女王で思うミス・マープル噂の村

今週の書物/
『ミス・マープル最初の事件――牧師館の殺人』
アガサ・クリスティ著、山田順子訳、創元推理文庫、2022年刊

ティー

初秋の朝、英国からエリザベス女王の訃報が届いた。私の心に残ったのは、英国放送協会BBCの第1報だ。年配のキャスターが暗い色調の服に身を包み、淡々と伝える。「王室の発表によれば、女王はきょう午後、バルモラル城で“peacefully”に逝去しました」。“peacefully”は、この文脈では「安らかに」と訳すべきだろう。だが、私には「平和裏に」と聞こえた。その静かな死は、女王がキナ臭い世界に向けて発した遺言のように思えたからだ。

英国の王室というのは、不思議な存在だ。「君臨すれども統治せず」というが、その「君臨」とは何か。私がロンドン駐在の記者時代に驚いたのは、議会での女王演説だ。女王が、施政方針を読みあげる映像がテレビに流れていた。その政策はもちろん、議会によって選ばれた内閣が決めたものであり、女王の見解ではない。ここには女王の人権を度外視した虚構があるが、なぜかそれを問わない。どうしてこんなことを続けているのだろうか。

英国の議会と王室をめぐる諸々のしきたりについては、先輩記者からいろいろと教わった。そこには、かつて国王との間にあった緊張感を今も忘れない、という議会の決意があるという。なるほど、そうかもしれない。民主主義国家であっても絶対君主のような権力者がいつ現れるかわからない。それを抑えるのは、民主主義が王権よりも優位にあることの不断の確認だ。この作業で仮想の敵役を演ずるのが女王ということになる。

つまり、女王はたまたま王室の一員として生まれたために、自分の人権を一部犠牲にしてきた。それでも、一個人として自分を見失うことはなかったように思える。考えてみれば、あの“annus horribilis”(ラテン語で「酷い年」)発言も、ただの弱音ではなかった。

1992年11月、私がロンドンに着任後まもなくのことだ。この年、英国では王族夫婦の別居や離婚が相次ぎ、ウインザー城の火災もあった。女王にとっては在位40年の区切りだったが、その記念式典で「酷い年となった」と内心の思いを吐露したのだ。私はこの言葉を聞いたとき、ずいぶん率直な人だなあと思った。率直というのは理知的であるということだ。自分を客観視して心の整理をつけているからこそ正直になれる。

そんな英国人高齢女性の利発さを思い返していてすぐに思いだされるのが、クリスティ作品の素人探偵ミス・マープルだ。で、今週はマープルものを読もう、と思って書店に出かけた。選んだのが『ミス・マープル最初の事件――牧師館の殺人』(アガサ・クリスティ著、山田順子訳、創元推理文庫、2022年刊)だ。原著の発表は1930年。この邦訳は、出版元の東京創元社が「名作ミステリ新訳プロジェクト」の1冊として刊行している。

マープルは、当欄やその前身ブログに一度ならず登場している(*1、*2)。『予告殺人』(アガサ・クリスティー著、羽田詩津子訳、ハヤカワ文庫)と、『パディントン発4時50分』(アガサ・クリスティー著、松下祥子訳、ハヤカワ文庫)だ。幸い、行きつけの書店に在庫があった『牧師館…』は未読だった。ならばこれにしよう、と決めたわけだ。余談だが、Agatha Christieの日本語表記がハヤカワと創元で異なることを今回初めて知った。

さっそく『牧師館…』を開いてみると、マープルものの「最初の事件」らしく、事件はジェーン・マープルが暮らすセント・メアリ・ミード村で起こっている。それも、マープル邸の隣地が現場だ。読者にとってうれしいことに、巻頭にはその一帯の地図がある。

駅から表通りが延び、片側に商店が並んでいる。向かい側には庭付きの住宅群。うち一つがマープル邸だ。その隣に牧師夫妻の居宅牧師館や開業医の家がある。表通りの四つ辻には教会、そしてパブ兼宿屋「ブルーボア(青い猪)亭」。周辺には畑地もあり、住宅群の後方に森も広がっている。森の小径は治安判事の屋敷「オールドホール」に通じているらしい。あるべきものがあるべき場所にある――典型的な英国の田園風景だ(*3)。

この作品は、牧師の一人称で書かれている。だからマープル像は、牧師の目に映ったものだ。「ミス・マープルはおだやかで、ものしずかな白髪の老婦人」、それでいて「危険な人物」でもある――。こんなふうに描写されるのは、村の高齢女性4人が午後のひととき牧師館に集まり、お茶会を楽しむ場面。マープルの発言を聞いていると村の人々に対する観察も人物評もお茶会仲間より一枚上手、通りいっぺんの見方をしないのだ。

たとえば、古墳発掘のために村に滞在し、青い猪亭に宿泊している男女が話題になったとき。男性は考古学者を名乗り、女性はその秘書だという。どちらも結婚していないらしい。お茶会仲間の一人が、その秘書をあげつらって「育ちのいい女性ならあんなまねはしませんよ」「独身男性の秘書になるなんて」と顔をしかめると、マープルは「おや」と驚いてみせて「わたしは既婚男性のほうが油断ならないと思いますよ」と言ってのける。

村には、若手の画家が畑の一角の小屋に住みついている。この青年の行状もお茶会仲間の関心事だ。画家は治安判事の娘をモデルに水着姿の絵を描いており、それを知った判事との間でひと悶着あったという話も飛びだす。仲間の一人は「この若いふたりのあいだには、なにかあるんでしょうかね?」「ありそうな気がするんだけど」と勘ぐるが、マープルは「そうは思えないわね」と同調しない。「なにかある」のは別人だ、とにらむのだ。

