量子もつれをふつうの言葉で語る

今週の書物/
ノーベル物理学賞(2022年)プレスリリース
スウェーデン王立科学アカデミー、2022年10月4日発表

粒子のもつれ

盆と正月がいっぺんに来たとは、こういうことを言うのか。10月4日午後7時前、ノーベル物理学賞の発表をストックホルムからのインターネット中継で見ていたときのことだ。

発表前、そわそわする気持ちを静めるように私はつぶやいた。「とってほしいのはアラン・アスペ、アントン・ツァイリンガー……」。数分後、スウェーデン王立科学アカデミーの事務総長らが着席、おもむろに読みあげた発表文に彼らの名前があった。私にとって意中の人二人の受賞がいっぺんに決まったのである――。

発表によると、今年の物理学賞はアラン・アスペ(フランス)、ジョン・F・クラウザー(米国)、アントン・ツァイリンガー(オーストリア)の3氏に贈られる。授賞理由には「量子もつれの関係にある光子の実験で、ベルの不等式の破れを確かめ、量子情報科学を切りひらいた」とある。(以下、敬称略)

ここに出てくる「量子もつれ」「ベルの不等式」については後述する。「量子情報科学」は20世紀末に台頭した物理学の新分野。そこで実証された量子力学核心部の不可解さは、量子コンピューターや量子暗号など最近よく耳にする技術の土台になっている。

私は1990年代半ば、ロンドンの駐在記者だったとき、量子情報科学の潮流に気づいた。1995年の春夏、欧州各地の大学や研究所で取材して、東京帰任後の10~12月に朝日新聞科学面(夕刊)の連載「量子の時代」で報告した。紙面にすべてを書ききれなかったので、後日『量子論の宿題は解けるか――31人の研究者に聞く最前線報告』(講談社ブルーバックス、1997年刊)も上梓した。31人のうちの二人がアスペとツァイリンガーである。

ご両人の思い出は尽きない。アスペは、古い実験機材が眠る物置まで見せてくれた。ツァイリンガーは、量子力学研究の大御所に引きあわせてくれた……。ただ当欄は今回、そういう話はしない。今週は、ノーベル物理学賞のプレスリリース(スウェーデン王立科学アカデミー作成)に的を絞り、その英語版をノーベル賞の公式サイト(*)からとりだして「書物」として読もうと思う。Pdf化されたものを印字するとA4判1枚。とても短い。

短いことには理由がある。細部に立ち入らず、要点のみを書いているからこうなるのだ。

今回の受賞研究は、いずれも光子、即ち光の粒を扱っている。実験で観測するのは、光子の偏光という性質だ。サングラスを選ぶときに話題にのぼる、あの偏光だ。このため、受賞研究の全貌を理解するには、偏光とは何か、それが偏光フィルターを通るとどうなるかを予備知識として学んでおくことが必要になる。逆を言えば、話が具体論に入ると、そこに躓きの石がたくさん待ち受けているのだ。科学を語るときには、こういうことがままある。

科学は、ひと握りの科学者だけのものではない。それがもたらす新しい世界像は私たちも均しく分かちあうべきだ。細部は捨てても、要点だけは押さえておきたい。今回の受賞研究に即して言えば、「偏光」がわからなくとも「量子もつれ」が何かは知っておきたい。

で、プレスリリースは「量子もつれ」をこう説明する。「量子もつれの関係にある粒子対は、それらが遠く離れていても、一方の粒子に起こることがもう一方の粒子に起こることを決定する」。別の箇所には、量子もつれの状態では「二つの粒子が分離していても単一のもの(a single unit)のように振る舞う」とする記述もある。こんな話を聞けば、物理学では大変なことが起こっているのだな、と思う人がふえるに違いない。

それがどれほど大変かは、プレスリリースを離れて私自身が補足説明しよう。旧来の物理学では、A地点の出来事がB地点の出来事に影響を及ぼすとき、A地点の情報がB地点に届く必要があった。このとき、伝達速度が光速を超えることはない。ところが量子力学によれば、A地点の粒子aとB地点の粒子bが量子もつれの関係にあるとき、a、bの観測結果が〈いっせいのせい〉で一気に決まる。これは、世界観がひっくり返る話ではないか。

授賞理由には、もう一つ「ベルの不等式」という専門用語があった。これは、ジョン・スチュアート・ベルという北アイルランド生まれの理論物理学者が1960年代に考えだした不等式だ。これを解説したくだりを要約すると、こうなる――。

量子もつれの粒子対にみられる「相関」(correlation)は、それらが身につけた「隠れた変数」に起因するのではないか、という懐疑が長くくすぶっていた。隠れた変数は、粒子の観測結果がどうなるかをあらかじめ指示するなにものかだ。ベルの不等式は、粒子同士の相関が隠れた変数によるものなら、実験で示される相関度には上限値があることを示した。一方、量子力学はこの上限値を超えるような強い相関の存在を予言していた。

