佐鳴湖という都市の里湖

今週の書物/
『佐鳴湖のこまったいきもの――侵略的外来種図鑑』
佐鳴湖いきもの調査会・戸田三津夫作成、2023年刊

さなるこ新聞

私は月に1度、「新聞」にコラムを書いている。新聞の名は「月刊さなるこ新聞デジタル」。静岡県浜松市の住宅街に佐鳴湖という湖水があり、その湖岸の人々に向けて発信されている。ミニコミ紙と呼んでよいだろう。今年10月に通算100号を達成した。

「デジタル」と銘打っているのは、ネット経由で読めるかららしい。ただし、pdfをプリントアウトすれば紙の新聞になる。編集長は井上正男さん。京都大学大学院で宇宙物理学を修めた後、報道界に入り、北國新聞(本社・金沢市)で論説委員を務めた人。私よりも年長だ。今は浜松に住み、ジャーナリストとして活動している。「市民の科学」を支援する立場から、佐鳴湖の生態系保全など環境問題の論評に力を入れている。

拙稿コラムは「さなるこウォッチャー/風に鳴れ!里湖(さとうみ)ジャーナリズム」。執筆を引き受けた2019年秋、私は佐鳴湖をまったく知らなかった。浜松に浜名湖以外の湖があると聞いて驚いたほどだ。そこで、知らないことを逆手にとろうと心に決めた。未知の土地の人々に宛てて、あえて現地に赴くことなく手紙のようなものを書けないか。そう考えて、グーグルアースによる探訪記(2020年2月号)などを試みていた。

だが、そんなことを2年余も続けていたら欲求不満が募ってきた。やっぱり、現地を一度は見ておきたい。それで去年秋、佐鳴湖を訪れた。井上さんの案内で湖岸を歩くと、湖の面積が実際(約1.2㎢)よりずっと大きく感じられた。今年1月号のコラムでは「都市の『大湖』に出会う」と題して、そのことを報告した。湖の周りは樹林だが、その外側には住宅街が広がっている。住人たちはきっと、湖を日々意識しながら暮らしているのだろう。

湖岸の人々は毎日、湖の景観を楽しんでいるに違いない。岸辺の樹林も、休日には憩いの場となっているだろう。ただ、その恩恵をこれからも持続して受けようとするなら、湖の生態系を蘇らせ、守っていかなくてはならない。かつて農村の人々が里山から薪炭を得ながらその生態系を維持してきたように、湖岸の人々も湖の生態系と共存したほうがよい。その意味で、佐鳴湖は都市住人の「里湖」と言ってよいのではないだろうか。

具体例を紹介しよう。私は佐鳴湖を訪ねたとき、湖岸で「シジミハウス」を見せてもらった。放流用シジミの養殖施設だ。養殖は市民中心の事業で、自治体もかかわっている。自治体が熱心なのは湖の富栄養化対策になるからだが、市民には別の意図もある。湖にはもともとシジミがたくさん生息していたのだから、それを取り戻したい――井上さんはそんな思いを打ち明けた。湖本来の生態系を復元したいということだろう。

で、今週の1冊は『佐鳴湖のこまったいきもの――侵略的外来種図鑑』という冊子だ。作成者の欄には、「佐鳴湖いきもの調査会」とその会長戸田三津夫さん(静岡大学工学部准教授、大気水圏科学などが専門)の名が記されている。井上さんによると、掲載された動植物の写真は「いきもの調査会」を中心とする市民団体のメンバーが撮影、解説文は戸田さんが執筆した。分量は、表紙プラス15ページ。ホチキス綴じで手づくり感が漂う。

冊子製作では「浜松RAIN房」から今年度上半期の助成を受けた。この団体は「ものづくり理科支援ネットワーク」の看板を掲げ、地域社会に根差した理科教育を応援している。

冊子が焦点を当てるのは、外来種(外来生物)だ。最初の4ページで外来種問題の基礎知識が解説され、5ページ目からは佐鳴湖一帯で要注意の外来生物が写真付きで紹介されている。一覧しただけで、都市の自然環境がいま歪みつつあることが見てとれる。

本文は、こう切りだされる。「『外国からきたいきもの』だけが外来種だと思っているかもしれませんが、正しくない場合があります」。外来種を定義づければ「いきものの能力をこえた移動を人間(ヒト)がさせてしまったもの」のことであり、対義語は「その土地に昔から長く生息する」在来種だという。国境は問題ではない。ツバメのような渡り鳥は海を越えても外来種ではない。一方、国内で移動した生物でも外来種と呼べるものがある。

人間が関与する「いきものの能力をこえた移動」には2種類ある。一つは、人間が気に入った生物を持ち帰るような「意図的移動」、もう一つは、船にうっかり乗せてしまうなどの「非意図的移動」だ。ヒアリが船や飛行機で“密航”してくることなどがこれに当たる。

