森の暗がりで哲学に触れる

今週の書物/
『樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声』
ペーター・ヴォールレーベン著、長谷川圭訳、ハヤカワ文庫NF、2018年刊

新緑

「森」という言葉で思いだすのは、東京西郊の某学園構内にあった小樹林だ。正門を入ってグラウンドに下りる斜面に高木が生い茂っていた。私が幼かったころは万事鷹揚な時代で、学園は近所の住人が構内を散歩するのを黙認していた。その学園町に住んでいた母方の祖母も、孫をそこに連れていったものだ。「さあ、モリへ行きましょう」――。あの樹林は今もあるだろうか。昔のようには立ち入れないだろうから、すぐには確かめられない。

この思い出話からもわかるように、日本で都会の住人が思い描く森林像はつましい。ちっぽけな緑陰を見ても森と思ってしまう。東京の住宅街に限っていえば、それは斜面の自然であることが多い。当欄が昨春とりあげた大岡昇平『武蔵野夫人』でいえば、多摩川の河岸段丘がつくりだした国分寺崖線の緑ということになる(*1、*2)。では私たちは、森というものの本質を取り違えているのだろうか。必ずしも、そうとは言えない。

たとえば、あの学園の「森」は十分に暗かった。部活の選手たちがグラウンドで発する声を聞きながら、下り坂にさしかかると、いつのまにか陽射しが翳り、辺りはひんやりして湿った空気に包まれた。このこと一つをとっても、森らしい森といえる。森イコール木々の葉叢(はむら)に覆われた空間ととらえれば、あの「森」も間違いなく森だった。ただ、都会の森は小さい。一瞬のうちに通り抜けられるので、多くのことを見逃してしまう。

話は、幼時から青春期に飛ぶ。そのころになると私も頭でっかちになり、森林のことを理屈っぽく考えた。ちょうど、生態学(エコロジー)という学問領域が生態系(エコシステム)という用語とともに脚光を浴び、それが環境保護思想(エコロジー)に結びついた時期と重なる。その生態系を体現するものが森だった。森は樹木だけのものではない。鳥がいる、虫がいる、獣もいる、草がある、キノコも――それが「系」だと頭で理解した。

たとえば、拙宅玄関わきの落葉広葉樹。植木職人に聞くとムクノキだという。私たち家族が引っ越してきてから実生で育った。春先に新芽が出て葉が繁りだすころ、数種類の鳥たちがやってきて、ときに愛らしく、ときに騒々しく、鳴き声をあげる。これも生態系だ。

だが、それは思いあがりかもしれない。庭木の生態系は所詮、人工の産物だ。森の生態系を再現してはいない。森は、ただ多種の生物が共存するという意味での生態系ではない。その暗がりは、人間の尺度を超えた自然の営みを秘めているらしい――。

で、今週の1冊は『樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声』(ペーター・ヴォールレーベン著、長谷川圭訳、ハヤカワ文庫NF、2018年刊)。著者は、ドイツで森林管理に携わる人だ。1964年、ボン生まれ。大学で林学を学び、営林署勤めを20年余続けた後、独立した。ドイツには「フリーランス」の森林管理家がいるということか。原著は2015年刊。邦訳は、単行本が2017年に早川書房から出て、翌年に文庫化された。

本書は、エッセイ風の短文37編から成る。著者が日々、森を見回っていて気づいたことを思いのままに綴り、その合間に生物学の文献などを引いて、最新の研究結果を織り込んでいる。多種多彩な樹木やキノコ、鳥、虫が次から次に登場するので、読むほうは途中でついていくのがしんどくなる。ということで当欄は、森の生態系について系統立てて論ずることはあきらめた。印象に強く残った話をいくつか拾いあげてみることにする。

「友情」と題する一編では、森の木々の間にある友愛が語られている――。著者は、ブナの群生林で「苔に覆われた岩」らしいものを見かけた。近づいてみると「岩」は見間違いで、それは古木の切り株だった。驚いたことに、樹皮をナイフで剥いでみると「緑色の層」が顔を出した。植物にとって生の証しともいえる「葉緑素」である。その木は400~500年ほど前に伐採されたと推察されるが、それでもまだ生きつづけていたのだ。

「私が見つけた切り株は孤立していなかった」と著者は書く。その解説によれば、切り株が「死なずにすんだ」のは、周囲の木々が根を通じて「糖液を譲っていた」からにほかならない。容易には信じがたいが、樹木の間では「根と根が直接つながったり」「根の先が菌糸に包まれ、その菌糸が栄養の交換を手伝ったり」ということが起こる。ご近所で「栄養の交換」をしているのだ。昭和期の町内で隣家同士が醤油の貸し借りをしていたように。

興味深いのは、樹木が栄養を譲る先は同種の仲間に限らない、とあることだ。競合する樹種に分け与えることもあるのだという。なぜか。理由は「木が一本しかなければ森はできない」ということに尽きる。樹木が風雨や寒暖から身を守るにも、十分な水分とほどよい湿度を手に入れるにも、1本ではダメで森が必要だ。ただ、相手を「どの程度までサポートするか」はまちまちで「愛情の強さ」が関係している、と著者は考える。