隠れた変数説は、〈いっせいのせい〉には台本があるという見方。この立場をとれば、量子力学が言う量子もつれは幻想だということになる。正しいのは隠れた変数説か量子力学か。ベルの不等式はそれを実験で検証するお膳立てをしてくれたのである。

受賞が決まった3人が登場するのは、ここからだ。量子もつれの光子対をつくり、2光子を逆方向に飛ばして相関を調べる実験に最初に挑んだのはクラウザーだった。実験は量子力学を支持したが、隠れた変数説を完全には否定できなかった。「抜け穴」があったのだ。

その抜け穴をできる限り小さくしようと実験装置に工夫を凝らしたのが、アスペである。それは、量子もつれの光子対を光源から放った後、瞬時に測定システムの設定を切りかえて当初の設定が観測結果に影響を及ぼさないようにしたものだった。

ツァイリンガーも、ベルの不等式の破れを実験で調べているが、このプレスリリースでは主に量子テレポーテーションの開拓者として位置づけられている。これは粒子の量子状態を遠方の別の粒子にそっくり転送する試みで、量子もつれの応用例といえる。

このプレスリリースにはこんな記述がある。「言葉では言い表せない量子力学の効果(the ineffable effects of quantum mechanics)に応用の道が見えてきた。今や量子コンピューター、量子ネットワーク、量子暗号に守られた通信など広大な研究分野が存在する」

量子コンピューターや量子暗号は最近、成長戦略や経済安全保障の文脈でもてはやされている。ということは、物理学者でない私たちも無関心でいられない。変な使われ方をしないか、見張っていく必要もあるからだ。そのためには、量子力学とは何かをざっくり知っておかなくてはならない。「量子もつれ」が「言葉では言い表せない」ものでも、その本質はやはり言葉で語るべきなのだ。この点で、今回のプレスリリースは貴重な参考文献になる。
*ノーベル賞の公式サイトはhttps://www.nobelprize.org/
(執筆撮影・尾関章)
=2022年10月7日公開、同月9日最終更新、通算647回
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女王去って連邦は悩む

今週の書物/
読売新聞、東京新聞、朝日新聞各紙の2022年9月20日付朝刊

王室

英国はすごい、と目を見張ったのは1994年、ネルソン・マンデラ大統領の新体制となった南アフリカ共和国が直ちに英連邦(the Commonwealth)に再加盟したこと、そして翌年、エリザベス英女王の訪問を手厚く迎えたことだ。人種隔離政策アパルトヘイトによる「白人支配」を終わらせた政権がなぜ、かつて植民地支配していた旧宗主国になじみ、微笑みかけようとするのか。この展開に驚いた人や首を捻った人もいたに違いない。

南アは1931年に独立すると英連邦に加わるが、1961年には離脱している。人種隔離政策に国際社会の批判が集まっていたことが背景にある。その政策を捨てたのだから、元に戻れるということなのだろう。だが、わざわざ戻る必要もないではないか。

そのころ、私はロンドン駐在だった。新政権の樹立を挟む1993年と1995年には任地から南アへ出張もした。目的は南アの核兵器放棄について取材することだったが、その合間に現地で人種間の緊張も垣間見た。たとえば、タクシーで「黒人」の運転手と世間話をしていると、辛辣な「白人」観を聞かされたものだ。ただ、このとき「アフリカーナー」と呼ばれるオランダ系住人は散々な言われ方だったが、英国系はさほど嫌われていなかった。

運転手との世間話という小さな私的体験を根拠に英国の植民地主義をどうこう言うことは控えるべきだろう――そう自戒していたときに英女王の南ア訪問があったのだ。私が現地で受けた印象はあながち的外れではなかった。これは、大英帝国の植民地統治が巧妙だったのか。それとも、南アには欧州の入植者が複数の民族だったという特殊事情があって、英国系が相対的に善玉扱いされたということなのか。私には即断できない。

で今週は、書籍ではなく、エリザベス女王の国葬報道で英連邦を考えてみる。

私は女王国葬の当日、葬儀と葬列を米CNNでずっと見ていた。もっとも印象に残ったのは、英連邦に対する配慮が半端ではない、ということだった。葬儀の冒頭、要人たちが聖書を読む場面で、英国のリズ・トラス首相よりも先に朗読に立ったのがパトリシア・スコットランドという女性だ。肩書は「英連邦事務総長」。帽子の陰から褐色の顔がのぞく。この葬儀が、英国というよりも英連邦のものであることを感じさせる式次第だった。

スコットランド事務総長の横顔に触れておこう。英連邦の公式サイトによると、彼女はドミニカ国生まれ、カリブ海諸国出身では二人目、女性としては初の事務総長だという。いや、それだけを紹介したのでは不十分だ。英文ウィキペディアには、彼女が英国の外交官、弁護士であり、労働党の政治家だという記述がある。「英国とドミニカ国の二重国籍である」とも書かれている。この二重性こそが英連邦のありようを体現しているように思われる。

