忘れたらどうするかがわかる小説

今週の書物/
「奇妙な子供」
リチャード・マシスン著、石田善彦訳
『不思議な国のラプソディ――海外SF傑作選』(福島正実編、講談社文庫)所収

メモリー

忘れることが怖い年齢になった。日常生活のさまざまな局面で、この怖さを実感する。たとえば、玄関を出たときがそうだ。歩きだしてしばらくすると、カギを締めたか、締め忘れたかが気になる。20m先ならすぐ戻るが、50m先だとちょっと悩む。結局は引き返してドアをガチャガチャとやり、施錠済みを確認してホッとするのだが……。以前なら「心配性だな」と苦笑いしたものだが、最近は笑い話では済まされないと思うようになった。

記憶状態をテストしたりもする。先々週もちょっと触れたことだが、私はテレビの2時間ミステリー(2H)が好きだ(*)。今は地上波各局の新作の放映枠が消えてしまったから、旧作をBS局やCS局で観ることが多い。となると、主な制作年は1980~2000年代だ。画面には、懐かしい男優女優が次々に出てくる。そんなときに私が心がけているのは、彼ら彼女らの芸名をフルネームで思いだすことだ。2Hにはそんな効用もある。

このテストでは、ときに自信を失うこともある。その役者を知らないわけではない。世間的にも有名だ。レギュラーの出演番組から私生活の噂話まで次々に思い浮かぶのだが、なぜか名前だけが出てこない。「ほら、あの人、あの人だよ」。モヤモヤが喉元まで届いているのに言葉にならないという感じだ。思いつく苗字をア行、カ行……の順で想起してみるが、どうしても思いだせない。ところが数分たって突然、その名がひらめいたりする。

つくづく思うのは、人間がなにかを覚えているということの不可解さだ。たとえば、私がなかなか思いだせない俳優をAとしよう。Aの出演番組はドラマBやバラエティーCであり、私生活で噂される相手はDだとする。このとき、私の脳ではAがB、C、Dに紐づけられている。A、B、C、Dのネットワークだ。不思議なのは、記憶からAの名が消えても、なにものかがB、C、Dとかかわっているという情報は残存していることである。

で、今週は、私たちの生活が記憶に支えられていることを思い知らせてくれるSF。「奇妙な子供」(リチャード・マシスン著、石田善彦訳)という短編小説だ。『不思議な国のラプソディ――海外SF傑作選』(福島正実編、講談社文庫、1976年刊)に収められている。編者はSF系の作家兼翻訳家兼評論家であり、『SFマガジン』初代編集長としても知られる。その人が「おかしな世界」を描くSFの秀作12編を選んだものが、この短編集である。

この「奇妙な…」は、話の入り方は絶妙だ。夕暮れ時のオフィス街。西日がビル群の窓で照り返されている。窓の下からは車や人々が通りを行き交う音が聞こえてくる――そう、退社時刻だ。この小説の主人公ロバート・グラハムも仕事じまいのモードに入っていた。

午後5時きっかり、処理済みの書類を決裁かごに投げ入れ、帰り支度する。「きょうもまた終った」。さあ、家に帰って夕食だ。食後はテレビを楽しむか、それとも友人夫婦に声をかけてトランプのブリッジでもするか。解放感に浸ってオフィスを出る。

ところがグラハムは、エレベーターに乗ってから困ったことに気づく。妻に頼まれた買い物が何だったか、どうしても思いだせないのだ。シナモンだったか、胡椒だったか、それとも「えぞねぎ(チャイブ)」か。この困惑は彼を襲う変事の予兆にほかならなかった。

ビルの玄関から外に出たときのことだ。今度は、もっと差し迫ったことが思いだせなくなっていた。「今朝、おれはどこに車を駐めたろう?」。グラハムはマイカーで通勤していて、車は路上の駐車用スペースに置いていた。この朝とめたかもしれない場所を一つひとつ思い返していく。あそこはトラックが先にとまっていた、あそこは女性が車をバックギアで入れようとしていた……だが、自分の車がどこにあるのかは見当がつかない。

花屋の前ではないか。あそこにはこれまでも、しばしばとめていた。そう思って足を運んでみると、そこにもなかった。グラハムはその街角に茫然と立ち尽くして、駐車スペースに目を向ける。すると脳裏に、まず緑のフォードが浮かんだ。それが消えると、今度は青のシボレーが現れた。自分の車は緑の1954年型フォードのはずなのに、その記憶もぐらついている。「最初は駐車した車の場所を忘れ、今度は自分の車の型式を忘れてしまっている」

記憶の混乱がマイカーの型式によって顕在化したというのは、いかにも米国の小説らしい。グラハムの脳内では、1932年型の空冷式フランクリンから1954年型のフォードまで「これまでに所有したすべての車の像が走りすぎた」。1947年のプリマス、1938年のポンチャック、1945年のシボレー……その想起は時系列に従っていない。「まるで年月がねじれ、過去と現在がぴったりとくっつき合ってしまったようだった」とある。

グラハムは、改めて自己確認する。「現在は一九五四年だ。おれは三十七歳だ。おれの持っているのは緑色のフォードだ」――だが依然、車の場所は思い当たらない。

グラハムは結局、地下鉄で家に帰ることにする。ところが、地下鉄駅の階段入り口で彼の頭はまた、混乱する。自分はマンハッタンに住んでいるはずだ。いや、ブルックリンだったか。いやいや、クィーンズだ。いやいやいや、ニュージャージー州かもしれない……。