「木の言葉」という一編には、根のネットワークが栄養だけでなく、情報のやりとりにも使われることが書かれている。1本の木が害虫に襲われたとしよう。木は虫の撃退物質をつくって自衛する一方、周りの仲間に向けて警報を発する。その通信経路の一つが根っこ。警報は化学物質や電気信号のかたちをとって伝わる、と本書にはある。このときも一役買うのが菌糸で、根っこ同士が接していなければそれらを仲立ちするという。

菌糸とは菌類から伸びた糸だ。菌類はキノコなどのことである。本書によれば、森の土くれスプーン1杯には菌糸が長さ数km分も畳み込まれているらしい。菌糸のネットワークには、“www”になぞらえて「ウッドワイドウェブ」の愛称もあるという。

著者によれば、木の根には脳の役割があるという説も有力らしい。根の先にある電気信号の伝達組織で、樹木に「行動の変化」を促す信号を検知した研究もあるという。「行動の変化」の一例は、成長組織に伸びる方向を変えさせることだ。根が、地中で岩石や水分、あるいは有害物質を感じとったとしよう。これをもとに樹木を取り巻く「状況を判断」、成長組織に「指示」を出して「危険な場所に進まないように」仕向けるわけだ。

興味深いのは、植物学者の多くが木の根の「判断」や「指示」を「知性」とはみなさないことに著者が異論を唱えている点だ。違いは、樹木では情報の感知が「行動」に結びつくまでに「時間がかかる」こと。「生き物として価値が低いということにはならない」と書く。

木がものを考えるということでは、こんな話もある――。著者は、ナラの木々が一カ所に並んでいても秋に葉が色づくタイミングがまちまちなことに気づく。落葉樹は日照時間が縮まり、温度が下がると、光合成をやめて冬眠態勢に入ろうとするが、一方で、翌春に備えて「できるだけたくさんの糖質をつくっておこう」という指向もある。「判断」は「木によって違っている」と、著者はみる。二つの思惑の間で悩むことが木にもあるのか。

著者は本書で、森の樹木を人間に見立てて描いている。樹木に対して「愛」とか「知性」とかいう言葉を使うことには、科学の見地から眉をしかめる向きもあるだろう。ただ、森には人間社会とは次元の異なる「愛」や「知性」があるのだと思えば、納得できる。

圧倒されるのは、木の時間の長さだ。著者が管理する森ではブナの若木が樹齢80歳超だが、約200歳の母親から「根を通じて」糖分を受けている。まだ、赤ちゃんなのだ。様相が変わるのは、いずれの日か母親の命が尽きるときだろう。母親が倒れれば若木の一部も倒れるが、残りは「親がいなくなってできた隙間」の恩恵を受ける。「好きなだけ光合成をするチャンス」をようやく手にするのだ。こうして若木同士の競争が起こり、勝者が跡目を継ぐ。

木の空間も長い。それは、森は動くという話からわかる。欧州の中部や北部には300万年前、すでにブナ林があったが、一部の種類は氷河期にアルプスを越え、南欧で生き延びた。間氷期の今は北上を続け、北欧の南端にまでたどり着いたという。ブナの種子は、鳥や風の力では遠くに移動しにくい。それでも生息地を、最適の場所へ少しずつずらしていくのだ。移動速度は年速400mほど。地球の生態系が動的であることに感嘆する。

森にはやはり、時間的にも空間的にも人間の尺度を超えた何かがある。私が幼い日に感じた暗がりの正体は、ものの見方を広げてくれる哲学の影だったのかもしれない。
・引用部にあるルビは原則、省きました。
*1 当欄2021年4月23日付「武蔵野夫人、崖線という危うさ
*2 当欄2021年4月30日付「武蔵野夫人というハケの心理学
(執筆撮影・尾関章)
=2022年6月3日公開、通算629回
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■公開後の更新は最小限にとどめます。

ウィーンでミューズは恋をした

「ココシュカ 風の花嫁」
外岡秀俊執筆
『世界 名画の旅4 ヨーロッパ中・南部編』(朝日新聞日曜版「世界 名画の旅」取材班、朝日文庫)所収

ウィンナコーヒー〈濃いめ〉

ウィーンは、ただの芸術の都ではない。芸術革新の都でもあった。19世紀末から20世紀初めにかけて、繁栄と貧困が混在する帝都に絵画や建築の新潮流が起こる。分離派である。官能の画家グスタフ・クリムトも、その旗を振った。そんなことを先週は書いた。(*)

分離派の運動は、芸術分野で旧時代と切り離された新時代の作品群を生みだそうというものだった。それで気づくのは、同様の動きが別分野にもあったことだ。分離派よりもやや遅れて1920~1930年代、学術分野に旋風を巻きおこしたのが「ウィーン学団」だ。

ウィーン学団は、ウィーン大学を拠点に文系理系の研究者が専門の違いを超えて議論をたたかわせた学者集団である。形而上学を排して哲学の科学化をめざし、論理実証主義を重んじた。物理学者であり、哲学者でもあるエルンスト・マッハの影響を強く受けている。

ここまでのことでわかるのは、ウィーンはオーストリア・ハンガリー二重帝国の末期、芸術と学術の坩堝であったことだ。その片鱗をうかがわせる記述は、先週とりあげた記事「クリムト 接吻」(外岡秀俊執筆、朝日新聞日曜版連載「世界 名画の旅」1985年8月4日付)にもあった。当時の帝都には、性を禁忌とする表の顔と性に耽溺する裏の顔があったが、その「二重基準」と向きあった科学者に精神医学のシグムント・フロイトがいたという。

