新聞記者オールディーズ考

今週の書物/
『事件記者【報道癒着】』
酒井直行著、島田一男原案、新波出版、2017年刊

紙と板

先々週、先週と新聞記者のレガシーを語った。伝説の人とも呼べる先輩記者の訃報が届いて、先行世代が残してくれた職業観を真正面から受けとめてみたのだ。ただ、ちょっと話がまじめ過ぎた。記者の仕事には、もっとハチャメチャな側面がある。

事実を先んじて伝えたい。記者を突き動かしているのは、そんな子どもじみた思いだ。夕刊、朝刊と日に2回、勝ち負けの決まるレースがある。超一級の情報を自分だけがつかみ、それを記事にして競争相手に一泡吹かせたい――その一心で日々、駆けまわっている。

この競争は、「抜く」「抜かれる」という業界用語で表現される。市場経済ではものごとの価値が「売れる」「売れない」で測られるが、新聞記者はそれを気にしない。頭にあるのは「抜く」「抜かれる」の物差しばかり。そのことは、当欄の前身(「本読み by chance」2019年10月25日付「横山秀夫「64」にみる記者の生態学」)でも書いた。メディアの無定見を「売らんかな」の精神のせいにする人が多いが、新聞に限って言えばそうではない。

新聞記者の世界は、資本主義以前。中世も古代も跳び越えて、太古の狩猟社会のようだ。それを描いたドラマにNHKがテレビ草創期に毎週放映した「事件記者」(1958~1966)がある。警視庁記者クラブに詰める記者たちがギルド的友愛でつながりながら、化かし合いの競争を繰り広げる。私は少年時代、将来の自分が同じ道に入ることも知らず、この番組に熱中した。(「本読み by chance」2014年5月2日付「ジャジャジャジャーンの事件記者」)

私は、新聞記者になったが科学畑が長かったので「事件記者」とは言えない。ただ駆けだし時代、警察の記者クラブにいたころの自分を思い返すと、あのドラマの記者群像とダブって見える。それは、子どもじみた大人という記者の特性がむき出しになる世界だった――。

で、今週は『事件記者【報道癒着】』(酒井直行著、島田一男原案、新波出版、2017年刊)を電子書籍で読む。島田はドラマ「事件記者」の原作者。ちなみに前述の拙稿「ジャジャジャジャーン…」では、彼が書いた小説『事件記者』(徳間文庫)をとりあげている。その設定を引き継いで21世紀の今を舞台に仕立て直したのが、今回の小説だ。著者は1966年生まれ、ドラマの脚本やゲームシナリオなどの執筆も手がけている。

当欄は、ここで酒井版『事件記者』の筋書きには立ち入らない。断片的なエピソードをいくつか拾いだし、ドラマの記憶や私自身の思い出にある昔の記者像と今現在のそれを引き比べて、彼此の違いをあぶり出してみたい、と思う。

まずは、朝の記者クラブ風景。東京日報の相沢キャップがソファーで各紙朝刊に目を通している。「出勤途中の電車内で、各新聞社の電子版朝刊にはスマホで一通り目を通してきてはいるのだが、やはり、毎朝きまっての特オチ特ダネのチェックはインクの匂いがまだ残る新聞紙面で確認するに限る」(引用部のルビは省く、以下も)。私は「電子版」「スマホ」の語句を見て、今ならそうだろうなと納得し、すぐに、でもちょっと違うなと苦笑した。

昔の記者は当然、電子版で他紙の特ダネにあわてるようなことはなかった。私たちは、事件記者であろうが科学記者であろうが、自腹を切って競争紙を定期購読するのが常だったのだ。それは、ひとえに一刻も早く朝刊を開いて「特オチ特ダネのチェック」をするためだった。布団のなかで他紙の大見出しに愕然とし、いっぺんに目が覚めたことは幾度もある。今は「電子版」で済ますのだろうが、ただ「出勤途中の電車内で」というは遅すぎる!

