「点と線」を原武史経由で読む

今週の書物/
『「松本清張」で読む昭和史』
原武史著、NHK出版新書、2019年刊

駅のホーム

今月の当欄はテレビに目を転じて、2時間ミステリー(2H)の看板シリーズに焦点を当てた。森村誠一原作の「終着駅シリーズ」と西村京太郎原作の「トラベルミステリー」だ。テレビ朝日系列の両シリーズは、ともに今月放映の作品が最後となる。改めて思うのは、両者の源流に松本清張の長編小説『点と線』があるのではないか、ということだ。勤め人社会の落とし穴を描いている。鉄道がよく出てくる。そんな特徴が受け継がれている。

『点と線』の初出は、1957年2月号~1958年1月号の『旅』誌連載だ。清張は、この作品で社会派推理小説という新分野の旗手になった。ここで「社会派」とは何を意味するのか。私見を言えば、作者の観察眼が同時代の世の不条理を見抜いていることだ。

たとえば、この作品では事件が官僚機構の病と深く結びついている。中央官庁の高級官僚が業者と結託して甘い汁を吸う、追及の手が及びそうになると下級官僚をトカゲの尻尾のように切って捨てる――私たち読者は、そんな構図を生々しく見せつけられるのだ。

作品が発表されたころ、私たちは子どもだったが、この構図のことは薄々知っていた。同様の事件が後を絶たず、新聞やテレビを賑わせていたからだ。長じて自らが新聞記者になると、官庁がらみの事件が起こるたび、そこにその構図がないかを疑うようになった。驚くべきことに、日本の官僚機構は今も同じ構図から脱け出せないでいる。そう見てくると、清張は1950年代後半、日本社会の慢性疾患をいち早く見いだしていたことになる。

ただ、この作品の社会派としての魅力は、不条理をあぶり出したことにとどまらない。筋立てだけでなく細部の描写から、当時の世相が見えてくる。東京と地方の距離感、それと重なりあう豊かさと貧しさの落差、列島の交通網が過渡期にあったこと……。

で、今週の1冊は『点と線』――といきたいところだが、あえてそれを避ける。選んだ本は『「松本清張」で読む昭和史』(原武史著、NHK出版新書、2019年刊)だ。なぜ、間接的に語ることにしたのか。最大の理由は、著者の松本清張観をかなりの部分、私も共有しているからだ。ならば当欄は、この本に収められた著者の『点と線』論を紹介して、その指摘に賛意を表したほうが説得力をもつのではないか。そう思ったのである。

この本は、NHK・Eテレが2018年に放送した「100分de名著 松本清張スペシャル」をもとにしている。その教材として刊行された本を、改題、加筆、再構成したものだ。清張作品のうち、『点と線』『砂の器』『日本の黒い霧』『昭和史発掘』と未完の『神々の乱心』に焦点を当てている。最初の二つは戦後社会高度成長期の位相をリアルタイムで切りだした長編小説、残り三つは戦前戦後史を掘り起こしたノンフィクションや小説である。

『点と線』は第一章でとりあげられている。題して「格差社会の正体」。章題をみて、私は一瞬戸惑う。高度成長期は日本社会に「一億総中流」の意識が広まった時代という印象があるからだ。だが著者は、その初期には「格差」が存在した事実を見逃さない。

格差の具体例は乗りものだ。著者が世に言う鉄ちゃん、無類の鉄道好きであることはよく知られている。この本もその蘊蓄が満載だ。長旅で乗る列車が特急か急行かという選択に、著者は格差を見てとる。『点と線』で、福岡市の海岸で不審な死を遂げた中央官庁課長補佐の佐山憲一が東京駅で乗り込んだのは寝台特急だった。これに対して、警視庁刑事の三原警部補が九州や北海道への出張時に多用するのは夜行の急行列車である。

これは先週、当欄が読んだ『寝台急行「銀河」殺人事件』(西村京太郎著、文春文庫)を思いださせる。警視庁の亀井刑事が東京駅で寝台急行「銀河」に乗ろうとするとき、「急行列車ですか。なつかしいですなあ」と昔を思い返す場面と響きあっている。(*)

『点と線』で佐山が乗った寝台特急は「あさかぜ」。1956年に登場した「花形列車」だ。そのころは寝台車のほかに客車も連結しており、特別二等車(略称「特二」)があった。当時の国鉄では普通車が三等車だったので、二等車というだけで格上だが、それよりもさらに高級感がある。二等車でも「ボックスタイプの直角椅子」が設えてあった時代、特二には「リクライニングができる」座席が並び、背もたれを倒すことができたのだ。

「あさかぜ」が東京駅に横づけされた場面は、この作品の読みどころだ。その姿が隣接ホームから見通せる時間は限られている――これがミステリー謎解きのカギとなっている。

一方、急行はどうか。『点と線』は三原刑事が乗った急行「十和田」の車内を描いており、著者はこれを引用する。上野駅を19時15分に出て翌朝9時9分、青森に着く。文字通りの夜行列車である。「前に腰かけた二人が、東北弁でうるさく話しあっていたので、それが耳について神経が休まらなかったのだ」――この記述からわかるのは、三原が四人掛けのボックス席で車中泊したということだ。著者は「おそらく三等車であろう」と推察する。

三原はこのあと青函連絡船で津軽海峡を渡り、函館14時50分発、札幌20時34分着の急行「まりも」に乗り継ぐ。上野からまる一昼夜の旅。札幌では「くたくた」になり、「尻が痛くなっていた」。ちなみにこの出張は、中央官庁の出入り業者である安田辰郎の足どりを跡づけるものだった。「安田はおそらく、上野から二等寝台か特二で悠々と来たのであろう」――三原が安田の境遇をうらやむ心理を、清張はそんな言葉で表現している。

