アインシュタイン、その実在愛

今週の書物/
『アインシュタイン回顧録』
アルベルト・アインシュタイン著、渡辺正訳、ちくま学芸文庫、2022年刊

実在か否か?

先週に続いて『アインシュタイン回顧録』(アルベルト・アインシュタイン著、渡辺正訳、ちくま学芸文庫、2022年刊)を読もう。著者が60歳代後半に「自伝のようなもの」と題して綴った文章だ。軟らかな話題が満載かと思いきや、思い切り硬い話だった。(*1)

先週も書いたことだが、著者の関心事は「何を、どう考えるか」にあり、半生記も「脳内の出来事」に重きを置いている。実際、本書には物理の話が次々に出てくるが、それは著者の思考を跡づけるかたちで語られる。これが、ふつうの科学本と違うところだ。

で、先週の当欄が焦点を当てたのは、著者が若いころに培ったニュートン力学批判の視点だった。物理学史を振り返ると、19世紀には電磁気学が進展して、電場や磁場という「場」の概念が生まれた。これは、質量と力と運動法則だけで世界を記述しようとするニュートン流の質点の力学とは相いれなかった。著者は、この矛盾に真正面から向きあった。学界には二元論的な考え方も出てきたが、それでは満足できなかったのだ――。

今週は先へ進もう。注目するのは、著者が実在論者だったことだ。たとえば、1905年に発表したブラウン運動の考察。この年は「アインシュタイン奇跡の年」と呼ばれ、著者が画期的な論文を次々に出した。一番有名なのが、特殊相対性理論。そして、電子が光によって弾きだされる光電効果の理論。これは量子論の発展に寄与した。それらの陰に隠れがちだが、ブラウン運動の研究も科学史に残る。それが原子や分子の実在を決定づけたからだ。

ブラウン運動とは、花粉が水面で見せる不規則な動きを言う。植物学者のロバート・ブラウンが見つけていた。著者の論文は、それを理論づけたものだ。水面に浮かぶ微粒子の運動を熱力学の分子運動論を使って考えると、「粒子の動きを定量的に表す統計的な法則」が見つかった。その計算結果は、観察結果に「みごとに一致」する。これが、原子や分子が実在するか否かという、当時物理学界を揺るがしていた論争に決着をつけたのである。

実在するとみる「原子論」の旗手は、熱力学、統計力学のルートヴィッヒ・ボルツマン。対する「懐疑派」は、物理学者であり哲学者でもあるエルンスト・マッハらだった。ボルツマンが自死したのは1906年。著者のブラウン運動の論文とほとんど入れ違いだった。

著者は、この件ではボルツマンの側に立った。その主張はこうだ。「懐疑派」は「観測事実だけを科学知識の源泉とみる」(本書では斜体部分に傍点、以下も)という「実証主義的な姿勢」に固執して世界像を見誤った――。「脳が自在につむぎ出す概念」も「現実と突き合わせつつ使われていく」ならば「観測事実の説明に大きく役立つことがある」。言葉をかえれば、脳は観測事実の向こう側に潜む実在物を見逃さないということか。

著者は、人間の観測行為の有無にかかわらず、物理世界は現実に在るという実在論にこだわっていた。そのことは量子論に対する懐疑につながった。批判の的は1920年代半ばに確立した量子力学だ。電子が原子核の周りでどんな運動状態にあるか、ということなどを記述する。ヴェルナー・ハイゼンベルクの行列力学とエルヴィン・シュレーディンガーの波動力学の2流派があるが、本書は後者に出てくる波動関数ψの弱点を突いている。

ψに対して、著者には疑問があった。アイザック・ニュートンの力学では「空間内の『質点と時間』が現実」、ジェームズ・クラーク・マクスウェルの電磁気学では「空間内の『場と時間』が現実」である。では、量子力学のψもなんらかの「現実」を表しているのか?

著者自身も、これが即答しにくい難題であることは認めている。ψは、観測者が電子の位置や運動量を測ったとき、ある値をとる状態が「これこれの確率で見つかる」ということを言っている。この確率を「現実の量」として実測するには、測定を幾度となく繰り返さなければならない。では、1回きりの測定で得た位置や運動量の値はいったい何なのか。それは、決定論に従って事前に予測できるものなのかどうか。わからないことが多い。

著者はここで、架空の人物二人の対話を提示する。A氏は、「系」をかたちづくる粒子の位置や運動量は測定前に「決まっているはずだ」という立場。そうならば、ψは「系の実体」について「だいたいのことしか表していない」ことになる。これに対して、B氏は決定論を否定して、こう言う。位置や運動量は測定時に限り「ψが決める特有な確率」に従って「ある値が顔を出す」。だから、ψは「系の実体を余すところなく表現してる」と譲らない。

著者は、ψは不完全だとしてA氏を支持する。一方、B氏の側に立つのが、当欄もとりあげた量子力学の多世界解釈だ。それはψの完全性を主張している(*2)。多世界解釈の登場は1957年。本書の原著執筆よりも後のことなので、著者はもちろん言及していない。

著者がψの不完全性を論じる箇所でもちだすのが、局所実在論だ。ここで述べられていることは、著者のグループが1935年に発表した「EPRの逆説」と重なりあう(EPRは、著者と論文共著者の姓の頭文字。ただし、本書はEPRの論文には触れていない)。