と、このように筋を追っていたら結末に行き着いてしまう。このへんで筋からは離れよう。記憶はどう守られているのか、その問いのヒントをこの作品から拾いあげてみる。

まず言えるのは、記憶には付帯情報があることだ。たとえば、グラハムの住まいの記憶は詳細な住所を伴う。マンハッタンなら西87丁目568番地3-Cアパートメント、ブルックリンなら東7丁目222番地……。これは、情景付きのこともある。ブルックリンの記憶には「プロスペクト公園の近くのあの小さな家」が結びついている。これでわかるのは、一つの記憶が記憶として成立するには、それを支える関連記憶が欠かせないということだろう。

住んでいる場所を、一度でも住んだ記憶がある場所から選びだすときも付帯情報が助けになる。グラハムはクィーンズやニュージャージー州に住んだことを覚えていたが、その一方で、クィーンズには少なくとも15年間住んでいない、ニュージャージー州に住んでいたのは10歳まで、という別の記憶もしっかり保っていた。これによって、現住所の候補地のうち二つは過去の居住地として排除できる。消去法で答えを絞り込めるのである。

ここでふと頭をかすめるのは、人間はふだんからこんな作業を脳内で繰り返し、それによって自分の記憶を補強しているのではないか、という仮説だ。そして、一つのことをすっかり忘れてしまったときには、脳内に残された関連の記憶を総動員してそこから元の記憶を再建しているのかもしれない。朝出た家へ夜帰る、よその家には闖入しない、という日常の安定もそんなしくみに支えられているのか。ちょっと心細いが、心強くもある。

もう一つ、記憶の支えとなりそうなものに文書がある。証明書の類だ。現代社会では、これは最強のように思える。この作品でも、グラハムが運転免許証を手にとる場面があって、これで一件落着かと思わせる。ところが、そうは問屋が卸さない。免許証の住所は転居時に変更を届けていなかったものではないか、と本人自身が疑う。書かれていることが事実とは言えないのだ。少なくともこの小説の作者は、文書を信用していない。

それで私がふと思いだしたのが、去年も今年もコロナワクチンの接種会場で運転免許証を提示したことだ。スタッフは、免許証の写真と私の顔を見比べ、私を私と断定した。だが、よくよく考えてみれば、免許証に記された名前の人物が免許証の写真の人物と同一であることの根拠はどこにあるのだろう。大昔、免許証を初めて取得したときに厳密な審査を受けたようには記憶していない。そもそも、私は私で間違いないのか。

この小説の結末は、ああそういうことか、と思わせるものだ。そこにはSFらしい筋立てがある。ただ、その筋を抜きにしても、この作品は興味深い。人生なんてしょせん、記憶の断片の寄せ集めではないか。そんなことを、さりげなく教えてくれるからだ。私たちは日々、その断片を組み立て直して自分という系(システム)をつくりあげている。それがばらばらになる日まで組み立てつづけるのが人間というものなのだろう。
*当欄2022年3月25日付「西村京太郎、鉄道の魔術師
(執筆撮影・尾関章)
=2022年4月8日公開、同日更新、通算621回
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箱男の気持ち、今ならよくわかる

今週の書物/
『箱男』
安部公房著、新潮文庫

箱の内側

コロナの春がまためぐってきた。咲き誇る桜並木の下を、乱れ散る花びらの中を、行き交う人々と距離をとりながらマスク姿で歩くのも3年連続となった。おととし「今年ばかりは仕方ない」と思って受け入れた急場の作法だったが、それがもはや習慣になっている。

長閑なり距離を取りあう箱男(寛太無)

こんな行動様式がすっかり身についてしまったからか。街をぶらついていて頭に浮かんだのが「箱男」という言葉だ。顔面は口も鼻も頬もすべて覆っている。人が近づいてくれば、無意識にその人から遠のいている。これなら、だれかとすれ違っても気づかれないだろう。挨拶しなくても済みそうだ――そんな自分の姿は、頭からダンボール箱をかぶった人間と同じではないか。それで、前掲の拙句を先日の句会に出したのである。

「箱男」は小説の題名だ。前衛の作風で知られる安部公房(1924~1993)の長編小説である。発表は1973年。第1次石油ショックが高度成長を終わらせた年だが、日本社会が石油高騰の直撃を受けたのは晩秋のことなので、高度成長最末期の作品と言ってよい。

考えてみれば、「箱男」という発想はあの時代にぴったり合っていた。なによりも「箱」が世間にあふれ返っていたからだ。私の幼少期は高度成長期に入る前で、物を入れる大ぶりの箱といえば木製のリンゴ箱だったが、それがいつのまにかダンボール箱に代わっていた。軽量で組み立て式のところが、大量生産品の包装に適したのだろう。スーパーの倉庫にダンボール箱が山積みになっている光景は、高度成長期の象徴の一つだった。

人が箱をかぶるというのも、あの時代らしい思いつきだ。高度成長期の象徴には団地の風景もあった。直方体の建物がずらりと並んでいる。同一規格の建物それぞれに同一規格の居住空間が詰め込まれている。これだけでもう、「箱男」と言えるではないか。

高度成長期は人間関係が一変したころでもあった。農漁村部にあった地縁血縁の社会が縮まる一方、大都市圏では縁の希薄な社会が膨らんだ。都市の人間は多かれ少なかれ、人間関係を節減したのだ。「箱男」のたたずまいには、そんな状況が投影されている。