著者は『点と線』の時代、夜行の旅では「二等寝台車に乗れる客」と「急行の三等車でしか行けない客」がいたことをもって「当時は厳然と階級が存在した」と断ずる。国鉄は1960年に客車の3等級制を2等級制に改め、さらに1969年には等級制をやめて「普通車」「グリーン車」の名で呼ぶようになった。これは社会から階級が消えていく流れに呼応している、と著者はみる。「一億総中流」の意識は高度成長後期にできあがったものなのだろう。

格差は二等寝台と三等の違いにとどまらない。著者は、安田の「飛行機による移動の可能性」にも触れている。ネタばらしになりかねないのにあえて言及したのは、そこに時代の位相を見たからだろう。当時、列島縦断の旅では空路と陸路という格差も出現しつつあった。

格差は、階級や階層の間だけではなく地域の間にもあった。東京と地方の格差だ。『点と線』では、三原刑事が九州出張から帰京後、東京駅から有楽町の喫茶店に直行する。「彼はうまいコーヒーに飢えていた」「これだけは田舎では味わえない」と清張は書いている。

つくづく思うのは、二等寝台と三等であれ、空路と陸路であれ、東京と地方であれ、両者間の格差がどんどん小さくなっていったことだ。高度成長期が終わるころ、人々は東京から大阪へ出張するとき、飛行機にするか新幹線にするかを各自の都合で決めるようになった。珈琲党も、自家焙煎の喫茶店やフランチャイズのコーヒー店が津々浦々に広まり、東京にいる必要はなくなった。格差解消と言えば聞こえがよいが、均質化が極まったのだ。

こうしてみると、『点と線』の時代を起点とする高度成長には二面性があった。それは人々の貧富の差を縮めたが、同時に社会の構成要素が具える個性を薄れさせてしまった。科学用語を用いるならば、エントロピーが大きくなったということだ。冷水1リットルと熱湯1リットルが混ざって、ぬるま湯2リットルになってしまったわけだ。日本の風景は今や、東京も地方も似たもの同士だ。のっぺりしてつまらなくなったともいえるだろう。

裏返せば、『点と線』の世界はのっぺりしていない分、魅力があった。それは、安田の妻亮子の趣味からもうかがうことができる。亮子は結核の療養中で、鉄道の時刻表が愛読書だった。この一瞬にも「全国のさまざまな土地で、汽車がいっせいに停っている」「たいそうな人が、それぞれの人生を追って降りたり乗ったりしている」。彼女は発着時刻がぎっしり並んだページの向こう側に、駅ごとに異なる風景を見ていたのではないか。

高度成長がもたらした貧富の差の縮小は半世紀を経て、もはや期限切れだ。著者は、私たちが1990年代のバブル経済崩壊を経て「持てる者と持たざる者との差が広がる格差社会」に直面していることを指摘して、こう書く。「そうした状況の中でこの小説を読むと、格差がはっきりと描かれていることが逆に切実に迫ってくる」――。『点と線』を今読むことは、私たちがいっとき抱いた「総中流」意識のはかなさを知ることにもなるだろう。

* 当欄2022年12月16日付「2時間ミステリー、老舗の退場
☆引用箇所のルビは省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月23日公開、通算658回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

2時間ミステリー、老舗の退場

今週の書物/
『寝台急行「銀河」殺人事件――十津川警部クラシックス』
西村京太郎著、文春文庫、2017年刊

地図(*1)

今週も2時間ミステリー(2H)の話題を。今月29日に最終作品が放映される「西村京太郎トラベルミステリー」(テレビ朝日系列)。高橋英樹主演の十津川警部シリーズである。

このシリーズの退場は、日本のテレビ史に記録されるべきだろう。というのも、放映開始が1979年だからだ。2Hの新作放映枠が国内テレビ界に登場したのは1977年(初期は90分枠)。その2年後に開店したわけだから、2Hの老舗であることは間違いない。(*2)

シリーズが始まったころは、2H新作放映枠がテレ朝系列の「土曜ワイド劇場」(土ワイ)だけだった。日本テレビ系列の「火曜サスペンス劇場」(火サス)が追いかけるのは1981年。やがて民放各局に広まり、十津川警部ものも複数局が手がけるようになる。だから、テレ朝系列「西村京太郎トラベルミステリー」は数ある十津川警部もののなかで元祖ということだ。その新作がもう見られない。先週の言を繰り返せば、一つの時代が終わったのである。

では、テレ朝系列の十津川警部ものは何本つくられてきたのか。テレ朝の公式サイトでは、最終作品が「第73弾」とされているが、これには疑問もある。ウィキペディア記載の作品を数えあげると、1979年からの総数が76本になるからだ。このズレは何か。実はシリーズ初期の3本は、系列在阪局の朝日放送(ABC)が大映と組んで企画制作しているのだ。テレ朝本体が東映と組んでつくってきたものが、1981年以来73本になるということだ。

制作局が途中で代わった理由が気にはなる。ここでは立ち入らないが、当欄が去年話題にした『2時間ドラマ40年の軌跡』(大野茂著、発行・東京ニュース通信社、発売・徳間書店)からは裏事情の一端が感じとれる(*2)。そこにも一つ、人間ドラマがあったらしい。

テレ朝系列十津川警部ものの歴史は40年余にも及ぶのだから、俳優陣が入れ代わっても不思議はない。だが、交代は驚くほど少ない。十津川を演じたのは、1979~1999年が三橋達也、2000年以降が高橋英樹。三橋時代には、それぞれ1回限りの代役で天知茂と高島忠夫が主演したこともある。十津川を支える亀井警部補(カメさん)役は綿引勝彦(旧名・綿引洪)、愛川欽也、高田純次の順でバトンタッチ。愛川は1981年から31年間も務めた。

