アンドロイドは倫理の夢を見るか

今週の書物/
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳、ハヤカワ文庫SF、1977年刊

脳?

「アンドロイド」という言葉を聞くと、スマートフォンのオペレーティングシステム(OS)を思い浮かべる人が多いだろう。もともとは人造人間のことだった。ロボット技術が進んで、それはヒト型ロボット(ヒューマノイドロボット)の別名になっている。

ヒト型ロボットで私たち高齢世代になじみ深いのは「鉄腕アトム」である。人間の体だけでなく心まで具えているところが最大の魅力。ただ、体のしくみについては動力源が原子力であるというようなもっともらしい説明があるのに、心のしくみはベールに包まれていた。それはそうだろう。アトムの登場は1950年代初めだった。人工の心とまでは言わないが、人工知能(AI)の研究が本格化するのは1950年代半ばのことである。

作者手塚治虫がすごいのは、パソコンやスマホに象徴される情報技術(IT)が影もかたちもなかった時代、人間の心をブラックボックスにしたままロボットの体内に埋め込んだことである。それはあのころ、ファンタジーだった。今は一転、リアルになっている。

だれが名づけ親かは知らないが、スマホOSに「アンドロイド」の名を与えた発想は見事だ。ヒト型ロボットを人間らしくしているのは、手や足や目鼻口そのものではない。手足が舞うように動くとき、目鼻口がほほ笑んだような位置関係になるとき、人間らしいな、と感じるのだ。求められるのは動きや表情を生みだす心であり、その実体は脳にほかならない。スマホにヒトの手足はないが、ヒトの脳には近づいているように思う。

ここで一つ、勝手な空想をしてみる。もし手塚が2022年の今、「鉄腕アトム」を再生させるとしたら、真っ先に手をつけるのは頭部にスマホを組み込むことだろう。もちろん、その機種はAI機能を高めた次世代型だ。これによってアトムの心は実体を伴うことになり、もっともらしさの度合いが強まるだろう。蛇足をいえば、動力源は再生可能エネルギーによる充電型電池に取って代わり、「鉄腕リニューアブル」と改名されるかもしれない……。

こうしてみると、ヒト型ロボット・アンドロイドのヒトらしさの本質は脳にある。それはAIのかたまりといってよいだろう。人間がAIに期待する役割は知的作業だ。だが、その知的作業が心の領域にまで拡張されたら、人間と区別がつかなくなるのではないか――。

で、今週は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳、ハヤカワ文庫SF、1977年刊)。著者(1928~1982)は米国シカゴ生まれのSF作家。『偶然世界』という作品は、当欄の前身ブログでもとりあげた()。『アンドロイド…』の原著は1968年刊。翌年には邦訳が早川書房から出ている。学生時代、私はその単行本を買い込んだ気もするが、もはや定かではない。最後まで読まなかったのは確かだ。

なぜか。理由は、本を開いてページをぱらぱらめくったとき――買っていなかったとすれば書店の店先でのことだが――読む気が萎えたからだ。同様の感覚は今回、最初の1行に接したときにも再体験した。「ベッドわきの情調(ムード)オルガンから、アラームが送ってきた陽気な弱いサージ電流で、リック・デッカードは目をさました」。情調オルガン? サージ電流? 私は機械に弱い。この手の理系用語が大の苦手なのだ。

だが、半世紀を経て私も寛容になった。我慢をして読みつづけると、小説導入部の状況がおぼろげ見えてくる。主人公のリックは妻イーランとともに朝を迎えた。妻は、うとうとしていてなかなか起きようとしない。情調オルガンの調整でサージ電流を弱めに設定しすぎたためらしい。サージ電流とは、いわば電流の大波のことで、電気回路をパルス状に通過していく。リックやイーランの情調は電流のパルスで制御されているのである。

情調オルガンの話をもう少し続けよう。この装置の正式名称は「ペンフィールド情調オルガン」。ペンフィールドの名は、脳のどの部位がどんな働きをしているかを〈地図〉として示したカナダの脳外科医ワイルダー・ペンフィールド(1891~1976)に由来するらしい。

この作品世界では、人は情調オルガンのダイヤル操作で自分の心の状態を変えることができる。〇〇状態を××時間だけ保ち、その後は△△状態に自動的に切り替える、というように事前のプログラムもできる。心の状態のメニューは番号登録されている。たとえば、481番は「あたしの未来に開かれている多様な可能性の認識。そして新しい希望――」、888番は「どんな番組であっても、テレビを見たくなる欲求」という具合だ。

このあたりまで読み進むと、時代設定もわかってくる。リックとイーランがいるのは「最終世界大戦」後の1992年。著者は、執筆時点から四半世紀後を見通しているわけだ。最終大戦は核戦争だった。その放射性降下物は今も地球に降り注いでいる。それは大気を「灰色」にして、陽光を遮るほど。グロテスクなのは、男性用「鉛製股袋(コドピース)」のCMがテレビに流れていること。生殖器官の放射線防護が、日常のことになっている。

地球では被曝を免れないという事態は「宇宙植民」を加速させた。惑星に移り住むことだ。政府は人々に「移住か退化か! 選択はきみの手にある!」と呼びかけた。地球残留組は毎月、被曝の影響を検査される。「法律の定める範囲内で生殖を許可された人間」をふるい分けるのだ。これは、核戦争後に現れかねない新手の優生政策といえよう。そして、移住者にはアンドロイド1体を無料で貸し出すという優遇策が「国連法」で定められた。