一つの系が部分系1と部分系2から成るとしよう。量子力学によれば、全体系にも部分系にもそれぞれψがある。部分系1を測定すると、その結果が全体系のψを通じて部分系2のψに影響する。部分系同士が離れていても、部分系1を測ったとたん「テレパシーが働いたかのごとく」部分系2が変化するわけだ。著者は、これを断固否定する。物理学には局所性があり、物事は複数の場所にまたがって一気には決まらない、とみる。

この局所実在論はその後、否定された。それは、1970年代以降の実験研究による。去年、ノーベル物理学賞を贈られたアラン・アスペ(フランス)、ジョン・F・クラウザー(米国)、アントン・ツァイリンガー(オーストリア)の3氏は、その実験に挑んだ人々だ。「量子もつれ」と呼ばれる関係にある一対の光子をつくり、2光子が離れていても両方の状態が一挙に決まる様子を確かめた。著者はその実験結果を知ることなく、1955年に逝去した。

もし、著者が近年の量子研究熱を目の当たりにしたなら、どんな顔をするだろうか。そんな意地悪な空想もないわけではない。ただ、著者は理想をとことん追い求めながらも、理想通りにいかない現実をまともに受けとめた。私はそこに誠実さを感じる。

著者の物理学者としての理想は、一元論であり、実在論であり、決定論だったのだろう。ひとことでいえば、スッキリ明快な物理学をめざしていた。ただ研究は、そんな思惑を裏切ることもある。ときには自分自身の研究が悩みのタネを生みだすこともあった。

たとえば、こういうことだ。当欄が前回話題にしたように、著者にとってはニュートン流の「質点」の力学よりもマクスウェル流の「場」の物理が魅力的に見えた。学界には、この共存を受け入れる考え方が生まれたが、アインシュタインは一元論を理想としたので「場」の物理に一本化できないか、と考えた。ところが、奇跡の年1905年に発表した研究結果には、この願望に背くものが一つならず含まれていたように私は思う。

前述のブラウン運動を見てみよう。著者の研究が分子や原子の存在を支持したことは、実在論には適ったが、それは「質点」の力学の再評価にもつながったのではないか。

光電効果も、ややこしい。著者は、物質に光を当てると電子が飛びだす現象を考察して、光には粒子の一面があることを突きとめた。どちらかといえば「質点」のイメージになじむ理論だ。光の粒(光子)には質量がないから「質点」とは言えないが、粒子は離散的なので「場」のイメージとはそりが合わない。さらにこの理論によって、光は波であり、粒子でもあるということになった。この二面性もなんとか一元論の枠組みに収めたい――。

こう読んでくると、アインシュタインは自分で厄介ごとを抱え込む物理学者だったようにも思える。だが、そもそも科学とは一筋縄で答えが出るものではない。本人は理想と現実が角突きあわせる「脳内の出来事」に、かえって心地よさを感じていたのかもしれない。

*1 当欄2023年1月20日付「アインシュタイン、思考の自伝
*2 当欄2021年11月12日付「世界は一つでないと今なら言える
☆外国人の人名は、著者の表記に従いました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年1月27日公開、通算663回
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アインシュタイン、思考の自伝

今週の書物/
『アインシュタイン回顧録』
アルベルト・アインシュタイン著、渡辺正訳、ちくま学芸文庫、2022年刊

考える

理系本を語るのは難しい。とりわけ、それが数学のように抽象世界を相手にする分野なら、なおさらだ。物理学も、今や具象世界を抽象世界に投影して考える営みとなっているから同様だ。それなのに私は、ついついその難所に引き寄せられてしまう。

一つには、私が科学畑の元新聞記者であり、今も科学ジャーナリストを名乗っているからだろう。現役時代は、業務として研究者から難しい話を根掘り葉掘り聞きだし、それを記事にしていた。その習性が今、老後の読書に乗り移ってしまった感じだ。

言うまでもないことだが、私は取材時に難しい話を100%理解していたわけではない。そうかと言って、まったくわからなかったということもない。いや、正直に言おう。話を聞きはじめた時点で理解度が0%だったことはある。それでもめげずに愚問の数々を投げかけていくと、おぼろげながら話の輪郭がつかめるようになってくる。これでようやく、記事の見通しが立つのだ。足裏の痒みを靴底から掻くような作業ではある。

では、輪郭をつかむとは何なのか。理解度が0%と100%の間にある状態なのは確かだ。だがそれは、50%だ、60%だ、というように数字で表せるものではない。あえて言えば、わかったような気持ちになる心のありようを指しているのではないか。

わかったような気持ち――これは、私たち人間にとって欠かせない。この世界がどんなものかわからずに生きるのは危険だ。だが、ヒトという生きものが、なにもかもわかることはありえない。ならばとりあえず、的外れにならない範囲でわかったような気持ちになることが必要ではないか。科学ジャーナリズムの存在意義の一つは、そんな心理状態を人々に提供することにある。科学本が一般向けに書かれ、読まれるのも同じ理由からだろう。

ただ、科学記事を書くのと、科学本を読書ブログで話題にするのとでは勝手が違う。記事の取材では科学者に根掘り葉掘り質問をぶつけられるが、読書ブログを書くのにその工程はない。情報源は本そのもの。本をあれこれ撫でまわし、食らいつけるところを齧りとっていくしかない。今回は、20世紀でもっとも著名な科学者の手になる書物を齧れる限り齧ってみよう。さて、それで、わかったような気持ちになれるかどうか――。

