日高敏隆、DNA時代の動物観

今週の書物/
『人間はどういう動物か』
日高敏隆著、ちくま学芸文庫、2013年刊

DNA

私が「科学記者」になったのは、1983年のことだ。私がいた新聞社で大阪にも「科学部」を置くことになり、その一員に加わったのだ。希望が叶っての異動だった。

とはいえ、科学記者になってみると戸惑うことが多かった。取材先は、たいてい大学の研究者。研究室をふらりと訪ねても会ってはくれない。警察署や役所の取材とは勝手が違った。アポイントメント(面会予約)という言葉を使うようになったのも、そのころだ。

そんなアポイントメント取材で印象深いのは、当時、京都大学理学部教授だった動物行動学者の日高敏隆さん(1930~2009)だ。昆虫類から鳥類、哺乳類まで動物世界の語り部としてメディア露出も多かった人だ。だが、それだけではない。動物の研究を通じて人間のありように関心を抱き、文明批評にも長けた教養人だった。虫ぎらいの私が幾度となく日高研究室にアポをとったのも、日高さんの幅広い好奇心に魅せられていたからだろう。

あのころのことを思いだそう。研究室に入ると、ゼミ室のような一角に案内された。真ん中に、木製の大机がどんと置かれている。その机を挟んでまず、日高さんと向きあう。日高さんは、当日私が取材させてもらう予定の研究をかいつまんで話し、愚問にも答えてくれた。ただ話の区切りがつくと、パッと立ちあがって、どこかへ消える。そのあと、実地調査の手順や観察の結果を具体的に説明してくれるのは、若手の研究者だった。

これは間違いなく、日高流の心づかいだった。大学の場合、科学論文が連名で発表されるとき、研究の中心にいる若手研究者が筆頭著者となり、指導役の教授が最終著者になることが多い。ところが、メディア報道では「〇〇教授のグループが発表した」とされるのが通例で、若手研究者の存在が隠されてしまう。日高さんは、それを避けようとして記者を若手に引きあわせたのだ。実際に私の記事では、その若手が主役として登場していた。

日高さんの思い出は尽きない。だが、それに浸っていては行数を費やすばかりだから、昔話は後日に譲ろう。今回焦点を当てたいのは、20世紀にあった生命観の変転だ。

生物学では今からちょうど70年前、1953年に遺伝子本体DNA(デオキシリボ核酸)の立体構造が突きとめられた。その結果、生命はDNAで説明されるようになったが、このとき私たちの念頭にあるのは細胞レベルの現象だった。いわばミクロの生物学だ。ところが、話はそれだけでは終わらない。ミクロに呼応するようにマクロの生物学にも変化が起こった。日高さんもマクロの側にいる生物学者だったが、DNAと無縁ではなかった。

で、今週の1冊は『人間はどういう動物か』(日高敏隆著、ちくま学芸文庫)。これは、『日高敏隆選集Ⅷ』(本郷尚子編集、ランダムハウス講談社、2008年刊)の文庫化だ。第一章の章題で書名同様に「人間はどういう動物か」と問いかけ、第二章「論理と共生」、第三章「そもそも科学とはなにか」と話の幅を広げている。学術書のような組み立てだが、読んでみると雰囲気がまったく違う。肩の凝らないエッセイ集という感じだ。

本書は第一章冒頭の一文で、「人間もまた動物である」と宣言する。これは当たり前の事実でありながら、なかなか受け入れられないという。近現代には「人間は動物よりもえらい」「人間には理性がある、知性がある」という人間観が強まった。だが著者は、現実には戦争が後を絶たないことを指摘する。だから、私たちは自身も動物であることを認め、「人間とはいったいどういう動物なのか」を問い直すべきだ、と提言する。

こうして第一章では、人間は「直立二足歩行」をするために体の構造をどう変えてきたのか、人間が「毛のないけもの」になった理由は何か、などが話題となる。人間社会も俎上にあがり、一夫一婦制や少子化が動物行動学の視点から考察される。

