量子のアルプス、「波」の登山路

今週の書物/
『量子力学の誕生』(ニールス・ボーア論文集2
ニールス・ボーア著、山本義隆編訳、岩波文庫、2000年刊

波打つ紐

1995年の春から夏にかけて、私が駐在先のロンドンを拠点に欧州各地で「量子」の取材に駆けまわっていたとき、めぐり合せの妙を感じるような出来事がいくつかあった。取材相手から「あの人にも取材してみたら」と助言を受ける。それでさっそく、その人に連絡して面会の約束をとりつける。このような数珠つなぎで取材範囲を広げていったのだから、そもそも偶然に左右される。めぐり合せの妙があっても不思議はない。

なかでも、もっとも心に残ったのは、シュレーディンガーとの「出会い」だ。オーストリアの物理学者エルウィン・シュレーディンガー(1887~1961)は1920年代半ばに量子力学を築いた人。もう一人の建設者、ドイツのウェルナー・ハイゼンベルク(当欄先週9月10日付「量子力学の正体にもう一歩迫る」)とは別の手法で量子世界を表現した。その人は今、チロリアン・アルプスの山あいの小村アルプバッハで永眠している。

だから、「出会い」とは、その墓に参ったことを意味する。オーストリアのインスブルック大学で量子物理学者アントン・ツァイリンガー教授に取材したとき、教授から勧められたのだ。「せっかくここまで来たのだから、アルプバッハまで足を延ばしたらいい。あそこにはシュレーディンガーの墓があるよ」――それでインスブルックから列車に小一時間揺られ、最寄り駅からタクシーに乗って、その村にたどり着いたのである。

アルプバッハは、シュレーディンガー晩年の避暑地だ。私はそこで、彼の娘ルート・ブラウニツァーさんに会った。そのときの様子は拙著『量子論の宿題は解けるか』(講談社ブルーバックス、1997年刊)に書きとめている。ここではそれには触れず、話を墓に絞ろう。

私はルートさんに会う前、教会裏の墓地を訪ねたが、このとき、シュレーディンガーの墓所に墓標がなかったのである。これは驚きであり、落胆でもあった。ツァイリンガー教授からは、墓標にψ(プサイ)の文字があると聞いていた。ψは、シュレーディンガー流の量子力学には欠かせない波動関数の記号だ。量子力学の象徴である。それを写真に収めようと思ったのに、そこにない。いろいろ聞きまわると、墓標は塗り替え中とわかった。

あの日のことを思いだして、量子力学は逃げ水のようだな、とつくづく思う。それを私は青年期に学生として捕らえそこね、中年になって科学記者として捕まえようとしていたわけだが、やはり正体を突きとめられなかった。量子力学をめぐる動きを概観することはできたが、量子力学そのものは依然、難解の極みだったのだ。シュレーディンガーの墓標がたまたま不在だったというめぐり合せは、そんな挫折感と響きあっている。

で、今週も引きつづき『量子力学の誕生』(ニールス・ボーア著、山本義隆編訳、岩波文庫「ニールス・ボーア論文集2」、2000年刊)。前回は著者がハイゼンベルク流の量子力学をどう素描したかに焦点を当てたが、今回はシュレーディンガー流に目を向けよう。

物理に馴染みの薄い方に申しあげておきたいのは、シュレーディンガー流はハイゼンベルク流よりも私たち学生にとっつきやすかったことだ。ハイゼンベルクの行列はほとんど数式の世界だが、シュレーディンガーの波動方程式には波のイメージが伴う。たとえば、電子の状態も波としてとらえられるのだ。方程式は、その波が時の流れとともに変わる様子を表しているのだから、古典物理の運動方程式にとって代わるものとして受容できる。

量子力学の理解を山登りに見立てるならば、シュレーディンガーが切りひらいた登山路のほうが、ハイゼンベルクのそれよりも初心者向きに思われたのである。

このことは本書で著者も語っている。「原子論と自然記述の諸原理」(1929年)では、ハイゼンベルク流が「私たちに多大な抽象能力を要求する」ことを認め、「私たちの直観性の要求にもよりよく応えている〔ハイゼンベルクのものとは異なる〕新しい行き方の発見」に「計り知れない重要な意味」がある、としている(〔 〕内は訳者による)。「新しい行き方」を見いだしたとされるのが、ルイ・ド・ブロイ(フランス)とシュレーディンガーだ。

1924年、ド・ブロイは電子のような粒子にも「波」の顔があることを量子論の見地から理論づけた(当欄2021年6月4日付「量子力学のリョ、実存に出会う」)。これを「物質波」という。著者によれば、シュレーディンガーは、その理論をさらに先へ進めた。物質波の概念が「定常状態を理解するうえできわめて有効である」と示したのである。ここで「定常状態」とは、原子核の周りの電子がとる運動状態などを指している。

そんな電子の定常状態は複数あって、一つの状態から別の状態へ特定のエネルギーをやりとりしてぴょんと乗り移る(当欄2021年5月28日付「量子の世界に一歩踏み込む」)。これらの定常状態には、エネルギーの小さいほうから「量子数」という番号が振られている。著者は、電子を物質波とみる考え方に立てば「定常状態の量子数は、その状態を記号的に表現している定常波の節(ふし)の数として解釈されます」と説明するのだ。

