2・26で思うkillとmurder

今週の書物/
『二・二六事件』
太平洋戦争研究会編、平塚柾緒著、河出文庫、2006年刊

決起の破綻

ウクライナのニュースを見ていると、頭がクラクラすることがある。「敵国に兵士×××人の損害を与えた」というような報道発表に出あったときだ。要するに「敵兵×××人を殺した」ということではないか。それなのに、どこか誇らしげですらある。

これは、邦訳がなせる業かもしれない。英文の記事でよく見かける言い方は“×××troops were killed.”ここで用いられる動詞は“kill”であって“murder”ではない。日本語にすれば、どちらも「殺す」だが、英語では両者に大きな違いがある。

“kill”は幅広く、なにものかを死に至らしめることを言う。目的語が人とは限らない。生きものはもちろん、無生物であっても、機能を無効化するときに使われる。主語も人に限定されない。事故や災害が原因でも“kill”であり、犠牲者は受動態で“be killed”と言われる。だから「殺す」と訳すにしても、意味をかなり広げなくてはならない。日本語でも「はめ殺しの窓」のような用法があるが、あれと同じような殺し方である。

これに対して“murder”は、ミステリーの表題で「~殺人事件」と訳されるように故意の「殺人」を指す。日本語で「故殺」「謀殺」などと言うときの「殺す」だ。

ウクライナ報道で私が覚える違和感は何か。それは、情報の発信源が“kill”と言っているのを“murder”と受けとめたことにあるのだろう。だが、私が間違っているとは思わない。戦場で“kill”された人々も、結果としてやはり“murder”されたのである。

こと戦争にかかわる限り“kill”と“murder”は切り分けられない。こう確信するのは、私が戦後民主主義に育てられた世代だからだろう。戦後民主主義は、生命の尊重を最優先する。だから、仮にたとえ崇高な目的があったとしても、そのために他者の生命を奪ってよいとは考えない。敵兵を攻撃して生命を絶つ行為を“murder”ではないと言い切れないのだ。平和ボケと冷笑されても、この認識は私の思考回路に染みついている。

ただ心にとめておきたいのは、私たちの社会にも“kill”と“murder”を切り分ける人々がかつてはいたことだ。だからこそ、大日本帝国は戦争を始め、ドロ沼に陥っても立ちどまることができず、膨大な犠牲を払った末にようやくそれを終えたのだ。

で今週は、そんな戦前日本社会にあった“kill”の正当化に焦点を当てる。とりあげる書物は、『二・二六事件』(太平洋戦争研究会編、平塚柾緒著、河出文庫、2006年刊)。1936年2月26日、陸軍青年将校と有志民間人の一群が起こした政権中枢に対する襲撃事件の顛末を、史料を渉猟して再構成したものだ。この文庫版は、河出書房新社「ふくろうの本」シリーズの1冊、『図説 2・26事件』(2003年刊)をもとにしている。

著者は、1937年生まれの出版人。明治期以降の戦史を中心に日本の近現代史を扱った編著書が多い。在野のグループ「太平洋戦争研究会」の主宰者でもある。

本書の中身に立ち入る前に、2・26事件とは何かをおさらいしておこう。昭和初期の日本経済は世界恐慌の大波を受け、失業者の増加や農村の疲弊が深刻になっていた。政治に対する不満が高まるとともに軍部の影響力が強まり、軍内部に権力闘争が起こった。そんな情勢を背景に、尉官級の陸軍将校が天皇親政の国家体制をめざそうと決起したのが、この事件である。クーデターを企てたわけだ。だが軍上層部は同調せず、頓挫した。

本書では、事件の全容が一覧表になっている。決起将校は20人、これに下士官や兵士、民間人らを加えた参加者の総勢は1558人。襲撃場所は16カ所。即死者は計9人。高橋是清蔵相ら政府・宮中の要人だけでなく、巡査部長、巡査級の警察官も含まれる。

本書は、2・26事件の一部始終をほぼ時系列に沿って再現している。血なまぐさい場面が続出するので、それを一つひとつなぞりたくはない。ここでは、岡田啓介首相がいた官邸や高橋蔵相の私邸に対する襲撃に焦点を絞り、何があったかを見てみよう。

首相官邸を襲撃したのは、歩兵第一連隊(歩一)機関銃隊の約290人。歩一は、今の東京ミッドタウン所在地に駐屯していた連隊だ。未明に出動、午前5時には官邸を取り囲んだ。「挺身隊」が塀を越えて門を開け、将兵がなだれ込み、官邸内の首相居宅(公邸)へ突入した。「屋内は真暗だった。手さぐりで進むのだが予備知識がないのでさっぱり見当がつかない」と、二等兵の一人は振り返っている(埼玉県編纂『二・二六事件と郷土兵』所収)。

この二等兵は、和室を一つずつ見てまわる。警官の拳銃の発砲音も聞こえてくるので油断はできない。前方の廊下で「白い影」が動いた。後を追い、「ココダ!」と思って飛び込むと、お手伝いさんの部屋だったらしく、女性の姿があった。当てが外れて部屋を出た途端、銃弾が腹を直撃する。這って洗面所まで逃げたところで意識が途絶えた――。手記を残したのだから、一命はとりとめたわけだが、生きるか死ぬかの攻防が、そこにはあった。

