武蔵野夫人というハケの心理学

今週の書物/
『武蔵野夫人』
大岡昇平著、新潮文庫、1953年刊

深い思い入れがある東京西郊、国分寺崖線の話を1回で終わりにする手はない。ということで、今回も引きつづき『武蔵野夫人』(大岡昇平著、新潮文庫、1953年刊)をとりあげる。(当欄2021年4月23日付「武蔵野夫人、崖線という危うさ」)

先週は、主人公道子の倫理的とも言える婚外恋愛――これも不倫と呼ぶのだろうか――の感情が崖線の自然のなかで自覚される様子を作品から切りとってみた。そこには、「はけ」の地形から湧き出る水の湿潤があった。斜面を覆う樹林が生み出す陰翳もあった。

前回、私が焦点を当てたのは、道子が父方の従弟、勉とともに崖線沿いを流れる野川の水源を探し求める探索行だ。少年少女の小さな冒険のような趣がある。だが、二人の内面をのぞくと、そうとばかりは言えない。崖線を歩いていても成人男女の心の綾がある。というのも、この物語は二組の夫婦と一人の青年の5人によって織りなされる群像劇であり、そこにドロドロした5元連立方程式が潜んでいるからだ。だが当欄は、その筋に踏み込まない。

今回は、筋立てからは完全に離れて、「はけ」の地形や生態系、そこに漂う空気感を浮かびあがらせようと思う。なぜなら、この作品では、著者がそれらの細部をさながら科学者のような目で描きだしているからだ。自然が登場人物の心理と響きあっているように見える。

まずは、地形学。道子が夫の忠雄と住む「はけ」の家はどんなところに位置しているのか。勉が戦地から帰還後、この家を再訪するときの描写が手がかりになる。中央線の駅――たぶん、国分寺か武蔵小金井だろう――を降りて、武蔵野の風景の只中を歩いていく。「茶木垣に沿い、栗林を抜けて、彼がようやくその畠中の道に倦きたころ、『はけ』の斜面を蔽う喬木の群が目に入るところまで来た」。高台の突端に豊かな緑があるのだ。

著者の記述によれば、「はけ」の家の敷地は、この斜面の上から下まですべてに及んでいるらしい。「上道」と「下道」の両方に接しているということだ。近隣の家々は、北側の上道に門を構えていたが、道子の家は違った。道子の父、故宮地信三郎が「ここはもともと南の多摩川の方から開けた土地」と主張して譲らなかったからだ。上道にも木戸だけはあったが、宮地老人は生前、そこからは客が入り込めないようにしていた。

勉は、それを知っているがゆえに、木戸の脇から手を突っ込み、掛け金をはずして中へ入った。小道は草が茂り、段状にうねりながら下っていく。下方に「はけ」の家が姿を現す。「見馴れぬ裏屋根の形は不思議な厳しさをもって、土地の傾斜を支えるように、下に立ちふさがっていた」。道なりに歩いていくと、ついには「『はけ』の泉を蔽う崖の上」に出る。家のヴェランダが見え、道子が母方の従兄の妻、富子とおしゃべりしている――。

この一節は、恋物語の導入部として絶妙だ。青年は駅前の喧騒を背に田園を抜け、崖線に至る。禁断の裏門から忍び込んで、草を分け入り、坂道を下りていくと、そこには密やかな泉の湧き口があり、これから青年の心を揺り動かす女たちがいる。

次は、物理学。勉には「物の働きに注意する癖」があった。だから、「はけ」の家に住み込むようになってからは湧き水の「観察」に余念がない。「水は底の小砂利を少しずつ転ばしていた」「一つの小砂利が、二つ三つ転がって止まり、少し身動きし、また大きく五、六寸転がり、そうしてだんだん下へ運ばれて行く」。関心は定量的となり、小砂利が10分でどれほど進むかを測ったりもする。無機物からも生気を感じているかのようだ。

生物学もある。道子と勉が7月の日差しを浴び、ヴェランダで腰掛けていたときのことだ。一羽の小鳥が「上の林から降りて来て、珊瑚樹の葉簇(はむら)を揺がせて去った」。ここで読み手は、鳥の動線にハッとさせられる。崖だからこそ、こんな急降下をするのだ。「はけ」の水が池に流れ、池の水がさらに下方へ流れ落ちるように、崖は自然界に垂直方向の動きを促す。生きものも例外ではない。3次元の世界を軽やかに行き来する。

