虚子、客観写生の向こう側

今週の書物/
『虚子百句』
小西昭夫著、創風社出版、2010年刊

ものと蔭

秋めいてきた。その移ろいは蝉の鳴き方一つでわかる。自分が季節の兆しに敏感とはとても言えないが、それでも70年近く生きていると、なんとはなしに感じとれることがふえてくる。で、今週は、そんな季節感にもかかわる俳句本を開くことにしよう。

『虚子百句』(小西昭夫著、創風社出版、2010年刊)。虚子は、もちろん高浜虚子(1874~1959)のこと。明治・大正・昭和を生き抜いた俳壇主流の俳人である。愛媛県松山に生まれ、同郷の正岡子規に師事、夏目漱石とも交流があった。著者については、この本に横顔紹介が見当たらない。愛媛新聞のウェブサイトによると、松山市在住の人で、俳句誌『子規新報』の編集長を務めており、同紙俳句欄の選者でもあるという。

私がこの1冊を選んだのは、どうしてか。一つは、まったくの偶然だ。コロナ禍で書店に出向くのもためらわれ、拙宅の本のストックを漁っていたら、この本がひょっこり現れた。「虚子」の名に一瞬敬遠の思いがかすめたのだが、ぱらぱらめくるとdog-ear(犬の耳)、すなわち、ページの隅を折った箇所がある。「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」(上の句は「はつちょうく」と読む)。いい句だ。だが、自分がかつて付箋代わりに犬の耳を折った記憶はない。

そもそも、本を買ったことも思いだせないのだ。たぶん俳句を始めたころ、先達の一人から貰ったのだろう。くれた人は、うっかり犬の耳を元に戻すことを忘れていたのではなかったか。これが10年ほどして私の心をとらえる。そのいきさつそのものが俳句のようだ。

もう一つは、たまたま開いたページで「森田愛子」の名を見つけたこと。森田(1917~1947)は福井県の港町三国(現・坂井市)で豪商の娘として生まれ、東京に進学して結核療養中、句づくりを始める。私は新聞記者としての初任地が福井だったので、その名に愛着がある(「本読み by chance」2016年4月29日付「三国湊ノスタルジック街道をゆく」)。そう言えば、彼女は虚子の孫弟子。この本には、森田ゆかりの次の句が載っていた。

不思議やな汝れが踊れば吾が泣く(汝れは「なれ」)
虚子は戦時中の1943年11月、三国に帰郷している愛子を見舞い、隣の石川県にある山中温泉に泊まる。本書によれば、この句の詞書には「山中、吉野屋に一泊。愛子の母われを慰めんと謡ひ踊り愛子も亦踊る」とある。季語は「踊り」で、秋。北陸の空模様が、冬めいた激しさを帯びはじめたころのように思う。そんな折、山深い温泉宿で母娘が旅人の心を癒すように舞い踊る。娘は、自身の病のことを忘れたかのように……。

この句に一瞬、私はたじろいだ。あなたが踊るのを見て私が泣くというのは、情緒的に過ぎはしないか? 虚子と言えば「花鳥諷詠」「客観写生」を唱えた人として知られる。その人が「不思議やな」と独りごち、最後は「泣く」ほどに感極まっている!

この本は、著者が『子規新報』に連載した記事をまとめたもので、精選された百余句を一つずつとりあげ、それぞれの解説に1ページを充てている。ところどころに挟まれた著者の「エッセイ」や「あとがき」にも独自の虚子論がある。そこから感じとれるのは、虚子に固定観念のレッテルを貼るな、という戒めである。たまたま目にとめた「不思議やな…」の句は、孫弟子への感情が横溢して、レッテルとはもっとも遠いところにあるように思えた。

で、今回はレッテルを忘れ、虚心坦懐になって虚子の秋の句を堪能してみよう。
もの置けばそこに生れぬ秋の蔭
秋めいた今、私の心にもっともしっくり来る句はこれだった。窓から差し込む日差しが斜めの度合いを強めると、蔭が意識されるようになる。著者は「具体的なペンや湯呑みといった品物を詠まず『もの』とだけ表現したこと」に工夫の跡を見ている。

「もの」という言葉が力を発揮した句は、ほかにもある。
大いなるものが過ぎ行く野分かな
1934(昭和9)年、関西を中心に大きな爪痕を残した室戸台風を詠んだ一句らしい。ここでも、強風、豪雨、高潮といった個別事象にまったく触れていない。「大いなるもの」という言葉を選ぶことで「巨人が通りすぎていったような感じ」を表した、と著者はみる。

著者によれば、この作品はもともと中の句が「もの北にゆく」だったが、推敲されて「ものが過ぎ行く」に変わったという。ここにも、「北に」という方向性を捨象した強みが出ている。「写生」を唱える人も、具象を巧妙に捨てる技に長けていたのだ。