そんなウィーンの空気が横溢するのが、同じ連載の別の回「ココシュカ 風の花嫁」(外岡秀俊執筆、朝日新聞日曜版連載「世界 名画の旅」1987年2月8日付)という記事だ。これも、『世界 名画の旅4――ヨーロッパ中・南部編』(朝日新聞日曜版「世界 名画の旅」取材班著、朝日文庫、1989年刊)で読むことができる。オスカー・ココシュカ(1886~1980)はオーストリア出身の画家、「風の花嫁」は彼が1914年に仕上げた油彩画である。

「風の花嫁」に描かれた女性のモデルは、アルマ(1879~1964)だ。記事に姓はない。彼女の人生を語るときに姓が馴染まないからだろう。父親は貴族の家系に連なる画家だったが早逝、その後、母は父の弟子と結ばれる。自身も長じてから、結婚を3回経験している。だから、彼女の生涯を一つの姓で括ることには無理があった。いや、それだけではない。アルマ自身が家に縛られることのない自由な生き方を追求していたのである。

アルマの恋人や夫たちを並べてみると、その顔ぶれに驚く。初恋の相手は、当欄が先週とりあげた絵描きのクリムトだった。ただ、この恋は、アルマの母親が割って入って打ち切られる。母は娘の日記を盗み見て「早すぎる」と判断したのだ。最初の結婚相手は、すでに名声を博していたオーストリアの作曲家・指揮者のグスタフ・マーラーだ。二人の結婚生活は8年間続き、子どもにも恵まれたが、マーラーの病没によって終止符が打たれた。

二人目の夫は、ドイツで活躍していた建築家ヴァルター・グロピウス(記事の表記では「グローピウス」)だ。モダニズム建築の巨匠である。三人目はオーストリアの詩人で、劇作家、小説家でもあるフランツ・ウェルフェルだ。アルマの恋人や夫たちが打ち込んだものは、絵画、音楽、建築、そして文学。芸術のほぼ全領域を覆う。別々の分野でそれぞれ大仕事をしていた芸術家たちが同じ一人の女性に魅せられたという事実には圧倒される。

ウィーンの芸術家人脈は科学者人脈にもつながっていた。たとえば、マーラーはフロイトに接触している。夫婦仲がギクシャクしていることに悩み、精神医学にすがったのだ。もともとの原因は、マーラーが結婚当初、音楽の才能に秀でたアルマの作曲活動を認めようとしなかったことにあるのだが、彼は精神分析を依頼した。夫は妻に母親像を追い求め、妻は夫に父親像を見ようとしている、というのがフロイトの見立てだった。

で、今回の本題。アルマを取り囲む華麗な人脈でとりわけ輝いて見えるのが、「風の花嫁」の作者ココシュカだ。見かけのうえでは、アルマの最初の結婚と二番目の結婚の間で中継ぎの恋愛相手を務めたに過ぎない。だがその関係は、短くとも強烈なものだった。

ココシュカは1912年春、アルマ邸に呼ばれる。肖像画の発注を受けたのだ。マーラーは前年に亡くなっている。アルマは喪服姿だった。横顔のスケッチが始まる。「深く澄んだ目。通った鼻筋。ふくよかな成熟を示すほお」。アルマはピアノを奏でる。ココシュカは、その姿を描きとめようとした。瞬間、咳き込み、ハンカチを口に当てる。血がにじんでいた。この出来事に「ココシュカはいきなりアルマを抱きすくめ、逃げ去った」という。

こうして二人の恋が始まる。アルマ32歳、ココシュカ26歳。ココシュカは斯界では「強烈な表現」や「挑戦的な言辞」で知られた存在だった。アルマに対しても、いきなり「生涯の伴侶(はんりょ)になって下さい」と書いた手紙を送る。本人は求婚のつもりだったようだが、アルマはこれを求愛とだけ解釈して受け入れた。こうして二人は2013年、スイスとイタリアに旅行する。このときに着想されたのが「風の花嫁」だった。

その絵は、深い青を基調にしている。荒波の海だ。風が吹いている。一組の男女が小舟に揺られ、横たわっているように見える。女性が男性の肩に頬を寄せているから、恋人同士なのだろう。女性は「うっとり」目を閉じている。これに対して、男性の「虚空にすえたまなざし」は「不安とも悲愁ともつかない色」をたたえている。ココシュカは、恋愛の絶頂期でも不吉な予感を拭えなかったのだろう。そして現実も、その通りの展開となる――。

1914年、アルマはココシュカの子を身ごもる。ココシュカは子をほしがったが、アルマは産まなかった。この年、第1次世界大戦が勃発する。ココシュカは結婚の望みを絶たれ、志願して軍隊に入った。このとき「風の花嫁」を売り払い、その代金で馬を買いつけて出征したという。絶望感が深かったのだろう。一方、アルマは翌年にはグロピウスの妻となっている(この結婚年は、ウィキペディア英語版=2022年4月24日最終更新=による)。

筆者外岡は、この失恋の理由をココシュカ資料保管所長のウィンケラー氏から聞いている。氏の見解によれば、ココシュカもアルマに「母親像」を見ようとしたが、アルマが欲したのは「自由」と「旅」だった。「風の花嫁」はもともと「情熱的な赤の色調」だったが、それを「憂いを含む青ざめた色調」に塗りかえていったという。ここまでなら、年下のマザコン男が年上の恋多き女にふられる話だ。だが、この顛末はそれにとどまらない。