このとき、二人の前には一対のアゲハ蝶が現れる。一羽の翅は黒っぽい。もう一羽は淡い褐色。二羽は雌雄のようで、一羽はもう一羽に近づいては離れ、また近づこうとしている。道子も勉も、その揺れ動きをじっと見つめ、そこに自分自身の心模様を重ねている。

著者によれば、「はけ」の一帯は鳥や蝶の「通い道」になっている。鳥は窪地の低い木々を好んだ。蝶は水辺の花で翅を休めた。こうした生物群が二人の眼前にふいに現れ、恋心を揺るがしていく。この作品は、生態系の妙までもすくいとろうとしているのだ。

そして、気象学。勉が夜更け、崖下の野川沿いを歩いているときのことだ。川面からは水蒸気が立ち昇り、それが靄となって遠方の明かりがかすんでいる。樹林からは、梟の声が聞こえてくる。ああ、道子はあの木立に隠れた家で、夫といっしょにいるに違いない――。「俺は一体こんなところでいつまで希望のない恋にかまけていていいのだろうか」。夜の「はけ」は闇の底で静かに息づいて、昼間にはない内省を青年の心に呼び起こす。

つまるところ、これは心理学の書物か。「はけ」だからこその人の動きがある、ものや生きものの動きがある。日差しもあれば、闇もある……。自然が魔力のように登場人物の心を震わせる様子が克明に描かれている。『武蔵野夫人』は、ただの恋愛小説ではない。
*引用では、本文にあるルビを原則として省いた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年4月30日公開、通算572回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

武蔵野夫人、崖線という危うさ

今週の書物/
『武蔵野夫人』
大岡昇平著、新潮文庫、1953年刊

自然に心地よさを感じるようになったのは、いつごろからか。たぶん、小学校にあがるより前だったと思う。母の実家に預けられた日、祖母に連れられてよく散歩に出た。住宅街の家並みは崖のところで果て、そこから坂道を下りると、斜面は樹林に覆われている。その繁みに入り込むと、湧き水らしきものが流れ出ていた。「イズミ」という言葉を、そのときに教わったように思う。これが私にとって自然の原風景だった。

もう一つ、忘れがたい記憶がある。中学生のときだ。どんな行き掛かりでそうなったかが思いだせないのだが、学校の英語教師と友人と私の3人で郊外へサイクリングに出た。行き着いた先は崖の下。そこにも湧き水があって、男性教師は上半身裸になって水を浴びた。大のおとなが子どものようにはしゃぐ。学校の日常からはかけ離れた光景だった。自然が秘める魔力のようなものを感じとった瞬間でもあった。

祖母の崖と教師の崖は、ひと続きのものだった。それは東京西郊を流れる多摩川左岸の河岸段丘がつくりだした段差であり、国分寺崖線と名づけられていることをやがて知る。そして、崖に湧き水の水源が隠されていて、その地形が「はけ」と呼ばれていることも。

青春期に入ると、この崖線は特別な意味を帯びてくる。学校には、列島各地から同世代の若者が集まって来た。彼ら彼女らには、それぞれの郷里があった。では、私自身の原風景は何か。そう自問したとき、真っ先に思い浮かんだのがあの崖だ。それは、私にとっては母なる大河、多摩川が生みだした起伏にほかならない。崖線への愛着はいっそう増した。(「本読み by chance」2019年8月23日付「夏休みだから絵本で川下りしてみた」)

学生時代、国分寺崖線の自然を守ろうという市民グループの見学会に参加したことがある。グループは現地の立ち入り許可を得ていたようで、私たちは崖道を分け入り、湧き水の源にたどり着いた。子どものころよりも宅地化は進んでいたが、それでも泉は健在だった。

20代半ば、就職して東京を離れた。このとき望郷の向かう先には、いつも崖線があった。関西方面を転々としたので、植生の違いが気になった。西日本は照葉樹林帯にあるせいか、林地に常緑樹が目立つ。一方、東京近郊の雑木林は二次林ではあるが、落葉樹が多い。透明感のある葉が秋には色づき、冬に落ちる。崖線の懐かしさは、その季節感とともにあった。(「本読み by chance」2017年6月2日付「熊楠の「動」、ロンドンの青春」参照)

私の崖線体験で思うのは、都会人にとって斜面がどれほど貴重なものか、ということだ。大都市の緑は、どんどん追いやられていく。唯一の例外が崖だ。宅地は傾斜地にも迫るが、急峻なら手が出せない。東京では、そこに異空間が残された。それが、情感のある物語の場となっている。(当欄2020年6月26日付「渋谷という摩訶不思議な街」、「本読み by chance」2019年2月1日付「東京に江戸を重ねる荷風ブラタモリ」)