「意図的移動」の外来種には馴染み深いものが多い。「イネを含むほとんどの農作物、園芸植物、家畜やペットも外来種」だ。農作物や家畜は私たちの栄養源であり、園芸植物やペットは私たちを心豊かにしてくれる。では、有用な外来種をどう考えたらよいのか。冊子には、ヒントとなる説明図がある。それによると、外来の農作物や園芸植物、家畜、ペットは「投棄」や「逸出」などで人間の管理外に放たれたとき、外来種扱いすればよい――。

外来種のなかでもとくに「こまった」ものが「侵略的外来種」だ。冊子は、それが生態系の「生物多様性」にどんな悪影響をもたらすかを説明している。生態系は健全ならば「その土地の特色を保った複雑で豊かな生態系がモザイク状に組み合わさった状態」にあり、「生物多様性が高い」。ところが、侵略的外来種はこの状態を壊してしまう。今や生物多様性にとって、「過度な開発」「乱獲」「気候変動」と並ぶ大敵になっている。

ページを繰って、「こまった」外来生物をいくつか見ていこう。まずは植物。佐鳴湖西岸などの湿地には、多年草のオオフサモが繁茂している。写真の印象では、キンギョモに似た水草が水中から顔を出し、葉の群れが水面を覆い隠している感じだ。原産地は南米。日本ではもともと「観賞用に流通していたもの」だった。「ちぎれた茎からでも根づく」というから、繁殖力は強い。いったん根を張ってしまったら「根絶は非常に困難」だ。

オオキンケイギクは、「きれいな黄色い花」をつける多年草。北米原産だが、「以前は園芸店で販売され、幹線道路脇に植えられるなどしていた」。花壇を飾っていたということか。それが今では野に戻り、佐鳴湖周辺では下流域の新川放水路沿岸でよく見かけるという。

同様に「以前は園芸店で販売されていた」のは、ノアサガオ類。原産地は未確定だが、外来種ではあるらしい。この植物が佐鳴湖西岸域の樹林でツルを伸ばし、木々の表面を覆っている様子が冊子掲載の写真からもわかる。解説文が指摘するのは、ノアサガオの葉がヨツモンカメノコハムシという昆虫の餌になることだ。ノアサガオが現れた一帯ではこの虫も繁殖するのだろう。植物界の外来種は動物界にも影響を与え、生態系全体を変えていく。

動物に移ろう。園芸用の外来植物が自然界を攪乱しているのと同様のことが動物界でも起こっている。たとえば、北米原産のミシシッピアカミミガメ。幼体は甲の長さが数cmで人気のペットだった。通称「ミドリガメ」。ただ、これが長さ20~30cmの成体に育つと「性格が荒くなる」。その結果、野に放たれることもあったらしい。今では在来種ニホンイシガメの餌を奪い、イネなどに対する食害も引き起こす外来種になっている。

カメといえば、クサガメのことも書きとめておきたい。かつて在来種とみなされていたが、近年、DNAレベルの研究や文献の調査などから、江戸時代に大陸から持ち込まれたと考えられるようになった。今では大陸で個体数が減り、「日本が安定生息地」になったので、このままでよいようにも思うが、「ニホンイシガメと交雑する」ことが問題視されて「駆除が進んでいる」。佐鳴湖では、捕まえたクサガメをどうするかが悩みの種だという。

ウシガエルも、数奇な運命をたどった北米原産の外来種だ。日本では「食用ガエル」として輸出しようと養殖が盛んだった時期がある。この限りでは、人間の管理下に置かれていたわけだが、「逸出」で自然界に拡散したという。興味深いのは、この養殖でウシガエルの餌に使われたのが、原産地がやはり北米のアメリカザリガニだったこと。こちらもおそらく「逸出」したのだろう。いつのまにか日本各地に広まってしまった。

なるほど、生態系は人間の都合でずいぶん乱されてしまった。悪意の仕業とは言わない。善意が思わぬ結果をもたらしたこともある。だから、私たちがなすべきは、その経緯を記憶と記録にとどめることだ。この冊子で里湖の生態系について学ぶと、そう思えてくる。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年11月10日公開、通算703回
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処理水放出を倫理の次元で考える

今週の書物/
朝日新聞社説「処理水の放出/政府と東電に重い責任」
2023年8月23日朝刊

社説の見出し(*)

東京電力福島第一原発が大事故を起こしてから12年、ついにこの日が来てしまった。処理水の海洋放出だ。事故で破綻した原発が、たまる一方の難物をとうとう抱えきれなくなった、という意味で大きな区切りである。当欄も黙ってはいられない。

ということで、今回は予定を変更して朝日新聞の社説を読み、この問題を考える。というのも、このテーマは、新聞社の論説委員にとって論評が甚だ難しいものだからだ。現役の委員諸氏もたぶん、悩んだに違いない。その悩ましさを、ここで共有してみたい。

