アメニティの本質を独歩に聴く

今週の書物/
「武蔵野」
国木田独歩著、新潮文庫『武蔵野』所収、1949年刊

落葉樹

半年ほど前、当欄はアメニティを話題にした(*1)。あるべきものがあるべき場所にある、という景観の心地よさだ。読んだ本は『歴史的環境――保存と再生』(木原啓吉著、岩波新書、1982年刊)だった。ただ、あのときに突きつめて考えなかったことがある。あるべき場所にあってほしい〈あるべきもの〉とは何か、という問題だ。そもそも、どんなものを指してあるべきだ、と言えるのか。今回は、この難題と向きあいたい。

その前に先日、図書館で貴重な収穫があったことを報告する。朝日新聞縮刷版で木原啓吉さんが新聞記者時代に書いた記事(*2)を再読したとき、そこに〈あるべきもの〉の例示があったのだ。英国の都市計画家コーリン・ブキャナン氏が、アメニティを「英国人にとっては、はだでわかる価値の尺度」と説明して、その価値の代表例を「村に伝わる一本の樹、麦畑の向こうに見える教会の塔、きれいにデザインされた川のセキ」と列挙している。

ここから浮かびあがるアメニティの本質とは何か。「一本の樹」「麦畑」「川」から、植物や水の流れなど自然の風景が必須要素であることがわかる。「村に伝わる」からは、過去と切り離せないことも感じとれる。「麦畑」「教会の塔」とあるから、人間社会の生活や文化にもかかわるようだ。いや、それどころではない。「きれいにデザインされた川のセキ」も例に挙がる。アメニティは、土木工学的な自然改変すら含むということだ。

アメニティを定義づけることは難しい。それは、一つの物差しで測れない。自然度だけを見れば原生林がもっとも望ましいことになるが、代表例の「一本の樹」や「麦畑」はそれとは趣が異なる。人工美に目を向ければ超高層ビル群や巨大ダムもアメニティの源になりうるが、それを〈あるべきもの〉の勘定に入れるかどうかでは賛否が分かれるだろう。「川のセキ」に添えられた形容句「きれいにデザインされた」には、ほどほどの人工感がある。

くだんの記事では、ブキャナン氏もアメニティが「数量化しにくい要素」であることを指摘している。それは「貨幣価値には換算しにくい」ので、大型公共工事の環境影響評価があったときなど、費用便益分析の項目としてほとんど考慮されない、というのだ。

私の脳裏には学生時代の1975年、この記事を紙面掲載時に読んだ日の感想が蘇る。あのころは、アメニティはやがては金銭に代えがたい価値として認められ、社会に組み込まれるだろうと思っていた。だが、50年近くが過ぎた今、予想は半分当たり、半分は外れた。私たちの身のまわりのアメニティは豊かになったが、それは商業施設だったりリゾートだったりして貨幣価値に結びつけられている。新自由主義の時代らしい展開である。

で、今週は国木田独歩の「武蔵野」を読む。短編小説集『武蔵野』(国木田独歩著、新潮文庫、1949年刊)の冒頭に収められた表題作だ。この一編は1898(明治31)年、「国民之友」誌で発表された。初出時の題名は「今の武蔵野」。著者(1871~1908)は千葉県銚子生まれで、教師や新聞記者などの職を転々としたが、やがて詩人、小説家の道を歩むようになった。この作品も「小説」とされているが、私にはその分類に違和感がある。

恥ずかしい話だが、私はこの一編を今回初めて読んだ。未読の言い訳をすれば、それが小説とされていたからだ。自然の風景を題材にした小説ということなので花鳥風月を愛でることに終始しているのではないか、と思ったのだ。ところが、一読して私が感じたのは、これは都市論として読めるということだった。「論」といっても学者のそれではない。記者経験者らしく、見たもの、聞いたものを取り込んだエッセイ風の仕立てになっている。

この作品は、江戸時代文政年間(1818~1830)の古地図には武蔵野のおもかげはわずかに入間郡(いるまごおり)に残るだけと書かれていた、という話から始まる。ここで入間郡は、埼玉県南部一帯を指している。「昔の武蔵野」は、江戸後期ですらかなり姿を消していた、明治時代の今ならなおさらだろう、と言っているわけだ。だが著者は、「昔の武蔵野」の消失を惜しんではない。「武蔵野の美今も昔に劣らず」と言い切っている。

この話の切りだし方からもわかるように、著者の関心はひとえに「今の武蔵野」にある。だからこそ、作品の原題も「今の武蔵野」だったのだ。この冒頭部では、「今見る武蔵野」が自分の心を動かすのはそこに「詩趣」があるからだ、と述べている。

では、「昔の武蔵野」と「今の武蔵野」はどこが違うのか。読み進むと、その答えが明記されている。前者は「萱原のはてなき光景を以て絶類の美を鳴らして居た」。ひとことで言えば、原っぱだったのだ。一方、後者の主役は「楢の類」から成る「林」。雑木林である。江戸時代、江戸の近郊では新田開発が進められ、それに伴って樹木が植えられた。落ち葉は堆肥に、伐採木は薪炭の材料になる。こうして人々の生活と分かち難い林が広がった。