これが、作中にアンドロイドが登場する文脈だ。主人公夫婦が口論になり、イーランがリックを「警察に雇われた人殺し」となじる場面がある。「おれはひとりの人間も殺したおぼえはないぞ」「かわいそうなアンドロイドを殺しただけよね」。どういうことか。

その事情を書きすぎてしまってはネタばらしになるので、文庫版のカバーに10行ほどでまとめられた作品紹介の範囲を超えずに要約しよう。放射性降下物で汚染された地球では「生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた」。だが、リックが飼っているのは「人工の電気羊」だ。「本物の動物」がほしい。そこで懸賞金目当てに、火星から逃げてきた「〈奴隷〉アンドロイド」8体を処理しようと「決死の狩りをはじめた!」――。

リックの任務に欠かせないのは、目の前にいる人物がアンドロイドなのか人間なのかを見極めることだ。ロボット技術の進歩で、見た目では区別できなくなっている。作中には「フォークト=カンプフ検査」という検査法が出てくる。手順はこんなふうだ。

リックは被検者に「きみは誕生日の贈り物に子牛革の札入れをもらった」と語りかける。被検者からは「ぜったいに受けとらないわ」といった答えが返ってくるが、回答そのものは判定に直結しない。被検者の心身がどう反応するか、が問題なのだ。検査では目に光をあてたり、頬に探知器を取りつけたりする。眼筋や毛細血管の変化を測定しているらしい。反応の様子を示すのは計器の針だ。ウソ発見器のような仕掛けと思えばよい。

被検者への質問に盛り込まれたエピソードをいくつか書きだそう。自分の子どもが「蝶のコレクションと殺虫瓶を見せた」、テレビを見ていたら「とつぜん、手首をスズメバチが這っているのに気がついた」、雑誌に載ったヌード写真の女性が「熊皮の敷物に寝そべっている」、小説を読んでいたら作中のコックが「大釜の熱湯の中にエビをほうりこんだ」……。動物が災難に遭ったり、遭いそうになったりする状況ばかりが被検者に示される。

どうやらこの検査では、哺乳類であれ、甲殻類であれ、昆虫であれ、ありとあらゆる生きものに対する心的反応がアンドロイドと人間を見分ける決め手になるらしい。見落とせないのは、この作品が1960年代後半に書かれたことだ。それはエコロジー思想の台頭期に当たり、動物の権利保護運動が強まる前夜だった。アンドロイドは無機的だ。脳をどれほど人間に似せても、生態系の共感に根ざした倫理まではまねられない、と著者は見たのか。

著者は、人間らしさの本質を生態系の一員であることに見いだそうとしている。題名の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に込められた思いがようやくわかった気がした。

この作品で衝撃的なのは、リックが被検者に黒革のカバンを見せて「正真正銘の人間の赤ん坊の生皮」とささやきかける場面だ。計器の針が「くるったように振れた」が、それは「一瞬の間」を置いてからだった。この遅れで被検者はアンドロイドと見抜かれる。

AIが人間の感情を再現しようとしても、真の人間ほどには素早く反応できない。情報処理の速さが情動に追いつかなかったということか。だが21世紀のAIとなると話は別だ。フォークト=カンプフ検査をくぐり抜け、人間の座を占めてしまうかもしれない。
*「本読み by chance」2020年3月20日付「ディックSFを読んでのカジノ考
(執筆撮影・尾関章)
=2022年9月2日公開、通算642回
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AIで変わる俳句の未来?

今週の書物/
『AI研究者と俳人――人はなぜ俳句を詠むのか』
川村秀憲、大塚凱著、dZERO社、2022年刊

@付き

対談本は、読書ブログの相手としては難物だ。起承転結が望めない。Aさんの話にBさんが乗ってきても、Aさんが言いたかったこととBさんが聞きたかったことにズレがあったりする。読み手の見通しは裏切られるばかりだ。だが、そこにおもしろさがある。

AさんとBさんの専門領域が異なるとき、しかも二人の領域が一部で重なりあうとき、その部分集合でおもしろさは全開になる。『AI研究者と俳人――人はなぜ俳句を詠むのか』(川村秀憲、大塚凱著、dZERO社、2022年刊)は、そんな対談本の典型だ。

著者川村さんは人工知能(AI)の研究者、大塚凱さんは新進気鋭の俳人。二人は、AI俳句と人工知能「AI一茶くん」の縁でつながっている。当欄は先週、本書を読んでAI俳句の正体を探ったが、今週はもう少し幅広い視点から読みどころをすくいとろうと思う。

必読なのは、二人が俳句を情報工学的に論じあうくだりだ。ここでのキーワードは、「エンコード」(符号化)と「デコード」(復元)。情報技術(IT)では、発信元が音源や画像を「符号化」して送ることになるが、それが送信先では「復元」され、受け手は原本とほぼ同じものを手にできる。俳句では作者が作句というエンコードを担うが、デコードは「他者に委ねる」ので「予測がつかない」(川村)。そこに醍醐味があるらしい。

