あるべきものがあるアメニティ

今週の書物/
『歴史的環境――保存と再生』
木原啓吉著、岩波新書

町並み

この季節、古巣の新聞社から元社員にも届く「社内報」は、新入社員の顔であふれ返る。入社式での決意表明、横顔紹介……。紙媒体を背負いながら、デジタルメディアを切りひらく。そんな大仕事が、この人たちには待ち受けているのだ。大変な時代によくおいでいただいた――古巣を代弁して、正直そう思う。私が入社した45年前は新入社員、とりわけ編集部門の新米記者が業界の行く末を心配することなど、ほとんどなかった。

あのころ、新聞記者を志す者の多くには、記事を書くことで世の中を変えたいという野心があった。それは、私利私欲とは別ものだったと言えよう。記者の給与は悪くはなかったが、生活の安定をめざすなら別の業界があった。記事はほとんど無記名だったから、目立ちたがり屋の下心をくすぐることもない。金銭欲でもない。売名欲でもない。ただ自分の記事で社会に一石を投じたかったのだ。今思えば、傲慢なことではあるのだが……。

では、私は世の中をどう変えたかったのか。理系教育を受けたので、応募書類には科学部門を希望する旨を記したが――そして実際に科学記者になったわけだが――当時の関心事は科学ではなかった。若者には左翼志向が強い時代だったが、私にはそれもなかった。入社試験のグループ討議で「幸福とは何か」という課題が出され、「幸福」を社会主義思想に結びつけて論じる受験者が目立つなかで、私はその議論に乗らなかった。

では、私がグループ討論で「幸福」の代名詞として挙げたのは何だったか。それは「アメニティ」だ。この言葉は直訳すれば「快適さ」ということになるが、1970年代には都市景観を語るときのキーワードになりはじめていた。そのころ、私が暮らしていた東京郊外は雑木林や畑地の緑が宅地などの開発で一掃されつつあったが、その変遷を目の当たりにして都市の心地よさとは何だろうかという問題意識を抱いていたのである。

「アメニティ」は、都市問題の専門家によって“The right thing in the right place”と表現されることがある。日本語にすれば「あるべきものがあるべき場所にある」ということだ。私はグループ討議で、この発想に立って議論を展開した。駅前の広場に大きな樹木が1本、葉を繁らせている。その木陰では老人が一人、ベンチに腰かけている。周りでは幼子たちが遊んでいて、いつのまにか老人と友だちになる。そんな光景に幸福はある――と。

で、今週の1冊は『歴史的環境――保存と再生』(木原啓吉著、岩波新書、1982年刊)。著者はこの本の刊行時、千葉大学教授。略歴欄には「環境政策・都市政策」専攻とある。ただ、本人が「あとがきに代えて」で打ち明けているように、1981年まで30年近く朝日新聞記者だった。1970年代には歴史的環境の保存再生問題を連載記事にしていた。私は学生時代、それを熟読した。「アメニティ」という言葉は、その記事で知ったのである。

記事が連載されたころ、著者は「環境問題」担当の編集委員だった。あの当時、「環境問題」と聞いて地球環境を思い浮かべる人は少数派。私たちの頭にまず浮かんだのは、高度経済成長の裏側で進行した公害だった。次いで開発がもたらす自然破壊が批判され、ついには町並みが壊されることにも目が向けられるようになった。ここに至って「歴史的環境」という概念が確立する。著者は、この流れをいち早くつかみとったジャーナリストだった。

では、歴史的環境はアメニティにどう結びつくのか。著者はこの本で、英国の著名な都市計画家ウィリアム・ホルフォードの考え方を紹介している。それによれば、アメニティとは“The right thing in the right place”の心地よさをつくる「複数の総合的な価値のカタログ」であり、そこには「歴史が生み出した快い親しみのある風景」も含まれる。アメニティを重んじる思想は、英国では「住民共通の血肉化した価値観」になっているという。

そのことは、英国の「ナショナル・トラスト運動」をとりあげたくだりを読むとよくわかる。ナショナル・トラストはロンドンに本拠を置く民間団体で1895年に設立された。「国民自身の手で」「自然や歴史的建造物」を「保護管理する」ことをめざしている。そのために、当該不動産を譲り受けたり買い取ったりする。1982年時点の会員は約104万人、会費は年10ポンド(当時の円換算で5000円弱)であると著者は記している。

その「資産目録」には、「森林」「草原」「荒地」「湖沼」に交ざって「遺跡」「古城」「教会」「修道院」「領主館」もある。「農地」「牧場」「公園」「庭園」もあれば「水車小屋」「納屋」まである。自然の産物か人工物かを問わず、風景に価値を見いだしているのだ。

この本は、文化遺産の守り方が第2次大戦後の経済成長期に一変したことを強調している。単体の建物を「点としての文化財」ととらえるのではなく、建物の集まりを「面としての歴史的環境」とみて重んじるようになった。この変化は洋の東西に共通するという。

国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の設立につながる1964年の「ベネチア憲章」は、歴史的記念物は「単一の建築作品」だけではない、と明言した。「特定の文明」や「事件の証跡」などを具えた「都市や田園の環境」も含むというのだ。著者によれば、これは「草の根の庶民の生活する生活環境こそが歴史的環境」とみる思想をはらんでいる。水車小屋や納屋のある風景を歴史的環境とみなす考え方とも、軌を一にしているといえよう。