著者は、このくだりで文化論にも立ち入っている。日本人は、和歌や絵画で「松林」ばかりを愛で、「楢の類の落葉林の美を余り知らなかった」とみる。「冬は悉く落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずる」という変化の妙を最近まで理解しなかったという。だが、洋風は違う。ここでは、ロシアの作家ツルゲーネフの小説「あいびき」(二葉亭四迷訳)が引用されている。作中では、樺の林の落ち葉が金色に輝く様子などが描かれていた。

林は著者の身近にあった。著者は1896(明治29)年秋、東京郊外の渋谷村(現・東京都渋谷区松濤付近)に引っ越した。この作品には、当時の日記が紹介されている。9月7日の欄には、南風が吹き、雲が流れ、雨が降ったりやんだりの日々が続いていることを記した後、「日光雲間をもるるとき林影一時に煌めく」(太字部分は原文では傍点)とある。そのころの渋谷では雨あがりの日、樹林が陽射しにキラキラ輝いて見えたのだろう。

著者は雑木林の魅力を視覚で感じているだけではない。聴覚でもとらえている。「鳥」の羽ばたきやさえずり、「風」のざわめき、「虫」の鳴き声、「荷車」の響き、「村の者」の話し声……雑多な音が林の奥から、あるいは林の向こうから聞こえるという。著者のお薦めは「時雨の音」。そこに「私語(ささや)くが如き趣」があるからだ。この一編は、そんな林の「物音」を体験できる場所として中野、渋谷、世田谷、小金井の地名を挙げている。

この作品がただの風景礼讃でないのは、そこに著者の分析があるからだ。たとえば、高台に林と畑がどのように分布しているかを論じたくだり。林が長さ1里(約4km)未満の規模感であり、畑が林に三方を囲まれていたり、農家があちこちに散らばっていたりすることに触れ、畑と林が「ただ乱雑に入組んで居て、忽ち林に入るかと思えば、忽ち野に出る」と書く。「ここに自然あり、ここに生活あり」――北海道の「大原野大森林」とは違う。

著者が「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない」と説いている点も見逃せない。武蔵野には「迂回の路」があるという。道が「林にかくれ、谷にかくれ、野に現われ」といったことを繰り返すのだ。それで、次のような指南もある。道が三つに分かれたら、杖を倒して倒れたほうへ進め、林の奥で道が分岐したら、小さなほうを選べ。「妙な処」へ行けるかもしれない……。散歩の極意は偶然任せ、無駄を楽しめということか。

このくだりを読んで、私は当欄の前身ブログでとりあげた『ぼくの東京案内(植草甚一スクラップ・ブック)』(植草甚一著、晶文社)を思いだした(*3)。散歩の達人植草甚一はこの本で、自分が住む町の迷路性とゴチャつきを得意げに語っているのだった。

この一編を私が都市論と呼びたいのは、武蔵野の景観に人間の関与を見ているからだ。著者は、ただの自然ではなく人の営みとともにある自然に「詩趣」を見いだす。その営みは、歴史とも無縁ではない。雑木林が広がった背景には、江戸時代の開墾がある。落葉樹に人々が魅せられる理由には、幕末の開国や明治時代の文明開化で洋風文化が浸透したこともあるだろう。アメニティは人々の生活や感性と結びつき、歴史ともつながっている。

そのことは、前述の「村に伝わる一本の樹、麦畑の向こうに見える教会の塔、きれいにデザインされた川のセキ」と見事に重なる。独歩は19世紀末、すでにアメニティの本質をつかんでいた。鋭い観察眼で、その本質がどう立ち現れるかまで見てとっていたのだ。
*1 当欄2022年5月13日付「あるべきものがあるアメニティ
*2 朝日新聞1975年11月26日付解説面連載「歴史的環境を訪ねて」第20回
*3 「本読み by chance」2015年5月22日付「植草甚一のハレにもケをみる散歩術
☆引用箇所にあるルビは原則、省きます。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年9月16日公開、通算644回
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へんな夏の終わりに清張

今週の書物/
『絢爛たる流離』
松本清張著、文春文庫、2022年刊

針金

へんな夏が終わった。

一つには、「3年ぶりの行動制限のない夏」とメディアが連呼したことだ。コロナ禍第7波で全国の新規感染者数が1日当たり数十万人に及んだというのに、政権はこの言葉の軽やかさに乗っかってほとんど動かなかった。感染症蔓延の盛りに行動制限をなくすというのなら、それによってどんな事態が生じるかを考えて、ああなったらこうする、こうなったらああする、と手筈を整えるのが為政者の務めだろう。その準備があったとは思えない。

もう一つ、元首相の不慮の死もあった。それで私の脳裏には、1960年代に相次いだ暗殺事件が蘇った。小学生のころだ。社会党委員長の刺殺では、夕刻のニュースで17歳の少年が委員長に体当たりする映像が繰り返し流された。米大統領銃撃のときは早朝、テレビ界初の日米宇宙中継が予期せぬ凶事を報じていた――。たぶん、今の子どもたちは今回の事件を現場に居合わせた人々のスマホ映像などで記憶しつづけることになるのだろう。

今回の事件は「暗殺」という用語がなじまない。当初は、動機が世間に対する漠然とした恨みのように思えた。やがて、それは社会問題に根ざしており、政治にも深くかかわっていることがわかったが、「暗殺」と呼ぶにはあまりに日常的な風景がそこにはあった。