目にて書く大いなる文字秋の空
天高し雲行く方に我も行く
2句に共通するのは、自然界に対して作者自身と思われる主体がかかわり、その身体感覚が詠まれていることだ。空を見あげ、視線の先を動かして字を書いた気分になる、あるいは雲の流れにつられて思わず歩く。そこには動詞付きの主観がある。

動詞付きで描かれるのは、自分だけではない。
月の友三人を追ふ一人かな
柿を食ひながら来る人柿の村
前者では、月があり、月見を先に始める3人がいて遅刻する1人もいる。その5者の関係性がおもしろい。後者は、柿の朱色の季節感が齧りとられていくことの妙。

ワガハイノカイミヨウモナキススキカナ
これは、夏目漱石の飼い猫の死を、漱石門下の松根東洋城の電報で知ったときの返電。虚子は、漱石に『吾輩は猫である』の執筆を促した張本人なので、他人事ではなかった。片仮名書きは電報だから当然だが、それが「いい味を出している」(著者)。これは「挨拶句」と呼ばれるもので、ふつうの作品とは同列に論じられないが、虚子の機知が感じられる。

最後に、私の胸に今、もっとも染み入る句を一つ。
彼一語我一語秋深みかも
「彼がぽつりと一語を発する。それに答えて我も一語を発する」(著者)。そこにあるのは、極小の対話だ。居酒屋で会話を途切れさせないことに汲々とする若者には真似ができまい。(「本読み by chance」2016年3月25日付「綿矢「蹴りたい」の自律的な孤独」)

この句は1950(昭和25)年の作。虚子はすでに70代後半だった。著者は、その「秋深みかも」に「人生の秋の時間」もみてとる。たしかにそうだろう。私たち高齢者の足が友との会食から遠のく昨今、一語ずつのやりとりでもできたなら、と切に思う。
*句にはすべてルビが振られていましたが、当欄の引用では一部を除いて省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年9月4日公開、同月5日更新、通算538回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

特別な8月、コロナと核の接点

今週の書物/
広島、長崎の平和宣言
松井一實・広島市長、田上富久・長崎市長(2020年8月)

カレンダー

今年の夏を「特別な夏」と呼んだのは、小池百合子東京都知事だ。コロナ禍は夏の風景を一変させた。人気の花火大会がとりやめになった、甲子園の応援合戦が消えた……そんな話ばかりではない。私たちは、いつもの年とは違う思いで鎮魂の日を迎えた。

8月と言えば、すぐに頭に浮かぶのは6日、9日、15日だ。俳句では、それを詠み込んだ類似句がたくさんできている(「本読み by chance」2016年12月9日付「俳句に学ぶ知財の時代の生き方」)。二つの被爆と一つの敗戦は今年、満75年の節目だったのだが、いずれも感染を避けるため、規模を小さくして挙行された。人々がまばらに並ぶ光景は、私たちがいま置かれている異様な事態を強く印象づけるものだった。

私は毎年、これらの式典で要人が語る言葉――宣言や挨拶や式辞――に注目している。いずれも平和の尊さを訴えていることに変わりはない。きれいごとの羅列という印象も拭えない。だが結構、読みどころがあるのだ。そのときならではの問題意識が織り込まれていることがある。行間ににじませた思いが伝わってくることもある。だからなるべく、テレビの生中継やニュースで聞くだけではなく、テキスト全文を熟読するようにしている。

2013年には松井一實・広島市長と田上富久・長崎市長の平和宣言を拙著『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代選書)で引いたこともある。このときに私が注目したのは、両市長ともその夏の宣言で東京電力福島第一原発事故に触れ、核エネルギーの危うさが原爆と原発に共通することを強く匂わせた点だ。日本社会は戦後長く、核の軍事利用と原子力の平和利用を別件として論じてきたが、それに疑問符を投げかけたのである。

今年は両市長がコロナ禍に言及するだろうと予想していたら、案の定そうだった。ということで今回は、松井・広島市長と田上・長崎市長の2020年版「平和宣言」(それぞれ8月6日と9日に発表)をとりあげる。全文は、広島市と長崎市の公式サイトで読んだ。

ではまず、広島市の平和宣言から。松井市長は第2段落でさっそく、新型コロナウイルス禍に言及している。その脅威は「悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか」という。その反面教師とは、約100年前のスペイン風邪だ。

それは第1次世界大戦中の1918年にはやり始め、翌19年にかけて流行の波が3度も押し寄せた。世界保健機関(WHO)は、全人類の25~30%ほどが感染したと推計している(国立感染症研究所感染症情報センターの公式ウェブサイトによる)。宣言はこのいきさつを踏まえて、こう強調する。「敵対する国家間での『連帯』が叶わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥(おとしい)れました」

