安吾が描く傷痍軍人がいる風景

今週の書物/
『復員殺人事件』
坂口安吾著 河出文庫、2019年刊

負傷

戦後を生きたということは、いくぶんかは戦前戦中を生きたことである。最近よくそう思う。私は「戦争を知らない子供たち」世代だが、こんな思いを抱いてももはや違和感がない。戦後世代が戦争の語り部を担うべき時代になったということか。

ここで言う「戦後」は狭義で、戦争の臭いが残っていた時代ということだ。西暦でいえば1950年代まで、あるいは60年代前半も含めて64年の東京オリンピックころまでか。私は50年代初めの生まれだから、自身の幼少期がこのなかにすっぽり収まる。

幼いころ、私の記憶には戦争の名残がいくつか刻まれた。その一つが、傷痍軍人のいる風景だ。たぶん、若い人からは「何のことか」という反応があるだろう。子どもが大人に連れられて盛り場に出かけると、必ずと言ってよいほど傷痍軍人を見かけたものだ。

たとえば、東京・渋谷。私たちの家族は井の頭線を使って渋谷に出ていたので、改札を出てから高架の通路を歩き、ハチ公前付近で地上に降りたのだが、このときいつも通る階段があった。窓はなく、薄暗い。踊り場にはいつも、白い服を着た男性が座り込んでいた。「怖そうなおじさんだな」。子ども心にそんな印象をもった。大人たちも、見て見ぬふりで通り過ぎていくことが多かったように思う。その白衣の人物が傷痍軍人だった。

その人は手足の一部が義肢だったと記憶するが、はっきりとは思いだせない。アコーディオンで軍歌かなにかを奏でていたような気もするが、それも定かではない。おそらくは母親が耳もとで「あのおじさんは、戦争でけがをしたのよ」とささやいてくれたのだろう。私は「しょういぐんじん」という言葉を覚えた。「へいたいさん」が手や足を失う「せんそう」という修羅場が近過去にあったことを、こうして感じとったのだ。

街角の傷痍軍人たちはたいてい、足もとに箱を置いて金銭を求めていた。軍役による傷病者ならば、これは支援カンパを募る正当な行為にほかならない。ところが現実には、哀れみを乞う人のように見られていた。偽装が疑われている気配さえあった。総じていえば、世間はあの人たちに冷たかったのだ。日本社会が軍国一色から平和一色に反転したことで、人々はこの国に軍隊が存在していた事実までなきものにしたかったのではないか。

で、今週は『復員殺人事件』(坂口安吾著、河出文庫、2019年刊)。著者(1906~1955)は、言うまでもなく、戦後文壇の一角を代表する無頼派の作家。純文学だけでなく、推理小説も手がけた。後者では「不連続殺人事件」が有名。本作もその系譜にあるが、未完のままだった。1949~50年、「座談」誌(文藝春秋新社)に連載されたが、同誌廃刊で途絶えてしまったのだ。それなのに私が手にとった本書は、見事に完結している!

いきさつは、本書巻末に収められた江戸川乱歩の一文が詳しい。著者没後の1957年、乱歩と荒正人、高木彬光の3人が民放ラジオ局の座談会に居合わせた。そこで「復員…」の中断が話題にのぼり、高木が作品を仕上げることになった。それで書き継いだ部分が1957~58年に旧「宝石」誌(宝石社)に掲載。本書では全30章のうち第20章から最後までが高木の手になる。このとき、原題は「樹のごときもの歩く」と改められていた。

改題の理由を、乱歩は「復員…」が「もう季節はずれになっていた」と説明している。この感覚はよくわかる。人々が傷痍軍人に見て見ぬふりしているのを私が現認したのも、ちょうどそのころだ。世間は戦争を封印したかったのだろう。たしかに「樹のごときもの…」は、推理小説の題名として思わせぶりで秀逸だ。ただ、今の私たちはこの作品から戦後の空気を感じとりたいと思っている。だからこそ、本書も原題のほうを選んだのだろう。

中身に入ろう。ミステリーなので筋は追わない。小説の枠組みだけを素描しよう。舞台は、神奈川県小田原市にある富豪の邸宅だ。当主の倉田由之は「海道筋で屈指の成金」。中学校で武道を教えていたこともあるが、ブリの定置網漁で大もうけして漁船20隻余を抱える大船主になった。1947(昭和22)年夏の時点で、邸には長男の妻、長女一家、次女と三男が同居。さらに由之の元教え子が雇人として、その家族ともども住み込んでいた。

長男の公一とその息子は1942(昭和17)年1月、海釣りからの帰宅途中、鉄道線路で轢死。遺体に不審な点があり、警察は殺人事件とにらんだが、迷宮入りしていた。長男の妻は夫と息子の死後も倉田家に残り、今は義父由之と男女の関係にある。

1947(昭和22)年9月、この一族に予期せぬ出来事が起こる。「ヨレヨレの白衣をまとうた一人の傷痍軍人が倉田家の玄関に立っていた」。その男は右手と左足を失っており、両目を失明、鼻や顎は原形をとどめず、声も出せなかった。応対に出た雇人の娘は「物乞い」と見てとったが、「傷痍軍人」はなかなか引き下がらない。1942年に召集され、戦地にいた次男安彦(30)が復員してきたということらしいが、見た目だけではわからない。