『アインシュタイン回顧録』(アルベルト・アインシュタイン著、渡辺正訳、ちくま学芸文庫、2022年刊)。著者アインシュタイン(1879~1955)は、ドイツ生まれで米国へ渡った理論物理学者。時空の物理学である特殊相対性理論や一般相対性理論を築いたことで知られる。量子論への寄与も大きい。「訳者あとがき」によれば、本書原文は“Albert Einstein: Philosopher-Scientist”という書物(1949年刊)の巻頭に収められている。

本書では、その「訳者あとがき」の分量が本文の約半分もある。しかも、訳者は化学系の工学博士。理論物理学者ではない。だから、著者の業績に対して適度な距離感を保っている。その立ち位置は、私たち読者と同じ地平にいるように思えて心地よい。

本書原文の題名は“Autobiographisches”(「自伝のようなもの」)。ところが、まったく自伝らしくない。ページをめくると物理学の話が次々に出てくる。数式が顔を出すこともある。著者自身は、この文章を「自分の葬儀に使う弔辞」みたいなものと言う。自分にとって大事なのは「何をどう考えるか」(本書では斜体部分に傍点、以下も)であって「日々の雑事」に関心はないとして、「脳内の出来事」を中心に書く姿勢を鮮明にしている。

一例として、著者は幼少期の体験を書きとめている。父親から方位磁石を見せてもらったときの「驚き」だ。方位磁石は、本体をどちらの向きに動かしても針は一定方向を指し示す。それは「脳内にできていた概念世界とは、まったく合わない」ことだった。このように私たちの脳は、既存の概念世界と衝突する現象に出あったとき「大きく揺さぶられる」。そんな体験を繰り返すことが「思考力を鍛える」と、著者は主張している。

本書の価値を高めているのは、そんな著者の「脳内の出来事」がそのまま科学史になっていることだ。私も今回の読書では、そこに目を向けることにした。まずは、19世紀の物理学にニュートン力学ばなれの兆しがあったことを本書からたどってみよう。

ニュートン力学は、「質点系の力学」だ。アイザック・ニュートンが17世紀に打ちたて、19世紀には「物理全体の基礎」となっていた。そこには、「質量」と「力」とニュートンの「運動法則」の三つさえあれば万事を語れる、という世界観がある。これは、著者が物理専攻の学生だった19世紀末、物理学の「ドグマ」(教義)になっていた。ただ同じころ、その「信仰」を揺るがせるような動きが出てきたという。新しい研究分野の台頭である。

一つは、波動光学だ。これを「力学の土俵」で理解するのは難しかった。光は、力学の視点からは「エーテルという弾性体の振動」とみなされる。もしそうならば、空間にはエーテルが充満しているはずだ。ただ光は横波であり縦波ではないから、エーテルは縦波を起こさない「非圧縮性の固体」に近いに違いない。ところが、実際には「どんな物体も空間内をスイスイ動いていく」ではないか。これではとても固体とは思えない――。

もう一つは、電磁気学である。マイケル・ファラデーやジェームズ・クラーク・マクスウェルが築きあげた。この研究によって、「重さのあるどんなものとも関係のない電磁現象、つまり電磁の生む波」が真空中を伝わることもわかったのである。

光も電磁波も――光も電磁波の1帯域であることはわかってくるのだが――質点系の力学でとらえることはできない。それは、質量と力と運動法則で成り立つニュートン力学の三角形とは別のところに存在するわけだ。ここに新しい物理学の出番があった。

著者は、ニュートン力学に「内的完全性」があるか、「内的に単純(自然)」かどうか、という観点でも議論を展開している。ここでは、ニュートンが物体とは無関係な存在として想定した「絶対空間」の難点を論じ、その運動法則は「力の起源」を明らかにしていない、力と位置エネルギーの数式には「勝手な仮定」が紛れ込んでいる、などの見解も示している。著者の「脳内」では、ニュートン力学のあちこちに綻びが見えていたことになる。

波動光学や電磁気学では、「場」が主役となる。ニュートン力学の「遠隔力」が、「場」に取って代わられるのだ。本書は、ヘンドリック・ローレンツが1870年代に提示した電磁世界のイメージを要約している。私がさらに要約すると、以下のようになる。

・電磁場は真空でも存在可能
・粒子は電荷が在る場所
・粒子間の真空には、粒子の電荷の位置と速度に対応して場が発生する
・粒子の電荷は場を生み、場は粒子の電荷に影響を与える
・このとき粒子はニュートンの運動法則に従って動く

著者はローレンツの仕事を評価しつつ、自身が若いころに抱いた違和感も率直に打ち明けている。「ニュートンが重視した質点と、どこまでも広がる……その両方を基本概念に使っている」。物理学者らしく、その「二元論」的構造に引っかかったのだ。著者は、ここで一つの着想を得る。「場」のエネルギー密度が著しく大きな領域を「粒子」とみればよいのではないか。それがうまくいけば、質点の運動方程式も「場」の方程式から導ける。

考えてみれば、著者の一般相対論は、重力を「遠隔力」とは見ず、重力の「場」で一元的に描きだした。それだけではない。「力の起源」も時空の曲がりによって説明している。

前述のように、著者は既存の概念世界と相いれない物事に出あうことに価値を見いだしている。青年時代に遭遇した「場」の物理学は、まさにそれだったのだろう。これを糸口に、当時の「ドグマ」ニュートン力学を批判的にとらえて相対論にたどりついたのだ。