スペイン風邪を「連帯」欠如の悪しき前例と見ているのだ。このことは、上記サイトの記述に照らすと腑に落ちる。流行の第1波に襲われたのは、大戦真っ盛りの2018年春から夏にかけて。このときの対策が手ぬるかったことは容易に推察される。参戦国は防疫と経済の両立どころではない。戦争に国力を注がねばならなかったのだ。結局は感染を第1波で封じ込められず、終戦前後の晩秋、より強烈な第2波を招いた。(季節は北半球のもの)

コロナ禍で「国家間」の「連帯」というと、医療資源を融通しあう国際協力がまず思い浮かぶ。これについては、スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクも、感染拡大の初期に執筆した「監視と処罰ですか?/いいですねー、お願いしまーす!」(松本潤一郎訳、『現代思想』2020年5月号所収)で論じている。ジジェクは、そこにコミュニズム再生の可能性を見ているのだ。(当欄2020年7月10日付「ジジェクの事件!がやって来た」)

宣言は、思想にまでは踏み込まない。感じとれるのは、連帯の第一歩は戦争しないことという素朴な訴えだ。幸いなことに今、世界規模の戦争はない。だが、政治権力者の顔ぶれを見渡すと、自国中心の発想が際立つ人があちこちにいる。紛争のタネは尽きず、その先には核戦争の危険がある。そこで市長は「私たち市民社会は、自国第一主義に拠ることなく、『連帯』して脅威に立ち向かわなければなりません」と強調するのだ。

広島宣言の要点は、「脅威」という一語に新型コロナウイルスの感染拡大と核戦争の危険増大をダブらせたことだろう。それは裏返せば、コロナ禍対策でもし世界に連帯の機運が蘇れば、核兵器禁止の流れも再び強まるかもしれないという淡い期待を抱かせる。

次に長崎平和宣言に進もう。こちらは後段で、コロナ禍の話が出てくる。とりあげているのは、医療関係者が緊迫した状況下で検査や治療に追われていたとき、世の人々が拍手を送ったことだ。この最近の出来事を振り返りながら、田上市長は呼びかける。「被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者」にも「心からの敬意と感謝を込めて拍手を」と。

私がはっとさせられたのは、市長が被爆者を患者や感染者ではなく医療スタッフになぞらえたことだ。被爆者は核の被害者だが、同時に核の不条理を体現して核戦争を食いとめてきた人々でもある。だから、「敬意」と「感謝」を表明したのだ。私は子どものころのキューバ危機を思いだす(「本読み by chance」2015年11月13日「米大統領選で僕の血が騒ぐワケ」)。人類は被爆の怖さを教えられていたからこそ、破滅を回避できたのだろう。

長崎宣言には、コロナ禍ももちだしながら、若い世代に語りかけたくだりもある。「新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです」。含蓄に富む一文だ。

新型コロナウイルス感染症や地球温暖化に対して、私たちが「当事者」というのはよくわかる。言葉を換えれば、被害者然としてはいられないということだ。前者で、人々は自分がうつされるリスクだけでなく、自分がうつすリスクも負わされている。後者では、その影響と思われる異常気象に右往左往しているのも自分、その元凶とされる温室効果ガス大量放出に手を貸しているのも自分という構図がある。

では、核兵器はどうか。これは政治家が扱う案件であり、私たちの大勢はもっぱら危険にさらされる側にいるというのが世間の常識だろう。ところが宣言は、それをコロナ禍や温暖化と並べたのである。そこから感じとれるのは、あなたの国の政治家が核戦略に執着したり、核不拡散に無関心だったりするならば、そんな人物を選んだあなたにも責任がありますよ、という理屈だ。市長がそこまで意図したかどうかはわからないが……。

2020年夏、広島と長崎の平和宣言は、核廃絶とコロナ禍克服をそれぞれの視点で結びつけた。広島は国際連帯の文脈で、長崎は市民の意識に引き寄せて。どちらも、来年の宣言ではコロナ禍がどう書かれることになるだろうか、と思わせるものではあった。

で、最後は楽屋話を。この拙稿は速報性ということでは先週公開したほうがよかったが、1週遅らせた。安倍晋三首相が15日の全国戦没者追悼式で読みあげる式辞もコロナ禍に言及するだろうから、その話を盛り込もうと思っていたのだ。たしかに、コロナは出てきた。ただ、「現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え……」とあるだけだった。首相の人間観や歴史観に格別の関心があるわけではないのだが、ちょっと拍子抜けだった。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年8月21日公開、通算536回
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コロナ禍の夏、空襲に思いを致す

今週の書物/
『東京大空襲――未公開写真は語る』
NHK
スペシャル取材班/山辺昌彦著、新潮社、2012年刊

頭巾

市中に無症状の感染者が数多くいる、という現実は怖い。無症状者が怖いわけではない。自分だってその一人かもしれないからだ。怖いのは、被感染→感染という一大事がいつとも知らず身にふりかかってくるという状況だ。運命を確率に委ねるしかない。

夏になって今年もメディアが戦争の話題をとりあげ始めたとき、私には一つ、思いついたことがある。もしかしたら、私たちの先行世代は同じような確率任せを過去に体験していたのではないか――。太平洋戦争末期、日本列島では米軍の本土空襲が始まり、B29爆撃機が焼夷弾投下を繰り返した。都市住民は、わが町がいつ火の海になってもおかしくない状況に置かれたのだ。それは、コロナ禍の今とどこか似ているのではないか?

