チャペックの疫病禍を冷静に読む

今週の書物/
『白い病』
カレル・チャペック著、阿部賢一訳、岩波文庫、2020年9月刊

白いマスク

去年、コロナ禍の前途が見通せなかったころ、私の本漁りは混乱した。世を覆う暗雲は無視できない。その一方で、生々しい話からは目をそらしたい気分もあった。たとえば、パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』(飯田亮介訳、早川書房、2020年4月刊)は、その緊迫感ゆえに当欄で直ちにとりあげたが(2020年5月1日付「物理系作家リアルタイムのコロナ考」)、買い込んだままページを開くのをためらっていた本もある。

戯曲『白い病』(カレル・チャペック著、阿部賢一訳、岩波文庫、2020年9月刊)は、その一つだ。著者(1890~1938)はチェコ生まれの作家。代表作「R・U・R」はロボットという新語を生みだした戯曲で、AI(人工知能)時代の到来も予感させる。

チャペックと言えば、私はその著書『未来からの手紙――チャペック・エッセイ集』(飯島周編訳、平凡社ライブラリー)を話題にしたことがある(「本読み by chance」2016年1月8日付「チャペック流「初夢」の見方」)。それは、排他的な移民政策をとる権力者が米国に現れる未来を予測していた。そして実際、この拙稿公開から1年後、国境を壁で閉ざす政策を掲げたドナルド・トランプ氏が米国大統領に就任したのである。

大した予言力だ。それは、チャペックがもともと新聞記者だったことに由来するのかもしれない。作品の主題は、個人の心の襞や愛憎ではない。ジャーナリストの鑑識眼で社会を読み解き、それにいくつかの仮定を施して次の時代を見通す。さながら、コンピューターを用いた数値実験のようなものだ。その作家が、この戯曲では疫病禍をとりあげている。私たちが直面するコロナ禍の先行きが暴かれているようで、ちょっと怖いではないか。

さて、そんなふうに怖気づいてから半年ほどが過ぎた。今も、コロナ禍は深刻なままだ。特効薬がない、病床確保が十分ではない、という状況は変わらない。ワクチン接種が始まったことだけが明るい材料だが、半面、ウイルスの変異株が次々に現れて心配な雲行きだ。一つだけ明言できるのは、あとしばらくは――たぶん、それは年単位の話だろう――ウイルスとワクチンの攻防が続くということ。そんな全体像だけは認識できるようになった。

ならばきっと、半年前よりもこの作品を冷静に吟味できるだろう。そもそも、ここに描かれる「白い病」は架空の疫病だ。しかも、作品が発表されたのは1世紀前の1937年。DNAの立体構造発見(1953年)よりもずっと前のことだから、感染の有無を遺伝子レベルで調べるPCR検査はなく、蔓延の様子を正しく把握することも至難の業だった。病原体の正体はわからず、伝播経路も追跡できない。とりあえず、今のコロナ禍とは別の話だ。

さっそく、戯曲の中身に入ろう。この作品で、著者は疫病流行時の世相を模式化して描いている。それは、いわば社会の縮図だ。登場人物には、最高権力者と思しき元帥がいる。爵位を有する軍需産業の経営者もいる。二人一組で産軍複合体の象徴か。医学界には、大物の大学病院教授。この人は、国の「枢密顧問官」でもある。新聞記者も出てくる。中流家庭の家族も顔を出す。そして陰の主役が、変わり者扱いされる医師ガレーン博士だ。

まずは、この病の素描から。教授は記者の取材に答える。「皮膚に小さな白い斑点ができるが、大理石のように冷たく、患部の感覚は麻痺している」。罹患の徴候は「大理石のような白斑(マクラ・マルモレア)」だが、皮膚病ではない。「純粋に体内の病」であり、数カ月後に敗血症で亡くなる人が多いという。治療は「適量の鎮静剤を処方すること」。対症療法しかないということだ。教授は、この現実を記者にはわからない用語を使って言う。

教授によれば、この疫病は「白い病」と呼ばれているが、正式名称は症例報告者の名に因んで「チェン氏病」。初症例が見つかったのは「ペイピン」の病院だという。ペイピンが「北平」なら北京の旧称だ。教授は、中国では「興味深い新しい病気」が「毎年のように」出現していると言い添える。黄禍論の影響も感じとれる。だが一方で「貧困がその一因」との認識も示しているから、作者の帝国主義批判の表出と読めないこともない。

チェン氏病は、すでに世界的な大流行、即ち「パンデミック」の様相を呈している。500万人超が亡くなり、患者数は1200万人にのぼる。世界人口が今の3分の1のころだから単純には比較できないが、死者数が数百万人規模である点は今回のコロナ禍と共通する。