著者アインシュタインの「脳内の出来事」は、これにとどまらない。相いれない難物との遭遇はほかにもあったのだ、次回も本書で、その脳内模様をたどってみよう。
☆引用箇所にあるルビは原則、省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年1月20日公開、通算662回
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エルノーの事件、男よ法よ倫理よ

今週の書物/
「事件」(アニー・エルノー著、菊地よしみ訳)
=『嫉妬/事件』(アニー・エルノー著、堀茂樹、菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫、2022年10月刊所収

中間選挙(*1)

米国上下両院の中間選挙では、与党民主党が事前の予想に反して善戦した。前共和党政権の人事で保守色を強めていた米連邦最高裁が今年6月、人工妊娠中絶を認めない判決を下したことに反発が広がり、中絶容認の立場をとる民主党候補に票が集まったらしい。

米国政治では、プロライフ対プロチョイスが対立軸になっている。前者は、生命の原点を受精卵とみて中絶を許さない。後者は、産むか産まないかの選択権はあくまで当事者にあると主張する。前者の背後には宗教右派が控え、後者はリベラル派が支えるという構図だ。

この構図には、類似版もある。忘れがたいのは、2004年の米大統領選挙だ。受精卵由来の胚性幹細胞(ES細胞)を使って人体の組織を再建する再生医療が争点になった。その研究は、共和党候補のジョージ・W・ブッシュ大統領が抑制していたが、民主党のジョン・ケリー候補は推進論を主張した。この論戦では、片方に受精卵を守ろうというプロライフ思想があり、もう一方に病苦を背負う人々を科学で支援しようとするリベラル思想があった。

当欄はここで、プロライフ対プロチョイスもしくはプロライフ対リベラルの論争で、どちらに分があるかということを書くつもりはない。ただ、こうした問題で議論が沸騰する米国社会には敬意を払いたい。私たちの日本社会には、その気配がない。

そんなことを思っていたとき、「事件」(アニー・エルノー著、菊地よしみ訳)を読んだ。当欄が先週とりあげた「嫉妬」とともに『嫉妬/事件』(アニー・エルノー著、堀茂樹、菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫所収)に収められている(*2)。この作品もまた、著者が主人公を自伝的に引き受ける「オートフィクション」の形式をとる。発表は2000年だが、作中で語られる「わたし」は1960年代の学生。うたかたの恋の末に妊娠する。

ただ、「わたし」を語る「わたし」の視点は2000年ごろにある。作品冒頭で今の「わたし」がパリの病院でエイズ検査を受けた――幸い結果は陰性だった――とき、同様の恐怖感のなかで「医師の診断を待っていた」過去の「わたし」が想起される。

その回顧の記述では、1963年10月にノルマンディー地方ルーアンの女子学生寮で「生理がやってくるのを一週間以上待っていた」日々が綴られる。下着の「染み」を待ち望む、手帳に毎夜「なし」と記す、深夜、目が覚めてそのことを再確認する……。11月に入り、街の診療所で受診した。妊娠だった。医師は「父親のいない子供のほうが、かわいいものですよ」などと言う。「わたし」は手帳に「身の毛がよだつ」と書いている。

妊娠の原因は、政治学を専攻する学生Pとの交際にあった。夏に知りあい、秋にPのいるボルドーを訪ねたのだ。「セックスの快楽のさなかに、男の肉体以外のものがわたしのなかに存在すると感じたことはなかった」。そのあとPとは「何となく別れて」いた。

妊娠証明書が医師から届く。そこには「分娩予定日」が1964年7月8日と記載されていた。「わたし」は「夏を、太陽を目に想い浮かべた」。そして、証明書を破って捨てたのだ。Pには手紙で妊娠を告げ、「このままの状態でいたくない」旨を書き添えた。「このまま」でいないとは、中絶することだ。妊娠の報せはPの心を動揺させるだろう。逆に「わたし」が「中絶する決心」をほのめかしたことはPに「深い安堵感」をもたらすだろう――。

1週間ほどして、米国でジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される。だが、「わたし」はそれに無関心だった。「わたし」は数カ月間、「ぼんやりした光」に浸っていた。あのころを思い返せば、「しょっちゅう街を歩いていた自分の姿」が浮かびあがってくる。

いや、数カ月にとどまらない。「何年ものあいだ、わたしは人生のその出来事のまわりをめぐっている」。たとえば、小説を読んでいて妊娠中絶の話題が出てくると、言葉が荒々しさを帯びるように感じられた。そんな「わたし」が今、中絶をめぐる自身の体験を語ろうとしているのだ。「何も書かずに死ぬこともできる」。だが「そうしてしまうのは、おそらくあやまちだろう」――オートフィクション作家の心の揺れが見てとれる。

この体験記を読み込む前に予備知識として知っておきたいのは、当時のフランスで妊娠中絶が禁じられていたことだ。巻末の「『事件』解説」(井上たか子執筆)によると、それは1970年代半ばに「女性の自由意思による妊娠中絶」が条件付きで合法化されるまで続いた。したがって、1960年代の「わたし」は非合法を選択したわけだ。今の「わたし」は、たとえ現行法が「公正」になっていても「過去の話」を埋もれさせてはいけない、と思う。

