今年は、なんでも覚悟する

今週の書物/
スベトラーナ・アレクシエービッチさんにインタビュー
朝日新聞2023年1月1日朝刊

新春(*1)

1年前は的外れだった。2022年年頭の当欄には、国政が改憲に向かって動くとの見立てがあった(2022年1月7日付「社説にみる改憲機運の落とし穴)。ところが、現実はそれをスキップした。私たちの眼前には、もうすでにキナ臭い世界がある。

ロシアによるウクライナ侵攻が2月に勃発した。大国の軍隊が隣国にずかずかと入り込んで武力を行使する――その「軍事行動」にはいろいろな理由づけがなされたが、説得力はない。今日の国際社会の常識に照らせば、暴挙というほかなかった。

予想外の事態が突然出現したため、日本国内の世論も一気に防衛力増強へ傾いた。その風向きに便乗するかのように、政府は現行憲法の生命線である専守防衛の原則を拡大解釈して、敵基地攻撃能力を備えることにした。事実上の改憲といえるのではないか。

ウクライナ侵攻が日本社会に拙速な変更をもたらしたのは、それだけではない。原子力政策がそうだ。ロシアは石油や天然ガスの輸出大国なので、侵攻に対する西側諸国の経済制裁はエネルギー需給を逼迫させた。その一方で、国際社会の課題として地球温暖化を抑えるための脱炭素化がある。これで息を吹き返したのが、原発活用論だ。その追い風を受けて、日本政府は原発の新規建造や60年間超の運転を認める政策に舵を切った。

見通しの悪さをいえば、コロナ禍に対しても見方が甘かった。1年前の冬、日本では感染の第6波が立ちあがっていたが、それも春夏には収まるだろう、という希望的予感があった。だが、実際はどうか。6波のあとも7波、8波に見舞われている。

コロナ禍では、私たちの意識も変わった。政府はこの1年で行動規制を緩めた。社会を動かさなければ経済は回らない。人々の我慢も限界に達している。そんな事情があって、オミクロン株は従来株と比べて感染力は高いが重症化リスクが低い、というデータに飛びついたのだ。とはいえ緩和策で感染者がふえれば、それに引きずられて重症者も増加する。コロナ禍の実害をやむなく受け入れる感覚が、世の中に居座った感がある。

ウクライナ侵攻の突発、いつまでも終わらないコロナ禍――予想外のことがもとで心はぐらつき、世の中も変容した。私たちは引きつづき、そんな事象に取り囲まれている。2023年も何が起こるかわからない。相当の覚悟を決めなくてはなるまい。

で今週の書物は、私の古巣朝日新聞の元日紙面。ぱらぱらめくっていくと、オピニオン欄の表題に「『覚悟』の時代に」とあった。今年のキーワードは、やはり「覚悟」なのか。

とりあげたい記事はたくさんあるが、今回はベラルーシのノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさん(74)へのインタビューに焦点を当てる。第1面から2面にかけて展開された大型記事だ。1面トップに据えられた前文によれば、取材陣(文・根本晃記者、写真・関田航記者)は11月下旬、彼女が今住んでいるベルリンの自宅を訪れたという。先週の当欄に書いたように、秋口から準備を進めてきた新年企画なのだろう(*2)。

インタビューの主題はロシアのウクライナ侵攻だ。1面トップを飾ったアレクシエービッチさんの横顔は憂いをたたえている。おそらくは、ウクライナの苛酷な現実に思いをめぐらせてのことだろう。その表情を写真に収めた関田記者が大みそか、滞在先のキーウでロシアのミサイルによると思われる攻撃に遭い、足にけがをしたという記事が同じ朝刊の別のページに載っている。現地の緊迫感が伝わってくるようなめぐりあわせだ。

アレクシエービッチさんは、どんな人か。前文にはこう要約されている。旧ソ連ウクライナ生まれ。父はベラルーシ人、母はウクライナ人。執筆に用いてきた言語はロシア語。旧ソ連のアフガン侵攻やチェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故に目を向け、「社会や時代の犠牲となった『小さき人々』の声につぶさに耳を傾けてきた」。当欄の前身「本読み by chance」も、彼女がノーベル文学賞を受けた2015年、その著作を紹介している(*3)。

ではさっそく、インタビュー本文に入ろう。アレクシエービッチさんはウクライナ侵攻の第一報に触れたとき、「ただただ涙がこぼれました」と打ち明ける。ロシア文化になじみ、ロシアが「大好き」な人間なので「戦争が始まるなんて到底信じられなかった」。

その一方で彼女は、「戦争は美しい」と主張する男性に取材した経験を語る。「夜の野原で砲弾が飛んでいる姿はとても美しい」「美しい瞬間があるんだ」――そんな悪魔的な言葉を引いて、彼女は戦争には「人間の心を支配してしまうようなものがある」と指摘する。

「ウクライナ侵攻では人間から獣がはい出しています」。インタビューでは、そんな衝撃的な言葉もとび出す。作家は「人の中にできるだけ人の部分があるようにするため」に仕事をしているというのが、彼女の持論だ。「文学は人間を育み、人々の心を強くしなければなりません」。名前が挙がるのはロシアの文豪たち。「ドストエフスキーやトルストイは、人間がなぜ獣に変貌(へんぼう)するのか理解しようとしてきました」という。

聞き手の記者が、ウクライナ侵攻ではロシア軍の占拠地域で「残虐な行為」が相次いだことに水を向けると、彼女も「なぜ、こうもすぐに人間の文化的な部分が失われてしまうのでしょうか」と慨嘆している。では、何が原因でロシア社会に「獣」性が現れたのか。

