安吾が描く傷痍軍人がいる風景

今週の書物/
『復員殺人事件』
坂口安吾著 河出文庫、2019年刊

負傷

戦後を生きたということは、いくぶんかは戦前戦中を生きたことである。最近よくそう思う。私は「戦争を知らない子供たち」世代だが、こんな思いを抱いてももはや違和感がない。戦後世代が戦争の語り部を担うべき時代になったということか。

ここで言う「戦後」は狭義で、戦争の臭いが残っていた時代ということだ。西暦でいえば1950年代まで、あるいは60年代前半も含めて64年の東京オリンピックころまでか。私は50年代初めの生まれだから、自身の幼少期がこのなかにすっぽり収まる。

幼いころ、私の記憶には戦争の名残がいくつか刻まれた。その一つが、傷痍軍人のいる風景だ。たぶん、若い人からは「何のことか」という反応があるだろう。子どもが大人に連れられて盛り場に出かけると、必ずと言ってよいほど傷痍軍人を見かけたものだ。

たとえば、東京・渋谷。私たちの家族は井の頭線を使って渋谷に出ていたので、改札を出てから高架の通路を歩き、ハチ公前付近で地上に降りたのだが、このときいつも通る階段があった。窓はなく、薄暗い。踊り場にはいつも、白い服を着た男性が座り込んでいた。「怖そうなおじさんだな」。子ども心にそんな印象をもった。大人たちも、見て見ぬふりで通り過ぎていくことが多かったように思う。その白衣の人物が傷痍軍人だった。

その人は手足の一部が義肢だったと記憶するが、はっきりとは思いだせない。アコーディオンで軍歌かなにかを奏でていたような気もするが、それも定かではない。おそらくは母親が耳もとで「あのおじさんは、戦争でけがをしたのよ」とささやいてくれたのだろう。私は「しょういぐんじん」という言葉を覚えた。「へいたいさん」が手や足を失う「せんそう」という修羅場が近過去にあったことを、こうして感じとったのだ。

街角の傷痍軍人たちはたいてい、足もとに箱を置いて金銭を求めていた。軍役による傷病者ならば、これは支援カンパを募る正当な行為にほかならない。ところが現実には、哀れみを乞う人のように見られていた。偽装が疑われている気配さえあった。総じていえば、世間はあの人たちに冷たかったのだ。日本社会が軍国一色から平和一色に反転したことで、人々はこの国に軍隊が存在していた事実までなきものにしたかったのではないか。

で、今週は『復員殺人事件』(坂口安吾著、河出文庫、2019年刊)。著者(1906~1955)は、言うまでもなく、戦後文壇の一角を代表する無頼派の作家。純文学だけでなく、推理小説も手がけた。後者では「不連続殺人事件」が有名。本作もその系譜にあるが、未完のままだった。1949~50年、「座談」誌(文藝春秋新社)に連載されたが、同誌廃刊で途絶えてしまったのだ。それなのに私が手にとった本書は、見事に完結している!

いきさつは、本書巻末に収められた江戸川乱歩の一文が詳しい。著者没後の1957年、乱歩と荒正人、高木彬光の3人が民放ラジオ局の座談会に居合わせた。そこで「復員…」の中断が話題にのぼり、高木が作品を仕上げることになった。それで書き継いだ部分が1957~58年に旧「宝石」誌(宝石社)に掲載。本書では全30章のうち第20章から最後までが高木の手になる。このとき、原題は「樹のごときもの歩く」と改められていた。

改題の理由を、乱歩は「復員…」が「もう季節はずれになっていた」と説明している。この感覚はよくわかる。人々が傷痍軍人に見て見ぬふりしているのを私が現認したのも、ちょうどそのころだ。世間は戦争を封印したかったのだろう。たしかに「樹のごときもの…」は、推理小説の題名として思わせぶりで秀逸だ。ただ、今の私たちはこの作品から戦後の空気を感じとりたいと思っている。だからこそ、本書も原題のほうを選んだのだろう。