妊娠証明書を破り、中絶の決意を固めてから「わたし」の内面はどう変化したのか。本作は、その様子も克明に書き込んでいる。講義に出席しても、学生食堂にいても、「わたし」は「お腹に何も宿していない女子学生たち」とは別世界にいた。ただ、自分が置かれた状況を思いめぐらすとき、「妊娠」「身籠もる(グロセス)」「子供が生まれるのを待っている」という言葉は避けた。とくに「グロセス」は「グロテスク」を連想させるので封印した。

「妊娠」「身籠もる」は「未来を受け入れる」を含意していているが、「わたし」にはその意志がない。「消滅させる決心をしたものにわざわざ名前をつける必要もない」のだ。当時の手帳を見ると、「それ」とか「例のもの」といった表現に置き換えられていた。

では、「わたし」は非合法の妊娠中絶をどのように決行したのか? 学友の女子が私立病院で准看護師をしている年配女性の存在を教えてくれた。パリ在住のマダムP・Rだ。彼女は「子宮頸部にゾンデを挿入」して「流産するのを待つ」という方法で中絶の闇営業をしていた。1月にパリへ行き、マダムP・Rのアパルトマンの一室で処置を受ける。本作には、その前後の一部始終が記されているが、あまりに生々しいのでここでは触れない。

当欄では、本作を読んで私が考えさせられた三つのことを書いておこう。

一つには、男性はどこにいるのか、ということだ。Pとは手紙を出した後に再会したが、「彼は何の解決策も見つけていなかった」。妊娠の負担をすべて女性に押しつけてしまったのか。ほかの男たちも身勝手だ。「わたし」が妊娠の悩みを告白した男子学生の一人は、妻帯者でありながら言い寄ってきた。「わたし」は妊娠の事実によって「寝るのに応じるかどうかわからない娘」から「間違いなく寝たことのある娘」に変わったのだった。

二つめは、合法非合法をどうみるか、ということだ。私たちは今、なにかと言うとコンプライアンスという用語をもちだす。英語の“compliance”は「遵守(順守)」という意味だが、日本社会では守るべきものを法律と決めつけて「法令遵守」と訳すことが多い。だが、世の中には、法以外にも尊重すべきものがある。たとえば良心、そして人権。1960年代のフランスでは、自らの良心に従って法よりも自己決定権を尊ぶ人々がいた。

そして最後は、プロライフ対プロチョイスの問題だ。本作を読みとおすと、当時のフランスで女性たちが負わされてきた不条理の大きさを思い知らされる。だから私は、プロチョイス思想に共感する。ただ、「わたし」が胎内の存在を「消滅させる決心をしたもの」と位置づけ、「それ」「例のもの」と呼んでいたというくだりでは違和感も覚えた。プロチョイスの視点でみても、受精卵や胎児はただのモノとは言えないのではないか。

そんな感想を抱くのも、私が新聞記者時代、生命倫理を取材してきたからだ。1980年代以降、生殖補助医療などの分野で生殖細胞や受精卵に手を加える技術が次々に現われた。一つ言えるのは、積極論者も慎重論者もこれらを生命の人為操作と見て議論していたことだ。考えてみれば、妊娠中絶も同様にとらえられる。プロライフであれ、プロチョイスであれ、中絶は生命倫理の論題なのである。この認識が1960年代には乏しかったのではないか。

米国の状況などをみると、妊娠中絶は2020年代もなお「事件」であり続ける。ただしその議論では、今日的な生命操作が提起した倫理問題も参照すべきなのだろう。

*1 新聞の見出しは、朝日新聞2022年11月10日朝刊(東京本社最終版)より
*2 当欄2022年11月25日付「ノーベル賞作家、事実と虚構の間で
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月2日公開、同日更新、通算655回
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新幹線お薦めの雑誌を読む

今週の書物/
「Wedge」2022年11月号
株式会社ウェッジ発行

新幹線

久しぶりに東海道新幹線に乗った。記憶する限りでは3年ぶり。コロナ禍で遠出を控えていたからだ。駅のホームも列車内もどことなく様子が変わったな、と感じる。コロナ禍によるものもあるが、そうでないものもある。3年間の空白は大きい。

気づいた変化の一つが、ホームのキヨスクだ。私がN駅で、上りの「のぞみ」を待っていたのは午後8時ごろ。元新聞記者の習性で夕刊が読みたくなり、売り場をひと回りしたが、見当たらない。駅の売店といえば、刷りたての新聞の束を突っ込んでおくラックがつきものだったが、それがどこにもないのだ。「新聞は、ないんですね?」。私は男子販売員に聞いてみた。「ええ、終わりました」。青年は、屈託のない笑顔でそう答えた。

「終わりました」のひとことに私は一瞬、たじろいだ。これは、二通りに解釈できる。一つは、その日午後に届いた夕刊はもう売り切れてしまいました、という意味。もう一つは、もはや新聞の時代ではありませんよ、という意味。ふつうに考えれば前者だろうが、ラックがないところをみると、後者の可能性も否めない。たしかに今は、列車内でもスマホでニュースを読める。青年から見れば、新聞は過去の遺物なのかもしれない。

