世界は一つでないと今なら言える

今週の書物/
『量子力学の奥深くに隠されているもの――コペンハーゲン解釈から多世界理論へ』
ショーン・キャロル著、塩原通緒訳、青土社、2020年刊

観測

危険思想という言葉がある。それは、異端者に対するレッテルとして使われることが多い。言うまでもないことだが、このレッテル貼りはよくない。人は心のなかでなら何を思い描いてもよいのだ。その自由が、ときに常識の呪縛を解き放ってくれることもある。

私もかつて、自分自身が危険思想の持ち主と見られているように感じたことがある。極左に走ったわけではない。極右に振れたわけでも、過激な宗教に染まったのでもない。そもそも一つの考えの信奉者になったことは、これまで一度もない。ただ、科学記者として一つのテーマを追いかけていて、常識外の見解に興味を抱き、それを記事にしたことはある。このとき、周りの視線に危険思想を遠ざけようとする気配があったことを覚えている。

「一つのテーマ」とは量子力学である。1920年代半ばに打ちたてられた新しい物理学だ。私は1995年、欧州に科学記者として駐在していたとき、量子力学の核心部を生かした量子コンピューターや量子暗号の研究が台頭していることを知り、取材に駆けまわって報告記事を書いた。それは、量子力学の不可解さをどう解釈するかという哲学めいた問いに深くかかわっていた。答えの一つが多世界解釈。これこそが上記の「常識外の見解」である。

ざっくり要約しよう。量子力学の世界は波動関数というもので記述される。ここでは、電子を例にとろう。その状態は波によって表される。位置一つとっても、電子は一点にあるのではなく、A点にもB点にもC点にも……あることになる。重ね合わせの状態だ。ところが、私がその位置を測ったとしよう。すると電子の在り処はA点かB点かC点か……どこか一カ所に定まる。何が起こったのか? これが量子力学の観測問題である。

定説としては、コペンハーゲン解釈が広まっている。コペンハーゲンは、量子論の先駆者ニールス・ボーアの本拠地だ。この解釈は、ボーアの系譜にある物理学者らが唱えたので教科書的な見解として受け入れられてきた。それによると、観測の瞬間に波束の収縮ということが起こる。電子がA点にあるとの測定結果が出たとしよう。このとき、波は膨らみを失い、A点の箇所だけに聳え立つ。もはやB点、C点……には波の影もかたちもない。

コペンハーゲン解釈の対抗馬が多世界解釈だ。この立場では、波束は収縮しない。波は観測後も続く。そこでは、電子がA点にあるのを見た私、B点にあるのを見た私、C点にあるのを見た私……が重なり合う。観測の瞬間に私はいくつにも分かれ、それぞれの分身がそれぞれの世界を生きていくのだ。〈多世界〉と呼ぶ理由はここにある。この考え方は量子力学誕生の約30年後、1957年に米国の大学院生ヒュー・エヴェレットが発表していた。

荒唐無稽な世界観ではある。危険視されるのも致し方ないか。いや、違う。常識外ではあるが、常識の世界を乱さないからだ。この解釈に従えば、私には無数の分身がいることになるが、一つの分身が別の分身のいる世界と行き来したり、分身同士がメールをやりとりしたりはできない。それぞれの私がそれぞれの世界で物理法則に従うのだから何も問題ない。だが、それでも冷たい視線が向けられた。少なくとも四半世紀前までは……。

で、今週は、その空気が今や大きく変わったことをうかがわせる一冊。『量子力学の奥深くに隠されているもの――コペンハーゲン解釈から多世界理論へ』(ショーン・キャロル著、塩原通緒訳、青土社、2020年刊)。著者は米国カリフォルニア工科大学の理論物理学者。序章で多世界の理論が「うさんくさい」とみられてきたことを認めつつ、それは「量子力学を理解する最も純粋な方法」(原文では太字箇所に傍点、以下も)と言って憚らない。

この本の組み立ては、大きくとらえればこんなふうだ――。前半は、読み手を量子力学の世界に招き入れ、それを素直に受けとめれば多世界理論に行き着くことを堂々と論じている。後半に入ると、別の解釈には何があるか、量子論が宇宙論の「時空」にどうかかわるか、といった問いにも答えていく。後半は、かなり難しい。当欄は、とりあえず前半に絞って話を進めたい。ただいずれの日か、この本に戻って後半部分にも触れたいとは思う。

第一章には著者の宣言がある。「量子力学が説明できないもの、理解できないものとだけは思われないようにする」という決意表明だ。これは、科学者でもないのに物理学の周辺をうろついてきた者には新鮮に聞こえる。私は科学記者として、量子力学の不可解さについて物理学者を質問攻めにしてきたが、最後には、日常の感覚ではとらえきれないんだよ、と突き放されたものだ。だが、この本は最後まで面倒をみてくれそうではないか。

第二章では、「緊縮量子力学(austere quantum mechanics)」と呼ばれる立場が「勇気ある定式化」として紹介される。「緊縮」では硬いので、節約型の量子力学と言い換えてもよいだろう。波動関数だけに注目して、余計なことを考えない。著者は、量子力学をもっとも素直に受けとめれば、世界は一つではない、世界はたくさんある、とみるのが自然であることを論じている。多世界理論が「最も純粋」というのは、そのことである。