このことに関連して、ドイツの理論生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提案した「環世界」も話題になる。世界は生物種ごとに別のものとして存在するとの視点に立って、ダニにはダニの、ヤドカリにはヤドカリの「環世界」があるとみる考え方だ。

ヒトの個々人にもそれぞれ「主観的な世界」がある。ところが俳句では、作者と読者が句を「架け橋」にして「お互いの『世界』を行き来できる」(川村)。これが、ダニやヤドカリの「環世界」と違うところだ。川村さんによれば、俳句では「ことばの定義」や「背景となっている知識」などが「共有」されることで「混じり合わないはずの主観的な世界が混じり合う」という。先週話題にした季語や固有名詞は、この局面で一役買うのだろう。

ここで大塚さんは、俳人ならではの情報観を披瀝する。俳人にとって「エンコードされる前の元の情報と、デコード後に得られる情報がどれだけ一致しているか」は一大事ではない。デコード処理がアナログ的なので、作者が句に入れ込もうとする情報は「デコードされるたびに、つまり、読まれるたびに、劣化、というより、変化する」――。そこに見てとれるのは、不正確な復元を「劣化」と見ず、前向きに「変化」ととらえる姿勢である。

これを受けて、川村さんは話を再び「環世界」に引き戻す。作者が世界をどうエンコードするか、読者が他者の句をどうデコードするか、という工程に目をとめれば、俳句には「それぞれの環世界を垣間見る」という醍醐味があることを指摘している。

対談の妙味ということで言えば、話が突然、「トロッコ問題」に飛ぶところも私の印象に残った。暴走車両が走る線路で分岐点の先の片方に5人、もう一方に1人がいたとき、分岐点のポイントをどう操作するか、という倫理の思考実験だ。この問いでは「『多くの人を助けるためなら、一人を犠牲にしてもよいのか』という正解のない選択肢」(川村)が提示される。AIによる自動走行車の開発などでは切実な問題になっている。

これに対するAI研究者川村さんの見解は明快だ。「正解のない問いには、AIも答えることができません」。人間が答えられないからAIに任せよう、というのは虫がよすぎる、というわけだ。AIにできるのは、そんな「究極の選択」を伴う「極限状態」を避けることであり、合理的な思考で「あきらかにまちがい」とわかることを排して「選択肢を絞っていくこと」――AIは人間の「補佐」役こそがふさわしいという見方を示す。

川村さんは、このAI観を俳句に結びつける。AIに作句させて自力で最良句を選ばせるという目標は「研究者の野望」として否定しないが、現実には「俳句をつくった人の手助けをして、よい句に近づけていく」くらいで満足すべきではないか、というのだ。

これに応えて、俳人大塚さんは「添削」と「推敲」の違いをもちだす。俳句の添削は語順や言葉の効率性などの改良にとどまるが、推敲ではもっと高い次元から句を練り直す。添削の一部はAIに任せられるが、「『推敲』は人間と人間の関係からでしかなし得ない」。大塚さんが「人間と人間の関係」の例に挙げるのは師弟の交流だ。師の句評や作品群の背後にある俳句への向きあい方、即ち「非言語的なプリンシプル」も推敲の力になるという。

はっとさせられるのは、川村さんが推敲を「正解・不正解のどちらとも決められない領域」に位置づけていることだ。そうか。俳句を詠むというのは、トロッコ問題を議論するのと同様、正解の見いだせない問いと対峙する「高次」の知的作業なのか。

本書には、「AI俳句は俳句を終わらせる可能性がある」(大塚)という衝撃的な予言もある。AIは「膨大な句を吐き出す」から、すべての句を人間より先に生成してしまうかもしれないという。川村さんも、米国の弁護士兼プログラマー兼音楽家がアルゴリズムを駆使して680億曲以上をつくったという話を引きあいに出して予言を支持した。ちなみに、この大量作曲は「みんなが自由に使っていい」公有のメロディをふやすためだったらしい。

俳句は五七五の短詩型文学なので、ただでさえ「有限」感がある。AIが参入すれば、なおさらだ。そこで、対談の向かう先は俳句の未来像になる。川村さんは、「どんなコンテクスト、どんな背景をもって、その句をそこでは詠むのか」に重心が移るとみる。コンテクスト(文脈)への依存である。大塚さんも、句に付随する共有知識の部分が膨らんで「コンテクストへの愛好が表面化する時代が来る、すでに来つつある」と同調する。

二人の合意点を私なりに読み解くと、こうなる。俳句の芸術性を句そのものの新しさに見いだす時代はまもなく終わる。これからの俳句は、作者と読者の共有空間に置いて、どんな感興が呼びおこされるかを楽しむものになる――。大塚さんは、それを平安時代の宮廷歌人が即興で和歌を詠む慣習になぞらえる。川村さんは、現代の「オタク同士の会話」にたとえる。句は句を詠む場とともにあるわけだ。当欄はそれを、@付きの句と呼ぶことにしよう。

これを読んで、私は二つのことを予感する。悪いほうを先に言えば、俳句がネットの炎上現象に似て一方向を向いてしまわないか、という危惧だ。だが、良いこともある。

もともと人間は、人類すべてを相手に交信していなかった。近年、SNSの登場で個々人が大集団と心を通わせたような気分になりがちだが、それは幻想に過ぎない。そんなとき、俳句は小集団の共感を大事にするという。それはそれで一つの見識ではないか。
☆引用箇所のルビは原則、省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年8月26日公開、通算641回
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AIは俳句上手の言葉知らず

今週の書物/
『AI研究者と俳人――人はなぜ俳句を詠むのか』
川村秀憲、大塚凱著、dZERO社、2022年刊

スイカ、甘い?

