠を見つけ出そうという研究が今まさに進んでいる。

宇宙は、始まりについてはかなりくわしくわかってきた。そこで気になるのは、ではどう終わるのか、ということだ。好奇心の自然な流れと言えよう。ただここで、私の心には悪魔のささやきが聞こえてくる――。宇宙の終わりなど、自分にどれほど意味があるのか。宇宙が終わるより早く私自身が終わっている。その確率は限りなく100%に近い。ならば、こう言ったほうがしっくりくる。私が終わるとき、私の宇宙も終わるのだ、と。

で、友人から本を貰った話に立ち返る。友人が新刊書籍をわざわざ買い求め、それを私に届けさせたことには隠された意味があるのだろう。友人も私も、すでに高齢者の域にある。それなのに科学本を、これまでのように知的好奇心を満たすためだけに読んでいてよいわけはない。宇宙をめぐる最新の知見を自身の現在と突きあわせて考察してみてはどうか――そう促されたような気がしたのだ。これもまた、悪魔のささやきに違いない。

その本とは『宇宙の終わりに何が起こるのか』(ケイティ・マック著、吉田三知世訳、講談社、2021年9月刊、原著は2020年刊)。著者は、ブラックホールなどの理論研究を専門とする米国の物理学者。2009年に米国で博士号を取得、英国、オーストラリアでも研究生活を送った。刊行時の肩書は、ノースカロライナ州立大学助教とある。科学の語り部としての活動に熱心で、『サイエンティフィック・アメリカン』誌などに寄稿している。

この本は序盤、宇宙物理のおさらいを済ませた後、第3章から本題に入る。宇宙の「終末シナリオ」を五つ選んで、一つずつ詳しく紹介している。それらを章題通りに並べれば、「ビッグクランチ」「熱的死」「ビッグリップ」「真空崩壊」「ビッグバウンス」である。

「ビッグクランチ」のクランチ(crunch)には破砕の意がある。潰れるということだ。この筋書きでは、宇宙が現在進行中の膨張をいつかやめ、収縮に転じた後、崩壊する。二つめ「熱的死」では、宇宙が膨張しながら「徐々に空っぽになり、暗くなっていく」。その結果、最後は「時間の矢」が事実上消滅するという。三つめ「ビッグリップ」のリップ(rip)は、引き裂くこと。これだと、宇宙は膨張の末に「自らズタズタに千切れていく」。

以上三つの筋書きでは、宇宙の膨張がこの先も続くのかどうか、が密接にかかわっている。カギを握るのは、宇宙を外方向へ膨ませるしくみだ。それらしきものとして、私たちが最近よく耳にする用語は三つ。「宇宙定数」「真空のエネルギー」「ダークエネルギー(暗黒エネルギー)」である。これらは同じものを指しているように見えて、実はそうではない。それぞれ由来が違うのだ。この本の記述に沿って、話を整理しておこう。

宇宙定数は1917年、アルバート・アインシュタインが発案した。アインシュタインは前年、一般相対論の方程式で宇宙の重力場を表現したが、それだけでは重力による収縮で宇宙が潰れてしまう。当時優勢の定常宇宙論を満たすためには、収縮作用を打ち消す仕掛けが必要だった。それで方程式に「空間を引き伸ばす」項をつけ加えたのだ。その項の係数が宇宙定数だ。これで「空間のすべての小片が反発エネルギーをもっている」ことになった。

宇宙定数はその後、いったんお役御免になる。膨張宇宙論が定常宇宙論にとって代わったからだ。宇宙膨張が最初の一撃の惰性で続いているなら、反発エネルギーの供給は不要になる。ところが1998年、膨張の「加速」が観測され、この定数は息を吹き返したのである。

では、真空のエネルギーとは何か。こちらは「からっぽの空間がもつエネルギー」を意味する。量子論によれば、真空にも場の基底状態があり、エネルギーがゼロとは言えない。このエネルギーが「宇宙定数をもたらしている」と考えてよいなら「最も自然」な説明になる、と著者もみる。だが、そうは問屋が卸さない。宇宙では真空のエネルギーの理論値が、宇宙の加速膨張の観測から得られるエネルギー値より120桁も大きいのだ。