中身に入ろう。ミステリーなので筋は追わない。小説の枠組みだけを素描しよう。舞台は、神奈川県小田原市にある富豪の邸宅だ。当主の倉田由之は「海道筋で屈指の成金」。中学校で武道を教えていたこともあるが、ブリの定置網漁で大もうけして漁船20隻余を抱える大船主になった。1947(昭和22)年夏の時点で、邸には長男の妻、長女一家、次女と三男が同居。さらに由之の元教え子が雇人として、その家族ともども住み込んでいた。

長男の公一とその息子は1942(昭和17)年1月、海釣りからの帰宅途中、鉄道線路で轢死。遺体に不審な点があり、警察は殺人事件とにらんだが、迷宮入りしていた。長男の妻は夫と息子の死後も倉田家に残り、今は義父由之と男女の関係にある。

1947(昭和22)年9月、この一族に予期せぬ出来事が起こる。「ヨレヨレの白衣をまとうた一人の傷痍軍人が倉田家の玄関に立っていた」。その男は右手と左足を失っており、両目を失明、鼻や顎は原形をとどめず、声も出せなかった。応対に出た雇人の娘は「物乞い」と見てとったが、「傷痍軍人」はなかなか引き下がらない。1942年に召集され、戦地にいた次男安彦(30)が復員してきたということらしいが、見た目だけではわからない。

そもそも安彦には謎があった。出征は兄親子が不審死した直後だったが、このとき日記を妹である次女美津子に預け、自分が戦死したら開けるように言いおいていた、と美津子は証言する。包みの表書きには「マルコ伝第八章二十四」の文字があったという。日記は厳封のまま美津子が保管したが、いつのまにか消えていた。「マルコ伝」は新約聖書に収められた福音書で、「第八章二十四」には「樹の如きものの歩くが見ゆ」という文言がある。

現れた「傷痍軍人」は本物の安彦か。安彦ならば兄親子の不審死事件の秘密を握っているのか。この物語はまず、そんな謎解きに読者を誘う。そして、倉田一族を新たに襲う連続殺人事件……。探偵役は巨勢(こせ)博士。安吾作品では「不連続…」に続いての登場だ。年齢は30歳前後。「ホンモノの博士にあらず」と、巻頭「登場人物」欄にある。その相棒役が一人称の「私」。矢代という小説家で、巨勢からは「先生」と呼ばれている。

当欄は今回、最初の問い「本物かどうか」に的を絞って作品を読み返してみよう。

本物説の有力証拠は手型だ。美津子によれば、安彦からは日記とともに手型も預かっていた。「遺品」代わりのつもりだったらしい。美津子は「傷痍軍人」の健在の左手から手型をとり、「遺品」と一緒に巨勢事務所に持ち込んだ。巨勢は両者が一致する、と断定した。

ところが、これには反証が出てくる。雇人が「傷痍軍人」の入浴を手伝ったときに背丈を測ると、安彦より6分(約1.8cm)低かったというのだ。雇人によれば、身長計には安彦が出征2年前に計測した結果が記されているという。巨勢の鑑定と雇人の証言は完全に背反する。これをどう説明したらよいのか。手型の紙がすり替えられたのか、あるいは身長計の記録が捏造されたものなのか。なんらかの作為があったとしか思えない。

この話には、ツッコミも入れたくなる。たしかに1940年代のことだから、DNA型鑑定はありえない。ただ当時でも犯罪捜査に指紋鑑定は使われており、それを活用すれば本人確認ができたはずだ。そう考えると、この推理小説はリアリズムの立場では語りえない。

実際、終戦後に帰還した傷痍軍人で、外見による本人照合ができず、赤の他人の家に居つくことになったという人はおそらく皆無だろう。もちろん、そういう物語を創作することはできる。純文学なら、人間の自己同一性(アイデンティティー)を考える契機になる。エンタメ文学なら、本作のようにミステリーの仕掛けにもなるだろう。ただ私には、傷痍軍人から戦争のリアリズムを抜き去ってしまうことにためらいがある。

この小説の「傷痍軍人」は、彼が安彦であれ、安彦のなりすましであれ、人々から疑心暗鬼の目で見られた事実に変わりない。戦地に向かうときは小旗をうち振ってくれたのに、傷ついて帰ってくればよそよそしい。戦争とはなんと冷酷なものかと改めて思う。
☆引用箇所にあるルビは、原則省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年11月17日公開、通算704回
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