で今週は、その『箱男』(安部公房著、新潮文庫、1982年刊)を読む。筋はあるのだが、その流れを入念に追いかけていると読みどころを見逃してしまう――そんな作品だ。背景には、1950~60年代にフランス文学界を席巻した「新しい小説(ヌーヴォー・ロマン)」「反小説(アンチロマン)」の影響もあるだろう。著者は切り抜き帳を作成するように、さまざまな文章の――ときには画像の――切れ端をぺたんぺたんと貼りつけていく。

それは、冒頭4ページを見ただけでもわかる。
1ページ目 ネガフィルムの1コマ(被写体は判別困難)
2ページ目 新聞記事(東京・上野で「浮浪者」の取り締まり)
3ページ目 「ぼくは今、この記録を箱のなかで書きはじめている」など
4ページ目 「箱の製法」と題して「材料」「工具」を列挙

5ページ目からは「箱の製法」が詳述される。たとえば、ダンボールの大きさは縦横それぞれ1m、高さ1.3mぐらいが最適なこと。強さについていえば、標準品でも「一応の防水加工」が施されているのだが、雨季に耐えるものがほしければ、ビニール被膜で覆われた「蛙(かえる)張り」があること。底蓋を内側に折り込み、針金やテープでとめておけばポケット代わりに使える、といった体験者ならではの知恵も伝授されている。

「製法」指南をもう少し続けよう。箱の内壁には、針金を使って鉤(かぎ)を取りつける。ここに「ラジオ」や「湯呑(ゆの)み」や「魔法瓶」や「懐中電燈」や「手拭(てぬぐ)い」などをぶら下げるのだ。箱は移動可能の住居であって、衣服ではない。

微に入り細を穿って説明されるのが、「覗(のぞ)き窓の加工」だ。窓の寸法の参考値は上下28cm、左右42cm。結構、大きい。ただしそこには、縦方向に切れ目がある「艶消しビニール幕」を垂らしておく。箱男がまっすぐに立っているときは「目隠し」になるが、体を傾ければ切れ目に「隙間(すきま)」ができて「向うが覗ける」。隙間には「目つき」のような「表情」を生みだす効果があり、箱男の身を外敵から守ってくれる。

この開口部にこそ箱男の本質がある。向こうからこちらは覗けないが、こちらから向こうは覗ける、ということだ。これは、コロナ禍で日常のいでたちとなったマスク姿にも通じる。だからこそ、私は拙句のように春の街に箱男の影を感じとったのである。

人はどんな事情で箱男になるのか。「Aの場合」はこうだ――。きっかけは、自宅のあるアパートの周辺に箱男が住みはじめたことだ。ビニールの切れ目からのぞく片眼が不気味だった。Aは、その箱をめがけて空気銃を撃つ。急所を外したつもりだが、箱男は血痕かとも思われる黒ずみを地面に残して去っていった。2週間ほど後、Aが冷蔵庫を買い替えたとき、ダンボールの包装を解くと「いきなり箱男の記憶がよみがえってきた」。

Aは「しばらくあたりの様子をうかがってから、窓のカーテンを閉め」「おずおずと箱の中に這い込んでみた」。これが、箱の空気を初めて吸った瞬間だ。翌日には箱に窓を開け、中に入ってみる。そのとたん箱からとび出て、それを蹴り飛ばした。胸がドキドキして危険さえ感じたのである。だが3日目になると、箱の内側にとどまって、窓から「外」を覗けるようになった。こうして、しだいに箱男の世界に引き込まれていく。

窓越しに見た「外」の様子はこうだ。「すべての光景から、棘(とげ)が抜け落ち、すべすべと丸っこく見える」。古雑誌の山も、小型テレビも、灰皿代わりの空罐も、実は「棘だらけで、自分に無意識の緊張を強いていたことにあらためて気付かせられた」とある。これを私なりに解釈すれば、私たちは日々、身のまわりのあらゆるものに敵意を感じ、警戒しているということだろう。箱は、その敵意に対する盾にほかならない。

4日目は箱の中からテレビを視聴した。5日目は室内では原則、箱のなかにいた。6日目、箱を脱いで街に出かけ、生活用品一式と食料を買い込んだ。これが何の準備かは容易に想像がつくだろう。興味深いのは、このときポスター・カラー7色を買ったことだ。帰宅して箱に戻り、内壁に吊るした手鏡に向きあい、懐中電燈を灯して、顔面にポスター・カラーを塗りたくった。箱は、自身の変身願望を満たしてくれる装置にもなるらしい。

7日目、「Aは箱をかぶったまま、そっと通りにしのび出た。そしてそのまま、戻ってこなかった」――こうして箱男が誕生したのである。いや、アパート周辺をうろついていた箱男の記憶がAの欲望に火をつけたのだから、箱男が増殖したと言ったほうが正確だ。

このくだりの結語部分で著者は、箱男になりたいという衝動はA一人のものではないことを強調している。それは「匿名(とくめい)の市民だけのための、匿名の都市」を「一度でもいいから思い描き、夢見たことのある者」にとって「他人事ではない」という。