古ポスター日焼けの美波里日にヤケて(寛太無)
先日の句会はオンライン形式で、お題――俳句では兼題という――が夏の季語「日焼」だった。上記は、このときの拙句だ。うれしいことに7人の方が選んでくださった。

自句自解――自分の句を自分で解説すること――は無闇にすべきではないが、今回は許していただこう。私の脳内では、この句に行き着くまでにいくつかの工程があった。思いつきがある。連想がある。思惑もある。それらを一つずつたどってみよう。

今、日焼けは負のイメージが強い。「UV(紫外線)カット」という言葉があるように悪者扱いされたりする。だが、昔は違った。真夏の街には、小麦色の肌があふれていた。夏も終わりに近づけば、どれだけ背中を焼いたかを競いあう若者たちもいた。

昔の価値観、即ち日焼けの正のイメージということで真っ先に思い浮かんだのは、あの資生堂ポスターだ。女優の前田美波里さんが水着姿で砂浜に寝そべり、上半身をもたげて顔をこちらに向けている。肌は美しい褐色。1966年に公開されたものだった。

そこでとりあえず心に決めたのは、中の句、即ち五七五の七に「日焼けの美波里」を置こうということだった。「日焼け」と「美波里」をつなげるだけで、あのポスターと1960年代の世相を読者は想起するだろう。半世紀余も前のことなので、世間一般には通じないかもしれない。だが、句会メンバーには同世代人が多いので、幾人かがビビッと反応してくれるに違いない。私の脳内には、そんな思惑が駆けめぐったのである。

これで、ポスターの記憶と1960年代の空気は読者(の一部)と分かちあえるだろう。次に画策したのは、日焼けをめぐる今昔の価値観を対照させること。そこで、ポスターの経年変化がひらめいた。古書のヤケに見られる紙の加齢現象はポスターにもある。美波里さんは正の日焼けをしているが、彼女が刷り込まれた紙は負の日ヤケをしている。紙のヤケそのものは劣化現象であっても、ヤケをもたらす時の経過はたまらなく愛おしい――。

そういえば、あのポスターは商店の壁などに長いこと貼られていた。現実にはありえないだろうが、今もはがされず壁に残っていたら……そんな空想をめぐらせて、下の句「日にヤケて」が決まった。以上が、日焼けの拙句を組み立てた脳内工程のあらましだ。

で、今週の1冊は『AI研究者と俳人――人はなぜ俳句を詠むのか』(川村秀憲、大塚凱著、dZERO社、2022年刊)。川村さんは1973年生まれ、人工知能(AI)の研究者で「AI一茶くん」開発チームを率いる北海道大学教授。大塚さんは1995年生まれ、2015年に石田波郷新人賞を受けた新進の俳人で俳句同人誌「ねじまわし」を発行している。本書は、AI一茶くんをよく知る二人が俳句とは何かという難問と向きあい、語りあっている。

ではなぜ、私が本書を手にとったのか? ここに前述の句会がかかわってくる。先達メンバーの脚本家、津川泉(俳号・水天)さんが「日焼けの美波里」を選句してくださったうえで、固有名詞を取り込んだ作句をどうみるかを講評欄の話題にしたのだ。

そこで引用されたのが本書だ。AIの俳句には固有名詞が多いこと、固有名詞の句は人間もつくりやすいことを踏まえて、著者の一人、大塚さんが「安易さと戦うのが書き手の責務と捉えれば、固有名詞の句には慎重であるべき」と戒めているという。

これは、ぜひとも読まねばなるまい。AIはどんな手順で俳句をつくるのか、それは私の脳内の工程とどこが同じで、どこが異なるのか。これらの疑問に対する答えがおぼろげにでも見えてくれば、AIがなぜ固有名詞句を得意とするかがわかるかもしれない――。

ということで本書に踏み入ると、驚くべき解説に出あった。AIは語意を知らずに作句するというのだ。たとえば、「林檎」の句をどう詠むか。AIは「林檎が赤いことも、食べられることも知りません」(川村)。過去の作品群を「教師データ」にして「『林檎』の次にどんなことばが来る可能性が高いのか」(同)を学習する。具体的には助詞「の」や動詞「咲く」などがありうるが、それぞれの頻度を調べて後続の語を決めていくらしい。

夢に見るただの西瓜と違ひなく(AI一茶くん)
本書に出てくる果物のAI俳句だ。「夢に見ている西瓜もまた西瓜である」(大塚)と読めるが、一茶くんはそんな至言を吐きながらスイカの甘さも量感も知らないらしい。当欄で先日学んだソシュール言語学でいえば、「シニフィエ(意味されるもの)が欠落した状態」(大塚)ということになる(当欄2022年7月8日付「ソシュールで構造主義再び」)。