空襲の恐怖は、そんなものじゃないよ――先行世代からは、そう叱られそうだ。だから、誤解のないように念を押しておくと、私は空襲という惨事そのものではなく、〈いつ火の海になってもおかしくない状況〉に類似点があると推察しているのだ。

たとえば今、テレビでは「こんなときだからこそ、気持ちだけは明るくしていたいですね」といった言葉が飛び交っている。これは、「欲しがりません勝つまでは」などの戦時標語を連想させる。米軍機が列島住人の忍耐によって上空から追い払えなかったのと同じように、快活な心だけでコロナ禍は封じられない。それなのに「元気」の大量配布でなんとかしのごうとしているようにも聞こえて、かえって無力感を覚える。

もっとも類似を感じとれるのは、政治のありようだ。戦時中、戦況が悪くなってからでも日本政府には停戦に向かわせる外交手段がいくつもあったはずだ。それなのに本土空襲という事態になっても舵を切ることができなかった。隣組の団結心や竹やりの訓練で戦況を好転できると、本当に思っていたのか。これは感染拡大が猛烈な勢いでぶり返しても、人々の3密回避や手洗い励行を頼みの綱にしている今の政治風景と重なりあう。

で、今週は空襲に目を向けよう。空襲が人々の心模様にどんな影を落としていたかもうかがえる写真集をとりあげる。『東京大空襲――未公開写真は語る』(NHKスペシャル取材班/山辺昌彦著、新潮社、2012年刊)。掲載写真は、旧陸軍の宣伝機関「東方社」に呼び集められた写真家たちが撮影したものだ。これらは、東京大空襲・戦災資料センターに寄贈された。山辺氏はそのセンターの研究者として解説を執筆している。

では、さっそく本を開こう。ページを繰るごとにモノクロ画像が、これでもかこれでもかと空襲の実態を見せつけてくる。そこに軍部の意向がどう入り込んでいるかは判別し難い。空襲の威力は強調したくない、その一方でそれが人道にもとることは訴えたい――そんな相反感情があっただろうからだ。これは、写真家にとっては好都合だったのかもしれない。結果として、自らの心に忠実に写真家魂を反映できたようにも思えるからだ。

見開き2ページの全面を費やした写真を見てみよう。二階建て家屋の屋根に隣家から火が燃え移ろうとしている。一人が階下の軒先に梯子を掛けて昇り、ホースの筒先らしきものを上方に向けて放水している。煙のせいか、逆光のせいか、あるいは暗くて露光時間を長くとったためか、画調は薄ぼんやりとしている。キャプションには「夜間空襲(撮影地不詳)」「昭和20年(1945)5月26日 撮影:光墨弘」とだけある。

光墨は報道分野で活躍した人。ということは、空襲と知って押っ取り刀で現場に駆けつけ、パチリと収めた1枚のように思える。私はこれを見て、戦場カメラマンのロバート・キャパが第2次大戦中に撮ったノルマンディー上陸作戦の写真を思いだした。ぼやけている。だが、それがかえって迫真。もっとも、あれは暗室作業の手抜かりに原因があったらしいが……。(「本読み by chance」2017年5月12日付「キャパのパチリ、報道の核心」)

掲載写真の1枚1枚を紹介したいのはヤマヤマだが、当欄の性格上、それはできない。ということで、本文やキャプションの助けを借りて印象に残ることをすくいあげていこう。

巻頭では、本書刊行前に放映されたNHKスペシャル「東京大空襲 583枚の未公開写真」の取材班が序文を書いている。「兵隊でもないごく普通の日本人」にとって、空襲は「最も“ポピュラー”な戦争体験」だった。それなのに「祖父や祖母がその時どのような顔をしていたのか、私たちは知らない」というのだ。さらに一つ私が加えれば、B29がいつ飛来するかもしれないときに人々がどんな心持ちでいたのか、それもわからない。

本編ではまず、東京空襲が本格化した1944年11月24日のことが記述されている。東京に対する空襲は開戦4カ月後にもあったが、それは続かなかった。その後、太平洋海域が米軍の手に落ちてから、B29の大挙飛来が始まったのだ。この日の標的は現武蔵野市の中島飛行機武蔵製作所だったが「その周辺のみならず、遠くはなれた荏原区(現・品川区)の民家や町工場も被災した」。人々が面的で無差別の攻撃に慄いた最初の瞬間だった。