外岡はウィーンのカフェで、アルマの孫にも会っている。マーラーとの間にできた子どもの子で、名は祖母と同じアルマだ。夜泣きしても「祖母の姿を見ただけでぴたりと泣きやんだ」という幼時体験を披露しつつ、祖母を「さまざまな芸術家に霊感を与えたミューズ」と位置づけた。ウィンケラー氏も同じ言葉を用いて、アルマがココシュカの求婚を拒んだ深層心理を読み解く。「彼女は、ミューズの地位を失うことを恐れたのかもしれない」

ミューズとは、ギリシャ神話に出てくる9人姉妹の女神たちのことだ。詩神と呼ばれたりもするが、もともとはあらゆる知的営みをつかさどる存在を指したという。だから、祖母アルマに「ミューズ」を見いだした孫アルマの目は的を外していない。

この記事を読むと、当時のウィーンでは芸術や学問の濃度が比類ないほど高かったことを実感する。高濃度だから、ミューズを結節点とするネットワークが生まれたのだ。
*当欄2022年4月29日付「ウィーン、光と翳りとアドルフと
(執筆撮影・尾関章)
=2022年5月6日公開、通算625回
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“もっている”記者という悲劇

今週の書物/
「災厄」
R
・シアーズ著、福島正実訳
『不思議な国のラプソディ――海外SF傑作選』(福島正実編、講談社文庫)所収

記者の産物

クジというもので、特等賞に当たったことが私にはない。ツキがないのだ、とつくづく思う。ただ、自分の新聞記者生活を振り返ると、あながちそうとばかりは言えない。1987年2月、銀河系直近の大マゼラン雲に超新星が現れたのが、ツキに恵まれた例だ。

超新星は、恒星が一生の最期に大爆発する姿。このときは爆発で飛び散った素粒子ニュートリノを、東京大学教授小柴昌俊さんのグループが捕まえた。岐阜・富山県境の神岡鉱山に置いた水タンク「カミオカンデ」が検出したのだ。ではなぜ、私にツキがあったのか。実は1月に新聞社の科学部で持ち場替えがあり、私は天文担当になったばかりだった。もし持ち場替えがなければ、この科学的大事件を取材する機会を逃していただろう。

超新星ニュートリノをめぐっては、小柴さん自身の幸運がよく語られる。「カミオカンデ」をニュートリノの観測に合わせて改造した後、東大を定年退職するまで約3カ月間。この短い期間に、さほど遠くない超新星からニュートリノが届くというめったにない出来事が起こったのだ。それに比べれば、科学記者のツキなど取るに足らない。だが、個人的には大きな意味があった。物理学者の幸運に同期して、私にも大仕事が舞い込んだのである。

私自身がツキを得て大仕事に出あったのは、この一件くらいだ。ただ業界を見渡すと、この人は大仕事を引き寄せているのではないか、と言いたくなる記者もいる。俗な言い方をすれば“もっている”。何を「持つ」のかが不明の「持つ」である。スポーツのニュースで、偶然まで味方につけてしまうような選手によく使われる。ただこれは、記者に対しては誉め言葉になりにくい。少なくとも、当人が堂々と自慢できる話ではない。

というのも、新聞記者の大仕事は不幸な事件や事故であることが多いからだ。ところが、駆けだしの記者が警察回りを始めてすぐ大事件に遭遇すると、先輩たちから「事件を引っ張ってきたな」「もっているヤツだ」と冷やかされたりする。刑事事件には被害者がいるので、この軽口は不謹慎のそしりを免れない。だが、記者は事件の取材競争が始まると気持ちが高ぶっていく。それで仲間うちでは、こんな歪んだ心理が生まれてしまうのだ。

で、今週は、そんな記者心理を見透かしたような米国のSF短編を読む。「災厄」(R・シアーズ著、福島正実訳)。当欄が先週とりあげた作品と同様、『不思議な国のラプソディ――海外SF傑作選』(福島正実編、講談社文庫)に収められた一編である(*)。

冒頭に描かれるのは1950年代半ば、独立戦争のさなかにあるアルジェリアの街だ。主人公の「ぼく」は米国人の新聞記者。なぜ、自分はこの戦地に特派されたのか。理由の一つは、どういうわけか「流血の惨事」に「縁」があって「いくつかの大きな事故や戦乱のスクープ」で名を馳せていたことにある。業界では「厄病神(カラミティ)」とも呼ばれている。たぶん、本社も彼を“もっている”記者とみて白羽の矢を立てたのだろう。

「ぼく」自身は、戦場取材を希望していたわけではなかった。このときもカフェの一角に陣取って、一群の売笑婦が通りを行き過ぎるのを眺めていた。と、突然、若い女性が近づいてきて同じテーブルに相席する。「アメリカ人じゃありません?」と声をかけてくる。「故郷のひとだと思ったら、たまらなくお話がしたくなっただけなの」。ニューヨーク出身の踊り子で、名前はカーラ。この街でもキャバレーでショウに出ているという。

カーラは謎めいていた。いきなり「ぼく」の職業を新聞記者と言い当てる。「あなたはおぼえていないでしょうけど、わたしはあなたをおぼえているのよ」。そう言って、7歳のときに火事があって……と昔話を始めると、「ぼく」にもその記憶がよみがえってくる。10年あまり前のこと、テキサス・シティでアパートの火事があり、そのとき「ぼく」が助けだした女の子がカーラだった。これで二人は意気投合、ついには一夜をともにする。