AIには「俳句を詠みたいという動機がない」(川村)というのも目から鱗だ。AIは「人間の俳句を教師データとして使って」「賢いサイコロのようにことばをつないで」(同)、語列を俳句らしく整えているだけ。自句の「解釈」もできない。一語一語に意味が伴っていないのだから、文学的衝動とは無縁と言えよう。川村さんは、AI作句には「詠む」という動詞がなじまないので、「AI『で』」「生成する=つくる」と言うようにしているという。

となれば、AIが選句を苦手とするのは当然だ。川村さんによれば、「AI対人間」の俳句コンテストがあってもAIは出品する句を自分で選べない。AIに今できるのは「日本語として意味の通じない句」をつくったとき、それを作品から除外することくらいという。

ここで、AIがなぜ固有名詞の句を得意とするか、その答えを本書から探しておこう。川村さんの説明はこうだ。固有名詞は「意味するところが狭い」、だから「意味が通りやすい」――。AIは「教師データ」をもとに言葉をもっともらしく並べ、俳句を生成していく。このとき、日本語になっていない語列ははじかれるが、固有名詞があると排除されにくいということなのか。そういうものかと思う半面、反論してみたい気持ちもある。

西行の爪の長さや花野ゆく(AI一茶くん)
シャガールの恋の始まる夏帽子(同)
これらも、本書に例示されたAI俳句だ。冒頭の語がただの「僧」や「画家」ではなく「西行」や「シャガール」だからこそ、読み手の心に放浪や幻想のイメージが膨らむのではないか。固有名詞には「意味」の幅を広げる一面もあるように思えるのだが……。

固有名詞の効果を考えるうえで参考になるのは、著者二人が季語について語りあうくだりだ。季語は「共有知識」ととらえられている。川村さんによれば、ここで「共有知識」というとき、それは「相手が自分と同じことを知っているだけでなく、『相手が知っている』ということを知っている」状態を想定している。俳句の季語では、「本来の語意」のみならず「付随する周辺的な情報や心情」までが「共有知識」になるのだという。

具体例は、秋の季語「鰯雲」だ。大塚さんは、この言葉には「秋の爽やかさ」や「物思いを誘うような風情」といった気配がつきまとい、さらに「鰯の大群の比喩」にもなっているという。「季語の一つ一つに蓄積があり、連想がある」と強調する。

私見を述べれば、固有名詞にも同様のことが言えるのではないか。拙句の「美波里」という人名やそこから連想される1960年代の風景も「共有知識」だった、と言ってよい。

それにしても不思議なのは、AIが固有名詞入りの句を多くつくることだ。「周辺的な情報や心情」どころか「本来の語意」すら理解していないらしいのに、なぜそれを「共有知識」にできるのか。なにも知らず、「教師データ」に素直に従っているだけなのか。

本書には、俳句とAIについて考えさせられる論題がもっとある。俳句を情報工学の目で眺めると、初めて見えてくるものがあるのだ。次回も引きつづきこの本を。
☆引用箇所のルビは原則、省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年8月19日公開、同日最終更新、通算640回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
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ゴジラ、反核の直感が生んだもの

今週の書物/
●「ゴジラ映画」(谷川建司執筆)
『昭和史講義【戦後文化篇】(下)』(筒井清忠編、ちくま新書、2022年刊)所収
●「G作品検討用台本」
『ゴジラ』(香山滋著、ちくま文庫、2004年刊)所収

卵生?

反核を思う8月。今夏は例年よりもいっそう、その思いが切実なものになっている。世界の一角で、この瞬間にも核兵器が使われるかもしれない軍事行動が進行中だからだ。

折から、核不拡散条約(NPT)再検討会議が1日からニューヨークの国連本部で開かれている。核兵器保有国に核軍縮交渉を義務づけ、非保有国に核兵器の製造や取得を禁じた条約だ。1970年に発効した。再検討会議は、その実態を点検するのがねらいだ。

会議の報道でもっとも印象深かったのは、ウクライナ副外相の演説だ。ロシアがウクライナの核関連施設を攻撃したことに触れ、「我々はみな、核保有国が後押しする『核テロリズム』が、どのように現実になったのかを目の当たりにした」と述べた(朝日新聞2022年8月3日付朝刊)。たしかに今回は、原発が軍隊によって占領され、それがあたかも人質のように扱われている。「平和利用」の核が「軍事利用」されたのである。

この指摘はNPTの弱みを見せつけたように私は思う。NPTは「核軍縮」「核不拡散」だけでなく、「原子力の平和利用」も3本柱の一つにしている。ところがウクライナの状況は、「平和利用」が「軍事利用」に転化されるリスクを浮かびあがらせた。原発は、今回のように占領の恐れがあるだけではない。ミサイル攻撃を受ければ放射性物質が飛散して、それ自体が兵器の役目を果たしてしまうのだ。「軍事」と「平和」の線引きは難しい。

それにしても「核軍縮」と「核不拡散」になぜ、「原子力の平和利用」がくっつくのか。これは、戦後世界史と深く結びついている。源流は1953年、米国のドワイト・アイゼンハワー大統領が提唱した「平和のための原子力」(“Atoms for Peace”)にあるようだ。核兵器保有国はふやしたくない、先回りして核物質を平和利用するための国際管理体制を整えよう――そんな思惑が感じられる。こうして国際原子力機関(IAEA)が設立された。