お茶会の終わり、牧師はマープルに直言する。この村の人々は「おしゃべりがすぎる」という苦言だった。これに対して、マープルは「あなたは世間をごぞんじない」と切り返す。「長いあいだ人間性なるものを観察していると」「多大な期待などしなくなる」と打ち明けて、「根も葉もない噂」にも「真実」が潜んでいることがよくある、と諭すのだ。噂は無批判に信じてはいけないが、「真実」に迫るには聞いておいたほうがよいということか。

その日の後刻、牧師は画家と女性のキスシーンを目撃する。女性は、治安判事の娘ではない。彼女の継母、即ち判事の妻だった。「自制的」と思われている人だ。「マープルの眼力」が「目先の出来事」に惑わされず「物事の本質」を見抜いたことに牧師は感心する。

事件は翌日の夕、牧師館で起こる。治安判事が書斎で牧師の帰宅を待っていたとき、後頭部を銃で撃たれ、息絶えたのだ。謎めいたことが多かった。その一つは、牧師が面談を約束した時刻に不在だったことだ。彼は、教区に住む病人が危篤との電話を受けてその家に出向いたのだ。ところが訪ねると、病人の体調は安定していた。だれかがニセの電話をかけたらしい。殺人事件として捜査が始まると、画家が警察に自首してきた――。

このあたりから、ミス・マープルが事件の謎解きにかかわってくる。当欄は、その過程で見えてくるマープル流推理のクセを拾いあげたいのだが、それはやめる。ネタばらしを避けるためだけではない。この小説では、事件解決の途中段階でマープルが考えていたことが終盤になってひっくり返ることも少なくないからだ。彼女は時々刻々、自分の考えを変えている。なにごとも疑ってかかり、疑ってかかる自分自身も疑っているような気配だ。

一つだけ、謎解きの途中経過を紹介しておこう。警察が殺害動機のある人物を二人に絞り込んだとき、マープルは、ほかにも「少なくとも七人はいます」と反論した。後段の記述によると、彼女は実際に7人を思い描いていた。その顔ぶれから、あらゆる可能性を排除していないことがわかる。世間の常識にとらわれないのだ。この幅広の推理こそがマープル流の真骨頂だろう。そのときに役立つのが人間観察であり、噂の収集である。

マープルは、村に飛び交う噂に耳を塞がない。噂を参考にして理詰めの思考を組み立てる。ただ、そこから導いた仮説は自分自身でも懐疑しているから、めったに口にしない。受信には積極的だが、発信は慎重。情報社会にあって、もっとも賢明な態度と言えよう。

マープルものを読んでいると、英国で愛読した大衆紙を思いだす。英国人は噂好きで、社会全体がセント・メアリ・ミード村なのだ。新聞報道をお茶会に見立てれば、英王室はお茶会の会話に噂話のタネを提供してきた。ただ王室の人々は総じて、噂に煩わされながらもそれを巧妙にかわし、自分の思考を貫いてきたのではないだろうか。噂とのつきあい方という一点で、女王の姿はミス・マープルに重なっているように私には思える。
*1 当欄2020年10月30日付「アガサで知る英国田園の戦後
*2 「本読み by chance」2016年2月5日付「クリスティーの〈英〉列車で行こう
*3 当欄2022年9月16日付「アメニティの本質を独歩に聴く
☆引用部分のルビは原則、省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年9月23日公開、通算645回
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へんな夏の終わりに清張

今週の書物/
『絢爛たる流離』
松本清張著、文春文庫、2022年刊

針金

へんな夏が終わった。

一つには、「3年ぶりの行動制限のない夏」とメディアが連呼したことだ。コロナ禍第7波で全国の新規感染者数が1日当たり数十万人に及んだというのに、政権はこの言葉の軽やかさに乗っかってほとんど動かなかった。感染症蔓延の盛りに行動制限をなくすというのなら、それによってどんな事態が生じるかを考えて、ああなったらこうする、こうなったらああする、と手筈を整えるのが為政者の務めだろう。その準備があったとは思えない。

もう一つ、元首相の不慮の死もあった。それで私の脳裏には、1960年代に相次いだ暗殺事件が蘇った。小学生のころだ。社会党委員長の刺殺では、夕刻のニュースで17歳の少年が委員長に体当たりする映像が繰り返し流された。米大統領銃撃のときは早朝、テレビ界初の日米宇宙中継が予期せぬ凶事を報じていた――。たぶん、今の子どもたちは今回の事件を現場に居合わせた人々のスマホ映像などで記憶しつづけることになるのだろう。

今回の事件は「暗殺」という用語がなじまない。当初は、動機が世間に対する漠然とした恨みのように思えた。やがて、それは社会問題に根ざしており、政治にも深くかかわっていることがわかったが、「暗殺」と呼ぶにはあまりに日常的な風景がそこにはあった。

それは、事件現場が近鉄大和西大寺駅前だったからかもしれない。私は学生時代、関西旅行の折にこの駅で降りたことがある。東大寺ならぬ西大寺なのだから、辺りには古代の雰囲気が漂っているのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、歩いてみるとふつうの住宅街だった。元首相が襲われたのは、日比谷公会堂ではなく、ダラスの大通りでもなく、私鉄沿線のどこにでもある町。「暗殺」の舞台の要件ともいえる劇場性をぼやかしていた。

前代未聞の疫病禍でも政権は動じない。政界の有力者が凶弾に倒れても「暗殺」の感じがしない。それをどうみるかは別にして世間はすっかり凪なのだ。冒頭に「へんな夏」と私が書いたのは、以上のようなことによる。この夏は将来、歴史に記録されるのだろうか。