著者は、節約型の量子力学に二つの側面を見てとる。一つは、波動関数を「知識の整理を助けるだけの帳簿作成装置」とみないことだ。それを「現実をそのまま写し取ったもの」ととらえる――「認識論的」ではなく、「存在論的」な考え方に立とうというのである。

もう一つは、波動関数について「それは決定論的な規則にしたがって時間発展し、それ以外は何も関係しない」とみることだ。ここでは「決定論的」の一語に注目したい。量子力学は確率論の物理学とも言われるが、波動関数に限れば方程式通りの決定論に従う。

では、存在論的であり、決定論的でもある波動関数の正体とは何か? 著者によれば、それは量子状態だ。ならば量子状態とは? 「私たちが観測をしてみた場合のあらゆる可能な結果の重ね合わせ」だという。重ね合わせがまるごと方程式に従って移りゆくのである。

著者はこの「緊縮量子力学」を、前述のコペンハーゲン解釈――この本では「教科書量子力学」と呼んでいる――に対置して議論を進めていく。観測という行為のとらえ方について両者を対比しているところが読みどころだ。ここでは、それをなぞっておこう。

「教科書…」は、原子や電子のように微視的なものの観測では観測される側と観測する側の間に線を引いて考える。観測される側は量子力学に支配されているが、観測する側は古典力学の法則に従う、とみるのだ。ところが「緊縮…」は、この仕切りを取っ払う。たとえば、電子を写せるカメラがあったとして電子をカメラで観測する場合を考えてみよう。このとき、カメラの様子も電子と同様に波動関数によって表現するのである。

それでは、カメラの波動関数とはどんなものでどのように変化するのか。カメラが観測装置として電子の位置を見極めるとき、その波動関数が観測前に意味しているのは「これはカメラで、まだ電子を見ていない」ということだ。ところが、電子を被写体としてとらえた途端、「電子がここにいるのを見たかもしれないし、あそこにいるのを見たかもしれない」……に変わる。カメラの状態も、電子の重ね合わせに引きずられて重ね合わさるのだ。

えっ、カメラの重ね合わせだって? 重ね合わせは、電子のような微視世界でなら許せるが、私たちが暮らす巨視世界ではありえない――そんな違和感に応えるように、著者は私たちがこの不気味な重ね合わせを見ないで済む理屈を種明かししてくれる。

それは、量子力学では「二つの異なる物体」も「一つの波動関数だけ」で表されるということだ。こうして電子とカメラはつながる。その波動関数は、電子とカメラの「あらゆる可能な組み合わせの重ね合わせ」だ。ただ、なんでもあり、というわけではない。「電子はこの場所にあって、カメラはその同じ場所で電子を観測した」という整合性は求められる。一定の条件に縛られているのだ。このつながりが「量子もつれ」である。

観測とは、観測する側と観測される側が量子もつれを起こすことだ。ここで著者は、カメラをあなたに置き換えることを促す。あなたは当初、「まだその電子を見ていない」が、観測するとともにもつれが生じて「電子が見つかる可能性のある場所それぞれ」について電子とつながる。その結果、「ちょうどその場所にいる電子を見つけたあなた」が重ね合わせ状態になる。あなたまで重なり合うのだ。分身の登場である。ここに多世界が成立する。

さあ、ようやく多世界理論にたどり着いた。次回も引きつづき、この話を続ける。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年11月12日公開、通算600回
*当欄は今年、「量子」の話題を継続的にとりあげています。
量子の世界に一歩踏み込む」(2021年5月28日付)
量子力学のリョ、実存に出会う」(2021年6月4日付)
量子力学の正体にもう一歩迫る」(2021年9月10日付)
量子のアルプス、「波」の登山路」(2021年9月17日付)
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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ノーベル賞、「予想外」の醍醐味

今週の書物/
ノーベル賞2021年報道資料
https://www.nobelprize.org/

報道資料

ノーベル賞の発表が進行中だ。今週は、その話題をとりあげる。今年は、世間の予想を覆す選考結果が目立った。その背景も探ってみることにしよう(文中敬称略)。

なんと言っても、最大の予想外は物理学賞だ。この時代、日本生まれの在米科学者が受賞するのは意外ではない。私にとって最大の驚きは、物理学賞が複雑系科学を真正面からとりあげ、称賛したことだった。ノーベル賞が、物理学と考えるものの枠を広げたのだ。その結果、地球科学も視野に入り、気候変動に対する危機感を世界に向けて訴えることができた。意地悪な見方をすれば、そのメッセージのために枠を拡張したと言えないこともない。

複雑系科学は、20世紀後半に強まった自然探究の流れだ。自然界を最小単位にさかのぼって理解しようという還元主義の科学に翳りが差し、それに取って代わるものとして台頭した。物理学賞ももちろん、この潮流に対応してきた。たとえば、1977年には早くも、フィリップ・アンダーソン(米)やネビル・モット(英)を受賞者に選んでいる。二人は、原子の並びが無秩序な固体系のしくみを探ったことが高く評価されたのである。