点ではなく面を、という発想は私にもしっくりくる。そのことを痛感したのは、東京・国立競技場の建てかえ問題だ。最初に選ばれた案は「単一の建築作品」としては斬新で、魅力もあった。だが、それが彼の地にふさわしいかどうかは別の話だ。そこには1943年の学徒出陣壮行会という刻印がある。1964年東京五輪の記憶もある。戦争と高度成長の残影のなかに新競技場を置いてみる、という発想はあまり感じられなかったように思う。(*)

この本で見逃してならないことは、もう一つある。歴史的環境の保存再生では「再生」の比重が大きいということだ。たとえば、ドイツ(この本では「西ドイツ」)南部の小都市ローテンブルクは「中世以来の町並みを、ほぼ完全な形で復元した」。第2次大戦末期の空襲で市内の建物は半分近く失われたが、それを元に戻したのだ。背景には「中世以来、たびたび戦火を受けて」「復元をくりかえしてきた」市民たちの伝統がある、と著者は言う。

これを読んでわかるのは、「面としての歴史的環境」の尊重が1960年代に叫ばれた理由だ。古来、町や村は戦火や大火で幾度となく破壊の憂き目に遭ってきた。ただ、そのたびに元と変わらない風景が再現されたのは、建築土木の技術革新が緩やかだったからだろう。ところが20世紀、壊れた建造物は、放っておけば鉄とコンクリートと新建材のかたまりに置き換えられる宿命にあった。意志をもって「復元」する必要が出てきたのだ。

この本では、長野県にある中山道の宿場町、妻籠宿の「復元」も詳述されている。妻籠は町並み「保存」の成功例と言われることが多いが、実は「復元」の側面があった。1967年、建築史学者太田博太郎氏のグループが町並みの現状を調べ、聞き取り調査もして、古文書や古図を漁った。改造された家が多かったので、沿道の1軒ごとに住人と相談を重ねて図面を引き直し、「正面から奥行き一間をできる限り復元するようにした」という。

「復元」にからんで複雑な思いにかられるのは、この本に東京・丸の内の「三菱旧一号館」が出てくることだ。英国の建築家ジョサイア・コンドルの設計で、「飛鳥時代の法隆寺にも比すべき明治時代の代表的建築」(太田氏)とまで言われていた。ところが三菱地所は1968年、再開発のため、保存を求める声を押し切って解体した。著者はこの本で「建物のイメージを保存するような何らかの工夫」があるべきではなかったか、と批判している。

ところが2009年、驚くべきことが起こる。三菱地所が同じ場所に、旧一号館そっくりの「三菱一号館美術館」を建てたのだ。これも「復元」ではある。ただ、自分で壊して自分で元に戻すという自作自演からは、アメニティの思想よりも資本の論理を感じてしまう。

さて、新聞記者になってアメニティの記事を書きたい、という私の初心は実らなかった。だから今、一個人として叫ぼう。あるべきものはあるべき場所にあれ、と。
*当欄2021年7月23日付「1964572021の東京五輪考参照
(執筆撮影・尾関章)
=2022年5月13日公開、同月16日更新、通算626回
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ウクライナ、その肥沃な感性

今週の書物/
『現代ウクライナ短編集』
藤井悦子 オリガ・ホメンコ編訳、群像社ライブラリー、2005年刊

ボルシチ

このところ、ニュースはウクライナ一色だ。大義が見えないロシアの侵攻を目の当たりにして、世界の大勢がウクライナの味方になっている。当然だろう。きのうと同じきょう、きょうと同じあした……そんな日々を過ごしていた人々の眼前に突然、戦車が現れたのだ。砲弾が飛んできて、アパートにぽっかり穴を開けてしまったのだ。おびただしい数の生命が奪われた。数えきれないほどの家族が離ればなれになっている――。

そのウクライナを、私は一度だけ訪れたことがある。チェルノブイリ原発事故から5年後の1991年冬、旧ソ連のウクライナ、ベラルーシ、ロシアにまたがる被災地を駆け足で回った。勤め先の新聞社が、被曝による晩発障害のリスクがある子どもたちの医療支援を手がけようとしていたときで、その調査団に同行したのだ。主な訪問先は病院だった。日程がパック旅行のように組まれていたので、あの国の風土に浸ったとは言い難い。

ただ、首都キエフの空気感は忘れられない。ドニエプル川には氷が張っていたと思うが、モスクワ経由でやって来た身には心もち温かく感じられた。日差しが明るい。街の風景にも中世キエフ公国の名残らしきものがあちこちにあって、どことなく華やいでいた。

あのころ、私たちは記事を書くとき「ソ連チェルノブイリ原発」のように表記して、それが「ウクライナ」にあることは気にかけなかった。だが、当時のソ連ゴルバチョフ政権はペレストロイカやグラスノスチを合言葉に民主化を進めていて、連邦解体に向かう流れが強まっていた。キエフの街でも、独立運動を象徴する黄と青の旗(現・ウクライナ国旗)をよく見かけた。実際、その年の夏、ウクライナは独立を宣言したのだ。

ウクライナとロシアの間には深い溝がある。たとえば、ウクライナで1932~1933年にあった「大飢饉」(「ホロドモール」と呼ばれる)。ウクライナ政府は2000年代、これは旧ソ連スターリン政権の「強制的な農業集団化」と「過酷な穀物徴発」がもたらした人為的な飢餓状態であり、「集団殺害(ジェノサイド)」だった、と国際社会に向けて主張した。検証は必要だが、旧ソ連時代に語られなかった過去が表に出てきたとは言えるだろう。