そもそも、英連邦とは何か。公式サイトにある一文を訳せば、こうなる。「英連邦は、対等な関係にある56の独立国の自発的意思にもとづく連合体である」――ただ、原文に「英連邦」はなく、“The Commonwealth”とあるだけ。「英連邦」は訳語に過ぎない。サイトには「加盟国政府は、開発や民主主義、平和のような目標を共有することで合意している」とも書かれている。この連合体は、ただの仲良しクラブということか。

ところが話は、そう簡単ではない。連邦は二重構造なのだ。そのことは英連邦の公式サイトに明記されていないが、英王室の公式サイトに入るとわかる。“Commonwealth realms”という用語が出てくるのだ。「エリザベス女王を君主とする国」(当欄の公開時点では、この記述が女王存命時のままとなっている)を指すという。邦訳は「英連邦王国」。英国以外の英連邦加盟国のうち14カ国は、英国と同一の人物を君主としているのである。

独立、対等を旨とする国々の連合体でありながら、加盟国の約4分の1はうち一つの国の君主を自国の君主に定めている。英連邦王国のつながりはふつう〈同君連合〉とみなされないが、形式的にはそう呼んでもおかしくない状態にある。矛盾を含む構造である。

その英連邦が、国葬で格別の扱いを受けたのは聖書朗読だけではなかった。読売新聞のロンドン電は「参列者の席順/英連邦を重視」と伝えている。会場では、女王の棺に近いところから英連邦王国、そのほかの英連邦諸国の順に参列者の席が並んだという。記事は、米国大統領に用意された座席が14列目だったという地元の報道に触れ、英国は英米関係を特別視しているが「国葬では英連邦の関係性を優先させた」と分析している。

東京新聞は、英連邦に焦点を当てたロンドン電でこんな見方もしている。「欧州連合(EU)からの離脱で国際的な評価が傷ついた英国は、以前よりも英連邦を重視している」。これも腑に落ちる指摘だ。私の実感では、英国人の欧州大陸に対する距離感は私たちが想像するよりも大きく、アジア・アフリカに対するそれは想像以上に小さい。このことは、英国メディアがどんな国際ニュースを頻繁にとりあげているかを見るとよくわかる。

手厚いアジア・アフリカ報道からは旧宗主国の〈上から目線〉も感じられる。だが、それだけではない。英国には、旧植民地からやって来た人々やその子孫が大勢いる。そのなかには、前述のスコットランド氏や先日の保守党党首選を最後まで争ったリシ・スナク氏のように社会の中枢を占める人たちもいる。英国は多民族社会であり、英連邦はそれを支える〈ふるさと連合〉なのだ。ただ、それはあくまで英国側の視点に立った話と言えよう。

現実に、英連邦の内部には反発もある。朝日新聞国際面の記事は「アフリカ大陸からは、女王への追悼の声が上がる一方で、英国の過去の植民支配や弾圧への憤りも聞かれた」としている。「憤り」の例に挙がるのは、ケニア人女性のツイッター発信だ。1950~60年代の独立闘争では祖父母世代が英国に「弾圧された」、だから自分は女王を「追悼することができない」――。これを読むと、私が南アで受けた印象はやはり例外的なのかとも思う。

英連邦王国では、その変則的な君主制に対して違和感が生じているようだ。同じ朝日新聞国際面の記事によると、英連邦王国の一つ、カナダのトルドー政権は国葬当日を休日扱いにしたが、国内にはこれに同調しない州も複数あったという。かつてフランス人の入植も盛んで、フランス語で暮らす人々が多いケベック州はその一つ。州首相は「子どもの登校日を減らすのは避けたい。パンデミックで既に、十分だ」と語ったという。

同様に英連邦王国であるオーストラリアには、君主制をやめようという動きがある。「与党労働党は共和制移行を党方針に掲げている」(東京新聞)、「アルバニージー首相は共和制移行に向けた議論をするため、担当副大臣を任命した」(朝日新聞)という状況なのだ。女王への追悼機運で移行にブレーキがかかっているようだが、英連邦王国の人々には、なぜ王様を海の向こうから借りてこなくてはならないのか、という思いもあるだろう。

東京新聞のロンドン電には思わず苦笑した言葉がある。女王弔問の列に並んでいた人から聞きとったひとことだ。その人の妹は英連邦王国の一つ、ニュージーランドに在住だが、「共和制になったら『変な大統領』が誕生しかねない」と心配している、という。この懸念は、ここ10年ほどで急に現実味を帯びるようになった。君主制をやめるときには「変な大統領」が出てこないしくみを考えなくてはならない。これは心にとめておくべきだろう。

それにしても、である。私たちは――少なくとも私は――英女王の国葬にうっとり見とれてしまった。そこには、生涯の職務を全うした人に対する敬意があった。伝統に裏打ちされた厳かさがあった。そしてなによりも、美しかった。と同時に、凋落した旧帝国の思惑が見え隠れしていた。過去の植民地支配の苦い記憶も聞こえてきた。さらに、君主制懐疑の風も吹きつけている。女王は死してなお、歴史を映す鏡になっているとは言えないか。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年9月30日公開、通算646回
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オーウェル、言葉が痩せていく