それで思いだしたのが、学生時代に教師が黒板に描いた模式図だ。波打つ紐のような線が原子核をぐるりと囲んでいた。その波は進んでいるように見えない。定常波、あるいは定在波と呼ばれるゆえんだ。さて、その定常波には、ところどころに振動しない点、即ち「節」がいくつかある。一つめの節を起点として輪をひと回りすると、必ず、その節に戻ってくる。これが定常波の条件である。1周当たりの「節」の数は整数しかありえない。

定常波の節の数が1、2、3……とふえていくというのは、定常状態のエネルギーがとびとびの値をとるという著者の量子論に通じている。原子核の周りに縄跳びの紐を張りめぐらせて、それをぶるぶる震わせるというイメージは、日常の感覚でも思い描くことができる。電子とは、そんな振動のようなものだと思ってしまえば、量子力学の世界像はひとまず完結する。シュレーディンガーの功績は大きかったと言ってよい。

物質波が優れものであることを、著者は「化学と原子構造の量子論」(1930年)という一編でも強調している。ド・ブロイの理論によれば、物質波の振動数と波長は物質粒子のエネルギーと運動量にそれぞれ対応している。振動数は粒子のエネルギーからはじき出せるし、波長は粒子の運動量から算出できるのだ。物質波は、物質粒子の運動状態を反映していると言ってよい。しかも驚くべきことに、その波の存在は実験でも支持されたのである。

この一編で例示されている実験は電子線回折だ。電磁波の一種であるX線には物質に照射したときに回折するという現象があり、それによって物質の結晶構造を調べることができる。同様に「電子線の回折は、有機物質の分子構造の研究にさえたいへんに役だつことが最近になって判明しました」と著者は言う。1928年のことである。電子も、間違いなく波の側面を併せもっているのだ。物質波はまったくの仮想の産物ではない。

ただ、著者は釘を刺すことも忘れない。物質波という概念の効能を認めて「電子の振る舞いを説明するにあたって波動像がなみはずれて有効」としつつ、その波動像に「物質媒質中での通常の波動の伝播」や「電磁波における非物質的エネルギー移動」が見てとれないことを書き添えている。音波や電波とは似て非なるものなのだ。では、私たちは物質波をどのような存在として受けとめたらよいのか? ただただ、途方にくれてしまう。

その答えらしきものも、この一編にはある。著者は、「電子の波動的性質」の表れである「物質波」を、「光の粒子的性質」の表れといえる「光子」とひとくくりにして、こう言う。「古典物理学の表象をもちいてはそれ以上分析することのできない要素的過程の出現を支配している確率法則の定式化に役だつ記号なのです」。量子世界を確率論的に語るための道具なのか。だが、電子線回折には実在感が見てとれる。ただの「記号」とは思えない。

物質波を取り込んだ波動力学は、たしかに古典物理学の枠組みに収まり切らない。著者は本書の「ラザフォード記念講演――核科学の創始者の追憶とその業績にもとづくいくつかの発展の回想」(1958年)で2点に注意を促している。一つは、物理系の状態を表す波動関数に虚数を使わざるを得ないこと、もう一つは、物理系が複数の粒子を含むときは波動関数が実空間ではなく、系全体の自由度と同じ次元数の「配位空間」に置かれることだ。

虚数、「配位空間」……。シュレーディンガー流がとっつきやすそうに見えてとらえどころがない理由は、そこにもある。あの日、アルプスの村で彼の墓標が私の前から姿を消したのも、量子力学はそんなに甘くないぞ、という戒めのように思われてきた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年9月17日公開、通算592回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

量子力学の正体にもう一歩迫る

今週の書物/
『量子力学の誕生』(ニールス・ボーア論文集2
ニールス・ボーア著、山本義隆編訳、岩波文庫、2000年刊

跳び跳び

私は数カ月前、量子の話題を継続的にとりあげていくと宣言した(2021年5月28日付「量子の世界に一歩踏み込む」)。量子コンピューターなど量子情報科学の技術が現実のものになりつつある今、それとつかず離れずの関係にある今日の量子力学的世界観に迫る、というのが最終目標だ。私は科学記者として1990年代半ば、この問題を集中的に取材したから、そのときに仕入れた知識を更新したいという切実な思いもある。

ただ、その前にしておきたい準備があった。これまでも書いてきたように、私は学生時代、量子につまずいている。「量子力学」の授業を一応は受けたが、板書される数式を追いかけていただけだった。だから後年、科学記者として量子力学の新しい解釈を知ることになっても、それと対比される旧来の解釈はぼやけていた。これでは新しい解釈を正しく位置づけられない。だから今からでも、旧来の解釈を輪郭づけたいと考えたのだ。

それで、まずはとっつきやすいものからと思い、日本人物理学者が日本語で書いた『NIELS BOHR』(仁科芳雄著、青空文庫)という短い書物を読んだのだ。その評伝が描くデンマークの物理学者ニールス・ボーア(1885~1962)は、原子の構造を考えるときにエネルギーはとびとびの値をとるという量子仮説をもち込み、量子力学の建設へ道を開いた人だ(前述の当欄「量子の世界に…」と2021年6月4日付「量子力学のリョ、実存に出会う」)。