それは、事件現場が近鉄大和西大寺駅前だったからかもしれない。私は学生時代、関西旅行の折にこの駅で降りたことがある。東大寺ならぬ西大寺なのだから、辺りには古代の雰囲気が漂っているのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、歩いてみるとふつうの住宅街だった。元首相が襲われたのは、日比谷公会堂ではなく、ダラスの大通りでもなく、私鉄沿線のどこにでもある町。「暗殺」の舞台の要件ともいえる劇場性をぼやかしていた。

前代未聞の疫病禍でも政権は動じない。政界の有力者が凶弾に倒れても「暗殺」の感じがしない。それをどうみるかは別にして世間はすっかり凪なのだ。冒頭に「へんな夏」と私が書いたのは、以上のようなことによる。この夏は将来、歴史に記録されるのだろうか。

で、今週は清張の昭和史。といってもノンフィクションではない。連作短編小説『絢爛たる流離』(松本清張著、文春文庫、2022年刊)。1963年に「婦人公論」誌に連載された12編から成る。それぞれが独立した話だが、全編に登場する同じ一つのモノがある。3カラット純白の丸ダイヤだ。これをバトンにして昭和の風景断片をリレーする。1971年に『松本清張全集2』(文藝春秋社)に収められ、2009年に文庫化、今回読むのはその新装版だ。

私がこの本をとりあげようと思ったのは、松本清張記念館名誉館長の藤井康栄さんが執筆した巻末解題に「話の筋は、著者の創作」だが「中身には、著者自身の体験が色濃く反映されている」とあるからだ。この記述で、私は納得した。この本に、日本の近現代史を動かした立役者は出てこない。戦時中の外地、占領時代の地方都市、高度成長初期の東京……。それぞれの時代、それぞれの場所にあったかもしれない市井の物語を紡いでいる。

当欄は各編の筋を追わず、印象に残る光景だけを切りだしてみる。ちょっと驚いたのは、第八話「切符」だ。敗戦の数年後、山口県宇部市の古物商が乗りだした新商売は古い針金を売ることだった。きっかけは、同業者から「あんたンとこに針金はないかのう?」と聞かれたことだ。岡山周辺の箒(ほうき)製造業者が「針金がのうて困っちょる」という。戦後の物不足がそんな生活用品にも及んでいたことを、私は初めて知った。

古物商は、人を介して大手針金メーカーの幹部に話をもち込み、針金のつくり損ない(ヤレ)を格安価格で仕入れて売る算段をつけた。当時の経済は統制下にあったので針金メーカーも臨時物資需給調整法に縛られ、製品を「切符」のある業者にしか売れなかった。ただ、ヤレは「廃品同様」だから「横流し」ではない、という理屈が立った。難題は一つ。ヤレは巻き取り装置の不調で出てくるので「メチャクチャに縺れて」いたことだ。

古物商は女性の作業員を10人ほど雇い、人力で縺れをほどいた。そこに30代半ばの男がふらりとやって来る。作業場の様子を見学して「あれじゃ工賃ばかり嵩んで仕事にはならんだろうな」と感想を漏らし、「ひとつ機械化してみては?」ともちかける。男は「W大学の機械科」卒を名乗り、自分が図面を引く、木造だから組み立ては大工に任せる、というのだ。怪しげではある。古物商も初めは半信半疑だったが、やがてその話に乗せられて……

戦後の混乱期、人々がどれほどしたたかだったかが、これだけの話からも見えてくる。藤井解題によると、この一編の背後には「復員後、生活のためにアルバイトで箒の仲買を商売としていた著者自身の体験」があるという。著者は針金不足を間近に見ていたのだ。

「復員」の一語でわかるように、著者は軍隊生活を送ったことがある。1944年に召集を受け、朝鮮半島南部(韓国全羅北道)に駐屯する部隊に配属となる。衛生兵だった。解題によれば、第三話「百済の草」と第四話「走路」にこのときの体験が生かされている。

第三話の主人公は、全羅北道の小都市に内地から赴任した日本企業の鉱山技師。妻と社宅で暮らしていたが、戦争末期に兵隊にとられる。その技師が衛生兵となり、ひょんなことから社宅に近い軍司令部へ転任となる。社宅には妻が今も住んでいる。だが、兵隊は司令部のある農学校の建物で起居して、兵営の外には出られなかった。通信が禁じられているので、すぐ近所にいることを妻に知らせることもできない。会いたい、だが会えない……。

技師には営内に頼りになる上官が一人いた。階級は下士官の軍曹だが、会社勤め時代には部下だったので、なにかと力になってくれる。軍曹は、公用外出のときに技師宅を訪ね、夫が兵営にいることを妻に伝えてくれた。それからまもなく、技師に一つの情報がもたらされる。若い高級参謀が高級将校に許された「営外居住」の特権を行使して、技師宅の一部屋を賄いつきで借りている――技師の心に波風が立ったことは想像に難くない。

兵隊も例外的には営外に出ることができた。現に高級参謀付きの上等兵は「公用腕章」を着けて衛兵所がある門を自由に出入りしている。技師は覚悟を決めて、腕章を貸してほしいと、その上等兵に頼む。幸いに「奥さんに逢いに行くのか?」という笑顔が返ってきた。発覚すれば「重営倉もの」だが、上等兵は好人物だった……。それにしても、高級将校なら営外居住、下士官は公用で町を歩ける、兵隊は兵営に缶詰め、という縦社会は見苦しい。