その答えをアレクシエービッチさんは用意していた。「ロシア人を獣にしたのはテレビ」と言い切るのだ。ロシアのテレビメディアが数年前から、プーチン政権の意向に沿ってウクライナを敵視する報道をしてきたことにロシア人の多くが影響された、という。

一例は、ウクライナで捕虜になったロシア兵と郷里の母親との電話のやりとりだ。兵士が「ここにはナチはいない」と言うと、母は「誰に吹き込まれたの」と突っぱねた。反論の論拠にしたのは、ロシアのテレビ報道だったという。電話はウクライナ側が「実情を伝えれば解放してやる」と促したものだそうだから、兵士の言葉にも吟味は必要だろう。ただ、ロシアでテレビが伝えるウクライナ像の多くが歪んでいることは間違いなさそうだ。

率直に言えば、この説明には若干の違和感がある。今の時代、テレビにそれほどまでの影響力があるのか、と思われるからだ。ロシアの人々も、高齢世代を除けばSNSに馴染んでいるだろう。だから、テレビ報道が政府寄りに偏っても、偏りはすぐばれるのではないか。SNSにも規制がかかっているらしいが、SNSの不自由さは目に見えるかたちで現れるので、メディア統制の意図をかえって見抜かれてしまうのではないか――。

とはいえ、「人間から獣が」出てきたようなウクライナの現実に、一方的な情報が関与しているのは確かだ。その意味で、アレクシエービッチさんの言葉は、私たちへの警告となる。日本社会に、あからさまなメディア統制はない。SNSは、ほとんど言いたい放題だ。だが、それがかえって付和雷同のうねりを生みだすことがある。政府は、その波に乗っかって権力を行使しようとする。私たちは、情報社会の高度な不気味さに包まれている。

私たちが今年、最悪の事態として覚悟しなければならないのは、武力行使やコロナ禍が延々と続くことだけではない。一方的な情報の波に対しても身構えなければならないだろう。なぜならその波にのまれることが、事態をいっそう悪い方向へ動かしてしまうからだ。

アレクシエービッチさんは、絶望に直面する人の「よりどころ」は「日常そのもの」であり、それは「朝のコーヒーの一杯でもよい」と言う。そういえば、けさのコーヒーは苦いけれど心をほっとさせてくれた。2023年が、そんなコーヒーのようであればよいと思う。

*1 新聞は、朝日新聞2023年1月1日朝刊(東京本社最終版)
*2 当欄2022年12月30日付「大晦日、人はなぜ区切るのか
*3 「本読み by chance」2015年10月16日付「ベラルーシ作家にノーベル賞の意味
(執筆撮影・尾関章)
=2022年1月6日公開、通算660回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

大晦日、人はなぜ区切るのか

今週の書物/
『世間胸算用――付 現代語訳』
井原西鶴著、前田金五郎訳注、角川文庫、1972年刊

柚子

泣いても笑っても、今年は残すところあと1日だ。この時季、なにを急かされているというわけでもないのに、せわしない。頭蓋には「年内に」という督促が響き渡っている。

現役時代を顧みてもそうだった。新聞社の編集局では秋風が吹くころ、「年内に」のあわただしさが始まる。元日スタートの連載や新年別刷り特集の企画が決まり、取材班が旗揚げして記者たちが動きだす。その力の入れ方は半端ではない。班には名文記者が集められた。出張予算もどんとついた。原稿がデスク(出稿責任者)から突き返され、記者が書き直すことも度々だった。12月も中ごろになると記事は仕上がり、次々に校了されていく……。

今思うのは、新年連載や新年特集は果たして読者の求めに応えたものだったか、ということだ。記事の中身をとやかく言っているのではない。そもそも新年企画なるものが必須なのか、という問いだ。もしかしたら、12月31日付と同じような1月1日付紙面があってよいのかもしれない。だが、私たち新聞人にはそういう選択肢が思い浮かばなかった。12月31日と1月1日の間にある区切りを重視したのだ。それはなぜか。

記者には日々のニュースを伝えるだけでなく、時代の流れをとらえるという大仕事もあるからだ。新年連載や新年特集は、後者の役割を果たす格好の舞台になる。

とはいえやっぱり、年末年始の区切りには、ばかばかしさがつきまとう。理由の一つは、年末の忙しさが年始の休息を捻りだすための突貫工事に見えてくるからだ。実際、新聞社の編集局は年越しの夜、突発ニュースに備える当番デスクや出番の記者を除いて解放感に浸った。部長たちが局長室に集まり、1年を振り返って語らう「筆洗い」という行事もあった。翌日、即ち元日付の紙面が新年企画でほぼ埋め尽くされていたからだ。

そう考えると、新聞の新年企画は家庭のおせち料理に似ている。おせちは、一家の台所を仕切る人々――かつては専業主婦であることが多かったが――が新年三が日の手間を軽減できるよう、日持ちする料理を暮れのうちに詰めあわせたものだ。年末のせわしなさ、あわただしさと引き換えに年始にはひとときの安らぎを確保しよう、という発想が見てとれる。年末年始の区切りは、こんなかたちで私たちの生活様式に組み込まれている。

で、今週は『世間胸算用――付 現代語訳』(井原西鶴著、前田金五郎訳注、角川文庫、1972年刊)。原著は、江戸時代の1692(元禄5)年刊。副題には「大晦日ハ一日千金」とある。井原西鶴(1642~1693)晩年の作品で、市井の年越しを描いた浮世草子だ。