朝日新聞は2023年8月23日朝刊の社説「処理水の放出」で、「政府と東電に重い責任」という見出しを掲げた。第1段落でいきなり、「内外での説明と対話を尽くしつつ、安全確保や風評被害対策に重い責任を負わなければならない」と釘を刺している。

そこに的を絞ったか。私は瞬時にそう思った。処理水の放出は政府が決定し、東電が実行する。両者に責任があるのは当然だ。社説は、その念を押すことに力点を置いている。

半面、気になるのは最後の1行まで、処理水海洋放出に対する賛否を明らかにしていないことだ。これは、ひとり朝日新聞だけのことではない。処理水問題を伝えるテレビ報道などを見ていても、放出の是非について立場を表明しない例が多いように思う。

理由はこういうことだろう――。処理水は原子炉から出る汚染水から放射性物質の大半を除いたものなので、「処理」済みではある。だが、そこには水分子に紛れ込んだ水素の放射性同位体トリチウム(半減期約12年)が残っている。今回は、処理水を大幅に薄めて海に流す。生物や生態系への影響が心配だが、政府や国際原子力機関(IAEA)は「安全」と言っている。さて、それを鵜呑みにしてよいかどうか。メディアはそこで悩む。

環境省や資源エネルギー庁の公式ウェブサイトは、トリチウムが自然界にも一定程度存在すること、それが放射するベータ線はエネルギーが弱いこと、生体に入っても水とともに排出されてしまうので蓄積されにくいことなどを強調している。こう言われると、健康被害のリスクは無視できるほどなのだろうと思わないでもないが、その一方で、まだわかっていないこともあるのではないかと疑ってしまう。ジャーナリストとは、そういうものだ。

だから、メディアは処理水の放出について、積極的に賛成とは言えない。だが、逆に反対とも言いにくい。なぜなら、福島第一原発敷地内のタンク容量がほとんど限界に達しているからだ。もはや、処分を先延ばしにできないという言い分もわからないではない。

反対を主張しにくい事情は、もう一つある。もしメディアの一部が、安全問題の未解決を理由に放出に異を唱えたとしても、政府はそれを強行するだろう。すると、そのメディアは地元海産物の安全を疑問視しているような構図になる。その結果、風評被害に手を貸している、という糾弾を招きかねない。のみならず、海外の日本産海産物禁輸の動きに迎合していると揶揄される可能性もある。それは、メディアにとって本意ではないだろう。

この社説は、今回の放出を「国際的な安全基準に合致」しているとみるIAEAの見解に触れ、「計画通りに運用される限り、科学的に安全な基準を満たすと考えられるが、それを担保するには、厳格な監視と情報開示が不可欠」と述べている。とりあえずは「安全基準に合致」の判断を尊重しよう、ただ、それには条件がある、監視を続け、結果を公表することだ――これが、安全について打ちだせるギリギリの立場だったのかもしれない。

ただ私としては、社説にはもう一歩、踏み込んでほしいと思う。安全とは別の次元で、処理水放出の是非を論じられるのではないか、ということだ。その次元とは倫理である。

放出が安全かどうかはひとまず措こう。安全が不確かならやめるほうがよいが、先延ばしできないなら条件付きで受け入れざるを得ない。ただ、条件は「監視」と「開示」のほかにもある。それは、処理水の放出を倫理の座標軸に位置づけることだ。

自然界では、宇宙線などの作用でトリチウムが生まれている。そこに人間活動によって出現したものを上乗せするのが、今回の処理水放出だ。そのトリチウムの生成は、人間が巨大なエネルギーを手に入れるために原子核の安定を崩したことに由来する。人類は20世紀半ばまで、原子核の中に“手を突っ込む”ことはなかった。トリチウムの上乗せは、その一線を越えたことのあかしでもある。そのことは心に刻まなくてはならない。

それが何だ、という見方はあるだろう。だが、自然界のバランスに私たちは鋭敏でなければならない。バランスの攪乱は、たとえ小さなものでも長く続けば不測の結果をもたらすことがあるからだ。この認識を共有することは、後継世代に対する倫理的責務ではないか。

トリチウムの放出が世界の原子力施設で日常化しているのは事実だ。それらが法令や基準の範囲内ならば、違法とはいえない。だが、この一点を理由に正当化できるわけでもないだろう。原子力利用の是非にまで遡って未来の放出を避ける選択肢も考える必要がある。

メディアの論評は、現実的でなければならない。だが、だからと言って現実的でありすぎてもいけない。たとえ現実を受け入れても、言うべきことは言っておくべきだろう。
* 朝日新聞8月22日朝刊と翌23日朝刊から
(執筆撮影・尾関章)
=2023年8月25日公開、同日更新、通算692回
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日高敏隆、DNA時代の動物観

