今週の書物/
『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』
西村京太郎著、光文社文庫、新装版2009年刊
売れっ子ミステリー作家の西村京太郎さんが91歳で逝った。亡くなったのは3月3日木曜日。奇しくもその週、私は西村京太郎漬けだった。CSテレビ局の「チャンネル銀河」が連夜、西村作品の2時間ミステリー(略称2H)を放映していたからだ。(以下敬称略)
月曜は「北陸L特急殺しの双曲線」(フジテレビ系列、1987年)、火曜は「L特急さざなみ7号で出会った女」(日本テレビ系列、1988年)、水曜は「寝台特急『ゆうづる』の女」(フジテレビ系列、1989年)、木曜は「寝台特急『はやぶさ』の女」(テレビ東京系列、2004年)、金曜は「寝台特急(ブルートレイン)八分停車」(テレビ東京系列、2004年)――そんなラインアップだった。金曜は見逃したが、月~木は西村2Hにどっぷり浸った。
こうしてドラマの題名を書きうつしていると、西村京太郎は鉄道の魔術師であったと思えてくる。その魔力を使いこなしているのだ。鉄道は本来、人々や物資を駅から駅へ運ぶのが役目だ。だが現実は、それにとどまらない。駅の音と光はどうか。プラットホームのざわめき、構内アナウンス、発車を告げるベル、列車がゆっくりと動きだし、尾灯がホームから遠ざかる……。これらが魔力となって、私たちの想像力を刺激する。
とりわけ長距離列車は、強い魔力を帯びている。列車に乗る人は今、この街を離れようとしているのだ。過去と縁を切るつもりなのだろうか、それとも、未来へ歩みだそうとしているのか。心を占めるのは失意なのか、希望なのか。乗客の一人ひとりがいわくありげのように思えてくる。実際には業務出張で移動中という人が大半を占めるのかもしれないが、たまたま乗り合わせた隣席の人物に人間ドラマを見ようとしてしまうのである。
鉄道のもう一つの魔力は、運行ダイヤにある。列車はA駅を出る時刻もB駅に着く時刻も時刻表の通りで狂いがない。A駅10時20分発、B駅12時10分着の列車を考えてみよう。途中に停車駅がないとすれば、A駅からB駅までの1時間50分、乗客は缶詰めになる。そこにあるのは、時間と空間が限られた小宇宙だ。しかも、その小宇宙は外側にいる人――たとえばホームに立っている人――から見れば、ものすごい速度でぶっ飛んでいる。
西村京太郎は、そんな鉄道の魔力満載の「トラベルミステリー」という作品群を生みだした。第1作は1978年、光文社「カッパ・ノベルス」の1冊として書き下ろした長編『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』だ。1984年、光文社文庫に収められ、2009年には文庫新装版が出た。巻末には、この作品のカッパ・ノベルス以来の発行部数が、文庫新装版初版までの累計で120万6000部であると記されている。今回は、この作品を読もう。
作品冒頭は、いきなり東京駅13番線ホームの場面だ。青木という週刊誌記者が夜行寝台列車(愛称「ブルートレイン」)ブームの記事を書くため、東京発西鹿児島行き寝台特急「はやぶさ」に乗ろうとしていた。このくだりでは、列車が14両編成であること、まもなく繋がれる電気機関車が「EF65形」であること、車内照明や冷暖房の電源車はすでに連結済みでディーゼル発電機のエンジン音を放っていることが、縷々書き込まれている。
著者は、世に言う“鉄ちゃん”(鉄道愛好家)なのだ。東西の名作ミステリーには、松本清張作品であれ、アガサ・クリスティー作品であれ、駅の描写がしばしば出てくるが、これほど列車そのものの細部にこだわった書きぶりには、そうそう出合わない。
とはいえ、著者はただの“鉄ちゃん”ではない。その鉄道描写には詩情が漂う。「はやぶさ」は東京16時45分発。青木がホームに立ったのは3月下旬の午後4時ごろで、あたりにはまだ陽光があふれていた。だが、「夜行列車での旅立ちというのは、新幹線のあわただしい出発とは、どこか違った感傷がある」。なるほどと思ったのは、その「感傷」を呼び起こすものの一つに「ライトブルーの丸みをおびた車体」を挙げていることだ。