浮世草子は、近世に広まった上方の町人文学。現代に置き換えれば、大衆小説と呼んでよいだろう。本作『世間胸算用』は全5巻計20話から成る。それぞれは短編というよりも掌編で、筆づかいは融通無碍だが、そのなかにドタバタ劇のような小話が組み込まれている。表題を一つ二つ挙げれば、冒頭2話は「問屋の寛闊女」「長刀はむかしの鞘」。ここで「寛闊」(*)は「派手めの」くらいの意味。字面だけを見ても、思わせぶりではないか。

本書には原文があるから、まずそれを読むべきだろう。だが、第1編の「世の定めとて大晦日は闇なる事……」という書きだしを見て、一歩退いた。古文の授業を思いだしたのだ。日本語だから読めないことはない。ただ、意味を早とちりして誤読する危険が高まる。

ありがたいことに本書には「現代語訳」もある。私たちの世代になじみの俗語でいえば〈あんちょこ〉だ。訳者は、近世日本文学の専門家。巻頭の「凡例」で、訳について「極めて不十分なもの」と謙遜して「本文通読の際の参照程度に利用していただければ」とことわっている。ただ、私は西鶴を論じるわけでも、その文体を分析するわけでもない。大晦日の空気感を知りたいだけなのだ。〈あんちょこ〉の活用に目をつぶっていただこう。

現代語訳のページを開くと、書きだしが「大晦日は闇夜であり、それと同時に、一年中の総決算日であるという世の中の定則は……」とある。「総決算日」は原文にない現代風の補いだが、それは文意を汲みとってのことだ。原文より硬くなった印象は否めない。半面、西鶴を訳者の解説付きで読ませていただいている気分にはなれる。現代風の用語はこれ以外にもところどころに織り込まれ、元禄期を現代に引き寄せる効果をもたらしている。

第1話「問屋の寛闊女」からは、元禄期、上方の都市部では消費文化がかなり進んでいたことがうかがわれる。「主婦」(原文では女房)たちは正月の晴れ着に流行模様の小袖をあつらえる。染め賃は高くつくが、模様がはやりものだから逆に目立たない。大金を浪費しているだけだ――。驚きなのは、当時すでに服飾流行=ファッションが人々の消費行動を支配していたことだ。生産者側にも、流行を支える商品の量産体制ができあがっていた。

子ども向け商品の消費も活発だ。親は、正月には破魔弓や手鞠、3月は雛遊びの調度品、5月は節句の菖蒲刀……と季節ごとに品々を用意する。それらは捨てられたり、壊れたりするものだから買い換えが必要だ。この時代、使い捨て文化もすでにあったのだ。

この世相は、商家の営みにも影響を与えていた。この一編では、問屋の主人が年の暮れ、「掛売り買い」の決算ということで取り立て人の攻勢に遭う話が出てくる。主人は、押し寄せる取り立て人たちに振手形を乱発する。総額は、問屋が両替屋に預けている額を大きく上回る。手形を渡す側は紙きれで当座の窮地を切り抜け、渡される側はその紙きれを自分自身の支払いに充てる。元禄の町人社会は、金融の危うさをもう内在させていたのである。

第2話「長刀はむかしの鞘」には、長屋の住人の年越しが綴られる。意外なことに、この所得層は借金取りに追われることは少なかったらしい。家賃は月々払わされている。食料品であれ、生活用品であれ、掛買いなどさせてくれない。「その日暮らしの貧乏人は」「小づかい帳一つ記載する必要もない」のである。ただ、この人たちも「正月の支度」はする。その資金捻出に活用されるのが質屋だ。大晦日の夕刻になって質入れに動きだす。

古傘と綿繰り車と茶釜を一つずつ持ちだして銀1匁を借り受けた家がある。妻の帯と夫の頭巾、蓋のない重箱など計23点で銀1匁6分を調達した家もある。大道芸人は商売道具の烏帽子などを質草に銀2匁7分を手にした。そして、浪人の妻が質屋に持ち込んだのは長刀の鞘。突き返されると、これは親が関ヶ原の戦い(1600年)で武勲を立てたときのもの、と啖呵を切る。関ヶ原からは歳月が流れ過ぎていて、はったりは歴然なのだが……。

取り立て人のなかに知恵者がいたことがわかるのは、「門柱も皆かりの世」という一編。材木屋の丁稚はまだ10代でひ弱な感じもあるが、鼻っ柱は強い。取り立て先の亭主が「払いたいけれども、ないものはない」と庭先で今にも腹を切ろうとすると、取り立て人たちは恐れをなして帰っていったが、この丁稚だけが残る。支払いを済ませるまでは「材木はこっちの物」と言うなり、大槌を振るって門口の柱を外してしまったのだ。

この丁稚は亭主に指南もする。取り立て人を追い払いたければ夫婦喧嘩を昼ごろから始めるのがいい、家を出ていくだの自殺するだの、言いあっているのを見れば、だれもが退散するだろう――。芝居をするにしてももっと上手にやれ、ということか。

「亭主の入替り」という一編にも、友人夫婦と連帯してひと芝居打ち、取り立て人を撃退する方法が登場人物によって伝授されている。それぞれの夫がそれぞれ友人の家に張りついて、強硬な取り立て人の役を演じる。「お内儀、私の売り掛け銀は、ほかの買掛かりとは違いますよ。ご亭主の腸を抉り出しても、埒を明けますぞ」。こんな光景に出くわせば、本物の取り立て人がやって来てもすごすご引き下がるに違いない、というわけだ。