で、今週は清張の昭和史。といってもノンフィクションではない。連作短編小説『絢爛たる流離』(松本清張著、文春文庫、2022年刊)。1963年に「婦人公論」誌に連載された12編から成る。それぞれが独立した話だが、全編に登場する同じ一つのモノがある。3カラット純白の丸ダイヤだ。これをバトンにして昭和の風景断片をリレーする。1971年に『松本清張全集2』(文藝春秋社)に収められ、2009年に文庫化、今回読むのはその新装版だ。

私がこの本をとりあげようと思ったのは、松本清張記念館名誉館長の藤井康栄さんが執筆した巻末解題に「話の筋は、著者の創作」だが「中身には、著者自身の体験が色濃く反映されている」とあるからだ。この記述で、私は納得した。この本に、日本の近現代史を動かした立役者は出てこない。戦時中の外地、占領時代の地方都市、高度成長初期の東京……。それぞれの時代、それぞれの場所にあったかもしれない市井の物語を紡いでいる。

当欄は各編の筋を追わず、印象に残る光景だけを切りだしてみる。ちょっと驚いたのは、第八話「切符」だ。敗戦の数年後、山口県宇部市の古物商が乗りだした新商売は古い針金を売ることだった。きっかけは、同業者から「あんたンとこに針金はないかのう?」と聞かれたことだ。岡山周辺の箒(ほうき)製造業者が「針金がのうて困っちょる」という。戦後の物不足がそんな生活用品にも及んでいたことを、私は初めて知った。

古物商は、人を介して大手針金メーカーの幹部に話をもち込み、針金のつくり損ない(ヤレ)を格安価格で仕入れて売る算段をつけた。当時の経済は統制下にあったので針金メーカーも臨時物資需給調整法に縛られ、製品を「切符」のある業者にしか売れなかった。ただ、ヤレは「廃品同様」だから「横流し」ではない、という理屈が立った。難題は一つ。ヤレは巻き取り装置の不調で出てくるので「メチャクチャに縺れて」いたことだ。

古物商は女性の作業員を10人ほど雇い、人力で縺れをほどいた。そこに30代半ばの男がふらりとやって来る。作業場の様子を見学して「あれじゃ工賃ばかり嵩んで仕事にはならんだろうな」と感想を漏らし、「ひとつ機械化してみては?」ともちかける。男は「W大学の機械科」卒を名乗り、自分が図面を引く、木造だから組み立ては大工に任せる、というのだ。怪しげではある。古物商も初めは半信半疑だったが、やがてその話に乗せられて……

戦後の混乱期、人々がどれほどしたたかだったかが、これだけの話からも見えてくる。藤井解題によると、この一編の背後には「復員後、生活のためにアルバイトで箒の仲買を商売としていた著者自身の体験」があるという。著者は針金不足を間近に見ていたのだ。

「復員」の一語でわかるように、著者は軍隊生活を送ったことがある。1944年に召集を受け、朝鮮半島南部(韓国全羅北道)に駐屯する部隊に配属となる。衛生兵だった。解題によれば、第三話「百済の草」と第四話「走路」にこのときの体験が生かされている。

第三話の主人公は、全羅北道の小都市に内地から赴任した日本企業の鉱山技師。妻と社宅で暮らしていたが、戦争末期に兵隊にとられる。その技師が衛生兵となり、ひょんなことから社宅に近い軍司令部へ転任となる。社宅には妻が今も住んでいる。だが、兵隊は司令部のある農学校の建物で起居して、兵営の外には出られなかった。通信が禁じられているので、すぐ近所にいることを妻に知らせることもできない。会いたい、だが会えない……。

技師には営内に頼りになる上官が一人いた。階級は下士官の軍曹だが、会社勤め時代には部下だったので、なにかと力になってくれる。軍曹は、公用外出のときに技師宅を訪ね、夫が兵営にいることを妻に伝えてくれた。それからまもなく、技師に一つの情報がもたらされる。若い高級参謀が高級将校に許された「営外居住」の特権を行使して、技師宅の一部屋を賄いつきで借りている――技師の心に波風が立ったことは想像に難くない。

兵隊も例外的には営外に出ることができた。現に高級参謀付きの上等兵は「公用腕章」を着けて衛兵所がある門を自由に出入りしている。技師は覚悟を決めて、腕章を貸してほしいと、その上等兵に頼む。幸いに「奥さんに逢いに行くのか?」という笑顔が返ってきた。発覚すれば「重営倉もの」だが、上等兵は好人物だった……。それにしても、高級将校なら営外居住、下士官は公用で町を歩ける、兵隊は兵営に缶詰め、という縦社会は見苦しい。

藤井解題によると、著者自身も朝鮮半島で衛生兵だったころ、公用腕章の恩恵に浴して「町を歩き回り、古本屋で本を買ったり」していた。人々は苛酷な軍国主義下でもときにワル賢く頭を働かせて、人間らしい欲求を満たそうとしていたことがわかる。

さて、話は60年安保に飛ぶ。第十話「安全率」では、1960年6月に新しい日米安保条約が自然承認される直前、東京・成城にある大手鉄鋼会社会長邸に学生運動家二人が訪ねてくる。一人は「総学連の財政副部長」。学生服には「T大」の襟章がある。「われわれの目的はあくまでも革命」「内閣に絶えず脅威を与え、ゆさぶりつづけます」と持論をぶち、会長から「指導者階級をギロチンにかけるのかね?」と問われても否定しない。