今週の書物/
『人間はどういう動物か』
日高敏隆著、ちくま学芸文庫、2013年刊

DNA

私が「科学記者」になったのは、1983年のことだ。私がいた新聞社で大阪にも「科学部」を置くことになり、その一員に加わったのだ。希望が叶っての異動だった。

とはいえ、科学記者になってみると戸惑うことが多かった。取材先は、たいてい大学の研究者。研究室をふらりと訪ねても会ってはくれない。警察署や役所の取材とは勝手が違った。アポイントメント(面会予約)という言葉を使うようになったのも、そのころだ。

そんなアポイントメント取材で印象深いのは、当時、京都大学理学部教授だった動物行動学者の日高敏隆さん(1930~2009)だ。昆虫類から鳥類、哺乳類まで動物世界の語り部としてメディア露出も多かった人だ。だが、それだけではない。動物の研究を通じて人間のありように関心を抱き、文明批評にも長けた教養人だった。虫ぎらいの私が幾度となく日高研究室にアポをとったのも、日高さんの幅広い好奇心に魅せられていたからだろう。

あのころのことを思いだそう。研究室に入ると、ゼミ室のような一角に案内された。真ん中に、木製の大机がどんと置かれている。その机を挟んでまず、日高さんと向きあう。日高さんは、当日私が取材させてもらう予定の研究をかいつまんで話し、愚問にも答えてくれた。ただ話の区切りがつくと、パッと立ちあがって、どこかへ消える。そのあと、実地調査の手順や観察の結果を具体的に説明してくれるのは、若手の研究者だった。

これは間違いなく、日高流の心づかいだった。大学の場合、科学論文が連名で発表されるとき、研究の中心にいる若手研究者が筆頭著者となり、指導役の教授が最終著者になることが多い。ところが、メディア報道では「〇〇教授のグループが発表した」とされるのが通例で、若手研究者の存在が隠されてしまう。日高さんは、それを避けようとして記者を若手に引きあわせたのだ。実際に私の記事では、その若手が主役として登場していた。

日高さんの思い出は尽きない。だが、それに浸っていては行数を費やすばかりだから、昔話は後日に譲ろう。今回焦点を当てたいのは、20世紀にあった生命観の変転だ。

生物学では今からちょうど70年前、1953年に遺伝子本体DNA(デオキシリボ核酸)の立体構造が突きとめられた。その結果、生命はDNAで説明されるようになったが、このとき私たちの念頭にあるのは細胞レベルの現象だった。いわばミクロの生物学だ。ところが、話はそれだけでは終わらない。ミクロに呼応するようにマクロの生物学にも変化が起こった。日高さんもマクロの側にいる生物学者だったが、DNAと無縁ではなかった。

で、今週の1冊は『人間はどういう動物か』(日高敏隆著、ちくま学芸文庫)。これは、『日高敏隆選集Ⅷ』(本郷尚子編集、ランダムハウス講談社、2008年刊)の文庫化だ。第一章の章題で書名同様に「人間はどういう動物か」と問いかけ、第二章「論理と共生」、第三章「そもそも科学とはなにか」と話の幅を広げている。学術書のような組み立てだが、読んでみると雰囲気がまったく違う。肩の凝らないエッセイ集という感じだ。

本書は第一章冒頭の一文で、「人間もまた動物である」と宣言する。これは当たり前の事実でありながら、なかなか受け入れられないという。近現代には「人間は動物よりもえらい」「人間には理性がある、知性がある」という人間観が強まった。だが著者は、現実には戦争が後を絶たないことを指摘する。だから、私たちは自身も動物であることを認め、「人間とはいったいどういう動物なのか」を問い直すべきだ、と提言する。

こうして第一章では、人間は「直立二足歩行」をするために体の構造をどう変えてきたのか、人間が「毛のないけもの」になった理由は何か、などが話題となる。人間社会も俎上にあがり、一夫一婦制や少子化が動物行動学の視点から考察される。

読み進むと「人間はなぜ争うのか」と題する一節にも出あう。ここでまず登場するのが、オーストリアの動物学者コンラート・ローレンツ(1903~1989)。動物行動学を切りひらいた人だ。その研究から引きだした結論は「すべての動物のすべての個体は攻撃性をもっている」。個体は、なわばりや食べもの、異性などをめぐって同類の仲間と争う。この攻撃性は「遺伝的に組みこまれたもの」であり、「種を維持するために不可欠なもの」だという。

ところが動物行動学が進展するにつれて、「個体の攻撃性」を「種族維持のため」とみるローレンツの学説に反論が現れる。そうではなくて、「個体自身の遺伝子をできるだけたくさん後代に残していく」ためだという。英国の進化生物学者であり、動物行動学者でもあるリチャード・ドーキンスが唱えた「利己的遺伝子」説だ。ドーキンスは「利己的なのは遺伝子であって、個体ではない」と主張する。個体は「遺伝子のロボット」なのか。