それにしても江戸時代、なぜ代金回収の期限を一斉に大晦日にしたのか。自在に決めればよいものを。古来、人には何事にも区切りをつけたがる習性があるのだろうか。

*「闊」の字は、原文ではこれにさんずいが付いている。
☆引用箇所のルビは省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月30日公開、通算659回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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■公開後の更新は最小限にとどめます。

「点と線」を原武史経由で読む

今週の書物/
『「松本清張」で読む昭和史』
原武史著、NHK出版新書、2019年刊

駅のホーム

今月の当欄はテレビに目を転じて、2時間ミステリー(2H)の看板シリーズに焦点を当てた。森村誠一原作の「終着駅シリーズ」と西村京太郎原作の「トラベルミステリー」だ。テレビ朝日系列の両シリーズは、ともに今月放映の作品が最後となる。改めて思うのは、両者の源流に松本清張の長編小説『点と線』があるのではないか、ということだ。勤め人社会の落とし穴を描いている。鉄道がよく出てくる。そんな特徴が受け継がれている。

『点と線』の初出は、1957年2月号~1958年1月号の『旅』誌連載だ。清張は、この作品で社会派推理小説という新分野の旗手になった。ここで「社会派」とは何を意味するのか。私見を言えば、作者の観察眼が同時代の世の不条理を見抜いていることだ。

たとえば、この作品では事件が官僚機構の病と深く結びついている。中央官庁の高級官僚が業者と結託して甘い汁を吸う、追及の手が及びそうになると下級官僚をトカゲの尻尾のように切って捨てる――私たち読者は、そんな構図を生々しく見せつけられるのだ。

作品が発表されたころ、私たちは子どもだったが、この構図のことは薄々知っていた。同様の事件が後を絶たず、新聞やテレビを賑わせていたからだ。長じて自らが新聞記者になると、官庁がらみの事件が起こるたび、そこにその構図がないかを疑うようになった。驚くべきことに、日本の官僚機構は今も同じ構図から脱け出せないでいる。そう見てくると、清張は1950年代後半、日本社会の慢性疾患をいち早く見いだしていたことになる。

ただ、この作品の社会派としての魅力は、不条理をあぶり出したことにとどまらない。筋立てだけでなく細部の描写から、当時の世相が見えてくる。東京と地方の距離感、それと重なりあう豊かさと貧しさの落差、列島の交通網が過渡期にあったこと……。

で、今週の1冊は『点と線』――といきたいところだが、あえてそれを避ける。選んだ本は『「松本清張」で読む昭和史』(原武史著、NHK出版新書、2019年刊)だ。なぜ、間接的に語ることにしたのか。最大の理由は、著者の松本清張観をかなりの部分、私も共有しているからだ。ならば当欄は、この本に収められた著者の『点と線』論を紹介して、その指摘に賛意を表したほうが説得力をもつのではないか。そう思ったのである。

この本は、NHK・Eテレが2018年に放送した「100分de名著 松本清張スペシャル」をもとにしている。その教材として刊行された本を、改題、加筆、再構成したものだ。清張作品のうち、『点と線』『砂の器』『日本の黒い霧』『昭和史発掘』と未完の『神々の乱心』に焦点を当てている。最初の二つは戦後社会高度成長期の位相をリアルタイムで切りだした長編小説、残り三つは戦前戦後史を掘り起こしたノンフィクションや小説である。

『点と線』は第一章でとりあげられている。題して「格差社会の正体」。章題をみて、私は一瞬戸惑う。高度成長期は日本社会に「一億総中流」の意識が広まった時代という印象があるからだ。だが著者は、その初期には「格差」が存在した事実を見逃さない。

格差の具体例は乗りものだ。著者が世に言う鉄ちゃん、無類の鉄道好きであることはよく知られている。この本もその蘊蓄が満載だ。長旅で乗る列車が特急か急行かという選択に、著者は格差を見てとる。『点と線』で、福岡市の海岸で不審な死を遂げた中央官庁課長補佐の佐山憲一が東京駅で乗り込んだのは寝台特急だった。これに対して、警視庁刑事の三原警部補が九州や北海道への出張時に多用するのは夜行の急行列車である。

これは先週、当欄が読んだ『寝台急行「銀河」殺人事件』(西村京太郎著、文春文庫)を思いださせる。警視庁の亀井刑事が東京駅で寝台急行「銀河」に乗ろうとするとき、「急行列車ですか。なつかしいですなあ」と昔を思い返す場面と響きあっている。(*)

『点と線』で佐山が乗った寝台特急は「あさかぜ」。1956年に登場した「花形列車」だ。そのころは寝台車のほかに客車も連結しており、特別二等車(略称「特二」)があった。当時の国鉄では普通車が三等車だったので、二等車というだけで格上だが、それよりもさらに高級感がある。二等車でも「ボックスタイプの直角椅子」が設えてあった時代、特二には「リクライニングができる」座席が並び、背もたれを倒すことができたのだ。

「あさかぜ」が東京駅に横づけされた場面は、この作品の読みどころだ。その姿が隣接ホームから見通せる時間は限られている――これがミステリー謎解きのカギとなっている。

一方、急行はどうか。『点と線』は三原刑事が乗った急行「十和田」の車内を描いており、著者はこれを引用する。上野駅を19時15分に出て翌朝9時9分、青森に着く。文字通りの夜行列車である。「前に腰かけた二人が、東北弁でうるさく話しあっていたので、それが耳について神経が休まらなかったのだ」――この記述からわかるのは、三原が四人掛けのボックス席で車中泊したということだ。著者は「おそらく三等車であろう」と推察する。