そもそも安彦には謎があった。出征は兄親子が不審死した直後だったが、このとき日記を妹である次女美津子に預け、自分が戦死したら開けるように言いおいていた、と美津子は証言する。包みの表書きには「マルコ伝第八章二十四」の文字があったという。日記は厳封のまま美津子が保管したが、いつのまにか消えていた。「マルコ伝」は新約聖書に収められた福音書で、「第八章二十四」には「樹の如きものの歩くが見ゆ」という文言がある。

現れた「傷痍軍人」は本物の安彦か。安彦ならば兄親子の不審死事件の秘密を握っているのか。この物語はまず、そんな謎解きに読者を誘う。そして、倉田一族を新たに襲う連続殺人事件……。探偵役は巨勢(こせ)博士。安吾作品では「不連続…」に続いての登場だ。年齢は30歳前後。「ホンモノの博士にあらず」と、巻頭「登場人物」欄にある。その相棒役が一人称の「私」。矢代という小説家で、巨勢からは「先生」と呼ばれている。

当欄は今回、最初の問い「本物かどうか」に的を絞って作品を読み返してみよう。

本物説の有力証拠は手型だ。美津子によれば、安彦からは日記とともに手型も預かっていた。「遺品」代わりのつもりだったらしい。美津子は「傷痍軍人」の健在の左手から手型をとり、「遺品」と一緒に巨勢事務所に持ち込んだ。巨勢は両者が一致する、と断定した。

ところが、これには反証が出てくる。雇人が「傷痍軍人」の入浴を手伝ったときに背丈を測ると、安彦より6分(約1.8cm)低かったというのだ。雇人によれば、身長計には安彦が出征2年前に計測した結果が記されているという。巨勢の鑑定と雇人の証言は完全に背反する。これをどう説明したらよいのか。手型の紙がすり替えられたのか、あるいは身長計の記録が捏造されたものなのか。なんらかの作為があったとしか思えない。

この話には、ツッコミも入れたくなる。たしかに1940年代のことだから、DNA型鑑定はありえない。ただ当時でも犯罪捜査に指紋鑑定は使われており、それを活用すれば本人確認ができたはずだ。そう考えると、この推理小説はリアリズムの立場では語りえない。

実際、終戦後に帰還した傷痍軍人で、外見による本人照合ができず、赤の他人の家に居つくことになったという人はおそらく皆無だろう。もちろん、そういう物語を創作することはできる。純文学なら、人間の自己同一性(アイデンティティー)を考える契機になる。エンタメ文学なら、本作のようにミステリーの仕掛けにもなるだろう。ただ私には、傷痍軍人から戦争のリアリズムを抜き去ってしまうことにためらいがある。

この小説の「傷痍軍人」は、彼が安彦であれ、安彦のなりすましであれ、人々から疑心暗鬼の目で見られた事実に変わりない。戦地に向かうときは小旗をうち振ってくれたのに、傷ついて帰ってくればよそよそしい。戦争とはなんと冷酷なものかと改めて思う。
☆引用箇所にあるルビは、原則省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年11月17日公開、通算704回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

小池真理子が抉る家庭幻想のひび

今週の書物/
「妻の女友達」
=『妻の女友達』(小池真理子著、集英社文庫、1995年刊)所収

コロナ禍の3年間にもっとも存在感を示したのは、「家」かもしれない。家といっても、社会のあちこちに残滓が残っている家制度のことではない。入れものとしての家だ。戸建てであれ、集合住宅であれ、外部世界を物理的に遮断した空間のことである。

新型コロナウイルス感染症が広まりだすと、「ステイホーム」が叫ばれた。高齢者だけではなく働き盛りの世代まで、なるべく家にとどまるように促された。在宅勤務が推奨され、「テレワーク」「リモートワーク」も広まった。家が生活の主舞台となったのだ。

買いものも外食も極力控えた。それでふえたのが宅配サービスだ。通販で買ったもの、デリバリーを頼んだものが家に届けられる。その結果、「置き配」が日常化した。配達人は玄関先に物品を置いて帰る。支払いも今はデジタル決済で済ますことができるから、直接の受け渡しがなくとも用は足りた。コロナ禍の脅威が高まり、人と人の接触を減らすことが叫ばれていた一時期、私たちは貝が殻に身を潜めるように家に籠ったのだった。

ただ、家が閉鎖空間の性格を強めたときでも、その内側には多彩な社会が存在した。そこにあるのは、社会の最小単位としての家庭だ。夫婦二人ということがある。夫婦に子が一人もしくは複数という構成がある。親一人に子がいるというパターンがある。老老介護のような高齢者世帯がある。そして、独り住まいの家庭も少なくない。私たちはコロナ禍によって内向きに暮らしたことで、いつになく家庭を意識したのではないか。

それでふと思うのは、今は家庭がとらえどころないということだ。家庭が多様なのは昔も変わらない。私が幼かったころは戦争が終わって間もなかったから、寡婦や父のない子もあちこちにいた。だが、それでも当時の人々には、家庭らしい家庭というものに固定観念があった。父がいて母がいて子どもがいる、ときには子の祖父母もいる――そんな絵に描いたような家庭像を描くホームドラマが、ラジオやテレビにあふれ返っていた。

で、今週の一編は、そんな家庭像がまだ辛うじて有効だった時代に書かれた短編ミステリー。小池真理子の「妻の女友達」だ。同名の短編集(小池真理子著、集英社文庫、1995年刊)所収のものを読む。この作品は1989年、日本推理作家協会賞(短編部門)を受けている。1989年といえばバブル経済期。日本社会には、まだ高度経済成長の遺産があった。ここで提示された家庭のイメージは、その遺産の一部といえないこともない。