ここでは「匿名の都市」について言い添えられた注釈が欠かせない。その都市では「扉という扉」が「誰のためにもへだてなく」開放されている。逆立ち歩きをしようが、道端で眠りこけようが、道行く人を呼びとめたり、歌を歌ったりしようが、すべてが「自由」。しかも、「いつでも好きな時に、無名の人ごみにまぎれ込むことが出来る」のだ。箱男は引きこもりの一形態のように見えて、そうではない。匿名でいるのは自由がほしいからだ。

では、今の世の中はどうか。匿名性は高まったように思う。報道では、当事者の名前が出ない記事がふえた。ネットには、ハンドルネームの書き込みが飛び交っている。だが、その一方で私たちは個人番号で管理され、防犯カメラで監視されている。ネットの向こう側に行動履歴や閲覧履歴が筒抜けで、広告戦略に利用されたりもする。匿名で自己を隠しているように見えて、いつもどこかから見られているのだ。匿名でも自由ではない。

現代の匿名は、箱男の箱ほどの効力もない。こういう時代だからこそ、箱男の気持ちがよくわかる。マスクで顔を覆い、人に近づかないようにしながら歩く――その日常に箱男との類似をみても怒りが湧いてこないのは、そんな理由からかもしれない。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年4月1日公開、通算620回
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ウクライナ、その肥沃な感性

今週の書物/
『現代ウクライナ短編集』
藤井悦子 オリガ・ホメンコ編訳、群像社ライブラリー、2005年刊

ボルシチ

このところ、ニュースはウクライナ一色だ。大義が見えないロシアの侵攻を目の当たりにして、世界の大勢がウクライナの味方になっている。当然だろう。きのうと同じきょう、きょうと同じあした……そんな日々を過ごしていた人々の眼前に突然、戦車が現れたのだ。砲弾が飛んできて、アパートにぽっかり穴を開けてしまったのだ。おびただしい数の生命が奪われた。数えきれないほどの家族が離ればなれになっている――。

そのウクライナを、私は一度だけ訪れたことがある。チェルノブイリ原発事故から5年後の1991年冬、旧ソ連のウクライナ、ベラルーシ、ロシアにまたがる被災地を駆け足で回った。勤め先の新聞社が、被曝による晩発障害のリスクがある子どもたちの医療支援を手がけようとしていたときで、その調査団に同行したのだ。主な訪問先は病院だった。日程がパック旅行のように組まれていたので、あの国の風土に浸ったとは言い難い。

ただ、首都キエフの空気感は忘れられない。ドニエプル川には氷が張っていたと思うが、モスクワ経由でやって来た身には心もち温かく感じられた。日差しが明るい。街の風景にも中世キエフ公国の名残らしきものがあちこちにあって、どことなく華やいでいた。

あのころ、私たちは記事を書くとき「ソ連チェルノブイリ原発」のように表記して、それが「ウクライナ」にあることは気にかけなかった。だが、当時のソ連ゴルバチョフ政権はペレストロイカやグラスノスチを合言葉に民主化を進めていて、連邦解体に向かう流れが強まっていた。キエフの街でも、独立運動を象徴する黄と青の旗(現・ウクライナ国旗)をよく見かけた。実際、その年の夏、ウクライナは独立を宣言したのだ。

ウクライナとロシアの間には深い溝がある。たとえば、ウクライナで1932~1933年にあった「大飢饉」(「ホロドモール」と呼ばれる)。ウクライナ政府は2000年代、これは旧ソ連スターリン政権の「強制的な農業集団化」と「過酷な穀物徴発」がもたらした人為的な飢餓状態であり、「集団殺害(ジェノサイド)」だった、と国際社会に向けて主張した。検証は必要だが、旧ソ連時代に語られなかった過去が表に出てきたとは言えるだろう。

ウクライナは肥沃な土壌に恵まれ、世界の穀倉地帯といわれる。その豊かさが統治者に目をつけられた。その結果、不作はただの不作に終わらず、穀物取り立てとの二重苦をもたらす――そんな逆説があったというのだ。人々が独立を求める気持ちもよくわかる。

で、今週は『現代ウクライナ短編集』(藤井悦子 オリガ・ホメンコ編訳、群像社ライブラリー、2005年刊)。ウクライナの現代小説16編を収めている。うち1編を除く15編は、ウクライナで1997年に編まれた短編小説集『暗い部屋の花たち』(全46編)の所収作品だ。この46編は1980年代初めから1990年代半ばまでに執筆されたもの。ウクライナ独立の1991年を挟む期間だ。ちょうど、私がキエフの空気を吸ったころと重なる。

当欄で最初に紹介しようと思うのは、「天空の神秘の彼方に」(カテリーナ・モートリチ)。この作品は、1930年代の大飢饉に見舞われた農村の様子を描いている。作中には「農業集団化」という用語や「スターリン」という人名が出てくる。公然と物語を歴史に結びつけているのだ。ウクライナの人々は旧ソ連時代も大飢饉の実相を脈々と語り継いできた――この作品の存在そのものが、そのことを実証しているのだともいえよう。

作品の書きだしは牧歌的な農村風景だ。「村中に霞がかかって、まだ穂の青い麦の上を覆っていた。その光景は川底に寝そべるなまずのようだった」。キジバトがいる。小夜鳴き鳥(ナイチンゲール)がいる。カッコウもいる。ただ、いつもの春とどこか違う。「井戸のはねつるべの音」も「どうどうと雄牛を駆り立てる声」もしない。馬が巻き上げる土埃も、牛たちが発する鳴き声もない。村にあるはずの「生命の息吹」がないのだ。