興味深いのは、総学連幹部のねらいがカンパにあったことだ。二人は会長からの支援金3万円を手にして帰っていく。1960年の3万円は、ザクっといえば今の50万~60万円ほどか。当時の学生運動に、こんな資金の流れがあったかどうかはわからない。ただ、鉄鋼会社トップと学生運動指導者の間にどこか通じあうものがあったようには思われる。著者は、その危うさを架空の団体「総学連」の話として具象化したのではないか。

鉄鋼会社会長には、その3万円で「革命の虐殺から助かるかもしれない」という思惑もあった。自分は防衛産業の柱である鉄鋼業界の経営者だが、「革命家の理解者になること」で自身や家族、そして愛人も助命されるのではないか、と思ったりするのだ。

会長はその夜、銀座に出かける。目当ては、愛人がマダムをしている高級バーだ。店内では紫煙が漂うなか、「文化人と称する連中が女の子を引きつけ、大きな声でしゃべり合っては酒を飲んでいた」。会長は、カウンター席の一隅に腰を下ろす。それは、マダムのパトロンに用意された言わば指定席だった。店から2kmほどしか離れていない国会議事堂周辺では学生たちのデモが渦巻いているというのに、その緊迫感がここにはない。

この一編がおもしろいのは、60年安保を描くとき、視座を成城という高級邸宅街や銀座という高級歓楽街に置いたことだ。その構図の妙で、そこにあった空虚さが浮かびあがってくる。デモの映像を小学生の目で眺めていた私は、あのころから時代が急に明るくなったように記憶しているのだが、それは的外れではなかった。あの出来事は所得倍増政策を呼び込み、高度経済成長の跳躍台となった。その事情も、この作品を読むと腑に落ちる。

さて2022年の夏は、へんだった。災厄が進行中なのに人々は日常の一角にいて、世の変転に無関心のように生きている――そんな感じか。だが、そういうことは昔からあったのかもしれない。清張がこの本の各編で描きだした人々を見ていると、そう思えてくる。
☆引用部分にあるルビは原則、省きます。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年9月9日公開、通算643回
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西村京太郎、鉄道の魔術師

今週の書物/
『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』
西村京太郎著、光文社文庫、新装版2009年刊

時刻表

売れっ子ミステリー作家の西村京太郎さんが91歳で逝った。亡くなったのは3月3日木曜日。奇しくもその週、私は西村京太郎漬けだった。CSテレビ局の「チャンネル銀河」が連夜、西村作品の2時間ミステリー(略称2H)を放映していたからだ。(以下敬称略)

月曜は「北陸L特急殺しの双曲線」(フジテレビ系列、1987年)、火曜は「L特急さざなみ7号で出会った女」(日本テレビ系列、1988年)、水曜は「寝台特急『ゆうづる』の女」(フジテレビ系列、1989年)、木曜は「寝台特急『はやぶさ』の女」(テレビ東京系列、2004年)、金曜は「寝台特急(ブルートレイン)八分停車」(テレビ東京系列、2004年)――そんなラインアップだった。金曜は見逃したが、月~木は西村2Hにどっぷり浸った。

こうしてドラマの題名を書きうつしていると、西村京太郎は鉄道の魔術師であったと思えてくる。その魔力を使いこなしているのだ。鉄道は本来、人々や物資を駅から駅へ運ぶのが役目だ。だが現実は、それにとどまらない。駅の音と光はどうか。プラットホームのざわめき、構内アナウンス、発車を告げるベル、列車がゆっくりと動きだし、尾灯がホームから遠ざかる……。これらが魔力となって、私たちの想像力を刺激する。

とりわけ長距離列車は、強い魔力を帯びている。列車に乗る人は今、この街を離れようとしているのだ。過去と縁を切るつもりなのだろうか、それとも、未来へ歩みだそうとしているのか。心を占めるのは失意なのか、希望なのか。乗客の一人ひとりがいわくありげのように思えてくる。実際には業務出張で移動中という人が大半を占めるのかもしれないが、たまたま乗り合わせた隣席の人物に人間ドラマを見ようとしてしまうのである。

鉄道のもう一つの魔力は、運行ダイヤにある。列車はA駅を出る時刻もB駅に着く時刻も時刻表の通りで狂いがない。A駅10時20分発、B駅12時10分着の列車を考えてみよう。途中に停車駅がないとすれば、A駅からB駅までの1時間50分、乗客は缶詰めになる。そこにあるのは、時間と空間が限られた小宇宙だ。しかも、その小宇宙は外側にいる人――たとえばホームに立っている人――から見れば、ものすごい速度でぶっ飛んでいる。

西村京太郎は、そんな鉄道の魔力満載の「トラベルミステリー」という作品群を生みだした。第1作は1978年、光文社「カッパ・ノベルス」の1冊として書き下ろした長編『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』だ。1984年、光文社文庫に収められ、2009年には文庫新装版が出た。巻末には、この作品のカッパ・ノベルス以来の発行部数が、文庫新装版初版までの累計で120万6000部であると記されている。今回は、この作品を読もう。

作品冒頭は、いきなり東京駅13番線ホームの場面だ。青木という週刊誌記者が夜行寝台列車(愛称「ブルートレイン」)ブームの記事を書くため、東京発西鹿児島行き寝台特急「はやぶさ」に乗ろうとしていた。このくだりでは、列車が14両編成であること、まもなく繋がれる電気機関車が「EF65形」であること、車内照明や冷暖房の電源車はすでに連結済みでディーゼル発電機のエンジン音を放っていることが、縷々書き込まれている。

著者は、世に言う“鉄ちゃん”(鉄道愛好家)なのだ。東西の名作ミステリーには、松本清張作品であれ、アガサ・クリスティー作品であれ、駅の描写がしばしば出てくるが、これほど列車そのものの細部にこだわった書きぶりには、そうそう出合わない。