キヨスクでは、文庫本が姿を消していたことにも驚かされた。私が現役時代、新幹線をよく利用していたころは売り場の片隅に書籍用の回転式ラックがあり、くつろいで読める小説などが幾冊も並んでいたものだ。出張帰りの夕刻は一日の疲れで硬い本を開く気力がなくなり、軟らかな本が無性に読みたくなる。今回も似たような事情で本のラックを探したのだが、それもなかった。いったい、活字文化はどこへ消えたのだろうか。

気落ちしながらも、私はなおも活字を追い求めた。バッグのなかには読みかけの本もあったのだが、疲れを癒すにはやや重たい。そうだ、雑誌がいい。売り場をもう一度見まわすと、ごくわずかだが幾種類かの雑誌がひっそりと置かれていた。そこで手にしたのが、「Wedge」2022年11月号である。東海道新幹線などで車内販売されていて、「右寄り」の論調でも知られる月刊誌……食指がふだんなら動かないが、今回は動いた。

「Wedge」について素描しておこう。創刊は1989年。発行元ウェッジ社はJR東海が設立した出版社だ。「新幹線の利用客はビジネスマンが多く、この層を対象にこれまでとは違った経済情報を提供する」という狙いだった(朝日新聞1989年3月8日付朝刊)。その後、経済や産業の話題にこだわらず、安全保障やエネルギー、医療などもとりあげ、総合情報誌の色彩を強めたらしい。私が手にとった11月号からも、それはうかがえた。

当欄は今回、特集「価値を売る経営で安いニッポンから抜け出せ」に焦点を当てる。経済学者、経営学者、企業人、ジャーナリストの論考5本(大半は、談話を編集部が構成したもの)とリポート記事6本から成る。のぞみ車中でいくつかをぱらぱらめくったが、おもしろい。帰宅後、全編に目を通した。私が経済記事をこれほど系統だって読むことは、めったにない。若いころ経済部員だったこともあるのだが、当時ですら関心は乏しかった。

経済記事に惹かれない理由の一つは、そこに人間は経済原理に従うものだという決めつけを見てしまうからだ。人々はホモ・エコノミクス(経済的人間)ばかり、という感じか。この印象は、行動経済学の視点にも通じている(当欄2022年7月22日付「経済学もヒトの学問である」参照)。ところが今回、私は「Wedge」というこれまでもっとも縁遠かった雑誌に引き込まれた。経済記事にも変化の兆しが表れているのかもしれない。

編集部も、いいところを突いている。それは、特集の表題に「安い」の2文字を入れ込んだことだ。あまりの円安にビジネスに無縁な人も危惧を抱いている。「安い」は良いことばかりでない、という空気が出てきたのだ。その一方で円安が物価を押しあげ、「安い」モノを求める心理は強まるばかりだ。私たちは通貨の「安いニッポン」を恐れつつ、モノの「安いニッポン」を望んでいる。この特集は、後者の要求からは脱却せよ、と提言する。

冒頭の論考(談)で、東京大学教授の経済学者渡辺努氏は「値上げと賃上げの好循環」論を展開する。例に挙がるのが、2017年にあったヤマト運輸「宅急便」の値上げだ。このとき同社は、配送現場の厳しさを「臆することなくオープンにした」。消費者は、配達員が受取人の都合に合わせて物を届ける苦労をよく知っている。その仕事ぶりに思いを致してもらおうということなのだろう。ここには、行動経済学風の利他精神に対する期待がある。

これに続くリポート記事(生活家電.com主宰者多賀一晃氏執筆)では、家電業界の故事が紹介される。1964年、スーパー・ダイエーが松下電器(現パナソニックホールディングス)のカラーテレビを安売りしたとき、松下は「定価」を守ろうと取引停止の挙に出た。世に言う「ダイエー・松下戦争」だ。その後、家電販売は公正取引委員会の勧告もあり、値引きがふつうになっていく。だが多賀氏は、松下の「定価」へのこだわりにも利点をみる。

実際、パナソニックは今、一部の商品で「メーカー指定価格」方式を導入している。同社が在庫リスクを引き受けるのと引き換えに小売店に指定価格で売ってもらう。これだと公取委も認めてくれるのだという。メーカーにとっては、価格が安定するので一つの製品を長く売ることができ、目先だけを変えた新製品を頻繁に売り出す必要もなくなる。「小売りからメーカーに価格決定権が移ることは時代にかなった動き」と多賀氏はみる。

この考えを支持しているのが、「人を大切にする経営学会」会長坂本光司氏の論考(談)だ。見出しは「値決めは企業経営の命」とうたっている。全国の中小企業約1000社から聞いたアンケート調査で、自社の競争力は価格だとする企業が約8割を占めたことに触れ、これでは人件費が「格好の“生贄”」にされてしまう、と嘆く。安値で顧客を獲得しようとすれば経費節減が至上の目標となり、社員の賃金にしわ寄せがくるのは必至というわけだ。

坂本氏は、ハード、ソフト両面で「非価格競争力」の必要を説く。ハードは「前例のないもの」を商品化することだからハードルが高い。これに対して、ソフトは「アフターサービス」などがものを言うから「創意工夫次第」という。このあたりが経営学的ではある。

ここまででわかるのは、この特集では「値上げと賃上げの好循環」論が「メーカーに価格決定論」に分かちがたく結びついていることだ。ここ数十年、世界経済は新自由主義の市場万能論が優勢で、価格は市場が決めるべきとされてきたが、流れが変わったのか。