主人公の広中肇は、38歳の地方公務員。市役所の出張所に勤めている。担当は戸籍係で、「やるべきことを機械的にやっていればいい」という仕事をこなしていた。出張所は、田園地帯の面影が残る私鉄沿線の住宅街にある。肇は毎朝、妻の志津子から手製の弁当を受けとり、自転車を漕いで出勤、毎夕きっかり午後5時に職場を離れた。帰路、寄り道することはなかった。安定しているが、退屈といえば退屈。でも、不満な様子はない。

結婚は5年前。見合いだった。志津子は「優しくて気配りのきく家庭的な女」であり、「少ない給料をやりくりする能力」も持ちあわせていた。「清楚で控え目な感じ」が魅力だったし、「平穏な家庭生活を育もう」という姿勢も好ましかった。肇は「満点をやってもまだ足りないいい女房」と思っていたのだ。「家庭的」「やりくり」「控え目」……配偶者は専業主婦であって当然、とみる当時の男性目線を反映した言葉が並んでいる。

肇と志津子には、ちえみという3歳の娘がいる。一家はリビングと二間から成る貸家住まいだが、あちこちに縫いぐるみやモビール、人形の家などが飾られていた。娘を思う母親が手づくりしたものばかりだ。志津子は、良妻賢母の見本のような女性だった。

この作品は、その家庭の安定にひびが入っていく様子を淡々と描きだしている。志津子は初夏の或る晩、夕食を終えた後、肇に新聞の折り込み広告を見せながら「おずおずと」切りだす。「通ってもいいかしら」。駅前でカルチャーセンターが開校した、フランス料理の講座もある、週一度だから受講してもよいか――そんな話だった。「でも、あなたがその必要がない、とおっしゃるのなら、やめます」と、どこまでも控え目だ。

夫「きみが通いたいなら、かまわないよ」。妻「ほんと? いいの?」。夫「いいとも」。このやりとりには、妻は夫の管理下にあるという大前提があるように感じられる。

同じ夜のことだった。広中家にはもう一つ、異変が起こる。午後9時近く、突然電話が鳴り響いたのだ。肇が受話器を取ると、「もしもし? 広中志津子さんのお宅でしょうか」。女性の声だ。多田美雪と名乗った。肇は志津子に向かって「きみの友達じゃない?」と聞く。「美雪さん? まさか、あの美雪さんじゃ……」。志津子には心当たりがあるようだった。高校時代の級友。渡米して帰国後「女流評論家」となり、今はメディアの寵児だ。

志津子は電話口に出ると、短い会話を交わしてすぐ受話器を下ろした。多田美雪は今から立ち寄りたい、と言ったという。もう、そばまで来ているというのだから強引な話だ。だが、志津子に迷惑がる気配はない。「いいでしょう?」と肇に同意を求める。

志津子は、多田美雪がどれほどの著名人かを語って聞かせる。筆名が「ジャネット・多田」であることや「アメリカ人の男の人と結婚して、別れた話を書いた本」が話題を呼んだことだ。その本は「あなたに見せたでしょう?」と言う。肇も、そのことは覚えている。『ブロンドの胸毛と暮らした日々』というエッセイ集だった。題名に嫌悪を感じて読む気にはならなかったが――。このあたりから、家庭の安定を脅かす異物の影が見えてくる。

筋を逐一たどるのはネタばらしになる恐れもあるので、このくらいでやめよう。ただ、ミステリーにかかわらない範囲で、もう少しだけ話を進めておく――。多田美雪は、たしかに来宅する。「講演会の帰り」ということで、そのいでたちは「映画やテレビでしか見ることのできない女優のようだった」。ハイヤーで帰途についたら「志津ちゃんのこと」が思い浮かんで電話をかけたという。それは、旧友に対する友情の表れとばかりは言えなかった。

美雪の本音は、志津子に「身の回りの世話」をしてもらえないか、ということにあった。家政婦のような見ず知らずの人は家に入れたくない、週に一度でいいから留守中に合鍵で入って掃除や片づけをしておいてくれないか――。志津子は困惑しつつ、うれしそうな表情も見せて、肇の顔をうかがう。肇は「きみの好きにしたらいいよ」と言うしかない。こうして話はまとまる。これが家庭の安定を揺るがす一連のゴタゴタの始まりだった。

作者が巧妙なのは、1980年代末の価値観の移ろいをあぶり出すのに、二つの極端を遭遇させたことだ。片方には専業主婦、良妻賢母という旧来の女性像がある。もう一方には、自身の体験を赤裸々に語って飛躍する女性の生き方がある。両者は互いに異物であり、相互作用がないように見えながら、実はどこかで通じている。どちらの側の女性も同時代人だからだ。或る夜、片方がもう一方と接触したことで、そこに化学反応が起こる。

家が殻になった今、美雪が志津子の家にふらりと現れることもあるまい。私たちは異物に触れる機会がめっきり減った。それがよいかどうかは別の話だが。
☆引用箇所にあるルビは原則省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年6月23日公開、通算683回
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タクシーの推理、超ロング客の謎