3日後、こんどは原宿界隈が被災する。ここには、海軍軍人東郷平八郎を祀る東郷神社がある。本書によると、警視庁のこの日の記録には「爆弾四個、焼夷弾四個」が境内に落ちたが「異常なし」とされている。ところが小山進吾撮影の1枚をよく見ると、拝殿の屋根に穴が開いている。空襲後に神官の拝礼風景を写したもので、ぱっと見では拝殿が守られたことを伝える図柄になっている。ところが画面上部にはぽっかり……。写真は嘘がつけない。

この日、原宿駅周辺の現場写真では、防空頭巾をかぶってバケツをやり取りする人が写っている。本文にも、東方社の写真家が「バケツリレーによって懸命に消火に当たる人々の姿」をとらえたとの記述がある。人々は、空襲本格化の時点ですでに訓練されていたのだ。

実際、防空訓練は日米開戦よりも前からあった。1933年には関東地方で大演習が展開されている。このとき信濃毎日新聞主筆の桐生悠々が訓練の虚しさを社説で論じ、軍部周辺の反発を招いて退社した。この本では、その社説の要点が引用されている。敵機襲来が現実になれば「如何に冷静なれ、沈着なれと言い聞かせても」「逃げ惑う市民の狼狽目に見るが如く」であり、あちこちから火が出て「阿鼻叫喚の一大修羅場」になるだろうというのだ。

バケツの写真を見る限り、市民たちは戦前からの訓練のおかげで「狼狽」や「阿鼻叫喚」を押し殺し、「冷静」「沈着」に行動できるようになっていた。ただ、そのバケツは文字通り、〈焼け石に水〉でしかなかったはずだ。桐生はこの社説で、空襲が一度で終わらず、なんども繰り返されるおそれを指摘している。敵機の東京襲来を「我軍の敗北そのもの」とも断じている。炯眼と言うべきだろう。その通りのことが十余年後に起こったのだ。

この写真集には、意外にも笑顔が散見される。九段から神田にかけての一帯は1945年3~5月の空襲で焼け野原になった。バラック住まいの少女は、洗濯物を干しながらカメラ目線で笑っている。丸刈りでパンツ一丁の少年も、はにかみ笑いを浮かべている。

被写体となった人々が「カメラを意識してポーズをとった」(同様の笑顔写真に添えられたキャプション)ことはあるだろう。山辺氏の解説にあるように、東方社の「対外宣伝」戦略が反映された一面も否定できない。「爆撃を受けても日本の国民は戦意をなくさないで明るくがんばっている」と見せるためにだ。ただ、どうもそれだけではない。洗濯物に手をやる少女の笑顔に嘘はなさそうだ。撮影は6月8日ごろ。まだ終戦前だというのに……。

この人たちは、失うべきものをすべて失ってしまった。もはや人に見せるものはなにもない。ただ笑うしかないのだ。そんなふうに私には感じられる。だから、この笑顔は額面通りには受けとれない。そこに至るまでの時間こそが彼女や彼の戦争だったのだ、と思う。

改めて言おう。戦争末期、日本列島の人々は自分たちがいつ火に包まれてもおかしくない状況をくぐり抜けてきた。うちつづく恐怖はいかばかりのものだったか――その想像を絶する心理に、戦争を知らない私たちはコロナ禍の今、初めて思いを致すのである。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年8月14日公開、同日更新、通算535回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
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「人種」というかくも人為的な言葉

今週の書物/
『「他者」の起源――ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』
トニ・モリスン著、荒このみ訳・解説、森本あんり寄稿、集英社新書、2019年刊

人為の区分け

米国で「黒人」差別に対する抗議行動が広がっている。きっかけは、中西部ミネアポリスで「黒人」市民ジョージ・フロイドさんが「白人」警官に首を押さえつけられて亡くなった、という事件。公民権法の制定から56年。半世紀余の歳月を思うと、絶望感に襲われる。

フロイド事件を特徴づけるのは、「黒人」対「白人」の構図だ。米国では警官が「白人」、市民が「黒人」という組み合わせで加害行為があると、それが全土を揺るがす事件となる。犠牲者は一個人ではなく、「黒人」の象徴としての役回りを担わされる。

「黒人」と「白人」――。考えてみれば怖い区分けだ。肌の色の違いで分けたのだとしたら、粗っぽすぎる。「黒人」と呼ばれる人々の顔にはさまざまな色調があり、一概に黒いとは言えない。「白人」たちも同様で、白いとは言い切れない。米国社会では、そうした個人差をすべて捨象して人々の間に線を引いたのだ。今でこそ「アフリカ系」「欧州系」という呼び方があるが、今回のような事件の報道では「黒人」「白人」の用語が飛び交う。