警察と新聞の関係も激変した。相沢が訳あって、庁舎玄関の制服警官と言葉を交わす場面がある。警官は礼儀正しいが、ふだんは不愛想。相沢は「分かっています。上から言われているんでしょ? マスコミの人間とはあまり親しくするなって」。そして、先輩の懐旧談を受け売りする。「昔はそれこそ、捜査一課の刑事たちと記者クラブの連中が一緒になって近くの居酒屋で酒を酌み交わしたり、家族同士の付き合いなんかも頻繁にあったらしいよ」

相沢が、新人記者に取材法を伝授するくだりにはこんな嘆きも。「その昔は、夜討ち朝駆けと言って、担当刑事の家まで朝に夜に日参してはネタを仕入れてきたものなんだが、これが今ではずいぶん難しい」。世間が、公務員の守秘義務に厳しくなったのだ。

夜討ち朝駆けは、かつて事件記者の日課だった。おぼろげな記憶では、ドラマ「事件記者」の面々も、村チョウさん、山チョウさんと呼ばれる刑事の自宅玄関前に群がって、捜査情報を聴きだしていたように思う。これは事件記者に限らず記者一般に言えることだが、連れだって飲みにいくのであれ、自宅に押しかけるのであれ、家族と仲良しになるのであれ、取材先との間に私的交流があることは、情報源に食い込んでいるとして褒められたものだ。

これは、なあなあの関係を生んだ。東京日報が機動捜査隊の出動を嗅ぎつけて、凶悪事件の発生を知ったとき、長老記者は新人にこんな思い出話をする。「ワシらと刑事たちがツーカーの間柄じゃった頃は、機動捜査隊が動き出す前に、捜査一課の顔馴染みの刑事がここに顔を出して、『コロシの一報が入ったけど尾いてくるかい?』なんて声かけてくれたもんじゃ」。現場では、短時間だが立ち入りを許して写真も撮らせてくれたという。

長老の回顧談には、新聞社のハイヤーが社旗を立てて捜査車両を追いかける話も出てくる。旗はボンネットの先端でひらめいている。それは、ドラマ「事件記者」のオープニング映像そのものだ。あのころの新聞社旗は、報道機関は公器なのだ、という自負の表れだったように思う。今の感覚で言えば、思いあがっている。あの旗は、そんな歪んだ自負の匂いを町中にまき散らしていたのだから、世間の反感を買うのも当然だろう。

新聞が、公器としての特権をふりかざす時代は終わったのだ。だから、記者も創意工夫を凝らさなくてはならない。そんなこともあるのかと思わせる一節が、この小説にはある。前述の機捜隊出動を東京日報の記者がどう察知したか。警視庁近くのビルで別の記者クラブに詰めていた記者が、窓際に据えたビデオカメラで機捜隊の車が出ていく瞬間を録画したというのだ。テクノロジーが「ツーカー」の欠如を補ったのである。

昔と変わらないのは記者クラブか。私が京都支局の警察回りだったとき、キャップからこっぴどく叱られたことがある。内偵取材の資料を無造作にポケットに突っ込んでクラブに戻って来たら、咎められたのだ。他社に感づかれるではないか、というわけだ。相沢も、新人にクラブの作法を教え込んでいる。他社のブースに足を踏み入れるのはダメ。他社が何を追いかけているかは、些細な「会話や態度」から嗅ぎとらなければならない――。

昔と変わらない取材方法もある。私は京都時代、殺人事件が起こると現場周辺の家々や店々を回って「聞き込み」をしたものだ。この小説で新人記者が、現場に急いでも規制線の先に立ち入れないなら意味がないのでは、と突っかかると、先輩記者が諭す。「事件記者が取材するポイントはごまんとある」。被害者の隣人知人を見つけて、どんな人物だったか、誰とつきあっていたかを聞く。商店や飲食店を回って、日ごろの暮らしぶりを探る――。