ウクライナは肥沃な土壌に恵まれ、世界の穀倉地帯といわれる。その豊かさが統治者に目をつけられた。その結果、不作はただの不作に終わらず、穀物取り立てとの二重苦をもたらす――そんな逆説があったというのだ。人々が独立を求める気持ちもよくわかる。

で、今週は『現代ウクライナ短編集』(藤井悦子 オリガ・ホメンコ編訳、群像社ライブラリー、2005年刊)。ウクライナの現代小説16編を収めている。うち1編を除く15編は、ウクライナで1997年に編まれた短編小説集『暗い部屋の花たち』(全46編)の所収作品だ。この46編は1980年代初めから1990年代半ばまでに執筆されたもの。ウクライナ独立の1991年を挟む期間だ。ちょうど、私がキエフの空気を吸ったころと重なる。

当欄で最初に紹介しようと思うのは、「天空の神秘の彼方に」(カテリーナ・モートリチ)。この作品は、1930年代の大飢饉に見舞われた農村の様子を描いている。作中には「農業集団化」という用語や「スターリン」という人名が出てくる。公然と物語を歴史に結びつけているのだ。ウクライナの人々は旧ソ連時代も大飢饉の実相を脈々と語り継いできた――この作品の存在そのものが、そのことを実証しているのだともいえよう。

作品の書きだしは牧歌的な農村風景だ。「村中に霞がかかって、まだ穂の青い麦の上を覆っていた。その光景は川底に寝そべるなまずのようだった」。キジバトがいる。小夜鳴き鳥(ナイチンゲール)がいる。カッコウもいる。ただ、いつもの春とどこか違う。「井戸のはねつるべの音」も「どうどうと雄牛を駆り立てる声」もしない。馬が巻き上げる土埃も、牛たちが発する鳴き声もない。村にあるはずの「生命の息吹」がないのだ。

主人公はソロミーヤ。前日に出産したが、子は死んでいた。ベッドに横たわっていると「冬から春にかけて死んでしまった者たちすべての姿」が脳裏に現れる。祖父母、父母、そして二人の子。生きている家族は夫アンドリイだけ。自分の命も風前の灯火だ。

この物語で、ソロミーヤの「魂」は肉体から離脱して、自在にあちこちを飛びまわることができる。その「魂」は、放浪する夫を見いだして舞い降り、3人目の子が死んだことや子どもたちが庭先に埋葬されていることを告げる。「みんなソロマハに殺されたの」

復活祭の前日、生き残っている村人たちが呼び集められた。全員、「この者たちは《増産目標》を遂行しなかった」と書かれたプラカードを首から吊るしている。このあと「家畜の群れ」のように村から追われる。そもそも「やっと命をつないでいる」状態だったので、次々に息絶えていった――このとき鞭をふるって村人を追いたてたのが、フェーディル・ソロマハだ。これはすべて、村役場から通達された「上からの命令」によるものだった。

ここで心にとめたいのは、ソロマハ自身も村人の一人だということである。モスクワから派遣された役人ではない。彼は「革命」に貢献したという名目で村人の見張り役の地位を得た。家々の煙突に煙があがれば即座に駆けつけて、竈に水を浴びせ、パン生地を床に叩きつけた。少年時代に虐待めいた扱いを受けた神父には追放処分で復讐した。支配される側の内部に監視の目を置く――独裁政治によく見られる構図ではある。

この物語には、えっ、そんなことが……と驚く劇的な展開があるのだが、だからこそ筋には触れないでおく。ただ一つヒントを言えば、ソロミーヤの「魂」が話の中心にある。この作品は、旧ソ連の生産本位の唯物的価値観にウクライナの「魂」を対置させている。

もう一編、私の心を強くとらえた小説をとりあげよう。「新しいストッキング」(エウヘーニヤ・コノネンコ)。「天空の神秘…」が土臭いのに対して、こちらは都会的だ。若い夫婦と夫の母が織りなす家族の力学に毒をまぶしてある。私は、これを読んだときに、失礼ながら橋田壽賀子ドラマと向田邦子ドラマを足して2で割ったような作品だな、と思った。ウクライナの人々の気質は、どこか私たちのそれに通じているのかもしれない。

話の導入部だけを書いておこう。夫の母はいま入院中で、手術しか治療の手だてがない病状だった。当時のウクライナには、執刀するにあたって相当額の謝礼を求める外科医がいたらしい。だが、母は「ソ連では治療代はかからないことになっている」と言い張って、貯金を取り崩す気がない。自分は「労働組合の古株」だ、「学術功労者」だ、「表彰状」もある――そんな強みを数えあげて、息子が医師にかけ合うよう仕向ける。

それで、息子は外科医を訪ねた。だが、外科医には謝礼の要求を引っ込める気配がない。「有り金はたくという額ではないと思いますがねえ」。そう言ってはばからないのだ。ただ、予想外の代案も提示してきた。場合によっては「極上のコニャック一瓶」でもよい、と言いだしたのだ。「ただし、そのコニャックは、あなたの美人の奥さんにわたしの家まで届けてもらいましょう」「お宅に?」「そうです」。――翌日夜、ひとりで待っているという。

このあと、この家族にどんなことが起こるかが、この小説の読ませどころだ。そこには「妻やパートナーならいくらでも取り替えがきく」「母親はこの世にたったひとりしかいない」と信じて疑わないマザコン男がいる。息子に向かって「あの女はおまえをうまくたらしこんで結婚したのよ」と陰口を言う姑がいる。そして、息子の妻と外科医がとった行動は……。この家族劇からは、橋田ドラマ風の嫁姑と向田ドラマ風の男女がともに見えてくる。

この短編集を読むと、ユーラシア大陸の真ん中に、私たちが知っている欧州とは異なるもう一つの欧州が健気に存在していることに気づく。たぶん、両者の差異が私の心をとらえるのだ。ウクライナ――その希少な風土がいま他国の戦車に踏みつぶされようとしている。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年3月18日公開、通算618回
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今ここの宇宙論という哲学

今週の書物/
『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』
伊藤邦武著、ちくまプリマー新書、2019年刊

無限?