話を整理しよう。「攻撃性」をローレンツは「遺伝的」なものととらえた。ドーキンスは「遺伝的」なものを具体的に「遺伝子」としてイメージした。結果として主役は遺伝子に取って代わられ、生物の個体や種は遺伝子を運ぶ乗り物になってしまった――。

第二章「論理と共生」では、意外だが都市計画の論考が並んでいる。都市工学、環境工学系の雑誌に寄稿したものが集められているからだ。だが、そこにも動物行動学者の視点は見てとれる。たとえば、「計画と偶然の間」と題された一編を見てみよう。

そこではアリの巣が「じつにうまくできあがっている」ことなどを例に挙げ、「地球上の自然」は「あたかもデザインされたよう」であるという。これは、生物の「形」や「構造」や「機能」、生物種間の「関係」にもいえることだ。では背後に、だれかデザイナー(設計者)がいるのか? 著者は、ここでもドーキンスを引きあいに出す。ドーキンスは、デザイナーは不要として「偶然の突然変異と自然淘汰。それだけでじゅうぶん」と断じている。

著者の思考に広がりがあるのは、このドーキンス説を都市論に結びつけていることでもわかる。砂浜の美が「打ち寄せる波という偶然」から生まれたように、心地よい風景に「偶然」が果たす役割は大きい。これを踏まえて著者は言う。「人は都市計画によって『与えられた』ものだけでは、けっして心から満足することはないだろう」。この一編の初出は「日本都市計画学会」の刊行物への寄稿だが、そこで計画至上論をチクリと刺している。

第三章「そもそも科学とはなにか」には、ローレンツが再登場する。ローレンツが動物の行動は「遺伝的にもともと決まっていて」、そのもって生まれた性質が「あるきっかけで」顕在化すると気づいたのは1930年代のことだ。著者によれば、そのころは動物の行動は学習によって身につけたものとみる考え方が主流だった。そんな思潮が背景にあったので、ローレンツの学説は「古い」「保守反動」と冷ややかに扱われたという。

当時は旧ソ連が台頭したころだ。ソ連では、農学者T・D・ルイセンコが遺伝よりも環境の影響を重くみる学説を提唱、それが政治思想と結びついた。動物の行動を生得的ととらえるローレンツの学説に「保守反動」のレッテルが貼られても不思議はない。

ところが20世紀半ば、形勢が逆転する。ローレンツは、本書の見出しにあるように「時代の『すこし先』をいっていた」のだ。1953年、DNA立体構造の発見で遺伝子の正体がわかり、生命現象の多くがDNAの働きに還元されるようになった。DNAの探究はミクロの領域にあるが、その影響はミクロにとどまらない。遺伝の実体がつかめたことでマクロ生物学も変わった。ドーキンスの利己的遺伝子説はその代表例だろう。

ただ、DNA重視の流れは人間のゲノム(遺伝情報一式)解読に行き着いて、今度は偏重の兆しが見られるようになった。親が子の遺伝情報を設計しようというデザイナーベビーの発想も一例だ。その落とし穴を日高さんならどう論じるか。読んでみたい気がする。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年6月30日公開、通算684回
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原発被害「閾値」行政の不条理

今週の書物/
『その後の福島――原発事故後を生きる人々』
吉田千亜著、人文書院、2018年刊

20mSv!

今回も『その後の福島――原発事故後を生きる人々』(吉田千亜著、人文書院、2018年刊)を引きつづき読む。先週は、東京電力福島第一原発事故の汚染被害地域で年間線量20mSv(ミリシーベルト)という数値が独り歩きしている現実を見た。

このことでは、科学担当の元新聞記者として書いておきたいことが一つある。「閾(しきい)値なし直線(LNT)仮説」と呼ばれる考え方をどうみるか、ということだ。この仮説は、被曝による健康リスクが或る線量から急に現れるものではないと考える。リスクの有無は不連続でないというのだ。リスクは、線量がふえるにつれてしだいに高まることになる。国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告も、この立場をとっている。

LNT仮説に対する評価は、専門家や科学記者の間でばらついているようだ。理由はよくわかる。被曝線量が低いときのリスク増は、あったとしても増え幅が小さくて見極めにくいからだ。だが、だからこそ、この仮説は尊重されるべきものだと私は思う。

なにごとであれ、不確定さを伴う問題に対処するときは最悪の筋書きを心にとめるべきだからだ。その筋書きに対する根拠が現時点では不十分でも、それを織り込んで対策をとっておくことが最悪の事態を回避できる。これは、予防原則の一つと言ってよいだろう。

そのことを踏まえて本書を読むと、現実はそうなっていない。福島第一原発事故で本来の生活を乱された人々は被災地支援の諸政策に囲まれているが、それらはLNT仮説と逆向きの思想で成り立っているように見える。著者は福島県内に住む人々や県外に避難した人々を取材して、それぞれが抱える問題を浮かびあがらせているが、そこにあるのは〈閾値〉の行政だ。〈閾値〉以下の世界では3・11は強制終了されようとしている。