今週の書物/
『一方通行――夜明日出夫の事件簿』
笹沢左保著、講談社文庫、1995年刊

乗り場表示板

このところ、硬い本が続いた。ここらで、ちょっと息を抜こう。私の息抜きは、テレビの前に寝転がって、ひと昔前、ふた昔前の2時間ドラマをほろ酔い気分で観ることだ。今回は当欄も、同じような脱力状態で前世紀ミステリーの世界をさまよってみよう。

2時間ドラマの人気シリーズといえば、十津川警部、浅見光彦、霞夕子……と年齢性別さまざまな主人公がいる。夜明日出夫もその一人。「タクシードライバーの推理日誌」(テレビ朝日系列)に、元警視庁捜査一課刑事のタクシー運転手として登場する。

「タクシードライバー…」は、定型化が際立つ2時間ドラマだ。たとえば、冒頭場面。渡瀬恒彦演じる夜明がハンドルを握っている。すると、後部座席で大島蓉子演じる中年女性客が、わがままを言ってひと騒動引き起こす――。いつの間にか定着した前振りの賑やかしだ。ただ、ドラマの本筋とは関係ない。ドタバタが一段落して、次に乗ってくる〈2番目の客〉が問題人物。どこか謎めいている。こうして視聴者は事件を予感する。

シリーズは回を重ねるごとに、こんな〈お約束〉が生まれ、視聴者が筋の流れを読めるようになった。夜明は〈2番目の客〉の信頼を勝ち得て、ご指名で迎車を頼まれるほどになる。無線で駆けつけた〈2番目の客〉の仕事場は、偶然にも夜明の娘あゆみが働くアルバイト先だった。親子は、そこでばったり対面する……。細部にまで定型ギャグが張りめぐらされている。規格化された部材で組み立てられたプレファブ建築のようだ。

実は、この定型化こそ2時間ドラマの魅力だ。「タクシードライバー…」は、始まって10分ほどで犯人の目星がつく。30分もすれば事件の構図が見通せる。あとはウトウトしていてもいい――。これは、2時間ドラマの商品価値の一つと言ってもよい。

「タクシードライバー…」シリーズについては実は6年前、当欄の前身ブログでもとりあげている()。あのときは「定型化」を別の視点から説明した。その一節はこうだ。

《このシリーズが好評を博したのは、誰が犯人かの謎ときに主眼を置くフーダニット(whodunit)にしなかったからだろう。どの回も、犯人は最初から目星がついていた。これは、テレビドラマの宿命を熟知しているからこその選択ではなかったか。制作陣は、犯人役にA級の役者をあてがうのが常だ。だから、視聴者は番組表の出演者名列を見ただけで見当がついてしまう。そもそも、テレビで犯人当てを売りにするのは無理がある》

この推察は、さほど見当違いではなかろう。テレビドラマには、小説にない制約がある。登場人物の顔がすべて公開されていることだ。美しいが翳のある女優が画面に現れたら、フーダニットの答えは見えているも同然ではないか。だから、制作陣はフーダニットを最初からあきらめ、別の選択をした。事は予想通りに運ぶ。その結果、安心して観ていられる。この価値を極大化したのが「タクシードライバー…」シリーズだと言ってよい。

では、シリーズの原作はどうか。

今週は、『一方通行――夜明日出夫の事件簿』(笹沢左保著、講談社文庫、1995年刊)を読む。1992年、「小説現代」臨時増刊に発表された長編推理小説。同年、「講談社ノベルス」の1冊としても刊行されている。著者が1990年から手がけた夜明日出夫ものの第6作に当たる。調べてみると、この1編も1994年、シリーズ第4作としてドラマ化されている。〈2番目の客〉となるのがめずらしく男性で、その役を寺尾聰が演じたらしい。

原作の冒頭部はどうか。冬の午後、夜明は東京・江古田界隈を走っている。乗客は女子高校生らしい二人。「そこで、停めて!」といきなり叫ぶ。メーター料金をきっかり2で割り、それぞれ千円札と小銭を出しあう。マイペースだが、大島蓉子ほどの毒気はない。

この小説には、前振りがもう一つある。女子二人が降りた後、「ドロボー」という絶叫が聞こえてくる。バイク男が女性の通行人からハンドバッグを奪ったのだ。夜明はタクシーの向きを変えてバイクの行く手を阻み、ひったくり犯がバイクを乗り捨てて逃げようとするところを取り押さえた。パトカーが駆けつけたとき、最年長の警官が驚いたように言う。「ああ、夜明警部補じゃありませんか」。この一幕はテレビでも見た記憶がある。

〈2番目の客〉は、原作も男性だった。40代後半か。黒のスーツを三つ揃いで着こなしている。サングラスで目もとを隠しているが、「知的で繊細で、いわゆるインテリの顔」だ。とりあえずの行き先は、神奈川県の川崎港。18時発のフェリーに乗るのだという。

男は江古田に自宅があるが、訳あって5年間も東京を離れていた。最近帰京したが、ホテル住まい。家には妻がいるのに帰宅しない。今も門の前までは行ったが、呼び鈴ひとつ鳴らさず、引き返してきたという。謎だらけだ。〈2番目の客〉の必須要件を満たしている。

その男が、車内の運転手表示を見て「夜明日出夫さんか」と独りごとのように言い、爆弾提案をする。「夜明さんにも、旅行に付き合ってもらうわけにはいきませんかね」。自身の名が「井狩真矢(しんや)」であること、今回は船で宮崎県日向に渡り、そこから陸路で九州を横断、長崎県の雲仙温泉で泊まるつもりであることを打ち明けた。「ブラッと出かける」旅だ。飛行機でひとっ飛びしないのも「旅の途中」を大事にしたいからだという。