ただアンダーソンもモットも、バリバリの固体物理学者だった。旧来の物理学の領域内で複雑系の謎に向きあったということだ。領域の外縁部で大成果を挙げた人には賞を出していない。それで思い浮かぶのは、気象学者のエドワード・ローレンツ(米)。天気にカオス(混沌)を見いだした。気象は、初期値の小さなズレ――たとえば蝶の羽ばたき――がやがて大きな違いを生みだすので予測困難、というバタフライ効果に気づいた人である。

カオスの概念はその後、物理学の各分野に大きな影響を与えた。ローレンツは複雑系探究の先駆者として物理学賞を受けてもよかったと思われるのだが、実現しないまま2008年に逝った。この歴史を踏まえると、今回の選考結果は思いもよらぬものだった。

では、プレスリリースに入ろう。選考母体(物理学賞はスウェーデン王立科学アカデミー)の苦心の跡が見てとれるのは、授賞理由の二重構造だ。まず、受賞者3人に共通する理由として「複雑な物理系の理解への画期的な貢献」を挙げる。そのうえで、真鍋淑郎とクラウス・ハッセルマン(独)には気候モデルの構築に対して、ジョルジョ・パリーシ(伊)には物理系の無秩序とゆらぎの研究に対して、それぞれ賞を贈るとしている。

三人の業績も要約されている。真鍋については「1960年代、地球の気候の物理モデルを考案して、放射の均衡と気団の垂直移動の相互作用を探った最初の人」とある。「最初の人」のひとことは重い。気候変動研究の草分けであることを明言しているのである。

ハッセルマンは、短期的な「天気」と長期的な「気候」を結びつける気候モデルを作成した、という。これは「なぜ、天気が変わりやすくカオスのようであっても、気候モデルは信頼できるか、という問いに答えを出す」ものだった。もう一つの功績は、気候変動に人間活動が影響を与えている痕跡を見分ける手法を見つけたことだ。このおかげで、地球温暖化が人間活動による二酸化炭素排出に起因することが裏づけられたのである。

残る一人、パリーシについての記述は難しい。1980年ごろの仕事として「無秩序で複雑な物質には隠れた『パターン』があることを発見した」とある。「?」だ。報道資料の一つである「一般向け解説」(Popular Science Background)を開くと、この「無秩序で複雑な物質」は「スピングラス」(スピンのガラス状態)だとわかる。これは、合金に微量の磁性原子が混ざっていて、それらの向き(スピン)に規則性がない状態を指す。

磁性原子は、近くにいる仲間の磁性原子のスピンの影響を受けて向きを変える。このとき個々の磁性原子の視点に立つと、自分がどっちを向いたらよいか迷う状況も現れる。「隠れた『バターン』」の「発見」は、この問題の解決につながっているらしい。

パリーシの地道な基礎研究は、一見すれば真鍋・ハッセルマン組が成し遂げた人類的な業績から遠く離れている。それがなぜ、同時受賞なのか。答えはプレスリリースにある。パリーシの発見は物理学のみならず、数学や生物学、神経科学、機械学習などの諸分野で「不規則な物事」を理解したり記述したりするのに役立っている、というのだ。この分野横断性にこそ、複雑系の強みがある。これが、二階建ての授賞理由を成り立たせたのである。

医学生理学賞は「温度と接触の受容体発見」を授賞理由に、米国のデービッド・ジュリアスと、レバノン生まれ米国在住のアーデム・パタプティアンに贈られる。こちらは、人体の感覚のしくみに迫った地味な研究だ。そのことが逆にメディアに衝撃を与えた。

というのも、下馬評では、コロナ禍で一躍脚光を浴びたメッセンジャーRNAワクチンの開発者が最有望視されていたからだ。ところが蓋を開けてみれば……肩透かしとは、こういうことを言うのだろう。選考母体のスウェーデン・カロリンスカ医科大学が開いた記者会見(ネットでも生中継)でも、メディアの期待外れ感は歴然だった。授賞理由の説明が終わり、質疑応答の段になっても、例年のように矢継ぎ早の質問が出ることはなかった。

ただ、こんなときにも黙っていないのが欧米メディアだ。AP通信の記者は、最大の関心事が「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)」にあることを隠そうとはしなかった。選考ではワクチンの研究についても調査したか? 将来、その授賞はありうるか?――そんな趣旨の質問を浴びせた。選考側は、「ノミネーション」のあった研究は徹底的に調べているとしたうえで「個別の案件についてはそれ以上言えない」と答えた。

どこかの国の国会答弁を思わせる返答に、私は苦笑いした。ただ、このやりとりから推察できることもある。ノーベル賞選考で「ノミネーション」とは、選考母体が世界中から募る受賞候補の「推薦」を指す。その締め切りは1月末だ。今年の1月を振り返ると、新型コロナウイルス感染症のワクチン、とくにファイザー製やモデルナ製のメッセンジャーRNA型は接種がまだそれほど広まっていなかった。推薦が間に合わなかったのかもしれない。

では、今回のプレスリリースを見てみよう。冒頭「私たちが寒暖や接触を感じとる能力は生存にとって欠かせない」と切りだし、温度や圧力が知覚されるときに「神経の活動電位がどう引き起こされるのか」という疑問に答えたのが今年の受賞者だという。