今風の起業で財を成した富豪が自腹を切って地球を飛びだす。そんなニュースが去年相次いだ。一般人が宇宙を旅する時代はもうすぐ、というとりあげ方が目立つ。

だが、待てよ、である。あの人たちが体験したのは本当に宇宙なのか? 宇宙は広大だ。地球は太陽系の一部であり、太陽系は我が銀河、即ち銀河系の一角にあって、銀河系は無数に散らばる銀河の一つだ。富豪たちが出かけたのは地球の庭先にほかならない。

逆に言えば、あの人たちは――ということは私たち一般人も――この世に生まれ落ちた瞬間から宇宙に存在しているのではないか。銀河系は宇宙の一要素であり、太陽系は銀河系の一かけらであり、地球は太陽系の一員だからだ。こんなことを言うと、へそ曲がりの小理屈だな、と揶揄されそうではある。でも私は、科学記者に珍しく、本気でそう考えてきた。宇宙開発を「夢だ、ロマンだ」ともてはやすことには違和感がある。

私たち人間は、だれもがみな、自分は今、ここにいると感じている。その〈今、ここ〉はどれも、宇宙の時間と空間のなかにある。宇宙は私たちの存在の土台なのだ。それが何かは、人間にとって切実な問題といえる。夢やロマンのようにふわふわしていない。

言葉を換えれば、宇宙は哲学のテーマである。実際、ギリシャ以来いつの時代も、哲学はときどきの宇宙観を人々に提供してきた。近世以降は自然哲学者や科学者によって提示される宇宙観が数式で理論づけられ、観測で裏打ちされるようになった。ただ、そんなこともあってか、宇宙の探究が私たちの〈今、ここ〉と切り離されてしまった感がある。そうならば残念なことだ。現代の宇宙観もまた、〈今、ここ〉と無縁ではありえない。

で、今週は『宇宙はなぜ哲学の問題になるのか』(伊藤邦武著、ちくまプリマー新書、2019年刊)。著者は1949年生まれの哲学者で、京都大学名誉教授。京都の風土に根ざして研究を重ねたせいだろうか、著書では、文理の垣根を超えて宇宙論も扱ってきた。

本書は、三つの章で組み立てられている。時代区分で言えば「古代」「近代」「現代」。第1章はギリシャ(本書の表記では「ギリシア」)哲学の宇宙観を振り返り、とりわけプラトンの天文思想に光を当てている。第2章の主役は、ドイツの哲学者イマヌエル・カント。近世に一新された宇宙観を近代の哲学者がどう受けとめたかを解説している。第3章では、ビッグバン宇宙論などの20世紀科学が哲学に与えた影響を浮かびあがらせている。

プラトンについては、その著『ティマイオス』の宇宙論が素描されている。それによると、デミウルゴスという神が「設計者」となった宇宙は「調和の世界(コスモス)」をめざしていたという。だが、現実の宇宙は究極のコスモスを実現しているわけではない。

恒星が散在する天空、即ち「恒星天」は「完全な球体」であり、星々も「最高度に完全な運動である円運動」をしているので、コスモスそのものだ。ところが、太陽や月、惑星の世界はこの球体に乗っていない。とはいえ、私たちが太陽や月を見て「季節」「日時」を認識していることでわかるように、これらにも「時間という秩序」のもとになる「数学的な比例構造」が組み込まれている。だから、宇宙は全体として調和している、とみる。

本書は、これをプラトン哲学のキーワード「イデア」に対応させる。イデアとは、現実の事物の「原型」であり「模範」でもある「完全な存在」だ。恒星天はイデアの「完全」を具現しているが、太陽や月、惑星はその「似像(にすがた)」や「影」の水準にあるという。

ギリシャの哲人は、宇宙にイデアを追い求めながらもその完全版は手に入れられず、一部は「似像」や「影」で満足しなければならなかった。これは、当時の宇宙観が天動説から脱け出せなかったからにほかならない。太陽系天体の扱いに手を焼いたということだ。

ところが近世になると地動説が強まり、天動説にとって代わった。本書によれば、カントがニュートン力学を哲学の側面から支える『純粋理性批判』(1781年)を執筆したころ、天文学は地球だけでなく、太陽系そのものも宇宙の中心から外して考えるようになっていたという。これは人間観も激変させた。人間は「宇宙の片隅のそのまた片隅の、非常に辺鄙(へんぴ)なところに生存する生物」とみなさざるを得なくなったのだ。

こうしたなかで、カントは「認識論的反省」を試みる。宇宙が「とてつもなく広い世界」であるならば「全体の大きさ」はどうなのか、宇宙が無限か有限かという難題に私たちは答えを見いだせるのか――こう問うた末にたどり着いた結論は「人間は、その理性の使用によっては、宇宙の無限・有限の問題に決着をつけることができない」というものだった。人間の「認識能力」に「制約」がつきまとうことを潔く認めたのである。