今週の書物/
『一九八四年』
ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、新訳版、ハヤカワepi文庫、2009年刊

ニュースピーク

言葉の貧困は目を覆うばかりだ。ボキャブラリー(語彙)が痩せ細った、と言い換えてもよい。「緊張感をもって」「スピード感をもって」「説明責任を果たしてほしい」……政治家の発言を聞いていると、同じ語句が機械的に並べられている感じがある。

有名人が不祥事を起こしたときのコメントも同様の症状を呈している。「重く受けとめています」「お騒がせして申し訳ありません」――記者会見があれば、ここで深々と頭を下げる。これは、官庁や企業の幹部が身内の不祥事について謝るときも同様だ。

市井の人々も例外ではない。たとえば、大リーグの大谷翔平選手がリアル二刀流の試合で勝利投手となり、打者としても本塁打2本を連発したとしよう。テレビのニュース番組が街を行き交う人々に感想を聞いたとき、返ってくる答えは「勇気をもらいました」「元気をありがとう」。勇気であれ元気であれ、心のありようは物品のように受け渡しできないはずだが、なぜかそう言う。世間には紋切り型のもの言いが蔓延している。

これらを一つずつ分析してみれば、それぞれに理由はある。政治家の「緊張感」や「スピード感」は、無策を取りつくろうため常套句に逃げているのだろう。有名人や官庁・企業幹部の「重く受けとめています」「お騒がせして申し訳ありません」は危機管理のいわば定石で、瑕疵の範囲を限定して訴訟リスクを下げようという思惑が透けて見える。そして「勇気」や「元気」は万能型の称賛用語で、ときには敗者を称えるときにも用いられる。

ただ、言葉の貧困から見えてくる共通項もある。今、私たちが無思考の社会にいるということだ。思考停止の社会と言ってもよいが、思考を途中でやめたわけではない。思考すべきところを思考せず、それを避けて通ったという感じだ。思考回避の社会とも言えないのは、思考を主体的に避けたのではなく、自覚しないまま無思考状態に陥っているからだ。私たちはいつのまにか、ものを考えないよう習慣づけられてしまったのではないか。

で、今週は言葉と思考について考えながら、引きつづき『一九八四年』(ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、新訳版、ハヤカワepi文庫、2009年刊)をとりあげる。著者は1949年の視座から1984年の未来を見通したとき、そこに監視社会という反理想郷(ディストピア)が現れることを小説にした。先週の当欄に書いたように、そのディストピアでは人々の思考も操られている。そして、このときに言葉が果たす役割は大きそうなのだ。

『一九八四年』が秀逸なのは、そこに新しい言語「ニュースピーク」を登場させていることだ。たとえば、前回の拙稿(*1)にも書いたように、主人公のウィンストンは勤め先の真理省記録局で新聞の叙勲記事を書き換えるよう命じられるのだが、その業務命令もニュースピークで書かれているのだ。訳者は、それを巧妙に日本語化している。「bb勲功報道 倍超非良 言及 非在人間 全面方式書直 ファイル化前 上託」という具合だ。

bbによる叙勲の報道は大変によろしくないものだった、記事に出てくるのは居もしない人物だ、全面的に書き直せ……そう読み解ける。ここでbbは、英、米を含む大国オセアニアの「党」指導者ビッグ・ブラザーのことだろう。用件だけを伝えている感じの文面だ。

この言語がどんなものかは、この作品の末尾に添えられた「附録」を読むとわかる。「ニュースピークの諸原理」と題された一文だ。ニュースピークが「イギリス社会主義」の「要請」に適うように考えだされた「オセアニアの公用語」であること、1984年の時点では標準英語(オールドスピーク)と併用されていたが、2050年ごろまでには完全に置き換わるだろうと予想されていたことなどが、もっともらしく解説されている。

「イギリス社会主義(English Socialism)」は、略称「イングソック(Ingsoc)」。作品本体には、ビッグ・ブラザーの政敵の著書を引用するかたちでその説明がある。それはオセアニアの「党」が掲げる思想で、「党がオセアニアにある全てを所有する」という体制を支えている。支配層の中心は官僚、科学者、技師、労働組合活動家、広告の専門家、教師、報道人……などだという。中間層がいつのまにか一党独裁を生みだした、という感じか。

「附録」に戻って、ニュースピークの一端を紹介しよう。一つ言えるのは、それが英語を簡素にしていることだ。標準英語では、動詞の「考える」がthinkで名詞の「思考」はthoughtだが、ニュースピークでは動詞であれ名詞であれthinkでよい。これと反対に、名詞を動詞として使いこなす例もニュースピークにはある。「切る」はcutではなくknifeなのだ。これらの簡略化は、私のように英語を母語としない者には大変ありがたい。