で、今週の1冊は『武蔵野夫人』(大岡昇平著、新潮文庫、1953年刊)。著者(1909~1988)は東京生まれで、京都帝国大学に進み、フランス文学を学んだ作家。卒業後は会社勤めのかたわら、スタンダールの翻訳なども手がけた。戦時には召集を受けて戦地へ。フィリピンで米軍の捕虜となり、収容所生活を体験した。復員後の1949年、『俘虜記』で横光利一賞を受賞。『武蔵野…』は翌50年に発表された恋愛小説である。

私は若いころにも、この作品を読みかじったことがある。崖線の「はけ」が出てくるから飛びついたのだ。だが、読み切ってはいない。途中で投げ出した。「はけ」の描き方に不満があったわけではない。物語そのものについていけなくなったのだ。登場人物の心理が細やかに記述されているのだが、その綾をたどることが面倒になった。たぶん、私が若すぎたからだろう。今読み直してみると、大人たちの心模様はそれなりに納得がいく。

この物語は、「はけ」の一つを舞台にしている。それは、中央線国分寺・武蔵小金井間の中ほど、線路の南数百メートルの崖線にある。崖は「古代多摩川が、次第に西南に移って行った跡」であり、崖下を流れる野川という小川は古代多摩川の「名残川」だという。

その核心部に湧水がある。「水は窪地の奥が次第に高まり、低い崖となって尽きるところから湧いている」。そのあたりでは武蔵野台地表層の赤土、すなわち関東ローム層のすぐ下にある砂礫層が露わになり、地中から濁りのない水が湧きだしている。

物語の主人公は、秋山道子29歳。彼女が夫の大学教師忠雄(41)と住む家は、はけの一帯に建っている。敷地は、道子の亡父宮地信三郎が30年前に地主農家からただ同然で買い入れたもので、約1000坪もある。宮地は当時、鉄道省の官僚であり、武蔵小金井駅が開業するのを事前に知っていて購入したのだが、それは金銭欲のためだけではなかった。ここから南西を望めば、丹沢方面に富士が見える。その眺めが気に入ったのだ。

物語には、もう一組の夫婦とその娘、そして青年が一人登場する。夫婦は、道子にとって母方の従兄である石鹸製造業の大野英治(40)と妻富子(30)。娘は九歳で雪子という。青年は、道子の父方の従弟にあたる勉(24)。学徒召集でビルマの戦地へ送られ、帰還したばかりだ。勉は雪子の家庭教師を引き受け、道子の家に寄寓する……こうして終戦3年目の初夏、夫婦二組と青年一人の間に恋愛力学が生まれる。軸は、道子と勉の相思相愛だ。

例によって、筋書きは書かない。ただ一つ言っておきたいのは、道子と勉は一線を越えそうで越えないことだ。それは、道子の強い意志によるものだった。旧体制が崩壊して旧道徳が否定されたころではある。仏文が専門の忠雄もスタンダールにかぶれ、姦通に憧れて、左翼の文献を都合よく解釈した挙句、一夫一婦制を批判したりしている。だが道子は、そんな時代の空気や夫の言動も知らぬげに、自分が信じる倫理にこだわった。

道子が課したそんな条件が、勉のふつうとは異なる恋愛感情に火をつけたと言ってもよい。その導火線となるのが国分寺崖線だ。この一点に、この作品の独自性がある。

たとえば、勉の心理を描いたくだりには「彼は自分の『はけ』の自然に対する愛を道子と頒ちたいと思った」という一文がある。勉は、それを実現すべく道子を散歩に連れまわしては、武蔵野の地理や歴史を語ってみせる。知識は大抵、信三郎が書庫に遺した蔵書から仕入れたものだったが、本の受け売りだけでは終わらせなかった。忠雄の帰宅が遅いとわかっている日、二人は崖線沿いに野川の「水源の探索」に出かけるのだ――。

崖線は、欅や樫の木々が斜面を覆っていた。その下の道を歩いていくと、時折、静寂を破る音がする。「斜面の不明の源泉から来る水は激しい音を立てて落ちかかり、道をくぐって、野川の方へ流れ去った」。豊かな湧き水は二人の思いの通奏低音だったのかもしれない。この探索行でも勉は語りつづけ、道子はそれを「音楽でも聞くように聞いていた」。話の中身はどうでもよかった。「彼の心に関係があることは何でも聞くのが快かった」のだ。