主人公はソロミーヤ。前日に出産したが、子は死んでいた。ベッドに横たわっていると「冬から春にかけて死んでしまった者たちすべての姿」が脳裏に現れる。祖父母、父母、そして二人の子。生きている家族は夫アンドリイだけ。自分の命も風前の灯火だ。

この物語で、ソロミーヤの「魂」は肉体から離脱して、自在にあちこちを飛びまわることができる。その「魂」は、放浪する夫を見いだして舞い降り、3人目の子が死んだことや子どもたちが庭先に埋葬されていることを告げる。「みんなソロマハに殺されたの」

復活祭の前日、生き残っている村人たちが呼び集められた。全員、「この者たちは《増産目標》を遂行しなかった」と書かれたプラカードを首から吊るしている。このあと「家畜の群れ」のように村から追われる。そもそも「やっと命をつないでいる」状態だったので、次々に息絶えていった――このとき鞭をふるって村人を追いたてたのが、フェーディル・ソロマハだ。これはすべて、村役場から通達された「上からの命令」によるものだった。

ここで心にとめたいのは、ソロマハ自身も村人の一人だということである。モスクワから派遣された役人ではない。彼は「革命」に貢献したという名目で村人の見張り役の地位を得た。家々の煙突に煙があがれば即座に駆けつけて、竈に水を浴びせ、パン生地を床に叩きつけた。少年時代に虐待めいた扱いを受けた神父には追放処分で復讐した。支配される側の内部に監視の目を置く――独裁政治によく見られる構図ではある。

この物語には、えっ、そんなことが……と驚く劇的な展開があるのだが、だからこそ筋には触れないでおく。ただ一つヒントを言えば、ソロミーヤの「魂」が話の中心にある。この作品は、旧ソ連の生産本位の唯物的価値観にウクライナの「魂」を対置させている。

もう一編、私の心を強くとらえた小説をとりあげよう。「新しいストッキング」(エウヘーニヤ・コノネンコ)。「天空の神秘…」が土臭いのに対して、こちらは都会的だ。若い夫婦と夫の母が織りなす家族の力学に毒をまぶしてある。私は、これを読んだときに、失礼ながら橋田壽賀子ドラマと向田邦子ドラマを足して2で割ったような作品だな、と思った。ウクライナの人々の気質は、どこか私たちのそれに通じているのかもしれない。

話の導入部だけを書いておこう。夫の母はいま入院中で、手術しか治療の手だてがない病状だった。当時のウクライナには、執刀するにあたって相当額の謝礼を求める外科医がいたらしい。だが、母は「ソ連では治療代はかからないことになっている」と言い張って、貯金を取り崩す気がない。自分は「労働組合の古株」だ、「学術功労者」だ、「表彰状」もある――そんな強みを数えあげて、息子が医師にかけ合うよう仕向ける。

それで、息子は外科医を訪ねた。だが、外科医には謝礼の要求を引っ込める気配がない。「有り金はたくという額ではないと思いますがねえ」。そう言ってはばからないのだ。ただ、予想外の代案も提示してきた。場合によっては「極上のコニャック一瓶」でもよい、と言いだしたのだ。「ただし、そのコニャックは、あなたの美人の奥さんにわたしの家まで届けてもらいましょう」「お宅に?」「そうです」。――翌日夜、ひとりで待っているという。

このあと、この家族にどんなことが起こるかが、この小説の読ませどころだ。そこには「妻やパートナーならいくらでも取り替えがきく」「母親はこの世にたったひとりしかいない」と信じて疑わないマザコン男がいる。息子に向かって「あの女はおまえをうまくたらしこんで結婚したのよ」と陰口を言う姑がいる。そして、息子の妻と外科医がとった行動は……。この家族劇からは、橋田ドラマ風の嫁姑と向田ドラマ風の男女がともに見えてくる。

この短編集を読むと、ユーラシア大陸の真ん中に、私たちが知っている欧州とは異なるもう一つの欧州が健気に存在していることに気づく。たぶん、両者の差異が私の心をとらえるのだ。ウクライナ――その希少な風土がいま他国の戦車に踏みつぶされようとしている。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年3月18日公開、通算618回
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宗匠のかくも過激な歌自伝

今週の書物/
歌集『202X
藤原龍一郎著、六花書林、2020年3月刊

時の流れ

趣味で俳句をつくっていると、短歌がぜいたくに思えてくる。7+7=14音分だけ言いたいことが言える、季語も気にしないでよい――素人には、この自由度がうらやましい。だが、句づくりを重ねていると、これらの制約が俳句の醍醐味らしいとわかってくる。

翻って、短歌の魅力は何か。俳句と比べてみよう。俳句は原則5+7+5=17音なので、言葉をどう削り込むかに作者は腐心する。削られやすいのは、詠み手の内面描写。物体をどんと置く、風景を一望する、出来事にめぐり遭う……それをどう受けとめるかは受け手の側に委ねましょう、といった感がある。ところが短歌は違う。作者の心模様を包み隠さずに表現できる。ときに物体や風景や出来事が内面と絡みあう様子まで露わになるのだ。

ただ、いにしえの和歌では内面と絡みあうものが自然界の事物であることが多かった。詠み手はまず花鳥風月を愛で、それに重ねるように心情を紡いでいたように思う。ところが、現代短歌は違う。作者は人の世のすべてを視野にとり込んでいる。