藤井解題によると、著者自身も朝鮮半島で衛生兵だったころ、公用腕章の恩恵に浴して「町を歩き回り、古本屋で本を買ったり」していた。人々は苛酷な軍国主義下でもときにワル賢く頭を働かせて、人間らしい欲求を満たそうとしていたことがわかる。

さて、話は60年安保に飛ぶ。第十話「安全率」では、1960年6月に新しい日米安保条約が自然承認される直前、東京・成城にある大手鉄鋼会社会長邸に学生運動家二人が訪ねてくる。一人は「総学連の財政副部長」。学生服には「T大」の襟章がある。「われわれの目的はあくまでも革命」「内閣に絶えず脅威を与え、ゆさぶりつづけます」と持論をぶち、会長から「指導者階級をギロチンにかけるのかね?」と問われても否定しない。

興味深いのは、総学連幹部のねらいがカンパにあったことだ。二人は会長からの支援金3万円を手にして帰っていく。1960年の3万円は、ザクっといえば今の50万~60万円ほどか。当時の学生運動に、こんな資金の流れがあったかどうかはわからない。ただ、鉄鋼会社トップと学生運動指導者の間にどこか通じあうものがあったようには思われる。著者は、その危うさを架空の団体「総学連」の話として具象化したのではないか。

鉄鋼会社会長には、その3万円で「革命の虐殺から助かるかもしれない」という思惑もあった。自分は防衛産業の柱である鉄鋼業界の経営者だが、「革命家の理解者になること」で自身や家族、そして愛人も助命されるのではないか、と思ったりするのだ。

会長はその夜、銀座に出かける。目当ては、愛人がマダムをしている高級バーだ。店内では紫煙が漂うなか、「文化人と称する連中が女の子を引きつけ、大きな声でしゃべり合っては酒を飲んでいた」。会長は、カウンター席の一隅に腰を下ろす。それは、マダムのパトロンに用意された言わば指定席だった。店から2kmほどしか離れていない国会議事堂周辺では学生たちのデモが渦巻いているというのに、その緊迫感がここにはない。

この一編がおもしろいのは、60年安保を描くとき、視座を成城という高級邸宅街や銀座という高級歓楽街に置いたことだ。その構図の妙で、そこにあった空虚さが浮かびあがってくる。デモの映像を小学生の目で眺めていた私は、あのころから時代が急に明るくなったように記憶しているのだが、それは的外れではなかった。あの出来事は所得倍増政策を呼び込み、高度経済成長の跳躍台となった。その事情も、この作品を読むと腑に落ちる。

さて2022年の夏は、へんだった。災厄が進行中なのに人々は日常の一角にいて、世の変転に無関心のように生きている――そんな感じか。だが、そういうことは昔からあったのかもしれない。清張がこの本の各編で描きだした人々を見ていると、そう思えてくる。
☆引用部分にあるルビは原則、省きます。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年9月9日公開、通算643回
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アンドロイドは倫理の夢を見るか

今週の書物/
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳、ハヤカワ文庫SF、1977年刊

脳?

「アンドロイド」という言葉を聞くと、スマートフォンのオペレーティングシステム(OS)を思い浮かべる人が多いだろう。もともとは人造人間のことだった。ロボット技術が進んで、それはヒト型ロボット(ヒューマノイドロボット)の別名になっている。

ヒト型ロボットで私たち高齢世代になじみ深いのは「鉄腕アトム」である。人間の体だけでなく心まで具えているところが最大の魅力。ただ、体のしくみについては動力源が原子力であるというようなもっともらしい説明があるのに、心のしくみはベールに包まれていた。それはそうだろう。アトムの登場は1950年代初めだった。人工の心とまでは言わないが、人工知能(AI)の研究が本格化するのは1950年代半ばのことである。

作者手塚治虫がすごいのは、パソコンやスマホに象徴される情報技術(IT)が影もかたちもなかった時代、人間の心をブラックボックスにしたままロボットの体内に埋め込んだことである。それはあのころ、ファンタジーだった。今は一転、リアルになっている。

だれが名づけ親かは知らないが、スマホOSに「アンドロイド」の名を与えた発想は見事だ。ヒト型ロボットを人間らしくしているのは、手や足や目鼻口そのものではない。手足が舞うように動くとき、目鼻口がほほ笑んだような位置関係になるとき、人間らしいな、と感じるのだ。求められるのは動きや表情を生みだす心であり、その実体は脳にほかならない。スマホにヒトの手足はないが、ヒトの脳には近づいているように思う。

ここで一つ、勝手な空想をしてみる。もし手塚が2022年の今、「鉄腕アトム」を再生させるとしたら、真っ先に手をつけるのは頭部にスマホを組み込むことだろう。もちろん、その機種はAI機能を高めた次世代型だ。これによってアトムの心は実体を伴うことになり、もっともらしさの度合いが強まるだろう。蛇足をいえば、動力源は再生可能エネルギーによる充電型電池に取って代わり、「鉄腕リニューアブル」と改名されるかもしれない……。

こうしてみると、ヒト型ロボット・アンドロイドのヒトらしさの本質は脳にある。それはAIのかたまりといってよいだろう。人間がAIに期待する役割は知的作業だ。だが、その知的作業が心の領域にまで拡張されたら、人間と区別がつかなくなるのではないか――。