そして二人はついに、水源らしい地点に行き着く。それは、線路の土手沿いにある池だった。近くには水田があり、農作業をしている人がいる。「ここはなんてところですか」と勉が尋ねると、「恋ヶ窪さ」という答えが返ってきた。そのひとことに、道子は衝撃を受ける。「『恋』こそ今まで彼女の避けていた言葉であった」。ところが二人がめざしてきた場所は……。道子は胸の内の「感情」が「恋」にほかならないことを強く自覚する。

私はこの一編を読んで、道子と勉が並んで歩くのがのっぺりした平地だったなら、恋心はこんなにも切実にならなかっただろう、と思う。斜面には樹木の葉陰がある。湧水の水音がある。それが私たちの心に陰翳と湿潤を与えてくれる。恋に崖は欠かせない。
*引用では、本文にあるルビを省いた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年4月23日公開、同月27日更新、通算571回
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コロナ時代の嘘をあばく本の質感

今週の書物/
『ポエマー』
九島伸一著、思水舎、2021年刊

付箋

驚くべき書物がわが家に届いた。友人が、このコロナの1年間に書きとめた言葉や、書き込んだ文章を約300ページにまとめたものだ。『ポエマー』(九島伸一著、思水舎、2021年刊)。執筆から装丁まで、本づくりの作業を一から十まで自分でこなしたという。

封を開けて痛感したのは、本とはブツにほかならないということだ。私も最近は電子書籍を読むが、紙の本にはそれにはない物体としての存在感がある。なによりも重さと質感。これは電子書籍に真似ができない。しかもこの本は、紙の色が1ページずつ違う。縦書きのページがあれば、横書きのページもある。書体もゴチック風あり、明朝風あり、手書き風ありで、まちまちだ。本がブツであることをさまざまなかたちで主張している。

前書きとも言える「ポエマー」という文章――。「文字は 紙の上で跳ね 弾み 主張して/なかなか落ち着きを見せなかった」と書きだされ、「和の色を併せてみると/文字は色に馴染み」……と続く(/は改行、以下も)。そのあとの2行がいい。

 文字には色が必要だったのだ
 僕に君が必要なように

書名「ポエマー」は、詩人もどきを指す和製英語だ。ニコニコ大百科によれば、「こっ恥ずかしい」文章を「詩」と称してネットに公開する人を、そう呼ぶらしい。九島さんは、この前書きを「僕は詩人だ ポエマーではない」という絶叫で結んでいるが、その実、自身の内なる「ポエマー」に気づいているようだ。だからこそ、書名に選んだのだ。「僕に君が必要なように」から、私は1960年代のグループサウンズの空気を感じとった。

ここでまず、著者九島さんを紹介させていただこう。1952年生まれ。国連職員を30年間、ジュネーブなどで務めた。2012年の退職後は、豊富な読書経験をもとに『情報』(幻冬舎メディアコンサルティング、2015年)、『知識』(思水舎、2017年)を出版、2018年には『義政』(九島伸一著、幻冬舎メディアコンサルティング)という歴史小説風の著作を出した。(「本読み by chance」2018年4月20日付「歴史のはぐれ者に現代の思いを託す」)

で、いよいよ中身に入る。ただ、いつもとは違う。正直に告白すると、私はまだ全編を読んでいない。いや、これからも1ページから始めて294ページまで読み抜くことはないだろう。これは、そういう本ではないのだ。ある日、ぱらぱらとめくって目にとまったページに付箋を貼り、そこにある言葉を味わう。別の日、またぱらぱらとやり、別のページの別の言葉に付箋――そんな読み方があってよい。そんな読み方にふさわしい本もある。

いきなり、ぱらっと22ページを開いて驚くのは、詩でも、詩もどきでもなく、年表が出てくることだ。足利義政が東山殿(後の銀閣寺)を造営中の1483年から2022年までの満539年を77年ごとに区切っている。おもしろいことに、この切り分けだと1868年から1945年まで、即ち明治元年から昭和20年までが一つの時代区分にぴったり収まる。「強引な近代化を行い、軍事大国になっていったが、敗戦ですべてが水泡に帰した」とある。

著者は、この年表に未来までも引っ張り込んだ。再来年2023年から世紀末2100年までの77年間に「貧者の反乱 ナノボットの暴走 遺伝子操作の破綻など、人間の力が弱まっていった」と予言する。そうか、私たちは一つの時代の一歩手前にいるのだ。