カーラはハニートラップではないか、と思われる導入部だ。話がスパイ小説めいたものに発展するのかなという気もしてくるが、それからの展開はこの予想を裏切る。

翌日早朝、二人は地中海沿岸へドライブに出る。あたりにはローマ時代の遺跡があったので、廃墟のそばでサンドイッチをぱくついた。朝の陽射しが注ぐなかでのピクニック。「すばらしい恋」だ。ただこのとき、「ぼく」の内心には「奇妙な不安定感」が湧きあがっていた。「胸さわぎ」のようなものだ。「悪いこと」の予感といってもよい。そして、それは現実になる。大理石の柱がぐらつき、倒壊した。大地震が起こったのである。

二人は、どうにか逃げ抜けた。「ぼく」はその日、地震の原稿を本社に送りつづける。仕事をしていても、避難時にカーラが「もういや! もう、またこんなことになるなんて!」と絶叫していたことが気になる。送稿を終えて「きみは、今までに、何度もこういう災害を見てるんじゃないの?」と尋ねると、彼女はそれを認めた。テキサス・シティの火災、列車事故2回、1年前のリオ・デ・ジャネイロ大火……。それらすべてに居合わせたという。

ここで交わされる「ぼく」とカーラの問答が、この小説の主題だ。「きみは、災害が起こるまえに、何か、感ずるんじゃないか?」「そうなの。わたし、何か恐ろしいことが起こるとき、かならず、何か感ずるの」。不安に駆られて、一人だけでいられなくなるという。「ぼく」は、前夜の情事にもそんな事情があったのかと思い、「奇妙な安堵と失望」の入り交じった気分になるが、カーラは「でも、それだけじゃないわ」と抱きついてくる――。

主題についてあれこれ書くのは、このくらいでやめる。その代わり、作品の後段で出てくる災厄のことで、私がとんでもないことに気づいてしまったことを書き添えておこう。

その災厄とは「一九五五年のマン島レース」で起こった大事故だ。「あの惨事については、皆さんのほうがよく知っているだろう」と作者がことわっているから、実際にあった事象を指しているらしい。レースに出場したクルマが「超満員の観客席の中へ、頭から突っこんで」「マン島レース始まって以来の悲惨な大事故を惹き起こした」とある。死者82人、重軽傷者100人余という数字まで示されているので、これは史実だろうと思った。

このとき頭に浮かんだのが、自動車レースの聖地ル・マンだ。いつのことかはわからないが、ここで大事故があったという話を聞いた気がする。ネットで検索すると、ウィキペディアに「1955年のル・マン24時間レース」という項目があり、接触による炎上事故でドライバーと観客「83名」が亡くなったと記されている(2022年4月15日確認)。この事故を作品に取り込んだのだな、と早合点しそうになった。が、どうもおかしい???

違和感の理由はすぐにわかった。作中で描かれているのは「マン島レース」であって、「ル・マン24時間レース」ではない。マン島は英国の自治保護領で、イングランド西岸のアイリッシュ海にある。一方、ル・マンは字面でわかるようにフランスの小都市で、ロワール地方にある。ここで話がややこしいのは、マン島も有名な「レース」開催地であることだ。オートバイの「マン島TTレース」が、毎年の恒例行事になっている。

これは、作者がわざとすりかえたのか、それとも単なる勘違いか。作者の創意を雑念なしにくみとるのが正攻法だが、作者はレース系の話題が苦手で混同したのだろう、とニヤッとするのも読書の楽しみ方としてはありだろう。もう一つ、翻訳の段階で取り違えられた可能性はどうか。原文で確かめるべきだが、今すぐ手に入らない。推測で言えば、原語で「マン島」は“Isle of Man”、「ル・マン」は“Le Mans”なので、間違えたとは考えにくい。

私の関心は本題から離れ、作中の「マン島レース」事故が実話かどうかという一点で立ち往生してしまった。事実の認定にこだわるのは元新聞記者だからだろう。たまたま読んだSFでこんな難所に出あうとは。私は別の意味で、“もっている”のかもしれない。
*当欄2022年4月8日付「忘れたらどうするかがわかる小説
(執筆撮影・尾関章)
=2022年4月15日公開、通算622回
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忘れたらどうするかがわかる小説

今週の書物/
「奇妙な子供」
リチャード・マシスン著、石田善彦訳
『不思議な国のラプソディ――海外SF傑作選』(福島正実編、講談社文庫)所収

メモリー

忘れることが怖い年齢になった。日常生活のさまざまな局面で、この怖さを実感する。たとえば、玄関を出たときがそうだ。歩きだしてしばらくすると、カギを締めたか、締め忘れたかが気になる。20m先ならすぐ戻るが、50m先だとちょっと悩む。結局は引き返してドアをガチャガチャとやり、施錠済みを確認してホッとするのだが……。以前なら「心配性だな」と苦笑いしたものだが、最近は笑い話では済まされないと思うようになった。

記憶状態をテストしたりもする。先々週もちょっと触れたことだが、私はテレビの2時間ミステリー(2H)が好きだ(*)。今は地上波各局の新作の放映枠が消えてしまったから、旧作をBS局やCS局で観ることが多い。となると、主な制作年は1980~2000年代だ。画面には、懐かしい男優女優が次々に出てくる。そんなときに私が心がけているのは、彼ら彼女らの芸名をフルネームで思いだすことだ。2Hにはそんな効用もある。