とはいえ、著者はただの“鉄ちゃん”ではない。その鉄道描写には詩情が漂う。「はやぶさ」は東京16時45分発。青木がホームに立ったのは3月下旬の午後4時ごろで、あたりにはまだ陽光があふれていた。だが、「夜行列車での旅立ちというのは、新幹線のあわただしい出発とは、どこか違った感傷がある」。なるほどと思ったのは、その「感傷」を呼び起こすものの一つに「ライトブルーの丸みをおびた車体」を挙げていることだ。

たしかにそうかもしれない。蒸気機関車(SL)はゴツゴツしていて力強い。マッチョな感じがする。新幹線はすらりとしていて、頭も切れそうだ。でも、どこか冷たい。これに対してブルートレインの客車はたおやかであり、肉感的でさえある。

さて、この小説の主舞台は、「はやぶさ」の1号車A寝台だ。列車片側の通路沿いに個室14室が並んでいる。青木が編集長から手渡された切符は、その7号室のものだった。この特権的な空間を、読者はひととき青木の目を通してのぞき見ることができる――。

座席兼ベッドには、枕やシーツ、毛布などが備えられている。窓は約1メートル四方というから、結構広い。壁には鏡がかかっていて、そばには、電気かみそりが使えるようにプラグの差し込み口もある。窓際にはテーブル。乗客のなかには、ちょっとした書きものをする人もいるだろう。驚くのは、テーブルの天板が蓋になっていることだ。これを開けると洗面台が設えてある。「C」と「H」の蛇口があって、手や顔を洗ったりもできるのだ。

トイレとシャワーがないことを別にすると、ホテルの部屋に近い。鍵を内側からかければ密室にもなる。前述したように、列車はそれ自体が密室だ。著者は、そのなかの個室車両を舞台に選ぶことで、密室の内部にもう一つ密室を用意した。入れ子構造である。これによって、作品のミステリー性がいっそう高まった。列車内でひと騒動あったとき、個室の乗客が通路に出てこないという場面があって、不気味な雰囲気を醸しだしている。

さて、鉄道ミステリー最大の醍醐味は時刻表のトリックだ。この作品では、それがアリバイ工作にかかわるだけではない。列車ダイヤの読み方に捻りが利いている。著者が目をつけたのは、東京16時45分発の「はやぶさ」に双子のきょうだいのような寝台特急がもう1本あることだ。東京18時00分発西鹿児島行きの「富士」である。両特急は車両編成が同じ。九州に入ってからは別ルートをとるが、本州の走行区間はまったく共通する。

おもしろいのは、青木記者が自分は本当に「はやぶさ」に乗っているのか、わけがわからなくなることだ。神戸・三ノ宮駅を発車したころに眠りに落ち、目が覚めたとき――。車両前方のトイレに行って戻ってくると、隣の8号室から和服の女性が出てくる。おかしい。8号室にはワンピース姿の若い女性がいて、終点で降りると言っていたのだが……。和服の女性に問いただすと、やはり終点まで行くと言う。切符も堂々と車掌に見せている。

そんなこんなで頭が混乱しているとき、列車がスピードを緩めた。どこかの駅を通過するらしい。青木の目に「くらしき」の文字が飛び込んできた。「倉敷か」。腕時計に目を移すと、午前4時2分。「もう四時か」。ふつうなら、それだけの話だ。だが、青木は取材のために予備知識を仕入れていたので、ピンときたらしい。時刻表を改めて調べてみると、下り線で倉敷よりも先にある糸崎に停車する時刻が3時35分ではないか。

時刻表の論理で言えば、「はやぶさ」が倉敷を通過するのは、三ノ宮を出る0時36分から糸崎に着く3時35分の間でなければならない。これほどの遅れは不測の事故でもない限りないはずだが、その気配はなかった。ここで青木は時刻表にまた目をやって、突飛なことを思いつく。「この列車が、〈はやぶさ〉でなく、〈富士〉だったら?」――「富士」は倉敷通過後、福山停車が4時26分となっているから、これならぴったり計算が合う!

では、青木が「はやぶさ」から「富士」に乗り移ることはありうるのか? 量子情報科学の量子テレポーテーションを使えば可能かもしれないが、1970年代の推理小説にそれはないだろう。青木は三ノ宮から眠り込んだので、本人が気づかないまま列車を乗り換えたということか。だが時刻表を見る限り、「はやぶさ」に三の宮・倉敷間の停車駅はない。なにか裏技でもあったのか、いや、そもそもほんとうに乗り換えがあったのか――。

この答えは言わない。ただ、「はやぶさ」の座標系を「富士」の座標系が追いかける様子には相対性理論の趣がある。テレポーテーションの可能性が頭をかすめるところでは、量子力学の香りがする。西村京太郎の鉄道ミステリーには、現代物理学の風味もあるのだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年3月25日公開、同日更新、通算619回
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「家政婦は見た」という長閑な監視

今週の書物/
「熱い空気」
松本清張著(初出は『週刊文春』、1963年に連載)
=『事故 別冊黒い画集(1)』(松本清張著、文春文庫、新装版2007年刊)所収

家事

こんなふうに1週1稿の読書ブログを続けていると、ときに小さな発見に恵まれる。世界観にかかわるような大発見ではない。ちっぽけな驚き。今年で言えば、「2時間ミステリー、蔵出しの愉悦(当欄2021年7月30日付)で読んだ本にそれがあった。