足で稼ぐ事件取材は今も続いているわけだ。ただ、今どきの記者たちは昔よりずっと辛い目に遭っているに違いない。個人情報保護の認識が広まったからだ。政治家や企業トップの不正なら、公人の情報は開示すべきだ、と堂々と言える。だが、市井の事件当事者についてあれこれ聞きだすとなると話は別だ。事件の真相は、辛いことだが次世代に手渡すべき公的な記録であり、限られた範囲で公にされなくてはならないと思えるのだが……。

今週は1960年代のドラマを思いだしながら、ハチャメチャな話を懐かしもうと思っていた。だが結局は、前回「新聞記者というレガシー/その2」(2020年9月18日付)同様の切実な論点に戻ってしまった。やはり、新聞は深刻な局面にあるのだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年9月25日公開、同日最終更新、通算541回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

新聞記者というレガシー/その2

今週の書物/
『新聞記者という仕事』
柴田鉄治著、集英社新書、2003年刊

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この夏に死去した柴田鉄治という先輩記者の本を今週も。改めて著者の人物像をなぞっておくと、もともとは社会部記者であり、科学報道にも携わった人。記者として〈現場主義〉に徹し、〈情報公開〉の社会を追い求める戦後民主主義の子でもあった。

先週の拙稿で、私には書き残したことがある。本書冒頭の記述についてだ。著者は、新聞を「産業としての新聞」と「ジャーナリズムとしての新聞」に切り分け、いま日本では後者が「戦後最大の危機に直面している」と断じた。この切り分け方に私は「2020年の視点に立つと楽観的に過ぎる」とかみつき、理由は「後で論じる」としていたのだ(当欄2020年9月11日付「新聞記者というレガシー/その1」)。今回は、この話から始めよう。

もとより、私のこの批判はフェアではない。著者が新聞の二つの側面を分けて考えたのは、あくまでも刊行年、すなわち2003年のことだからだ。あのころはまだ、新聞の宅配が電気、ガス、水道などと同列にみなされていた。だから私自身も、同様の切り分け方をしていた。曲がり角は2010年ごろではなかったか。以来、「産業としての新聞」が苦境に立たされ、「ジャーナリズムとしての新聞」を切り離して論じることが難しくなった。

著者も最晩年は「産業としての新聞」に危機感を抱いていたのかもしれない。ただ、息を引きとるその瞬間まで、1家庭に1紙は新聞をとるという固定観念から脱することはなかったように思う。その意味では、古き良き記者人生を生き抜いたのである。

もちろん、この本で繰り広げられる「ジャーナリズムとしての新聞」論も、新聞以外のメディアを強く意識している。ただ、競争相手として描かれるのは、もっぱらテレビ。著者の若手記者時代がテレビの台頭期に重なっていたからだろう。著者が、その強みとして一目置くのは「映像の威力とリアルタイム(即時性、同時性)」。1972年にあった浅間山荘事件の現場中継を境にテレビがマスメディアの「王座に座った」という見方も披歴している。

テレビとの確執をめぐる話では、記者クラブ問題が詳述されている。省庁には、メディア各社の記者が張りついていて記者クラブという緩い集団をかたちづくっている。クラブ員は内輪の取り決めを結んでおり、記者発表をどの時点から紙面や電波に載せてよい、というような「しばり」に従う。このとき、「解禁時刻がほとんど『テレビは夕方から、新聞は朝刊から』となっていることも新聞にとっては大問題」と、著者は嘆いている。

著者が社会部長時代にはこんなこともあったらしい。記者クラブの発表案件には、「叙勲・褒章」や「歌会始の入選者」のように事前に資料が配られるが、公表日まで紙面化やニュース化を控えるものがある。その解禁時刻の設定を、新聞は公表当日の朝刊から、テレビは前日の夕方から、とするか、それとも、新聞は当日朝刊から、テレビも当日朝からとするか――。半日の時間差をめぐって新旧両メディアが角突き合わせたというのである。

2020年の今からみると、この半日の争いは空しい。今は多くの人々がソーシャルメディアを手にしたから、記者クラブが報道の日時を仕切ることそのものが難しくなった。記者クラブに属さない人の発信がマスメディアを出し抜くこともできるのだ。