つまりは、任意性が大きくなったのだ。家庭内の些事が詠まれる。職場の日常が題材になる。街の景色が素描されることもある。そうかと思えば、いきなり国際情勢のニュースが出てきたりする。あるいは、社会の矛盾が切りだされることも……。ただ、日々の暮らしを描いてもエッセイではない。時事問題に触れても新聞のコラムとは異なる。なぜなら、散文ではなく韻文だからだ。短歌はあくまで詩であって、ふつうの文章ではない。

で、今週は、当欄として初めて歌集を話題にする。『202X』(藤原龍一郎著、六花書林、2020年3月刊)。著者は、前衛短歌の系譜に連なる著名な歌人。短歌作品の合間に織り込まれた自己紹介文をもとに、ウィキペディアも参照しながら略歴を紹介しよう。1952年、福岡生まれ。幼少期から少年期にかけて東京・下町に暮らし、大学を卒業後、ニッポン放送に就職。1990年に「ラジオ・デイズ」30首で短歌研究新人賞を受けている。

実は著者は、私にとっては俳句の先生だ。去年暮れの当欄に書いたように、私はある句会に参加しており、その会に宗匠としておいでいただいている(2021年12月17日付「友の句集、鳥が運ぶ回想の種子」)。すなわち、著者は俳人でもあるのだ。拙稿「友の句集…」に対して感想メールをくださり、併せてご褒美のように、ご自身の歌集を送っていただいた。畏れ多いことだが、そこで今週はその歌集をご紹介することにした。

まずは、宗匠(以下、「作者」と記述)が育った時代の空気から――。
散髪屋にて読む「少年サンデー」の「海の王子」を「スリル博士」を
ラジオから聞こえる歌に声合わせ「黒いはなびら、静かに散った」
『少年サンデー』の創刊も「黒い花びら」の大ヒットも、1959年だった。その春、作者も私も小学2年生。理髪店での楽しみは、長椅子で順番を待つ間の漫画本ではなかったか。店のラジオからは歌謡番組が流れていた。たぶん、水原弘のドスのきいたあの声も。

ミラクルボイス練習したる少年ぞ日光写真の少年ジェット
同じ年、テレビドラマ「少年ジェット」の放映が始まった。私たちはジェットをまねて「ウーヤーター」の奇声を発したものだ。そういえば、雑誌の付録に「日光写真」というものがあった。ブラウン管であれ感光紙であれ、像が浮かびあがればそれだけで嬉しかった。

次に、作者が父を詠んだ歌を2首。
後楽園球場巨人国鉄戦見つつホットドッグを父と食みしよ
野球馬鹿とぞ思いおりしに父親の遺品の中の『共産党宣言』
私たちの父親はだれも、戦中戦後をくぐり抜けている。だが、父の姿が記憶に鮮明なのは、巨人でONが打ち、国鉄で金田が投げていたころからだ。高度成長を担った父も青年期には左翼本をかじっていたのか?  焼け跡の青空は、私たちの世代の手に届かない。

作者の原風景は、東京・深川である。
縦横に運河ははしり右左東西南北橋は架かるを
同級生チノ・タケシ君イカダから運河に落ちて溺死せし夏
子どもは水が好き。私は東京西郊で育ったので、身近な水辺は宅地の下水を集める農業用水だった。ヘドロまみれで遊んだこともある。運河の町では、その水がときに牙をむく。歌集にはチノ君の母の号泣を詠んだ歌も。心に刻まれた友の名は永遠に消えない。

橋渡り北へ向かえば旧洲崎遊郭にしてそのパラダイス
この歌集には運河周辺の夕景を描いた一文も織り込まれている。昭和32(1957)年、作者は5歳。「『洲パラダイス崎』という順番に字が並んでいる洲崎パラダイスのネオンが点る」と「逃げるように洲崎弁天の境内を抜けて」帰宅した。1957年は売春防止法の施行年。猶予期間を経て翌年、「遊郭」は消滅した。今思えば、これは日本社会にとって、終戦に比するほどの転換点ではなかったか。作者は物心もつかぬまま、それを目撃したのだ。

青春期にも、私と共有する記憶がある。
銀幕に孤独孤絶のヒロインの凛々しき黒衣まばゆき裸身
国家こそ暴力装置この闇にさそりの毒のみなぎる棘を
「女囚さそり」と題する章に収められた2首。章の末尾で作者は、1972~73年に封切られた映画「女囚さそり」三部作(伊藤俊也監督、東映)への共感を綴っている。「梶芽衣子扮する女囚松島ナミが国家権力を象徴する刑務官や警察官僚たちから凄絶なリンチを受けながら、捨て身の反撃で復讐をなしとげる」――その構図は、当時の若者の心情をくすぐった。私自身もオールナイト上映を、どこかの町の場末の映画館で観た記憶がある。

それでは、今の日本社会はどうか。
或る朝の目覚めの後の悲傷とて歌人十人処刑のニュース
昨今、朝方のテレビ画面に流れるニュース速報に死刑執行の発表がある。報道から、凶悪犯罪を許さないとの決意は伝わってくるが、国家が人間の生命を絶つことへの躊躇は感じとれない。作者は、197X年と202X年の落差にたじろいでいるように見える。

オーウェルの『一九八四年』が日常と混濁し溶解し我も溶けるを
この歌集の通奏低音はジョージ・オーウェル『一九八四年』(1949年刊)だ。このディストピア小説を作者が読んだのは1968年。高校生だった。その時点で「近い未来にこんな統制された社会が実現するとは思えなかった」と「あとがき」にはある。