それは、こういうことだ。神経細胞の膜に電気を帯びた粒子(イオン)を通す部位があり、温度や圧力の刺激によって、その通り道が開いたり閉じたりして神経細胞内の電位が変わる。これが温度や接触の「受容体」であり、温度センサーや触覚センサーの役目を果たしている。前者を見つけたのがジュリアス、後者の発見者がパタプティアン。いずれも遺伝子レベルにまでさかのぼって、これら受容体の正体を見極めている。

プレスリリースは、二人の研究について実験の細部に立ち入って詳述しているが、それをなぞることは控える。むしろコロナの年になぜ……という違和感に抗するように、ノーベル賞がその妥当性を主張しているように見える箇所を押さえておこう。

たとえば、「人類が直面する大きな謎の一つは、私たちが環境をどのように感じとっているかということだ」で始まる段落。「夏の暑い日、裸足で芝生の上を歩いていると想像してみよう」と呼びかけ、日差しの熱さや風の愛撫、足裏を切るような芝の痛さを詩文のように列挙する。そして、これらは人間が「常に変わりつづける周りの状況に適応するために必要不可欠」であるとして、感覚の生理学を全人的な人間探究の一つに位置づける。

ダメ押しは、フランス17世紀の哲学者ルネ・デカルトの登場だ。デカルトは人間の感覚をめぐる考察で、皮膚の各部は「糸」で脳につながっていると予想した。足先が焚火の炎に触れたとすれば、アツッという信号が「糸」を通じて脳に伝わる、というわけだ。プレスリリースは、この話がデカルトの著書『人間論』に出ていることを紹介する。受賞研究の源流を引っぱりだして、現代科学に史的な厚みを加えようという演出が見てとれる。

毎年思うことだが、ノーベル賞には欧州人からの伝言が込められている。今年の物理学賞には地球環境への危機意識が感じとれる。医学生理学賞からは自然科学を哲学の座標に置こうという姿勢が見てとれる。だから私たちは、この賞を一冊の本を読むように味わうのだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年10月8日公開、通算595回
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量子のアルプス、「波」の登山路

今週の書物/
『量子力学の誕生』(ニールス・ボーア論文集2
ニールス・ボーア著、山本義隆編訳、岩波文庫、2000年刊

波打つ紐

1995年の春から夏にかけて、私が駐在先のロンドンを拠点に欧州各地で「量子」の取材に駆けまわっていたとき、めぐり合わせの妙を感じるような出来事がいくつかあった。取材相手から「あの人にも取材してみたら」と助言を受ける。それでさっそく、その人に連絡して面会の約束をとりつける。このような数珠つなぎで取材範囲を広げていったのだから、そもそも偶然に左右される。めぐり合わせの妙があっても不思議はない。

なかでも、もっとも心に残ったのは、シュレーディンガーとの「出会い」だ。オーストリアの物理学者エルウィン・シュレーディンガー(1887~1961)は1920年代半ばに量子力学を築いた人。もう一人の建設者、ドイツのウェルナー・ハイゼンベルク(当欄先週9月10日付「量子力学の正体にもう一歩迫る」)とは別の手法で量子世界を表現した。その人は今、チロリアン・アルプスの山あいの小村アルプバッハで永眠している。

だから、「出会い」とは、その墓に参ったことを意味する。オーストリアのインスブルック大学で量子物理学者アントン・ツァイリンガー教授に取材したとき、教授から勧められたのだ。「せっかくここまで来たのだから、アルプバッハまで足を延ばしたらいい。あそこにはシュレーディンガーの墓があるよ」――それでインスブルックから列車に小一時間揺られ、最寄り駅からタクシーに乗って、その村にたどり着いたのである。

アルプバッハは、シュレーディンガー晩年の避暑地だ。私はそこで、彼の娘ルート・ブラウニツァーさんに会った。そのときの様子は拙著『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス、1997年刊)に書きとめている。ここではそれには触れず、話を墓に絞ろう。

私はルートさんに会う前、教会裏の墓地を訪ねたが、このとき、シュレーディンガーの墓所に墓標がなかったのである。これは驚きであり、落胆でもあった。ツァイリンガー教授からは、墓標にψ(プサイ)の文字があると聞いていた。ψは、シュレーディンガー流の量子力学には欠かせない波動関数の記号だ。量子力学の象徴である。それを写真に収めようと思ったのに、そこにない。いろいろ聞きまわると、墓標は塗り替え中とわかった。

あの日のことを思いだして、量子力学は逃げ水のようだな、とつくづく思う。それを私は青年期に学生として捕らえそこね、中年になって科学記者として捕まえようとしていたわけだが、やはり正体を突きとめられなかった。量子力学をめぐる動きを概観することはできたが、量子力学そのものは依然、難解の極みだったのだ。シュレーディンガーの墓標がたまたま不在だったというめぐり合せは、そんな挫折感と響きあっている。

で、今週も引きつづき『量子力学の誕生』(ニールス・ボーア著、山本義隆編訳、岩波文庫「ニールス・ボーア論文集2」、2000年刊)。前回は著者がハイゼンベルク流の量子力学をどう素描したかに焦点を当てたが、今回はシュレーディンガー流に目を向けよう。