もちろん、政府や自治体が被災地を支援するとき、支援先を無制限には広げられないので、どこかで線を引くことになる。線引きを公正にするには基準値が必要だからだ。行政に閾は欠かせない。問題は、閾の決め方や扱い方に道理があるかどうかではないか。

本書の冒頭部では、福島県富岡町の放射線量が詳述されている。富岡町は福島第一原発の南方約10kmにあり、事故後は全域に避難指示が出された。このうち2017年4月に指示が解除された区域の元住人がその年の秋に自宅の線量測定のため「一時帰宅」したとき、著者は同行取材している。この区域は2012年3月時点で年間積算線量20mSv超とみられていたが、それが年間20mSv以下に減ったとされ、避難指示の解除に至ったのである。

この取材時、元住人宅の1時間当たりの放射線量、即ち線量率は次の通りだった。μSvはマイクロシーベルト、1mSvの1000分の1である。(*)
ベランダ   毎時0.7μSv(事故前の約17倍)
庭の植え込み 毎時3μSv(事故前の約75倍)
玄関脇雨樋下 毎時10μSv以上(測定器の上限超え)

数値を見てまず知りたくなるのは、それが避難指示解除の要件の一つ、年間線量20mSv以下を満たしているかどうかだ。このことについては、私が独自に調べてみた。環境省公式サイトのQ&Aコーナー(2016年度版)には、公衆の被曝線量限度(自然界の放射線や医療用の放射線を除く)年間1mSvを1時間当たりの線量率で表すと毎時0.23μSvになる、とされていた。そうならば、年間20mSvはその20倍なので毎時4.6μSvとなる。

先へ進む前に、年間1mSvから毎時0.23μSvを導きだした計算法を跡づけておこう。環境省の説明によれば、こうなる――。住人が屋外で過ごす時間が1日のうち8時間だとみなすと、残り16時間は屋外の空間線量の4割程度しか被曝しないことになる。ここで屋外の空間線量率が毎時xμSvとすると、年間線量限度には次の数式が成り立つ。
1mSv=1000μSv=(x×8+0.4x×16)×365μSv

この代数を中学生に戻った気分で解くと、答えはx=0.19μSvになる。ただ、これは実測値ではない。自然界にはもともと毎時約0.04μSvの放射線があるから、両方を足し合わせた毎時0.23μSvを測定すれば、公衆の線量限度年間1mSvの水準ということになる。

この計算の当否はわからない。屋内被曝を屋外の4割としたり、屋外滞在を1日8時間とみたりという仮定が入っているからだ。前者は、木造家屋かコンクリート建築かで違ってくるだろう。後者も、当人の年齢や職業によってまちまちだろう。ただ、避難指示を解く区域の線を引くには、ざっくりした仮定をもちこんで基準値をはじき出すしかない。このとき頭に叩き込んでおくべきは、その数値が大まかな目安に過ぎないということだ。

では、前述の元住人宅の測定結果をこの目安と比べよう。ベランダや庭先は毎時4.6μSv以下だが、玄関付近の雨樋付近はそれを超えている。場所によっては年間20mSv超もあるということだ。住宅1戸の敷地内に限っても、放射線量は大きくばらついている。

線量のばらつきを示す記述は本書のあちこちに出てくる。たとえば、「ホットスポットファインダー」という空間線量計を紹介するくだり。この機器は「一歩進むごとの放射線量を正確に数値化」できる。その測定で「放射性物質は風雨によって移動し、溜まりやすい場所にとどまる」ことがはっきりした。たとえば、路面の舗装がアスファルトなら線量は低いが、透水性のものだと放射性物質が染み込んで居すわり、高い値を示すことがあるという。

線量のばらつきは行政の判断に影響を与え、人々の生活設計を左右することもある。南相馬市の住人の一人は、その不条理を露骨なかたちで体験した。この人が住んでいる地域では2011年、政府の政策に従って年間積算線量20mSv超とされる家々が「特定避難勧奨地点」の指定を受けた。この人の場合、「両隣」(原文は傍点)は勧奨地点になったが、自分の家は外された。その判定結果は「賠償額の決定的な違い」にも直結しているという。

この話で痛感するのは、政府の施策が一見科学的でありながら実は非科学的なことだ。毎時の線量率を隣家と比べたとき、違いがμSvで小数点以下ならば「測定の誤差の範囲」であり、そのことは政府もわかっているはず、と著者は主張する。私もそう思う。

本書は、放射能除染の不条理も突いている。衝撃的なのは、福島県内では「県面積の約八〇パーセントが除染されない」という現実があるらしいことだ。除染は特措法のもとで政府や自治体が進めているが、田畑や山林では「ほぼ行われないに等しい」と著者は言う。

