ノーベル賞が語るウイルスとの闘い

今週の書物/
2020
年ノーベル医学生理学賞発表資料(スウェーデン・カロリンスカ医科大学)
2020
年ノーベル化学賞発表資料(スウェーデン王立科学アカデミー)
=画像はこれらの一部

ハサミ

先週に続いて、理系ノーベル賞の発表資料を読んでいこう。今週は、医学生理学賞と化学賞だ。前者の行方では、ゲノム編集という遺伝子改変技術の開発が本命視されていたが、それが後者に回った。その結果、今年は生命科学系が2賞を占めることになった。

医学生理学賞を受けるのは、C型肝炎ウイルスの発見にかかわった米国のハーベイ・オルター、英国生まれカナダ在住のマイケル・ホートン、米国のチャールズ・ライスの3人(敬称略、以下も)。先週の月曜、その発表をネット中継で見ていて、C型肝炎という言葉を耳にした瞬間、そうか、そこを突いてきたか、と私は思った。新型コロナウイルスが猛威をふるう年、コロナをちょっと外したところで人間とウイルスの関係に光を当てたのだ。

コロナがらみの研究が今年、選ばれる可能性は限りなく小さかった。現時点でコロナ禍は克服されていない。人類の共通感情として、ノーベル賞はまだ早すぎるのだ。実務面をみても、受賞候補の推薦期限は1月末。この時点で地球規模の大流行は始まっていなかったので、コロナ禍を視野に入れた推薦はほぼなかったとみてよい。ただ選考そのものは、大流行のさなかに進められた。コロナの時代に示唆を与える研究は一目置かれただろう。

そこで行き着いた選考結果は、人類が近過去に体験したウイルスとの闘いの成功物語だった。私自身の科学記者生活を振り返ると、1980年代には「非A非B型」と呼ばれる正体不明の肝炎が医療報道の大きなテーマだった。輸血で感染するが、病原体がわからず、手の打ちようがない。ところが1989年、米製薬企業カイロン社のグループが遺伝子レベルの研究で、その病原体らしいウイルスを突きとめた。これがC型肝炎ウイルスである。

受賞者のうちホートンは、このときカイロン社グループの中心にいた人。オルターは、それに先立って1970年代から非A非B型肝炎の研究に取り組み、この病に未知のウイルスがかかわっていることを見極めた。ライスは1990年代、ホートンたちが見つけたウイルスが実際に肝炎を起こすことを動物実験で最終確認した。ここで押さえておくべきは、一連の仕事は70年代に始まり、90年代に完結する大事業だったことだ。

プレスリリースでは、彼らの発見によって、このウイルスに対する精密な血液検査ができるようになり、肝炎の輸血感染が多くの地域で消滅したこと、C型肝炎向けの抗ウイルス薬の開発が加速されたことなどに触れた後、こう書く。「この病気は今や歴史上初めて、治せる病になった。全世界の人々がC型肝炎ウイルスから解放されるという期待も高まっているのだ」。この段落の冒頭には、次のような一文もある。

“The Nobel Laureates’ discovery of Hepatitis C virus is a landmark achievement in the ongoing battle against viral diseases.”

「ノーベル賞受賞者たちのC型肝炎ウイルス発見は、今も進行中のウイルス性の諸病との闘いで金字塔となるものだ」。ここで“battle”に“ongoing”という形容詞がつき、 “viral diseases”が複数形になっているのを見落としてはならない。今回の医学生理学賞は、コロナ禍の先行きが見えない私たちに対して、現代医学はウイルスに勝てるのだ、と励ますメッセージのように思える。ただし、それは一朝一夕にはいかない、と釘を刺しながら……。

化学賞は、フランス生まれのエマニュエル・シャルパンティエ、米国のジェニファー・ダウドナの受賞が決まった。授賞理由は冒頭に書いた通り、ゲノム編集技術の開発。これを使えば、生命体の遺伝子一式を載せたゲノムのDNA(デオキシリボ核酸)塩基配列を、ワープロソフトで文章を直すように改変できる。医療から農業までさまざまな分野で活用が期待されているが、遺伝子にどこまで手を加えてよいかという倫理問題も呼び起こしている。