120桁の違いを説明する妙案は見つかっていない。宇宙定数イコール真空のエネルギーかどうかの答えは宙に浮いている。さらに宇宙定数が本当に定数で、いつでもどこでも一定かどうかも不確かだ。だから、この本ではこんな記述に出あう。「宇宙の膨張を加速させられる仮説上の現象は、すべてひっくるめて『ダークエネルギー』と総称する」(原文では太字箇所に傍点)。それは加速膨張の原因という役割に注目する概念で、実体は謎のままだ。

前述した筋書きをダークエネルギーに引き寄せてみよう。「ビッグクランチ」では、重力による収縮がダークエネルギーによる加速膨張に勝る。逆に「熱的死」と「ビッグリップ」では重力が負けるので、それらは「ダークエネルギーによってもたらされる終末」だ。

そうなると、宇宙に重力源の物質がどれほどあり、ダークエネルギーの量がどのくらいかが気になるが、それがはっきりしない。最近の科学記事には、ダークエネルギーが宇宙の全物質・エネルギーの7割ほどを占めるという知見がよく出てくるが、この本はそのことにも踏み込んでいない。ダークエネルギーは「時間の経過にともなって変化しうる」というから、現時点の成分比にこだわってもしようがないのかもしれない……。

要は、ダークエネルギーはわかっていないことばかりということだ。だから、「ビッグクランチ」「熱的死」「ビッグリップ」については、どの筋書きが有力かを言うのは早すぎる。まずは、科学者にダークエネルギーが何かを見定めてもらおうではないか。

筋書き4番目の「真空崩壊」と5番目の「ビッグバウンス」は、理論先行で観測の手が届かないところにあるようなので、吟味はいっそう難しい。だから当欄は、この二つには立ち入らない。ただ「真空崩壊」が私の心をとらえたことだけは強調しておこう。

「真空崩壊」が凄いのは、それが遠い未来の話ではないことだ。この瞬間の出来事であっても不思議はないという。発端は「真の真空」の「泡」が出現すること。泡は膨らみ、広がり、可能な限りの宇宙を「取り消してしまう」。そこに私たちがいれば、のみ込まれてしまうだろう。これは、宇宙が量子論のトンネル効果によって「偽の真空」状態から「真の真空」状態へ移ることを意味する。確率論でそんなことも起こるという話だ。

著者は、こう脅かしておいて、それは「あなたが心配すべきことがらではない」と断ずる。崩壊が起こったら「止める手段がない」。起こる気配があっても、それを「知りえない」。もし、身に降りかかっても「痛くはなさそう」。消滅させられたときは「悲しむ人も、同時にいなくなる」。そして「少なくとも、今後、何兆年かのあいだは」「可能性はきわめて低い」と不安を和らげる――。この宇宙観は、人生観とも響きあう。

「私」自身の終末も、ある種の真空崩壊と言えよう。宇宙に比べ、その可能性は格段に大きく、安心していられる時間は桁違いに短い。もちろん、崩壊には心がけ次第で回避できるものもあるが、「止める手段がない」リスクや「知りえない」リスクが数多ある。「私」の未来は、いつも崩壊と隣り合わせだ。宇宙の不確かさが「私」の存在の不確かさと見事に重なりあうではないか。科学本を読むことはやはり、自身の現在に光を当ててくれる。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年12月31日公開、通算607回
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電車に乗れた話、乗れなかった話

今週の書物/
『スライディング・ドア』
ピーター・ホーウィット著、実川元子訳、WAVE出版、1998年刊

ロンドン地下鉄~The Tube

恋愛沙汰は、まさに量子力学的だ。ひょんなことから、ひょんなことが起こる。ひょんなことで、それからの人生が左右されたりもする。当事者は偶然の妙に翻弄されている。

当欄は今年、折に触れて「量子」を話題にしてきた(*)。クリスマスイブのきょうは、恋物語を量子力学風にとらえてみよう。量子力学の世界では原子や電子の状態がいくつも重なり合うが、観測されたとたん、それが一つに決まる。恋物語もこれに似ている。初めはもやもやしているのだが、なにか事件が起こると霧が払われ、見えなかったものが見えるようになる。可能性の膨らみが一気にしぼんで、筋が定まるという感じだ。