読み進むと「人間はなぜ争うのか」と題する一節にも出あう。ここでまず登場するのが、オーストリアの動物学者コンラート・ローレンツ(1903~1989)。動物行動学を切りひらいた人だ。その研究から引きだした結論は「すべての動物のすべての個体は攻撃性をもっている」。個体は、なわばりや食べもの、異性などをめぐって同類の仲間と争う。この攻撃性は「遺伝的に組みこまれたもの」であり、「種を維持するために不可欠なもの」だという。

ところが動物行動学が進展するにつれて、「個体の攻撃性」を「種族維持のため」とみるローレンツの学説に反論が現れる。そうではなくて、「個体自身の遺伝子をできるだけたくさん後代に残していく」ためだという。英国の進化生物学者であり、動物行動学者でもあるリチャード・ドーキンスが唱えた「利己的遺伝子」説だ。ドーキンスは「利己的なのは遺伝子であって、個体ではない」と主張する。個体は「遺伝子のロボット」なのか。

話を整理しよう。「攻撃性」をローレンツは「遺伝的」なものととらえた。ドーキンスは「遺伝的」なものを具体的に「遺伝子」としてイメージした。結果として主役は遺伝子に取って代わられ、生物の個体や種は遺伝子を運ぶ乗り物になってしまった――。

第二章「論理と共生」では、意外だが都市計画の論考が並んでいる。都市工学、環境工学系の雑誌に寄稿したものが集められているからだ。だが、そこにも動物行動学者の視点は見てとれる。たとえば、「計画と偶然の間」と題された一編を見てみよう。

そこではアリの巣が「じつにうまくできあがっている」ことなどを例に挙げ、「地球上の自然」は「あたかもデザインされたよう」であるという。これは、生物の「形」や「構造」や「機能」、生物種間の「関係」にもいえることだ。では背後に、だれかデザイナー(設計者)がいるのか? 著者は、ここでもドーキンスを引きあいに出す。ドーキンスは、デザイナーは不要として「偶然の突然変異と自然淘汰。それだけでじゅうぶん」と断じている。

著者の思考に広がりがあるのは、このドーキンス説を都市論に結びつけていることでもわかる。砂浜の美が「打ち寄せる波という偶然」から生まれたように、心地よい風景に「偶然」が果たす役割は大きい。これを踏まえて著者は言う。「人は都市計画によって『与えられた』ものだけでは、けっして心から満足することはないだろう」。この一編の初出は「日本都市計画学会」の刊行物への寄稿だが、そこで計画至上論をチクリと刺している。

第三章「そもそも科学とはなにか」には、ローレンツが再登場する。ローレンツが動物の行動は「遺伝的にもともと決まっていて」、そのもって生まれた性質が「あるきっかけで」顕在化すると気づいたのは1930年代のことだ。著者によれば、そのころは動物の行動は学習によって身につけたものとみる考え方が主流だった。そんな思潮が背景にあったので、ローレンツの学説は「古い」「保守反動」と冷ややかに扱われたという。

当時は旧ソ連が台頭したころだ。ソ連では、農学者T・D・ルイセンコが遺伝よりも環境の影響を重くみる学説を提唱、それが政治思想と結びついた。動物の行動を生得的ととらえるローレンツの学説に「保守反動」のレッテルが貼られても不思議はない。

ところが20世紀半ば、形勢が逆転する。ローレンツは、本書の見出しにあるように「時代の『すこし先』をいっていた」のだ。1953年、DNA立体構造の発見で遺伝子の正体がわかり、生命現象の多くがDNAの働きに還元されるようになった。DNAの探究はミクロの領域にあるが、その影響はミクロにとどまらない。遺伝の実体がつかめたことでマクロ生物学も変わった。ドーキンスの利己的遺伝子説はその代表例だろう。