抗議行動では、“Black Lives Matter”という標語が掲げられている。「黒人の命は大切だ」と訳される。今風に政治的公正(ポリティカル・コレクトネス)の表現にこだわれば“African-American Lives Matter”(アフリカ系米国人の生命は大切だ)と言うべきかもしれないが、差別に抗う側自身が“Black Lives”を前面に出していることに注目すべきだろう。“Black”には情念が感じられるからか。いや、それだけではなさそうだ。

たぶん、米国の「黒人」たちには「アフリカ系」という言葉で括れないなにかがあるのだろう。それは、自分たちもまた米国をつくってきたのだという自負のように思える。私たち日本人は第2次大戦後、太平洋の対岸から吹きつける米国文化の風にさらされてきた。だから、「黒人」なしの米国はありえないことを実感している。「黒人」は米国全人口の1割強に過ぎないが、文化の担い手としての存在感は半端ではない。

「黒人」なしでは絶対に生まれなかったものは、ジャズだ。あのリズム感はアフリカ由来だが、アフリカ大陸ではジャズが育たなかった。「白人」たちの音楽資源――たとえばピアノやベースやサックスなど――を取り込んで新しいジャンルを切りひらいたのである。ジャズの最大の魅力は、アフタービートだろう。ズンチャッ、ズンチャッ……のチャッが強調されるリズムだ。そこには、「白人」文化のクラシック音楽に乏しい躍動感がある。

「黒人」は、ジャズに代表される米国文化の担い手であることに誇りを感じている。その象徴が、“Black”なのだろう。だが、米国社会が「黒人」を正当に受け入れてきたとは到底言えない。だからこそ、今も“Black Lives Matter”の声がわきあがるのだ。

で、今週は『「他者」の起源――ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』(トニ・モリスン著、荒このみ訳・解説、森本あんり寄稿、集英社新書、2019年刊)。著者は1931年、米国オハイオ州で生まれた。大手出版社で編集者を務めるかたわら、作家として活動。代表作に『青い眼がほしい』『ビラヴド』などがある。93年、アフリカ系米国人として初めてノーベル文学賞を受けた。この本は、2016年のハーバード大学連続講演をもとにしている。

第一章冒頭のエピソードは強烈だ。著者がまだ物心もつかなかった1930年代前半、一族のなかで尊敬を集めていた曽祖母――「腕利きの助産師だった」――が訪ねてきた。自身は「漆黒の肌の持ち主」。その人が著者姉妹を見て「この子たち、異物が混入しているね」と言ったというのだ。「黒人」として「純血ではない」ということだろう。著者が逆説のようにして、米国社会の底流にある心理を知った瞬間だった、と言ってよいだろう。

この章には、米国やその周辺地域で「混血」がどのように進んでいたかを暗示する史実も明らかにされる。18世紀半ば、一人の英国青年が自国の植民地ジャマイカでサトウキビ畑の農園主となり、「反省あるいは識見の欠落している事実のみの日記」を遺した。それは、当人の奴隷女性たちに対する「性的活動」を「相手と会った時間、満足度、行為の頻度、とくに行為のなされた場所について記録している」ものだったという。

驚くべきは、この記録がラテン語交じりで書かれていたことだ。「午前一〇時半ごろ」「コンゴ人、サトウキビ畑のスーパー・テラム(地面の上で)」などというように。著者は、ここに「奴隷制度を『ロマンス化』する文学的試み」をみてとる。

ただ、その「文学」が欺瞞に満ちたものであることは、巻末の「訳者解説」を読むとよくわかる。「奴隷制度のもとでは、白人の農園主たちは奴隷女と関係を持ち、奴隷を増やすことが奨励された」というのだ。「奴隷は財産」であり、「奴隷女から生まれた子どもも奴隷」として扱われたから、「農園主は自分の財産を増やすためにも関係を持った」――「ロマンス化」の裏側には、人間を人間と見ない醜悪な経済原理が横たわっていたのである。

講演録本文に戻ろう。著者は、ウィリアム・フォークナーの小説『アブサロム、アブサロム!』をとりあげる。この作品では、近親相姦と「人種」混交を比べれば後者のほうが「おぞましい」とみる南部「白人」社会にあった価値観が描かれている。「白人」による「ロマンス化」を「白人」自身が否定していたのだ。作中では、「黒人」の血を16分の1だけ受け継ぐ男が悲劇に見舞われる。「黒人」の血は「一滴」であれ「異物」とみなされたからだ。

主従の関係にまかせた性的活動は、当時の道徳観からみても許しがたかったのだろう。著者は「奴隷が『異なる種』であることは、奴隷所有者が自分は正常だと確認するためにどうしても必要だった」とみる。このときに都合よく使われたのが、「人種」という概念だ。