『2時間ドラマ40年の軌跡』(大野茂著、発行・東京ニュース通信社、発売・徳間書店、2018年刊)。巻末に収められたデータ集には、2時間ミステリー(2H)の視聴率ランキングが載っていた。驚いたのは、テレビ朝日系列の「土曜ワイド劇場」(土ワイ)で歴代1位、2位、5位の高視聴率を獲得したドラマが、あの「家政婦は見た!」の作品群だったことだ。1983年に始まったシリーズの第1~3作が軒並み上位に名を連ねている。

副題を見てみよう。堂々の1位は「エリート家庭の浮気の秘密 みだれて…」(1984年放映、視聴率30.9%)、2位は「エリート家庭のあら探し 結婚スキャンダルの秘密」(1985年、29.1%)。そして5位は、主タイトルが「松本清張の熱い空気」、副題に「家政婦は見た! 夫婦の秘密“焦げた”」とある(1983年、同27.7%)。この作品が当たったので副題を前面に出してシリーズ化したら、後続がそれをしのいで大当たりしたということらしい。

ちなみに第2作の視聴率30.9%は、2時間ミステリー史に聳える金字塔だ。『2時間ドラマ40年…』のデータ集によると、この数字は、土ワイ最大の競争相手「火曜サスペンス劇場」(火サス、日本テレビ系列)のドラマ群も超えられなかった。

シリーズの主人公は、新劇出身の市原悦子が演じる地味な「家政婦」。芝居の黒衣(くろご)のような立場なのに、雇い主の「エリート家庭」に潜む「浮気」や「スキャンダル」を鋭い観察眼で見抜き、巧妙な計略で取り澄ましている人々を窮地に追い込む。

ミステリーだが、殺人事件は出てこない。家庭が舞台だから派手さもない。人殺しのない推理小説は、ときに「コージーミステリー」と呼ばれる(*文末に注)。“cozy”――英国風の綴りなら“cosy”――は「心地よい」の意。では、このドラマに心地よさがあったかと言えば、そうではない。「家政婦」の意地悪さが半端ではないので、寒気が走るほどだ。それなのになぜ、こんなに受けたのか。当欄は、そこに注目してみよう。

まず押さえておきたいのは、シリーズ第1作の主タイトルに「松本清張」が冠せられていることだ。すなわち、第1作は正真正銘、清張の小説を原作にしている。第2作以降はドラマの枠組みを清張作品に借り、個々の筋書きは脚本家に委ねられたという。

で、今週手にとったのは「熱い空気」(『事故 別冊黒い画集(1)』〈松本清張著、文春文庫、新装版2007年刊〉所収)という中編小説。シリーズ第1作の原作である。1963年春から夏にかけて『週刊文春』に連載され、1975年には文春文庫に収められている。

小説が描くのは昭和30年代後半、すなわち高度成長半ばの世界だ。これに対して土ワイ枠でドラマ化されたのは、昭和で言えば50年代後半、日本社会が石油ショックをくぐり抜け、バブル期に差しかかろうとするころだ。同じ昭和でも、この20年間の差は大きい。

小説の作中世界で時代感を拾いだしてみよう。作品冒頭部に住み込み家政婦の報酬が明かされている。「食事向う持ちで一日八百五十円」。時給ではない。日給である。別の箇所には「ラーメン代百円」の記述も。あのころの物価水準は、そんなものだった。

家政婦の稼ぎについては「食べて月平均二万五千円の収入」という表現もある。850円×30日=25,500円だから、ここから推察できるのは、家政婦は、一つの家に雇われると期間中は3食付きで、ほとんど休みなくぶっ通しで働いたらしいということだ。実労働1日8時間の縛りはあったようだが、家事は「労働と休息のけじめがはっきりしない」。早朝から深夜まで10時間を超えて「拘束」されることが「ふつう」であったという。

主人公の河野信子――シリーズ第2作からは「石崎秋子」に代わる――は東京・渋谷の家政婦会から、青山の高樹町にある大学教授の稲村達也邸に送り込まれる。初日の描写から、当時の家政婦が受けていた待遇がわかる。挨拶の後、「その家の三畳の間に入れられた」「そこですぐにスーツケースを開き、セーターとスカートを穿き替えて、エプロンをつけた」。三畳間は前任の「女中」が辞めた後、物置として使われていたらしい、とある。

そう言えば……と私が思いだすのは、あのころ屋敷町の家にはたいてい、三畳や四畳半の小部屋があったことだ。私の周りでは住み込みの使用人がいる家はすでに少なかったが、それでもそんな一室があり、「女中部屋」と呼ばれることもあったと記憶する。

1960年代前半は、ちょうど「女中」が「お手伝いさん」に言い換えられたころだ。作中でも教授の妻春子が信子の前任者のことを語るとき、あるときは「お手伝いの娘」、別の場面では「女中」と呼んでいる。奉公という封建制の名残が絶滅の直前だった。

著者は、そんな時代の曲がり角で「家政婦」という職種に目をつけた。「家政婦」は「女中」の仕事を引き継ぐのだから奉公人の一面を残す。だが実は、家政婦会を介して雇用契約を結ぶ労働者だ。だから、雇い主の家庭を突き放して観察することができる――。

興味深いのは、ドラマの「家政婦は見た!」が世の中の脱封建化が進んだ1980年代に放映されても、違和感がなかったことだ。すでに中間層が分厚くなっていた。だから視聴者は、家政婦という労働者が自分に成り代わってエリート階層を困らせることには、さほど快感を覚えなかったように思う。ではなぜ、魅力を感じたのか? 理由の一つは、家政婦の眼が隠しカメラのように「秘密」をあばく様子がスリリングだったからだろう。