別の二等兵は、居宅部分の中庭に逃げ込む「老人」を目撃した。報告を受けた少尉は、すぐさま射殺の命令を下す。二等兵は「老人」の顔と腹を撃ったが、それだけでは絶命しなかった。襲撃部隊を率いる中尉は、上等兵の一人にとどめの発砲を命じる。胸と眉間に2発。「老人」は息絶えた。ここで信じられないことが起こる。中尉が「老人」の顔を岡田啓介首相の写真と突きあわせ、その男が首相本人であると見誤ったのだ。

「老人」は実は首相の義理の弟で、「首相秘書官事務嘱託」の立場にある松尾伝蔵陸軍予備役大佐だった。面立ちがもともと首相に似ていたが、髪を短く刈ってわざわざ首相に似せていた可能性もある。結果として、影武者の役を果たすことになったのは間違いない。襲撃部隊は、人違いの銃殺に万歳の声をあげ、樽酒を運び込ませて乾杯までしたという。本物の首相は「お手伝いさんの部屋」の押し入れに隠れ、難を逃れたという。

高橋是清蔵相の殺害では、将校たちが直接手を下した。蔵相の私邸は東京・赤坂にあり、蔵相は二階の十畳間で床に就いていた。近衛歩兵第三連隊の中尉や鉄道第二連隊の少尉らが二手に分かれて押し入り、寝室へ。中尉が「『国賊』と呼びて拳銃を射ち」、少尉は「軍刀にて左腕と左胸の辺りを突きました」――事後、少尉自身が憲兵隊にこう供述したという。この場面からは、相手が「国賊」なら“kill”は正当化できるという論理が見てとれる。

こうみてくると、2・26事件の青年将校らは人間の生命よりも国家の体制を大事に思う人々だったのだろうと推察される。だが、そう決めつけるのはやめよう。本書を読み進むと、意外なことに気づく。彼らにとっても生命はかけがえのないものであったらしい――。

青年将校らに対する軍法会議のくだりだ。1936年6月に死刑を求刑された少尉(前出の少尉二人とは別人。階級は事件当時、以下も)は手記にこう書く。「死の宣告は衝撃であった」「全身を打たれたような感じがして眼の前が暗くなった」。同様に死刑の求刑を受けた民間人(元将校)の手記にも「イヤナ気持ダ、無念ダ、シャクニサワル、が復讐のしようがない」とある。“kill”を正当化した人々が“be killed”に直面して動揺した様子がわかる。

この心理は人間的ではある。前出の元将校は仲間に「軍部は求刑を極度に重くして、判決では寛大なる処置をして我々に恩を売ろうとしている」と楽観論を披瀝したらしい。7月の判決では「眼の前が暗くなった」少尉が無期禁固、楽観論の元将校は死刑だった。

自分の生命はだれもが可愛い。こう言ってしまえば、それまでだ。だがだからこそ、他人の生命を粗末にすることは罪深い。人の生命は“kill”されても“murder”されるのと同等の結果をもたらす。キナ臭いにおいがする今だからこそ、そのことを再認識したい。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年2月24日公開、通算667回
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エルノーの事件、男よ法よ倫理よ

今週の書物/
「事件」(アニー・エルノー著、菊地よしみ訳)
=『嫉妬/事件』(アニー・エルノー著、堀茂樹、菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫、2022年10月刊所収

中間選挙(*1)

米国上下両院の中間選挙では、与党民主党が事前の予想に反して善戦した。前共和党政権の人事で保守色を強めていた米連邦最高裁が今年6月、人工妊娠中絶を認めない判決を下したことに反発が広がり、中絶容認の立場をとる民主党候補に票が集まったらしい。

米国政治では、プロライフ対プロチョイスが対立軸になっている。前者は、生命の原点を受精卵とみて中絶を許さない。後者は、産むか産まないかの選択権はあくまで当事者にあると主張する。前者の背後には宗教右派が控え、後者はリベラル派が支えるという構図だ。

この構図には、類似版もある。忘れがたいのは、2004年の米大統領選挙だ。受精卵由来の胚性幹細胞(ES細胞)を使って人体の組織を再建する再生医療が争点になった。その研究は、共和党候補のジョージ・W・ブッシュ大統領が抑制していたが、民主党のジョン・ケリー候補は推進論を主張した。この論戦では、片方に受精卵を守ろうというプロライフ思想があり、もう一方に病苦を背負う人々を科学で支援しようとするリベラル思想があった。

当欄はここで、プロライフ対プロチョイスもしくはプロライフ対リベラルの論争で、どちらに分があるかということを書くつもりはない。ただ、こうした問題で議論が沸騰する米国社会には敬意を払いたい。私たちの日本社会には、その気配がない。

そんなことを思っていたとき、「事件」(アニー・エルノー著、菊地よしみ訳)を読んだ。当欄が先週とりあげた「嫉妬」とともに『嫉妬/事件』(アニー・エルノー著、堀茂樹、菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫所収)に収められている(*2)。この作品もまた、著者が主人公を自伝的に引き受ける「オートフィクション」の形式をとる。発表は2000年だが、作中で語られる「わたし」は1960年代の学生。うたかたの恋の末に妊娠する。

ただ、「わたし」を語る「わたし」の視点は2000年ごろにある。作品冒頭で今の「わたし」がパリの病院でエイズ検査を受けた――幸い結果は陰性だった――とき、同様の恐怖感のなかで「医師の診断を待っていた」過去の「わたし」が想起される。