当欄は今回、テレ朝系列の十津川警部ものを分析する。ここで対比すべきは、TBS系列の十津川警部もの、とりわけ渡瀬恒彦と伊東四朗が十津川警部とカメさんを演じたシリーズ(1992~2015年放映)だ。2Hフリークは2000年代の10年間、高橋・愛川組対渡瀬・伊東組の競演を楽しんだ。どちらのシリーズにも西村2Hの常連女優、山村紅葉が警視庁捜査一課十津川班の刑事として出てくるという共通項があるが、ドラマの作風は異なる。

ひとことで言えば、テレ朝系列の高橋十津川ものがあくまでミステリー作品なのに対して、TBS系列の渡瀬十津川ものは人間ドラマの色彩が強いのだ。後者では、十津川が陰のある男として描かれているように思う。それは、渡瀬の十津川と伊東のカメさんが屋台で酒を酌み交わす場面や、二人が大自然を見つめながらひとことふたこと人生を語りあう場面などで顕著になる。人間にこだわるところは「ドラマのTBS」の伝統か。

一方、高橋十津川ものには土ワイの性格が反映している。土ワイの初代チーフプロデューサーが打ちだした制作方針には「娯楽性・話題性を最優先」があったという(*2)。放映が週末の夜なのだから、肩の凝らない作品をめざすという方向性はよくわかる。その娯楽性は、謎解きの妙だけで維持しているわけではない。それは二つの要素によって増幅され、視聴者の心をつかんできたのではないか。一つは旅情、もう一つは郷愁である。

旅情をそそるのは、なんと言っても鉄道だ。長距離列車が出てくる作品が多い。たとえば、テレ朝制作になって以後の初期10作品(1981~1987年放映)をみると、実に9作品のタイトルが列車の愛称付きだ。特急「あずさ」の名が出てくれば、信州の山々が思い浮かぶ。特急「雷鳥」(現在は「サンダーバード」と呼ばれている)とあれば、北陸の冬空が見えてくる。私たちは新聞テレビ欄のタイトルを見ただけで旅気分に誘われたものだ。

実際にドラマでは、十津川班の刑事たちがしばしば鉄道に乗る。班は警視庁捜査一課に属しているから首都東京が管轄区域なのに、諸般の事情があって全国津々浦々に足を延ばすことになるのだ。プラットホームの光景が出てくる。発車のベルが鳴る。列車の警笛が聞こえる。刑事二人が向かい合わせの席に腰かけ、駅弁を頬張るシーンも定番だ。そして車窓には田園の緑が流れていく……これだけでも旅番組を代行しているようだ。

ドラマでは鉄道が事件のアリバイ工作にかかわることが多いが、それも別種の旅情を呼び起こす。私たちは刑事とともにアリバイを崩そうとして、容疑者の動きを面的に、あるいは空間的にとらえようとする。鉄道でA市からB市へ行くには、P線だけでなくQ線とR線を乗り継ぐ方法もある。いやC空港まで車を飛ばし、飛行機に乗ったほうが早く着くかもしれない……。こんなふうに日本地図を脳裏に浮かべると、旅の疑似体験ができる。

では、郷愁とは何か。それは、今の日本社会が置き忘れたものを切ないと思う気持ちだ。テレ朝系列の十津川警部ものでは、その心情を東北出身の愛川カメさんが代弁している。カメさんの雰囲気が、高度成長期に東北地方の少年少女を大都会に送り込んだ集団就職列車のイメージと重なるのだ。自身は集団就職組ではないのだろうが、同世代ではある。ドラマが東北を舞台とするとき、カメさんが上野駅にいる場面は大きな魅力になった。

で、今週の読みものは長編小説『寝台急行「銀河」殺人事件――十津川警部クラシックス』(西村京太郎著、文春文庫、2017年刊)。「オール讀物」1985年1月号に発表された後、単行本(文藝春秋社刊)となり、1987年に文庫化されたものの新装版だ。テレ朝系列の十津川警部シリーズは1986年、これを早々とドラマ化したが私には記憶がない。私は2Hの再放映を折にふれて録画しているが、残念なことに保存分のなかにも見当たらなかった。

ということで当欄は、この作品の旅情と郷愁を原作小説からすくい取ってみる。

例によって筋は追わないが、導入部は素描しておこう。会社員の男40歳が東京から大阪への出張で22時45分発寝台急行「銀河」に乗る。高料金のA寝台だが、出張費は新幹線+ホテル代のかたちで精算できるので、それでも小遣い銭が浮く。ところが、車内で想定外の事件が起こる。愛人が同じ寝台車で殺されており、殺人の嫌疑がかかったのだ。男は十津川の旧友だった。大阪府警の事件ではあるが、十津川も協力を求められる――。

この作品では鉄道移動が東京・大阪間なので、鄙びた温泉で旅気分を高めることができない。関係者の立ち回り先として京都嵯峨野の神社が出てきたりはするのだが、その描写もさらっとしている。旅情をもたらすのは、もっぱら寝台急行「銀河」そのものだ。

「銀河」の車体は青。だが、特急ではないので「ブルートレイン」扱いされないこともあるらしい。ではなぜ、急行なのか。東京から大阪までの行程に約9時間もかけるからだ、と著者はみる。「あまり早く走り過ぎてしまっては、大阪に未明に着いてしまう」のだ。著者はここで「銀河」の歴史に触れる。戦前は東京・神戸間の寝台急行で1、2等車だけ、普通車に当たる3等車はなかった。「上流階級の人だけが乗る『名士列車』だった」のである。