物理に馴染みの薄い方に申しあげておきたいのは、シュレーディンガー流はハイゼンベルク流よりも私たち学生にとっつきやすかったことだ。ハイゼンベルクの行列はほとんど数式の世界だが、シュレーディンガーの波動方程式には波のイメージが伴う。たとえば、電子の状態も波としてとらえられるのだ。方程式は、その波が時の流れとともに変わる様子を表しているのだから、古典物理の運動方程式にとって代わるものとして受容できる。

量子力学の理解を山登りに見立てるならば、シュレーディンガーが切りひらいた登山路のほうが、ハイゼンベルクのそれよりも初心者向きに思われたのである。

このことは本書で著者も語っている。「原子論と自然記述の諸原理」(1929年)では、ハイゼンベルク流が「私たちに多大な抽象能力を要求する」ことを認め、「私たちの直観性の要求にもよりよく応えている〔ハイゼンベルクのものとは異なる〕新しい行き方の発見」に「計り知れない重要な意味」がある、としている(〔 〕内は訳者による)。「新しい行き方」を見いだしたとされるのが、ルイ・ド・ブロイ(フランス)とシュレーディンガーだ。

1924年、ド・ブロイは電子のような粒子にも「波」の顔があることを量子論の見地から理論づけた(当欄2021年6月4日付「量子力学のリョ、実存に出会う」)。これを「物質波」という。著者によれば、シュレーディンガーは、その理論をさらに先へ進めた。物質波の概念が「定常状態を理解するうえできわめて有効である」と示したのである。ここで「定常状態」とは、原子核の周りの電子がとる運動状態などを指している。

そんな電子の定常状態は複数あって、一つの状態から別の状態へ特定のエネルギーをやりとりしてぴょんと乗り移る(当欄2021年5月28日付「量子の世界に一歩踏み込む」)。これらの定常状態には、エネルギーの小さいほうから「量子数」という番号が振られている。著者は、電子を物質波とみる考え方に立てば「定常状態の量子数は、その状態を記号的に表現している定常波の節(ふし)の数として解釈されます」と説明するのだ。

それで思いだしたのが、学生時代に教師が黒板に描いた模式図だ。波打つ紐のような線が原子核をぐるりと囲んでいた。その波は進んでいるように見えない。定常波、あるいは定在波と呼ばれるゆえんだ。さて、その定常波には、ところどころに振動しない点、即ち「節」がいくつかある。一つめの節を起点として輪をひと回りすると、必ず、その節に戻ってくる。これが定常波の条件である。1周当たりの「節」の数は整数しかありえない。

定常波の節の数が1、2、3……とふえていくというのは、定常状態のエネルギーがとびとびの値をとるという著者の量子論に通じている。原子核の周りに縄跳びの紐を張りめぐらせて、それをぶるぶる震わせるというイメージは、日常の感覚でも思い描くことができる。電子とは、そんな振動のようなものだと思ってしまえば、量子力学の世界像はひとまず完結する。シュレーディンガーの功績は大きかったと言ってよい。

物質波が優れものであることを、著者は「化学と原子構造の量子論」(1930年)という一編でも強調している。ド・ブロイの理論によれば、物質波の振動数と波長は物質粒子のエネルギーと運動量にそれぞれ対応している。振動数は粒子のエネルギーからはじき出せるし、波長は粒子の運動量から算出できるのだ。物質波は、物質粒子の運動状態を反映していると言ってよい。しかも驚くべきことに、その波の存在は実験でも支持されたのである。

この一編で例示されている実験は電子線回折だ。電磁波の一種であるX線には物質に照射したときに回折するという現象があり、それによって物質の結晶構造を調べることができる。同様に「電子線の回折は、有機物質の分子構造の研究にさえたいへんに役だつことが最近になって判明しました」と著者は言う。1928年のことである。電子も、間違いなく波の側面を併せもっているのだ。物質波はまったくの仮想の産物ではない。

ただ、著者は釘を刺すことも忘れない。物質波という概念の効能を認めて「電子の振る舞いを説明するにあたって波動像がなみはずれて有効」としつつ、その波動像に「物質媒質中での通常の波動の伝播」や「電磁波における非物質的エネルギー移動」が見てとれないことを書き添えている。音波や電波とは似て非なるものなのだ。では、私たちは物質波をどのような存在として受けとめたらよいのか? ただただ、途方にくれてしまう。

その答えらしきものも、この一編にはある。著者は、「電子の波動的性質」の表れである「物質波」を、「光の粒子的性質」の表れといえる「光子」とひとくくりにして、こう言う。「古典物理学の表象をもちいてはそれ以上分析することのできない要素的過程の出現を支配している確率法則の定式化に役だつ記号なのです」。量子世界を確率論的に語るための道具なのか。だが、電子線回折には実在感が見てとれる。ただの「記号」とは思えない。

物質波を取り込んだ波動力学は、たしかに古典物理学の枠組みに収まり切らない。著者は本書の「ラザフォード記念講演――核科学の創始者の追憶とその業績にもとづくいくつかの発展の回想」(1958年)で2点に注意を促している。一つは、物理系の状態を表す波動関数に虚数を使わざるを得ないこと、もう一つは、物理系が複数の粒子を含むときは波動関数が実空間ではなく、系全体の自由度と同じ次元数の「配位空間」に置かれることだ。