ここには、「軍事利用」は×、「平和利用」は〇という核の二分法がある。だが私たちはそろそろ、この思考の枠組みから脱け出るべきだろう。なぜなら、戦争には「平和利用」の核を「軍事利用」しようという誘惑がつきまとうからだ。さらに核は、「平和利用」であれ「軍事利用」であれ偶発事故を起こす可能性があり、その被害の大きさは計り知れないからだ。私たちは、核そのものの危うさにもっと敏感になるべきではないか。

で今週は、一つの論考と一つの台本を。論考は「ゴジラ映画」(谷川建司執筆、『昭和史講義【戦後文化篇】(下)』=筒井清忠編、ちくま新書、2022年刊=所収)。台本は「G作品検討用台本」(『ゴジラ』=香山滋著、ちくま文庫、2004年刊=所収)。前者は、ゴジラ映画史を1962年生まれの映画ジャーナリストが振り返った。後者は、映画「ゴジラ」(本多猪四郎監督、東宝、1954年=一連のゴジラ映画の第1作)の「原作」とされている。

後者の著者香山(1904~1975)は、大蔵省の役人も経験した異色の作家。「秘境・魔境」や「幻想怪奇」など「現実の埒外にある題材」を好み、「読者に一時のロマンを与えてくれるのが特長であった」と、『ゴジラ』(ちくま文庫)の巻末解説(竹内博執筆)にはある。

今回の当欄では、戦争が終わってまもなくの日本社会が被爆や被曝をどうとらえていたかを谷川論考から探り、その具体例を香山台本から拾いあげていきたい、と思う。

谷川論考はまず、映画「ゴジラ」が日本人の被爆被曝体験と不可分であることを強調する。1954年3月、遠洋マグロ漁船第五福竜丸の乗組員が太平洋で米国の水爆実験の放射性降下物を浴び、放射線障害に苦しんでいるという事実が明らかになった。日本人は、広島、長崎に続いて、またもヒバクしたのだ。核兵器反対の市民運動に火がついた。街には「原子マグロ」を恐れる空気も広まった。その年の11月に「ゴジラ」は封切られたのだ。

香山台本には、日本近海にゴジラが出現したという話題でもちきりの酒場が出てくる。「女」が言う。「原子マグロだ、放射能雨だ、そのうえこんどは、怪物ゴジラときたわ」。東京湾に現れたらどうなるか、と彼女が「客」に問うと「疎開先でも探すとするか」という答えが返ってくる。「疎開」が10年ほど前の記憶として残っていたこのころ、ゴジラの不気味さは広島、長崎の被爆や第五福竜丸の被曝を人々に想起させるものだったことがわかる。

谷川論考によれば、「ゴジラ」は東宝にとって社運をかけた一大プロジェクトだった。東宝は1950年代に入ると、戦後燃え盛った労働争議の傷痕が癒え、戦時中の戦争映画で追放されていた幹部も返り咲いて、起死回生を期していた。そこに降ってわいた第五福竜丸事件。幹部たちは太古の恐竜が水爆によって目覚めるという娯楽大作を秘密裏に企画、香山に筋書きを頼んだ。「G作品」はコードネーム。「G」はgiant(巨大)を意味したという。

それにしても、映画人は機を見るに敏だ。戦時に戦意高揚の作品をつくっていた人々が戦後、核への忌避感に乗じた作品を構想する。その撮影には、戦争映画で特撮を受けもった人材が投入されたという。この点で、映画「ゴジラ」は太平洋戦争と地続きにある。

谷川論考は、ゴジラを「“被爆者”」と位置づける。その体表に「ケロイド状の皮膚」との類似を見てとるのは「当時の観客にとっては言わずもがなのことだった」。ここで言及されるのが「アサヒグラフ」1952年8月6日号だ。占領が終わって、原爆被害の真相を包み隠さず伝える写真がようやく公開された。そこに、第五福竜丸の報道映像がさらなる追い討ちをかけた。日本人の多くは1954年ごろ、核の怖さを真に実感したのかもしれない。

香山台本には、古生物学者の山根恭平が娘の恵美子にゴジラの正体を語って聞かせる場面がある。ゴジラはジュラ紀の海棲爬虫類だが、現代まで海底の洞窟などでひっそり生き延びていたという自説を明かして、こう続ける。「水爆実験で、その環境を完全に破壊された」「追い出されたんだ」。それで日本近海にやって来たのだろう。こうしてゴジラは、人類が始めた核兵器開発競争のとばっちりを受けた者として描かれるのである。

恵美子は父の説に「信じられないわ」と半信半疑だが、父は「物的証拠が、ちゃんと揃っている」と譲らない。ゴジラの体からこぼれ落ちた三葉虫――絶滅したとされている古生物――を調べると、放射性核種のストロンチウム90が検出されたという。

山根恭平の説明は、記者発表の場でも繰り返される。そこでは、ゴジラ本来の推定生息年代が「侏羅紀(じゅらき)から、次の時代白亜紀にかけて」に広げられ、分類も「海棲爬虫類から、陸生獣類に進化しようとする過程にあった中間型の生物」とされている。