こうしたゆったり感や豪華列車の名残が読者や視聴者の旅情を誘うのは間違いない。

「銀河」は、郷愁の誘因にもなっている。これもまた、特急ではなくて急行だからだ。その分類が、カメさんの心を動かした。十津川とともに「銀河」に乗り込む直前、東京駅のホームでこんな感想をもらす。「急行列車ですか。なつかしいですなあ」。自分が青森から東京に出てきたころは「普通列車にしか乗れなくて、急行列車に乗るのが夢だったんですよ」。そんな経験があるから、今も特急より急行に有難みを感じるというのだ。

老舗2Hの退場で、旅情と郷愁に彩られた一つの文化が消えていく。だが、再放映はこれからもある。小説ならいつでも読める。2Hフリークは、そう思うしかない。

*1 地図は『新詳高等地図――初訂版』(帝国書院)
*2 当欄2021年7月30日付「2時間ミステリー、蔵出しの愉悦
☆ドラマのデータは、私自身の記憶とテレビ朝日、東映の公式サイトの情報をもとにしていますが、不確かな点はウィキペディア(項目は「西村京太郎トラベルミステリー」=最終更新2022年12月9日=など)を参照しました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月16日公開、通算657回
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■公開後の更新は最小限にとどめます。

終着駅が終着駅に着くとき

今週の書物/
『終列車』
森村誠一著、祥伝社文庫、2018年刊

新宿駅

一つの時代が終わった、という常套句を思わず使いたくなる。この暮れ、2時間ドラマの人気シリーズが二つ消えることになった。テレビ朝日系列で長く続いてきた「終着駅シリーズ」と「西村京太郎トラベルミステリー」。月内に最終作品が放映される。

「終着駅」「トラベルミステリー」と聞いただけではピンとこない人が多いだろう。ただ、主人公が前者は牛尾刑事(愛称モーさん)、後者は十津川警部と聞けば、ああ、あのドラマかと思い当たる人もいるに違いない。シリーズが始まったのは前者が1990年、後者が1979年。長く「土曜ワイド劇場」の看板メニューだった。いま土ワイはなく、後継の2時間ドラマ枠も消滅した。最近はスペシャル番組としてオンエアされてきた。

寂しい話だ。だが、これも必然の定めだろう。両シリーズの俳優陣を思い浮かべれば、それはわかる。モーさんであれ、十津川警部であれ、演じる役者は警察官の定年年齢をとうに超えている。芸能人が若見えするのは確かだが、無理が出てきたのは否めない。

いつまでも続くと思うな、人生と2時間ミステリー(2H)。高齢の2Hフリークとして、この現実は潔く受け入れなければなるまい。で、当欄は今月、両シリーズを振り返る。今週は「終着駅シリーズ」。書物としてシリーズ第1作(1990年放映)の原作となった長編小説『終列車』(森村誠一著、祥伝社文庫)を用意しているが、そこに入る前にテレビの「終着駅シリーズ」について語ろう。今回はあくまで、小説よりもドラマが主題だからだ。

このシリーズには、印象的な場面が二つある。一つは、モーさんの家庭生活だ。住まいは踏切のそばにあって、電車が通るたびに警報音が鳴り、警告灯が点滅する。その光が照らしだすのが警視庁職員住宅の銘板だ。モーさんが帰宅すると、妻澄枝の手料理で夕食となる。間取りは2DKほどだが、リビングもなければ、ダイニングキッチンもない。そこにあるのは、夫があぐらをかいてなごむ茶の間と、妻が背中を見せて調理する台所だ。

モーさんの役は最初の4回だけ露口茂が演じ、1996年の第5作から片岡鶴太郎が引き継いだ。翌年の第7作で岡江久美子演じる澄枝が登場、職員住宅の場面が定番となった。私的感想を率直に言えば、片岡の演技には過剰感があってついていけないことがあるが、それを中和してくれるのが岡江だった。彼女は2020年の第36作まで出演、その年、コロナ禍で帰らぬ人となった。2021年の第37作では、過去の映像が織り込まれた。

もう一つ印象に残るのは、新宿西警察署の捜査会議だ。出演者はシリーズ途中で入れ代わったが、私が好きなのは、秋野太作が刑事課長、徳井優が山路刑事(愛称ヤマさん)という配役だ。モーさんはこのシリーズで、考えに考え抜いた独創的な謎解きをする。その推理に対して、ヤマさんはたいてい批判的だ。二人は仲が悪いのか? どうも、そうではないらしい。課長もこの議論を静観している。どこか、戦後民主主義の風通しよさがあるのだ。

さらにこのシリーズを特徴づけるのが、ドラマの舞台である新宿の土地柄だ。1960~70年代は、若者の街だった。ぶらぶら歩いて名画座やジャズ喫茶で時間をつぶす……数百円あれば半日楽しめたものだ。アングラ演劇、反戦フォークなど対抗文化の発信源でもあった。ところが1980年代、その存在感が薄れていく。代わって目立つようになったのが、副都心区域に建ち並ぶ高層ビル群。コンクリート製の街がもたらす疎外感が強まった。

シリーズ開始の1990年は、バブル経済の絶頂期だ。東京は空騒ぎのさなかにあった。あのころ街に出て深夜まで飲むと、タクシーの空車を見つけるのが至難だった。新宿も1960~70年代の反体制機運は弱まり、銀座、六本木、湾岸地域などと並んでバブリーな街になっていた。ただ新宿には、ほかの街にない特色があった。バブル経済の陰も見えたことだ。新宿駅東方の歓楽街と西口のビル街との対比が、陰翳を際立たせていたようにも思う。