井狩の考えでは、九州では陸上区間のすべてをタクシー1台にまかせる。ということは、全行程で運転手を束縛することになる。井狩はフェリー代や高速道路料金、宿泊費を負担したうえで、往復の走行の対価として45万円を支払うという。運転手の立場でいえば、願ってもない長距離(ロング)の客だ。夜明は、テレビでもこの手の上客にしばしば恵まれて「ロングの夜明」の異名をとるが、これほどの「超ロング」はめったにない。

井狩がもちかけた話は不自然だ。「旅の途中」を楽しみたいなら九州上陸後にタクシーを借り切ればよい。なぜ、フェリーの船旅にまで東京のタクシー運転手を車付きで同行させるのか。井狩は、日向でタクシーをつかまえて雲仙までと頼むのが「何となく面倒で億劫」と言うのだが、説得力はない。ただ、不自然さが漂うからこそ、なにか底意を感じてしまう。井狩の胸中にどんな企みがあるのか、読者もあれこれ思いをめぐらすことになる。

作中には、運転手側の事情も書かれている。1)突然ロングの発注を受けると営業所への帰庫時間を守れない2)タクシーは二人の運転手が1台を交代で使っているので、一人が何日間も乗るには相方の了解がいる3)昼夜ぶっ通しの仕事は二人一組で引き受けるのが原則――。法令から当局の指導、営業所の規則まで、運転手には諸々の縛りがある。その一方で、ロングが一定距離以上に及ぶなら客の求めを断ることも認められているらしい。

ただ、今回は幸運にも上記三つの難関を切り抜けられそうだった。このころ、業界は運転手不足が深刻で1台に二人を割り当てることが難しくなり、夜明は1台を独占していたからだ。これで1)と2)は突破できる。3)は労働時間の制限にかかわるので微妙だが、フェリー乗船中は「事実上、乗務しないで休んでいる」から営業所も容認するはず、と夜明は勝手に決め込んだ。これが、現実社会に通用する理屈かどうかはわからない。

九州旅行まるごとのロング走行は、乗客からみて常識を逸しているだけではなく、運転手の側からみても想定外だった。にもかかわらず、この作品は無理を通して夜明に超ロングを押しつけている。それができるのも、エンタメ小説の特権だろう。ちなみに本作のテレビ版では、井狩が雲仙温泉に行ってくれとは言わない。目的地は栃木県・川治温泉。ロングではあるが超ロングではない。テレビのほうが現実的ということだろうか。

この小説もドラマ同様、タクシーにロングの客が現れた時点で犯人探しのハラハラ感は薄れている。フーダニット路線は、原作でも半ば放棄されていたのだ。読者は読み進むうち、犯人にどんな動機があり、どのようなトリックを使って犯行に及んだのかというハウダニット(howdunit)に引き寄せられていく。井狩の言葉を借りて言えば、タクシーものミステリーの読みどころは犯人特定という目的地ではなく、「旅の途中」にある。
* 「本読み by chance」2017年3月24日付「渡瀬恒彦、2Hとともに去りぬ
☆ 引用箇所にあるルビは原則省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年6月2日公開、通算680回
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■公開後の更新は最小限にとどめます。

「点と線」を原武史経由で読む

今週の書物/
『「松本清張」で読む昭和史』
原武史著、NHK出版新書、2019年刊

駅のホーム

今月の当欄はテレビに目を転じて、2時間ミステリー(2H)の看板シリーズに焦点を当てた。森村誠一原作の「終着駅シリーズ」と西村京太郎原作の「トラベルミステリー」だ。テレビ朝日系列の両シリーズは、ともに今月放映の作品が最後となる。改めて思うのは、両者の源流に松本清張の長編小説『点と線』があるのではないか、ということだ。勤め人社会の落とし穴を描いている。鉄道がよく出てくる。そんな特徴が受け継がれている。

『点と線』の初出は、1957年2月号~1958年1月号の『旅』誌連載だ。清張は、この作品で社会派推理小説という新分野の旗手になった。ここで「社会派」とは何を意味するのか。私見を言えば、作者の観察眼が同時代の世の不条理を見抜いていることだ。

たとえば、この作品では事件が官僚機構の病と深く結びついている。中央官庁の高級官僚が業者と結託して甘い汁を吸う、追及の手が及びそうになると下級官僚をトカゲの尻尾のように切って捨てる――私たち読者は、そんな構図を生々しく見せつけられるのだ。

作品が発表されたころ、私たちは子どもだったが、この構図のことは薄々知っていた。同様の事件が後を絶たず、新聞やテレビを賑わせていたからだ。長じて自らが新聞記者になると、官庁がらみの事件が起こるたび、そこにその構図がないかを疑うようになった。驚くべきことに、日本の官僚機構は今も同じ構図から脱け出せないでいる。そう見てくると、清張は1950年代後半、日本社会の慢性疾患をいち早く見いだしていたことになる。

ただ、この作品の社会派としての魅力は、不条理をあぶり出したことにとどまらない。筋立てだけでなく細部の描写から、当時の世相が見えてくる。東京と地方の距離感、それと重なりあう豊かさと貧しさの落差、列島の交通網が過渡期にあったこと……。