記者発表で見落とせないのは、ゴジラの体が水爆によって「後天的に放射性因子を帯びた」としていることだ。物質が放射線を受け、自身も放射線を出すようになることを放射化という。山根は、ゴジラが全身から放つ「奇怪な白熱光」をこれで説明しようとしている。

ゴジラは水爆実験で「安息の地と平穏な暮らしを奪われた」(谷川論考)のだから、核兵器の被害者だ。と同時に「人間の築いた文明を破壊しよう」(同)としている点で加害者でもある。そこでは、被曝するという被害と被曝させるという加害が同居している。香山台本で特筆すべきは、架空の生きものにこの二面性を付与したことだろう。ト書きには、ゴジラを水爆のシンボルにしようという作者の意図が書き込まれた箇所もある。

谷川論考によると、映画「ゴジラ」には「怪獣王ゴジラ」という改定版がある。米国の映画会社が東宝からフィルムを買い入れて再編集したものだ。2作品を比べると、後者では「ゴジラ自体が“被爆者”に他ならないという見立て」は消え去っているという。

ゴジラの二面性で思うのは、ウクライナの原発も同様ということだ。攻撃の標的になりかねないという意味では被害者の立場だ。だが、いったん攻撃されたならば、核汚染を引き起こしかねないのだから加害者の側面もある。これが核のリスクというものだ。

広島、長崎、第五福竜丸。三つのヒバクが直近の出来事だった1950年代半ばの日本社会は、核の本質を直感していた。ゴジラの出現は、そのことを物語っているように思う。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年8月12日公開、通算639回
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「満洲」、軍国は外交下手だった

今週の書物/
『ソ連が満洲に侵攻した夏』
半藤一利著、文春文庫、2002年刊

9月2日まで

ロシアのウクライナ侵攻を見ていて、つくづく思うのは外交の難しさだ。独裁的な権力者がいったん軍事行動に出てしまうと、それを押しとどめるのは容易ではない。対話の場を設けても暖簾に腕押し。制裁で圧力をかければ、かえって逆襲に遭う。

とはいえ、相手が手を出す前なら、できることがいくつもある。目を凝らし、耳をそばだて、相手の動きを見定める。先方の面子にも気を配りながら、先回りして包囲網を張り、不穏な動きを封じる。これがうまくいけば、無用な戦争に引きずり込まれることはない。

ところが、戦前戦中の日本政府にはその能力がなかった。たとえば、ソ連軍が終戦直前に参戦するという事態は外交で防げたのではないか。今週も『ソ連が満洲に侵攻した夏』(半藤一利著、文春文庫、2002年刊)を読んで、そのことを考える。(*1、*2)

本題に入る前に、日本とソ連が戦争末期にどんな関係にあったかを押さえておこう。両国は日米開戦に先立つ1941年4月、ソ連の提案によって「日ソ中立条約」を結んだ。締約国の片方が第三国と戦争状態に陥ったとき、もう一方は中立の立場をとる、という内容だ。前年には日独伊三国同盟も締結されている。これによって、日本の立ち位置は定まった。独伊と組み、米英中などと向きあう、このときソ連には黙っていてもらう、という構図だ。

この交渉では見落とせない点がある。日本側は不可侵条約を望んだが、ソ連側が中立条約にとどめたということだ。ソ連は「日露戦争で失った地域の返還をともなわない不可侵条約」は国内世論が許さないとして、不可侵を取り決めるなら、そのまえに「南樺太と千島列島は、ロシアに返してもらいたい」と言い張ったという。気になるのは、このやりとりを日本政府がどれほど深く胸に刻んだか、ということだ。ソ連は本気だった。

というのも、この主張が1945年2月、クリミア半島のヤルタであった米英ソ首脳会談でも展開されるからだ。ソ連は対日参戦の条件として、戦勝時に南樺太と千島列島を手にすることを求めた。ヨシフ・スターリン首相は「私は日本がロシアから奪いとったものを、返してもらうことだけを願っている」と積年の思いを披瀝したという。この要求を、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領は「なんら問題はない」と受け入れた。

ヤルタ会談では、これが米英ソの「秘密協定」になった。ところが、この事実は日本政府のアンテナにまったくかからなかった。駐ソ日本大使がソ連外相に会談の内容を聞くと、「日本問題」は議論の対象にもならなかったという答えが返ってきた。

実はそのころ、日本政府はソ連に和平仲介の役回りを期待していた。駐日ソ連大使の日記によれば、大使は2月、日本の外務官僚の訪問を受け、「調停役」は「権威」と「威信」と「説得力」をもちあわせた「スターリン元帥以外にはない」と言われたという。

同じ2月に大本営トップの参謀総長が天皇に対して反米親ソの報告をした、という話も本書には出てくる。米国は対日戦で国体の破壊や国土の焦土化を遂げなければ満足しない。これに対し、「ソヴィエトは日本に好意を有している」。そんな言葉もあったという。

内大臣木戸幸一が3月に入って知人の一人に漏らしたという言葉も衝撃的だ。「共産主義と云うが、今日はそれほど恐ろしいものではないぞ」「結局、皇軍はロシアの共産主義と手をにぎることとなるのではないか」。木戸は、ソ連が仲介の見返りに共産主義者の入閣を求めれば応じてもよい、とすら言ったらしい。歴代政権はそれまで、治安維持法を振りかざして共産主義者を弾圧してきた。それを忘れたかのような身勝手な路線変更ではないか。

