ロヴェッリの物理、空間は網

今週の書物/
『すごい物理学講義』
カルロ・ロヴェッリ著、竹内薫監訳、栗原俊秀訳、河出文庫、2019年刊

科学取材を長く続けていると、科学者たちの関心事の移り変わりがなんとなく見えてくる。この数十年、モノよりもコトに重きが置かれるようになったのも、その一つだ。

背景には、20世紀科学を彩った要素還元主義が極点に達したことがある。物理学でいえば、素粒子群の発見ラッシュがそうだ。生命科学でいえば、ゲノム解読がこれに当たる。物質や生命の根源に何があるかを探る方向性はもう限界に近づいてしまった。

代わりに台頭したのが、複雑系の科学だ。こちらは、モノの小分けにさほど興味がない。関心の的は物事の関係性。ネットワークと言い換えてもよい。物理学から生物学まで、基礎科学から応用技術まで、分野を横断してネットワークの理論が論じられている。

ネットワーク重視の流れは、もしかしたら人間自身がネットワークの構成要素になったこととも無縁でないかもしれない。20世紀後半にコンピューターが広まり、情報技術(IT)が進展したことで、だれもがインターネットを通じて世界中の人々とつながるようになった。今や人間社会はネットワークなしに存立できない。私たちの思考は日常的にネットワークに馴染んでいる。これに伴って科学が変わるのも当然だろう。

まくらにこんな話題を振ったのも、先週からとりあげている『すごい物理学講義』(カルロ・ロヴェッリ著、竹内薫監訳、栗原俊秀訳、河出文庫、2019年刊)の量子重力理論にネットワークを連想させる話が出てくるからだ。著者は極微の空間を考察しているので、一見、要素還元主義のようではある。ところが読み進むと、どうもそうではないらしい。要素を想定してはいるが、そこにネットワーク的なものを見ているのである。

では、本書の中身に戻ろう。先週は本書に導かれて、量子力学と一般相対性理論の統合をめざす量子重力理論の入り口まで来た。それは2点に要約される。一点目は、空間が限りなく分割できるものではなく、極微の領域では「粒性」を帯びていること。もう一つは、その領域にはホイーラー=ド・ウィット方程式という基本方程式があり、この式によって空間は「相異なる幾何学図形が重なり合ってできた雲」のようにイメージできることだ。(*)

ただ、そう言われてもピンとはこない。空間が「粒」であることと「雲」のようであることがつながらないのだ。今週は本書をさらに読み込み、このモヤモヤを払い除けたい。

まずは、ホイーラー=ド・ウィット方程式は解けるのか、という話から始めよう。本書によれば、1980年代末ごろ、方程式の改良が進み、「奇妙な解」が見いだされた。その解は、空間内の「閉じられた線」(輪、ループ)を「計算の対象にする」ときに得られた。別の言い方では「閉じられた線」が「解のなかに現われる」という表現もある。どうやら、ループには特別な意味があるらしい。「ループ量子重力理論」の名もここに由来する。

これでは要領を得ないので、ビジュアル素材の助けを借りよう。本書には、指輪のようなループが四方八方にいくつも絡みあう画像が載っている。本文を読むと、ホイーラー=ド・ウィット方程式の解がループ一つひとつの様子を表しているらしいことがわかる。

著者は、ループを「重力場のファラデー力線」とも呼ぶ。マイケル・ファラデー(1791~1867)は電場や磁場の力をファラデー力線で表したが、その重力版だというのだ。重力場の様子を視覚化しているわけだから、空間の曲がりにも関係しているのだろう。

ループ同士が接する点が「節」。本書によれば、これが「空間の量子的な粒」、すなわち「空間の量子」となっている。見落としてならないのは、「空間の体積」が「節のなか」にあるという記述だ。私たちの常識では「体積」は空間に広がる連続的な量だが、量子重力理論では勝手が違う。「節」には、「体積を形づくる離散的な小箱」という性格がある。その結果、「体積」はトビトビの値をとり、一つ二つと数えられることになる。