虚数、「配位空間」……。シュレーディンガー流がとっつきやすそうに見えてとらえどころがない理由は、そこにもある。あの日、アルプスの村で彼の墓標が私の前から姿を消したのも、量子力学はそんなに甘くないぞ、という戒めのように思われてきた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年9月17日公開、同月22日更新、通算592回
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量子力学の正体にもう一歩迫る

今週の書物/
『量子力学の誕生』(ニールス・ボーア論文集2
ニールス・ボーア著、山本義隆編訳、岩波文庫、2000年刊

跳び跳び

私は数カ月前、量子の話題を継続的にとりあげていくと宣言した(2021年5月28日付「量子の世界に一歩踏み込む」)。量子コンピューターなど量子情報科学の技術が現実のものになりつつある今、それとつかず離れずの関係にある今日の量子力学的世界観に迫る、というのが最終目標だ。私は科学記者として1990年代半ば、この問題を集中的に取材したから、そのときに仕入れた知識を更新したいという切実な思いもある。

ただ、その前にしておきたい準備があった。これまでも書いてきたように、私は学生時代、量子につまずいている。「量子力学」の授業を一応は受けたが、板書される数式を追いかけていただけだった。だから後年、科学記者として量子力学の新しい解釈を知ることになっても、それと対比される旧来の解釈はぼやけていた。これでは新しい解釈を正しく位置づけられない。だから今からでも、旧来の解釈を輪郭づけたいと考えたのだ。

それで、まずはとっつきやすいものからと思い、日本人物理学者が日本語で書いた『NIELS BOHR』(仁科芳雄著、青空文庫)という短い書物を読んだのだ。その評伝が描くデンマークの物理学者ニールス・ボーア(1885~1962)は、原子の構造を考えるときにエネルギーはとびとびの値をとるという量子仮説をもち込み、量子力学の建設へ道を開いた人だ(前述の当欄「量子の世界に…」と2021年6月4日付「量子力学のリョ、実存に出会う」)。

だが、この書物の選択は半分成功で半分失敗だった。私がおぼろげながら覚えていた教科書的な知識を復習することはできた。だが、一方で隔靴掻痒の感があったことも否めない。それは「量子力学のリョ…」にも書いた通りだ。たぶんボーアの考え方を、また聞きしただけだからだろう。仁科は、欧州でボーアに師事した人なので、師の真意を誤解していることはあるまい。だが、学説には本人の言葉でしか伝わらない含蓄もある。

で、今週は『量子力学の誕生』(ニールス・ボーア著、山本義隆編訳、岩波文庫「ニールス・ボーア論文集2」、2000年刊)。著者ボーアの論考や講演録が合わせて18編収められている。執筆や講演の日付で言えば、量子力学が提案された1925年から最晩年の1961年まで、36年間に及ぶ。量子力学が数式なしの言葉で述べられている文献が大半で、物理学者同士の交遊を素描したくだりは科学史の一級史料としても読める。

とはいえ、本書は、数式がほとんどなくても難解だ。前提の知識がないと文意を汲みとれない箇所がいっぱいある。たとえば、原子が放出したり吸収したりする光のスペクトルにどんな規則があるか、などがわかっていないと先へ進めなくなる。すんなり通読できないのだ。ということで私は今回、〈探し読み〉を試みた。まず標的を定め、ページをぱらぱらとめくって、それらしいくだりを見つけたらそこを集中的に読む、という方式だ。

最初の標的は、ドイツのウェルナー・ハイゼンベルクが1925年に発表した行列力学版の量子力学である。その要点は、本書冒頭に収められた「原子論と力学」(1925年)という講演録の後日に加筆されたらしい箇所で説明されている。ハイゼンベルクの立場では「従来の力学と異なり、原子的粒子の運動の時間的・空間的記述を扱わない」。計算はすべて「観測可能な量だけ」で書かれるという。では、観測可能(オブザーバブル)な量とは何か。

それでふと思いだしたのが、『この世界を知るための人類と科学の400万年史』(レナード・ムロディナウ著、水谷淳訳、河出文庫、2020年刊)だ。この本も、ハイゼンベルクの理論をとりあげていた。(当欄2020年11月27日付「偶然のどこが凄いかがわかる本」)

ムロディナウの解説によると、行列力学は「位置や速さ、経路や軌道という古典的な概念」を「原子のレベルでは観測不可能」とみる。では、何が観測可能か。原子がエネルギーを失うときに出る「光の色(振動数)」や「強さ(振幅)」などがそれに当たるという。

ボーア本に戻ろう。ハイゼンベルクが物理現象を表すのにもち込んだのは、一群の数値を縦横に並べた行列(マトリクス)だ。「ラザフォード記念講演――核科学の創始者の追憶とその業績にもとづくいくつかの発展の回想」(1958年)という一編によれば、その行列の数値(要素)は「定常状態間のすべての可能な遷移過程に関係づけられている」。それによって「状態のエネルギーと関連した遷移過程の確率」がわかるというのだ。