『一九八四年』の管理社会を支配するのは、「ビッグ・ブラザー」という独裁者だ。実在しているのかどうかさえ曖昧な存在だが、頭に思い描けるイメージはある。202X年の管理社会はもっと不気味だ。ロボットや端末機器がペットのような顔をしてなついてくる。
それからはネコにルンバに監視されイヌにスマホに密告されよ

“Good Afternoon TOKYO”と題する章には、飼いならされた私たちの自画像がある。喫茶店は、おひとりさま席が並ぶコーヒーショップに取って代わり、男も女も「画面」と対話している。「死を忘れるな」と言われるまでもなく生気を欠き、沈滞のなかにいる。
まずは「タリーズにて」――
カフェオレを飲む間にスマホ画面にはピエール瀧の動画がよぎる
次いで「エクセルシオールカフェにて」――
一心にパソコン画面凝視する男女女男男女男メメント・モリぞ

最後に、切りとられた情景が私の心をとらえて離さない1首。
店頭の均一本は雨に濡れ『ローザ・ルクセンブルクの手紙』
革命家ルクセンブルクの書簡集は、岩波文庫にも収められている。もし古書店の100円均一コーナーで見つけたら、私もきっと手にとることだろう。木箱にぎっしり詰め込まれ、吹きつける風雨にさらされた背表紙が、彼女の抵抗精神とダブって見えるからだ。

前述したように、作者はニッポン放送に勤めていた。その後、フジテレビに移り、扶桑社では執行役員も務めた。これはすなわち、政治的に右寄りといわれるフジサンケイグループの一員だったということだ。その人が青春期、「女囚さそり」に打ち震わせた心を2017年の退職までもちつづけた。葛藤は、歌集の端々からもうかがえる。敬意をもって推察すれば、作者はそぼ濡れたローザ本に自身の姿を重ねていたのではないだろうか。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年1月21日公開、通算610回
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友の句集、鳥が運ぶ回想の種子

今週の書物/
『句集 鳥の緯度』
土屋秀夫著、山河叢書32、青磁社、2021年刊

椅子の脚

古くからの友人が句集を出した。友と私は小学校以来、すべて同じ学校を出た。職場は違ったが、どちらもメディア界だった。ふつう以上には濃厚な関係だ。俳句という、読みようでどのようにも読める作品群を私が読むことは、それなりに意味があるだろう。

友人は俳句の素人ではない。プロというわけではないが、有名な句会に出たり、結社に加わったりして修業を積んできた。いくつかの賞も受けている。だから、句集の掲載句はすべて水準以上だ。当欄でその一部を紹介する意味は小さくないように思われる。

で、今週は『句集 鳥の緯度』(土屋秀夫著、山河叢書32、青磁社、2021年刊)。著者、即ちわが友は1951年生まれ、山河俳句会の同人であり、現代俳句協会会員でもある。

本の帯に「北から南から鳥は日本に渡ってくる/赤い実を食べた鳥が私の荒地に種を落とした/…(中略)…/俳句の交わりから、詩のミューズから/到来した種が育って荒地は草原になった」とある。「あとがき」によれば、著者は散歩していて空き地にムラサキシキブを見つけ、鳥の落とし種が実を結んだのだろう、と推察した。「鳥の作った庭、私の句もそれに似ている」と思ったという。さっそく、その庭をのぞいてみよう――。

まず、私が世代的共感を抱いた句から。
舐めて貼る八十二円レノンの忌
封書が82円だったのは、2014年~2019年。一方、ジョン・レノンがニューヨークで暴漢に射殺されたのは1980年12月8日。切手貼りなどの些細な動作で、ふと昔の出来事が思い浮かぶことはよくある。私たちの年齢では、その時間幅が数十年に及ぶ。

「レノン撃たる」の一報を、私は初任地北陸の小都市で聞いた。場所は、県庁の記者クラブ。通信社の記者が東京本社から聞きつけたのだ。一瞬、茫然とした。あの日、窓の外は雪模様の曇天で……。作者にもきっと、同じような体験があるのだろう。この句には、郵便料金82円が時間軸の基点になるという妙がある。それにしてもコロナ禍の今、切手ペロリはたしなめられそうだ。古い手紙の82円切手は「舐めて貼る」時代の証言者か。

冬木立どの木も過去に遇ったひと
落葉樹の魅力は、初夏の新緑や晩秋の色づきだけではない。裸木(はだかぎ)と呼ばれる冬木立の姿もいい。枝分かれの細部が露わになり、木々の個性が見えてくる。「あの枝ぶりは毅然としていて、どこかあの人に似ている」「あの枝のあの曲がり方は、あいつの心の屈折そっくりだ」――並木道を歩きながら、樹木1本ずつを「過去に遇ったひと」に見立て、甘口辛口の思いを巡らせる。リタイア世代、冬の散歩道ならではの愉悦か。

風景句で気に入った2句。
菜畑の奥に廃業ラブホテル
菜畑という言葉で目に浮かんだのは、ドイツの風景だ。その春、私はミュンヘン郊外の量子光学研究所を訪れていた。荷電粒子を宙に浮かせ、光を当てる実験について取材しながら、窓外に広がる菜畑に目を奪われた。物理は無機の極みだが、菜の花はムッとするほど有機的。その対比が際立った。この句にもそれがある。ラブホは有機的なはずだが、ここでは看板の文字が欠け、窓の鎧戸も破れて無機の気配が漂う。「廃業」の一語が絶妙。