小説「熱い空気」から、そんな場面を切りだしてみよう。ただ、ネタばらしは避けたいので深入りはしない。信子が達也の「秘密」をかぎつける瞬間だけをお伝えしよう。

信子が食器を洗っていると、玄関から声が聞こえる。急いで出ていくと「郵便配達人が板の間に速達を投げ出して帰ったあとだった」。ここで気づくのは、配達人が玄関に勝手に入り込んだらしいことだ。たしかに1960年代前半、昼間は施錠しない家も多かった。郵便物の扱いも今より緩い感じがする。速達だから居住人が留守なら郵便受けに入れればよいのだが、この配達人は不在かどうかを確かめる様子もなく、置いただけで立ち去っている。

茶色の封筒には「稲村達也様」の表書き。裏面には「大東商事株式会社業務部」と印刷されている。いかにも「社用」だ。だが信子は、「稲村…」が「女文字」で書かれていることにピンとくる。今ならば、この手の郵便物の宛て名は、ワープロ文書を印字したものを切りとって貼っていることが多い。かりに手書きであっても、その文字に性差を感じることはほとんどない。1960年代半ばは、宛て名書き一つにも人間の匂いがしたのだ。

信子は、封筒を「懐ろに入れて台所に戻った」。隠し場所が「懐ろ」というのだから、着物を仕事着にしていたのだろう。ガスレンジでは折よく、湯が沸き立っている。だれも台所に入ってきそうもないのを見極めて、封筒をかざし、「封じ目を薬罐の湯気に当てた」。糊が緩んで、封は容易に開く。封筒をまた懐ろにしまって、トイレへ。便箋を広げると、待ち合わせの時刻や場所を知らせる文面で、末尾には女性の名があった――。

1960年代は、スキだらけの時代だった。家庭の「秘密」は、黒衣として紛れ込んだ人物の直感や悪知恵に偶然が味方すれば、いともたやすくあぶり出された。1980年代はどうだったか。そんなドラマの筋書きが不自然ではないほどに世間はまだ緩かった。

だが、今は違う。「秘密」は、とりあえずパスワードで守られているはずだ。だが、ネットワークの向こう側に正体不明の黒衣がいる。スマートフォンとともに暮らしていると、自分が何に興味を抱いているか、いつどこへ出かけたか、など私的事情が筒抜けのことがある。街に出れば、防犯カメラが見下ろしている。通りを歩けば、車載カメラが横目で通り過ぎていく。「家政婦」が見ていなくても、生活がまるごと、巨大な黒衣に監視されている。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年12月10日公開、通算604回
*コージーミステリーについては、当ブログの前身「本読み by chance」で幾度か言及しています。以下の回です。ご参考まで。
佐野洋アラウンド80のコージー感覚」(2015年3月20日付)
佐野洋で老境の時間軸を考える」(2017年2月10日付)
ことしはジーヴズを読んで年を越す」(2018年12月28日付)
**引用箇所のルビは原則、省きました。
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

もく星号はなぜ2度落ちたか

今週の書物/
「『もく星』号遭難事件」
『日本の黒い霧(上)』(松本清張著、文春文庫、新装版2004年刊)所収

離陸

「もく星」号と聞いて、ピンと来る人はそんなに多くはないだろう。日本航空の路線でかつて就航していたプロペラ旅客機。1952(昭和27)年4月9日、伊豆大島の三原山山腹に墜落、乗員乗客37人が全員落命した。戦後の国内民間航空史上、最初の大事故である。

私にとっては、1歳にもならない乳児期の出来事。当然のことながら、ひとかけらの記憶もない。ただ、それでも小学生のころ、そんな惨事があったとは聞いていた。なぜか? 家でテレビドラマを見ていたときにしばしば、この事故が話題になったからだ。

話は飛ぶが、テレビ草創期に人気を博した俳優に大辻伺郎がいる。「赤いダイヤ」(1963年、TBS系)という小豆相場を題材にしたドラマで、主役を演じていた。子ども心にも、クセのある役者だな、と思ったものだ。その彼が画面に現れると、大人たちはドラマとは関係のない話を始めた。大辻伺郎の父は大辻司郎という漫談家で、「もく星」号事故の犠牲者だという。そんなことがあって、私はこの飛行機の名を知ったのである。

ただ、この事故がいくつもの謎を残していることを私はずっと知らなかった。元新聞記者として、まことに恥ずかしい。最近、録画保存していた蔵出しのミステリードラマを見て、事故の原因や事故情報の流布に不可解な点が多々あることを教えられたのである。

ドラマは、「風の息」(1982年、テレビ朝日系)。松本清張の同名小説を原作にしたもので、「土曜ワイド劇場」の2時間(2H)枠をほぼ3時間に拡げて放映された。出演者は、栗原小巻、根津甚八、関根恵子(現・高橋惠子)……。栗原と根津が、それぞれの行きがかりから事故の解明に首を突っ込む、という筋立てだ。事故は現実のものだがフィクション仕立てなので、真相は見極めがたい。これをもって事故を知ったとは言えない。

ということで今回は、原作の小説をとりあげない。代わりに同じ著者のノンフィクションを読む。「『もく星』号遭難事件」(『日本の黒い霧(上)』=松本清張著、文春文庫、新装版2004年刊=所収)。『…黒い霧』の各編は1960年に『文藝春秋』誌に連載されたものだから、事故の8年後に書かれたことになる。ちなみに先日話題にした「追放とレッド・パージ」も、この連載の一編だった(当欄2020年12月4日付「追放、パージというイヤな言葉)。

「『もく星』号…」の一編は小説ではないので、記述は淡々としている。一つの答えに絞り込もうという強引さもさほど感じられない。だがだからこそ、事故の陰に隠された部分の大きさが読者の心に重くのしかかってくる。まさに「黒い霧」と呼ぶにふさわしい。