「定常状態」の間の「遷移」とは、原子で言えば、原子核の周りにある電子の状態がぴょんぴょん変わることを指している。著者も述べているように、それは「状態のエネルギー」にかかわる。原子は光を吸ったり吐いたりすることでエネルギーをやりとりしているから、私たちは、光の観測でエネルギーの出入りをみて状態の変化を知るわけだ。このときに電子そのものは観測不可能なので、「時間的・空間的記述」即ち軌道の描像はなじまない。

息抜きの余談だが、「量子力学の誕生」(1961年)では興味深い逸話が紹介されている。ハイゼンベルクがあるとき、「僕は、じつは行列が何であるのかさえ知らない」という言葉を漏らしたというのだ。文脈からみると、数学者が行列について語るのを聞いても、ついていけないというくらいの意味らしい。「知らない」の次元が違うのだ。ただ、行列は思考の一つの道具に過ぎないという突き放し感があって、物理学者らしいな、という気もする。

さて次の標的は、ハイゼンベルクの不確定性原理だ。粒子の位置を精確に測ろうとすると運動量がばらつき、運動量を絞り込めば位置がぼやけるという量子力学の掟である。著者は本書で、位置と運動量の対よりも「時間・空間概念」と「動力学的保存則」の対に目を向け、その両立しがたい関係が不確定性原理に対応すると言っている。「化学と原子構造の量子論」(1930年)や「ゼーマン効果と原子構造の理論」(1935年)から要点を掬いとろう。

著者は「すべての測定には対象と測定装置のあいだに有限の相互作用がまつわりつく」と指摘する。たとえば、原子核の周りにある電子の「時間・空間座標を確定しよう」とすると、電子と装置との間でなされる「エネルギーと運動量の受け渡し」が避けられない。その「受け渡し」は「制御不可能」なので、電子の「動力学的振る舞い」が測定の前後でどうなるかが曖昧になる。エネルギーや運動量などの動力学的保存則がぐらつくというのだ。

逆もまた真なり。ここで著者は「定常状態」の話をもちだす。さきほど行列力学のくだりでも述べた通り、原子核の周りの電子は定常状態のどれか一つにあり、別の状態には一定のエネルギーを吸ったり吐いたりして跳び移る、とみることができる。この見方をすれば、動力学的保存則は守られるが、電子がある時刻、どの位置にいるかがわかる軌道は思い描けない。「時間的・空間的描像」はあきらめなくてはならないということだ。

著者は「時間的・空間的な座標付けと動力学的保存則は、従来の因果性の二つの相補的側面」(太字箇所は本文でも)と結論づける。因果律について言えば、座標付けも保存則も「その固有の有効性を失うことはないけれども相互にある程度排除しあう」というのだ。「因果性という古典論の理想を相補性というより広い観点で置き換えなければならなくなる」ともある。因果律は、量子世界では見方によって別の側面から際立ってくるということか。

私には今回、宿題が一つあった。仁科本を当欄「量子力学のリョ…」で読んだとき、ボーアは量子世界でもエネルギーや運動量の保存則が成り立つとみている、と私は理解した。もしそうなら、運動量のばらつきを織り込んだ不確定性原理に矛盾する。そんなふうに思って困惑したのだ。たぶん、それは私の読み方が浅かったからだろう。本書によって、ボーアも保存則がぼやけることがあると考えていたとわかり、やっと腑に落ちた。

標的は、もう一つある。ただ、頭がだいぶ疲れた。回を改めることにしよう。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年9月10日公開、同月14日最終更新、通算591回
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量子力学のリョ、実存に出会う

今週の書物/
『NIELS BOHR
仁科芳雄著、青空文庫(底本は『岩波講座物理學Ⅰ.B. 學者傳記』、岩波書店、1940年刊)

デルタエックス(文末に注)

量子ほど、科学者は馴染んでいるのに世間に通用しない言葉はない。そんなこともあるからだろう、量子をめぐってはさまざまな誤解がある。量子論=量子力学と受けとめる向きがあるが、これは正しくない。あえて不等号を用いれば量子論>量子力学となる。

量子論の元年は、ドイツの物理学者マックス・プランクが量子仮説を提案した1900年と言えよう。それは先週の当欄でも触れたように、物体が電磁波を放ったり吸い込んだりするとき、やりとりされるエネルギーがとびとびの値をとる、という仮説だった。エネルギーには、1個、2個……と数えられる塊があるというわけだ。物理学者たちは、このような塊を「量子」と呼ぶようになった。(2021年5月28日付「量子の世界に一歩踏み込む」)

量子の概念を取り込んで生まれた物理学の体系が量子力学だ。1920年代半ばに確立された。建設者としてはウェルナー・ハイゼンベルクとエルウィン・シュレーディンガーの名がまず挙がるが、欧州の物理学者群像が知を持ち寄って築いたという色彩が強い。

量子仮説の登場から量子力学の誕生までに四半世紀が過ぎている。この間に物理学者は、原子がどんなつくりになっているか、などの懸案を量子論に沿って説明しようとした。こうした試みを前期量子論という。ニールス・ボーアは前期量子論の中心人物と言ってよい。

先週とりあげた『NIELS BOHR』(仁科芳雄著、青空文庫=底本は『岩波講座物理學Ⅰ.B. 學者傳記』、岩波書店、1940年刊)は、ボーアの業績として、量子仮説を踏まえた原子模型や、量子論と古典論の折り合いをつける対応原理の提案を挙げている。当欄も前回は、この二点に的を絞った。それで幕を引こうとも思ったのだが、考えを変えた。この『傳記』がさらっと触れている量子力学のことも触れておこう。そう思い直したのだ。