簡略化は、このほかにもある。ニュースピークでは「悪い」のbadが不要で、「非良」のungoodが代用される。形容詞を強めたければ、語頭に「超」のplusや「倍超」のdoubleplusをくっつければよい。前出の「倍超非良」はdoubleplusungoodだったのだろう。

だが、ニュースピークには怖い側面がある。ひとことで言えば、意味を痩せ細らせることだ。典型例はfreeという言葉。標準英語では「自由な/免れた」の両方を意味するが、ニュースピークでは「免れた」の語意が強まった。「この犬はシラミを免れている」との趣旨で「シラミから自由である」という表現が成り立たないこともないが、「政治的に自由な」「知的に自由な」はありえない。この種の「自由」は言語空間から消滅したのだ。

同様のことはequalについても言える。equalという形容詞は、ニュースピークでも「すべての人間は等しい」という文に用いられるが、このときequalに込められた意味は体格や体力が「等しい」ということで、「平等」の概念はまったく含意していない。

これらの特徴から、イングソックがニュースピークに何を「要請」したかが浮かびあがってくる。それは、「イングソック以外の思考様式を不可能にする」ことだ。本稿のまくらにも書いたように、思考と言葉は密接な関係にある。だから、意味の痩せ細った新言語が広まれば、「異端の思考」をしそうな人が現れても「思考不能」の状態に追い込める――。オセアニアの「党」は、そんな「思惑」があってニュースピークを導入したのである。

もちろん、「思惑」通りには事が進まない。1984年の時点ではオールドスピークが日常言語だったから、ニュースピークで会話や文書を交わしても、オールドスピークにまとわりついた「元々の意味」を忘れられない。ここで威力を発揮するのが、「二重思考」だ。これは前回の拙稿で紹介した通り、とりあえずは「ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱き、その両方を受け入れる」という思考法だ。そのうえで危ない考えを回避していく。

このくだりで、著者は不気味な予言をしている。将来、ニュースピークしか知らない世代に代替わりしたら、その人々は「自由な」に「知的に自由な」の意があり、「等しい」が「政治的に平等な」も意味するとは思いも寄らないだろう、というのだ。「自由な」や「等しい」は即物的になり、その語句に詰め込まれた思想はすっかり剥ぎとられてしまう。言葉が思考から切り離され、ただの意思伝達手段、いわば信号になっていく感じか。

昨今の「緊張感をもって」「重く受けとめて」「勇気をもらいました」という常套句も、私にはニュースピークの一種に思われる。思考の気配がなく、定石の棋譜のようにしか聞こえないからだ。人類の前途にはオールドスピークからの完全離脱が待ち受けているのか。
☆引用部にあるルビは原則、省きました。
*1 当欄2022年6月24日付「オーウェル、嘘は真実となる
*2 本書『一九八四年』については、当欄2022年1月21日付「宗匠のかくも過激な歌自伝」でも言及しています。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年7月1日公開、同日更新、通算633回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

オーウェル、嘘は真実となる

今週の書物/
『一九八四年』
ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、新訳版、ハヤカワepi文庫、2009年刊

気送管へ?

2022年、監視社会がここまで進むとは、だれが思っていただろうか?

30年ほど前、英国で少年による幼児の誘拐殺人があった。当時、私はロンドン駐在の科学記者。事件があまりに猟奇的だったこともあり、記事にしなかった。今思うと、それは怠慢だったかもしれない。容疑者特定の決め手が街頭の監視カメラだったからだ。

監視カメラと聞いて、私は一瞬「イヤだな」と思った。街が見張られているなんて……。でも、この装置があったからこそ事件は解決した。犯罪の抑止力があるということだ。実際その後、英国は監視カメラ大国になる。あの事件は一つの転機だったかもしれない。

ただ、英国と監視カメラの取り合わせには違和感がある。英国は、とにもかくにも自由と民主主義の国ではないか。人権感覚の強い人々が大勢いる。その社会が、なぜ監視カメラをあっさり受け入れたのか。理由は、いくつか思い浮かぶ。1970~1990年代、北アイルランド紛争が激化してテロが相次いだことも大きく影響しているだろう。この問題では、英国社会の現実主義が人権感覚をしのいで、治安を優先させたということかもしれない。

思い返すと世紀が変わるころまで、私たちは人権に対して旧来の見方をしていた。それによれば、監視行為は刑務所などいくつかの例外を除いて許されない。ところが、この20年余でそんなことを言っていられなくなった。海外ではテロや乱射事件……。国内でも通り魔事件やあおり運転……。相次ぐ凶事に監視待望論が強まった。監視の目はコンビニの防犯カメラやドラレコの車載カメラなどに多様化され、その〈視界〉を広げている。

しかも、監視の道具は今やカメラだけではない。私たちの行動は、今日的な技術によっても追跡されている。スマートフォンを持って街を歩けば、自分がどのあたりをうろついていたかが記録される。散歩の経路にとどまらない。心の軌跡もまた見透かされている。インターネットの閲覧履歴を手がかりに、自分が何をほしいか、どこへ行きたがっているかまで推察されてしまう。もはや、監視カメラだけに目を奪われている場合ではない。