その回顧の記述では、1963年10月にノルマンディー地方ルーアンの女子学生寮で「生理がやってくるのを一週間以上待っていた」日々が綴られる。下着の「染み」を待ち望む、手帳に毎夜「なし」と記す、深夜、目が覚めてそのことを再確認する……。11月に入り、街の診療所で受診した。妊娠だった。医師は「父親のいない子供のほうが、かわいいものですよ」などと言う。「わたし」は手帳に「身の毛がよだつ」と書いている。

妊娠の原因は、政治学を専攻する学生Pとの交際にあった。夏に知りあい、秋にPのいるボルドーを訪ねたのだ。「セックスの快楽のさなかに、男の肉体以外のものがわたしのなかに存在すると感じたことはなかった」。そのあとPとは「何となく別れて」いた。

妊娠証明書が医師から届く。そこには「分娩予定日」が1964年7月8日と記載されていた。「わたし」は「夏を、太陽を目に想い浮かべた」。そして、証明書を破って捨てたのだ。Pには手紙で妊娠を告げ、「このままの状態でいたくない」旨を書き添えた。「このまま」でいないとは、中絶することだ。妊娠の報せはPの心を動揺させるだろう。逆に「わたし」が「中絶する決心」をほのめかしたことはPに「深い安堵感」をもたらすだろう――。

1週間ほどして、米国でジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される。だが、「わたし」はそれに無関心だった。「わたし」は数カ月間、「ぼんやりした光」に浸っていた。あのころを思い返せば、「しょっちゅう街を歩いていた自分の姿」が浮かびあがってくる。

いや、数カ月にとどまらない。「何年ものあいだ、わたしは人生のその出来事のまわりをめぐっている」。たとえば、小説を読んでいて妊娠中絶の話題が出てくると、言葉が荒々しさを帯びるように感じられた。そんな「わたし」が今、中絶をめぐる自身の体験を語ろうとしているのだ。「何も書かずに死ぬこともできる」。だが「そうしてしまうのは、おそらくあやまちだろう」――オートフィクション作家の心の揺れが見てとれる。

この体験記を読み込む前に予備知識として知っておきたいのは、当時のフランスで妊娠中絶が禁じられていたことだ。巻末の「『事件』解説」(井上たか子執筆)によると、それは1970年代半ばに「女性の自由意思による妊娠中絶」が条件付きで合法化されるまで続いた。したがって、1960年代の「わたし」は非合法を選択したわけだ。今の「わたし」は、たとえ現行法が「公正」になっていても「過去の話」を埋もれさせてはいけない、と思う。

妊娠証明書を破り、中絶の決意を固めてから「わたし」の内面はどう変化したのか。本作は、その様子も克明に書き込んでいる。講義に出席しても、学生食堂にいても、「わたし」は「お腹に何も宿していない女子学生たち」とは別世界にいた。ただ、自分が置かれた状況を思いめぐらすとき、「妊娠」「身籠もる(グロセス)」「子供が生まれるのを待っている」という言葉は避けた。とくに「グロセス」は「グロテスク」を連想させるので封印した。

「妊娠」「身籠もる」は「未来を受け入れる」を含意していているが、「わたし」にはその意志がない。「消滅させる決心をしたものにわざわざ名前をつける必要もない」のだ。当時の手帳を見ると、「それ」とか「例のもの」といった表現に置き換えられていた。

では、「わたし」は非合法の妊娠中絶をどのように決行したのか? 学友の女子が私立病院で准看護師をしている年配女性の存在を教えてくれた。パリ在住のマダムP・Rだ。彼女は「子宮頸部にゾンデを挿入」して「流産するのを待つ」という方法で中絶の闇営業をしていた。1月にパリへ行き、マダムP・Rのアパルトマンの一室で処置を受ける。本作には、その前後の一部始終が記されているが、あまりに生々しいのでここでは触れない。

当欄では、本作を読んで私が考えさせられた三つのことを書いておこう。

一つには、男性はどこにいるのか、ということだ。Pとは手紙を出した後に再会したが、「彼は何の解決策も見つけていなかった」。妊娠の負担をすべて女性に押しつけてしまったのか。ほかの男たちも身勝手だ。「わたし」が妊娠の悩みを告白した男子学生の一人は、妻帯者でありながら言い寄ってきた。「わたし」は妊娠の事実によって「寝るのに応じるかどうかわからない娘」から「間違いなく寝たことのある娘」に変わったのだった。

二つめは、合法非合法をどうみるか、ということだ。私たちは今、なにかと言うとコンプライアンスという用語をもちだす。英語の“compliance”は「遵守(順守)」という意味だが、日本社会では守るべきものを法律と決めつけて「法令遵守」と訳すことが多い。だが、世の中には、法以外にも尊重すべきものがある。たとえば良心、そして人権。1960年代のフランスでは、自らの良心に従って法よりも自己決定権を尊ぶ人々がいた。

そして最後は、プロライフ対プロチョイスの問題だ。本作を読みとおすと、当時のフランスで女性たちが負わされてきた不条理の大きさを思い知らされる。だから私は、プロチョイス思想に共感する。ただ、「わたし」が胎内の存在を「消滅させる決心をしたもの」と位置づけ、「それ」「例のもの」と呼んでいたというくだりでは違和感も覚えた。プロチョイスの視点でみても、受精卵や胎児はただのモノとは言えないのではないか。