田畑は、農作業で放射性物質が土壌に交ざり込んでいる場合、表土を剥ぐだけでは除染にならないということで対象外になった。山林は、腐葉土を除くと土量が嵩む、土壌除去が防災に悪影響を与えかねない、といった理由で住宅の周辺以外は手つかずになっている。

著者は、除染で出た土の行方にも関心を向けている。本書によると、郡山市内では汚染土が児童公園の地中に埋められたことがあった。ブルーシートで覆われただけですべり台のそばに放置されたこともあった。埋設場所が住人に知らされなかったという事実も明らかになっている。福島第一原発の一部が立地する双葉町では、汚染土の行き場とされる中間貯蔵施設の用地確保がままならならず、汚染土の「仮置き場」が散在しているという。

ここでもう一度思い返したいのは、セシウム137は原子炉にとどまっても、汚染土の一部になっても、地中に埋められても、仮置き場に山積みされても、放射能の半減期が約30年で一定していることだ。私たちは原子核物理の時間尺度に縛られているのである。

私たちは被曝のリスクに向きあうとき、線量に閾値があると思わないほうがよいし、測定値には誤差があると考えたほうがよい。一方、放射性物質を扱うときは、半減期という数値に厳格に支配されていることを忘れてはならない。数字とのつきあい方は難しい。
*前回述べたように、本書では福島県内の空間線量率を「事故前」は毎時0.04μSvとしている。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年3月17日公開、同日更新、通算670回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
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3・11原発事故という進行形

今週の書物/
『その後の福島――原発事故後を生きる人々』
吉田千亜著、人文書院、2018年刊

20mSv?

3・11がまた巡ってくる。今年は特別な思いでその日を迎える。12年ひと回りが過ぎたことが感慨深いだけではない。先週の当欄にも書いたように、人の世の忘却の速さに驚かされているのだ。現政権が原発回帰策に舵を切っても世間は静かなままだ。(*)

12年前に時計の針を戻してみよう。東京電力福島第一原発の電源喪失を耳にしたのは、3月11日夕方のことだ。津波が東北地方太平洋岸を襲う様子をテレビ映像でリアルタイムで見て、途方に暮れていたときだった。追い討ちをかけるような原発の危機。発電所が電力を失うなんて悪い冗談ではないか、と一瞬思った。私は新聞社内で、同じ職場にいるベテラン原発記者から「大変なことになるよ」と聞いて事態の深刻さを知った。

その後の推移は同僚の予言通りだった。翌12日には1号機で水素爆発があった。14日には3号機でも同様の爆発が起こる。このころから、事故の本質が世間の人々にも見えてくる。原子炉は冷却水の循環が絶たれると、原子核の崩壊によって出る熱で水素が発生し、爆発に至ること、爆発で放射性物質が飛散すると福島県内のみならず、県境を越えて広域の大気や水を汚してしまうこと――そう知って不安感は恐怖感に変わった。

実際、私の周りにも首都圏を一時離れた人たちがいる。その時点で放射性物質は首都圏にも届いており、放射線のレベルがどれほど高くなるか見通しが立たなかった。メディアは事故炉へ注水を続ける現場の作業を報じ、私たちはその悪戦苦闘に気を揉んだ。

私は先週、「原子の火」と「ふつうの火」の混同に論及した(*)。福島第一原発の事故後、私たち科学記者が別部門の記者から「炉内はいつ鎮火するのか」と聞かれ、核崩壊は火事とは異なり、水をかけても止まらないことを説明した、という話である。原子核は物理法則に忠実であり、その理論が予測する時間幅で壊れていくのだ。たとえば、セシウム137では放射性物質の量が半分になる半減期が約30年――。これは水で速められない。

ここで私が思うのは、物理学の視点でみれば福島第一原発事故は終わっていないということだ。事故炉に放射性物質が残り、核崩壊を繰り返しているだけではない。外部に撒き散らされた放射性物質も崩壊を続けている(除染しても除染土のなかで続行する)。私たちは、事故で人間の時間尺度を超える原子核現象を抱え込んでしまった。しかも、その現象の一部は原発の管理された区域内ではなく、公共の空間でも進行中なのだ。

事故から12年しかたっていないのに、私たちの多くはあのときの危機感を忘れかけている。だが、忘れることのできない人々が大勢いるのも間違いない。その理由の一つも、事故原発周辺の生活圏に原子核物理の時間尺度が刻印されていることにあるのだろう。

で、今週は『その後の福島――原発事故後を生きる人々』(吉田千亜著、人文書院、2018年刊)帯の惹句に「オリンピックの忘れもの」とある。福島第一原発事故を過去の出来事にしようとする動きを戒める書だ。著者は出版社出身のフリーライターで、この事故で被害に遭った人々に取材を重ね、ノンフィクション作品を発表してきた。『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』(岩波書店、2020年刊)は講談社本田靖春ノンフィクション賞を受けている。