だが、この書物の選択は半分成功で半分失敗だった。私がおぼろげながら覚えていた教科書的な知識を復習することはできた。だが、一方で隔靴掻痒の感があったことも否めない。それは「量子力学のリョ…」にも書いた通りだ。たぶんボーアの考え方を、また聞きしただけだからだろう。仁科は、欧州でボーアに師事した人なので、師の真意を誤解していることはあるまい。だが、学説には本人の言葉でしか伝わらない含蓄もある。

で、今週は『量子力学の誕生』(ニールス・ボーア著、山本義隆編訳、岩波文庫「ニールス・ボーア論文集2」、2000年刊)。著者ボーアの論考や講演録が合わせて18編収められている。執筆や講演の日付で言えば、量子力学が提案された1925年から最晩年の1961年まで、36年間に及ぶ。量子力学が数式なしの言葉で述べられている文献が大半で、物理学者同士の交遊を素描したくだりは科学史の一級史料としても読める。

とはいえ、本書は、数式がほとんどなくても難解だ。前提の知識がないと文意を汲みとれない箇所がいっぱいある。たとえば、原子が放出したり吸収したりする光のスペクトルにどんな規則があるか、などがわかっていないと先へ進めなくなる。すんなり通読できないのだ。ということで私は今回、〈探し読み〉を試みた。まず標的を定め、ページをぱらぱらとめくって、それらしいくだりを見つけたらそこを集中的に読む、という方式だ。

最初の標的は、ドイツのウェルナー・ハイゼンベルクが1925年に発表した行列力学版の量子力学である。その要点は、本書冒頭に収められた「原子論と力学」(1925年)という講演録の後日に加筆されたらしい箇所で説明されている。ハイゼンベルクの立場では「従来の力学と異なり、原子的粒子の運動の時間的・空間的記述を扱わない」。計算はすべて「観測可能な量だけ」で書かれるという。では、観測可能(オブザーバブル)な量とは何か。

それでふと思いだしたのが、『この世界を知るための人類と科学の400万年史』(レナード・ムロディナウ著、水谷淳訳、河出文庫、2020年刊)だ。この本も、ハイゼンベルクの理論をとりあげていた。(当欄2020年11月27日付「偶然のどこが凄いかがわかる本」)

ムロディナウの解説によると、行列力学は「位置や速さ、経路や軌道という古典的な概念」を「原子のレベルでは観測不可能」とみる。では、何が観測可能か。原子がエネルギーを失うときに出る「光の色(振動数)」や「強さ(振幅)」などがそれに当たるという。

ボーア本に戻ろう。ハイゼンベルクが物理現象を表すのにもち込んだのは、一群の数値を縦横に並べた行列(マトリクス)だ。「ラザフォード記念講演――核科学の創始者の追憶とその業績にもとづくいくつかの発展の回想」(1958年)という一編によれば、その行列の数値(要素)は「定常状態間のすべての可能な遷移過程に関係づけられている」。それによって「状態のエネルギーと関連した遷移過程の確率」がわかるというのだ。

「定常状態」の間の「遷移」とは、原子で言えば、原子核の周りにある電子の状態がぴょんぴょん変わることを指している。著者も述べているように、それは「状態のエネルギー」にかかわる。原子は光を吸ったり吐いたりすることでエネルギーをやりとりしているから、私たちは、光の観測でエネルギーの出入りをみて状態の変化を知るわけだ。このときに電子そのものは観測不可能なので、「時間的・空間的記述」即ち軌道の描像はなじまない。

息抜きの余談だが、「量子力学の誕生」(1961年)では興味深い逸話が紹介されている。ハイゼンベルクがあるとき、「僕は、じつは行列が何であるのかさえ知らない」という言葉を漏らしたというのだ。文脈からみると、数学者が行列について語るのを聞いても、ついていけないというくらいの意味らしい。「知らない」の次元が違うのだ。ただ、行列は思考の一つの道具に過ぎないという突き放し感があって、物理学者らしいな、という気もする。

さて次の標的は、ハイゼンベルクの不確定性原理だ。粒子の位置を精確に測ろうとすると運動量がばらつき、運動量を絞り込めば位置がぼやけるという量子力学の掟である。著者は本書で、位置と運動量の対よりも「時間・空間概念」と「動力学的保存則」の対に目を向け、その両立しがたい関係が不確定性原理に対応すると言っている。「化学と原子構造の量子論」(1930年)や「ゼーマン効果と原子構造の理論」(1935年)から要点を掬いとろう。

著者は「すべての測定には対象と測定装置のあいだに有限の相互作用がまつわりつく」と指摘する。たとえば、原子核の周りにある電子の「時間・空間座標を確定しよう」とすると、電子と装置との間でなされる「エネルギーと運動量の受け渡し」が避けられない。その「受け渡し」は「制御不可能」なので、電子の「動力学的振る舞い」が測定の前後でどうなるかが曖昧になる。エネルギーや運動量などの動力学的保存則がぐらつくというのだ。

逆もまた真なり。ここで著者は「定常状態」の話をもちだす。さきほど行列力学のくだりでも述べた通り、原子核の周りの電子は定常状態のどれか一つにあり、別の状態には一定のエネルギーを吸ったり吐いたりして跳び移る、とみることができる。この見方をすれば、動力学的保存則は守られるが、電子がある時刻、どの位置にいるかがわかる軌道は思い描けない。「時間的・空間的描像」はあきらめなくてはならないということだ。