この歴史を踏まえると、著者が講演で「他者」「よそ者」に焦点を当てた理由が見えてくる。生物分類学の視点に立てば「わたしたちは人間という種」(より厳密に言えば、現生人類か)にほかならない。にもかかわらず、人間は同じ社会の空気を吸っていても「人種」という小分類にこだわり、わざわざ「他者」「よそ者」をこしらえていく。「一滴の血」ですら「他者」「よそ者」の証明にしてしまうのだから、そこにあるのは排除のベクトルでしかない。

この本からは、著者が米国社会を蝕む「他者化」のバカバカしさ、愚かさをどのように見破ってきたかを知ることができる。そこにあるのは、作家としての技法を凝らした作品群だ。ここでは、二つの方法論を紹介しておこう。

一つは、「人種消去」。短編小説『レシタティフ』で試みたものだ。登場人物のだれがどの「人種」か、一切わからないようにした。これは、従来の「黒人文学」が「黒人の登場人物を描き出し、力強い物語をつむぐ努力をしてきた」のとは逆向きの姿勢だ。著者が駆逐したかったのは、「安っぽい人種主義」や「お気軽に手に入る『カラー・フェティッシュ』」だという。「カラー・フェティッシュ」とは、肌の色に対する過剰な思い入れである。

もう一つは、「黒人町」。南部オクラホマ州には、「黒人」が「白人から可能なかぎり遠く離れて」暮らすために、自分たちの町をいくつも建設したという現実の歴史がある。著者は『パラダイス』という長編小説で、この州に開かれた「ルビー」という架空の黒人町を描いた。そこでは「もっとも黒い肌――ブルー・ブラック」が「受容可能な決定的要因」となっている。曽祖母の視点が導入され、「一滴の血」の反転とも言える思考実験をしたのだ。

『パラダイス』を読んでいないので、私は作品の要点を書けない。ただ、著者がこの講演で披露した自作解説からうかがい知れるのは、ルビーという純血社会にも住人の間に「軋轢」があり、それを取りのぞくため、外によそ者を見いだそうとする人がいることだ。

人は、他者を勝手につくりたがる。それも、自分に都合のよい他者を。他者とは本来、自分ではない存在のことであり、存在の一つひとつで異なっているはずなのに、そんなことはお構いなしにひとくくりにして「異物」のかたまりにしてしまう。困ったものだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月24日公開、同日更新、通算532回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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おまじないとどうつきあうか

今週の書物/
書評『見るだけで楽しめる!
まじないの文化史――日本の呪術を読み解く』
須藤靖評、朝日新聞読書面2020年7月11日付

神社の樹林

小さいころから、おまじないの魔力には呪縛されている。それは今も変わらない。

たとえば、手洗いだ。コロナ禍のせいで丁寧に洗う人がふえたようだが、私は子どものころから念入りだった。時間は人の倍ほどかけた。それと言うのも、ゴシゴシとこする回数を心の中で数えていたのだ。指先を3回、念のためにもう3回、次に親指で手のひらを3回……というように。汚れがひどいときは3回が5回になるが、4回はダメ。もし、うっかりどこかで4回が交ざったら最初からやり直し。要するに「4」がイヤだったのだ。

この儀式めいた習慣、最近はほとんど消え去った。だがときどき、トイレの洗面台に向かってゴシゴシやっていると、手先に3、3、3……の亡霊が蘇ってくることがある。いつのまにか、「4」を避けている自分がいるではないか。呪縛は完全には解けていないのだ。

「4」の回避は、もっとも素朴なおまじないだ。4=四の音読みが「シ」で「死」を連想させるからなのだが、この呪いは日本語社会でしか成り立たない。現に日本のプロ野球では、かつて背番号4を外国人選手に割り当てることが多かった。気にする人だけに効果を及ぼす。ならば気にしなければよい――これが科学的思考というものだろう。それなのに科学記者歴30年の私は、今も心のどこかで「4」の魔力にとらわれている。

余談だが、前述の手洗いについては後日談がある。科学記者になってまもなく、健康相談欄の取材で精神科医に話を聞いたときのことだ。読者から届いた相談内容を医師に伝えると、即座に「これは強迫神経症ですね」(最近は「強迫性障害」と呼ぶらしい)という見立てが返ってきた。典型症状をほかにも挙げてもらうと、行為の儀式化も含まれていた。私の手洗いは、これだったのだ! まじないはやはり、心のありようと表裏一体の関係にある。

で、今週の「書物」は、『見るだけで楽しめる! まじないの文化史――日本の呪術を読み解く』の書評(須藤靖評、朝日新聞読書面2020年7月11日付)。評者の須藤さんは、東京大学教授の理論物理学者。宇宙論が専門で、最近は太陽系外惑星の研究でも知られる。今回批評した本は新潟県立歴史博物館監修、今年5月に河出書房新社から出た。科学のど真ん中にいる人がまじない本をとりあげたことに敬意を表して話題にさせていただく。