三原はこのあと青函連絡船で津軽海峡を渡り、函館14時50分発、札幌20時34分着の急行「まりも」に乗り継ぐ。上野からまる一昼夜の旅。札幌では「くたくた」になり、「尻が痛くなっていた」。ちなみにこの出張は、中央官庁の出入り業者である安田辰郎の足どりを跡づけるものだった。「安田はおそらく、上野から二等寝台か特二で悠々と来たのであろう」――三原が安田の境遇をうらやむ心理を、清張はそんな言葉で表現している。

著者は『点と線』の時代、夜行の旅では「二等寝台車に乗れる客」と「急行の三等車でしか行けない客」がいたことをもって「当時は厳然と階級が存在した」と断ずる。国鉄は1960年に客車の3等級制を2等級制に改め、さらに1969年には等級制をやめて「普通車」「グリーン車」の名で呼ぶようになった。これは社会から階級が消えていく流れに呼応している、と著者はみる。「一億総中流」の意識は高度成長後期にできあがったものなのだろう。

格差は二等寝台と三等の違いにとどまらない。著者は、安田の「飛行機による移動の可能性」にも触れている。ネタばらしになりかねないのにあえて言及したのは、そこに時代の位相を見たからだろう。当時、列島縦断の旅では空路と陸路という格差も出現しつつあった。

格差は、階級や階層の間だけではなく地域の間にもあった。東京と地方の格差だ。『点と線』では、三原刑事が九州出張から帰京後、東京駅から有楽町の喫茶店に直行する。「彼はうまいコーヒーに飢えていた」「これだけは田舎では味わえない」と清張は書いている。

つくづく思うのは、二等寝台と三等であれ、空路と陸路であれ、東京と地方であれ、両者間の格差がどんどん小さくなっていったことだ。高度成長期が終わるころ、人々は東京から大阪へ出張するとき、飛行機にするか新幹線にするかを各自の都合で決めるようになった。珈琲党も、自家焙煎の喫茶店やフランチャイズのコーヒー店が津々浦々に広まり、東京にいる必要はなくなった。格差解消と言えば聞こえがよいが、均質化が極まったのだ。

こうしてみると、『点と線』の時代を起点とする高度成長には二面性があった。それは人々の貧富の差を縮めたが、同時に社会の構成要素が具える個性を薄れさせてしまった。科学用語を用いるならば、エントロピーが大きくなったということだ。冷水1リットルと熱湯1リットルが混ざって、ぬるま湯2リットルになってしまったわけだ。日本の風景は今や、東京も地方も似たもの同士だ。のっぺりしてつまらなくなったともいえるだろう。

裏返せば、『点と線』の世界はのっぺりしていない分、魅力があった。それは、安田の妻亮子の趣味からもうかがうことができる。亮子は結核の療養中で、鉄道の時刻表が愛読書だった。この一瞬にも「全国のさまざまな土地で、汽車がいっせいに停っている」「たいそうな人が、それぞれの人生を追って降りたり乗ったりしている」。彼女は発着時刻がぎっしり並んだページの向こう側に、駅ごとに異なる風景を見ていたのではないか。

高度成長がもたらした貧富の差の縮小は半世紀を経て、もはや期限切れだ。著者は、私たちが1990年代のバブル経済崩壊を経て「持てる者と持たざる者との差が広がる格差社会」に直面していることを指摘して、こう書く。「そうした状況の中でこの小説を読むと、格差がはっきりと描かれていることが逆に切実に迫ってくる」――。『点と線』を今読むことは、私たちがいっとき抱いた「総中流」意識のはかなさを知ることにもなるだろう。

* 当欄2022年12月16日付「2時間ミステリー、老舗の退場
☆引用箇所のルビは省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月23日公開、通算658回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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2時間ミステリー、老舗の退場

今週の書物/
『寝台急行「銀河」殺人事件――十津川警部クラシックス』
西村京太郎著、文春文庫、2017年刊

地図(*1)

今週も2時間ミステリー(2H)の話題を。今月29日に最終作品が放映される「西村京太郎トラベルミステリー」(テレビ朝日系列)。高橋英樹主演の十津川警部シリーズである。

このシリーズの退場は、日本のテレビ史に記録されるべきだろう。というのも、放映開始が1979年だからだ。2Hの新作放映枠が国内テレビ界に登場したのは1977年(初期は90分枠)。その2年後に開店したわけだから、2Hの老舗であることは間違いない。(*2)

シリーズが始まったころは、2H新作放映枠がテレ朝系列の「土曜ワイド劇場」(土ワイ)だけだった。日本テレビ系列の「火曜サスペンス劇場」(火サス)が追いかけるのは1981年。やがて民放各局に広まり、十津川警部ものも複数局が手がけるようになる。だから、テレ朝系列「西村京太郎トラベルミステリー」は数ある十津川警部もののなかで元祖ということだ。その新作がもう見られない。先週の言を繰り返せば、一つの時代が終わったのである。

では、テレ朝系列の十津川警部ものは何本つくられてきたのか。テレ朝の公式サイトでは、最終作品が「第73弾」とされているが、これには疑問もある。ウィキペディア記載の作品を数えあげると、1979年からの総数が76本になるからだ。このズレは何か。実はシリーズ初期の3本は、系列在阪局の朝日放送(ABC)が大映と組んで企画制作しているのだ。テレ朝本体が東映と組んでつくってきたものが、1981年以来73本になるということだ。