そんな感想を抱くのも、私が新聞記者時代、生命倫理を取材してきたからだ。1980年代以降、生殖補助医療などの分野で生殖細胞や受精卵に手を加える技術が次々に現われた。一つ言えるのは、積極論者も慎重論者もこれらを生命の人為操作と見て議論していたことだ。考えてみれば、妊娠中絶も同様にとらえられる。プロライフであれ、プロチョイスであれ、中絶は生命倫理の論題なのである。この認識が1960年代には乏しかったのではないか。

米国の状況などをみると、妊娠中絶は2020年代もなお「事件」であり続ける。ただしその議論では、今日的な生命操作が提起した倫理問題も参照すべきなのだろう。

*1 新聞の見出しは、朝日新聞2022年11月10日朝刊(東京本社最終版)より
*2 当欄2022年11月25日付「ノーベル賞作家、事実と虚構の間で
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月2日公開、同日更新、通算655回
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アンドロイドは倫理の夢を見るか

今週の書物/
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳、ハヤカワ文庫SF、1977年刊

脳?

「アンドロイド」という言葉を聞くと、スマートフォンのオペレーティングシステム(OS)を思い浮かべる人が多いだろう。もともとは人造人間のことだった。ロボット技術が進んで、それはヒト型ロボット(ヒューマノイドロボット)の別名になっている。

ヒト型ロボットで私たち高齢世代になじみ深いのは「鉄腕アトム」である。人間の体だけでなく心まで具えているところが最大の魅力。ただ、体のしくみについては動力源が原子力であるというようなもっともらしい説明があるのに、心のしくみはベールに包まれていた。それはそうだろう。アトムの登場は1950年代初めだった。人工の心とまでは言わないが、人工知能(AI)の研究が本格化するのは1950年代半ばのことである。

作者手塚治虫がすごいのは、パソコンやスマホに象徴される情報技術(IT)が影もかたちもなかった時代、人間の心をブラックボックスにしたままロボットの体内に埋め込んだことである。それはあのころ、ファンタジーだった。今は一転、リアルになっている。

だれが名づけ親かは知らないが、スマホOSに「アンドロイド」の名を与えた発想は見事だ。ヒト型ロボットを人間らしくしているのは、手や足や目鼻口そのものではない。手足が舞うように動くとき、目鼻口がほほ笑んだような位置関係になるとき、人間らしいな、と感じるのだ。求められるのは動きや表情を生みだす心であり、その実体は脳にほかならない。スマホにヒトの手足はないが、ヒトの脳には近づいているように思う。

ここで一つ、勝手な空想をしてみる。もし手塚が2022年の今、「鉄腕アトム」を再生させるとしたら、真っ先に手をつけるのは頭部にスマホを組み込むことだろう。もちろん、その機種はAI機能を高めた次世代型だ。これによってアトムの心は実体を伴うことになり、もっともらしさの度合いが強まるだろう。蛇足をいえば、動力源は再生可能エネルギーによる充電型電池に取って代わり、「鉄腕リニューアブル」と改名されるかもしれない……。

こうしてみると、ヒト型ロボット・アンドロイドのヒトらしさの本質は脳にある。それはAIのかたまりといってよいだろう。人間がAIに期待する役割は知的作業だ。だが、その知的作業が心の領域にまで拡張されたら、人間と区別がつかなくなるのではないか――。

で、今週は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳、ハヤカワ文庫SF、1977年刊)。著者(1928~1982)は米国シカゴ生まれのSF作家。『偶然世界』という作品は、当欄の前身ブログでもとりあげた()。『アンドロイド…』の原著は1968年刊。翌年には邦訳が早川書房から出ている。学生時代、私はその単行本を買い込んだ気もするが、もはや定かではない。最後まで読まなかったのは確かだ。

なぜか。理由は、本を開いてページをぱらぱらめくったとき――買っていなかったとすれば書店の店先でのことだが――読む気が萎えたからだ。同様の感覚は今回、最初の1行に接したときにも再体験した。「ベッドわきの情調(ムード)オルガンから、アラームが送ってきた陽気な弱いサージ電流で、リック・デッカードは目をさました」。情調オルガン? サージ電流? 私は機械に弱い。この手の理系用語が大の苦手なのだ。

だが、半世紀を経て私も寛容になった。我慢をして読みつづけると、小説導入部の状況がおぼろげ見えてくる。主人公のリックは妻イーランとともに朝を迎えた。妻は、うとうとしていてなかなか起きようとしない。情調オルガンの調整でサージ電流を弱めに設定しすぎたためらしい。サージ電流とは、いわば電流の大波のことで、電気回路をパルス状に通過していく。リックやイーランの情調は電流のパルスで制御されているのである。

情調オルガンの話をもう少し続けよう。この装置の正式名称は「ペンフィールド情調オルガン」。ペンフィールドの名は、脳のどの部位がどんな働きをしているかを〈地図〉として示したカナダの脳外科医ワイルダー・ペンフィールド(1891~1976)に由来するらしい。

この作品世界では、人は情調オルガンのダイヤル操作で自分の心の状態を変えることができる。〇〇状態を××時間だけ保ち、その後は△△状態に自動的に切り替える、というように事前のプログラムもできる。心の状態のメニューは番号登録されている。たとえば、481番は「あたしの未来に開かれている多様な可能性の認識。そして新しい希望――」、888番は「どんな番組であっても、テレビを見たくなる欲求」という具合だ。