本文は冒頭、「昭和二十七年四月九日午前七時三十四分、日航機定期旅客便福岡板付行『もく星』号は羽田飛行場を出発した」と切りだされる。「密雲垂れこめ、風雨が頻り」という悪天候。機は20分後、千葉県の館山上空を通り過ぎてまもなく「消息を絶った」。

見つかったのは、まる1日たった翌朝だ。天気は回復している。日航の捜索機が、三原山の山腹に機体各部が散らばっているのを確認した。火口の東方、高さ2000フィート(約600m)のあたりというから、山頂(758m)に近い。破片の列は山頂方向へ帯状に連なっていた。機長が「突然、雲の間から現れた山を見て」「驚き、機種を上げようとした」と著者はみる。そうなら、「もく星」号は大島ルートを低すぎる高度で飛んでいたことになる。

このノンフィクションから見えてくる「もく星」号事故の謎は二つある。一つめは、墜落の原因。なぜそんなに低空飛行していたのか、という疑問だ。当時の羽田発日航便は西日本へ向かうとき、館山付近で針路を変え、そのあと高度を約3000フィートから6000フィートまで上げて大島上空を通り過ぎることになっていた。ところが、この日の「もく星」号は2000フィートで西進していたらしいのだ。いったい、何が起こったのか?

著者は、操縦室の機長が羽田出発前、地上の管制員とどんなやりとりを交わしたかを跡づけている。これを理解するには、予備知識が必要だ。事故発生時、日本はまだ連合国軍の占領下にあったということである。関東地方の航空管制は埼玉県所沢の米軍ジョンソン基地が司り、その指令を羽田にいる米軍所属の管制員が中継して機長に伝えていた。しかも、日航は運行業務をノースウエスト社に任せきりで、「もく星」号機長も米国人だった。

で、問題はこの日、何があったかだ。離陸前、「もく星」号の機長に届いた指令は、驚くべきことに「館山通過後十分までは高度二〇〇〇を維持して下さい」だった。館山から大島までは8分しかかからないから、これだと「衝突は必至」。機長はただちに「低すぎる」「何かの間違いではないか」と言い返している。機長は日本での飛行時間がまだ70時間だったというが、東京付近の空に不案内ではなかったことがわかる。

このときは、機長に呼応してノースウエストの羽田駐在員も抗議、それが管制塔経由でジョンソン基地に伝わり、基地は訂正の連絡をしてきたという。だから不思議なのは、2000フィートを「低すぎる」と強く認識していた機長がその高度で大島に向かったことだ。

もう一つの謎は、「もく星」号の消息が途絶えてからのドタバタだ。羽田離陸から半日ほど過ぎた午後3時、運輸省の外局である航空庁が、米軍横田基地から入手したとされる情報を発表した。それによると、日航機が静岡県舞阪沖で遭難、海上保安庁の船と米空軍機が現場へ急行したが、霧が立ち込めていてなにも見つかっていない、という。この情報はまもなく、「機体は海中に没し、尾部のみが見える」と更新された。

一方、3時15分には、これと食い違う話が伝わってくる。航空庁の板付分室が米軍から聞いたという情報だ。「もく星」号が静岡県浜名湖の南西16kmの海面で見つかり、乗客乗員全員が米軍の手で助けられたというのである。その25分後、国警静岡県本部も、同じ情報の詳細を発表する。機体を発見したのは「米第五空軍捜索機」であり、「米軍救助隊」が派遣されて乗員乗客をすべて救いあげたが、その船の入港先は不明とのことだった。

二つの情報を見比べると、遭難地点は概ね合致している。舞阪(現・浜松市)は浜名湖に面した町なので、ザクッと言えば現場は浜名湖に近い遠州灘ということだ。ただ、乗客乗員が無事なのかどうかは決定的に違う。現場は混乱した。海と空から捜索が続いたが、機体は見えない。米軍掃海艇2隻が全員の救助に成功したとの情報も浮上したが、夜になって当の2隻からそれを否定する連絡があり、「搭乗人員全員が絶望視されるに至った」という。

この混乱は、乗客家族の悲しみを倍加することになった。乗客の一人、大手製鉄会社の社長の場合はどうだったか。「全員救助」の知らせを受けると、息子と娘が製鉄会社関係の4人とともに車で静岡方面へ向かった。「フルスピードで走る車の中で六人の心は喜びにはずんでいた」と、著者は推察する。どの家族も当日は根拠のない情報に踊らされ、翌日、正反対の真実を突きつけられて目の前が真っ暗になったのだ。それは、罪深い虚報だった。

二つの虚報は、いずれも米軍から届いたとされる。だが、米軍が意図して嘘をついたようには見えない。遭難機発見という虚偽の事実を言いふらしても、機体はいずれどこかで見つかるだろうから嘘はすぐばれてしまうではないか――。私などはそう考えたが、著者の推理はちょっと違う。その答えは、ここでは明かさない。この虚報の謎と飛行高度の謎とを重ね合わせ、もしかしたらそうかもしれないという可能性を指摘したとだけ言っておく。

興味深いのは、著者がこの虚報を「謀略」とはみていないことだ。謀略なら、それは周到に練りあげられた攻めの情報操作だろう。ところが、世の中には不都合なことを取り繕うための守りの情報操作もある。近年は、後者のほうが多いように思える。この一編には「謀略が無かったから、本題の『日本の黒い霧』たり得ないか、というとそうではない」という言葉がある。著者清張は、フェイクニュースの時代を予感していたとは言えないか。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年12月25日公開、通算554回
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