本書を開いて著者のセンスの良さを感じたのは、「はじめに」に次の注書きを見つけたときだ。「空間放射線量を記した際は、原発事故前の何倍にあたる数値かを添えてある」――。事故前の空間線量率とされたのは、毎時0.04μSv(マイクロシーベルト)。福島県内で1990~1998年に実測された値の平均だ。或る地点がいま毎時0.7μSvであると記したくだりでは、それが事故前の約17倍に相当することをカッコ書きで明記している。

事故前に基準を置くという著者の視点に私は共鳴する。放射線被曝によって受ける健康面のリスクをめぐっては、住人が浴びる線量をどこまで抑えるべきかが論点となり、現時点の値がどのくらいかに関心が集まる。だが、それだけで十分だろうか。線量が事故前に比べてどれほど増えたかにも目を向けたほうがよいのではないか。集団の被曝線量が一気に底上げされるという現象は、リスク要因を分析するときに無視できないように思える。

政府は、福島第一原発周辺の汚染被害地域で避難指示解除の要件の一つに、放射線の年間積算線量が20mSv(ミリシーベルト)以下であることを挙げている。端的に言えば、住人に年間20mSvまでは我慢してほしいと求めたのである。そう言われてもピンとこないだろうが、本書で線量のカッコ書きを見ると愕然とするに違いない。年間線量が20mSv以下であっても、事故前と比べればはるかに高くなった場所がいっぱいあるからだ。

本書から離れるが、事故前に福島県内の年間積算線量がどうだったかを私自身で計算してみよう。毎時の線量率が本書の数値だとすれば、単純計算でこうなる。
毎時0.04μSv×24時間×365日=年間350μSv=年間0.35mSv
ここでは毎時の線量を屋内外で一律に見ているので、これはあくまでもザクっとした値だ。それでも、20mSvが事故前の水準に比べると桁違いに大きいことがわかる。

本書も、そのことをズバリ突いている。「公衆の被ばく線量限度」(自然界の放射線や医療用の放射線を除く)はこれまで年間1mSvだったが、それが福島の事故対応では年間20mSvに「引き上げられ」、その限度内なら「安全」ということになった、というのだ。

私は40年余り前、原発が集中する福井県で記者になった。そのころ、原子力推進側がいつももちだす公衆の線量限度は年間100mrem(ミリレム)だった。今の単位では1mSvだ。当時もし、原発周辺で年間1mSv超が記録されれば大ニュースになっていただろう。

本書で印象に残るのは、福島第一原発事故で不安や苦難を強いられる人々がリスクコミュニケーションの風圧を受けている現実だ。リスクコミュニケーションとは、安全や健康を脅かす危険因子について当事者と関係機関が情報を共有することをいう。ところが、政府はこの言葉を「政府の考える『正解』をあの手この手で授け、納得させる」という意味で使っている、と著者は指摘する。政府主導の「不安の解消」策にほかならない、というのだ。

この施策の背後には、地元を苦しめる「風評被害」がある。福島産の農産物や水産品が不当に扱われることのないようにしたい、という動機は正しい。だが実際には、政府や学者の一部が「安全だ」と連呼したことで、「放射能汚染の事実」までが「『風評被害』と言われるようになった」と著者は批判する。「事実関係を丁寧に議論すべきこと」も「風評」扱いされるわけだから「これほど実害を隠す便利な言葉はない」と嘆いている。

著者は、この問題に「『被ばく防護』vs『風評対策』」「『健康・命』vs『経済・金』」の対立構図をみる。「健康」と「経済」は本来、前者を第一に考えながら後者も追い求めるべきものだが、それが「vs」の関係にされたところに福島の不幸があるように私は思う。

本書には、政府版「リスクコミュニケーション」の例がいくつか出てくる。一例は、政府の「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」が2011年暮れに出した報告書。年間20mSvでがんになるリスクについて、喫煙や肥満、野菜不足などよりも低いとしている。著者は、年間10mSv未満の被曝でがんが増えるという論文も多いことから「この報告書が科学的に正しいと結論づけることはできない」と反駁する。

報告書の説明には別の問題もあるように、私には思える。それは、がんのリスクについて年間20mSvの被曝と喫煙とを比べていることだ。たばこががんの原因になることは明白であり、この報告書の記述が正しいとしても、年間20mSvでがんになる人の割合が喫煙のそれよりも小さいことを言っているに過ぎない。知りたいのは、年間20mSvの発がんリスクが事故前のそれ――自然界の放射線の発がんリスク――よりも高まったかどうかなのだ。

福島第一原発事故で地元の人々が背負い込んだ重荷の多くは、あのときを境に生活圏に飛び交う放射線が桁違いにふえたことに起因するのではないか。しかも、その線量は半減期に縛られてなおも減らない。原発事故は終わっていないのだ。次回も、本書を読む。
*当欄2023年3月3日付原子の火』1950年代の原子力観
(執筆撮影・尾関章)
=2023年3月10日公開、通算669回
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