カメラの背後には警察がある。民間が取り付けたものでも警察が映像を使う。ところがスマホとなると、ネットの向こうに誰がいるかがなかなか見えてこない。旧来の人権観のように国家権力だけを警戒していればよいわけではない。不気味さは、いっそう増している。

2022年の今、監視社会の実相はこうだ――。一つには、監視している主体を見極めきれないこと。もう一つは、監視されている対象が人間の内面にも及ぼうとしていること。この認識を踏まえて、今週は70年ほど前に書かれた長編の未来小説をとりあげる。

『一九八四年』(ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、新訳版、ハヤカワepi文庫、2009年刊)。著者は英国の作家。1903年に生まれ、1950年に死去した。著者紹介欄には「二十世紀の思想、政治に多大なる影響を与えた小説家」とある。代表作には、風刺の効いた寓話小説『動物農場』も。本書は1949年に発表されたが、刊行時点から35年後の未来社会を描いている。1984年をすでに通過した私たちが読むと、その想像力に圧倒される。

主人公はウィンストン・スミス、39歳。ロンドン在住で「真理省」職員。この省は「報道、娯楽、教育及び芸術」を扱う。政府官庁には、ほかに「戦争」担当の「平和省」、「法と秩序の維持」を担う「愛情省」、「経済問題」を受けもつ「潤沢省」がある。一つ、付けくわえると、この国は英国ではなく「オセアニア」だという。英、米、豪などから成る。そのころの世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3国が割拠していた。

この作品で、著者の先見性の的確さが見てとれるのは「テレスクリーン」の普及だ。ウィンストンの自宅マンションにも、真理省記録局の職場にもある。たとえば、自室の装置は「壁面の一部を形成している曇った鏡のような長方形の金属板」とされている。驚くのは、この装置が送受信双方向の機能を具えていることだ。一方では、当局の思想宣伝を一身に浴びることになる。もう一方では、当局に自らの言動が筒抜けになってしまう。

受信の例として作品に頻出するのは、「臨時ニュース」のような音声情報だ。これは、執筆時点がラジオ全盛の時代だったからか。だが、スクリーンに映像が映る場面も出てくるから、著者は薄型テレビの開発などエレクトロニクスの進展を予感していた。送信機能についていえば、自分がいつも見られているわけだから監視カメラやスマホの追跡機能も先取りしている。著者は、監視社会の到来もすっかり見抜いていたのだ。

職場の風景が印象深い。ウィンストンがいる部屋や廊下の壁には穴がいくつも並んでいる。「記憶穴」と呼ばれるものだ。職員たちは、手にした書類を「破棄すべき」ものと見てとったとたん、「一番近くにある〈記憶穴〉の上げ蓋を開け、それを放り込むのが反射的な行動になっていた」。書類は穴に投げ込まれると、気送管――筒状に丸めた文書を空気圧で飛ばす装置――を通って、庁舎内のどこかにある「巨大な焼却炉」へ直行するのだ。

1984年のオセアニアでは「過去が消され、その消去自体が忘れられ、嘘が真実となる」。これが、日常になっている。過去が都合悪ければ、記録した文書をなきものにしたり書き換えたりする。私たちが報道で耳にする文書の廃棄や改竄が制度化されているのだ。

この小説では、ウィンストンがどんな作業をしていたかが詳述されている。気送管で届けられた書類には次のような業務命令が書かれていた――。1983年12月3日付の新聞に載った「ビッグ・ブラザー」による「勲功通達」の記事は「極めて不十分」だった。「存在していない人物に言及している」ので「全面的」に書き換えるように! ここで ビッグ・ブラザーはオセアニアの「党」の指導者。実在性さえ不確かな謎めいた人物である。

新聞の記事によると、ビッグ・ブラザーは今回、「FFCC」という組織のウィザーズ同志に「第二等大殊勲章」を授けた。FFCCは、水兵に慰問品を贈る組織。ところが、この組織が解体された。不祥事があったのか、政治的確執によるものか、理由はわからない。いずれにしてもウィザーズは存在してはいけない人となり、叙勲はあってはならない過去になった。ウィンストンがなすべきは、その過去を抹消して別の過去をつくりだすことだった。

ウィンストンが思いついたのは、英雄譚だった。「英雄の最期にふさわしい状況下で最近戦死した人物」の称賛記事はどうか。それででっちあげたのが「オーグルヴィ同志」だ。

オーグルヴィ同志は6歳でスパイ団に入り、11歳で叔父を思考警察に売り、19歳で新種の手投げ弾を考えだした。これは、敵軍の捕虜31人を「処分」するときに使われた。23歳になり、ヘリコプターに乗って重要公文書を運ぶ途中、敵機に追いかけられる。同志は公文書を抱え、眼下の海へ飛び降りた。浮きあがることがないよう、体に重しを括りつけて……。同志は架空でも、「数行の活字と数枚の偽造写真」で「実在することになる」のだ。