新宿駅はターミナル駅であり、人流の交差点だ。JR線の駅に小田急線や京王線の駅が隣接している。真下には地下鉄丸ノ内線の駅があり、西武新宿線の新宿駅も近い。JR線に乗る利用客だけでも1日平均75万人に達する(2000年の統計、JR東日本の公式サイトによる)。駅全体で見れば、毎日百万人単位の人々が通り過ぎているということだ。総数が大きい分、厄介ごとを抱えた人も多いに違いない。そこに事件のタネがある。

シリーズ名「終着駅」には、違和感もある。東京で終着駅らしい終着駅と言えば、上野駅の13~17番線ホームだ。正面から見渡すと、各線で列車が車止めの手前で停まっている様子を一望できる。最終到着点であることが一目瞭然だ。だが、JR新宿駅にこの光景はない。私鉄線の新宿駅では上野駅13~17番線の眺めを疑似体験できるが、それを「終着駅」とは呼ばない。日々乗り降りする「電車」の行き止まりは「終点」なのだ。

とはいえ、新宿にも終着駅の一面はある。中央本線は東京駅を起点とするが、新宿始発の長距離列車も多いからだ。その裏返しで、新宿止まりの上り列車もたくさんある。新宿駅は甲信地方から見れば東京の玄関であり、間違いなく終着駅でもあるのだ。

では、いよいよ『終列車』(森村誠一著、祥伝社文庫、2018年刊)に入る。この小説は1988年、光文社から刊行された。祥伝社の文庫版に先だって、光文社文庫、角川文庫にも収められている。発表年からわかるように1980年代、バブル最盛期の空気が漂う作品だ。

冒頭では、一見無関係と思われる場面がいくつか断章風に描かれる。ヘアサロンでの男性客と男性ヘアデザイナーの会話、幼女が犠牲となるひき逃げ事故、それとは別の追突炎上事故、暴力団幹部から鉄砲玉となるよう命じられる若手組員――作品はこれらの断片をつなぎ合わせ、ジグソーパズルのように一つの絵を浮かびあがらせていく。その完成形を見せては身もふたもないので、それは控える。ここでは絵の一部を切りだしてみる。

切りだそうと思うのは、二組の男女だ。二組には長距離列車の車中でめぐりあったという共通点がある。5月19日、新宿23時20分発急行アルプスの乗客だった。この列車は松本で中央本線から大糸線に入り、南小谷(みなみおたり)まで行く。首都圏の登山好きを中部地方の山岳地帯へ運ぶ夜行列車だった。どちらも、男女はアルプス車内でたまたま席を隣り合わせる。それが縁で信州でも行動をともにする。だが、二組は対照的だった。

グリーン車の二人はこんなふうだ――。男は40代後半、有名企業の課長で妻子もあるが、社内では窓際扱いされている。そんなこともあって六本木のバーに入り浸り、店のママと関係をもつ。ママは20代。いっしょに信州へ温泉旅行することになり、列車の指定席券も用意したが、彼女は待ち合わせ場所に来ない。男は車内で待つが、ついに現れなかった。このとき、空席を探しまわる別の女が現れた。男はその女に声をかけ、隣席の切符を譲る。

その女も謎めいている。まだ若いが「表情に陰翳(いんえい)があり、全身に懶(ものう)げな頼りなさがある」。男が探りを入れると、「行き当たりばったりの列車」にとび乗り「気が向いた所」に降り立つような旅がしたかった、と女は答える。だが実は、別の男がかかわる訳ありの旅ではないか、と男は疑う。それでも男と女は二人して茅野で降り、蓼科高原の宿へ向かう。どちらも、本来の相手ではない相手に連れ添って……。

この男女は、愛人との蜜月を行きずりの恋で代替したことになる。背景にあるのは、1980年代末の世相か。世にはびこるあぶく銭が軽佻浮薄な行動を誘発したようにも思える。

では、もう一組はどうか。こちらは、鉄砲玉になりそこなった組員の男と、交通事故で夫と子を失った女という組み合わせ。自由席で隣り合うことになった。男の旅にも女の旅にも、逃避行の気配が漂う。この二人も同じ駅で列車を降り、同じ宿の同じ部屋に泊まることになるのだが、一線を越えない。自身の心が苛まれているから相手の心を気遣う。そんな関係だ。きれいごとに過ぎる気もするが、それがこの作品では清涼剤になっている。

森村誠一は二組の男女の対比でバブル社会を風刺したのか。この小説がドラマ化されてまもなく、日本経済のバブルははじけた。作品は近未来を予感していたようにも思える。

*ドラマのデータは、私自身の記憶とテレビ朝日、東映の公式サイトの情報をもとにしましたが、不確かな点はウィキペディア(項目は「終着駅シリーズ」=最終更新2022年11月26日=など)を参照しました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月9日公開、通算656回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

エルノーの事件、男よ法よ倫理よ

今週の書物/
「事件」(アニー・エルノー著、菊地よしみ訳)
=『嫉妬/事件』(アニー・エルノー著、堀茂樹、菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫、2022年10月刊所収

中間選挙(*1)

米国上下両院の中間選挙では、与党民主党が事前の予想に反して善戦した。前共和党政権の人事で保守色を強めていた米連邦最高裁が今年6月、人工妊娠中絶を認めない判決を下したことに反発が広がり、中絶容認の立場をとる民主党候補に票が集まったらしい。

米国政治では、プロライフ対プロチョイスが対立軸になっている。前者は、生命の原点を受精卵とみて中絶を許さない。後者は、産むか産まないかの選択権はあくまで当事者にあると主張する。前者の背後には宗教右派が控え、後者はリベラル派が支えるという構図だ。