で、今週は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック著、浅倉久志訳、ハヤカワ文庫SF、1977年刊)。著者(1928~1982)は米国シカゴ生まれのSF作家。『偶然世界』という作品は、当欄の前身ブログでもとりあげた()。『アンドロイド…』の原著は1968年刊。翌年には邦訳が早川書房から出ている。学生時代、私はその単行本を買い込んだ気もするが、もはや定かではない。最後まで読まなかったのは確かだ。

なぜか。理由は、本を開いてページをぱらぱらめくったとき――買っていなかったとすれば書店の店先でのことだが――読む気が萎えたからだ。同様の感覚は今回、最初の1行に接したときにも再体験した。「ベッドわきの情調(ムード)オルガンから、アラームが送ってきた陽気な弱いサージ電流で、リック・デッカードは目をさました」。情調オルガン? サージ電流? 私は機械に弱い。この手の理系用語が大の苦手なのだ。

だが、半世紀を経て私も寛容になった。我慢をして読みつづけると、小説導入部の状況がおぼろげ見えてくる。主人公のリックは妻イーランとともに朝を迎えた。妻は、うとうとしていてなかなか起きようとしない。情調オルガンの調整でサージ電流を弱めに設定しすぎたためらしい。サージ電流とは、いわば電流の大波のことで、電気回路をパルス状に通過していく。リックやイーランの情調は電流のパルスで制御されているのである。

情調オルガンの話をもう少し続けよう。この装置の正式名称は「ペンフィールド情調オルガン」。ペンフィールドの名は、脳のどの部位がどんな働きをしているかを〈地図〉として示したカナダの脳外科医ワイルダー・ペンフィールド(1891~1976)に由来するらしい。

この作品世界では、人は情調オルガンのダイヤル操作で自分の心の状態を変えることができる。〇〇状態を××時間だけ保ち、その後は△△状態に自動的に切り替える、というように事前のプログラムもできる。心の状態のメニューは番号登録されている。たとえば、481番は「あたしの未来に開かれている多様な可能性の認識。そして新しい希望――」、888番は「どんな番組であっても、テレビを見たくなる欲求」という具合だ。

このあたりまで読み進むと、時代設定もわかってくる。リックとイーランがいるのは「最終世界大戦」後の1992年。著者は、執筆時点から四半世紀後を見通しているわけだ。最終大戦は核戦争だった。その放射性降下物は今も地球に降り注いでいる。それは大気を「灰色」にして、陽光を遮るほど。グロテスクなのは、男性用「鉛製股袋(コドピース)」のCMがテレビに流れていること。生殖器官の放射線防護が、日常のことになっている。

地球では被曝を免れないという事態は「宇宙植民」を加速させた。惑星に移り住むことだ。政府は人々に「移住か退化か! 選択はきみの手にある!」と呼びかけた。地球残留組は毎月、被曝の影響を検査される。「法律の定める範囲内で生殖を許可された人間」をふるい分けるのだ。これは、核戦争後に現れかねない新手の優生政策といえよう。そして、移住者にはアンドロイド1体を無料で貸し出すという優遇策が「国連法」で定められた。

これが、作中にアンドロイドが登場する文脈だ。主人公夫婦が口論になり、イーランがリックを「警察に雇われた人殺し」となじる場面がある。「おれはひとりの人間も殺したおぼえはないぞ」「かわいそうなアンドロイドを殺しただけよね」。どういうことか。

その事情を書きすぎてしまってはネタばらしになるので、文庫版のカバーに10行ほどでまとめられた作品紹介の範囲を超えずに要約しよう。放射性降下物で汚染された地球では「生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた」。だが、リックが飼っているのは「人工の電気羊」だ。「本物の動物」がほしい。そこで懸賞金目当てに、火星から逃げてきた「〈奴隷〉アンドロイド」8体を処理しようと「決死の狩りをはじめた!」――。

リックの任務に欠かせないのは、目の前にいる人物がアンドロイドなのか人間なのかを見極めることだ。ロボット技術の進歩で、見た目では区別できなくなっている。作中には「フォークト=カンプフ検査」という検査法が出てくる。手順はこんなふうだ。

リックは被検者に「きみは誕生日の贈り物に子牛革の札入れをもらった」と語りかける。被検者からは「ぜったいに受けとらないわ」といった答えが返ってくるが、回答そのものは判定に直結しない。被検者の心身がどう反応するか、が問題なのだ。検査では目に光をあてたり、頬に探知器を取りつけたりする。眼筋や毛細血管の変化を測定しているらしい。反応の様子を示すのは計器の針だ。ウソ発見器のような仕掛けと思えばよい。

被検者への質問に盛り込まれたエピソードをいくつか書きだそう。自分の子どもが「蝶のコレクションと殺虫瓶を見せた」、テレビを見ていたら「とつぜん、手首をスズメバチが這っているのに気がついた」、雑誌に載ったヌード写真の女性が「熊皮の敷物に寝そべっている」、小説を読んでいたら作中のコックが「大釜の熱湯の中にエビをほうりこんだ」……。動物が災難に遭ったり、遭いそうになったりする状況ばかりが被検者に示される。

どうやらこの検査では、哺乳類であれ、甲殻類であれ、昆虫であれ、ありとあらゆる生きものに対する心的反応がアンドロイドと人間を見分ける決め手になるらしい。見落とせないのは、この作品が1960年代後半に書かれたことだ。それはエコロジー思想の台頭期に当たり、動物の権利保護運動が強まる前夜だった。アンドロイドは無機的だ。脳をどれほど人間に似せても、生態系の共感に根ざした倫理まではまねられない、と著者は見たのか。