このあたりまで読み進むと、時代設定もわかってくる。リックとイーランがいるのは「最終世界大戦」後の1992年。著者は、執筆時点から四半世紀後を見通しているわけだ。最終大戦は核戦争だった。その放射性降下物は今も地球に降り注いでいる。それは大気を「灰色」にして、陽光を遮るほど。グロテスクなのは、男性用「鉛製股袋(コドピース)」のCMがテレビに流れていること。生殖器官の放射線防護が、日常のことになっている。

地球では被曝を免れないという事態は「宇宙植民」を加速させた。惑星に移り住むことだ。政府は人々に「移住か退化か! 選択はきみの手にある!」と呼びかけた。地球残留組は毎月、被曝の影響を検査される。「法律の定める範囲内で生殖を許可された人間」をふるい分けるのだ。これは、核戦争後に現れかねない新手の優生政策といえよう。そして、移住者にはアンドロイド1体を無料で貸し出すという優遇策が「国連法」で定められた。

これが、作中にアンドロイドが登場する文脈だ。主人公夫婦が口論になり、イーランがリックを「警察に雇われた人殺し」となじる場面がある。「おれはひとりの人間も殺したおぼえはないぞ」「かわいそうなアンドロイドを殺しただけよね」。どういうことか。

その事情を書きすぎてしまってはネタばらしになるので、文庫版のカバーに10行ほどでまとめられた作品紹介の範囲を超えずに要約しよう。放射性降下物で汚染された地球では「生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた」。だが、リックが飼っているのは「人工の電気羊」だ。「本物の動物」がほしい。そこで懸賞金目当てに、火星から逃げてきた「〈奴隷〉アンドロイド」8体を処理しようと「決死の狩りをはじめた!」――。

リックの任務に欠かせないのは、目の前にいる人物がアンドロイドなのか人間なのかを見極めることだ。ロボット技術の進歩で、見た目では区別できなくなっている。作中には「フォークト=カンプフ検査」という検査法が出てくる。手順はこんなふうだ。

リックは被検者に「きみは誕生日の贈り物に子牛革の札入れをもらった」と語りかける。被検者からは「ぜったいに受けとらないわ」といった答えが返ってくるが、回答そのものは判定に直結しない。被検者の心身がどう反応するか、が問題なのだ。検査では目に光をあてたり、頬に探知器を取りつけたりする。眼筋や毛細血管の変化を測定しているらしい。反応の様子を示すのは計器の針だ。ウソ発見器のような仕掛けと思えばよい。

被検者への質問に盛り込まれたエピソードをいくつか書きだそう。自分の子どもが「蝶のコレクションと殺虫瓶を見せた」、テレビを見ていたら「とつぜん、手首をスズメバチが這っているのに気がついた」、雑誌に載ったヌード写真の女性が「熊皮の敷物に寝そべっている」、小説を読んでいたら作中のコックが「大釜の熱湯の中にエビをほうりこんだ」……。動物が災難に遭ったり、遭いそうになったりする状況ばかりが被検者に示される。

どうやらこの検査では、哺乳類であれ、甲殻類であれ、昆虫であれ、ありとあらゆる生きものに対する心的反応がアンドロイドと人間を見分ける決め手になるらしい。見落とせないのは、この作品が1960年代後半に書かれたことだ。それはエコロジー思想の台頭期に当たり、動物の権利保護運動が強まる前夜だった。アンドロイドは無機的だ。脳をどれほど人間に似せても、生態系の共感に根ざした倫理まではまねられない、と著者は見たのか。

著者は、人間らしさの本質を生態系の一員であることに見いだそうとしている。題名の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に込められた思いがようやくわかった気がした。

この作品で衝撃的なのは、リックが被検者に黒革のカバンを見せて「正真正銘の人間の赤ん坊の生皮」とささやきかける場面だ。計器の針が「くるったように振れた」が、それは「一瞬の間」を置いてからだった。この遅れで被検者はアンドロイドと見抜かれる。

AIが人間の感情を再現しようとしても、真の人間ほどには素早く反応できない。情報処理の速さが情動に追いつかなかったということか。だが21世紀のAIとなると話は別だ。フォークト=カンプフ検査をくぐり抜け、人間の座を占めてしまうかもしれない。
*「本読み by chance」2020年3月20日付「ディックSFを読んでのカジノ考
(執筆撮影・尾関章)
=2022年9月2日公開、通算642回
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森の暗がりで哲学に触れる

今週の書物/
『樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声』
ペーター・ヴォールレーベン著、長谷川圭訳、ハヤカワ文庫NF、2018年刊

新緑

「森」という言葉で思いだすのは、東京西郊の某学園構内にあった小樹林だ。正門を入ってグラウンドに下りる斜面に高木が生い茂っていた。私が幼かったころは万事鷹揚な時代で、学園は近所の住人が構内を散歩するのを黙認していた。その学園町に住んでいた母方の祖母も、孫をそこに連れていったものだ。「さあ、モリへ行きましょう」――。あの樹林は今もあるだろうか。昔のようには立ち入れないだろうから、すぐには確かめられない。

この思い出話からもわかるように、日本で都会の住人が思い描く森林像はつましい。ちっぽけな緑陰を見ても森と思ってしまう。東京の住宅街に限っていえば、それは斜面の自然であることが多い。当欄が昨春とりあげた大岡昇平『武蔵野夫人』でいえば、多摩川の河岸段丘がつくりだした国分寺崖線の緑ということになる(*1、*2)。では私たちは、森というものの本質を取り違えているのだろうか。必ずしも、そうとは言えない。

