今週の書物/
「妻の女友達」
=『妻の女友達』(小池真理子著、集英社文庫、1995年刊)所収
コロナ禍の3年間にもっとも存在感を示したのは、「家」かもしれない。家といっても、社会のあちこちに残滓が残っている家制度のことではない。入れものとしての家だ。戸建てであれ、集合住宅であれ、外部世界を物理的に遮断した空間のことである。
新型コロナウイルス感染症が広まりだすと、「ステイホーム」が叫ばれた。高齢者だけではなく働き盛りの世代まで、なるべく家にとどまるように促された。在宅勤務が推奨され、「テレワーク」「リモートワーク」も広まった。家が生活の主舞台となったのだ。
買いものも外食も極力控えた。それでふえたのが宅配サービスだ。通販で買ったもの、デリバリーを頼んだものが家に届けられる。その結果、「置き配」が日常化した。配達人は玄関先に物品を置いて帰る。支払いも今はデジタル決済で済ますことができるから、直接の受け渡しがなくとも用は足りた。コロナ禍の脅威が高まり、人と人の接触を減らすことが叫ばれていた一時期、私たちは貝が殻に身を潜めるように家に籠ったのだった。
ただ、家が閉鎖空間の性格を強めたときでも、その内側には多彩な社会が存在した。そこにあるのは、社会の最小単位としての家庭だ。夫婦二人ということがある。夫婦に子が一人もしくは複数という構成がある。親一人に子がいるというパターンがある。老老介護のような高齢者世帯がある。そして、独り住まいの家庭も少なくない。私たちはコロナ禍によって内向きに暮らしたことで、いつになく家庭を意識したのではないか。
それでふと思うのは、今は家庭がとらえどころないということだ。家庭が多様なのは昔も変わらない。私が幼かったころは戦争が終わって間もなかったから、寡婦や父のない子もあちこちにいた。だが、それでも当時の人々には、家庭らしい家庭というものに固定観念があった。父がいて母がいて子どもがいる、ときには子の祖父母もいる――そんな絵に描いたような家庭像を描くホームドラマが、ラジオやテレビにあふれ返っていた。
で、今週の一編は、そんな家庭像がまだ辛うじて有効だった時代に書かれた短編ミステリー。小池真理子の「妻の女友達」だ。同名の短編集(小池真理子著、集英社文庫、1995年刊)所収のものを読む。この作品は1989年、日本推理作家協会賞(短編部門)を受けている。1989年といえばバブル経済期。日本社会には、まだ高度経済成長の遺産があった。ここで提示された家庭のイメージは、その遺産の一部といえないこともない。
主人公の広中肇は、38歳の地方公務員。市役所の出張所に勤めている。担当は戸籍係で、「やるべきことを機械的にやっていればいい」という仕事をこなしていた。出張所は、田園地帯の面影が残る私鉄沿線の住宅街にある。肇は毎朝、妻の志津子から手製の弁当を受けとり、自転車を漕いで出勤、毎夕きっかり午後5時に職場を離れた。帰路、寄り道することはなかった。安定しているが、退屈といえば退屈。でも、不満な様子はない。
結婚は5年前。見合いだった。志津子は「優しくて気配りのきく家庭的な女」であり、「少ない給料をやりくりする能力」も持ちあわせていた。「清楚で控え目な感じ」が魅力だったし、「平穏な家庭生活を育もう」という姿勢も好ましかった。肇は「満点をやってもまだ足りないいい女房」と思っていたのだ。「家庭的」「やりくり」「控え目」……配偶者は専業主婦であって当然、とみる当時の男性目線を反映した言葉が並んでいる。
肇と志津子には、ちえみという3歳の娘がいる。一家はリビングと二間から成る貸家住まいだが、あちこちに縫いぐるみやモビール、人形の家などが飾られていた。娘を思う母親が手づくりしたものばかりだ。志津子は、良妻賢母の見本のような女性だった。
この作品は、その家庭の安定にひびが入っていく様子を淡々と描きだしている。志津子は初夏の或る晩、夕食を終えた後、肇に新聞の折り込み広告を見せながら「おずおずと」切りだす。「通ってもいいかしら」。駅前でカルチャーセンターが開校した、フランス料理の講座もある、週一度だから受講してもよいか――そんな話だった。「でも、あなたがその必要がない、とおっしゃるのなら、やめます」と、どこまでも控え目だ。
夫「きみが通いたいなら、かまわないよ」。妻「ほんと? いいの?」。夫「いいとも」。このやりとりには、妻は夫の管理下にあるという大前提があるように感じられる。
同じ夜のことだった。広中家にはもう一つ、異変が起こる。午後9時近く、突然電話が鳴り響いたのだ。肇が受話器を取ると、「もしもし? 広中志津子さんのお宅でしょうか」。女性の声だ。多田美雪と名乗った。肇は志津子に向かって「きみの友達じゃない?」と聞く。「美雪さん? まさか、あの美雪さんじゃ……」。志津子には心当たりがあるようだった。高校時代の級友。渡米して帰国後「女流評論家」となり、今はメディアの寵児だ。
志津子は電話口に出ると、短い会話を交わしてすぐ受話器を下ろした。多田美雪は今から立ち寄りたい、と言ったという。もう、そばまで来ているというのだから強引な話だ。だが、志津子に迷惑がる気配はない。「いいでしょう?」と肇に同意を求める。
志津子は、多田美雪がどれほどの著名人かを語って聞かせる。筆名が「ジャネット・多田」であることや「アメリカ人の男の人と結婚して、別れた話を書いた本」が話題を呼んだことだ。その本は「あなたに見せたでしょう?」と言う。肇も、そのことは覚えている。『ブロンドの胸毛と暮らした日々』というエッセイ集だった。題名に嫌悪を感じて読む気にはならなかったが――。このあたりから、家庭の安定を脅かす異物の影が見えてくる。
筋を逐一たどるのはネタばらしになる恐れもあるので、このくらいでやめよう。ただ、ミステリーにかかわらない範囲で、もう少しだけ話を進めておく――。多田美雪は、たしかに来宅する。「講演会の帰り」ということで、そのいでたちは「映画やテレビでしか見ることのできない女優のようだった」。ハイヤーで帰途についたら「志津ちゃんのこと」が思い浮かんで電話をかけたという。それは、旧友に対する友情の表れとばかりは言えなかった。
美雪の本音は、志津子に「身の回りの世話」をしてもらえないか、ということにあった。家政婦のような見ず知らずの人は家に入れたくない、週に一度でいいから留守中に合鍵で入って掃除や片づけをしておいてくれないか――。志津子は困惑しつつ、うれしそうな表情も見せて、肇の顔をうかがう。肇は「きみの好きにしたらいいよ」と言うしかない。こうして話はまとまる。これが家庭の安定を揺るがす一連のゴタゴタの始まりだった。
作者が巧妙なのは、1980年代末の価値観の移ろいをあぶり出すのに、二つの極端を遭遇させたことだ。片方には専業主婦、良妻賢母という旧来の女性像がある。もう一方には、自身の体験を赤裸々に語って飛躍する女性の生き方がある。両者は互いに異物であり、相互作用がないように見えながら、実はどこかで通じている。どちらの側の女性も同時代人だからだ。或る夜、片方がもう一方と接触したことで、そこに化学反応が起こる。
家が殻になった今、美雪が志津子の家にふらりと現れることもあるまい。私たちは異物に触れる機会がめっきり減った。それがよいかどうかは別の話だが。
☆引用箇所にあるルビは原則省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年6月23日公開、通算683回
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