このテストでは、ときに自信を失うこともある。その役者を知らないわけではない。世間的にも有名だ。レギュラーの出演番組から私生活の噂話まで次々に思い浮かぶのだが、なぜか名前だけが出てこない。「ほら、あの人、あの人だよ」。モヤモヤが喉元まで届いているのに言葉にならないという感じだ。思いつく苗字をア行、カ行……の順で想起してみるが、どうしても思いだせない。ところが数分たって突然、その名がひらめいたりする。

つくづく思うのは、人間がなにかを覚えているということの不可解さだ。たとえば、私がなかなか思いだせない俳優をAとしよう。Aの出演番組はドラマBやバラエティーCであり、私生活で噂される相手はDだとする。このとき、私の脳ではAがB、C、Dに紐づけられている。A、B、C、Dのネットワークだ。不思議なのは、記憶からAの名が消えても、なにものかがB、C、Dとかかわっているという情報は残存していることである。

で、今週は、私たちの生活が記憶に支えられていることを思い知らせてくれるSF。「奇妙な子供」(リチャード・マシスン著、石田善彦訳)という短編小説だ。『不思議な国のラプソディ――海外SF傑作選』(福島正実編、講談社文庫、1976年刊)に収められている。編者はSF系の作家兼翻訳家兼評論家であり、『SFマガジン』初代編集長としても知られる。その人が「おかしな世界」を描くSFの秀作12編を選んだものが、この短編集である。

この「奇妙な…」は、話の入り方は絶妙だ。夕暮れ時のオフィス街。西日がビル群の窓で照り返されている。窓の下からは車や人々が通りを行き交う音が聞こえてくる――そう、退社時刻だ。この小説の主人公ロバート・グラハムも仕事じまいのモードに入っていた。

午後5時きっかり、処理済みの書類を決裁かごに投げ入れ、帰り支度する。「きょうもまた終った」。さあ、家に帰って夕食だ。食後はテレビを楽しむか、それとも友人夫婦に声をかけてトランプのブリッジでもするか。解放感に浸ってオフィスを出る。

ところがグラハムは、エレベーターに乗ってから困ったことに気づく。妻に頼まれた買い物が何だったか、どうしても思いだせないのだ。シナモンだったか、胡椒だったか、それとも「えぞねぎ(チャイブ)」か。この困惑は彼を襲う変事の予兆にほかならなかった。

ビルの玄関から外に出たときのことだ。今度は、もっと差し迫ったことが思いだせなくなっていた。「今朝、おれはどこに車を駐めたろう?」。グラハムはマイカーで通勤していて、車は路上の駐車用スペースに置いていた。この朝とめたかもしれない場所を一つひとつ思い返していく。あそこはトラックが先にとまっていた、あそこは女性が車をバックギアで入れようとしていた……だが、自分の車がどこにあるのかは見当がつかない。

花屋の前ではないか。あそこにはこれまでも、しばしばとめていた。そう思って足を運んでみると、そこにもなかった。グラハムはその街角に茫然と立ち尽くして、駐車スペースに目を向ける。すると脳裏に、まず緑のフォードが浮かんだ。それが消えると、今度は青のシボレーが現れた。自分の車は緑の1954年型フォードのはずなのに、その記憶もぐらついている。「最初は駐車した車の場所を忘れ、今度は自分の車の型式を忘れてしまっている」

記憶の混乱がマイカーの型式によって顕在化したというのは、いかにも米国の小説らしい。グラハムの脳内では、1932年型の空冷式フランクリンから1954年型のフォードまで「これまでに所有したすべての車の像が走りすぎた」。1947年のプリマス、1938年のポンチャック、1945年のシボレー……その想起は時系列に従っていない。「まるで年月がねじれ、過去と現在がぴったりとくっつき合ってしまったようだった」とある。

グラハムは、改めて自己確認する。「現在は一九五四年だ。おれは三十七歳だ。おれの持っているのは緑色のフォードだ」――だが依然、車の場所は思い当たらない。

グラハムは結局、地下鉄で家に帰ることにする。ところが、地下鉄駅の階段入り口で彼の頭はまた、混乱する。自分はマンハッタンに住んでいるはずだ。いや、ブルックリンだったか。いやいや、クィーンズだ。いやいやいや、ニュージャージー州かもしれない……。

と、このように筋を追っていたら結末に行き着いてしまう。このへんで筋からは離れよう。記憶はどう守られているのか、その問いのヒントをこの作品から拾いあげてみる。

まず言えるのは、記憶には付帯情報があることだ。たとえば、グラハムの住まいの記憶は詳細な住所を伴う。マンハッタンなら西87丁目568番地3-Cアパートメント、ブルックリンなら東7丁目222番地……。これは、情景付きのこともある。ブルックリンの記憶には「プロスペクト公園の近くのあの小さな家」が結びついている。これでわかるのは、一つの記憶が記憶として成立するには、それを支える関連記憶が欠かせないということだろう。

住んでいる場所を、一度でも住んだ記憶がある場所から選びだすときも付帯情報が助けになる。グラハムはクィーンズやニュージャージー州に住んだことを覚えていたが、その一方で、クィーンズには少なくとも15年間住んでいない、ニュージャージー州に住んでいたのは10歳まで、という別の記憶もしっかり保っていた。これによって、現住所の候補地のうち二つは過去の居住地として排除できる。消去法で答えを絞り込めるのである。