マスメディアが負けそうなのは、速報性だけではない。迫真性についても言える。つい最近、台風10号が九州付近を通り過ぎたときもそうだった。このとき、現地の人々が刻々ネットにあげる書き込みに目を通していると、テレビのニュースを見ているときとはまったく異なる臨場感があった。そこから感じとれるのは、暴風雨に窓を叩きつけられている人たちの悲鳴だ。静かなスタジオで台風の威力や進路を解説するのとは違う情報発信である。

ただ、ソーシャルメディアには落とし穴がある。聞きつけた話をすぐ拡散することには早とちりの危険が付きまとう。その場からの発信は局所の事実を伝えてくれるが、事態の全体像を俯瞰できない。これは私の見方だが、こうしたソーシャルメディアの欠点を見極めることが、マスメディアの活路を見いだすことにつながるように思える。大局的にものを見て信頼度の高い情報を選びだす――その手助けをするメディアは今も必要なのである。

この本の話に戻ろう。刊行年のころは、報道は正義の味方という通念が崩れだしたころだった。新聞記者は、かつて巨悪を暴く善玉のイメージだったが、それが一転、善良な市民を苛む悪玉として嫌われる場面がふえてきた。「メディア・スクラム(集団的過熱取材)」などで「当事者や関係者が多大の苦痛を被る」と指弾されたのだ。著者は過熱取材の非を認めつつも、政府が「メディア規制を行う方向を打ち出した」ことには警戒感を示している。

2000年代初め、「メディア規制法案」と一括りされる個人情報保護法案と人権擁護法案が国会に提出され、議論になっていた。新聞界には両法案に対する批判が強かったが、前者は2003年、この本の刊行直前に成立する。そして今、個人情報は侵すべからざるものという意識が世の中に浸透した。先週の当欄にも書いたが、それが不正事件を暴く取材活動の足かせとなり、著者が希求する〈情報公開〉社会の実現を難しくしている。

では、メディア批判の強まりに記者はどう対処したらよいのか。その問いに対する答えも、この本にはある。「権力との闘いに萎縮してしまったら、新聞に未来はない」という言葉だ。ここで「新聞」は、間口を広げてジャーナリズムと言い換えてもよいだろう。

著者は、三つの例を挙げている。「自ら精神病患者を装って」精神科病院に入り、潜入ルポルタージュを連載記事にした記者。アパルトヘイト時代の南アフリカに「身分を隠して」入り、その実態を伝えた記者。「一労働者として自動車工場にもぐりこみ」、労働現場の実情をノンフィクション作品にまとめたフリーの書き手。これらの取材に対しては、高い評価がある一方、倫理面の批判がつきまとうが、著者は「目的は手段を浄化する」と言い切る。

今は、コンプライアンス(規範遵守)の世の中だ。「目的は手段を…」のひとことに抵抗感を覚える人は多い。2020年の今、現役の記者たちの大勢もそうだろう。だが、著者は違った。そこには戦後民主主義の子としての新聞記者の論理がある。

この点では、私も著者を支持する。個人情報のことなら、こう考えてはどうか。人はだれも、公人と私人の両面を併せもっている。私人の個人情報は厳しく守らなくてはならないが、公人の個人情報は開示すべき場面もある。どこまでが私で、どこからが公なのか。この見極めは、そのつど考えなくてはならない。万能のマニュアルなどないのだ――。「目的は手段を…」という突き放したもの言いは、そんな柔軟思考の一つの表現ではないのか。

著者が現役のころ、記者は何をどこまでどう取材すべきかをその場その場で考えていたように思う。ところが今、記者もマニュアルに縛られている(「本読み by chance」2019年4月26日付「記者にマニュアルは似合わない」)。この本で改めてその現実を痛感する。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年9月18日公開、同月22日最終更新、通算540回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