著者は「時間的・空間的な座標付けと動力学的保存則は、従来の因果性の二つの相補的側面」(太字箇所は本文でも)と結論づける。因果律について言えば、座標付けも保存則も「その固有の有効性を失うことはないけれども相互にある程度排除しあう」というのだ。「因果性という古典論の理想を相補性というより広い観点で置き換えなければならなくなる」ともある。因果律は、量子世界では見方によって別の側面から際立ってくるということか。

私には今回、宿題が一つあった。仁科本を当欄「量子力学のリョ…」で読んだとき、ボーアは量子世界でもエネルギーや運動量の保存則が成り立つとみている、と私は理解した。もしそうなら、運動量のばらつきを織り込んだ不確定性原理に矛盾する。そんなふうに思って困惑したのだ。たぶん、それは私の読み方が浅かったからだろう。本書によって、ボーアも保存則がぼやけることがあると考えていたとわかり、やっと腑に落ちた。

標的は、もう一つある。ただ、頭がだいぶ疲れた。回を改めることにしよう。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年9月10日公開、同月14日最終更新、通算591回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

イルカ知を「動物の権利」で考える

今週の書物/
『イルカの島』
アーサー・C・クラーク著、小野田和子訳、創元SF文庫、1994年刊

動物福祉“animal welfare”

私のように1950~60年代、東京西郊に育った世代にとって、海と言えば江の島だった。正しく言い直せば、江の島の対岸にある藤沢市の片瀬海岸だ。当時の小田急電車は相模大野から江ノ島線に入ると、林地や田畑の只中を突っ切った。やがて、終点の片瀬江ノ島駅に着く。駅舎は、竜宮城を模した造り。子どもにとっては、これだけで遠足気分になったものだ。そこからちょっと歩けば砂浜に出る。眼前には白波の押し寄せる海が広がっていた。

小学校にあがる前だったか、あるいは、あがってまもなくだったか、真夏の一日、祖父母に連れられて、この海岸に来た。祖父母は当時の感覚からすればもう年寄りの域に達していたから、浜辺で水着になることはなかった。足を向けたのは、海沿いにある「江の島水族館」(現・新江ノ島水族館)。お目当ては、館の付属施設「江の島マリンランド」である。プールで水しぶきをあげて繰り広げられるイルカショーが人気の的だった。

今、新江ノ島水族館(「えのすい」)の公式ウェブサイトを開くと、沿革欄にその記述がある。マリンランドは1957年5月に開業。飼育は、カマイルカ3頭から始まった。「日本で初めてイルカの持つ能力をショーという形にアレンジして紹介することに成功」とある。

喝采があった。イルカたちが水面から跳びあがる。次から次へ弧を描いて空を切り、再び水中に消える。それが人間による調教の結果であり、イルカは芸をさせられているのだとしても、私たちはその芸達者ぶりに見とれたのだ。だが今、私たちは同じものを目のあたりにしても、あれほど素直に胸躍らせることはないだろう。現に私は近年も「えのすい」を訪れ、ショーを観ているが、心の片隅には一抹のわだかまりがあった。

それは、「動物の権利」(“animal rights”)が脳裏にちらついたからだ。この言葉を私は1990年代、欧州に駐在していたとき、しばしば目や耳にした。動物の権利保護は旧来の動物愛護とは別次元にある。家畜や実験動物の待遇、動物園のあり方などについて動物側の視点から問い直そうとする。私は、その主張がときに矛盾をはらむことに違和感を抱きつつ、人間がこれまであまりにも自己中心的だったことに気づかされたのである。

この機運の例を挙げよう。世界動物園水族館協会(WAZA)は2015年、イルカを入り江に追い込む捕獲法(追い込み漁)が「倫理・動物福祉規程」(画像)に反するとして、この方法で捕まえたイルカが日本で飼育されていることに警告を発した。これを受けて、日本動物園水族館協会(JAZA)は追い込み漁で獲ったイルカを買い入れることを加盟施設に禁じた。今ではイルカショーのあり方も、動物の権利や福祉の観点から見直されている。

で、今週は『イルカの島』(アーサー・C・クラーク著、小野田和子訳、創元SF文庫、1994年刊)。原著は1963年に出た。著者(1917~2008)は、『2001年宇宙の旅』で知られるSF作家。英国生まれだが、後半生はスリランカ(旧名セイロン)で暮らした。宇宙開発やITに象徴される第2次大戦後の科学技術を前のめりにとらえた人だった。ただ、その前のめりは衛星通信時代の到来を予言していたように、ときに的を射ていた。

本書も書き出しは、表題『イルカ…』に似合わず、近未来SF風だ。21世紀、深夜の北米内陸部。「谷間沿いの古い高速道路を、空気のクッションにのって、そのホヴァーシップは疾走していた」。それは、水陸両用の高速交通手段だ。轟音を発しながら近づいてきたが、その音が急に止まる。「いったいなにがおこったのだろう?」。主人公のジョニー・クリントンはベッドから抜けだして、その高速浮揚船「サンタアナ号」を見にゆく。