ただ私が思うに、この改竄には限界がある。記事を書き換えても、すでに発行された新聞紙面は変えられない。デジタル化以前の時代なら、なおさらだろう。さらに人はいったん知ってしまった記憶を掻き消すことができないではないか。心に消しゴムはないのだ。

このツッコミを切り抜ける仕掛けとして、著者が作品にもち込んだのが「二重思考」である。作中ではビッグ・ブラザーの政敵エマニュエル・ゴールドスタインの著作に、その定義がある。それは「ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱き、その両方を受け入れる能力」だ。オセアニアでは「党」の知識人たちが「自分の記憶をどちらの方向に改変しなければならないかを知っている」という。こうして「事実」は都合よく塗りかえられていく。

思考のありようひとつで過去は思い直せるということか。それによって、過去そのものも変わってしまうのか。では、思考のありようはどのように変えられていくのか。『一九八四年』には、聞いてみたいことが山ほどある。次回もまた、この本の読みどころを。
☆引用部にあるルビは原則、省きました。
*本書『一九八四年』については、当欄2022年1月21日付「宗匠のかくも過激な歌自伝」でも言及しています。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年6月24日公開、同月29日最終更新、通算632回
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ウクライナの怖くて優しい小説

今週の書物/
『ペンギンの憂鬱』
アンドレイ・クルコフ著、沼野恭子訳、新潮社

ヴァレニキ

キエフがキーウになった。これは正しい。地名は、たとえ国外での呼び名であれ、できる限り地元の人々の意向に沿うべきだからだ。ただ、この表記変更を日本の外務省が決めたとたん、国内メディアがほとんど一斉に「右へならえ」したことには違和感を覚える。

表記を変えるなら、メディアが率先して敢行すればよかった。一社だけでは混乱を招くというなら、日本新聞協会に提起して足並みを揃えることもできただろう。こうしたことは平時に決めるべきものだ。キーウ表記を求める「KyivNotKiev運動」をウクライナ政府が始めたのは2018年だから、時間はたっぷりあった。この運動がウクライナの世論をどれほど強く反映したものかを冷静に見極めてから、自主判断することもできたはずだ。

それはともかく、今回のロシアによるウクライナ侵攻では、これまでと違う戦争報道が見てとれる。日本国内のメディアが、というよりも西側諸国のメディアがこぞって、戦闘状態にある二国の一方に肩入れしているように見えることだ。ベトナム戦争以降の記憶を思い返しても、そんな前例はなかったように思う。それは一にかかって、この侵攻が不当なものだからだ。大国が小国を力でねじ伏せようとする構図しか見えてこない。

ただ、その副作用も出てきている。ウクライナの戦いはロシアの侵攻に対するレジスタンス(抵抗運動)だが、それをイコール民族主義闘争とみてしまうことだ。もちろん、その色彩が強いのは確かだが、両者は完全には同一視できない。ところが、今回の侵攻はあまりに不条理なので、「レジスタンス」という言葉に拒否感がある思想傾向の人までウクライナに味方する。このときに民族主義がもちだされ、称揚されることになる。

日本外務省のウェブサイトによると、ウクライナにはロシア民族が約17%暮らしている。ほかにもウクライナ民族でない人々が数%いる。この国は多民族社会なのだ。だから、レジスタンスにはその多様性を守ろうという思いも含まれているとみるべきだろう。

で、今週は『ペンギンの憂鬱』(アンドレイ・クルコフ著、沼野恭子訳、新潮社、2004年刊)。略歴欄によれば、著者は1961年、ロシアのサンクトペテルブルクに生まれ、3歳でキーウに転居、今もそこに住んでいる。出身地は誕生時、レニングラードと呼ばれていた。移住先はこのあいだまでロシア語読みキエフの名が世界に通用していた。都市名の変転は、著者が激動の時代を生きてきたことの証しだ。この本の原著はソ連崩壊後の1996年に出た。

この小説はロシア語で書かれている。「訳者あとがき」によると、著者は自身を「ロシア語で書くウクライナの作家」と位置づけている。19世紀の作家ゴーゴリが「ウクライナ出身だがロシア語で書くロシアの作家」を「自任」したのと対照的だ。その意味では、クルコフという小説家の存在そのものが現代ウクライナの多様性を体現している。ただ最近は民族主義の高まりで、ウクライナ語の不使用に風当たりが強いらしいが。(*)

中身に入ろう。主人公ヴィクトルは「物書き」だ。キエフ(地名は作中の表記に従う、以下も)に暮らしている。作品の冒頭では、動物園からもらい受けた皇帝ペンギンのミーシャだけが伴侶だ。ある日、新聞社を回って自作の短編小説を売り込むが、冷淡にあしらわれる。が、しばらくして「首都報知」社から執筆依頼の打診が舞い込む。存命著名人の「追悼記事」を事前に用意しておきたいので、匿名で書きためてほしいというのだ。