で、今週の1冊は『点と線』――といきたいところだが、あえてそれを避ける。選んだ本は『「松本清張」で読む昭和史』(原武史著、NHK出版新書、2019年刊)だ。なぜ、間接的に語ることにしたのか。最大の理由は、著者の松本清張観をかなりの部分、私も共有しているからだ。ならば当欄は、この本に収められた著者の『点と線』論を紹介して、その指摘に賛意を表したほうが説得力をもつのではないか。そう思ったのである。

この本は、NHK・Eテレが2018年に放送した「100分de名著 松本清張スペシャル」をもとにしている。その教材として刊行された本を、改題、加筆、再構成したものだ。清張作品のうち、『点と線』『砂の器』『日本の黒い霧』『昭和史発掘』と未完の『神々の乱心』に焦点を当てている。最初の二つは戦後社会高度成長期の位相をリアルタイムで切りだした長編小説、残り三つは戦前戦後史を掘り起こしたノンフィクションや小説である。

『点と線』は第一章でとりあげられている。題して「格差社会の正体」。章題をみて、私は一瞬戸惑う。高度成長期は日本社会に「一億総中流」の意識が広まった時代という印象があるからだ。だが著者は、その初期には「格差」が存在した事実を見逃さない。

格差の具体例は乗りものだ。著者が世に言う鉄ちゃん、無類の鉄道好きであることはよく知られている。この本もその蘊蓄が満載だ。長旅で乗る列車が特急か急行かという選択に、著者は格差を見てとる。『点と線』で、福岡市の海岸で不審な死を遂げた中央官庁課長補佐の佐山憲一が東京駅で乗り込んだのは寝台特急だった。これに対して、警視庁刑事の三原警部補が九州や北海道への出張時に多用するのは夜行の急行列車である。

これは先週、当欄が読んだ『寝台急行「銀河」殺人事件』(西村京太郎著、文春文庫)を思いださせる。警視庁の亀井刑事が東京駅で寝台急行「銀河」に乗ろうとするとき、「急行列車ですか。なつかしいですなあ」と昔を思い返す場面と響きあっている。(*)

『点と線』で佐山が乗った寝台特急は「あさかぜ」。1956年に登場した「花形列車」だ。そのころは寝台車のほかに客車も連結しており、特別二等車(略称「特二」)があった。当時の国鉄では普通車が三等車だったので、二等車というだけで格上だが、それよりもさらに高級感がある。二等車でも「ボックスタイプの直角椅子」が設えてあった時代、特二には「リクライニングができる」座席が並び、背もたれを倒すことができたのだ。

「あさかぜ」が東京駅に横づけされた場面は、この作品の読みどころだ。その姿が隣接ホームから見通せる時間は限られている――これがミステリー謎解きのカギとなっている。

一方、急行はどうか。『点と線』は三原刑事が乗った急行「十和田」の車内を描いており、著者はこれを引用する。上野駅を19時15分に出て翌朝9時9分、青森に着く。文字通りの夜行列車である。「前に腰かけた二人が、東北弁でうるさく話しあっていたので、それが耳について神経が休まらなかったのだ」――この記述からわかるのは、三原が四人掛けのボックス席で車中泊したということだ。著者は「おそらく三等車であろう」と推察する。

三原はこのあと青函連絡船で津軽海峡を渡り、函館14時50分発、札幌20時34分着の急行「まりも」に乗り継ぐ。上野からまる一昼夜の旅。札幌では「くたくた」になり、「尻が痛くなっていた」。ちなみにこの出張は、中央官庁の出入り業者である安田辰郎の足どりを跡づけるものだった。「安田はおそらく、上野から二等寝台か特二で悠々と来たのであろう」――三原が安田の境遇をうらやむ心理を、清張はそんな言葉で表現している。

著者は『点と線』の時代、夜行の旅では「二等寝台車に乗れる客」と「急行の三等車でしか行けない客」がいたことをもって「当時は厳然と階級が存在した」と断ずる。国鉄は1960年に客車の3等級制を2等級制に改め、さらに1969年には等級制をやめて「普通車」「グリーン車」の名で呼ぶようになった。これは社会から階級が消えていく流れに呼応している、と著者はみる。「一億総中流」の意識は高度成長後期にできあがったものなのだろう。

格差は二等寝台と三等の違いにとどまらない。著者は、安田の「飛行機による移動の可能性」にも触れている。ネタばらしになりかねないのにあえて言及したのは、そこに時代の位相を見たからだろう。当時、列島縦断の旅では空路と陸路という格差も出現しつつあった。

格差は、階級や階層の間だけではなく地域の間にもあった。東京と地方の格差だ。『点と線』では、三原刑事が九州出張から帰京後、東京駅から有楽町の喫茶店に直行する。「彼はうまいコーヒーに飢えていた」「これだけは田舎では味わえない」と清張は書いている。

つくづく思うのは、二等寝台と三等であれ、空路と陸路であれ、東京と地方であれ、両者間の格差がどんどん小さくなっていったことだ。高度成長期が終わるころ、人々は東京から大阪へ出張するとき、飛行機にするか新幹線にするかを各自の都合で決めるようになった。珈琲党も、自家焙煎の喫茶店やフランチャイズのコーヒー店が津々浦々に広まり、東京にいる必要はなくなった。格差解消と言えば聞こえがよいが、均質化が極まったのだ。