ここでふと頭をかすめるのは、人間はふだんからこんな作業を脳内で繰り返し、それによって自分の記憶を補強しているのではないか、という仮説だ。そして、一つのことをすっかり忘れてしまったときには、脳内に残された関連の記憶を総動員してそこから元の記憶を再建しているのかもしれない。朝出た家へ夜帰る、よその家には闖入しない、という日常の安定もそんなしくみに支えられているのか。ちょっと心細いが、心強くもある。

もう一つ、記憶の支えとなりそうなものに文書がある。証明書の類だ。現代社会では、これは最強のように思える。この作品でも、グラハムが運転免許証を手にとる場面があって、これで一件落着かと思わせる。ところが、そうは問屋が卸さない。免許証の住所は転居時に変更を届けていなかったものではないか、と本人自身が疑う。書かれていることが事実とは言えないのだ。少なくともこの小説の作者は、文書を信用していない。

それで私がふと思いだしたのが、去年も今年もコロナワクチンの接種会場で運転免許証を提示したことだ。スタッフは、免許証の写真と私の顔を見比べ、私を私と断定した。だが、よくよく考えてみれば、免許証に記された名前の人物が免許証の写真の人物と同一であることの根拠はどこにあるのだろう。大昔、免許証を初めて取得したときに厳密な審査を受けたようには記憶していない。そもそも、私は私で間違いないのか。

この小説の結末は、ああそういうことか、と思わせるものだ。そこにはSFらしい筋立てがある。ただ、その筋を抜きにしても、この作品は興味深い。人生なんてしょせん、記憶の断片の寄せ集めではないか。そんなことを、さりげなく教えてくれるからだ。私たちは日々、その断片を組み立て直して自分という系(システム)をつくりあげている。それがばらばらになる日まで組み立てつづけるのが人間というものなのだろう。
*当欄2022年3月25日付「西村京太郎、鉄道の魔術師
(執筆撮影・尾関章)
=2022年4月8日公開、同日更新、通算621回
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西村京太郎、鉄道の魔術師

今週の書物/
『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』
西村京太郎著、光文社文庫、新装版2009年刊

時刻表

売れっ子ミステリー作家の西村京太郎さんが91歳で逝った。亡くなったのは3月3日木曜日。奇しくもその週、私は西村京太郎漬けだった。CSテレビ局の「チャンネル銀河」が連夜、西村作品の2時間ミステリー(略称2H)を放映していたからだ。(以下敬称略)

月曜は「北陸L特急殺しの双曲線」(フジテレビ系列、1987年)、火曜は「L特急さざなみ7号で出会った女」(日本テレビ系列、1988年)、水曜は「寝台特急『ゆうづる』の女」(フジテレビ系列、1989年)、木曜は「寝台特急『はやぶさ』の女」(テレビ東京系列、2004年)、金曜は「寝台特急(ブルートレイン)八分停車」(テレビ東京系列、2004年)――そんなラインアップだった。金曜は見逃したが、月~木は西村2Hにどっぷり浸った。

こうしてドラマの題名を書きうつしていると、西村京太郎は鉄道の魔術師であったと思えてくる。その魔力を使いこなしているのだ。鉄道は本来、人々や物資を駅から駅へ運ぶのが役目だ。だが現実は、それにとどまらない。駅の音と光はどうか。プラットホームのざわめき、構内アナウンス、発車を告げるベル、列車がゆっくりと動きだし、尾灯がホームから遠ざかる……。これらが魔力となって、私たちの想像力を刺激する。

とりわけ長距離列車は、強い魔力を帯びている。列車に乗る人は今、この街を離れようとしているのだ。過去と縁を切るつもりなのだろうか、それとも、未来へ歩みだそうとしているのか。心を占めるのは失意なのか、希望なのか。乗客の一人ひとりがいわくありげのように思えてくる。実際には業務出張で移動中という人が大半を占めるのかもしれないが、たまたま乗り合わせた隣席の人物に人間ドラマを見ようとしてしまうのである。

鉄道のもう一つの魔力は、運行ダイヤにある。列車はA駅を出る時刻もB駅に着く時刻も時刻表の通りで狂いがない。A駅10時20分発、B駅12時10分着の列車を考えてみよう。途中に停車駅がないとすれば、A駅からB駅までの1時間50分、乗客は缶詰めになる。そこにあるのは、時間と空間が限られた小宇宙だ。しかも、その小宇宙は外側にいる人――たとえばホームに立っている人――から見れば、ものすごい速度でぶっ飛んでいる。

西村京太郎は、そんな鉄道の魔力満載の「トラベルミステリー」という作品群を生みだした。第1作は1978年、光文社「カッパ・ノベルス」の1冊として書き下ろした長編『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』だ。1984年、光文社文庫に収められ、2009年には文庫新装版が出た。巻末には、この作品のカッパ・ノベルス以来の発行部数が、文庫新装版初版までの累計で120万6000部であると記されている。今回は、この作品を読もう。

作品冒頭は、いきなり東京駅13番線ホームの場面だ。青木という週刊誌記者が夜行寝台列車(愛称「ブルートレイン」)ブームの記事を書くため、東京発西鹿児島行き寝台特急「はやぶさ」に乗ろうとしていた。このくだりでは、列車が14両編成であること、まもなく繋がれる電気機関車が「EF65形」であること、車内照明や冷暖房の電源車はすでに連結済みでディーゼル発電機のエンジン音を放っていることが、縷々書き込まれている。