この構図には、類似版もある。忘れがたいのは、2004年の米大統領選挙だ。受精卵由来の胚性幹細胞(ES細胞)を使って人体の組織を再建する再生医療が争点になった。その研究は、共和党候補のジョージ・W・ブッシュ大統領が抑制していたが、民主党のジョン・ケリー候補は推進論を主張した。この論戦では、片方に受精卵を守ろうというプロライフ思想があり、もう一方に病苦を背負う人々を科学で支援しようとするリベラル思想があった。

当欄はここで、プロライフ対プロチョイスもしくはプロライフ対リベラルの論争で、どちらに分があるかということを書くつもりはない。ただ、こうした問題で議論が沸騰する米国社会には敬意を払いたい。私たちの日本社会には、その気配がない。

そんなことを思っていたとき、「事件」(アニー・エルノー著、菊地よしみ訳)を読んだ。当欄が先週とりあげた「嫉妬」とともに『嫉妬/事件』(アニー・エルノー著、堀茂樹、菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫所収)に収められている(*2)。この作品もまた、著者が主人公を自伝的に引き受ける「オートフィクション」の形式をとる。発表は2000年だが、作中で語られる「わたし」は1960年代の学生。うたかたの恋の末に妊娠する。

ただ、「わたし」を語る「わたし」の視点は2000年ごろにある。作品冒頭で今の「わたし」がパリの病院でエイズ検査を受けた――幸い結果は陰性だった――とき、同様の恐怖感のなかで「医師の診断を待っていた」過去の「わたし」が想起される。

その回顧の記述では、1963年10月にノルマンディー地方ルーアンの女子学生寮で「生理がやってくるのを一週間以上待っていた」日々が綴られる。下着の「染み」を待ち望む、手帳に毎夜「なし」と記す、深夜、目が覚めてそのことを再確認する……。11月に入り、街の診療所で受診した。妊娠だった。医師は「父親のいない子供のほうが、かわいいものですよ」などと言う。「わたし」は手帳に「身の毛がよだつ」と書いている。

妊娠の原因は、政治学を専攻する学生Pとの交際にあった。夏に知りあい、秋にPのいるボルドーを訪ねたのだ。「セックスの快楽のさなかに、男の肉体以外のものがわたしのなかに存在すると感じたことはなかった」。そのあとPとは「何となく別れて」いた。

妊娠証明書が医師から届く。そこには「分娩予定日」が1964年7月8日と記載されていた。「わたし」は「夏を、太陽を目に想い浮かべた」。そして、証明書を破って捨てたのだ。Pには手紙で妊娠を告げ、「このままの状態でいたくない」旨を書き添えた。「このまま」でいないとは、中絶することだ。妊娠の報せはPの心を動揺させるだろう。逆に「わたし」が「中絶する決心」をほのめかしたことはPに「深い安堵感」をもたらすだろう――。

1週間ほどして、米国でジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される。だが、「わたし」はそれに無関心だった。「わたし」は数カ月間、「ぼんやりした光」に浸っていた。あのころを思い返せば、「しょっちゅう街を歩いていた自分の姿」が浮かびあがってくる。

いや、数カ月にとどまらない。「何年ものあいだ、わたしは人生のその出来事のまわりをめぐっている」。たとえば、小説を読んでいて妊娠中絶の話題が出てくると、言葉が荒々しさを帯びるように感じられた。そんな「わたし」が今、中絶をめぐる自身の体験を語ろうとしているのだ。「何も書かずに死ぬこともできる」。だが「そうしてしまうのは、おそらくあやまちだろう」――オートフィクション作家の心の揺れが見てとれる。

この体験記を読み込む前に予備知識として知っておきたいのは、当時のフランスで妊娠中絶が禁じられていたことだ。巻末の「『事件』解説」(井上たか子執筆)によると、それは1970年代半ばに「女性の自由意思による妊娠中絶」が条件付きで合法化されるまで続いた。したがって、1960年代の「わたし」は非合法を選択したわけだ。今の「わたし」は、たとえ現行法が「公正」になっていても「過去の話」を埋もれさせてはいけない、と思う。

妊娠証明書を破り、中絶の決意を固めてから「わたし」の内面はどう変化したのか。本作は、その様子も克明に書き込んでいる。講義に出席しても、学生食堂にいても、「わたし」は「お腹に何も宿していない女子学生たち」とは別世界にいた。ただ、自分が置かれた状況を思いめぐらすとき、「妊娠」「身籠もる(グロセス)」「子供が生まれるのを待っている」という言葉は避けた。とくに「グロセス」は「グロテスク」を連想させるので封印した。

「妊娠」「身籠もる」は「未来を受け入れる」を含意していているが、「わたし」にはその意志がない。「消滅させる決心をしたものにわざわざ名前をつける必要もない」のだ。当時の手帳を見ると、「それ」とか「例のもの」といった表現に置き換えられていた。

では、「わたし」は非合法の妊娠中絶をどのように決行したのか? 学友の女子が私立病院で准看護師をしている年配女性の存在を教えてくれた。パリ在住のマダムP・Rだ。彼女は「子宮頸部にゾンデを挿入」して「流産するのを待つ」という方法で中絶の闇営業をしていた。1月にパリへ行き、マダムP・Rのアパルトマンの一室で処置を受ける。本作には、その前後の一部始終が記されているが、あまりに生々しいのでここでは触れない。

当欄では、本作を読んで私が考えさせられた三つのことを書いておこう。

一つには、男性はどこにいるのか、ということだ。Pとは手紙を出した後に再会したが、「彼は何の解決策も見つけていなかった」。妊娠の負担をすべて女性に押しつけてしまったのか。ほかの男たちも身勝手だ。「わたし」が妊娠の悩みを告白した男子学生の一人は、妻帯者でありながら言い寄ってきた。「わたし」は妊娠の事実によって「寝るのに応じるかどうかわからない娘」から「間違いなく寝たことのある娘」に変わったのだった。