宇宙の時間について考えてみよう。著者の解説によれば、有限説の根拠はこうだ。もし宇宙に始まりの一瞬がなければ、それは物事の継起が無限に続くことを意味する。継起は「完結」しないということだ。そうなると、継起の完結時点である「現在」が成り立たない。

無限説はこうなる。もし宇宙に始まりの一瞬があるなら、宇宙は宇宙が存在しない「空虚な時間」に生まれたことになる。空虚が宇宙誕生の契機を宿すとは考えられない――。こうして、宇宙の時間をめぐる問いは二律背反(アンチノミー)に直面して頓挫する。

カントによれば、私たち人間にとっての「経験的世界」は「世界の事実の実相に迫った姿ではない」。それは「現象」であって「本物」ではないのだ。私たちにできるのは「世界の事物について時間的、空間的にその位置を特定し、その事物がどのように移動したり変化したりするかを因果法則という形式で表現する」ことである。人間は「時空の枠組み」と「因果性の概念」という「認識能力」をメガネにして世界を見ているに過ぎない。

興味深いのは、このカントの洞察が現代の宇宙論に思わぬかたちで示唆を与えていることだ。まずは、ビッグバン宇宙論に触れておこう。宇宙は大爆発(ビッグバン)で始まったという見方だ(*)。1960年代、その名残が宇宙背景放射として観測されたことで今や定説になった。宇宙には始まりがあったという宇宙観だ。カントの「認識論的反省」によれば答えを出せないはずの問題に、現代科学が正解らしきものを突きつけたのである。

ところが、話は一筋縄ではいかない。宇宙初期にはビッグバンに先だつ急膨張(インフレーション)があったとする理論が現れ、そこから、宇宙は一つではないという仮説が派生したのだ。本書は、インフレーション理論そのものには踏み込んでいない。ただ、宇宙が単一でなく、別の宇宙が「並行して存在」する可能性には触れていて、そのなかには私たちの宇宙より「時間的に先行」するものがあるかもしれない、と論じている。

これは、宇宙の始まりよりも前に宇宙があるという話だ。ビッグバン宇宙論によって、宇宙の時間の有限説が力を得たかと思いきや、次いで登場したインフレーション理論で無限説が巻き返した――。カントの洞察通り、人間はやはりこの問いに答えられないのか。

本書は終盤で、地球外生命探しの話題をとりあげている。そのくだりで著者は「人類の知性が生み出した科学や技術は、宇宙の中でどの程度まで普遍的で一般的なのでしょうか」と問いかけている。これは、人間観にかかわる哲学者の問題意識だろう。天文学では20世紀末以降、太陽系のほかにいくつもの惑星系が見つかり、地球外生命の現実感が高まっている。宇宙人探しは、もはや宇宙に夢とロマンを求める人たちだけのものではない。

この本を読むと、哲学者は物事を考えるとき、どこから先は知ることができないのかという視点も持ちあわせていることがわかる。ひたすら知ろうとする科学者との違いだ。私たちが科学本と併せて哲学本を読むことの意義は、そのあたりにあるのかもしれない。
*当欄2021年12月31日付「宇宙の最期か自分の最期か」参照
(執筆撮影・尾関章)
=2022年2月11日公開、通算613回
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オセローという欧州多様性の葛藤

今週の書物/
『新訳 オセロー』
ウィリアム・シェイクスピア作、河合祥一郎訳、角川文庫、2018年刊

オセロ

欧州は欧州だ。自己完結している。私たちは、そんな偏見から逃れられない。たとえば、欧州史といえば、古代のギリシャ・ローマ→中世のキリスト教→近世の絶対王政→近代の市民社会という図式が頭に浮かび、これは内発的な史的展開だと思いがちだ。

だが欧州も、折々に外から影響を受けている。11世紀から十字軍が中東に遠征して、イスラム世界と衝突した。13世紀には北東アジアからモンゴル帝国の西進があり、次いで小アジアからオスマン帝国が地中海一帯に進出してきた。15世紀に始まる大航海時代、今度は欧州人が支配域を広げ、世界中から多様な物品を取り込んだ。ティーを午後に楽しむのも、ポテトを主食並みの食材としているのも、この外部との接触があったからだ。

で、今週はさっそく本の話に入る。とりあげるのは、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『新訳 オセロー』(河合祥一郎訳、角川文庫、2018年刊)。沙翁(1564~1616)作品では四大悲劇の一つとされている。訳者あとがきによれば、原著初版が世に出たのは1622年。作者没後のことである。ただ、同じ作品と思われる芝居が1604年に上演されたという記録がある。この事実から、作者が執筆したのは1603~04年だろうとみられている。

1604年の上演記録にある題名は『ヴェニスのムーア人』。出版時の表題も『ヴェニスのムーア人オセローの悲劇』だった。「ムーア人」は、欧州人がアフリカ北西部の人々を指して言う言葉だ。この作品は、欧州人にとって異世界の人物を主人公にしているのである。

もう一つ押さえておきたいのは、これがどこの話か、ということだ。1カ所は、原題にある通り都市国家ヴェニス(ヴェネチア)だが、そこだけではない。全5幕のうち、ヴェニスの部は第1幕だけで、残りは地中海のキプロス島を舞台にしている。ヴェニスは1570年代、東方貿易の窓口であるキプロスをめぐってオスマン帝国と争い、現地に派兵していた。そのころの出来事らしい。ここでも作品は、異世界に片足を突っ込んでいる。