本書では、「節」という「空間の量子」が「居場所をもたない」ことも強調されている。「節」は自身が「空間を形づくっている」ので、自らの「居場所」を空間内に位置づけられない。これは、電磁場の量子である光子(光の粒)などと大きく異なるところだ。

では、「空間の量子」に居場所に代わるものはあるのか。本書によれば、ある。それは、隣り合うものが何かという情報だ。一つの「空間の量子」の隣には別の「空間の量子」がある。「誰のそばに誰がいるのか」ということで、空間の風景は違ってくる。

このあたりが本書のよみどころだ。「誰のそばに誰がいるのか」というのは、関係性に着目するということだ。ネットワークのようなイメージが思い浮かぶ。著者の量子重力理論は、空間を極小の粒にまでさかのぼったうえで、そこに網の目を見ているようだ。

著者によれば、空間の構造は「節」と「節」が「たがいに触れ合う」ことで成り立つ。このとき、「節」と「節」をつなぐものとして「リンク」と呼ばれる線が想定される。「リンクによってのみ、あるリンクと別のリンクの関係性においてのみ、個々の空間の量子は所在を特定される」という。「リンク」同士の関係性も「空間の量子」に影響を与えるということだ。ここでは、著者自身が関係性という言葉を用いている点に注目したい。

ちなみに「リンク」は、ホイーラー=ド・ウィット方程式の視点でいえば、ループの一部といえる。それは、重力場の表れと考えてよい。重力場も量子論に従うから、電磁場が光子(光の粒)という量子の姿で立ち現れるのと同じように、「リンク」にも量子の側面がある。本書によると、この量子は「節」と「節」が隣りあって接するときの境界面の広さで数値化される。だから「面積」もやはり、量子論風にトビトビの値をとるという。

著者は、「節」の「体積」と「リンク」の「面積」が「空間の量子的な網の目を特徴づけている」と指摘する。読んでいてなんとなくわかったのは、極微世界の空間がどんなものかを語るとき、私たちが今いるこの空間を思い描いてはいけない、ということだ。常識的な空間は、そこにはない。あるのは空間の粒である「節」と、それらをつなぐ「リンク」だけ。それらが「体積」や「面積」という数量を伴って重力場をかたちづくっている。

本書には「節」と「リンク」の模式図も載っている。一見すると、多面体の頂点と辺のようだ。通信網などのネットワークを模した図にも似ている。この図から、ループ量子重力理論という最新の物理学が世界の根底にネットワークを見ていることを確信する。

それにしても、ループとはいったい何なのか。本書にも、ヒントとなる記述はある。著者はリンクを「節」から「節」へ渡り歩いて元に戻ると、ひと回りで空間の曲率を測れることを論じている。これは、人間が地球の曲率をどう測るか、という話に通じる。たとえば、北極→南下→赤道を東西移動→北上→北極というループを旅すれば、地球表面がどう曲がっているかが検知できるという。ループは、空間の歪みに関係しているらしい。

ここまでの話をまとめよう。ループ量子重力理論では、極微世界が粒性を帯びている。空間の粒を「節」という。「節」はそれ自体が空間なので、空間のなかにはない。「節」の居場所は、「誰のそばに誰がいるのか」という情報によって決まる。「節」とそれらをつなぐ「リンク」で張りめぐらされた網の目が空間の構造をかたちづくっている。そして、「リンク」をたどってひと回りすればループになり、そこから空間の曲がりも見えてくる――。

なるほど、空間の構造はそんなものか。ただ、時間の話がなかなか出てこない。著者は、時間はなくともよいと言うが、時の流れを全否定しているわけでもなさそうだ。空間が粒になる極微世界で時間はどうなっているのか。次回も、この本を読みつづける。
*当欄2023年10月20日付「ロヴェッリの物理、空間は粒
(執筆撮影・尾関章)
=2023年10月27日公開、通算701回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