49ページにも硬派の話。「統計データを使って導き出される結論は/思惑と欲望で穢れているし/シナリオ通りに使われるデータは/こざかしい予定調和で 輝きを失っている」。まったく、その通り。ニュースを見ていると、そう感じる論法がなんと多いことか。

著者の統計観は奥深い。「統計データを眺めていると/変化を表す必然と なにかの事情と偶然が/入りまじっているのが 見えてくる」。ここでは「事情」と「偶然」が曲者だ。統計のその成分がもっともらしく結論めいたものを引きだすが、騙されてはいけない。

ぱらっと、次は86ページ。茶色系統の紙にわずか7行が縦書きで並ぶ。男が店に入って、アルコール消毒液をシュッとやる。「これは儀式のようなもので」。それに応える女将の声が店の奥から聞こえる。「気休めよ」。で、「僕」は思う。「気休めの儀式か」

108ページは黄色い紙に12行。こちらは横書きだ。散歩の途中、畑仕事をしていた老人から「この辺りは海だった」という話を聞く。遺跡はあるが、それは海になる前のものばかり。「海だった頃には人が住んでいなかったから/その頃の遺跡はない」――不在の痕跡はない、ということか。「研究者たちの論文より/その老人の言葉のほうが/本当のように聞こえるのは/なぜだろう」。このページでは、海にかかわる記述箇所で文字が青くなる。

213ページに飛ぼう。「監視社会」がテーマだ。それは「暗黒」と思われてきたが、そこで「監視されている人々」は「暗黒とは程遠い暮らし」を享受している。「監視のためのテクノロジー」が「キャッシュを持たない暮らし」や「犯罪者がすぐに見つかる安心」をもたらし、健康管理までしてくれるのだから「見張られるなんて」「なんでもない」――これは反語ではあろうが、コロナ禍の今、棘のように心に突き刺さる。

249ページには、同じテーマについて著者の真意と思われる懸念が書き込まれている。ある大企業が公表したAI(人工知能)時代の人権擁護ポリシー(指針)を読んで、偽善を感じた体験から話は始まる。「顔認証ひとつとっても/プライバシーを侵害しない顔認証システムなんて/ありえない」と指摘して、このポリシーは「いったいなんなのか」と問う。技術の本質がはらむ危うさを美辞麗句で言い繕うな、ということだろう。

このページでは、AIの話を情報技術一般へ広げていく。たとえば、モノのインターネットIoT(Internet of Things)。機器類がネットワークにつながる、という技術である。「カメラやセンサーが/ありとあらゆるところにあって/その数が人の数よりはるかに多い/という現実の前では/IoTと人権のことは/もう誰も話すことができない」。逃げ場のない世界を先に用意しておいて、さあ人権について語ろうと言われても空しい、と私も思う。

ブロックチェーンやビッグデータの話も出てくる。ネットの向こうに仮想の台帳があり、自分が1滴の水となる巨大貯水池のようなデータ貯蔵庫があるのだから、人権という概念そのものが揺らいでいる。その現実に目をつぶるな、という著者の声が聞こえるようだ。

著者は、この本でいろいろな嘘を暴いている。それは、ぱらぱらめくりで私が偶然に開いたページからだけでもわかる。嘘の多くは、この1年のコロナ禍ではからずも化けの皮をはがされたものであるように私は思う。著者はやはり、ただのポエマーではない。

最後に余談。私が惹かれるのは173ページ。「東京には崖線という/川や海の浸食でできた/崖の連なりが/あちらこちらにある」――著者がここで描く風景を、私もこよなく愛してきた。たまたま、そのことに因む話を書こうと思っていたところだ。来週はその話題を。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年4月16日公開、同日更新、通算570回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
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ヴェーバー資本主義の精神はどこへ

今週の書物/
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
マックス・ヴェーバー著、大塚久雄訳、岩波文庫、1989年改訳刊

時は金なり

資本主義という言葉ほど、この半世紀でイメージが反転したものはないのではないか。年寄りの思い出話をさせてもらえば、日本社会では高度成長真っ盛りの1960年代、資本主義はフル回転で私たちを豊かにしてくれたわりに良い印象がなかった。

なぜだろうか。すぐに思いあたるのは、あのころはまだ資本主義と対立する社会主義が健在だったことだ。今も、この一対は対義語として成立する。ただ、片方がすっかりかすんでしまった。社会主義と言ってもピンと来ない人がふえてしまったのである。