こうしてみると、『点と線』の時代を起点とする高度成長には二面性があった。それは人々の貧富の差を縮めたが、同時に社会の構成要素が具える個性を薄れさせてしまった。科学用語を用いるならば、エントロピーが大きくなったということだ。冷水1リットルと熱湯1リットルが混ざって、ぬるま湯2リットルになってしまったわけだ。日本の風景は今や、東京も地方も似たもの同士だ。のっぺりしてつまらなくなったともいえるだろう。

裏返せば、『点と線』の世界はのっぺりしていない分、魅力があった。それは、安田の妻亮子の趣味からもうかがうことができる。亮子は結核の療養中で、鉄道の時刻表が愛読書だった。この一瞬にも「全国のさまざまな土地で、汽車がいっせいに停っている」「たいそうな人が、それぞれの人生を追って降りたり乗ったりしている」。彼女は発着時刻がぎっしり並んだページの向こう側に、駅ごとに異なる風景を見ていたのではないか。

高度成長がもたらした貧富の差の縮小は半世紀を経て、もはや期限切れだ。著者は、私たちが1990年代のバブル経済崩壊を経て「持てる者と持たざる者との差が広がる格差社会」に直面していることを指摘して、こう書く。「そうした状況の中でこの小説を読むと、格差がはっきりと描かれていることが逆に切実に迫ってくる」――。『点と線』を今読むことは、私たちがいっとき抱いた「総中流」意識のはかなさを知ることにもなるだろう。

* 当欄2022年12月16日付「2時間ミステリー、老舗の退場
☆引用箇所のルビは省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月23日公開、通算658回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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■公開後の更新は最小限にとどめます。

2時間ミステリー、老舗の退場

今週の書物/
『寝台急行「銀河」殺人事件――十津川警部クラシックス』
西村京太郎著、文春文庫、2017年刊

地図(*1)

今週も2時間ミステリー(2H)の話題を。今月29日に最終作品が放映される「西村京太郎トラベルミステリー」(テレビ朝日系列)。高橋英樹主演の十津川警部シリーズである。

このシリーズの退場は、日本のテレビ史に記録されるべきだろう。というのも、放映開始が1979年だからだ。2Hの新作放映枠が国内テレビ界に登場したのは1977年(初期は90分枠)。その2年後に開店したわけだから、2Hの老舗であることは間違いない。(*2)

シリーズが始まったころは、2H新作放映枠がテレ朝系列の「土曜ワイド劇場」(土ワイ)だけだった。日本テレビ系列の「火曜サスペンス劇場」(火サス)が追いかけるのは1981年。やがて民放各局に広まり、十津川警部ものも複数局が手がけるようになる。だから、テレ朝系列「西村京太郎トラベルミステリー」は数ある十津川警部もののなかで元祖ということだ。その新作がもう見られない。先週の言を繰り返せば、一つの時代が終わったのである。

では、テレ朝系列の十津川警部ものは何本つくられてきたのか。テレ朝の公式サイトでは、最終作品が「第73弾」とされているが、これには疑問もある。ウィキペディア記載の作品を数えあげると、1979年からの総数が76本になるからだ。このズレは何か。実はシリーズ初期の3本は、系列在阪局の朝日放送(ABC)が大映と組んで企画制作しているのだ。テレ朝本体が東映と組んでつくってきたものが、1981年以来73本になるということだ。

制作局が途中で代わった理由が気にはなる。ここでは立ち入らないが、当欄が去年話題にした『2時間ドラマ40年の軌跡』(大野茂著、発行・東京ニュース通信社、発売・徳間書店)からは裏事情の一端が感じとれる(*2)。そこにも一つ、人間ドラマがあったらしい。

テレ朝系列十津川警部ものの歴史は40年余にも及ぶのだから、俳優陣が入れ代わっても不思議はない。だが、交代は驚くほど少ない。十津川を演じたのは、1979~1999年が三橋達也、2000年以降が高橋英樹。三橋時代には、それぞれ1回限りの代役で天知茂と高島忠夫が主演したこともある。十津川を支える亀井警部補(カメさん)役は綿引勝彦(旧名・綿引洪)、愛川欽也、高田純次の順でバトンタッチ。愛川は1981年から31年間も務めた。

当欄は今回、テレ朝系列の十津川警部ものを分析する。ここで対比すべきは、TBS系列の十津川警部もの、とりわけ渡瀬恒彦と伊東四朗が十津川警部とカメさんを演じたシリーズ(1992~2015年放映)だ。2Hフリークは2000年代の10年間、高橋・愛川組対渡瀬・伊東組の競演を楽しんだ。どちらのシリーズにも西村2Hの常連女優、山村紅葉が警視庁捜査一課十津川班の刑事として出てくるという共通項があるが、ドラマの作風は異なる。

ひとことで言えば、テレ朝系列の高橋十津川ものがあくまでミステリー作品なのに対して、TBS系列の渡瀬十津川ものは人間ドラマの色彩が強いのだ。後者では、十津川が陰のある男として描かれているように思う。それは、渡瀬の十津川と伊東のカメさんが屋台で酒を酌み交わす場面や、二人が大自然を見つめながらひとことふたこと人生を語りあう場面などで顕著になる。人間にこだわるところは「ドラマのTBS」の伝統か。

一方、高橋十津川ものには土ワイの性格が反映している。土ワイの初代チーフプロデューサーが打ちだした制作方針には「娯楽性・話題性を最優先」があったという(*2)。放映が週末の夜なのだから、肩の凝らない作品をめざすという方向性はよくわかる。その娯楽性は、謎解きの妙だけで維持しているわけではない。それは二つの要素によって増幅され、視聴者の心をつかんできたのではないか。一つは旅情、もう一つは郷愁である。