主人公オセローはムーア人だが、ヴェニスで勇敢さが買われ、「将軍」の要職に就いていた。対オスマンのいくさでは最前線のキプロスに赴くことになる。ヴェニスは東方の異邦人と戦うとき、南方の異邦人を指揮官に押し立てたのである。もちろん、この筋書きはフィクションだ。ただ心にとめておきたいのは、欧州では近世であっても、異民族が交じり合う物語が成り立ったということだ。半面、そこに摩擦も起こるわけだが……。

異文化摩擦の話に先立って、登場人物を素描しておこう。オセローは少年時代、奴隷に売られたこともある苦労人で、7歳の頃から戦場に出ていたという生粋の軍人だ。デズデモーナは、その妻になる人。ヴェニスの元老院議員ブラバンショーの娘で、オセローと恋に落ちた。オセローの旗手を務める軍人がイアーゴー。副官の座を争う出世競争でキャシオーという優男に敗れ、不満が募っている。そこで、いろいろと悪知恵を働かせる。

その悪巧みに巻き込まれ、そうとは知らず、手を貸してしまう人もいる。一人はイアーゴーの妻エミーリア。デズデモーナに仕えて、身の回りの世話をしている。もう一人はイアーゴーの友人、ロダリーゴー。デズデモーナに思いを寄せていた青年だ。

ここでは第一幕だけを紹介しておこう。第一場の冒頭では、イアーゴーがロダリーゴーを相手に、キャシオー抜擢の副官人事を腐し、自分にはオセローを敬愛する理由がないことを言い募っている。ロダリーゴーが「じゃあ部下なんか辞めちゃえば?」とけしかけると、「まあ、落ち着け」とたしなめる。「勤めはきちんとやってみせるが、心は自分のことに向ける連中もいる」「俺もその一人ってわけだ」――面従腹背の構えである。

イアーゴーとロダリーゴーは連れだって、ブラバンショーの邸にやって来る。二人は、夜更けだというのに「おーい」「起きろ、おーい」と大声をあげる。ブラバンショーが二階の窓辺に姿を現すと、イアーゴーは衝撃のニュースを告げる。オセローとデズデモーナが今まさに結ばれようとしている、というのだ。ブラバンショーは当初真に受けなかったが、邸内を探してみると娘の姿がない。「本当だった。何ということだ」と打ちのめされる。

こうして第二場では、オセローとブラバンショーが対面する。第三場では、公爵が元老院議員を召集して開く「閣議」で、オセローが「トルコ軍征伐」に派遣されることが決まる。デズデモーナも本人の強い意思があって、夫に同行することになるのだが……。

この戯曲には、今の私たちから見れば不適切な表現が多出している。「肌の色の違いによる人種差別」があからさまで「『白』を表す語(fair)が『美しさ』や『公平性』を表した一方、『黒』という色には『腹黒さ』や『穢れ』などの否定的な意味が籠められることが多かった」と、「訳者あとがき」にもある。訳者は「こうした当時の強烈な差別意識を理解したうえでなければ」「この作品の本質に迫ることはできない」と言う。

気は進まないが、本稿もその一端に触れておこう。第一幕第一場で、イアーゴーがオセローとデズデモーナの恋についてブラバンショーに告げ口するときの表現は「たった今、まさに今、老いた黒羊が/あんたの白い雌羊にまたがってる」(/は改行、以下も)。別の箇所でも、イアーゴーはオセローを「アフリカ産の馬」と揶揄している。当時の欧州社会に、対岸アフリカの肌が暗色の人々に対する差別意識があったことは歴然だ。

第一幕第二場でブラバンショーがオセローに投げつける罵りも、この差別意識に根ざしている。デズデモーナは「魔法」でもかけられなければ「ヴェニスの裕福な巻毛の美男子たちとの/縁談を断り」「貴様のような男の真っ黒な胸に――/喜びでなく恐怖へと――飛び込むはずがない」。娘がオセローになびいたのは「悪魔の力」のせい、と断ずるのだ。オセローの肌の色を異質なものとして嫌うだけでなく、悪魔に結びつけて排除しようとする。

この戯曲の凄いのは、その差別社会にオセローが毅然と対峙することだ。閣議の席で公爵から弁明を促されて、こう言う――。自分がデズデモーナを父親のもとから「連れ去った」のは事実であり、すでに「結婚」もしている。「私の罪はそれがすべてであり、それ以上では/ありません」と言い切る。そして、「私の情熱の罪」を「白状しましょう」と切りだして、自分がどのようにしてデズデモーナの心をつかんだのかを打ち明けるのだ。

その弁明によれば、オセローはデズデモーナに自身の身の上話を聞かせた。戦場で命拾いしたこと、奴隷となったが救いだされたこと、あちこち旅して洞窟や砂漠や山岳を回ったこと。「若かりし日の苦労を話しては、/しばしばその目から涙を絞りました」。それでデズデモーナは心を動かされ「私がくぐってきた危険ゆえに私を愛してくれる」。これが「魔法のすべて」というのだ。巧妙にも「魔法」という言葉を逆手にとっている。