ここでは私も、新聞社の内情に触れざるを得ない。新聞記者は、締め切り数分前に大ニュースが飛び込んできても、それに対応しなくてはならない。このため、いずれ起こることが予想される出来事については現時点で書ける限りのことを書いておく。これが予定稿だ。その必要があるものには大きな賞の受賞者発表などがあるが、著名人の死去も同様だ。経歴や業績、横顔や逸話などをあらかじめ原稿のかたちにしておき、万一の事態に備える。

予定稿はどんな種類のものであれ、社外に流出させてはならない。事実の伝達を使命とする新聞には絶対許されない非事実の記述だからだ。とりわけ厳秘なのが、訃報の予定稿。世に出たら、当事者にも読者にも顔向けができない。だからこの作品でも、編集長は「極秘の仕事」とことわっている。そんなこともあって、「首都報知」社では追悼記事の予定稿を「十字架」という符牒で呼ぶ。これではバレバレだろう、と苦笑する話ではあるのだが。

ヴィクトルはまず、十字架を書く人物を新聞紙面から拾いだす。第1号は作家出身の国会議員。目的を告げずに取材に押しかけると、議員は喜んで応じてくれて、愛人がいることまでべらべらしゃべった。愛人はオペラ歌手。そのことに言及した原稿を書きあげると、編集長は喜んだ。第2号からは省力化して、新聞社から提供される資料をもとに執筆することになる。こうして作業は進み、たちまち数百人分の十字架ができあがった。

ここで気になるのは、その資料の中身だ。それは「最重要人物(VIP)」の「個人情報」のかたまりで、これまでに犯した罪は何か、愛人は誰かといったことが書き込まれている。資料を保管しているのが、社内の「刑法を扱っている」部門というのも不気味だ。

ある朝、編集長から電話がかかる。「やあ! デビューおめでとう!」。ヴィクトル執筆の十字架が初めて紙面に出たというのだ。たしかに新聞には、あの議員の追悼記事が自分の書いた通りに載っていた。ただ、死因がわからない。出社して編集長に聞くと、深夜、建物6階の窓を拭いていて転落したという。その部屋は自宅ではなかった。編集長は「いいことも悪いことも全部私が引き受ける!」と言った。なにか込み入った事情がありそうだ。

このときのヴィクトルと編集長のやりとりは、十字架は本当に追悼記事なのか、という疑問を私たちに抱かせる。編集長は原稿から「哲学的に考察してる部分」を削るつもりはないと言いながら、それは「故人とはまったく何の関係もない」と決めつける。その一方で、社が渡した資料の「線を引いてある部分」は必ず原稿に反映させるよう強く求める。ヴィクトルが「物書き」の技量を発揮したくだりなど、増量剤に過ぎないと言わんばかりだ。

この小説の恐ろしさは、十字架の記事が個人情報の記録と直結して量産されていくことだ。その限りでヴィクトルは、記者というよりロボットに近い。私たち読者は新聞社の向こう側に目に見えない存在の暗い影を見てしまう。この工程を操っているのは、旧ソ連以来の“当局”なのか、体制転換期にありがちな“闇の勢力”なのか。そんなふうに影の正体を探りたくなる。これこそが、この作品が西側世界で関心を集めた最大の理由だろう。

実際、ヴィクトルの周りには不穏な空気が漂う。ハリコフ駐在の記者からVIPの資料を受けとるために出張すると、その駐在記者が射殺されてしまう。十字架1号の議員の愛人が絞殺される事件も起こる……。こうしていくつもの死が累々と積み重なっていく。

半面、この小説には別の魅力もある。ヴィクトルの周りに、読者を和ませる人々が次々に現れることだ。新聞の十字架記事とは別に、生きている人物の追悼文を注文してくる男ミーシャ(作中では「ペンギンじゃないミーシャ」)、ヴィクトルの出張中、ペンギンのミーシャの餌やりを代行してくれた警官のセルゲイ、元動物園職員で一人暮らしをしている老ペンギン学者ピドパールィ……みんな謎めいているが、不思議なくらい優しい。

ヴィクトルの同居人となるのは、「ペンギンじゃないミーシャ」の娘ソーニャ4歳。父ミーシャが姿を消すとき、書き置き一つで預けていく。そして、ソーニャの世話をしてくれるセルゲイの姪ニーナ。ヴィクトルと彼女は、なりゆきで男女の関係になる。この二人とソーニャとペンギンのミーシャ――その4人、否3人と1頭は、まるでホームドラマの家族のように見える。そこには、十字架の記事をめぐる闇とは対極の明るさがある。

登場人物には善良な人々が多いように見えるが、実はそれが罠なのかもしれない。そう思って読み進むと、やはり好人物だとわかって、再びホッとしたりもする。人々が優しくても社会は怖くなることがある。読者にそう教えてくれるところが、この作品の凄さか。
*朝日新聞2022年3月16日朝刊に著者クルコフ氏の寄稿がある。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年4月22日公開、通算623回
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