「強いブランド」を企業の価格決定権に結びつける議論もある。三菱マテリアル社外取締役得能摩利子氏の論考(談)だ。フェラガモジャパンCEOを務めた経験をもとに「値上げ=悪」の価値観を見直すよう促す。欧米ブランドには「『自分たちがつくりたいものをつくる』という意識」があり、それが製品の美しさを生みだし、「買うか買わないかは買い手次第」「価格は自分たちが決める」という考え方につながっている、と論じる。

東京都立大学教授水越康介氏(経営学)の論考(談)には、「応援消費」という概念が出てくる。被災地の産品を買う、コロナ禍で苦戦する地元飲食店に行く、といった「他人のため」の消費を分析している。この利他行動も安値志向とは逆向きで「値上げと賃上げの好循環」論に通じている。ただ私が注目したいのは、水越氏が応援消費の背景に新自由主義を見ていることだ。そこには「金銭的に余裕のある人の消費行動」という一面もあるわけだ。

ここで、トリクルダウンという言葉が私の頭に浮かんだ。富裕層の豊かさは貧困層にも浸透する、という新自由主義流の見方だ。応援消費はそんな浸透作用を担う毛細管現象の一つなのか。ただ、トリクルダウンが難しいことは格差社会の現実が証明している。

この特集を読みとおして私は、一連の考察に目を見開かれ、共感することも少なくなかった。ただ一つ、違和感もある。それは、なべて企業経営者の視点が際立っていることだ。

利他行動もブランド力も、企業経営の枠をはみ出している。これらは、人間社会のありようを再設計するときにも避けて通れない論題なのだ。その議論では、企業経営者とは異なる視点に立つことも必要だろう。新幹線の乗客は企業人ばかりではない。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年11月18日公開、通算653回
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抒情派が社会派になるとき

今週の書物/
『北帰行』
外岡秀俊著、河出文庫、2022年9月刊

コンクリート

「戦争を知らない子供たち」(北山修作詞、杉田二郎作曲)という歌が流行ったのは、1971年のことだ。男子が髪を伸ばしてなぜいけないのか、われわれは戦後生まれ、あの戦争を知らない世代なのだ――歌詞には、若者たちのそんな開き直りがあった。

この歌は、若者が「戦争を知らない」ことに引け目を感じていることの裏返しでもあっただろう。少なくとも、私にはそう思われる。戦争は、日本社会にあっては1945年8月15日をもって正当なものから不当なものに変わった。だがそれは、あくまでも建前の話だ。戦前戦中を通り抜けてきた人々の心には往時の思考様式がしっかり組み込まれていた。その意味で、私たちは戦争を知らなくとも戦争の残滓に取り囲まれていた。

私自身の経験を打ち明けよう。私が学んだ公立の小中学校では体罰が日常のことだった。今ならば教育の倫理として×印がつくことは間違いないが、1950~60年代にそんなことはなかった。私たちが慕っていた先生も男子を叱るときは悪びれることなく平手打ちした。不思議な記憶もある。それは、体罰容認派の先生に組合活動に熱心な人が含まれていたことだ。あのころは日本社会に戦争と平和、軍国主義と戦後民主主義が混在していた。

この混在は、小中学生には気にならなかっただろう。だが10代も後半になれば、大人社会の二重基準として許しがたくなった。そう考えれば、1960年代後半に盛りあがった学生運動も理解できる。戦争を知らない世代は戦後社会に巣くう自己矛盾と闘ったのである。

で、当欄は今週も、引きつづき長編小説『北帰行』(外岡秀俊著、河出文庫、2022年9月刊)を読む。この作品でも、主人公「私」の内面には「戦争を知らない子供たち」の意識がちらつく。たとえば、「私たちが生まれたとき、既に戦争は終わっていた」と切りだされる段落。「私たち」にとって戦争は「雨に濡れた硝子窓の彼方に広がるぼんやりとした情景」だった、とある。それは「浪漫的」で、男たちが「手柄話」として語ったりするものだった。

続く段落で、「私たち」には――たぶん、主人公のみならず著者や私にも――「決定的な体験が欠けているとの卑小感、劣等感」があるという。「予め去勢されていた」との自覚もある。このことは、作品を貫く視点として押さえておくべきだろう。

さて、この作品のもう一人の主役は、明治の歌人石川啄木(1986~1912)だ。そこでは、啄木が抒情派として詩壇に登場しながら、最晩年は1910~11年の大逆事件に衝撃を受けて左派思想に傾倒したことが史料に沿って描かれる。ただ、本書は近代日本文学史の再検証ではない。啄木に内在する「抒情詩人としての彼」と「無政府主義者、社会主義者としての彼」の対立を参照しながら、1970年代を生きる若者の姿を浮かびあがらせている。

当欄は今回も啄木には深入りしない。啄木像に重なる1970年代の若者像に焦点を絞る。

では、この作品の主人公にとって「大逆事件」に相当するものは何か? 唐突だが、それは「コンクリート」であるように私には思われる。主人公の「私」は郷里の北海道へ向かう途中、上野発の夜行列車を盛岡で降り、啄木ゆかりの渋民村(現在は盛岡市に編入)までバスに乗る。車窓には切り通しの崖が見えるのだが、「私」はその地肌を見て寒気に襲われた。赤茶けて見えるのは、土ではなくコンクリートだった。なぜ、「肌寒い」のか。