もっとも、このようなこじつけが成り立つのは「コペンハーゲン解釈」に立脚したときのことだ。量子力学の教科書的な解釈である。この考え方を踏まえると、物理系の〈重ね合わせ→観測→状態の収縮〉は人間系の〈可能性→事件→筋書きの確定〉に対応する。

コペンハーゲン解釈では、物理系が観測の瞬間にどの状態に落ち着くかを確率論で考える。これを恋物語に当てはめてみよう。AがBに恋心を抱いたとして、その後の筋書きはAが思いを遂げられる確率が10%、振られる確率が90%というように数値化される。これをAの視点から見たときに言えるのは、バラ色の未来が10%、灰色の未来が90%というだけではない。自分の未来がバラ色か灰色のどちらか一方になるということも含意されている。

ただ、量子力学の解釈はコペンハーゲン解釈だけではない。たとえば、異端と言われながらも最近注目度が高まっている多世界解釈がある。この見方では、物理系の観測者は観測のたびに身を分かち、それぞれの分身が別々の世界へ入っていく。物理系を〈P〉と観測した分身は物理系〈P〉の世界へ、物理系を〈Q〉と見た分身は物理系〈Q〉の世界へ進むのだ。このとき、その観測者の未来は無数にあると言ってもよいだろう。

ここで、AとBの恋物語を多世界解釈流に考察してみよう。二人の関係が量子力学的に展開するとすれば、そこには、AがBの心をとらえる未来も、AがBに見捨てられる未来も、確実にある。Aから見てバラ色の物語も、灰色の物語も、ともに成立するのだ。もし恋愛小説家がどちらか一方の筋書きを描いて終わりにしたら、それは恋物語の一部だけを拾いあげたことになる。世のたいていの恋愛小説は、そこにとどまっているのだが……。

で、そうではない作品を紹介したくなった。英米合作の映画「スライディング・ドア」(ピーター・ホーウィット監督・脚本、1997年)だ。主人公は、ロンドンの広告会社に勤めるヘレン、29歳。グウィネス・パルトロウが演じた。彼女は会社をクビになった日、地下鉄に飛び乗ろうとした瞬間、二人に分かれる。ここに流れ図を示そう。これは、『量子の新時代』(佐藤文隆、井元信之、尾関章著、朝日新書、2009年刊)の掲載図をもとにしている。
この映画を最後に観てからもう何年もたつので、細部は忘れてしまった。そこで今回、私は小説版を手に入れた。『スライディング・ドア――SLIDING DOORS』(ピーター・ホーウィット著、実川元子訳、WAVE出版、1998年刊)である。訳者のあとがきによると、著者はもともと俳優業の人で、これは監督第一作だった。ロンドン市街で道を渡ろうとしたとき、「あやうく車にはねられかけ、作品のアイデアがひらめいた」という。

一読して気づくのは、映画版と小説版で作品の印象が異なることだ。映画版では、登場人物の動きをカメラの目で追いかけている。人物描写が、客観的なわけだ。ところが、小説版は登場人物の意識の流れをたどることで、その人物の目に映る世界を主観的に描きだしている。この差異はふつう、小説を映画化したり映画をノベライズしたりするときにはそれほど気にならない。だが、物語が多世界含みとなると、注意が必要になる。

映画版では、物語が地下鉄ホームの場面で流れ図のa)b)に分かれ、それらが交互に展開される。a)の話がちょっと、b)の話がちょっと、再びa)をちょっと……という具合だ。小説版もa)b)交互は同じだが、ヘレンの視点の「プロローグ」があった後、第1章は彼女の同棲相手ジェリーの視点、第2章は地下鉄でたまたま隣の席にいたジェームズの視点、第3章はまたジェリーの視点……と第6章まで進み、「エピローグ」でヘレンに戻る。