著者は、人間らしさの本質を生態系の一員であることに見いだそうとしている。題名の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に込められた思いがようやくわかった気がした。

この作品で衝撃的なのは、リックが被検者に黒革のカバンを見せて「正真正銘の人間の赤ん坊の生皮」とささやきかける場面だ。計器の針が「くるったように振れた」が、それは「一瞬の間」を置いてからだった。この遅れで被検者はアンドロイドと見抜かれる。

AIが人間の感情を再現しようとしても、真の人間ほどには素早く反応できない。情報処理の速さが情動に追いつかなかったということか。だが21世紀のAIとなると話は別だ。フォークト=カンプフ検査をくぐり抜け、人間の座を占めてしまうかもしれない。
*「本読み by chance」2020年3月20日付「ディックSFを読んでのカジノ考
(執筆撮影・尾関章)
=2022年9月2日公開、通算642回
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AIで変わる俳句の未来?

今週の書物/
『AI研究者と俳人――人はなぜ俳句を詠むのか』
川村秀憲、大塚凱著、dZERO社、2022年刊

@付き

対談本は、読書ブログの相手としては難物だ。起承転結が望めない。Aさんの話にBさんが乗ってきても、Aさんが言いたかったこととBさんが聞きたかったことにズレがあったりする。読み手の見通しは裏切られるばかりだ。だが、そこにおもしろさがある。

AさんとBさんの専門領域が異なるとき、しかも二人の領域が一部で重なりあうとき、その部分集合でおもしろさは全開になる。『AI研究者と俳人――人はなぜ俳句を詠むのか』(川村秀憲、大塚凱著、dZERO社、2022年刊)は、そんな対談本の典型だ。

著者川村さんは人工知能(AI)の研究者、大塚凱さんは新進気鋭の俳人。二人は、AI俳句と人工知能「AI一茶くん」の縁でつながっている。当欄は先週、本書を読んでAI俳句の正体を探ったが、今週はもう少し幅広い視点から読みどころをすくいとろうと思う。

必読なのは、二人が俳句を情報工学的に論じあうくだりだ。ここでのキーワードは、「エンコード」(符号化)と「デコード」(復元)。情報技術(IT)では、発信元が音源や画像を「符号化」して送ることになるが、それが送信先では「復元」され、受け手は原本とほぼ同じものを手にできる。俳句では作者が作句というエンコードを担うが、デコードは「他者に委ねる」ので「予測がつかない」(川村)。そこに醍醐味があるらしい。

このことに関連して、ドイツの理論生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提案した「環世界」も話題になる。世界は生物種ごとに別のものとして存在するとの視点に立って、ダニにはダニの、ヤドカリにはヤドカリの「環世界」があるとみる考え方だ。

ヒトの個々人にもそれぞれ「主観的な世界」がある。ところが俳句では、作者と読者が句を「架け橋」にして「お互いの『世界』を行き来できる」(川村)。これが、ダニやヤドカリの「環世界」と違うところだ。川村さんによれば、俳句では「ことばの定義」や「背景となっている知識」などが「共有」されることで「混じり合わないはずの主観的な世界が混じり合う」という。先週話題にした季語や固有名詞は、この局面で一役買うのだろう。

ここで大塚さんは、俳人ならではの情報観を披瀝する。俳人にとって「エンコードされる前の元の情報と、デコード後に得られる情報がどれだけ一致しているか」は一大事ではない。デコード処理がアナログ的なので、作者が句に入れ込もうとする情報は「デコードされるたびに、つまり、読まれるたびに、劣化、というより、変化する」――。そこに見てとれるのは、不正確な復元を「劣化」と見ず、前向きに「変化」ととらえる姿勢である。

これを受けて、川村さんは話を再び「環世界」に引き戻す。作者が世界をどうエンコードするか、読者が他者の句をどうデコードするか、という工程に目をとめれば、俳句には「それぞれの環世界を垣間見る」という醍醐味があることを指摘している。

対談の妙味ということで言えば、話が突然、「トロッコ問題」に飛ぶところも私の印象に残った。暴走車両が走る線路で分岐点の先の片方に5人、もう一方に1人がいたとき、分岐点のポイントをどう操作するか、という倫理の思考実験だ。この問いでは「『多くの人を助けるためなら、一人を犠牲にしてもよいのか』という正解のない選択肢」(川村)が提示される。AIによる自動走行車の開発などでは切実な問題になっている。

これに対するAI研究者川村さんの見解は明快だ。「正解のない問いには、AIも答えることができません」。人間が答えられないからAIに任せよう、というのは虫がよすぎる、というわけだ。AIにできるのは、そんな「究極の選択」を伴う「極限状態」を避けることであり、合理的な思考で「あきらかにまちがい」とわかることを排して「選択肢を絞っていくこと」――AIは人間の「補佐」役こそがふさわしいという見方を示す。

川村さんは、このAI観を俳句に結びつける。AIに作句させて自力で最良句を選ばせるという目標は「研究者の野望」として否定しないが、現実には「俳句をつくった人の手助けをして、よい句に近づけていく」くらいで満足すべきではないか、というのだ。