さらに注目したいのは、教授が「白い病」のパンデミックが見かけより大きいとみていることだ。報告された患者数の3倍以上の人々が「斑点ができているのを知らずに世界中を駆けずり回っている」――と教授は指摘する。斑点は無感覚だから感染に気づかない、多くの人は知らないうちに感染拡大に手を貸している、ということだ。これは、コロナ禍で無症状の感染者がウイルスの伝播に一役買っている現状を連想させる。

このことは疑心暗鬼も呼び起こす。それは、教授が自室でひとりになったとき、ふと漏らす独り言からもうかがわれる。ト書きに「立ち上がって、鏡の前に立ち、注意深く顔を眺める」とあり、「いや、ないな。まだ、出てはいないな」とつぶやく。教授は新聞記者に対しては、医学の権威としてチェン氏病の蔓延を客観的に論じていた。だが内心を覗けば、自分自身も感染しているかもしれない、という疑念を拭い去れないでいたのだ。

もう一つギクッとするのは、「白い病」が年齢限定であることだ。教授は、感染が45歳、あるいは50歳以上に限られるとして、人体の経年変化「いわゆる老化」がこの疫病に有利な条件もたらすという見解を披瀝する。今回の新型コロナウイルス感染症には、罹患年齢にはっきりした区切りはない。だが、高齢者が重症になりやすいという傾向は早くから言われてきた。著者は、疫病禍が老若の断絶を明るみに出すことも見通していたのである。

この戯曲では、一家団欒の会話にもこの軋轢がもちだされる。父が「五十前後の人間だけが病気になるのはどう考えても公平じゃない」と不満を漏らすと、娘は辛辣に応じる。「若い世代に場所を譲るためでしょ」。息子も、この世代交代論に乗ってくる。国家試験のために受験勉強中の身だが、先がつかえていれば合格しても職がないというのだ。「でも、もうすこし長生きしてほしいけど」と言い添えているから、半ば軽口ではあるのだが……。

病気そのものの話は、このあたりで打ち切る。さて、ガレーン博士とは何者か? 大学病院で教授と面談する場面では、自分は地域医療の医師で、「とくに、貧しい方の診療をしています」と自己紹介している。その実践のなかで「白い病」の治療法を見いだしたという。数百人に施したところ、回復率は「六割ほど」。そこで、臨床試験を大学病院で試みたいと願い出る。教授は上から目線で聞き流していたが、興味がないわけでもなさそうだ。

ガレーンには強みがあった。彼はかつて、教授の義父の助手だったのだ。義父は医学界に君臨した人物。その有能な弟子だったらしい。そうと知って教授も嘆願を受け入れる。とりあえず、治療費が払えない患者が集まる13号室での治験を許すのだ。

実際、その治療効果は目を見張るものだった。元帥は「奇跡と言ってよい」とほめる。教授は当初、ガレーンが治療の詳細を明かさないことに怒り、「君は、自分の治療法を個人的な収入源と捉えている」となじっていたが、元帥の称賛には「身に余る光栄」と悦に入る。

この戯曲で最大の読みどころは、そのガレーンのたった一人の闘いだ。ネタばらしになるので、筋は追わない。ただ一つ言いたいのは、彼が「白い病」の治療法――その正体は「マスタードみたいな黄色い液体」の注射薬らしい――の独占を企む動機が、物欲でも栄誉欲でもないことだ。最終目的は悪事ではない。それどころか、善意に満ちている。ただ、善のために医療行為を駆け引きのカードにしてよいか、と問われれば議論は分かれるだろう。

これを読んで私は、コロナ禍の行方が今、ワクチンに左右されている現実を思う。ワクチンが巨大な知的財産であること、外交の切り札になること、今や安全保障の必須要件でもあること……そんな力学が際立つ時代の到来を、チャペックの『白い病』は暗示していた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年7月9日公開、同日更新、通算582回
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新実存をもういっぺん吟味する

今週の書物/
『新実存主義』
マルクス・ガブリエル著、廣瀬覚訳、岩波新書、2020年刊

自転車

今週は、いつもと異なる趣向で。先日、当欄でジャン-ポール・サルトルの『実存主義とは何か――実存主義はヒューマニズムである』(伊吹武彦訳、人文書院「サルトル全集第十三巻」、1955年刊)をとりあげたとき、その2回目「サルトル的実存の科学観」(2021年2月5日付)に虫さんからコメントをいただいた。「総論賛成、各論反対」「『新実存主義』は私も読みましたが、あの主張が実存主義の進化形とは思えませんでした」というのである。