ジョニーは、幼いころに両親を航空機事故で失っていた。叔母の家庭で育てられたが、疎外感を拭いきれなかった。そこに突然、世界中を駆けまわる乗りものが現れたのだ。「チャンスが手まねきしているのなら、それについていくまでだ」。こっそり、黙って乗り込む。サンタアナ号はまもなく動きだした。積み荷の表示からみると、行き先はオーストラリアらしい。太平洋に出て大海原を突っ走る……。そして予想外の沈没事故が起こる。

ここからが、作品の本題だ。ジョニーが海面の浮遊物をいかだにして漂流していると、イルカの群れが近づいてきて、いかだを押してくれるではないか。連れてこられたのは、オーストラリア北東沖に広がるサンゴ礁地帯グレート・バリア・リーフの小島。島民は、そこを「イルカ島」と呼んでいた。イルカとの意思疎通を試みる研究所があるのだ。ジョニーは島に居ついて、研究所の創設者カザン教授やキース博士、そしてイルカたちと交流する。

研究室には、電子機器がぎっしり置かれている。教授と博士はスピーカーから聞こえてくる音に夢中だ。どうやら、イルカの鳴き声らしい。細部まで聴きとろうと、録音テープの回転数を落として再生している。イルカの発声に発信の形跡を見てとるつもりなのだろう。

ジョニーは、教授がイルカ語をしゃべるのも聞いた。それは、「器用にくるくると調子の変わる口笛」だった。教授によれば「イルカ語を流暢にしゃべることは、人間にはまずむり」。だが、自分は「ふだんよく使ういいまわしだったら十くらいは、なんとかしゃべれる」と言う。イルカ界には仲間内で通じるイルカ語があり、それは人間でも片言ならば習得できる――教授には、そしてたぶん著者自身にも、そんな確信があるらしい。

私が興味を覚えるのは、この作品は筋書きが牧歌的なのに、小道具が妙にテクノっぽいことだ。執筆時点の1960年代は、「半導体素子を使った精密な電子部品」が出回り、エレクトロニクスの開花期にあったからだろう。教授がジョニーに「きみにやってもらいたい仕事がある」と言って差し出すのも、キーが並ぶ「電卓のような装置」。腕時計式に腕に巻いて使う。家電のリモコン、あるいはウェアラブル端末の原型がここにはある。

キーの表示は「止まれ」「いけ」「危険!」「助けて!」……。キーを押せば「キーに書いてある言葉が、イルカ語できこえる」と教授。ジョニーに水中でこの装置を使ってもらい、イルカがどんな反応を見せるかを探ろうというのだ。イルカたちは、たいていのキーに的確に対応したが、「危険!」を押しても動かなかった。この実験が、人間の企てた「ゲーム」と察知したらしい。「彼らのほうが頭の回転が早いことはたしかだ」と教授は驚嘆する。

教授には、いくつかの構想があった。その一つが「海の歴史」をイルカに聞くことだ。人類の文明史は、古代や中世の詩人の記憶を通じて「何世代にもわたって継承」されてきた。だがそれは、有史時代の出来事に限られる。イルカにも「すばらしい記憶力」があるので、詩人の役目を果たす語り部がいるはずだ。実際に教授は、そんな語り部が語ったという伝説の一部を知り合いのイルカから聞いていた。それは人類が及ばない時間幅の物語だった。

伝説のなかには「太陽が空からおりてきた」という文言があった。大爆発があり、海水は熱湯と化して周辺のイルカは息絶え、逃げ延びたイルカもしばらくして死んだという。ここで、博士は驚くべき解釈をする。「数千年前に、どこかに宇宙船が着水した」「核エンジンが爆発し、海が放射能で汚染された」。教授もこの見方を支持して、知的生命体の飛来があったという仮説を立てる。それで、イルカからもっと話を聞きだそうとするのだ。

この作品は、エレクトロニクスがたかだか電卓級の技術水準でしかなかったころ、その先に広がる情報技術(IT)の時代を見通している。描かれるのは、通信のネットワークに海洋哺乳類を引き入れようとする人々だ。人類の記憶を有史、地上の制約から解き放って、有史以前や海洋に拡張しようという発想は良い。人とイルカの交流も微笑ましい。だが、そこに見られるイルカへの友愛と期待は、動物愛護という地点にとどまっているように思える。

気になるのは、シャチに対する実験だ。シャチはクジラ目マイルカ科の海洋哺乳類だが、広義の仲間と言ってもよいイルカですら捕食してしまう。そこで教授は、生理学者のチームにシャチの「教育」を委ねる。脳内に電極を装着して脳の働きを調べたり、電流をアメとムチのように使って行動を制御したりする、というものだ。こうしてシャチは、イルカを襲わなくなった。イルカにとっては都合よいが、シャチの権利は完全に無視されている。

ジョニーは、生理学者がシャチの脳を電気仕掛けで操作する様子を見て、「自分もこんなふうに他人にコントロールされる可能性があるんだろうか?」と自問する。悪用されれば「核エネルギー」と同様、「危険な道具」になる――。この点では、著者も科学技術に対して前のめりではない。ただシャチの実験には、もう一つ別の問題があることを忘れてはならない。それは動物の権利を、エコロジーに適うかたちでどう重んじるか、という難問だ。