ロヴェッリの物理、空間は粒

今週の書物/
『すごい物理学講義』
カルロ・ロヴェッリ著、竹内薫監訳、栗原俊秀訳、河出文庫、2019年刊

当欄は最近、時間の不思議と向きあっている。理由は、私が年をとったからだろう。一日一日がとても貴重なのだ。もっと端的にいえば、一瞬一瞬が愛おしい。だが、その一瞬を捕まえ、どこかに取って置くことはできない。時間に凍結保存はない。

今年5月、私は理論物理学者カルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』(冨永星訳、NHK出版、2019年刊)を読んだ(*1*2)。強調されていたのは、物理学は時間なしでも成り立つということだ。物理現象は時間変数“t”なしでも記述できる。ある量の変わり方を別の量の変わり方に数式で関係づければ、それで物理学の使命は果たせる――理科の授業を思いだすと意外だが、言われてみればなるほどと思う指摘ではあった。

もっとも、これでは私たちが時間を日々実感していることを説明できない。『時間は存在しない』が一般向けの書物として立派なのは、その難点を放置しなかったことだ。著者ロヴェッリは熱力学風の考察によって、私たち人間が感じる時間の本質をあばき出した。

ただ、私は科学記者だったので、時間なしでもよいとするロヴェッリの物理学にもう一歩迫りたいという気持ちがある。それは、どんな哲学から導かれたのか、世界観をどう変えようとしているのか……掘り下げてみたいことは多い。そこで今回は、同じ著者の別の本をとりあげる。奇しくも当欄は、前身コラムを含めて通算700回を迎えた。かつてコラム名に「文理悠々」の看板を掲げていたこともあったので、節目にふさわしい選択かと思う。

『すごい物理学講義』(カルロ・ロヴェッリ著、竹内薫監訳、栗原俊秀訳、河出文庫、2019年刊)。2017年に河出書房新社から出た邦訳単行本を文庫化したものだ。原著がイタリアで出版されたのは2014年であり、『時間は存在しない』の原著刊行より3年早い。

著者はイタリア出身。量子力学と一般相対性理論を統合する理論を模索しており、切り札として「ループ量子重力理論」を主張している。この理論は宇宙論と結びついており、宇宙の始まりに何があったかに深くかかわっている。私が、この著者の本に再度挑もうとしている理由の一つも、そこにある。もし、『時間は存在しない』が言うように物理学に時間が不要ならば、宇宙の原点はどんなものだったのか。そのヒントも得たいと思う。

本書の中身に入ろう。第1章「粒――古代ギリシアの偉大な発見」には「宇宙は粒状であり、滑らかに持続しているわけではない」とある。源流は、古代ギリシャの哲人デモクリトスの原子論らしい。宇宙を切り分ける作業は無際限に続けられないという考え方で、それによって、英雄アキレウスが亀に追いつけないというゼノンの逆説が解決される強みもある。本書を読むと、著者もデモクリトスの立場をとっていることがわかる。

そこから出てくるのが、「粒性」という言葉だ。著者は「あらゆる事物の根底」に「粒としての性質」があるという。量子論は、電磁波という波が光子(光の粒子)の群れでもあるとみているが、空間や時間にも「粒性」があると考えるのが量子重力理論らしい。

本書は、この探究の先駆者として旧ソ連の物理学者マトヴェイ・ブロンスタイン(1906~1938)を挙げている。空間を「際限なく分割できる連続体」とみると、量子力学と一般相対性理論の両立がありえないことを1930年代に論文発表した。量子力学と一般相対論がともに正しいなら、空間は「粒性」を帯びることを理論的に証明したのである。この人は旧ソ連のスターリン体制を批判したことで死刑判決を受け、若くして刑死している。

証明のさわりはこうだ――。粒子を空間の極小領域に置こうとすると、その粒子はハイゼンベルクの不確定性原理に従い、その領域から超高速で逃げ出そうとする。粒子のエネルギーが巨大になるわけだ。一般相対論によれば、その結果、空間は大きく曲がり、ついには内部が観測不能になる。今風に言えば、ブラックホールができるわけだ。「あるスケールを下回る領域」には「手が届かない」から、そこにはなにも存在しない、と言ってよい。