『新実存主義』は、私が去年春、当欄前身の「本読み by chance」最終回で読んだ本だ(2020年3月27日付「なぜ今、実存主義アゲインなのか」)。ドイツ気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルが学究仲間との対話形式で論陣を張った書物である。前述の拙稿「…実存の科学観」では、この1年前の読書体験を呼び起こして実存主義の変遷に言及したのだが、その変わり方を過大に評価したということか。気になって改めて『新実存…』を開いてみた。

まずは、その再読で大失態に気づいた。拙稿「…実存の科学観」で「あの本では、情報科学の神経回路網(ニューラルネットワーク)や人工知能(AI)などが中心的な論題となっていた」と書いたのだが、これは記憶違いによる誤り。ガブリエルはこの本で科学の話題を積極的にとりあげているが、情報科学やAIには踏み込んでいない。ただ、脳の神経回路については論じていた。ということで拙稿を本日付で更新、記述を改める。お詫びします。

で今回、当欄で考えてみようと思うのは、科学の視点でみたときにサルトルの旧実存主義(サルトルには失礼だが、当欄では仮に「旧」と呼ぶ)とガブリエルの新実存主義のどこが違うか、ということだ。その一つは、物質世界をどうとらえるか、である。

新旧の実存主義は、どちらも唯物論にノーを突きつける。だが、その言説には違いがある。「旧」は素朴で牧歌的だ。サルトルによれば、実存主義は「人間を物体視しない」。それのみならず、「人間界を、物質界とは区別された諸価値の全体として構成しよう」との思惑もある。その根底には、絶対的な真理としてルネ・デカルトの命題「われ考う、故にわれあり」が据えられていた。(当欄2021年1月29日付「実存の年頃にサルトルを再訪する」)

これに対して、「新」の唯物論批判は具体論に立ち入って組み立てられる。軸となるのは、心と脳の関係をどうとらえるか、という問いだ。そこには、唯物論者に歩み寄ったようにも見える記述が出てくる。たとえば、「非物質的な魂などありはしない」「私が死後も生き続けることはありえない」……。ちなみにここで「非物質的な魂」とは、物質やエネルギーの関与なしに自然界の因果関係に影響を与える「作用因」だという。

ガブリエルは、心脳関係をサイクリングと自転車のかかわり方にたとえる。「自転車は、サイクリングのために必要な物質的条件である」。言い換えれば、物質世界に自転車がなければサイクリングはできない。それと同様に、脳は心の必要条件であり、物質世界に脳がなければ心は成り立たないというのである。ここでは、サルトルの「人間界を、物質界とは区別された諸価値の全体として構成しよう」という野心が失われているように思われる。

ただ、ガブリエルは決して唯物論に転向したわけではない。このたとえ話で念を押されるのは、「自転車はサイクリングの原因ではない」「自転車はサイクリングと同一ではない」ということだ。新実存主義では、「人間の心的活動に必要な条件の一部」が「自然の過程」すなわち物質世界の出来事と言えるに過ぎない。必要条件は、ほかにいくつもある。それらが「組み合わさって十分条件が整う」――こうして心が成立するというのだ。

1年前の「本読み by chance」で書いたように、ガブリエルは脳の「神経回路」を「洗練した心的語彙に対応する自然種と同一視すること」(「自然種」は「自然界の事物」といった意味)を批判しているが、これも同様の視点から言い得ることなのだろう。

どうしても知りたくなるのが、ガブリエルが心の必要条件として脳以外に何を想定しているのか、ということだ。今回の再読で私は答えを探したが、わかりやすい説明は見つからなかった。ただ、物質世界に対応物を見いだせないものの一つが「何千年ものあいだ志向的スタンスで記述されてきた現象」という指摘はヒントになる。人間は過去に歴史を背負う存在、未来になにごとかをめざす存在である――そんなことを示唆しているように思う。

新実存主義は、実在を「ひとつのもの」とも「心的なものと物質的なもののふたつ」ともみない。それを「たがいに還元不可能な多様なものの集まり」ととらえる。ここに、実存主義「旧」版から「新」版への移行がある。これは、進化と呼べないかもしれないが――。

ここであえて一つ、ツッコミを入れれば、現代の科学技術がAIによって「志向的スタンス」まで再現できるようになれば、心模様に対応する物質世界もありうるという話になってしまう。実存が人間の占有物でなくなる日がやがては来るのだろうか。

ガブリエルはこの本で、自身の科学に対する「姿勢」も宣言している。「無窮の宇宙についてわれわれが科学的知識を積み重ねてきた」という史実も「この宇宙にかんしてはいまだ無知同然」という現実も、どちらも認めるという。そんな立場に、今日の哲学者はいる。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年2月19日公開、同月20日更新、通算562回
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漱石の実存、30分の空白