1960年代は違った。人々の何割かは確実に社会主義の思潮に共感を覚えていた。旧ソ連に代表される社会主義体制を望む人が多かったとは言えないが、勤め人の声が政治経済に反映されて、賃金水準が高まり、福祉制度が整うことには期待感があったのだ。その視点に立つと、資本家は悪役となり、資本主義には負のイメージがつきまとった。この空気感は、社会主義政党の党員シンパのみならず、世の中に広く浸透していたと言ってよいだろう。

例を挙げよう。当時の政界でも保守政治家が多数派だったが、その人たちも自分が守ろうとしているものが資本主義だと宣明することはめったになかった。自らの立場に話が及んだときには、自由主義の擁護者という言葉を好んで使っていたように思う。

思い返せば、私が新聞社に入った理由の一つもそこにあった。1970年代後半の社会には、資本主義を嫌う空気がまだ残っていた。私は、学生運動をしていたわけでもなく、社会主義者だったこともない。それでも、資本主義の手先になりたくないとは思った。新聞社も株式会社なので手先に違いない――実際、「商業新聞」「ブルジョワ新聞」「ブル新」という呼ばれ方もあった――が、相対的に資本主義色が薄いように思われたのだ。

ところが近年は、この空気が一掃された。資本主義と社会主義を見比べると、後者のほうに負のイメージがとりついている。ただそれにしては、資本主義という言葉をあまり見かけない。最近の議論は、なんであれ資本主義を既定のものとして受け入れている感があるので、その前提を言う必要がなくなったようにも見える。むしろ、同じ資本主義の範囲内で、市場万能の新自由主義をとるか、そうでない側に立つかが問われる局面がふえている。

で、今週は資本主義について考える。手にとったのは、必読の書とされる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー著、大塚久雄訳、岩波文庫、1989年改訳刊)。必読と言いながら自分は読んでいなかったことを正直に告白する。

今回、食指が動いたのは、昨秋の当欄で『フランクリン自伝』(ベンジャミン・フランクリン著、松本慎一、西川正身訳、岩波文庫、1957年刊)をとりあげたことによる。米国を独立に導いた政治家であり、実業家であり、理系知識人でもあった人物の立志伝を読んで、ドイツの社会科学者マックス・ヴェーバー(1864~1920)が言う「資本主義の精神」らしきものを嗅ぎとったのである。(2020年11月6日付「フランクリンにみる米国の原点」)

この嗅覚は、的外れではなかった。本を開くと、第一章の「資本主義の『精神』」と題する節で3ページほども費やして、フランクリンの言葉を延々と引用しているのだ。そこには「〈時間は貨幣だ〉ということを忘れてはいけない」「〈信用は貨幣だ〉ということを忘れてはいけない」「貨幣は〈繁殖し子を生むもの〉だということを忘れてはいけない」(〈 〉内は傍点箇所、以下も)……。こんな警句が箇条書きのように並ぶ。

3番目の「貨幣は〈繁殖し子を生むもの〉」に注目しよう。フランクリンは、警句をたとえ話で説明する。5シリングの元手で資金運用を始めると、いずれは100ポンドを手にすることもできる、というのだ。「貨幣の額が多ければ多いほど、運用ごとに生まれる貨幣は多くなり、利益の増大はますます速くなっていく」――資金を複利でふやせば、富は指数関数で膨らむ。なるほど、これは資本主義の醍醐味そのものではないか。

ここでは刺激的に、親豚を殺すことは「子豚を一〇〇〇代までも殺しつくすこと」とも書かれている。少額の貨幣でもそれを生かさなくては、得られるはずの多額の貨幣を「殺し(!)つくす」ことになると説くのだ。運用しないことを怠惰とみなす立場である。

そのフランクリンの思想を、著者即ちヴェーバーはどうみているのか。フランクリンが推奨する「ひたむきに貨幣を獲得しようとする努力」には幸福や快楽を追い求める気配が薄く、そこでなされる営利の活動が「物質的生活の要求を充たすための手段」ではなく「人生の目的」であることを強調する。富をふやす勤勉さそのものに価値を見いだす倫理観と言えよう。これが、やがて資本主義経済を回す原動力となっていく。

著者によれば、フランクリンは、近代社会で貨幣の源は職業人としての「有能さ」にあると考えていた。ここで職業とはドイツ語で言えばBerufであり、そこには「神から与えられた使命」即ち「天職」の意もあるという。こうして、この本の論題も宗教へ移っていく。