まもなく、デズデモーナもこの場にやって来る。オセローが呼ぶように頼んだのだ。彼女は言う。「私がムーア様を愛し、共に暮らしたいと/思っておりますことは、後先顧みぬ私の/奔放な振る舞いで世間に知れました」。自身の意思で「ムーア様」、即ちオセローと結ばれたことを公言したのである。さらに「夫の名誉ある武勲」に「わが魂と運命を捧げております」と言って、自分もオセローとともに戦地へ行きたいと申し出る――。

閣議のくだりでは、ぜひとも引用したい台詞がある。公爵がオセローに弁明を求めたとき、それに同調する元老院議員が発した問いだ。「君は、この若い娘御の愛情を/密かに捻じ曲げ、毒で抑えつけたのか?/それとも、心を通わす会話をして/愛してもらうようになったのか」。これは、オセローの告白を先回りしている。異文化の間にも心の通いあいがあり、恋愛は成立する――そう考える人も16世紀の欧州にいたということだろう。

この戯曲を読んで思うのは、欧州の二重性だ。そこにはかつて、肌の色の異なる人を異種の動物であるかのようにみなす苛烈な差別社会があった。だが一方では、そういう異邦人を――キリスト教に改宗していたということもあるのだろうが――高位の職に登用する度量があった。それだけではない。異邦人が自らの心模様を語るとき、それに耳を傾ける人もいた。近代の価値観が確立する前の時代であっても、異文化共存の芽はあったのだ。

この戯曲は、後段で悲劇に転じる。きっかけは、オセローがイアーゴーの奸計によって、自分はヴェニス社会では「他者」に過ぎないと思わされたこと、と訳者は分析している。私自身はそうは感じなかったのだが、この悲劇はやはり異文化摩擦の帰結だったのか?
*引用箇所にあるルビは原則として省いた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年10月1日公開、通算594回
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疫病で人類が入れかわるという話

今週の書物/
『赤死病』
ジャック・ロンドン著、辻井栄滋訳、白水uブックス、2020年刊

アフターコロナという言葉をよく耳にする。だが、ワクチンが登場すればウイルスも変異する、というイタチごっこを見ていると、人と人とが距離を置くこと以外に鉄壁の感染予防策が見当たらない病に本当のアフターはあるのだろうか、と思ってしまう。

とはいえ、コロナ禍もいつかは収束するだろう。収まり方には、いくつかのパターンが考えられる。一つは、ウイルスの主流が人間の生命を脅かさない平和共存型に変わっていくという筋書きだ。ウイルスは感染先の生体のしくみを借用して増殖するので、その生体が安泰であるほうが都合よい。だから、この筋書きは十分にありうると思うが、それには進化論的な時間がかかる。ウイルスの世界では進化の所要時間が短いことを願うばかりだ。

もう一つ、治療用の特効薬が現れて、この感染症がふつうの病気になるという道筋もある。人類は20世紀後半、生命の遺伝情報をDNA(デオキシリボ核酸)やRNA(リボ核酸)の塩基配列として読み取ることを覚えた。今の科学者は、新型コロナウイルスの塩基配列を見極めている。病原体の正体を見抜いているということだ。だから、特効薬の開発は大いに期待できるが、それにどのくらいの歳月がかかるかはわからない。

最悪のシナリオもある。ウイルスが邪悪なものへ変異することだ。さきほど、ウイルスの主流が平和共存型になる可能性があると言ったのは、あくまで長い目で見たときのことだ。遺伝子の変異は偶然に左右されるから、短期的には悪い方向に向かうこともある――。

で、今週は『赤死病』(ジャック・ロンドン著、辻井栄滋訳、白水uブックス、2020年刊)から、表題作の中編小説を読む。著者(1876~1916)は米国サンフランシスコ生まれの作家。『野性の呼び声』(『荒野の呼び声』の邦題も)など、大自然を舞台とする作品が有名だが、社会派でもある。自身も缶詰工場で働き、漁船に乗り組み、新聞の特派員になるなど多彩な職種を経験した。日露戦争のころ、日本にも取材で訪れている。

この本は、その社会派としての一面が感じられる作品を収めている。人類の行方に思いをめぐらせたSF風小説2編とエッセイ1編。表題作は2010年に単行本(新樹社刊)として邦訳されたものが底本だが、原著は1910年に発表されている。だが、小説の時代設定は2073年。一人の老いた男が孫たちに60年前、2013年に勃発した疫病禍について語るという仕掛けだ。コロナ禍の到来を100年前から見抜いていたようにも思えるではないか。

その疫病が、赤死病(scarlet plague)である。2013年夏、ニューヨークに「わけのわからない病気」が出現する。その病態を老人の話をもとに描けば、こうなる。患者は、鼓動が速まり発熱、顔面や体表に「まっ赤な発疹が」「野火のように広がる」。痙攣が起こり、それが収まったかと思うと、しびれが下半身から上半身に昇ってきて「心臓の高さにまで達したとき、そいつは死んでしまう」。この間、わずか15分ほど、という速さだ。

同じように文学作品が想定した架空の病として、すぐに思い浮かぶのは「チェン氏病」だ。カレル・チャペックの戯曲『白い病』(阿部賢一訳、岩波文庫)に出てくる。皮膚に「大理石のような白斑」が現れ、死に至ることが多いという疫病だった(当欄2021年7月9日付「チャペックの疫病禍を冷静に読む」)。ただ、その「白い病」発表は1937年。1918~19年のスペイン風邪大流行よりも後だ。「赤死病」の着想は、それよりも早い。