二つめは、合法非合法をどうみるか、ということだ。私たちは今、なにかと言うとコンプライアンスという用語をもちだす。英語の“compliance”は「遵守(順守)」という意味だが、日本社会では守るべきものを法律と決めつけて「法令遵守」と訳すことが多い。だが、世の中には、法以外にも尊重すべきものがある。たとえば良心、そして人権。1960年代のフランスでは、自らの良心に従って法よりも自己決定権を尊ぶ人々がいた。

そして最後は、プロライフ対プロチョイスの問題だ。本作を読みとおすと、当時のフランスで女性たちが負わされてきた不条理の大きさを思い知らされる。だから私は、プロチョイス思想に共感する。ただ、「わたし」が胎内の存在を「消滅させる決心をしたもの」と位置づけ、「それ」「例のもの」と呼んでいたというくだりでは違和感も覚えた。プロチョイスの視点でみても、受精卵や胎児はただのモノとは言えないのではないか。

そんな感想を抱くのも、私が新聞記者時代、生命倫理を取材してきたからだ。1980年代以降、生殖補助医療などの分野で生殖細胞や受精卵に手を加える技術が次々に現われた。一つ言えるのは、積極論者も慎重論者もこれらを生命の人為操作と見て議論していたことだ。考えてみれば、妊娠中絶も同様にとらえられる。プロライフであれ、プロチョイスであれ、中絶は生命倫理の論題なのである。この認識が1960年代には乏しかったのではないか。

米国の状況などをみると、妊娠中絶は2020年代もなお「事件」であり続ける。ただしその議論では、今日的な生命操作が提起した倫理問題も参照すべきなのだろう。

*1 新聞の見出しは、朝日新聞2022年11月10日朝刊(東京本社最終版)より
*2 当欄2022年11月25日付「ノーベル賞作家、事実と虚構の間で
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月2日公開、同日更新、通算655回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

ノーベル賞作家、事実と虚構の間で

今週の書物/
「嫉妬」(アニー・エルノー著、堀茂樹訳)
=『嫉妬/事件』(アニー・エルノー著、堀茂樹、菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫、2022年10月刊所収

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ブログを続けていると、過去の稿を読み返して一つのテーマが浮びあがってくることがある。当欄には「実存主義」や「量子力学」のように意図して設定しているテーマもあるが、それではない。こんな問題意識が自分にはあったのか、と後から気づくものだ。

この1年で言えば、フィクションとノンフィクションの違いがこれに当たる。

国木田独歩の「武蔵野」(新潮文庫『武蔵野』所収)は「小説」に分類されているが、読んでみるとエッセイ風の都市論だった。都市のアメニティ、すなわち景観の心地良さを考えるとき、参照したい話にあふれている。独歩は詩人・小説家とされているが、新聞記者の職歴もある。この作品は、その核心に事実があり、小説というよりもノンフィクションの色彩が強かった。(当欄2022年9月16日付「アメニティの本質を独歩に聴く」)

外岡秀俊も、フィクションとノンフィクションの間を行き来する。学生作家として世に出た後、朝日新聞社に入って記者を34年間続けた人だ。昨年暮れに急逝した。私は新聞社の同期なので思い入れがあり、今年は当欄で彼の著作を6回とりあげた。うち2回は入社前の小説『北帰行』(外岡秀俊著、河出文庫)だった(2022年10月28日付「北行きの飛行機で『北帰行』を読む」、2022年11月4日付「抒情派が社会派になるとき)。

『北帰行』で私が感じたのは、人間外岡秀俊のなかでは作家の問題意識が新聞記者の仕事に転写されたらしい、ということだ。彼の問題意識は小説というフィクションを通じて涵養されたものだった。それが新聞記事というノンフィクションで実を結んだのである。

フィクションとは何だろう? ノンフィクションとは何か? これは、私のように文章を書くことを生業とし、今や趣味にもしている者にとってはぜひ考えておきたいテーマだ。とくに新聞記者は、事実に即することに厳格であろうとするあまり、虚構の水域に近づくことを嫌う傾向がある。ノンフィクションが当然という世界を生きてきた結果、フィクションの値打ちを低くみていたようにも思う。そろそろ、この偏見を脱してもよい。

で、今週の話題はオートフィクション。「自伝的なフィクション」と訳される。今年のノーベル文学賞発表でにわかに注目されるようになった。受賞者に決まったフランスの作家アニー・エルノーさんの作品群が、この範疇に入るからだ。自伝はノンフィクションのはずだが、オートフィクションはあくまでもフィクションを名乗っている。ならば、ただフィクションとだけ言えばよいのではないか。なぜ、「自伝的」と形容するのか?