今週の書物/
「思い出す事など」
『思い出す事など 他七篇』(夏目漱石著、岩波文庫、1986年刊)所収

不連続

年を越しても、コロナ禍の収束は見えない。いや、深刻さの度合いが増すばかりだ。今年の暮れに世界はどうなっているのか。まったく先が見通せない1年である。

過ぎ去った年を振り返ってみよう。その年頭、当欄の前身「本読み by chance」では、カズオ・イシグロの小説『日の名残り』(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)を引いて、これからの1年がイングランドの風景のように穏やかであればよいが、たぶんそうはならないだろう、と書いた(2020年1月3日付「漱石が新聞小説に仕掛けた遭遇の妙」)。終わってみると、この嫌な予感が恐ろしいほどに的中したことに驚く。

もっとも、あの拙稿で2020年を波乱含みと予想する理由の筆頭に挙げたのは、米国の大統領選だった。たしかに選挙は混迷した。だが、それよりも早く、それどころではない災厄が地球をそっくり覆っていた。新型コロナウイルス感染症の蔓延である。コロナ禍を巨大地震にたとえれば、米国のトップ選びのゴタゴタは、そのときにテーブルに載っていたコップの水の揺れに過ぎないように思える。そして、その激震はまだ続いている。

とんでもないことが起こったのだ。たとえば、町の風景。だれもかれもがマスクをしている。マスク姿は、日本では冬はインフルエンザ予防で、春先には花粉症対策でよく見かけるようになっていたが、欧米にそんな習慣はなかった。それが今、世界標準だ。たぶん、未来の史家が21世紀の映像資料を整理するとき、マスク顔の群衆が見えたら「2020年代初め」のフォルダーに入れるだろう。これだけでも、人類史的な事件と呼びたくなる。

変化は、目に見えるものだけではない。去年の春先からずっと、私たちの内面に恐怖が棲みついている。「うつる」「うつす」という言葉が頭から離れないのだ。そして、その2語の先にちらつくのは生命の危機。そんな心模様を世の多くの人々が共有している。

で、今週は1月恒例の漱石。「思い出す事など」(『思い出す事など 他七篇』=夏目漱石著、岩波文庫=所収、1986年刊)という随筆を選んだ。私事をさらけ出し、大患から生還するまでを綴った作品。そこで露わとなる文豪の心境は、今の私たちの心にも響いてくる。1910(明治43)年秋から翌春にかけて、「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」に断続して連載されたもの。こんな経緯もあって随筆とはいえ分量があり、全33章から成る。

まず、巻末注解(古川久編)にもとづいて、そのころの著者が持病の胃潰瘍とどう向きあっていたかをたどっておこう。日付に沿って言えば1910年6月18日、東京・内幸町の長与胃腸病院に入院、7月末に病院を出て伊豆・修善寺の温泉旅館「菊屋本店」で療養生活に入った。ところが、8月24日に大量の吐血がある。そのまま伊豆にとどまって回復に努め、10月11日東京に戻って、再び長与病院で入院治療を受けることになった――。

第一章にはこうある。「漸くの事でまた病院まで帰って来た」「転地先で再度の病に罹って、寐たまま東京へ戻って来ようとは思わなかった」(引用部のルビは原則省く、以下も)。病院にいない2カ月半ほどが、予想外に過酷な日々であったことがうかがわれる。

第二章では、この長与病院で著者の不在期間に不幸があったことが明らかとなる。院長が亡くなったのだ。春以来体調を崩していたが、8月末から病状が悪化したという。それは著者自身が吐血後に危篤に陥ったころとぴったり重なっていた。この一篇の通奏低音となるような出来事だ。ちなみに院長は、蘭方医緒方洪庵に師事した長与専斎の息子、称吉。ドイツへの留学経験もある胃腸病の専門家だった。弟には作家長与善郎がいる。

大量吐血前後の話が語られるのは第八章からだ。それに先だって食欲が失せ、吐き気を催すようになった。著者は、吐瀉物の色がそのときどきに変わっていく様子を克明に記録している。金盥に「黒ずんだ濃い汁」を見たとき、医師は「これは血だ」と言ったが、信じられなかった。ところが、黒い色に赤が交じり、生臭さが鼻をついたときは違った。「余は胸を抑えながら自分で血だ血だといった」。漱石らしい余裕の文体が、ここにはない。

医師は金盥の中を見て「こういうものが出るようでは」と眉をひそめ、すぐに帰京するよう促した。ただ、吐血の報が長与病院に電話で伝わると、医師が朝日新聞の社員とともに伊豆に来ることになった。「この時の余は殆んど人間らしい複雑な命を有して生きてはいなかった」「余の意識の内容はただ一色の悶に塗抹されて、臍上方三寸の辺を日夜にうねうね行きつ戻りつするのみであった」。文豪もまた、一つの生命体に過ぎなかったのだ。