技術そのものについては、当欄の前身で書物を紹介しながら、そのしくみを素描している(「本読み by chance」2017年5月19日付「ゲノム編集で思う人体という自然」、同2019年3月15日付「ゲノム編集を同時代の記者と考える」)。今回は、この技術もまたウイルス感染とは無縁でないことに話題を絞る。化学賞の選考にあたった科学者がコロナ禍を意識していたとは考えないが、この受賞研究にもウイルスの影が見え隠れするのだ。

それはどんな局面か? ゲノム編集では、ハサミ役の酵素が狙いを定めた塩基配列に導かれ、そこでDNAを切断する。このしくみが、細菌の対ウイルス防衛システムに倣ったものだというのだ。細菌たちも人類同様、ウイルスと闘っているのである。

その防衛システムのすぐれているところは、細菌がウイルスの塩基配列を覚えていることにある。細菌は、ウイルスが細胞内に攻め込んできたとき、その塩基配列の一部を自らのゲノムに取り込んで、データベースとして保存しておくのである。その結果、ウイルスが再び侵入してくると、ハサミの役目を果たす酵素がデータベースの情報に導かれてその塩基配列にとりつき、それをちぎって解体してしまう。

では、化学賞の発表資料――。今回は、その一般向けの解説がなかなか読ませる。もともとシャルパンティエは、病原性細菌の攻撃性や薬剤耐性に関心があった。ダウドナは、細胞内でRNA(リボ核酸)分子の断片が遺伝子の制御調節に関与するしくみ――RNA干渉――を探っていた。その二人が出会って「クリスパー・キャス9」と呼ばれるゲノム編集技術に結実させる様子を、折々のエピソードを交えて物語仕立てで描いている。

ウイルスが顔を出すエピソードは2006年、ダウドナにかかってきた1本の電話から始まる。当時彼女は、すでにカリフォルニア大学バークリー校で研究チームを率いていた。電話の相手は、別部門にいる微生物学者。細菌研究の分野で最近、不思議な発見があったという話だった。細菌のDNAに同じ塩基配列が繰り返し現れるところがあり、繰り返し部分の間にはさまる配列を調べると、ウイルスのそれと合致しているように見えたというのだ。

これは免疫システムの一部ではないかとして、次のような仮説が示される。
“ if a bacterium has succeeded in surviving a virus infection, it adds a piece of the virus’ genetic code into its genome as a memory of the infection.”
「細菌がウイルスに感染したけれど生き延びたとしよう。このときにその細菌は、ウイルスの遺伝暗号のひとかけらを感染の記憶として自らのゲノムに付け加えるのだ」

その微生物学者は、細菌がウイルスと闘うしくみは、ダウドナが研究しているRNA干渉に似ているのではないか、と問いかけたという。実際、細菌の「感染の記憶」を生かした免疫システムではRNA分子が大きな役割を果たしていた。クリスパー・キャス9でも、ハサミ役の酵素の案内役に人工のRNA断片を用いる。このエピソードは、研究者同士の井戸端会議のような会話が科学にとってどれほど大切かを教えてくれる。

それにしても驚くのは、細菌の賢さだ。ウイルスに襲われても攻められっ放しではいない。ひそやかに、したたかに、相手の弱みとなる情報を貯め込んでいたのだ。進化論的に言えば、そういう能力を身につけたものが生き残ってきたということなのだろう。

コロナ禍に立ち向かうのは、医学や医療の専門家だけではない。社会活動や経済活動をどのようなかたちで続けていくのかというところで、すべての人々がかかわっている。私たちも、ウイルスの裏をかくような生き方ができないか。そんな思いが一瞬、心をよぎった。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年10月16日公開、通算544回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。