これに応えて、俳人大塚さんは「添削」と「推敲」の違いをもちだす。俳句の添削は語順や言葉の効率性などの改良にとどまるが、推敲ではもっと高い次元から句を練り直す。添削の一部はAIに任せられるが、「『推敲』は人間と人間の関係からでしかなし得ない」。大塚さんが「人間と人間の関係」の例に挙げるのは師弟の交流だ。師の句評や作品群の背後にある俳句への向きあい方、即ち「非言語的なプリンシプル」も推敲の力になるという。

はっとさせられるのは、川村さんが推敲を「正解・不正解のどちらとも決められない領域」に位置づけていることだ。そうか。俳句を詠むというのは、トロッコ問題を議論するのと同様、正解の見いだせない問いと対峙する「高次」の知的作業なのか。

本書には、「AI俳句は俳句を終わらせる可能性がある」(大塚)という衝撃的な予言もある。AIは「膨大な句を吐き出す」から、すべての句を人間より先に生成してしまうかもしれないという。川村さんも、米国の弁護士兼プログラマー兼音楽家がアルゴリズムを駆使して680億曲以上をつくったという話を引きあいに出して予言を支持した。ちなみに、この大量作曲は「みんなが自由に使っていい」公有のメロディをふやすためだったらしい。

俳句は五七五の短詩型文学なので、ただでさえ「有限」感がある。AIが参入すれば、なおさらだ。そこで、対談の向かう先は俳句の未来像になる。川村さんは、「どんなコンテクスト、どんな背景をもって、その句をそこでは詠むのか」に重心が移るとみる。コンテクスト(文脈)への依存である。大塚さんも、句に付随する共有知識の部分が膨らんで「コンテクストへの愛好が表面化する時代が来る、すでに来つつある」と同調する。

二人の合意点を私なりに読み解くと、こうなる。俳句の芸術性を句そのものの新しさに見いだす時代はまもなく終わる。これからの俳句は、作者と読者の共有空間に置いて、どんな感興が呼びおこされるかを楽しむものになる――。大塚さんは、それを平安時代の宮廷歌人が即興で和歌を詠む慣習になぞらえる。川村さんは、現代の「オタク同士の会話」にたとえる。句は句を詠む場とともにあるわけだ。当欄はそれを、@付きの句と呼ぶことにしよう。

これを読んで、私は二つのことを予感する。悪いほうを先に言えば、俳句がネットの炎上現象に似て一方向を向いてしまわないか、という危惧だ。だが、良いこともある。

もともと人間は、人類すべてを相手に交信していなかった。近年、SNSの登場で個々人が大集団と心を通わせたような気分になりがちだが、それは幻想に過ぎない。そんなとき、俳句は小集団の共感を大事にするという。それはそれで一つの見識ではないか。
☆引用箇所のルビは原則、省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年8月26日公開、通算641回
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AIは俳句上手の言葉知らず

今週の書物/
『AI研究者と俳人――人はなぜ俳句を詠むのか』
川村秀憲、大塚凱著、dZERO社、2022年刊

スイカ、甘い?

古ポスター日焼けの美波里日にヤケて(寛太無)
先日の句会はオンライン形式で、お題――俳句では兼題という――が夏の季語「日焼」だった。上記は、このときの拙句だ。うれしいことに7人の方が選んでくださった。

自句自解――自分の句を自分で解説すること――は無闇にすべきではないが、今回は許していただこう。私の脳内では、この句に行き着くまでにいくつかの工程があった。思いつきがある。連想がある。思惑もある。それらを一つずつたどってみよう。

今、日焼けは負のイメージが強い。「UV(紫外線)カット」という言葉があるように悪者扱いされたりする。だが、昔は違った。真夏の街には、小麦色の肌があふれていた。夏も終わりに近づけば、どれだけ背中を焼いたかを競いあう若者たちもいた。

昔の価値観、即ち日焼けの正のイメージということで真っ先に思い浮かんだのは、あの資生堂ポスターだ。女優の前田美波里さんが水着姿で砂浜に寝そべり、上半身をもたげて顔をこちらに向けている。肌は美しい褐色。1966年に公開されたものだった。

そこでとりあえず心に決めたのは、中の句、即ち五七五の七に「日焼けの美波里」を置こうということだった。「日焼け」と「美波里」をつなげるだけで、あのポスターと1960年代の世相を読者は想起するだろう。半世紀余も前のことなので、世間一般には通じないかもしれない。だが、句会メンバーには同世代人が多いので、幾人かがビビッと反応してくれるに違いない。私の脳内には、そんな思惑が駆けめぐったのである。

これで、ポスターの記憶と1960年代の空気は読者(の一部)と分かちあえるだろう。次に画策したのは、日焼けをめぐる今昔の価値観を対照させること。そこで、ポスターの経年変化がひらめいた。古書のヤケに見られる紙の加齢現象はポスターにもある。美波里さんは正の日焼けをしているが、彼女が刷り込まれた紙は負の日ヤケをしている。紙のヤケそのものは劣化現象であっても、ヤケをもたらす時の経過はたまらなく愛おしい――。

そういえば、あのポスターは商店の壁などに長いこと貼られていた。現実にはありえないだろうが、今もはがされず壁に残っていたら……そんな空想をめぐらせて、下の句「日にヤケて」が決まった。以上が、日焼けの拙句を組み立てた脳内工程のあらましだ。