「私」は東京で集団就職先の町工場を追われ、帰郷の途につくまで工事現場で働いていた。そのなかには、崖をコンクリートで覆う現場もあった。パイプの埋設を受けもっていたが、1回だけ、セメントや砂利を吹きつける作業を志願したことがある。銃器のような機械の操作は苛酷で「腕はがくがくになり、意識は徐々に混濁していった」。事なきを得たのは、同僚が機械を止めてくれたからだ。車窓の光景に、その記憶が蘇ったのである。

特筆すべきは、このバス車中での回想で、著者が主人公の内面を借り、実に6ページにもわたってコンクリート論、アスファルト論を展開していることだ。主人公は思う――。日本社会は、あたかも「非国民を摘発する」ように「どんなに細い道も見つけ次第アスファルトで塗り潰し、どんな瑣細な亀裂も赤茶けたコンクリートで塗り固めずにはすますことができなかった」。それは「土に対する恐怖」「風景に対する敵意」の表れのようだという。

このくだりを読んで思いだしたのが、当欄前回で触れた馬橇だ(*1)。主人公の小学生時代、U市には「馬糞風」が吹いた。春になると馬糞が雪の下から顔を出し、カサカサに乾いて風に舞う。そこに見えるのは、コンクリートの対極にある泥臭い世界だ。

考えてみれば主人公や著者や私は、津々浦々の道という道が次々に舗装されていく様子を自らの目で見てきた世代だ。それは、高度経済成長による都市化や自動車文明の投影にほかならなかった。列島改造を象徴するものは新幹線や高速道路の建設だったかもしれないが、このとき同時に列島全土の泥道の多くがアスファルトに覆い尽くされたことも忘れてはならない。著者の繊細な感性は、そのことを見過ごせなかった。

この作品ではもう1カ所、コンクリートという言葉が頻出する場面がある。

建設工事の飯場で主人公の「私」は、小学校時代からの親友卓也に偶然再会する。卓也は新米の作業員だった。東京の大学に進んだが、今は休学中だという。その彼が、昼休みの雑談で始めたのがコンクリート談議だ。コンクリートは「固く充実している」。だが、それは「現実だろうか」と問いかける。卓也によれば「現実ではない」。コンクリートでつくったものはかつて「存在しなかった」。いずれは「また存在しなくなってしまうだろう」。

卓也は、街歩きをしているときの心模様を語る。両側に聳える高層ビルが崩れ、足もとの路面に亀裂が走る――それは「夢」のようだが「夢」と言い切れない。都市は「高速度撮影で捉えた世界の崩壊の、ほんの一齣(ひとこま)」ではないだろうか。

卓也の話はしだいに過激になる。唯一の「現実」は「爆弾」だ、と言ったりもする。「だってコンクリートを粉々に砕いちまうんだからな」。これには「私」も、コンクリートの破壊がなぜ「現実」なのか、と問い返す。卓也の答えは、ビルをじっと見ていれば、それをかたちづくる線も面も立体も消えていく、というものだった。私たちはコンクリートの建造物が「永久に」「在りつづける」と思い込まされているだけ、と結論づけるのだ。

「私」は、その爆弾について「譬え話なんだろ」と聞いてみる。「いや、譬えじゃない」と卓也は言い返す。当時は過激派の動きが活発だったから、政治的な理由があるのだろうか。「私」にはそうは思えない。卓也の爆弾論に「理窟」がないからだ。「爆破しようとする意思」しか見てとれない。すなわち、爆弾は「純粋な表現」であり、「抒情」なのではないか。「私」は、「理窟の空白」を「暴力で埋める」という発想に違和感を拭えなかった。

こう読んでくると、この作品を解くキーワードは「コンクリート」にほかならないと確信する。それは直接的には、列島改造を後押しした高度経済成長を象徴している。だが、その奥には「管理社会」という化けものが潜んでいる。作中では、自分が「出自」「家庭の経済力」「学歴」「職場」などによって測られ、自分で自分を意味づけることができない社会を指している。卓也も「私」も、それを拒絶しようとしてできずにいるのだ。

抒情派だった啄木が大逆事件の顛末を見て、社会主義者を自認するようになったのと同様、外岡秀俊はコンクリートの塊に囲まれて息苦しい時代の到来を感じとり、青春小説の作家から社会派の新聞記者に転身したのではないか。そんな気がしてならない。

私は今回、北海道札幌への旅でこの『北帰行』文庫版を携えた。仕事があっての札幌滞在だったが、日程の合間に著者外岡の母校、札幌南高校周辺を歩いた(*2)。それは、直線の道路と中低層のビルが公園の樹木や街路樹の葉の色づきに彩られる街だった。コンクリートには不思議と圧迫感がない。この作品の主人公も札幌を「無性格」で「透明な光」に満ち、そこには「拍子抜けがするような質の健やかさ」がある、と評している。

外岡がこの街にずっといて東京に出てこなければ、コンクリートに管理社会を見ることはなく、新聞記者になることもなかった?――私はふと、そんな「もしも(if)」を思った。

*1 当欄2022年10月28日付「北行きの飛行機で『北帰行』を読む
*2 周辺の地理情報については、外岡秀俊さんの学友でもある札幌在住の作家澤田展人さんのご教示を受けました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年11月4日公開、通算651回
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