そんななかで4月、寝耳に水の情報がモスクワから届く。ソ連が日ソ中立条約の廃棄を通告してきたのだ。この条約は条文に照らせば片方から廃棄通告があっても1946年春まで有効なはずだったが、日ソ関係が不安定になったのは間違いなかった。

不思議なのは、日本政府がこれで反ソに転じるかと思いきや、逆の方向に針が振れたことだ。著者によれば、軍部にはソ連を「“敵”にしたくない」という思いが強かった。その結果、ソ連に水面下で終戦の仲介役を頼もうという流れはかえって強まったという。

1945年4~5月には、政府内で軍部対外相の論争があった。軍部は「ソ連の参戦防止のため対ソ工作を放胆かつ果敢に決行する」という方針を主張したが、東郷茂徳外相は「対ソ工作はもはや手遅れ」と抵抗した。一見、外交の責任者が外交努力を放棄したかのようにも見えるが、著者は「外相の判断は、今日の時点でみても非常に正確なもの」と評価する。軍部の愚はその後、どんな対ソ工作が構想されたかを見るとわかってくる。

政府は5月中旬、軍部の意向通り「ソ連に仲介を頼む」という決定をする。驚くのはこのとき、ソ連の労に対する「代償」をどうするかまで決めていたことだ。「南樺太の返還」「北満における諸鉄道の譲渡」「場合によりては千島北半を譲渡するもやむを得ざるべし」……といった具合だ。こちらが代償を先に用意すれば、ソ連は戦わずに得るものを得られる。結果として「戦争を回避するにちがいない」。これが「放胆かつ果敢」な工作だった。

6月、政府は元首相広田弘毅を引っ張りだして駐日ソ連大使と交渉させるが、ソ連側の反応は鈍い。7月には元首相近衛文麿を特使として訪ソさせることを決め、ソ連側に伝えた。ところが、スターリンは米英ソ首脳が敗戦国ドイツに集まるポツダム会談のことで頭がいっぱいだった。会談でも日本の申し出に触れ、こんなふうに語ったという。「特使の性格がはっきりしないと指摘して、一般的な、とりとめのない返事をしておきましょうか」

7月17日~8月2日のポツダム会談は、米英ソの駆け引きの場だった。米英は26日、日本に降伏を迫るポツダム宣言を中国蒋介石政権の同意を得て発表した。ソ連は、日本の対戦国ではないという理由で事前に知らされなかった。スターリンには焦りがあった。日本の降伏よりも早く参戦しなければ、ヤルタの「秘密協定」は水泡に帰す、戦後アジアの覇権も夢と消える――。こうして8月8日に宣戦を布告、9日、満洲に侵攻したのだ。

一連の流れをたどって痛感するのは、日本政府が国際情勢を自己中心の視点で解釈する一方、外交の力学に目をふさいでいたことだ。ソ連は1941年、たしかに日本と中立条約を結んだが、それは対独戦に集中したいなどの思惑があったからだろう。「日本に好意を有している」からとは思えない。そのことは、日本が不可侵条約を提案したときにソ連がこれを断固拒否したことからも明白だ。だが、日本政府はこの一点を見過ごしてしまった。

国際社会の先行きに対する読みも浅すぎる。米ソはドイツという共通の敵と戦ったからといって、仲良し二人組ではない。やがて競合関係になるのは必至だった。そんななか両国間では、ソ連の対日参戦と戦後の取り分が取引材料になっていた。日本政府は、これを嗅ぎとれなかった。諜報能力が乏しかっただけではない。自国の立ち位置を客体化してとらえ、それに対して世界の国々がどう動くかを理詰めで予測できなかったのである。

終戦の局面で、日本政府はいくつかの「誤断」を重ねている。一つは、降伏をめぐる「大誤断」だ。政府は、8月16日に全部隊へ停戦命令を出したことをもって「降伏は完成した」と思い込んだ、と著者はみる。だが、「降伏」の成立は9月2日の文書調印を待たなければならなかった。この間、戦地は無統制の状態に置かれた。ソ連軍が満洲を猛攻した背景には、そんな事情もあった。事前に、これを避ける手を打てなかったのか。

これに絡んでは、もう一つ「誤断」があった。8月17日ごろ、日本の外務省は在マニラのダクラス・マッカーサー連合国最高司令官に助けを求めている。満洲でソ連軍が攻撃をやめようとしないので「貴司令官においてソ側にたいし即時攻勢停止を要請せられんことを」――この要求も、的外れだった。米ソはポツダムでソ連軍の占領地域を取り決めており、その域内のことについては連合国最高司令官も口を出せないことになっていたからだ。

それにしても、である。日米開戦以来、日本政府は米国をとことん嫌い、ソ連に片思いしていた。ところが終戦前後、そのソ連から手ひどい仕打ちを受け、今度は米国にすがる。外交が下手なだけではない。節操もなさすぎる。半藤さんは、その史実も見逃していない。
*1 当欄2021年8月13日付「半藤史話、記者のいちばん長い日
*2 当欄2022年7月29日付「満洲』、人々は梯子を外された
(執筆撮影・尾関章)
=2022年8月5日公開、通算638回
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