著者は、世に言う“鉄ちゃん”(鉄道愛好家)なのだ。東西の名作ミステリーには、松本清張作品であれ、アガサ・クリスティー作品であれ、駅の描写がしばしば出てくるが、これほど列車そのものの細部にこだわった書きぶりには、そうそう出合わない。

とはいえ、著者はただの“鉄ちゃん”ではない。その鉄道描写には詩情が漂う。「はやぶさ」は東京16時45分発。青木がホームに立ったのは3月下旬の午後4時ごろで、あたりにはまだ陽光があふれていた。だが、「夜行列車での旅立ちというのは、新幹線のあわただしい出発とは、どこか違った感傷がある」。なるほどと思ったのは、その「感傷」を呼び起こすものの一つに「ライトブルーの丸みをおびた車体」を挙げていることだ。

たしかにそうかもしれない。蒸気機関車(SL)はゴツゴツしていて力強い。マッチョな感じがする。新幹線はすらりとしていて、頭も切れそうだ。でも、どこか冷たい。これに対してブルートレインの客車はたおやかであり、肉感的でさえある。

さて、この小説の主舞台は、「はやぶさ」の1号車A寝台だ。列車片側の通路沿いに個室14室が並んでいる。青木が編集長から手渡された切符は、その7号室のものだった。この特権的な空間を、読者はひととき青木の目を通してのぞき見ることができる――。

座席兼ベッドには、枕やシーツ、毛布などが備えられている。窓は約1メートル四方というから、結構広い。壁には鏡がかかっていて、そばには、電気かみそりが使えるようにプラグの差し込み口もある。窓際にはテーブル。乗客のなかには、ちょっとした書きものをする人もいるだろう。驚くのは、テーブルの天板が蓋になっていることだ。これを開けると洗面台が設えてある。「C」と「H」の蛇口があって、手や顔を洗ったりもできるのだ。

トイレとシャワーがないことを別にすると、ホテルの部屋に近い。鍵を内側からかければ密室にもなる。前述したように、列車はそれ自体が密室だ。著者は、そのなかの個室車両を舞台に選ぶことで、密室の内部にもう一つ密室を用意した。入れ子構造である。これによって、作品のミステリー性がいっそう高まった。列車内でひと騒動あったとき、個室の乗客が通路に出てこないという場面があって、不気味な雰囲気を醸しだしている。

さて、鉄道ミステリー最大の醍醐味は時刻表のトリックだ。この作品では、それがアリバイ工作にかかわるだけではない。列車ダイヤの読み方に捻りが利いている。著者が目をつけたのは、東京16時45分発の「はやぶさ」に双子のきょうだいのような寝台特急がもう1本あることだ。東京18時00分発西鹿児島行きの「富士」である。両特急は車両編成が同じ。九州に入ってからは別ルートをとるが、本州の走行区間はまったく共通する。

おもしろいのは、青木記者が自分は本当に「はやぶさ」に乗っているのか、わけがわからなくなることだ。神戸・三ノ宮駅を発車したころに眠りに落ち、目が覚めたとき――。車両前方のトイレに行って戻ってくると、隣の8号室から和服の女性が出てくる。おかしい。8号室にはワンピース姿の若い女性がいて、終点で降りると言っていたのだが……。和服の女性に問いただすと、やはり終点まで行くと言う。切符も堂々と車掌に見せている。

そんなこんなで頭が混乱しているとき、列車がスピードを緩めた。どこかの駅を通過するらしい。青木の目に「くらしき」の文字が飛び込んできた。「倉敷か」。腕時計に目を移すと、午前4時2分。「もう四時か」。ふつうなら、それだけの話だ。だが、青木は取材のために予備知識を仕入れていたので、ピンときたらしい。時刻表を改めて調べてみると、下り線で倉敷よりも先にある糸崎に停車する時刻が3時35分ではないか。

時刻表の論理で言えば、「はやぶさ」が倉敷を通過するのは、三ノ宮を出る0時36分から糸崎に着く3時35分の間でなければならない。これほどの遅れは不測の事故でもない限りないはずだが、その気配はなかった。ここで青木は時刻表にまた目をやって、突飛なことを思いつく。「この列車が、〈はやぶさ〉でなく、〈富士〉だったら?」――「富士」は倉敷通過後、福山停車が4時26分となっているから、これならぴったり計算が合う!

では、青木が「はやぶさ」から「富士」に乗り移ることはありうるのか? 量子情報科学の量子テレポーテーションを使えば可能かもしれないが、1970年代の推理小説にそれはないだろう。青木は三ノ宮から眠り込んだので、本人が気づかないまま列車を乗り換えたということか。だが時刻表を見る限り、「はやぶさ」に三の宮・倉敷間の停車駅はない。なにか裏技でもあったのか、いや、そもそもほんとうに乗り換えがあったのか――。

この答えは言わない。ただ、「はやぶさ」の座標系を「富士」の座標系が追いかける様子には相対性理論の趣がある。テレポーテーションの可能性が頭をかすめるところでは、量子力学の香りがする。西村京太郎の鉄道ミステリーには、現代物理学の風味もあるのだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年3月25日公開、同日更新、通算619回
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