たとえば、あの学園の「森」は十分に暗かった。部活の選手たちがグラウンドで発する声を聞きながら、下り坂にさしかかると、いつのまにか陽射しが翳り、辺りはひんやりして湿った空気に包まれた。このこと一つをとっても、森らしい森といえる。森イコール木々の葉叢(はむら)に覆われた空間ととらえれば、あの「森」も間違いなく森だった。ただ、都会の森は小さい。一瞬のうちに通り抜けられるので、多くのことを見逃してしまう。

話は、幼時から青春期に飛ぶ。そのころになると私も頭でっかちになり、森林のことを理屈っぽく考えた。ちょうど、生態学(エコロジー)という学問領域が生態系(エコシステム)という用語とともに脚光を浴び、それが環境保護思想(エコロジー)に結びついた時期と重なる。その生態系を体現するものが森だった。森は樹木だけのものではない。鳥がいる、虫がいる、獣もいる、草がある、キノコも――それが「系」だと頭で理解した。

たとえば、拙宅玄関わきの落葉広葉樹。植木職人に聞くとムクノキだという。私たち家族が引っ越してきてから実生で育った。春先に新芽が出て葉が繁りだすころ、数種類の鳥たちがやってきて、ときに愛らしく、ときに騒々しく、鳴き声をあげる。これも生態系だ。

だが、それは思いあがりかもしれない。庭木の生態系は所詮、人工の産物だ。森の生態系を再現してはいない。森は、ただ多種の生物が共存するという意味での生態系ではない。その暗がりは、人間の尺度を超えた自然の営みを秘めているらしい――。

で、今週の1冊は『樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声』(ペーター・ヴォールレーベン著、長谷川圭訳、ハヤカワ文庫NF、2018年刊)。著者は、ドイツで森林管理に携わる人だ。1964年、ボン生まれ。大学で林学を学び、営林署勤めを20年余続けた後、独立した。ドイツには「フリーランス」の森林管理家がいるということか。原著は2015年刊。邦訳は、単行本が2017年に早川書房から出て、翌年に文庫化された。

本書は、エッセイ風の短文37編から成る。著者が日々、森を見回っていて気づいたことを思いのままに綴り、その合間に生物学の文献などを引いて、最新の研究結果を織り込んでいる。多種多彩な樹木やキノコ、鳥、虫が次から次に登場するので、読むほうは途中でついていくのがしんどくなる。ということで当欄は、森の生態系について系統立てて論ずることはあきらめた。印象に強く残った話をいくつか拾いあげてみることにする。

「友情」と題する一編では、森の木々の間にある友愛が語られている――。著者は、ブナの群生林で「苔に覆われた岩」らしいものを見かけた。近づいてみると「岩」は見間違いで、それは古木の切り株だった。驚いたことに、樹皮をナイフで剥いでみると「緑色の層」が顔を出した。植物にとって生の証しともいえる「葉緑素」である。その木は400~500年ほど前に伐採されたと推察されるが、それでもまだ生きつづけていたのだ。

「私が見つけた切り株は孤立していなかった」と著者は書く。その解説によれば、切り株が「死なずにすんだ」のは、周囲の木々が根を通じて「糖液を譲っていた」からにほかならない。容易には信じがたいが、樹木の間では「根と根が直接つながったり」「根の先が菌糸に包まれ、その菌糸が栄養の交換を手伝ったり」ということが起こる。ご近所で「栄養の交換」をしているのだ。昭和期の町内で隣家同士が醤油の貸し借りをしていたように。

興味深いのは、樹木が栄養を譲る先は同種の仲間に限らない、とあることだ。競合する樹種に分け与えることもあるのだという。なぜか。理由は「木が一本しかなければ森はできない」ということに尽きる。樹木が風雨や寒暖から身を守るにも、十分な水分とほどよい湿度を手に入れるにも、1本ではダメで森が必要だ。ただ、相手を「どの程度までサポートするか」はまちまちで「愛情の強さ」が関係している、と著者は考える。

「木の言葉」という一編には、根のネットワークが栄養だけでなく、情報のやりとりにも使われることが書かれている。1本の木が害虫に襲われたとしよう。木は虫の撃退物質をつくって自衛する一方、周りの仲間に向けて警報を発する。その通信経路の一つが根っこ。警報は化学物質や電気信号のかたちをとって伝わる、と本書にはある。このときも一役買うのが菌糸で、根っこ同士が接していなければそれらを仲立ちするという。

菌糸とは菌類から伸びた糸だ。菌類はキノコなどのことである。本書によれば、森の土くれスプーン1杯には菌糸が長さ数km分も畳み込まれているらしい。菌糸のネットワークには、“www”になぞらえて「ウッドワイドウェブ」の愛称もあるという。

著者によれば、木の根には脳の役割があるという説も有力らしい。根の先にある電気信号の伝達組織で、樹木に「行動の変化」を促す信号を検知した研究もあるという。「行動の変化」の一例は、成長組織に伸びる方向を変えさせることだ。根が、地中で岩石や水分、あるいは有害物質を感じとったとしよう。これをもとに樹木を取り巻く「状況を判断」、成長組織に「指示」を出して「危険な場所に進まないように」仕向けるわけだ。

興味深いのは、植物学者の多くが木の根の「判断」や「指示」を「知性」とはみなさないことに著者が異論を唱えている点だ。違いは、樹木では情報の感知が「行動」に結びつくまでに「時間がかかる」こと。「生き物として価値が低いということにはならない」と書く。