人間が異種の動物に知性を見いだすことは、動物の権利尊重につながる。人知が相対化され、知性の多様さに気づく契機にもなる。だが、知的で友好的だからと言って、その種ばかりに肩入れすれば生態系の平衡が失われる。可愛い異種だけを可愛がってはいけない。
*引用箇所にあるルビは原則として省いた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年8月27日公開、同日更新、通算589回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

量子力学のリョ、実存に出会う

今週の書物/
『NIELS BOHR
仁科芳雄著、青空文庫(底本は『岩波講座物理學Ⅰ.B. 學者傳記』、岩波書店、1940年刊)

デルタエックス(文末に注)

量子ほど、科学者は馴染んでいるのに世間に通用しない言葉はない。そんなこともあるからだろう、量子をめぐってはさまざまな誤解がある。量子論=量子力学と受けとめる向きがあるが、これは正しくない。あえて不等号を用いれば量子論>量子力学となる。

量子論の元年は、ドイツの物理学者マックス・プランクが量子仮説を提案した1900年と言えよう。それは先週の当欄でも触れたように、物体が電磁波を放ったり吸い込んだりするとき、やりとりされるエネルギーがとびとびの値をとる、という仮説だった。エネルギーには、1個、2個……と数えられる塊があるというわけだ。物理学者たちは、このような塊を「量子」と呼ぶようになった。(2021年5月28日付「量子の世界に一歩踏み込む」)

量子の概念を取り込んで生まれた物理学の体系が量子力学だ。1920年代半ばに確立された。建設者としてはウェルナー・ハイゼンベルクとエルウィン・シュレーディンガーの名がまず挙がるが、欧州の物理学者群像が知を持ち寄って築いたという色彩が強い。

量子仮説の登場から量子力学の誕生までに四半世紀が過ぎている。この間に物理学者は、原子がどんなつくりになっているか、などの懸案を量子論に沿って説明しようとした。こうした試みを前期量子論という。ニールス・ボーアは前期量子論の中心人物と言ってよい。

先週とりあげた『NIELS BOHR』(仁科芳雄著、青空文庫=底本は『岩波講座物理學Ⅰ.B. 學者傳記』、岩波書店、1940年刊)は、ボーアの業績として、量子仮説を踏まえた原子模型や、量子論と古典論の折り合いをつける対応原理の提案を挙げている。当欄も前回は、この二点に的を絞った。それで幕を引こうとも思ったのだが、考えを変えた。この『傳記』がさらっと触れている量子力学のことも触れておこう。そう思い直したのだ。

この一編は、量子力学が産声をあげて間もないころに書かれた。それが誕生直後、どう受けとめられていたかを、欧州にゆかりのある物理学者が語っているのである。素通りする手はない。もう1回とりあげて、リョウシリキガクのリョくらいまでは掬いあげておこう。

読んでわかったのは、そこにある量子力学の記述が1970年代に出回っていた解説書に近いことだ。初期の解釈が数十年も健在だったということか。ところが1980年代以降、事態は大きく動く。先端技術のおかげで、量子力学のつかさどる世界が実験室で再現できるようになり、そこから新しい量子力学観が台頭したのだ。当欄は今後、この潮流を追いかけていくつもりだが、そのまえに1930年代風の見方を復習しておきたいと思う。

『傳記』本文に入ろう。著者は「量子力学の発見には、直接にボーアの手で行われた部分はない」とことわったうえで、ボーアの薫陶を受けた人々が見いだした量子力学にボーア自身がどうかかわったかを論じている。それによると、ハイゼンベルクの不確定性原理には格別の興味を抱いたらしい。自分にも似た発想があったようで、「ハイゼンベルクの思考実験中の行論を訂正し」「原理の因って来る所を明かにした」とある。

この原理によると、「正規共役」という関係にある一対の量――たとえば粒子の位置と運動量――では、「一方を測定する実験を行うと、量子論的実在にあっては其実験の為に無視し得ない影響を他方の量に与えることを避け得ない」。片方を「非常に正確に」突きとめようとすると、もう一方は「全く解らなくなって了う」。ボーアはこれを「相補性理論」と呼んで、アルバート・アインシュタインの相対性理論に対置させた、という。

量子力学の世界では、位置を見極めるか、運動量を測るか、で事態がガラッと変わる。著者の言葉によれば「観測の仕方によって現象が規定せられる」のである。これは「物は観方による」という日常の教訓に言い換えられることも書き添えられている。

このくだりには、こんな記述も見かける。「観測に於て、観測体と被観測体とが古典論の場合のように截然たる区別をつけられない」――これを読んだとき、実存主義のイメージが頭をよぎった。そういえば、サルトルは「物を物として捉える」には「主体が必要」と言い切っていた。20世紀前半、量子力学と実存主義という別分野の潮流に響きあうものがあったように私には思える。(当欄2021年2月5日付「サルトル的実存の科学観」)

『傳記』によれば、ボーアは量子力学がはらむ波動説と粒子説の相克も「相補性の考察」で「解決した」。光の正体は19世紀には波動と見られていたが、1905年にアインシュタインが光量子仮説を唱えたことで粒子としての側面が無視できなくなった。1920年代前半にはルイ・ド・ブロイが電子のような物質にも波動としての側面があることを理論づけた。光も物質も、波と粒の両面を併せもつことがわかったのだ。これをどう考えるか。