この本は中盤で、プロテスタント各派の思想の違いを詳しく述べているのだが、その理解の前提となる知識が乏しいので、この部分についてどうこう言うことは控える。当欄で私が読み込もうと思うのは、第二章第二節「禁欲と資本主義精神」だ。著者は「〈天職理念〉のもっとも首尾一貫した基礎づけを示しているのは、カルヴァン派から発生したイギリスのピュウリタニズム」とみて、これを資本主義に結びつけていく。

英国の清教徒ピューリタンは「富とその獲得」について、どう考えていたのか。一見すると、富の獲得を否定しているようだが、そうではないと著者は分析する。その教えが「真に」不道徳とみなすのは、富の所有にあぐらをかいて「〈休息する〉こと」であり、「富の〈享楽〉」に耽って「怠惰や肉の欲」の虜となることだ、という。休むな、遊ぶな、もっと稼げということか。フランクリンの「時間は貨幣だ」即ち「時は金なり」に通じている。

著者は、ピューリタニズムを代表する神学者リチャード・バクスター(1615~1691)らの文献を漁り、その勤勉志向を見ていく。「時間の損失」として「無益なおしゃべり」や「贅沢」に×印がつくのはわかる。だが、「睡眠」まで指弾される。驚くのは、宗教者なら奨励してもよいはずの「黙想」ですら、批判の対象となっていることだ。「天職における神の意志の積極的な実行に比べて、神によろこばれることが〈少ない〉」との理由である。

ボーッとしていてはダメということか。働くために働くという思想である。著者は、それを「労働」が「神の定めたまうた生活の〈自己〉目的」になっていると表現する。だからこそと言うべきか、バクスターは厳格に「富裕であるとしても、この無条件的な誡命から免れることはできない」との立場をとる。中世スコラ哲学も労働を促したが、「財産によって生活できる者」は適用外だったという。ピューリタニズムは、そこが違う。

「天職」重視は定職の勧めでもある。著者は、バクスターの次の言葉を引く。「確定した職業でないばあいは、労働は一定しない臨時労働にすぎず、人々は労働よりも怠惰に時間をついやすことが多い」。これが、17世紀の論述であることに注目したい。近代前夜、怠惰を嫌う宗教倫理が、資本主義社会の分業化への流れにかみ合ったのだ。いや、それだけではない。その先に、専門職を重んじる現代社会を見通していたようにも思える。

ヴェーバーがピューリタニズムから抽出した資本主義像は、私たちの先行世代が1960年代に経験したことに見てとれる。モーレツに働き、終身雇用制のもとで定職をまっとうする人が多かった。それが21世紀の今はどうか。ワークライフバランスの機運が高まり、転職は珍しくなくなり、「臨時」の働き手に過酷労働のしわ寄せがきている。資本主義が当たり前の時代になったが、それを支えていたはずの精神は現実から遠のくばかりだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年4月9日公開、通算569回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

ゴールディングの烽火は何か

今週の書物/
『蠅の王』
ウィリアム・ゴールディング著、平井正穂訳、新潮文庫、1975年文庫化

レンズ

孤島の少年たちの物語を今週も。長編小説『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング著、平井正穂訳、新潮文庫、1975年文庫化)。英国少年の一群が飛行機の遭難で取り残された場所は、太平洋の無人島だった。そこに一つの社会が生まれて……という話だ。

先週は、ほら貝の話をした。その殻は、主人公ラーフが礁湖の底から拾いあげたものだ。ラーフは相棒のピギーにそそのかされて、それに息を吹き込む。深い響きに誘われて、島のあちこちに散っていた少年たちが集まってくる。「集会」が召集されたのだ。社会の原風景と言ってよいだろう。彼らは指導者を決めることから始めるが、ほら貝によってみんなを呼び寄せたラーフが選ばれる。ほら貝は何か? 民主主義の象徴らしいと書いた。

今週は、烽火の話をしよう。ラーフは、さすが指導者らしく、少年たちの未来を構想していた。島の山頂に火をおこして烽火をあげるのだ。沖合を通る船がそれを見つければ、遭難信号のSOSと受けとめて救助に来てくれるだろう。自分たちが置かれた状況を冷静に考え抜いた末の現実的な方針だ。私は先週、話のまくらで英国人には〈火事場の馬鹿力〉があると書いたが、ここには緊急時の〈馬鹿力〉ならぬ理性力が見てとれる。

ただ、烽火をあげるのも簡単ではない。最大の問題は着火だ。マッチはない。少年たちが目をつけたのがピギーの眼鏡だ。それで集光して火をつける。ここで気になるのは、近視用の凹レンズでは光が集まらないことだ。ピギーは遠視かなにかで凸レンズを使っていたのか。だが、そのことに言及はない。著者はオックスフォード大学で理系学生だったこともあるというのに……そんなところにこだわらないのは、この小説の寓話性ゆえだろう。