で、今週の書物は、彼女の作品「嫉妬」(堀茂樹訳)。『嫉妬/事件』(アニー・エルノー著、堀茂樹、菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫)に収められている。この本は今年10月25日刊。著者の受賞が決まってすぐ私は通販サイトで予約注文できたから、早川書房はタイミングよく出版を企画していたわけだ。著者は1940年生まれ。本作「嫉妬」は2001年にル・モンド紙の付録として発表された後、それに手を入れたものが翌年刊行された。

「訳者あとがき」(堀茂樹執筆)は、本作が小説、フィクション、ノンフィクションのいずれでもない、と断じている。正解は「著者自身が引き受ける一人称の『私』の名において記述された自伝的『文章』『テクスト』」だ。作中の「私」は著者が「引き受ける」存在であって著者そのものではない、だから虚構も混在する――ということか。私は記者出身だから、それならばフィクションだろうと思ってしまうが、そうも割り切れないらしい。

作品に入ろう。主人公の「私」は18年間の結婚生活に終止符を打った後、Wという若い男性と6年間つきあったが、彼とも別れることにした。離婚で手にした自由を失いたくなかったのだ。自分から別れを言いだしたのに嫉妬が芽生えたのは、Wの電話がきっかけだった。自宅を引き払い、別の女性と暮らす、という。「その瞬間、そのもうひとりの女性の存在が私の中に侵入した」「その女性が私の頭を、胸部を、腹部を埋め尽くしていた」

本作の原題は“L’Occupation”。Occupationは英語と同じ綴りだから、「占領」「占有」であることにすぐ気づく。嫉妬する人間は嫉妬される人物によって占拠される、ということだ。作中の「私」は全編を通じて、その心模様を包み隠すことなく打ち明けている。

告白は具体的だ。「私」は「もうひとりの女性」の「姓名を、年齢を、職業を、住所を知る」という欲求に駆られる。Wとは別れたあとも音信が途絶えたわけではなかったので、彼からそれらのデータを聞きだす。47歳、教師、離婚歴あり、16歳の娘がいてパリ7区ラップ大通り在住――まずは、ここまでわかった。そのとたん、スーツ姿で髪を小ぎれいにブローした女性が「中産階級風のアパルトマン」で講義の下調べをしている姿が思い浮かぶ。

データは独り歩きを始める。たとえば、47歳という年齢。「私」は女性たちに「老いのしるし」を見つけ、自分のそれと比べて年齢を推し量るようになる。40~50歳で「上品なシンプルさ」を漂わせる女性は、「もうひとりの女性」の「写し」のように見えた。

あるいは、教師という職業。「私」は自分にも教師経験があるのに、女性教師という種族が嫌いになってしまう。地下鉄の車両に乗り合わせた40代の女性が教師風の鞄を携えていたとしよう。それだけで「私」には、彼女が「もうひとりの女性」に思えてくるのだ。その女性がどこかの駅で座席を立ち、電車を降りるときの決然とした動作は、車内に残された私にとって「私というものをまるごと完全に無視し去る」行為のように感じられた。

「私」は嫉妬を分析して、その「最も常軌を逸している」点は「ひとつの街に、世界に、ある人…(中略)…の存在ばかりを見てしまうこと」にあると看破する。ここで(中略)の箇所には、「ある人」が面識のない人物のこともあるとの注釈が書き込まれている。嫉妬は、嫉妬される人が嫉妬する人の心を占めるだけではない、嫉妬する人の目に映る世界までそっくり占拠してしまう――少なくとも作中の「私」は、そんな状況にあった。

著者の作品を特徴づけるのは、赤裸々な描写だ。一例は、冒頭の一節にある話。「私」はWと愛しあっていたころ、朝方目が覚めるとすぐ「睡眠の効果で勃起した彼のペニスをつかみ」「そのままじっとしている」のが常だった。今は別の女性がWの傍らにいて、同じことをしているのか。頭から離れないのは、その手のイメージだ。それが、まるで自分自身の手のように思えてくる。嫉妬は皮膚感覚と結びついて、妄想を次々に生みだしていく。

ただ、私たちが読んでいて怖くなる赤裸々さは、この種の話にあるのではない。それは、嫉妬が妄想という心理作用の域にとどまらず、行動となって発現することだ。とても誉められない行為まで、作中の「私」はためらうことなく微に入り細を穿って語っていく。

「私」は、Wが明かそうとしない「もうひとりの女性」の名をとことん突きとめようとする。Wを問いつめ、彼女がパリ第三大学で歴史学の准教授であることまで白状させると、こんどはインターネットと格闘する。教員一覧のページを見つけ、氏名と電話番号が記載されているのを目にした瞬間、「俄(にわか)には信じ難い、常軌を逸した幸福感」に「私」は浸る。ただそれでもなお、標的を一人に絞り込むことができなかった。

そこで「私」は、Wから「もうひとりの女性」の論文テーマを聞きだす。検索エンジンを駆使してそれらしい人物にたどり着くが、住所がパリ7区ではない……。そんな悪戦苦闘の末に結局、彼女とWが住むアパルトマンの各戸に電話をかける挙に出る。これも、電話番号を公表している住人に限られるわけだが……。番号に「非通知コード3651」(日本ならば184、186か)をつけて、女性が出たら「Wさん」の名を出して反応を窺う――。

結果は、ここには書かない。ただ「私」が危険水域に入り込んでいることは確かだ。「私」自身、そこには「不法性へのどきどきするような飛躍」があったことを認めている。

「私」は、「もうひとりの女性」のアパルトマンまで特定していた。ならば「私」自身が言及しているように、そこに乗り込むという手段もあったはずだ。そうしなかったのは、「愛されていない女としての私の孤独」と「愛されていたいという私の願望」をWと彼女に見せたくなかったからだ。ではなぜ今、「私」は自分の嫉妬のすべてを作品化して白日の下にさらけ出そうとしているのか? その理由も「私」は書いている。

読者が本作に見るものは「私の欲望」や「私の嫉妬」ではない。「誰のものでもない具体的な欲望」「誰のものでもない具体的な嫉妬」だというのである。(太字箇所には傍点)

作家が「誰のものでもない」普遍の事象を描こうとするとき、それはフィクションで十分だ。だが「欲望」や「嫉妬」のような内面の普遍事象を「具体的」に表現するには「私」が必要になる。オートフィクションとは、そのために用意された手法なのだろう。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年11月25日公開、通算654回
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