したがって小説版1~6章で、a)の筋は一貫してジェリーの目で描かれる。逆にb)の筋をたどるのはジェームズの目だ。このようにa)b)は、ただ分岐した並行世界というだけではない。そこには、ジェリーとジェームズの主観も投影されている。

ここで気づくのは、多世界の概念が客観を前提にしていることだ。一人の人物が分岐する様子は、遠目に眺めるようにしか思い描けない。天空の視点が必須と言ってよい。ところが、人間の主観は地上の視点にとどまっている。小説版の読者は、プロローグや各章、エピローグごとにヘレンやジェリー、ジェームズの主観に引きずられ、さらにその分身一人から見た世界しか意識できない。それが枝分かれの一つであることを忘れがちになる。

多世界を感じとるには、別々の主観に身を寄せて物語を吟味するのは得策でないということだろう。この小説版ならば、ヘレンの一人称で書かれたプロローグとエピローグに的を絞り、一人の人間にとって世界の枝分かれがどんな意味をもつのかを考えてみたい。

プロローグでは、ヘレンが同僚とのいさかいで「つまりわたしはクビね」と啖呵を切り、オフィスをとび出る。ビル内のエレベーターを待ちながら思いめぐらすのは、ジェリーとのこれからだ。彼は作家志望なので、無収入。働いてもらうか。いや、「ダメダメ。ジェリーには世紀の大傑作を書くという使命がある」。自分がスーパーマーケットに働きに出るか、それともウェイトレスになるか……そんな未来の構想が頭のなかで渦巻くのだ。

エレベーターがやって来る。ヘレンは乗り込む。このとき、イヤリングが耳から外れて下に落ちた。チリンという音。乗り合わせたビジネスマン風の男が気づき、拾いあげてくれた。これが筋書きb)の伏線。その男性がジェームズだったことは、後の章でわかる。

ヘレンは通りに出て、携帯電話をとりだす。ジェリーに電話をかけるが、ずっと話し中だ。この事情は、a)の第1章を読むとわかる。「役立たず!」と内心穏やかではないが、「ダメダメ。いまのわたしには彼しかいないんだから」と思い直して地下鉄駅へ向かうのだ。

駅は降車客であふれていた。幼い女の子が人形を手に、下り用の階段を昇ってくる。ふだんなら子どもの愛らしさに免じて気にもならないのだろうが、今のヘレンは「しつけがなってない」とイラつく。「待って」「わたしはその電車に乗ります」「お願い、どうしても乗りたいの」と心は急く。一瞬先に二つの未来があるのだ。「もしもその電車に乗れなかったら……」「もしもその電車に乗れたら……」。プロローグは、そんな2行で結ばれる。

こうみてくると、ヘレンの人生には「乗れなかったら」と「乗れたら」の枝分かれに先だって、分岐後の筋のタネが仕掛けられていることがわかる。未来の構想がある。未来の伏線もある。1~6章をみると、一つの世界a)では構想通りの生活が始まるが、それがハッピーエンドになるとは限らない。一方、もう一つの世界b)では構想がズタズタにされ、代わりに伏線が実を結ぼうとするが、それが成就すると決まったわけでもない……。

エピローグにも触れておこう。ネタばらしをしたくないので詳細は明かせないが、このときのヘレンは、流れ図でいえばa)の世界にいて、今は入院中の身だ。病室で思案するのは「あの日、もし地下鉄のあの電車に間に合って乗れていたら、わたしはどうなっていたかしら」ということだ。ただ、そんなふうに思うa)の「わたし」は、プロローグの伏線がb)の「わたし」にもたらした劇的な筋書きをまったく察知できないでいる。

「私」がもし多くの並行世界のどれか一つにいるのだとしても、別の世界の別の「私」とはこのくらいの距離感にあるということだ。どこかの世界に、自分と同じ過去を共有する「私」がいて想像もつかない人生を歩んでいる――それはそれでよいではないか。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年12月24日公開、同月26日更新、通算606回
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