5Gで2Hは変わるか

今週の書物/
『5G
――次世代移動通信規格の可能性』
森川博之著、岩波新書、2020年刊

スマホの向こう

2時間ミステリー(業界では2Hと呼ぶらしい)のことは、当欄の前身でも繰り返し話題にしてきた。マンネリのドラマによくつきあっていられるね、という揶揄も聞くが、マンネリのまったり感がよいのだ。いや、それだけではない。余得がいっぱいある。

2Hは最近、新作が少ないが、BS局やCS局で旧作再放映を観ることができる。その副産物として楽しめるのが、1980年代~2010年代へのタイムスリップだ。街の風景、人々の言葉遣い、身の回りの品々……どれも時代を映している。なかでも、それがいつかを教えてくれる最強の記号は電話だろう。拙稿「ミステリーで懐かしむ黒電話の時代」(「本読み by chance」2015年1月16日付)では、次のように時間軸をさかのぼった。

〈ざっくり色分けすれば、2010年代はスマートフォン、00年代なら折り畳み式携帯、それも最初のころはアンテナ付き、1990年代後半は畳めない細長携帯、それ以前は固定電話が優勢でプッシュフォン、1980年代半ばより前はダイヤル式も多かった〉

同様の時代区分はIT業界にもある。移動電話を第1世代(1G)から第4世代(4G)まで世代分けしている。1Gの起点を1980年代としているようだから、人々の実感よりも早い。新技術が市場に出回るまでには、それなりの時間がかかるということだろう。

2020年代の私たちを待ち受けているのが5Gだ。コロナ禍がこの流れに水を差すという見方はある。だが、それとは逆の見通しもある。今、感染症に対する防衛策として社会活動を遠隔方式に改める動きが一気に広まっている。この潮流は、コロナ禍が収まっても次なる新型感染症の脅威が残るから変わらないだろう。そう考えると、5Gはブームがいったん勢いを失うかもしれないが、コロナ後の社会で待望されていると言えよう。

で、今週は『5G――次世代移動通信規格の可能性』(森川博之著、岩波新書、2020年刊)。著者は1965年生まれ、もともと電子工学を専攻した東京大学大学院教授。内外の審議会、公的委員会で要職を務めるなど、情報社会の未来図を描いてきた人だ。この本の刊行日は4月17日。コロナ禍の影響を考察する余裕はなかったようなので、コロナ後に5Gがどんな役割を果たすかに思いをめぐらすのは、読者自身ということになる。

この本には、移動通信の各世代を私たちに引き寄せた記述もある。「1Gは電話、2Gはメール、3Gは写真、4Gは動画」というのだ。たしかに携帯電話を初めて手にしたころ、それは持ち運び自在の電話機にほかならなかった。折り畳み式が出回るころには、短文メールをやりとりしていた。カメラとしても使われるようになると、撮影即送信という早業を楽しんだ。「写メ」である。そして今、スマホ画面で動画を見るのは日常になった。

では、5Gはどんなものになるのか。著者によれば、それは「超高速」「低遅延」「多数同時接続」の三つを具えた通信になる。このうち「超高速」は目新しくはない。1~4Gの進化は「高速化」の軸に沿っており、5Gはそれを「延伸したもの」に過ぎないからだ。

注目すべきは、残り二つ。低遅延の目標は、情報をやりとりするときの遅れを1ミリ秒、即ち1000分の1秒に置く。多数同時接続では1キロ四方の域内に端末機器100万台をつなげるようにする。これらは、ただの量的な進化ととらえるべきではない。それによって質の異なる「サービス」が生まれることになる。具体的には機械の「遠隔制御」、クルマの「自動運転」、リモート方式の「手術支援」などが期待されている、という。

1~4Gでは、通信の恩恵を受ける側の中心に消費者がいた。それは、前述の電話→メール→写真→動画の足どりをみてもわかるだろう。世代が代わるごとに消費者世界のありようが変わってきた。ところが、5Gは「制御」「運転」「手術」の列挙でわかるように職業人にも大きな影響を与える。たとえば、工事現場で重機が無人操作され、小売店が無人の営業になれば、建設業界や流通業界の人々の働き方は一変するだろう。