たしかにそうかもしれない。蒸気機関車(SL)はゴツゴツしていて力強い。マッチョな感じがする。新幹線はすらりとしていて、頭も切れそうだ。でも、どこか冷たい。これに対してブルートレインの客車はたおやかであり、肉感的でさえある。
さて、この小説の主舞台は、「はやぶさ」の1号車A寝台だ。列車片側の通路沿いに個室14室が並んでいる。青木が編集長から手渡された切符は、その7号室のものだった。この特権的な空間を、読者はひととき青木の目を通してのぞき見ることができる――。
座席兼ベッドには、枕やシーツ、毛布などが備えられている。窓は約1メートル四方というから、結構広い。壁には鏡がかかっていて、そばには、電気かみそりが使えるようにプラグの差し込み口もある。窓際にはテーブル。乗客のなかには、ちょっとした書きものをする人もいるだろう。驚くのは、テーブルの天板が蓋になっていることだ。これを開けると洗面台が設えてある。「C」と「H」の蛇口があって、手や顔を洗ったりもできるのだ。
トイレとシャワーがないことを別にすると、ホテルの部屋に近い。鍵を内側からかければ密室にもなる。前述したように、列車はそれ自体が密室だ。著者は、そのなかの個室車両を舞台に選ぶことで、密室の内部にもう一つ密室を用意した。入れ子構造である。これによって、作品のミステリー性がいっそう高まった。列車内でひと騒動あったとき、個室の乗客が通路に出てこないという場面があって、不気味な雰囲気を醸しだしている。
さて、鉄道ミステリー最大の醍醐味は時刻表のトリックだ。この作品では、それがアリバイ工作にかかわるだけではない。列車ダイヤの読み方に捻りが利いている。著者が目をつけたのは、東京16時45分発の「はやぶさ」に双子のきょうだいのような寝台特急がもう1本あることだ。東京18時00分発西鹿児島行きの「富士」である。両特急は車両編成が同じ。九州に入ってからは別ルートをとるが、本州の走行区間はまったく共通する。
おもしろいのは、青木記者が自分は本当に「はやぶさ」に乗っているのか、わけがわからなくなることだ。神戸・三ノ宮駅を発車したころに眠りに落ち、目が覚めたとき――。車両前方のトイレに行って戻ってくると、隣の8号室から和服の女性が出てくる。おかしい。8号室にはワンピース姿の若い女性がいて、終点で降りると言っていたのだが……。和服の女性に問いただすと、やはり終点まで行くと言う。切符も堂々と車掌に見せている。
そんなこんなで頭が混乱しているとき、列車がスピードを緩めた。どこかの駅を通過するらしい。青木の目に「くらしき」の文字が飛び込んできた。「倉敷か」。腕時計に目を移すと、午前4時2分。「もう四時か」。ふつうなら、それだけの話だ。だが、青木は取材のために予備知識を仕入れていたので、ピンときたらしい。時刻表を改めて調べてみると、下り線で倉敷よりも先にある糸崎に停車する時刻が3時35分ではないか。
時刻表の論理で言えば、「はやぶさ」が倉敷を通過するのは、三ノ宮を出る0時36分から糸崎に着く3時35分の間でなければならない。これほどの遅れは不測の事故でもない限りないはずだが、その気配はなかった。ここで青木は時刻表にまた目をやって、突飛なことを思いつく。「この列車が、〈はやぶさ〉でなく、〈富士〉だったら?」――「富士」は倉敷通過後、福山停車が4時26分となっているから、これならぴったり計算が合う!
では、青木が「はやぶさ」から「富士」に乗り移ることはありうるのか? 量子情報科学の量子テレポーテーションを使えば可能かもしれないが、1970年代の推理小説にそれはないだろう。青木は三ノ宮から眠り込んだので、本人が気づかないまま列車を乗り換えたということか。だが時刻表を見る限り、「はやぶさ」に三の宮・倉敷間の停車駅はない。なにか裏技でもあったのか、いや、そもそもほんとうに乗り換えがあったのか――。
この答えは言わない。ただ、「はやぶさ」の座標系を「富士」の座標系が追いかける様子には相対性理論の趣がある。テレポーテーションの可能性が頭をかすめるところでは、量子力学の香りがする。西村京太郎の鉄道ミステリーには、現代物理学の風味もあるのだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年3月25日公開、同日更新、通算619回
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