旅情をそそるのは、なんと言っても鉄道だ。長距離列車が出てくる作品が多い。たとえば、テレ朝制作になって以後の初期10作品(1981~1987年放映)をみると、実に9作品のタイトルが列車の愛称付きだ。特急「あずさ」の名が出てくれば、信州の山々が思い浮かぶ。特急「雷鳥」(現在は「サンダーバード」と呼ばれている)とあれば、北陸の冬空が見えてくる。私たちは新聞テレビ欄のタイトルを見ただけで旅気分に誘われたものだ。

実際にドラマでは、十津川班の刑事たちがしばしば鉄道に乗る。班は警視庁捜査一課に属しているから首都東京が管轄区域なのに、諸般の事情があって全国津々浦々に足を延ばすことになるのだ。プラットホームの光景が出てくる。発車のベルが鳴る。列車の警笛が聞こえる。刑事二人が向かい合わせの席に腰かけ、駅弁を頬張るシーンも定番だ。そして車窓には田園の緑が流れていく……これだけでも旅番組を代行しているようだ。

ドラマでは鉄道が事件のアリバイ工作にかかわることが多いが、それも別種の旅情を呼び起こす。私たちは刑事とともにアリバイを崩そうとして、容疑者の動きを面的に、あるいは空間的にとらえようとする。鉄道でA市からB市へ行くには、P線だけでなくQ線とR線を乗り継ぐ方法もある。いやC空港まで車を飛ばし、飛行機に乗ったほうが早く着くかもしれない……。こんなふうに日本地図を脳裏に浮かべると、旅の疑似体験ができる。

では、郷愁とは何か。それは、今の日本社会が置き忘れたものを切ないと思う気持ちだ。テレ朝系列の十津川警部ものでは、その心情を東北出身の愛川カメさんが代弁している。カメさんの雰囲気が、高度成長期に東北地方の少年少女を大都会に送り込んだ集団就職列車のイメージと重なるのだ。自身は集団就職組ではないのだろうが、同世代ではある。ドラマが東北を舞台とするとき、カメさんが上野駅にいる場面は大きな魅力になった。

で、今週の読みものは長編小説『寝台急行「銀河」殺人事件――十津川警部クラシックス』(西村京太郎著、文春文庫、2017年刊)。「オール讀物」1985年1月号に発表された後、単行本(文藝春秋社刊)となり、1987年に文庫化されたものの新装版だ。テレ朝系列の十津川警部シリーズは1986年、これを早々とドラマ化したが私には記憶がない。私は2Hの再放映を折にふれて録画しているが、残念なことに保存分のなかにも見当たらなかった。

ということで当欄は、この作品の旅情と郷愁を原作小説からすくい取ってみる。

例によって筋は追わないが、導入部は素描しておこう。会社員の男40歳が東京から大阪への出張で22時45分発寝台急行「銀河」に乗る。高料金のA寝台だが、出張費は新幹線+ホテル代のかたちで精算できるので、それでも小遣い銭が浮く。ところが、車内で想定外の事件が起こる。愛人が同じ寝台車で殺されており、殺人の嫌疑がかかったのだ。男は十津川の旧友だった。大阪府警の事件ではあるが、十津川も協力を求められる――。

この作品では鉄道移動が東京・大阪間なので、鄙びた温泉で旅気分を高めることができない。関係者の立ち回り先として京都嵯峨野の神社が出てきたりはするのだが、その描写もさらっとしている。旅情をもたらすのは、もっぱら寝台急行「銀河」そのものだ。

「銀河」の車体は青。だが、特急ではないので「ブルートレイン」扱いされないこともあるらしい。ではなぜ、急行なのか。東京から大阪までの行程に約9時間もかけるからだ、と著者はみる。「あまり早く走り過ぎてしまっては、大阪に未明に着いてしまう」のだ。著者はここで「銀河」の歴史に触れる。戦前は東京・神戸間の寝台急行で1、2等車だけ、普通車に当たる3等車はなかった。「上流階級の人だけが乗る『名士列車』だった」のである。

こうしたゆったり感や豪華列車の名残が読者や視聴者の旅情を誘うのは間違いない。

「銀河」は、郷愁の誘因にもなっている。これもまた、特急ではなくて急行だからだ。その分類が、カメさんの心を動かした。十津川とともに「銀河」に乗り込む直前、東京駅のホームでこんな感想をもらす。「急行列車ですか。なつかしいですなあ」。自分が青森から東京に出てきたころは「普通列車にしか乗れなくて、急行列車に乗るのが夢だったんですよ」。そんな経験があるから、今も特急より急行に有難みを感じるというのだ。

老舗2Hの退場で、旅情と郷愁に彩られた一つの文化が消えていく。だが、再放映はこれからもある。小説ならいつでも読める。2Hフリークは、そう思うしかない。

*1 地図は『新詳高等地図――初訂版』(帝国書院)
*2 当欄2021年7月30日付「2時間ミステリー、蔵出しの愉悦
☆ドラマのデータは、私自身の記憶とテレビ朝日、東映の公式サイトの情報をもとにしていますが、不確かな点はウィキペディア(項目は「西村京太郎トラベルミステリー」=最終更新2022年12月9日=など)を参照しました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月16日公開、通算657回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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