書きだしの一文に「道は、その昔盛り土をして鉄道線路が走っていたところに続いていた」とある。一瞬、赤字ローカル線の廃線敷が見えてきたのかな、とも思う。だが、登場人物のいでたちを知って、ローカルな問題ではないとわかる。体を覆っている「衣服」が、老人は「やぎの皮」、少年は「熊の皮」。まるで原始人ではないか。少年は眼光鋭く、嗅覚も聴覚も敏感のようだ。実際、弓矢を手にしていて狩猟生活を送っているのである。

これだけの話でも読みとれるのは、この作品では、2013年の赤死病禍によって世界の風景が一変したということだ。ビフォーには工業化社会があった。ところが、赤死病禍をくぐり抜けると人類史は初期化され、アフターでは原始生活に戻ってしまう――。

冒頭に廃線敷を振ったのは、作品が構想されたのが20世紀初めだったからだろう。著者が100年先を見通して2013年の文明を代表するものとして思い描けたのは、鉄道くらいだったということだ。ただ、現実に2013年を通過した私たちにとって鉄道は古すぎる。

私たちが今、2013年を象徴するものは何だったかと訊かれれば、まちがいなくスマートフォンと答えるだろう。悪趣味になるが、作品冒頭の文をそっくり書き換えればこうなる。「道端のあちこちに横たわる白骨死体の手には、なぜか決まって板切れのような物体が握られていた」――。この100年余の文明の飛躍は大きい。100年前にはIT(情報技術)やAI(人工知能)に支えられた社会など、想像すらできなかっただろう。

ただ、著者も現代技術の一端を先取りしている。老人は2013年の世情を語るなかで「空には飛行船があった――気球や航空機が」と言っている。ライト兄弟の初飛行が1903年だから、飛行機は執筆時にもあったが、それが空を賑わすことまで予想していたのである。

ITへの流れも予感していたように見える。老人によれば、赤死病禍がニューヨークで勃発したというニュースは「無線電報」で広まった。これは、新聞の電信記事を指しているのだろう。「その頃、わしらは空中を通じて話をしておった。何千マイルも離れてな」

著者は、現実の2010年代の様相をある程度取り込んでいたとみるべきだろう。この作品では、凶悪な疫病禍が人類を初期化したわけだが、同じ構図が現実の21世紀社会で成り立たないとはいえないのだ。人類は原始時代に引き戻されるかもしれない。そんな暗い未来図――ディストピア――にも思いをめぐらすことが、この作品の読み方の一つだ。ではまず、赤死病がなぜ、人類の初期化を起こしてしまったのかを考えてみよう。

最大の要因は、感染拡大のすさまじさにあるのだろう。この作品では、赤死病患者は死に至ると同時に死体が「見るみるうちに粉みじん」となり、飛散する。その結果、「病原菌のすべてが、たちどころに自由にされてしまう」。菌がまき散らされた後の感染経路までは説明されていないが、おそらく空気感染などで広がるのだろう。今どきの用語で言えば、実効再生産数は1を超えて途方もなく大きくなっていたに違いない。

こうして、人類は絶滅寸前となる。老人は「わしの見当では、現在の世界の人口は三百五十から四百人」と言う。米西海岸に散在する部族の規模から推し量った人数だ。米東部からは「何の消息や気配も届いていない」。老人にとって「少年時代や青年の頃に知っておった世界は、もうなくなってしまった」のである。現代人らしい現代人は、技術文明がぷっつり途絶えるとともに姿を消した。いわば、人類がそっくり入れかわったと言ってもよい。

人類が初期化されると、技術文明を失うだけではない。老人が、自分は2013年当時カリフォルニア大学バークリー校の教授で、英文学の講義をしていたという話をすると、孫の一人が「ただ喋って、喋って、喋るばっかりだったのか?」と訊いてくる。愕然とするのは、次のひとことだ。「誰がじいさんのために肉を狩りに行ったんだ?」――人類が歴史を刻むたびに強めてきた分業体制の概念が、ここではまったく通用しなくなっている。

老人は分業社会を批判的に説明する。「わしら支配階級の者が、すべての土地、すべての機械、何もかもことごとく所有しておった」「食べ物を手に入れる者たちは、わしらの奴隷だった」。著者は社会主義を支持していたから、原始共産制への共感がこう言わせたのか。

人類の初期化では、人間の世界観もやせ細ってしまう。そのことを痛感する場面もある。老人が赤死病について縷々語っていると、孫の一人が「その病原菌ってやつを見れやしないんだろ、じいさん」とツッコミを入れ、「見れないものなど、ありゃあしねえ」と畳みかけてくる。原始の世界観では、見えるもの、聞こえるもの、におうもの、触れるもの、味がするものだけが頼りだ。知的作業で世界を押しひろげることができない。

本稿のまくらにも書いたように、私たちは今、コロナ禍の病原体を突きとめている。それは、細菌よりもずっと小さなウイルスだ。当然、肉眼では「見れない」(ら抜きを改めれば「見られない」)が、電子顕微鏡で可視化できる。それだけでなく、その遺伝情報まで解読できるようになった。これは、人類が蓄積してきた知の成果といえる。ただ、もしも絶滅寸前にまで追い込まれれば、同じ知をもう一度、最初から積みあげなくてはならない。

新型コロナウイルスがさらに邪悪な方向へ変異して、万一、感染の拡大速度や致死率が赤死病並みになれば、そんな最悪の事態すら想定しなくてはならなくなる。私たちの行く手に人類史的な難所が待ち受けていないとも限らないのだ。そのことは心にとめておきたい。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年9月24日公開、通算593回
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