ただ、DNA重視の流れは人間のゲノム(遺伝情報一式)解読に行き着いて、今度は偏重の兆しが見られるようになった。親が子の遺伝情報を設計しようというデザイナーベビーの発想も一例だ。その落とし穴を日高さんならどう論じるか。読んでみたい気がする。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年6月30日公開、通算684回
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2 Replies to “日高敏隆、DNA時代の動物観”

  1. 尾関さん、

    尾関さんはアポをとって日高敏隆さんに会っていたのですね。それも何回も! なんと羨ましい。もっとも私も老いてからは、カルロ・ロヴェッリさんに会って話を聞いたり、ミシェル・マイヨールさんと食事をしたりと、尾関さんからは羨ましがられるようなことをしていますが、でもそれにしても、日高さんから話を聞けたなんて、なんて贅沢な時間を持ったのでしょう。

    尾関さんが今回書いておられた「偶然」は、日高流に言えば、そしてローレンツ風に考えれば、「それぞれの種の1つ1つの個体が自分自身の子孫を殖やしていこうとするシェア争いの結果」ということになる。「自然はシェア争いの結果、つまり妥協が集まった状態なのであって、決して調和がとれているわけではない」とか、「自然は果てしない淘汰の場であるから、決して優しいだけのものではない」とか、「どれかに優しいということは、他には冷たいということになる」とか、日高さんの考えには大きな影響を受けました。

    日高さんの話で印象深かったのが、母性愛なんていうものはないという話。自分の血のつながった子孫をとにかくたくさん残したい。それには赤ん坊だから育てなくちゃいけないんで、一生懸命育てる。で、それは誰のためなのかというと、結局は自分のため。そんな話でした。一生懸命やるのも自分のため。「母性愛なんていうのは、ある種の美しい幻想にすぎない」という話は、読んだ当時には結構の衝撃でした。

    実際に話す機会の多かった尾関さんにとって、日高さんの話でいちばん印象深かったのはどんな話でしたか?

    ところで、ゲノム偏重の落とし穴ですが、落とし穴は「ひとりでも多くの患者を救済したい」というような良質な欲望のなかに潜んでいる気がします。動機が正しく思えるために、本人だけでなく、誰にとってもいいことに思えてしまう。法的に問題があるとか、倫理的に問題があるとかは、誰も考えない。ゲノムビジネスの危なっかしさは、人を救うというそれだけで、あらゆる問題が消えて行ってしまうことだと思います。

    賀建奎博士がヒトの受精卵に対してエイズ感染を防ぐゲノム編集をしたら、懲役3年と罰金300万元。刑期を終えて出所して、香港に行ってゲノム編集によって筋ジストロフィーの治療に取り組んでいると、前科などなかったかのような人になる。明らかなダブルスタンダードです。善悪だけでない冷静な議論が必要と思う人は多いけれど、社会がダブルスタンダードなので何も正されません。

    ゲノム編集については、私より尾関さんのほうがはるかに高い知見をお持ちでしょうから多くを書くのはさし控えますが、「プラチナカード会員等富裕層向けのゲノム診療」なんていう文字を日本の病院の宣伝のなかに見つけ、「倫理審査は難航したが慎重に対応を重ねた」として何でもアリの環境を作ってしまっているのを見て、暗澹たる気持ちにさせられています。

    倫理がなし崩しに無視されてゆく社会は暗い。日高敏隆さんが持っていた明るさ、自分の興味を持ったことをひたすら追求していく姿勢、確かなものの見方、本質へのこだわりなどは、今はもうあまりお目にかかれません。社会の何が変わってしまったのですかね?

  2. 38さん
    《倫理がなし崩しに無視されてゆく社会は暗い。日高敏隆さんが持っていた明るさ、自分の興味を持ったことをひたすら追求していく姿勢、確かなものの見方、本質へのこだわりなどは、今はもうあまりお目にかかれません》
    そうですね。
    日高さんは、自然界の厳しい現実を直視する。
    「寄り添って」などという甘い表現をアプリオリに使ったりはしない。
    そのうえで倫理を組み立てていこうという姿勢があったように思います。
    「明るさ」の源はそこにあるのではないでしょうか。

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