制作局が途中で代わった理由が気にはなる。ここでは立ち入らないが、当欄が去年話題にした『2時間ドラマ40年の軌跡』(大野茂著、発行・東京ニュース通信社、発売・徳間書店)からは裏事情の一端が感じとれる(*2)。そこにも一つ、人間ドラマがあったらしい。

テレ朝系列十津川警部ものの歴史は40年余にも及ぶのだから、俳優陣が入れ代わっても不思議はない。だが、交代は驚くほど少ない。十津川を演じたのは、1979~1999年が三橋達也、2000年以降が高橋英樹。三橋時代には、それぞれ1回限りの代役で天知茂と高島忠夫が主演したこともある。十津川を支える亀井警部補(カメさん)役は綿引勝彦(旧名・綿引洪)、愛川欽也、高田純次の順でバトンタッチ。愛川は1981年から31年間も務めた。

当欄は今回、テレ朝系列の十津川警部ものを分析する。ここで対比すべきは、TBS系列の十津川警部もの、とりわけ渡瀬恒彦と伊東四朗が十津川警部とカメさんを演じたシリーズ(1992~2015年放映)だ。2Hフリークは2000年代の10年間、高橋・愛川組対渡瀬・伊東組の競演を楽しんだ。どちらのシリーズにも西村2Hの常連女優、山村紅葉が警視庁捜査一課十津川班の刑事として出てくるという共通項があるが、ドラマの作風は異なる。

ひとことで言えば、テレ朝系列の高橋十津川ものがあくまでミステリー作品なのに対して、TBS系列の渡瀬十津川ものは人間ドラマの色彩が強いのだ。後者では、十津川が陰のある男として描かれているように思う。それは、渡瀬の十津川と伊東のカメさんが屋台で酒を酌み交わす場面や、二人が大自然を見つめながらひとことふたこと人生を語りあう場面などで顕著になる。人間にこだわるところは「ドラマのTBS」の伝統か。

一方、高橋十津川ものには土ワイの性格が反映している。土ワイの初代チーフプロデューサーが打ちだした制作方針には「娯楽性・話題性を最優先」があったという(*2)。放映が週末の夜なのだから、肩の凝らない作品をめざすという方向性はよくわかる。その娯楽性は、謎解きの妙だけで維持しているわけではない。それは二つの要素によって増幅され、視聴者の心をつかんできたのではないか。一つは旅情、もう一つは郷愁である。

旅情をそそるのは、なんと言っても鉄道だ。長距離列車が出てくる作品が多い。たとえば、テレ朝制作になって以後の初期10作品(1981~1987年放映)をみると、実に9作品のタイトルが列車の愛称付きだ。特急「あずさ」の名が出てくれば、信州の山々が思い浮かぶ。特急「雷鳥」(現在は「サンダーバード」と呼ばれている)とあれば、北陸の冬空が見えてくる。私たちは新聞テレビ欄のタイトルを見ただけで旅気分に誘われたものだ。

実際にドラマでは、十津川班の刑事たちがしばしば鉄道に乗る。班は警視庁捜査一課に属しているから首都東京が管轄区域なのに、諸般の事情があって全国津々浦々に足を延ばすことになるのだ。プラットホームの光景が出てくる。発車のベルが鳴る。列車の警笛が聞こえる。刑事二人が向かい合わせの席に腰かけ、駅弁を頬張るシーンも定番だ。そして車窓には田園の緑が流れていく……これだけでも旅番組を代行しているようだ。

ドラマでは鉄道が事件のアリバイ工作にかかわることが多いが、それも別種の旅情を呼び起こす。私たちは刑事とともにアリバイを崩そうとして、容疑者の動きを面的に、あるいは空間的にとらえようとする。鉄道でA市からB市へ行くには、P線だけでなくQ線とR線を乗り継ぐ方法もある。いやC空港まで車を飛ばし、飛行機に乗ったほうが早く着くかもしれない……。こんなふうに日本地図を脳裏に浮かべると、旅の疑似体験ができる。

では、郷愁とは何か。それは、今の日本社会が置き忘れたものを切ないと思う気持ちだ。テレ朝系列の十津川警部ものでは、その心情を東北出身の愛川カメさんが代弁している。カメさんの雰囲気が、高度成長期に東北地方の少年少女を大都会に送り込んだ集団就職列車のイメージと重なるのだ。自身は集団就職組ではないのだろうが、同世代ではある。ドラマが東北を舞台とするとき、カメさんが上野駅にいる場面は大きな魅力になった。

で、今週の読みものは長編小説『寝台急行「銀河」殺人事件――十津川警部クラシックス』(西村京太郎著、文春文庫、2017年刊)。「オール讀物」1985年1月号に発表された後、単行本(文藝春秋社刊)となり、1987年に文庫化されたものの新装版だ。テレ朝系列の十津川警部シリーズは1986年、これを早々とドラマ化したが私には記憶がない。私は2Hの再放映を折にふれて録画しているが、残念なことに保存分のなかにも見当たらなかった。

ということで当欄は、この作品の旅情と郷愁を原作小説からすくい取ってみる。

例によって筋は追わないが、導入部は素描しておこう。会社員の男40歳が東京から大阪への出張で22時45分発寝台急行「銀河」に乗る。高料金のA寝台だが、出張費は新幹線+ホテル代のかたちで精算できるので、それでも小遣い銭が浮く。ところが、車内で想定外の事件が起こる。愛人が同じ寝台車で殺されており、殺人の嫌疑がかかったのだ。男は十津川の旧友だった。大阪府警の事件ではあるが、十津川も協力を求められる――。