ボーアが、この難題と向きあうときにもちだしたのは、私たちが現象のどこに着眼するかという、視点の相補性だ。量子力学の世界では「時間空間」内の「伝播」や「運動」を議論するときは波動らしく見えるが、「エネルギー、運動量」を問題にする場合は粒子らしくなる、というのである。二つの側面は相容れないが「一方が問題となって居る時は他方は自然に姿を消して了う」。だから、両説ともそれなりに正しいことになる。

著者によれば、「時間空間」の問題で波動らしさが際立つことは、不確定性原理によって支持されている。この原理の通りなら、観測によってさまざまな状態が現れるわけだから、こうならばああなるという古典論の因果律は成り立たない。私たちには「確率が与えられるだけ」であり、因果律は「統計的結果」に反映されるだけだ。状態が統計的に散らばる様子は波として表現できる。だから、波動らしさが卓越する――なるほどそうか、と思う。

一方、「エネルギー、運動量」は量子力学でも「不滅則」に従うので古典論の因果律が成立する、と著者はみる。不滅則、即ち保存則が粒子らしさの源泉というのである。ビリヤードの球がエネルギーや運動量を保存するように転がる様子をイメージすると、なんとなくわかったような気分になるが、私は十分には納得できていない。不確定性原理は、粒子の位置を絞り込めば運動量がばらつく、と言う。このとき、運動量の保存則はどうなるのか。

この『傳記』で残念なのは、量子力学最大の謎が語られていないことだ。状態の重ね合わせである。ボーアの学派が広めたコペンハーゲン解釈によれば、量子力学の世界では複数の状態が重ね合わさることがあり、観測の瞬間にそれが一つに定まる。この解釈は、物理学徒の間では教科書の知識のように定着しているが、不自然な印象を拭えない。ボーア自身はどう考えていたのか。そのことを知るには、別の書物を探さなければなるまい。
〈注〉⊿は、ばらつきを表す記号デルタ。⊿xは位置xのばらつきを表している。
*引用では文字づかいを現代風に改め、原語で書かれた人名も片仮名表記にした。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年6月4日公開、同年7月1日最終更新、通算577回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

量子の世界に一歩踏み込む

今週の書物/
『NIELS BOHR
仁科芳雄著、青空文庫(底本は『岩波講座物理學Ⅰ.B. 學者傳記』、岩波書店、1940年刊)

エイチバー(文末に注)

当欄は今年の年頭、実存主義にこだわった。夏目漱石の日記に「実存」を見て、ジャン-ポール・サルトルの講演を本で読んだ。さらに去年とりあげたマルクス・ガブリエルの『新実存主義』(廣瀬覚訳、岩波新書)も読み直してみた。(2021年1月8日付「漱石の実存、30分の空白」、2021年1月29日付「実存の年頃にサルトルを再訪する」、2021年2月5日付「サルトル的実存の科学観」、2021年2月19日付「新実存をもういっぺん吟味する」)

こうしてみると、当欄のあり方として、ときに一つのテーマにこだわるのも悪くはない。昨春、新しい看板として「めぐりあう書物たち」を掲げたとき、第一には自分自身と本との出会いという意味を込めたが、内心には本同士のめぐりあいもあり、と思っていた。私がこだわりのテーマを追いかければ、そこに本同士のネットワークが生まれるかもしれない。ならば今年は、テーマをもう一つ選ぼう。それで思いついたのが量子力学である。

振り返れば量子力学は、私にとって抜くに抜けないトゲのようなものだった。学生時代に物理学を学んだが、理系職に就くことを断念したのは、量子力学につまずいたからだ。数式が何を言いたいかがわからない、わからない数式を用いて仕事はできない――。

不惑を過ぎて、私は量子力学に再会した。ロンドン駐在の科学記者だった1990年代、量子力学が再び物理学者の関心事になっている流れを知り、それを欧州各地で取材したのである。報告記事は、まず紙面に載せ(朝日新聞科学面連載「量子の時代」、1995年10~12月に10回)、さらに本にまとめた(『量子論の宿題は解けるか』講談社ブルーバックス、1997年刊)。このときに気づいたのは、量子力学は物理学者にとってもトゲだということだ。

量子力学は1920年代半ばに出来あがったが、その解釈はずっと宿題だった。何を言おうとしているかは、物理学者にもはっきりしなかったのである。ところが20世紀も押し詰まったころ、宿題の答えの手がかりが見えてきた。量子力学が露わになる世界が、極微や極低温などの先端技術によって実験室でも再現できるようになったからだ。その試みが量子コンピューターや量子暗号といった次世代技術の芽を秘めていることも研究を後押しした。

量子コンピューターや量子暗号が政治経済の記事にも登場するようになった昨今の状況に接して、一つ残念に思うのは、その技術と表裏の関係にある量子力学の解釈問題が置き去りにされていることだ。そんなことは技術革新と関係ない、と言われてしまえばそれまでだ。だが、量子力学をどう解釈するかは、私たちが世界をどうとらえるかに深く結びついている。私たちは、もしかしたら現有の世界観をそっくり取り換えなくてはならないのだ。

で、今週選んだ書物は、電子出版の『NIELS BOHR』(仁科芳雄著、青空文庫〈底本は『岩波講座物理學Ⅰ.B. 學者傳記』、岩波書店、1940年刊〉)。そもそも、量子力学の誕生にどんな動機があったのか、そこのところをしっかり押さえておこうと思ったのである。