そして、8月24日が巡ってくる。それは、長与病院副院長が東京から往診に訪れたちょうどその日だ。「意外にもさほど悪くない」との見立てを聞いてから1時間ほどたち、日が暮れようとするころ、「忘るべからざる八百グラムの吐血」に突然見舞われたのである。

実はこのとき、著者は奇妙な体験をする。大吐血から翌朝にかけてずっと覚醒していたように思っていたのだが、枕もとの妻に尋ねると違った。脳貧血で「人事不省」となった時間があったというのだ。著者本人の弁をそのまま引けば、「余は、実に三十分の長い間死んでいた」。もちろん、それは死ではないだろう。ただ、そう表現しても不思議でないほどの意識の空白があり、しかも自身、その空白の存在にすら気づかなかったのである。

覚醒時の描写も凄い。医師二人が左右の手首を握りながら、ドイツ語で会話する。著者が目をつぶっていたので「昏睡」と思われたのか。「弱い」「ええ」「駄目だろう」「ええ」「子供に会わしたらどうだろう」「そう」――語学に通じた著者には意味がわかった。「余はこの時急に心細くなった」が、「自分の生死に関するかように大胆な批評」に「反抗心」も湧きあがる。目を見開いて「私は子供などに会いたくはありません」と言い返したという。

巻末解説(執筆・竹盛天雄)を読むと、これと似た場面が朝日新聞社の社員、坂元雪鳥が書き残した記録にもある。その描写によれば、副院長と雪鳥が著者の左右の手を握り、かぼそくなった脈をとっていたとき、「キンドは……」という言葉が交わされている。「キンド」はドイツ語のkind(キント=子)のことだろう。著者は、これを医師二人のやりとりと誤解したのではないか。ただし、この記録によれば、著者が反発した気配はない。

著者は自身の「三十分の死」を考察している。それは「時間からいっても、空間からいっても経験の記憶として全く余に取って存在しなかった」。だから、「死とはそれほど果敢(はか)ないものか」と思わざるを得ない。その死の世界に自分はいったん迷い込み、生の世界に舞い戻ってきた。「余をして忽(たちま)ち甲から乙に飛び移るの自由を得せしめた」のは「二つの世界が如何なる関係を有する」からなのか。そう自問するが答えは見つからない。

さすが、明治の知識人と思わせるのは、著者がここで古代ギリシャの哲人ゼノンの逆説をもちだしていることだ。「アキレスと亀」である。アキレスが、いま亀のいる地点に到達したときには亀も少しだけ先に進んでいる。人の意識が日々半分ずつ失われるのなら、アキレスが亀に追いつけないように「いくら死に近付いても死ねない」。ところが、現実は違った。著者は「俄然として死し、俄然としてわれに還る」という不連続を体験したのだ。

著者は、自分が「幽霊」の信者だったことも打ち明けている。8~9年前から、欧州の民俗学者や心霊学者が著した「幽霊」や「死後」を題材とする書物を読み漁ってきた、という。ところが、「三十分の死」をくぐり抜けた今、霊界に対する懐疑の念が強まった。そのとき、「余は余の個性を失った」「余の意識を失った」のだ。はっきりしているのは「失った」結果の不存在だけである。「どうして幽霊となれよう」と思うようになる。

著者漱石はこのとき、不連続の彼方に個性も意識も存在しない無を垣間見て、自らの実存を自覚したとは言えないか。それは実際の死より6年前のことである。

この作品でもう一つ心に残るのは、漱石が医師や看護婦(当時の呼び方)の献身を「報酬」目当て、「義務」感ゆえの行為とは見ず、そこに「好意」を感じとろうとしていることだ。ふつうの年なら読み流してしまいかねないが、コロナ禍の今、深い共感を覚える。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年1月8日公開、通算556回
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元旦社説にちょっと注文をつける

今週の書物/
「社説――《核・気候・コロナ》文明への問いの波頭に立つ」
朝日新聞2021年1月1日朝刊

元旦の日差し

年が改まった。私には服喪という私的事情があるので、ここでも慶賀の言葉は控える。だが、そうでなくとも「おめでとう」とは言い難い。世界中、この列島にもこの都市にも、新型コロナウイルスの感染症でたおれた人々が数えきれないほどいる。今この瞬間、病床には息を喘がせている人たちも大勢いる。そして、そういう人々を助けようと、暦にかかわりなく治療と看護にあたるスタッフがいる。それが、2021年新春の風景である。