このあたりのくだりを読んでいて気になるのは、業界内でしかわからない用語が乱造されていることだ。たとえば、“B2C”と“B2B”。前者は企業が消費者向けにサービスを提供すること(本書では“Business to Customer”、ただし“Business to Consumer”とする説もある)を指し、後者は企業間取引(“Business to Business”)を意味する。5GはB2Bの市場を広げるというのだが、これなどわざわざ略語にする必要があるのだろうか。

私がこの本の長所と思うのは、ハードウェアの記述が手厚いことだ。情報系の本というとソフトウェアの話で終わってしまいがちだが、この本は違う。コトの技術にもモノの技術が必須要件としてかかわっていることを見落とすな、と叱られているような感じにもなる。

著者は「通信機器市場やスマートフォン市場では、残念ながら日本企業は競争力を失ってしまった」としたうえで、「5Gを支える部品や計測装置では日本企業の存在感は高い」とうたいあげる。5Gではミリ波など周波数の高い電波を使うので、これまでの部品が通用しないことがある。ある決まった周波数域だけを選り分ける「フィルター」などを例に挙げ、それをミリ波対応にする技術では日本企業が優位に立っていることを強調している。

地味だなあ、という気はする。主戦場で負けたから周縁部で取り戻す、という負け惜しみのようにも聞こえる。だが、必ずしもそうではない。実際、ハードの技術革新は都市を様変わりさせる潜在力があるのだ。たとえば「窓の基地局化」。電波は高周波になるほど障害物を回り込みにくくなり、到達距離も縮まる。だから、5Gの基地局は密に配置しなくてはならない。その結果、ビルの窓にガラスのアンテナが据えつけられるかもしれないという。

ここで著者は「生態系」という言葉を用いて、こう問いかける。「5G市場の生態系は、今までの延長線上となるのか、それとも新たな生態系が生まれるのか」――5Gは、消費者の目からみると、クルマ事情や買い物街の風景、病院の様子などを激変させるだろう。だが、それだけではない。生産者の立場からみても、新しい製品開発の機会をもたらしてくれそうだ。人間社会の「生態系」全体が変わるのは間違いないように私には思える。

この本からは、5Gがモノの物理に制約されている現実も見てとれる。5Gは低遅延化で「1ミリ秒以下」をめざしているが、著者によれば、それは「『無線区間』のみ」の遅れだ。基地局とサーバー(サービス提供用コンピューター)は光回線のような有線で結ばれているが、その区間の遅れは計算に入っていない。太平洋を越えた遠隔手術にも有線の壁がある。海底ケーブル部分に「往復で100ミリ秒程度」の遅延が見込まれるから、という。

有線遅延の制約を克服する技術として紹介されているのが「エッジコンピューティング」。昨今の情報管理では、手もちのデータを「クラウド」(雲)と呼ぶサーバー群に預ける方法が広まっているが、それに逆行する新機軸だ。基地局のそば、端末のそばに「エッジサーバー」を設けて情報処理する、という。端末そのものにエッジの役割を付加することもあるらしい。遅延を縮められ、貴重なデータを手近に置けるから、一石二鳥かもしれない。

著者は、コンピューターの技術が「集中と分散」を繰り返しているという歴史観を示す。20世紀半ばまでさかのぼって跡づけると、汎用機→パソコン→クラウド→エッジの流れがこれに相当する。技術の進化が生態系の遷移のようにも思えてくるではないか。

最後に、ハード面の話で気がかりが一つ。5Gに割り当てられる電波には、これまで移動通信に使われてこなかった高周波が含まれる。電磁波としてみると、赤外光や可視光に近い波長域。だから大丈夫かな、と思う気持ちがある半面、なじみの薄い電波が急に身近なところを飛び交うようになることに不安もある。欧州などで5Gの健康影響に警戒論があるのも、そんな事情があるからだろう。後日、5Gのリスクについても1冊読んでみたい。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月3日公開、通算529回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
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