書評は「まじないが科学的ではないことは理解しているつもりだ」のひとことで始まる。言われなくともわかっている。言っている人は、最高学府の物理学教授なのだ。それでもあえてこう切りだしたのは、次に続く一文に重みをもたせたかったからだろう。

「しかしこの頃(ごろ)は両親の位牌(いはい)を前に、家族や友人、世界中の人々の無病息災を毎日祈り続けている」

地球規模の新型コロナウイルス感染禍は収まる気配がない。陽性だが無症状という人が数多くいるというのだから、だれがいつ感染するかわからない。さらに、これは書評執筆時より後のことかもしれないが、国内では豪雨災害が追い討ちをかけた。世の人々は、カミもホトケもあるものかと嘆きつつ、カミさま、ホトケさまに安寧を願うばかりなのだ。科学者だって例外ではない。この書きだしは、そんな心模様を巧く切りとっている。

書評では、この本が博物館の企画展を踏まえて刊行されたこと、読んでみると厄除け「おふだ」のルーツがわかることなどが述べられているが、私がグッときたのは最終段落だ。この本には「おふだや呪いを実践してみたい人」向けの参考情報も載っているが、その一方で「あまりおススメはしませんが…、自己責任で」と釘が刺してあるという。評者は、このことわり書きに目をとめて「科学的な注にも好感がもてる」と評している。

皮肉が効いている。寛容の精神が薄れ、なにかというと「自己責任」論がもちだされる昨今の風潮を、本の書き手は逆手にとり、まじないへの深入りは自己責任の領域にあると戒めた。これに評者も乗っかる。書評の前段落に「おふだを玄関に掲げれば、コロナウイルスも必ずや退散するだろう」との記述があり、真に受ける読者がいないかと元新聞人の私は一瞬ギクッとしたのだが、着地の妙に触れれば皮肉のスパイスだったことに気づくだろう。

さて私が、この書評に触発されて考えてみようと思うのは、おまじないとの適切なつきあい方だ。それは「科学的ではない」が、人間の意識から追い払い切れない。この現実をどう受けとめたらよいのか。ここでは、評者須藤さんの立ち位置が参考になる。

須藤さんは、私には旧知の人なのでよくわかるのだが、ふだんから非科学的な思考に対して厳しい見方をしている。ただ、その立場はメディアでよく目にする疑似科学批判とは力点の置き方がやや異なるように思える。どこがどう違うのか。

ふつう、疑似科学批判では、おまじないの信奉者が科学の法則を受け入れないことを非難する。このとき批判する側は、必ずしも自然界の出来事は法則によって〈決まっている〉と主張しているわけではないのだが、批判される側や議論を聴いている側は、そう受けとめることが少なくない。学校の理科でニュートン物理学の決定論に馴染んでいるからだろう。疑似科学批判=決定論ではないはずだが、世間はそうとらえがちなのだ。

ところが、須藤さんの言説にはこのイメージがない。それは、宇宙論学者として日々、20世紀物理学の産物に触れているからかもしれない。その代表は量子力学だろう。量子世界では、物事が観測されたとたん、いくつかの可能性がしぼんで一つの状態に落ち着く。確率論的にぽろりと……。いや、量子力学だけではない。ニュートン物理学の決定論世界でも、カオスと呼ぶ予測困難な非周期現象がしばしば起こることが20世紀後半にわかってきた。

では、須藤さんが非科学的とする標的はどこにあるのか。その一つは、〈誤差〉を容認しない社会だ。自然現象や社会現象には誤差がついて回る。科学者の世界では、観測値に幅をもたせてその範囲を〈エラーバー〉という棒線で表し、真の値はその範囲内にあるとみる。ところが今の世の中、エラーバーに留意せず、一つの値にばかりこだわる議論が多すぎる。数値にはもともと幅があると考えるべし。私は、この考え方にいたく共感する。

おまじないの話に戻ろう。私たちは20世紀物理学を知った今、それが決定論かどうかは別にして予測困難な世界に自分がいることを認識しなくてはならない。そこでは、哲学者スラヴォイ・ジジェクが「愚かな自然の偶発性」ととらえる疫病禍や小惑星衝突が起こっても不思議はないのだ(当欄2020年7月10日付「ジジェクの事件!がやって来た」)。だから、この世からおまじないがなくならないのは無理からぬことだろう。

そう考えれば、自嘲気味に自分で自分に皮肉を言いながら、おまじないをしてみるのは許されるのではないか。さあ、手を洗わなければ、3、3、3……、5、5、5……。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月17日公開、同日更新、通算531回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
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