とはいえ、きょうは元日だ。お祝い気分はなくとも、心を新たにする節目であることに違いはない。とりわけ今年は元日がたまたま金曜日であり、拙稿ブログの公開日に重なった。心にひと区切りをつけるのにふさわしいものを読み、考えてみたいと思う。

で、選んだのは、今しがた届いた新聞だ。私自身の新聞記者としての体験から言うと、新聞人は昔から元日付の朝刊に異様なほどの力を注ぐ。第1面や社会面だけでなく各ジャンルのページも、これはという特ダネを掲げたり、全力投球の連載初回を大ぶりに扱ったりする。自分たちは時代の記録係であるとの自負がきっとあるのだろう。だから、紙面のどこをかじってみても新年のひと区切り感があるのだが、やはりここは社説をとりあげよう。

「社説――《核・気候・コロナ》文明への問いの波頭に立つ」(朝日新聞2021年1月1日付朝刊)。なぜ朝日新聞なのかと突っ込まれそうだが、今は1紙しか定期購読していないこともある。古巣の新聞が、どんな時代の切りとり方をしているかに注目したいと思う。

社説がまくらに振った話題は、昨春、長崎原爆資料館が玄関に掲示した「長崎からのメッセージ」。資料館の関心事である「核兵器」を「環境問題」「新型コロナ」と並べ、それらの共通項を見抜いていた。いずれも「立ち向かう時に必要」なのは、「自分が当事者だと自覚すること」「人を思いやること」「結末を想像すること」「行動に移すこと」だというのである。なるほど、同感だ。社説筆者は格好のまくらを掘りだしてきたものだ、と思う。

ここで社説は焦眉の問題、コロナ禍の話に入る。人々は今「誰もがウイルスに襲われうること」「感染や、その拡大という『結末』を想像し、一人ひとりが行動を律する必要」を知るに至った、という。たしかに、この災厄は人類のすべてが「当事者」であり、それに対抗するには、めいめいが周りの「人」に気を配り、社会に与える影響の「結末」まで思い描いて自らの「行動」を規制しなくてはならない――まさに、メッセージの言う通りだ。

まったくその通りなのだが、元科学記者としてやや物足りないと感じることが、いくつかある。一つには、「当事者」の意味にもう一歩踏み込んでほしかった。感染症で、人はうつされる側になる一方、うつす側にもなりうる。今回のコロナ禍は、無症状の人の感染が少なくないので、自分が当事者だと実感しないまま、うつされてうつすという過程に関与してしまうことがある。感性だけでなく理性でも、当事者意識を強めなくてはならない。

もう一つは「行動」だ。社説筆者が書くとおり、私たちはコロナ禍で「一人ひとりが行動を律する必要」に迫られた。マスク着用しかり、ステイホームしかり、大人数の飲み会自粛しかり。日本社会では、それらがおもに心がけとして為されたのだから、まさに各自が行動を律したと言ってよい。この方法で行動変容をかなりの水準まで達成できたのは、同調圧力が強いという精神風土の特徴が、今回ばかりはプラスに働いたのかもしれない。

ただ、ここには私たちがこれから対峙しなくてはならない難題が立ちはだかっている。世界は、そして日本も1980年代末に冷戦の終結を見てから、人間の自由を至上の価値観として共有するようになった。経済政策の新自由主義だけではない。世の中のさまざまな局面で選択の自由が重んじられるようになっていたのだ。そんなときに「行動を律する必要」が出てきたのである。(当欄2020年7月10日付「ジジェクの事件!がやって来た」参照)

自由の制限は、権力者が支配を強めるためのものなら許しがたい。だが、それが弱者の生命を守るという公益のためなら受け入れなければならない。その方法をどうするか。社説は、この一点にも目を向けてほしかった。コロナ禍に限らず感染症の大流行は、対策も急を要する。自由の制約を伴う手段を講じるとき、事前に十分な議論を尽くせないことがありうる。それならば事後の徹底検証が欠かせない――そんな提案もありえただろう。

今回の社説は、コロナ禍が効率優先の社会の暗部を浮かびあがらせたことを指摘している。テレワークなどの恩恵を受けられない「看護、介護、物流」など「対面労働」の「エッセンシャルワーカー」が「格差」に苦しんでいないか、といった問題提起だ。私も、この点は同感だ。これも新自由主義にかかわる論題だからこそ、コロナ後の時代に私たちが自由という概念をどうとらえ直すべきかについて思考を展開してほしかった。