木がものを考えるということでは、こんな話もある――。著者は、ナラの木々が一カ所に並んでいても秋に葉が色づくタイミングがまちまちなことに気づく。落葉樹は日照時間が縮まり、温度が下がると、光合成をやめて冬眠態勢に入ろうとするが、一方で、翌春に備えて「できるだけたくさんの糖質をつくっておこう」という指向もある。「判断」は「木によって違っている」と、著者はみる。二つの思惑の間で悩むことが木にもあるのか。

著者は本書で、森の樹木を人間に見立てて描いている。樹木に対して「愛」とか「知性」とかいう言葉を使うことには、科学の見地から眉をしかめる向きもあるだろう。ただ、森には人間社会とは次元の異なる「愛」や「知性」があるのだと思えば、納得できる。

圧倒されるのは、木の時間の長さだ。著者が管理する森ではブナの若木が樹齢80歳超だが、約200歳の母親から「根を通じて」糖分を受けている。まだ、赤ちゃんなのだ。様相が変わるのは、いずれの日か母親の命が尽きるときだろう。母親が倒れれば若木の一部も倒れるが、残りは「親がいなくなってできた隙間」の恩恵を受ける。「好きなだけ光合成をするチャンス」をようやく手にするのだ。こうして若木同士の競争が起こり、勝者が跡目を継ぐ。

木の空間も長い。それは、森は動くという話からわかる。欧州の中部や北部には300万年前、すでにブナ林があったが、一部の種類は氷河期にアルプスを越え、南欧で生き延びた。間氷期の今は北上を続け、北欧の南端にまでたどり着いたという。ブナの種子は、鳥や風の力では遠くに移動しにくい。それでも生息地を、最適の場所へ少しずつずらしていくのだ。移動速度は年速400mほど。地球の生態系が動的であることに感嘆する。

森にはやはり、時間的にも空間的にも人間の尺度を超えた何かがある。私が幼い日に感じた暗がりの正体は、ものの見方を広げてくれる哲学の影だったのかもしれない。
・引用部にあるルビは原則、省きました。
*1 当欄2021年4月23日付「武蔵野夫人、崖線という危うさ
*2 当欄2021年4月30日付「武蔵野夫人というハケの心理学
(執筆撮影・尾関章)
=2022年6月3日公開、通算629回
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優生学の優しい罠

今週の書物/
『「現代優生学」の脅威』
池田清彦著、インターナショナル新書、集英社インターナショナル、2021

DNAの二重らせん

コロナ禍のニュースを聞いていて、ギクッとする瞬間があった。「命の選択」という言葉を耳にしたときだ。病床が足らず、入院させる人、治療する人を選ばなくてはならない――そんな状況が国内でも現出した。その結果、「自宅療養」を強いられた人が在宅で落命する悲劇も相次いだ。医療資源が限られているという現実があらわになり、この人には薬を提供するが、あの人には我慢してもらう、という選別がなされたのである。

「命の選択」という言葉は、科学記者にとって耳慣れないものではない。科学報道の一領域に生命倫理があり、案件の一つに出生前診断があった。30年ほど前には、受精卵にさかのぼって遺伝子のDNAや染色体を調べ、遺伝病の有無などを突きとめる着床前診断も登場した。これらは、現実には赤ちゃんを産むかどうかという問題につながってくる。そこで記者たちは、この診断技術をとりあげるとき、「命の選択」という表現を用いたのである。

実は、その着床前診断をめぐって今夏、見落とせないニュースがあった。日本産科婦人科学会が、診断対象となる遺伝性の病気の範囲を広げる方針を決めたというのだ。これまでは「成人に達する以前に」生き続けられないおそれがある重い遺伝病などに限っていた。だが、今後は「原則、成人に達する以前に」という文言に改め、大人になってから発症するものも条件付きで認めようというのだ(朝日新聞2021年6月27日朝刊)。

新たに加わる診断対象としては、現時点で有効な治療法が望めない病気などを挙げている。不気味なのは、範囲がどこまで広がるかわからないことだ。最近では多くの病気に遺伝要因が見つかり、遺伝性とされる病気が旧来の遺伝病の枠に収まらないからである。

これは、生命倫理の大事件と言ってよい。ところが世間では、それほど騒ぎにならなかった。考えてみれば、私たちは今、自分がコロナ禍で「選択」の対象になりかねない状況にある。自身の危機感が先に立って、人類の倫理を考える余裕がなくなっているのか。

で、今週は、こうした生命倫理の問題に今日的な角度から迫ってみる。手にとったのは『「現代優生学」の脅威』(池田清彦著、インターナショナル新書、集英社インターナショナル、2021年刊)。集英社の『kotoba』誌に2020年に連載された論考をもとにしている。著者は1947年生まれの生物学者、評論家。生物学を構造主義の視点から論じ、進化論など生物学のテーマに限らず、科学論や社会問題など幅広い分野で著作がある。

本書「まえがき」によれば、「優生学」とは「優れた者たちによる高度な社会」を目標とする研究をいう。そのためには「優れた者たち」の血筋だけを後続世代に残し、「劣った者たち」のそれは絶やすか、あるいは「改良」すればよい、という発想をする。