で、今週の1冊は『AI研究者と俳人――人はなぜ俳句を詠むのか』(川村秀憲、大塚凱著、dZERO社、2022年刊)。川村さんは1973年生まれ、人工知能(AI)の研究者で「AI一茶くん」開発チームを率いる北海道大学教授。大塚さんは1995年生まれ、2015年に石田波郷新人賞を受けた新進の俳人で俳句同人誌「ねじまわし」を発行している。本書は、AI一茶くんをよく知る二人が俳句とは何かという難問と向きあい、語りあっている。

ではなぜ、私が本書を手にとったのか? ここに前述の句会がかかわってくる。先達メンバーの脚本家、津川泉(俳号・水天)さんが「日焼けの美波里」を選句してくださったうえで、固有名詞を取り込んだ作句をどうみるかを講評欄の話題にしたのだ。

そこで引用されたのが本書だ。AIの俳句には固有名詞が多いこと、固有名詞の句は人間もつくりやすいことを踏まえて、著者の一人、大塚さんが「安易さと戦うのが書き手の責務と捉えれば、固有名詞の句には慎重であるべき」と戒めているという。

これは、ぜひとも読まねばなるまい。AIはどんな手順で俳句をつくるのか、それは私の脳内の工程とどこが同じで、どこが異なるのか。これらの疑問に対する答えがおぼろげにでも見えてくれば、AIがなぜ固有名詞句を得意とするかがわかるかもしれない――。

ということで本書に踏み入ると、驚くべき解説に出あった。AIは語意を知らずに作句するというのだ。たとえば、「林檎」の句をどう詠むか。AIは「林檎が赤いことも、食べられることも知りません」(川村)。過去の作品群を「教師データ」にして「『林檎』の次にどんなことばが来る可能性が高いのか」(同)を学習する。具体的には助詞「の」や動詞「咲く」などがありうるが、それぞれの頻度を調べて後続の語を決めていくらしい。

夢に見るただの西瓜と違ひなく(AI一茶くん)
本書に出てくる果物のAI俳句だ。「夢に見ている西瓜もまた西瓜である」(大塚)と読めるが、一茶くんはそんな至言を吐きながらスイカの甘さも量感も知らないらしい。当欄で先日学んだソシュール言語学でいえば、「シニフィエ(意味されるもの)が欠落した状態」(大塚)ということになる(当欄2022年7月8日付「ソシュールで構造主義再び」)。

AIには「俳句を詠みたいという動機がない」(川村)というのも目から鱗だ。AIは「人間の俳句を教師データとして使って」「賢いサイコロのようにことばをつないで」(同)、語列を俳句らしく整えているだけ。自句の「解釈」もできない。一語一語に意味が伴っていないのだから、文学的衝動とは無縁と言えよう。川村さんは、AI作句には「詠む」という動詞がなじまないので、「AI『で』」「生成する=つくる」と言うようにしているという。

となれば、AIが選句を苦手とするのは当然だ。川村さんによれば、「AI対人間」の俳句コンテストがあってもAIは出品する句を自分で選べない。AIに今できるのは「日本語として意味の通じない句」をつくったとき、それを作品から除外することくらいという。

ここで、AIがなぜ固有名詞の句を得意とするか、その答えを本書から探しておこう。川村さんの説明はこうだ。固有名詞は「意味するところが狭い」、だから「意味が通りやすい」――。AIは「教師データ」をもとに言葉をもっともらしく並べ、俳句を生成していく。このとき、日本語になっていない語列ははじかれるが、固有名詞があると排除されにくいということなのか。そういうものかと思う半面、反論してみたい気持ちもある。

西行の爪の長さや花野ゆく(AI一茶くん)
シャガールの恋の始まる夏帽子(同)
これらも、本書に例示されたAI俳句だ。冒頭の語がただの「僧」や「画家」ではなく「西行」や「シャガール」だからこそ、読み手の心に放浪や幻想のイメージが膨らむのではないか。固有名詞には「意味」の幅を広げる一面もあるように思えるのだが……。

固有名詞の効果を考えるうえで参考になるのは、著者二人が季語について語りあうくだりだ。季語は「共有知識」ととらえられている。川村さんによれば、ここで「共有知識」というとき、それは「相手が自分と同じことを知っているだけでなく、『相手が知っている』ということを知っている」状態を想定している。俳句の季語では、「本来の語意」のみならず「付随する周辺的な情報や心情」までが「共有知識」になるのだという。

具体例は、秋の季語「鰯雲」だ。大塚さんは、この言葉には「秋の爽やかさ」や「物思いを誘うような風情」といった気配がつきまとい、さらに「鰯の大群の比喩」にもなっているという。「季語の一つ一つに蓄積があり、連想がある」と強調する。

私見を述べれば、固有名詞にも同様のことが言えるのではないか。拙句の「美波里」という人名やそこから連想される1960年代の風景も「共有知識」だった、と言ってよい。

それにしても不思議なのは、AIが固有名詞入りの句を多くつくることだ。「周辺的な情報や心情」どころか「本来の語意」すら理解していないらしいのに、なぜそれを「共有知識」にできるのか。なにも知らず、「教師データ」に素直に従っているだけなのか。

本書には、俳句とAIについて考えさせられる論題がもっとある。俳句を情報工学の目で眺めると、初めて見えてくるものがあるのだ。次回も引きつづきこの本を。
☆引用箇所のルビは原則、省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年8月19日公開、同日最終更新、通算640回
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