コロナ禍論に対する注文はこのくらいにしよう。この社説は「長崎からのメッセージ」を踏まえ、コロナ禍対応と同様、核兵器の廃絶をめざすのであれ、地球環境を守るのであれ、「当事者」と「行動」の2語がカギになることを強調している。環境保護については、すぐ腑に落ちる。温暖化が化石燃料の大量消費に起因するのなら、私たちの行動次第でそれを食いとめられる。だれもが原因を生みだす当事者でもあり、被害を受ける当事者でもある。

ところが反核となると、ピンとこない面がある。核兵器の開発や保有を企てるのは政治家だ。私たちとは遠いところにある話ではないか。ふつうは、そう思ってしまう。だが、その通念を振り払って自分事としてとらえ直そう。この社説は、そう訴えているように見える。

最後に、言葉尻にこだわった余談。この社説の見出しにある「波頭に立つ」は結語にも登場する。「若い世代」が「未来社会の当事者」として「このままで人類は持続可能なのかという問いの波頭に立っている」というのだ。気になるのは、「波頭」という言葉である。

「波頭」は、辞書類によれば波の盛りあがりのてっぺん。「問い」のてっぺんに立つとはどういうことだろうか。読者の多くはたぶん、「最前線で問題と向きあう」といったイメージで理解したような気がする。あえて「波」に結びつけて言い換えれば、「問題を波面の先頭でとらえる」という感じか。今回の「波頭に立つ」を誤用とは言うまい。言葉の意味は、時代とともに変わる。「波頭」はやがて「波面の先頭」になるのかもしれない。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年1月1日公開、同月2日最終更新、通算555回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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ノーベル賞が語るウイルスとの闘い

今週の書物/
2020
年ノーベル医学生理学賞発表資料(スウェーデン・カロリンスカ医科大学)
2020
年ノーベル化学賞発表資料(スウェーデン王立科学アカデミー)
=画像はこれらの一部

ハサミ

先週に続いて、理系ノーベル賞の発表資料を読んでいこう。今週は、医学生理学賞と化学賞だ。前者の行方では、ゲノム編集という遺伝子改変技術の開発が本命視されていたが、それが後者に回った。その結果、今年は生命科学系が2賞を占めることになった。

医学生理学賞を受けるのは、C型肝炎ウイルスの発見にかかわった米国のハーベイ・オルター、英国生まれカナダ在住のマイケル・ホートン、米国のチャールズ・ライスの3人(敬称略、以下も)。先週の月曜、その発表をネット中継で見ていて、C型肝炎という言葉を耳にした瞬間、そうか、そこを突いてきたか、と私は思った。新型コロナウイルスが猛威をふるう年、コロナをちょっと外したところで人間とウイルスの関係に光を当てたのだ。

コロナがらみの研究が今年、選ばれる可能性は限りなく小さかった。現時点でコロナ禍は克服されていない。人類の共通感情として、ノーベル賞はまだ早すぎるのだ。実務面をみても、受賞候補の推薦期限は1月末。この時点で地球規模の大流行は始まっていなかったので、コロナ禍を視野に入れた推薦はほぼなかったとみてよい。ただ選考そのものは、大流行のさなかに進められた。コロナの時代に示唆を与える研究は一目置かれただろう。

そこで行き着いた選考結果は、人類が近過去に体験したウイルスとの闘いの成功物語だった。私自身の科学記者生活を振り返ると、1980年代には「非A非B型」と呼ばれる正体不明の肝炎が医療報道の大きなテーマだった。輸血で感染するが、病原体がわからず、手の打ちようがない。ところが1989年、米製薬企業カイロン社のグループが遺伝子レベルの研究で、その病原体らしいウイルスを突きとめた。これがC型肝炎ウイルスである。

受賞者のうちホートンは、このときカイロン社グループの中心にいた人。オルターは、それに先立って1970年代から非A非B型肝炎の研究に取り組み、この病に未知のウイルスがかかわっていることを見極めた。ライスは1990年代、ホートンたちが見つけたウイルスが実際に肝炎を起こすことを動物実験で最終確認した。ここで押さえておくべきは、一連の仕事は70年代に始まり、90年代に完結する大事業だったことだ。

プレスリリースでは、彼らの発見によって、このウイルスに対する精密な血液検査ができるようになり、肝炎の輸血感染が多くの地域で消滅したこと、C型肝炎向けの抗ウイルス薬の開発が加速されたことなどに触れた後、こう書く。「この病気は今や歴史上初めて、治せる病になった。全世界の人々がC型肝炎ウイルスから解放されるという期待も高まっているのだ」。この段落の冒頭には、次のような一文もある。

“The Nobel Laureates’ discovery of Hepatitis C virus is a landmark achievement in the ongoing battle against viral diseases.”