この作品では鉄道移動が東京・大阪間なので、鄙びた温泉で旅気分を高めることができない。関係者の立ち回り先として京都嵯峨野の神社が出てきたりはするのだが、その描写もさらっとしている。旅情をもたらすのは、もっぱら寝台急行「銀河」そのものだ。

「銀河」の車体は青。だが、特急ではないので「ブルートレイン」扱いされないこともあるらしい。ではなぜ、急行なのか。東京から大阪までの行程に約9時間もかけるからだ、と著者はみる。「あまり早く走り過ぎてしまっては、大阪に未明に着いてしまう」のだ。著者はここで「銀河」の歴史に触れる。戦前は東京・神戸間の寝台急行で1、2等車だけ、普通車に当たる3等車はなかった。「上流階級の人だけが乗る『名士列車』だった」のである。

こうしたゆったり感や豪華列車の名残が読者や視聴者の旅情を誘うのは間違いない。

「銀河」は、郷愁の誘因にもなっている。これもまた、特急ではなくて急行だからだ。その分類が、カメさんの心を動かした。十津川とともに「銀河」に乗り込む直前、東京駅のホームでこんな感想をもらす。「急行列車ですか。なつかしいですなあ」。自分が青森から東京に出てきたころは「普通列車にしか乗れなくて、急行列車に乗るのが夢だったんですよ」。そんな経験があるから、今も特急より急行に有難みを感じるというのだ。

老舗2Hの退場で、旅情と郷愁に彩られた一つの文化が消えていく。だが、再放映はこれからもある。小説ならいつでも読める。2Hフリークは、そう思うしかない。

*1 地図は『新詳高等地図――初訂版』(帝国書院)
*2 当欄2021年7月30日付「2時間ミステリー、蔵出しの愉悦
☆ドラマのデータは、私自身の記憶とテレビ朝日、東映の公式サイトの情報をもとにしていますが、不確かな点はウィキペディア(項目は「西村京太郎トラベルミステリー」=最終更新2022年12月9日=など)を参照しました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月16日公開、通算657回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

終着駅が終着駅に着くとき

今週の書物/
『終列車』
森村誠一著、祥伝社文庫、2018年刊

新宿駅

一つの時代が終わった、という常套句を思わず使いたくなる。この暮れ、2時間ドラマの人気シリーズが二つ消えることになった。テレビ朝日系列で長く続いてきた「終着駅シリーズ」と「西村京太郎トラベルミステリー」。月内に最終作品が放映される。

「終着駅」「トラベルミステリー」と聞いただけではピンとこない人が多いだろう。ただ、主人公が前者は牛尾刑事(愛称モーさん)、後者は十津川警部と聞けば、ああ、あのドラマかと思い当たる人もいるに違いない。シリーズが始まったのは前者が1990年、後者が1979年。長く「土曜ワイド劇場」の看板メニューだった。いま土ワイはなく、後継の2時間ドラマ枠も消滅した。最近はスペシャル番組としてオンエアされてきた。

寂しい話だ。だが、これも必然の定めだろう。両シリーズの俳優陣を思い浮かべれば、それはわかる。モーさんであれ、十津川警部であれ、演じる役者は警察官の定年年齢をとうに超えている。芸能人が若見えするのは確かだが、無理が出てきたのは否めない。

いつまでも続くと思うな、人生と2時間ミステリー(2H)。高齢の2Hフリークとして、この現実は潔く受け入れなければなるまい。で、当欄は今月、両シリーズを振り返る。今週は「終着駅シリーズ」。書物としてシリーズ第1作(1990年放映)の原作となった長編小説『終列車』(森村誠一著、祥伝社文庫)を用意しているが、そこに入る前にテレビの「終着駅シリーズ」について語ろう。今回はあくまで、小説よりもドラマが主題だからだ。

このシリーズには、印象的な場面が二つある。一つは、モーさんの家庭生活だ。住まいは踏切のそばにあって、電車が通るたびに警報音が鳴り、警告灯が点滅する。その光が照らしだすのが警視庁職員住宅の銘板だ。モーさんが帰宅すると、妻澄枝の手料理で夕食となる。間取りは2DKほどだが、リビングもなければ、ダイニングキッチンもない。そこにあるのは、夫があぐらをかいてなごむ茶の間と、妻が背中を見せて調理する台所だ。

モーさんの役は最初の4回だけ露口茂が演じ、1996年の第5作から片岡鶴太郎が引き継いだ。翌年の第7作で岡江久美子演じる澄枝が登場、職員住宅の場面が定番となった。私的感想を率直に言えば、片岡の演技には過剰感があってついていけないことがあるが、それを中和してくれるのが岡江だった。彼女は2020年の第36作まで出演、その年、コロナ禍で帰らぬ人となった。2021年の第37作では、過去の映像が織り込まれた。

もう一つ印象に残るのは、新宿西警察署の捜査会議だ。出演者はシリーズ途中で入れ代わったが、私が好きなのは、秋野太作が刑事課長、徳井優が山路刑事(愛称ヤマさん)という配役だ。モーさんはこのシリーズで、考えに考え抜いた独創的な謎解きをする。その推理に対して、ヤマさんはたいてい批判的だ。二人は仲が悪いのか? どうも、そうではないらしい。課長もこの議論を静観している。どこか、戦後民主主義の風通しよさがあるのだ。

さらにこのシリーズを特徴づけるのが、ドラマの舞台である新宿の土地柄だ。1960~70年代は、若者の街だった。ぶらぶら歩いて名画座やジャズ喫茶で時間をつぶす……数百円あれば半日楽しめたものだ。アングラ演劇、反戦フォークなど対抗文化の発信源でもあった。ところが1980年代、その存在感が薄れていく。代わって目立つようになったのが、副都心区域に建ち並ぶ高層ビル群。コンクリート製の街がもたらす疎外感が強まった。