この一編は、20世紀前半に日本の物理学界を牽引した著者(1890~1951)が、自身も渡欧時に師事したデンマークの物理学者ニールス・ボーア(1885~1962)の半生を簡略に綴ったものだ。ボーアの家庭環境や滞英遊学などにも触れているが、当欄は科学史の側面に的を絞る。マックス・プランクの量子仮説(1900年)を原点とする量子論の流れが、1920年代に量子力学として結実するまでのいきさつが見えてくるからである。

本題に入る前に、お許しをいただきたいことがある。この文章は全編、旧字体、旧仮名づかいで書かれている。デンマークを「丁抹」とするなど、旧式の地名表記もある。さらに著者は、ボーアをBohr、ケンブリッジをCambridgeとするなど原語表記も多用している。こうした文章は、昭和戦前の文化遺産として貴重なものだ。当欄はそのことを認めたうえで、本文の引用にあたって文字づかいや表記の仕方を現代風に改めることにする。

ボーアの業績で有名なのは、1913年に提案した原子模型だ。そこには「古典論では律し得ない二つの基礎仮定」があった。一つめは、原子内で電子の運動は「定常状態のみが許される」こと。「中間の状態」はない。二つめは、ある状態から別の状態へ移るとき、エネルギーのやりとりは電磁波の放射吸収によってなされ、その電磁波の振動数(ν)はエネルギーをプランク定数(ℎ)で割った値になること。なぜ、こんな仮定ができるのか?

それは、プランクの量子仮説を踏まえているからだ。この仮説では、エネルギーは塊のように一つ、二つと数えられる。ボーアは、それを原子の内部構造にもち込んだのである。(「本読み by chance」2019年12月6日付「ポアンカレ本で量子論の産声を聴く」)

この英断には前段がある。1910年代初め、ボーアは英国のマンチェスターでアーネスト・ラザフォードに会っている。その直前、ラザフォードは散乱現象の実験で、原子は原子核とその周りの電子からできていることを確かめていた。これによって、J・J・トムソンが主張していたブドウパン型の模型――「陽電気の雲塊の中に電子が浮かんで居るもの」――が否定され、長岡半太郎の土星型模型に近いものが有力な原子像になった。

ただ、この原子像にも難があった。分光学の研究で原子にはスペクトルがあること、すなわち、原子は元素の種類ごとに特定の振動数の電磁波しか放射吸収しないことがわかっていた。ところが、もし電子が古典論の物理に則って隕石の落下のように滑らかに軌道を落としていくのなら、とびとびの振動数をもつ電磁波の放射を説明できない。この矛盾を切り抜ける奇手が、原子が従うべき掟としての「二つの基礎仮定」だった。

ボーアの原子模型は、このように量子論を受け入れているが、一方で古典論にも踏みとどまっている。著者によると、原子の定常状態そのもののエネルギー値は、原子核や電子のような荷電粒子に適用されるクーロンの法則によって古典物理から算出しているというのだ。木に竹を接ぐような話ではある。興味深いのは、この値が今日の量子力学を用いた計算結果にもぴったり合うらしいことだ。著者は、それを「偶然の一致」と言っている。

木に竹を接ぐことになった事情を説明するくだりも、この一編にはある。著者によれば、私たちの「概念」は「巨視的事象」によってかたちづくられているので「描像能力の極限を超えて居る原子、分子等の微視的対象」には当てはめられない。古典論は「描像能力の限界内にある」ので、微視世界までは「定量的」に解き明かせないというのだ。この壁を突破するには、十余年後の「描像を超脱した量子力学」の登場を待たなくてはならない。

ただ、ボーアは二兎を追った。「定量」を可能にするために「二つの基礎仮定」を導入して量子論に一歩踏み込んだが、古典論に片足を残して「描像」も手放さなかった。著者は、その原子模型を「描像を用い得る」「一つの表現法」と位置づけている。

量子論と古典論の折り合いをつけることにも、ボーアは腐心した。これは、そんなに簡単なことではない。片方には、「単一の振動数を有する光量子」ばかりが放出される量子論の現象がある。そこに見られる振動数は不連続で、とびとびだ。もう一方には、「同時に多くの振動数をもった光を出す」ような古典論の現象がある。こちらは、光の振動数が切れ目なく連続している。この二つの物理学を仲良く併存させる道はあるのか。

ボーアは、こう考えた。量子論でも対象が大きくなって巨視の領域に近づけば、とびとびが連続に見えてくる。「極限」に達すれば古典論と「同じことになる」――逆を言えば、古典論は量子論の一部とみなせる。これが「対応原理」と呼ばれるものだ。

この一編を読んで印象深いのは、1910年代、量子力学前夜の量子論――これを前期量子論という――が「描像」にこだわったことだ。物理学の精神としては健全だったと言えるのではないか。今、量子力学の探究は実験技術の進展によって急展開を見せ、巨視と微視の境目が薄れている。もはや量子世界を「描像能力の極限を超えて居る」と突き放せなくなった。わけがわからないならわからないなりに、その世界をイメージしたい。切にそう思う。
〈注〉ℎはプランク定数。それを2πで割った数値がℏで「エイチバー」と読む。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年5月28日公開、同日更新、通算576回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。