「ノーベル賞受賞者たちのC型肝炎ウイルス発見は、今も進行中のウイルス性の諸病との闘いで金字塔となるものだ」。ここで“battle”に“ongoing”という形容詞がつき、 “viral diseases”が複数形になっているのを見落としてはならない。今回の医学生理学賞は、コロナ禍の先行きが見えない私たちに対して、現代医学はウイルスに勝てるのだ、と励ますメッセージのように思える。ただし、それは一朝一夕にはいかない、と釘を刺しながら……。

化学賞は、フランス生まれのエマニュエル・シャルパンティエ、米国のジェニファー・ダウドナの受賞が決まった。授賞理由は冒頭に書いた通り、ゲノム編集技術の開発。これを使えば、生命体の遺伝子一式を載せたゲノムのDNA(デオキシリボ核酸)塩基配列を、ワープロソフトで文章を直すように改変できる。医療から農業までさまざまな分野で活用が期待されているが、遺伝子にどこまで手を加えてよいかという倫理問題も呼び起こしている。

技術そのものについては、当欄の前身で書物を紹介しながら、そのしくみを素描している(「本読み by chance」2017年5月19日付「ゲノム編集で思う人体という自然」、同2019年3月15日付「ゲノム編集を同時代の記者と考える」)。今回は、この技術もまたウイルス感染とは無縁でないことに話題を絞る。化学賞の選考にあたった科学者がコロナ禍を意識していたとは考えないが、この受賞研究にもウイルスの影が見え隠れするのだ。

それはどんな局面か? ゲノム編集では、ハサミ役の酵素が狙いを定めた塩基配列に導かれ、そこでDNAを切断する。このしくみが、細菌の対ウイルス防衛システムに倣ったものだというのだ。細菌たちも人類同様、ウイルスと闘っているのである。

その防衛システムのすぐれているところは、細菌がウイルスの塩基配列を覚えていることにある。細菌は、ウイルスが細胞内に攻め込んできたとき、その塩基配列の一部を自らのゲノムに取り込んで、データベースとして保存しておくのである。その結果、ウイルスが再び侵入してくると、ハサミの役目を果たす酵素がデータベースの情報に導かれてその塩基配列にとりつき、それをちぎって解体してしまう。

では、化学賞の発表資料――。今回は、その一般向けの解説がなかなか読ませる。もともとシャルパンティエは、病原性細菌の攻撃性や薬剤耐性に関心があった。ダウドナは、細胞内でRNA(リボ核酸)分子の断片が遺伝子の制御調節に関与するしくみ――RNA干渉――を探っていた。その二人が出会って「クリスパー・キャス9」と呼ばれるゲノム編集技術に結実させる様子を、折々のエピソードを交えて物語仕立てで描いている。

ウイルスが顔を出すエピソードは2006年、ダウドナにかかってきた1本の電話から始まる。当時彼女は、すでにカリフォルニア大学バークリー校で研究チームを率いていた。電話の相手は、別部門にいる微生物学者。細菌研究の分野で最近、不思議な発見があったという話だった。細菌のDNAに同じ塩基配列が繰り返し現れるところがあり、繰り返し部分の間にはさまる配列を調べると、ウイルスのそれと合致しているように見えたというのだ。

これは免疫システムの一部ではないかとして、次のような仮説が示される。
“ if a bacterium has succeeded in surviving a virus infection, it adds a piece of the virus’ genetic code into its genome as a memory of the infection.”
「細菌がウイルスに感染したけれど生き延びたとしよう。このときにその細菌は、ウイルスの遺伝暗号のひとかけらを感染の記憶として自らのゲノムに付け加えるのだ」

その微生物学者は、細菌がウイルスと闘うしくみは、ダウドナが研究しているRNA干渉に似ているのではないか、と問いかけたという。実際、細菌の「感染の記憶」を生かした免疫システムではRNA分子が大きな役割を果たしていた。クリスパー・キャス9でも、ハサミ役の酵素の案内役に人工のRNA断片を用いる。このエピソードは、研究者同士の井戸端会議のような会話が科学にとってどれほど大切かを教えてくれる。

それにしても驚くのは、細菌の賢さだ。ウイルスに襲われても攻められっ放しではいない。ひそやかに、したたかに、相手の弱みとなる情報を貯め込んでいたのだ。進化論的に言えば、そういう能力を身につけたものが生き残ってきたということなのだろう。

コロナ禍に立ち向かうのは、医学や医療の専門家だけではない。社会活動や経済活動をどのようなかたちで続けていくのかというところで、すべての人々がかかわっている。私たちも、ウイルスの裏をかくような生き方ができないか。そんな思いが一瞬、心をよぎった。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年10月16日公開、通算544回
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