シリーズ開始の1990年は、バブル経済の絶頂期だ。東京は空騒ぎのさなかにあった。あのころ街に出て深夜まで飲むと、タクシーの空車を見つけるのが至難だった。新宿も1960~70年代の反体制機運は弱まり、銀座、六本木、湾岸地域などと並んでバブリーな街になっていた。ただ新宿には、ほかの街にない特色があった。バブル経済の陰も見えたことだ。新宿駅東方の歓楽街と西口のビル街との対比が、陰翳を際立たせていたようにも思う。

新宿駅はターミナル駅であり、人流の交差点だ。JR線の駅に小田急線や京王線の駅が隣接している。真下には地下鉄丸ノ内線の駅があり、西武新宿線の新宿駅も近い。JR線に乗る利用客だけでも1日平均75万人に達する(2000年の統計、JR東日本の公式サイトによる)。駅全体で見れば、毎日百万人単位の人々が通り過ぎているということだ。総数が大きい分、厄介ごとを抱えた人も多いに違いない。そこに事件のタネがある。

シリーズ名「終着駅」には、違和感もある。東京で終着駅らしい終着駅と言えば、上野駅の13~17番線ホームだ。正面から見渡すと、各線で列車が車止めの手前で停まっている様子を一望できる。最終到着点であることが一目瞭然だ。だが、JR新宿駅にこの光景はない。私鉄線の新宿駅では上野駅13~17番線の眺めを疑似体験できるが、それを「終着駅」とは呼ばない。日々乗り降りする「電車」の行き止まりは「終点」なのだ。

とはいえ、新宿にも終着駅の一面はある。中央本線は東京駅を起点とするが、新宿始発の長距離列車も多いからだ。その裏返しで、新宿止まりの上り列車もたくさんある。新宿駅は甲信地方から見れば東京の玄関であり、間違いなく終着駅でもあるのだ。

では、いよいよ『終列車』(森村誠一著、祥伝社文庫、2018年刊)に入る。この小説は1988年、光文社から刊行された。祥伝社の文庫版に先だって、光文社文庫、角川文庫にも収められている。発表年からわかるように1980年代、バブル最盛期の空気が漂う作品だ。

冒頭では、一見無関係と思われる場面がいくつか断章風に描かれる。ヘアサロンでの男性客と男性ヘアデザイナーの会話、幼女が犠牲となるひき逃げ事故、それとは別の追突炎上事故、暴力団幹部から鉄砲玉となるよう命じられる若手組員――作品はこれらの断片をつなぎ合わせ、ジグソーパズルのように一つの絵を浮かびあがらせていく。その完成形を見せては身もふたもないので、それは控える。ここでは絵の一部を切りだしてみる。

切りだそうと思うのは、二組の男女だ。二組には長距離列車の車中でめぐりあったという共通点がある。5月19日、新宿23時20分発急行アルプスの乗客だった。この列車は松本で中央本線から大糸線に入り、南小谷(みなみおたり)まで行く。首都圏の登山好きを中部地方の山岳地帯へ運ぶ夜行列車だった。どちらも、男女はアルプス車内でたまたま席を隣り合わせる。それが縁で信州でも行動をともにする。だが、二組は対照的だった。

グリーン車の二人はこんなふうだ――。男は40代後半、有名企業の課長で妻子もあるが、社内では窓際扱いされている。そんなこともあって六本木のバーに入り浸り、店のママと関係をもつ。ママは20代。いっしょに信州へ温泉旅行することになり、列車の指定席券も用意したが、彼女は待ち合わせ場所に来ない。男は車内で待つが、ついに現れなかった。このとき、空席を探しまわる別の女が現れた。男はその女に声をかけ、隣席の切符を譲る。

その女も謎めいている。まだ若いが「表情に陰翳(いんえい)があり、全身に懶(ものう)げな頼りなさがある」。男が探りを入れると、「行き当たりばったりの列車」にとび乗り「気が向いた所」に降り立つような旅がしたかった、と女は答える。だが実は、別の男がかかわる訳ありの旅ではないか、と男は疑う。それでも男と女は二人して茅野で降り、蓼科高原の宿へ向かう。どちらも、本来の相手ではない相手に連れ添って……。

この男女は、愛人との蜜月を行きずりの恋で代替したことになる。背景にあるのは、1980年代末の世相か。世にはびこるあぶく銭が軽佻浮薄な行動を誘発したようにも思える。

では、もう一組はどうか。こちらは、鉄砲玉になりそこなった組員の男と、交通事故で夫と子を失った女という組み合わせ。自由席で隣り合うことになった。男の旅にも女の旅にも、逃避行の気配が漂う。この二人も同じ駅で列車を降り、同じ宿の同じ部屋に泊まることになるのだが、一線を越えない。自身の心が苛まれているから相手の心を気遣う。そんな関係だ。きれいごとに過ぎる気もするが、それがこの作品では清涼剤になっている。

森村誠一は二組の男女の対比でバブル社会を風刺したのか。この小説がドラマ化されてまもなく、日本経済のバブルははじけた。作品は近未来を予感していたようにも思える。

*ドラマのデータは、私自身の記憶とテレビ朝日、東映の公式サイトの情報をもとにしましたが、不確かな点はウィキペディア(項目は「終着駅シリーズ」=最終更新2022年11月26日=など)を参照しました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月9日公開、通算656回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
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