この発想を現実社会で具現化したのが、ナチス・ドイツによる「優生政策」だ。それは、「障害者の『断種』とユダヤ人の大量殺戮という人類史上最悪の災厄」を引き起こしてしまった。この経緯もあって、優生学の主張は第2次世界大戦後の先進諸国で「タブー」となった。だが、著者が「その後も国家施策などに小さくない影響を与えました」と指摘している通り、「いわゆる優生思想」はさまざまなかたちで生き延びてきたのである。

日本の国家施策はどうか。第四章「日本人と優生学」を見てみよう。1948年、戦時中の「国民優生法」を受け継いで「優生保護法」が定められ、第一条で「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」とうたわれた。今からみれば不適切極まりない表現だ。これによって、ハンセン病患者の断種手術も正当化された。この法律が、こうした優生学的な条項を除いて「母体保護法」に代わったのは1996年。「優生」は戦後半世紀も生き延びていた。

では、国内の優生思想は1996年で息絶えたのか。いやいや、それはしぶとく生きている、と見抜いたのが本書だ。書名に「現代優生学」とあるのは、この理由からだろう。ここで「現代」とは、21世紀の今を指している。著者は「まえがき」で、出生前診断による妊娠中絶や、知的障害者施設を標的にした多人数殺傷事件などを例に挙げ、「戦後、一度は封印されたはずの優生学が、奇妙な新しさをまとって再浮上している」と書いている。

出生前診断について言えば、診断結果を受けて中絶するかどうかを決断するのは胎児や受精卵の親御さんだ。この立場に身を置いて考えれば、迷いがいかほどのものかが想像できる。片方には、わが子に苦難を背負うことなく育ってほしいという願望がある。他方には、授かった生命に対する敬意と愛情がある。そこに覆いかぶさってくるのが、今風の自己決定権尊重だ。お決めになるのは、あなたご自身です、というわけだ。

一方、前述の多人数殺傷事件は、重度障害者の生を社会が支えることに異を唱える一青年の手で引き起こされた。それ自体は凶悪犯罪であり、刑事裁判で裁くよりほかない。ただ、そんな主張を正論であるかのように公言する人間が現れた背景は座視できないだろう。そこに見え隠れするのは、生産性を高めることばかりに熱心な世間の風潮だ。なにごとも効率本位で考えようとする新自由主義の価値観も影響しているように思える。

こうしてみると、著者が言う通り、「現代優生学」は確かに「奇妙な新しさをまとって」いる。その「新しさ」を醸しだすキーワードが自己決定権や新自由主義ではないか、と私は思う。自己決定権は、今や〈保守派〉の対義語となった〈リベラル派〉も尊重している(*)。新自由主義は、〈リベラル派〉の経済政策と対立するが、ナチズムのように全否定はされない。このようにして優生思想は私たちの時代に優しげな罠を仕掛けるのだ。

私が本書で衝撃を受けたのは、優しげな罠は実は優生思想の源流にも見てとれることだ。著者は、19世紀末のドイツで優生学を切りひらいた先人に光を当てている。一人は医師でもあったヴィルヘルム・シャルマイヤー、もう一人はアルフレート・プレッツだ。

まずは、シャルマイヤーから。本書によると、その主張はダーウィン進化論に強く影響されている。「文明や文化が発展するほど、自然淘汰が阻害され、人間の変質(退化)が進む」と考えたのだ。「変質(退化)」を促すものとして「医学・公衆衛生の発達」を挙げる。「虚弱な個体が生き延びて、子を産み続けること」が淘汰の妨げとなり、退化をもたらすというのが、その論理だった。医師が医学の意義を懐疑するという不思議な構図がある。

驚くのは、彼がこの考え方を意外な方向に押し広げることだ。「退化」の要因として「戦争による兵役」や「私有財産制」(「資本制」)も問題視する。前者は「強健者や壮健な人間を選択的に早逝させる」、後者は「資本家は虚弱でも生存できる」という状況をつくりだす――そう考えて、反戦と社会主義の立場をとったという。ここからは、経済的な弱者は支援するが生物学的な弱者は切り捨てる、という歪んだ弱者擁護の思考回路が見てとれる。

彼の発想でもう一つ見過ごせないのは、すべての国民の「病歴記録証」をつくり、それを当局が保管するという施策だ。病気の遺伝要因を次世代に受け渡さないように、婚姻届を出すときに「記録証の提示」を求める。これは、今ならばDNA情報の管理というかたちをとるだろう。プライバシー保護の観点から反対意見が殺到するのは必至だが、技術的にはすぐにも実現できることだ。私たちは優生学の誘惑にきわめて近いところにいる。

もう一人、プレッツは「人種衛生学」の提唱者。人間の集合には、相互扶助の原理で動く側面(「社会」)と、闘争や淘汰が避けられない側面(「種」)があるとみた。懸念したのは、種が「淘汰の低減」に直面すると「社会」の発展が鈍ることだ。「相互扶助と淘汰の両立」を目標に考えを練り、思い至ったのが「淘汰を出生前に移行させる」ことだった。遺伝性の病気を抱える人々の生殖を規制しようという発想は、ここから出てきたという。

優生学は、昔はあからさまに、人類の存続や社会の発展がときに個人の権利より優先されるという立場から主張された。今は個人の権利が第一とささやきながら、個人の次元で辛い選択を迫る局面が出てきたように見える。だから昔より、細心の注意が欠かせない。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年11月26日公開、通算602回
*本読み by chance「朝日を嫌うリベラル新潮流」(2018年11月23日付)参照
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