この一編は、量子力学が産声をあげて間もないころに書かれた。それが誕生直後、どう受けとめられていたかを、欧州にゆかりのある物理学者が語っているのである。素通りする手はない。もう1回とりあげて、リョウシリキガクのリョくらいまでは掬いあげておこう。

読んでわかったのは、そこにある量子力学の記述が1970年代に出回っていた解説書に近いことだ。初期の解釈が数十年も健在だったということか。ところが1980年代以降、事態は大きく動く。先端技術のおかげで、量子力学のつかさどる世界が実験室で再現できるようになり、そこから新しい量子力学観が台頭したのだ。当欄は今後、この潮流を追いかけていくつもりだが、そのまえに1930年代風の見方を復習しておきたいと思う。

『傳記』本文に入ろう。著者は「量子力学の発見には、直接にボーアの手で行われた部分はない」とことわったうえで、ボーアの薫陶を受けた人々が見いだした量子力学にボーア自身がどうかかわったかを論じている。それによると、ハイゼンベルクの不確定性原理には格別の興味を抱いたらしい。自分にも似た発想があったようで、「ハイゼンベルクの思考実験中の行論を訂正し」「原理の因って来る所を明かにした」とある。

この原理によると、「正規共役」という関係にある一対の量――たとえば粒子の位置と運動量――では、「一方を測定する実験を行うと、量子論的実在にあっては其実験の為に無視し得ない影響を他方の量に与えることを避け得ない」。片方を「非常に正確に」突きとめようとすると、もう一方は「全く解らなくなって了う」。ボーアはこれを「相補性理論」と呼んで、アルバート・アインシュタインの相対性理論に対置させた、という。

量子力学の世界では、位置を見極めるか、運動量を測るか、で事態がガラッと変わる。著者の言葉によれば「観測の仕方によって現象が規定せられる」のである。これは「物は観方による」という日常の教訓に言い換えられることも書き添えられている。

このくだりには、こんな記述も見かける。「観測に於て、観測体と被観測体とが古典論の場合のように截然たる区別をつけられない」――これを読んだとき、実存主義のイメージが頭をよぎった。そういえば、サルトルは「物を物として捉える」には「主体が必要」と言い切っていた。20世紀前半、量子力学と実存主義という別分野の潮流に響きあうものがあったように私には思える。(当欄2021年2月5日付「サルトル的実存の科学観」)

『傳記』によれば、ボーアは量子力学がはらむ波動説と粒子説の相克も「相補性の考察」で「解決した」。光の正体は19世紀には波動と見られていたが、1905年にアインシュタインが光量子仮説を唱えたことで粒子としての側面が無視できなくなった。1920年代前半にはルイ・ド・ブロイが電子のような物質にも波動としての側面があることを理論づけた。光も物質も、波と粒の両面を併せもつことがわかったのだ。これをどう考えるか。

ボーアが、この難題と向きあうときにもちだしたのは、私たちが現象のどこに着眼するかという、視点の相補性だ。量子力学の世界では「時間空間」内の「伝播」や「運動」を議論するときは波動らしく見えるが、「エネルギー、運動量」を問題にする場合は粒子らしくなる、というのである。二つの側面は相容れないが「一方が問題となって居る時は他方は自然に姿を消して了う」。だから、両説ともそれなりに正しいことになる。

著者によれば、「時間空間」の問題で波動らしさが際立つことは、不確定性原理によって支持されている。この原理の通りなら、観測によってさまざまな状態が現れるわけだから、こうならばああなるという古典論の因果律は成り立たない。私たちには「確率が与えられるだけ」であり、因果律は「統計的結果」に反映されるだけだ。状態が統計的に散らばる様子は波として表現できる。だから、波動らしさが卓越する――なるほどそうか、と思う。

一方、「エネルギー、運動量」は量子力学でも「不滅則」に従うので古典論の因果律が成立する、と著者はみる。不滅則、即ち保存則が粒子らしさの源泉というのである。ビリヤードの球がエネルギーや運動量を保存するように転がる様子をイメージすると、なんとなくわかったような気分になるが、私は十分には納得できていない。不確定性原理は、粒子の位置を絞り込めば運動量がばらつく、と言う。このとき、運動量の保存則はどうなるのか。

この『傳記』で残念なのは、量子力学最大の謎が語られていないことだ。状態の重ね合わせである。ボーアの学派が広めたコペンハーゲン解釈によれば、量子力学の世界では複数の状態が重ね合わさることがあり、観測の瞬間にそれが一つに定まる。この解釈は、物理学徒の間では教科書の知識のように定着しているが、不自然な印象を拭えない。ボーア自身はどう考えていたのか。そのことを知るには、別の書物を探さなければなるまい。
〈注〉⊿は、ばらつきを表す記号デルタ。⊿xは位置xのばらつきを表している。
*引用では文字づかいを現代風に改め、原語で書かれた人名も片仮名表記にした。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年6月4日公開、同年7月1日最終更新、通算577回
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