ともかくも火はついた。次にラーフは、「烽火の番」を決めることを提案する。火を絶やしたら、そのときに船が通り過ぎて救助の機会を逸するおそれがあるからだ。この任務を引き受けようと手を挙げたのが、合唱隊のリーダー格で今は狩猟隊を率いるジャックだ。自分の仲間を班分けして、今週は「アルト組」、来週は「ソプラノ組」(少年たちの合唱隊だから声域が「アルト」「ソプラノ」なのだ)というように輪番で火を見守る、と申し出る。

この時点で、ラーフの指導体制は安定していた。彼が「ほら貝のある所」を集会場とみなすという規則を提案すると、ジャックをはじめ少年たちもそれに賛成した。こうして法治のしくみが整っていく。「ほら貝」は、ここでも民主主義を示す一つの記号だった。

だが、ほら貝民主主義にもほころびが見えてくる。ある日、ラーフが水平線に煙を見つけたときのことだ。それは、船舶が通過中であることのしるしだ。ところがこのとき、山上に烽火が見えないではないか。山に登ると、やはり火も煙もなかった。見張り役もいない。千載一遇の好機を逃したのだ。ラーフは沖へ目をやり、遠ざかる船に向かって「引っ返すんだ!」と叫んだ。はらわたが煮えくり返る思いで「畜生!」と悪言も吐いた。

やがて、狩猟隊の面々が下から登ってくる。「豚ヲ殺セ。喉ヲ切レ。血ヲ絞レ」と歌っている。棒を担いで豚1頭を吊りさげている隊員たちの姿も見える。ジャックは山頂に登り切ると、ラーフに向かって「どうだい! 豚をしとめたんだぞ」と自慢する。ラーフから「きみたち、火を消してたじゃないか」となじられても、狩りの成功に酔いしれている。「血がどくどく流れちゃってさ」「あの血をきみに見せたかったよ!」と動じない。

「船が沖を通ったのだぞ」。ラーフは彼方の水平線を指差して言う。そのひとことは、ジャックをもひるませた。このとき山頂にはピギーも来ていて、ジャック批判に加勢する。「きみはなんだといえば、すぐ血のことばかりいうじゃないか」「ぼくたちは、イギリスに帰れたかもしれないんだぞ――」。救いの手につかまりそこなった現実は、狩猟隊の少年たちにも動揺を与える。ジャックは、最後には謝罪の言葉を口にすることになる。

この山上の一幕は、ほら貝民主主義の社会が二派に分裂したことを見せつける。一方は、「烽火」という唯一の通信手段に希望を託して一刻も早く母国の土を踏もうと考えるラーフ・ピギー派。他方は、「狩猟」という当座の悦楽に浸ろうとするジャック派。前者は、いわば理性派。自分たちは近代社会の一員であるという強い自覚が感じられる。後者は野性派か。「すぐ血のことばかりいう」性向は原始生活への回帰を思わせる。

そのあたりの寓意を、著者は巧妙に私たちに伝えてくれる。理性を象徴するものは、ピギーの眼鏡。山上のにらみ合いで、ジャックはピギーをひっぱたき、眼鏡が吹っ飛んで片方のレンズが割れてしまう。それによって、烽火の着火は「わずかに残った一枚のレンズ」が頼みの綱ということになった。一方、野性の象徴は、狩猟隊のいでたちだ。狩りを終えてから山上に現れた彼らは「ほとんどみな素っ裸」で、ジャックは顔一面に粘土を塗っていた。

この寓意から私たちが連想することは多い。たとえば「烽火」は、地球温暖化を抑えようという機運にたとえてもよいだろう。これに対しては、化石燃料の恩恵を手放したくないという人々がいて、その一群を「狩猟」の快楽に走る一派になぞらえることもできる。

「狩猟」の一派が戦果を見せびらかせて悦に入る様子は、世界から戦争がなくならない状況を暗示しているのかもしれない。「烽火」がレンズ1枚に頼ることになる筋書きは、賢明な問題解決策でさえ危うさがつきものであることを示唆しているようにも思える。

ゴールディンの島は、どこかの列島であっても決しておかしくない。私たちの社会にも理性と野性が併存する。私たちの心にもラーフやピギーやジャックが棲みついている。
*引用中のルビは原則として外しました。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年4月2日公開、通算568回
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