赤とんぼ物流倉庫という荒野
春の句「菜畑…ラブホ」の秋版。こちらの句では「赤とんぼ」が有機的、一方、「物流倉庫」はただでさえ無機的だが、その印象が「荒野」のひとことでいっそう強まった。川べりの敷地にはコンテナが野積みされている。庫内はロボットがいるだけか。

次に、静物句をいくつか。
じゃが芋が鈍器のように置かれあり
私の記者経験では、警察は窃盗事件の発生を発表するとき、「ドアをバール様のものでこじ開け」という表現を多用した。バールは鉄梃(かなてこ)。窃盗犯は、鉄梃かどうかわからないが、鉄梃状のモノを使ったということだ。モノから道具としての属性を差し引く「様のもの」。この句の「鈍器のよう」にも同様の作用がある。じゃが芋から、ポテサラやおでんの材料という性格が引きはがされている。芋を実存にしてしまった句。

寒晴の肉感的な椅子の脚
過去のあるビロードの椅子青嵐
作者は、椅子という家具に強いこだわりがあるようだ。前者は、冬の陽光が差し込む部屋にいて、無人の椅子に目をとめた句だろう。太陽が低いから、日差しは斜め。脚部にも光が届くのだ。「肉感的」とあることで、この椅子はかつてそこに座った人の分身となる。作者は、その人との交流を追憶しているのかもしれない。後者は、椅子が呼び起こす回想性をより直截的に詠んだ句。「ビロード」の質感が体温の名残のように思えてくる。

ここで打ち明け話をすると、私は作者が発起人である句会に参加している。指導役の宗匠を歌壇俳壇から招いて開かれる。メンバーにも句歴豊かな人が多いが、私のような純然アマチュアもいる。定例の句会では、メンバーが匿名で投句した作品から秀句を互選する。この句集には、作者がその句会に出したものも含まれている。そのなかには、私が会では選ばなかったが今回選びたくなった作品もある。そんな句を二つ挙げよう。

木守柿通勤準急加速する
木守柿は、収穫後の木にあえて残した柿の実を言う。翌年の結実を願う風習らしい。この常識を知らなかったために私は選句しなかった。反省。梢に一つ二つ残る鮮烈な柿色。それが車窓に見えたなら絶対に目で追うだろう。動体視力を振り切る通勤準急が憎い。

叡山をむこうにまわし赤蛙
この句を選ばなかったのは、無知ゆえではない。京都に単身で住んだとき、鴨川沿いに寓居を借りた。対岸に五山送り火の大文字が見え、彼方には叡山も望めた。私は、赤蛙に自分の京都を奪われた気がしたのだ。選句には、ときにそんな嫉妬心が作用する。

次いで、社会派風ともとれる2句。
アロハ着てパチンコ打ちにいく自由
これも句会に出され、私は1票を投じた。「アロハ」を唐突に感じる向きもあろうが、句会の兼題(課題のようなもの)が「アロハシャツ」だったのだ。「アロハ」の軽装感と「パチンコ」の騒然感を「自由」という高邁な概念に結びつけた。散文風なのがいい。

電気ケトルの先に原子炉すべりひゆ
湯はガスで沸かすもの、というのは過去の話、うちはオール電化です、と悦に入っていたら、電気湯沸かしの大もとに原発という核分裂の湯沸かしがあることに気づいた――そんな感じか。私は一瞬、下の句「すべりひゆ」を古めかしい動詞かと思った。調べてみると、雑草の一種ではないか。ここでも、自らの無知に赤面。作者は植物に詳しいので、この草を夏の季語として下の句に置いたのだろう。だがなぜ、スベリヒユなのか?

電力と雑草という異世界のアイテムを出会わせる。俳句の極意はそこにあるのだから、理由を詮索するのは無粋だ。でも、どこかで異世界同士が通じあっていないか。そう思ってスベリヒユの画像をネット検索すると、茎が地を這うように枝分かれしていた。送電網(グリッド)の図面に見えなくもない。作者にはこのイメージがあって、そこに電力を重ねあわせたのか、それとも意図はないのに偶然、ぴったり重なりあったのか。

蛇足を言い添えれば、スベリヒユはトウモロコシなどと同様、光合成を高能率にこなす植物(C4植物)だという。光合成→二酸化炭素固定→脱炭素社会と、この一面もエネルギー・環境問題につながる。こうみてくると、スベリヒユは下の句に適任だったのか。

最後に、この句集でもっとも危うい句。
古本のような女をめくり遅日
「古本のような女」と読んで、ギクッとする。ふつうなら言ってはいけない言葉だ。「古本」と言えば、ネット通販の注意書きにある「一部にヤケ、表紙にスレ」を連想してしまう。だが裏を返せば、その本はたくさんの旅をして、多くの人に出会ってきたのかもしれない。動詞「めくり」もきわどいが、この句の主人公は本の頁を繰るように「女」の話を聴いているのだ、と解釈しよう。早春の午後遅く、傾く陽射しを受けながら……。

締めは、友人に敬意と謝意を込めて拙句を。
友の句を巡りたずねて暦果つ(寛太無)
(執筆撮影・尾関章)
=2021年12月17日公開、通算605回
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