ブロンスタインは、その「あるスケール」を計算ではじき出した。プランク定数hにニュートンの重力定数Gを掛けたものを光速cの3乗で割り、その平方根をとることで得られる。hは量子論でエネルギーがとびとびの値をとることにかかわる基本定数。cは相対論に欠かせない定数だ。両者を含む計算式は、量子力学と一般相対論の両立をめざす試みにふさわしい。こうして得られた値が「世界に存在する『最小の長さ』」だった。

この長さは、1cmの1兆分の1の1兆分の1の10億分の1(10のマイナス33乗cm)。これを、物理学界は「プランク長」と名づけたが、著者は「わたしとしては、『ブロンスタイン長』と呼びたい」という。量子重力理論の先達への敬意だろう。

量子重力理論の進展に大きく寄与したのは、米国の著名な物理学者ジョン・ホイーラー(1911~2008)だ。重力崩壊する天体がブラックホールと呼ばれるようになったのは、この人の意向があったからだといわれている。本書によれば、ホイーラーはブロンスタインの論文を精読することで、量子的な空間を一つのイメージで思い描けるようになったという。それは「相異なる幾何学図形が重なり合ってできた雲のようなもの」だった。

「雲」といえば、量子力学の電子雲が思い浮かぶ。原子核の周りの電子をシュレーディンガーの方程式でとらえると、それは観測されない限り一点にはなく、さまざまな位置にある状態が重なってモワッと存在する。「確率の雲」である。量子重力理論によれば、空間もそれに似ているということか。ただし、重なり合うのが電子の位置ではなく、幾何学図形のかたちだという。なんとなくわかったような気にもなるが、これだけではピンとこない。

著者は、このことを海面にたとえる。海を上空から眺めれば「青く平らな一枚の板」だが、近づけば「あちらこちらに泡が浮かんでいる」。空間も、巨視的にとらえれば「平坦で滑らか」でユークリッド幾何学に従うが、微視的な景色はそうではない。

たとえば、物差しの目盛りがプランク長ほど小さな世界を覗き込んだとしよう。空間は、そこでは「細かく切り刻まれ、ぶくぶくと泡立っている」。本書は、この「空間の泡立ち」こそが「相異なる幾何学図形から成る確率の波」であると説明している。

ホイーラーが果敢なのは、「空間の泡立ち」を数式で記述する試みに挑んだことだ。若手の研究者ブライス・ド・ウィットとの共同作業だった。1960年代、二人が見いだしたのが「ホイーラー=ド・ウィット方程式」。この式から「特定の屈曲した空間が観察される確率」をはじき出せる、という目算があった。うまくいけば、特定の粒子状態が観測される確率をもたらすシュレーディンガーの方程式の量子重力理論版ということになる。

では、目算通りにホイーラー=ド・ウィット方程式は解けたのか。そこにも踏み込みたいが、今週は行数が尽きた。来週も本書をとりあげて、この話をすることにしよう。

今回は、ホイーラー=ド・ウィット方程式についてもう一つ、書き添えたいことがある。著者は『時間は存在しない』で、この式を「時間変数を含むことなく、変動する量の間のあり得る関係を指し示す」と説明していた(*1)。本書でも同様のことを言っている。

現代の宇宙論によると、宇宙の始まりは超極微の世界だ。量子重力理論によれば、それは時間変数“t”なしで描けるというのが著者の立場らしい。その世界が急膨張(インフレーション)したり、大爆発(ビッグバン)したりして今のようになった。

ここで私が言及したいのは、スティーヴン・W・ホーキングの理論だ。宇宙の始まりには虚数の時間があるという。このとき、「時間と空間はいっしょになって、大きさは有限だがどんな境界も縁ももたない一つの曲面を形づくっているかもしれない」(『ホーキング、宇宙を語る――ビッグバンからブラックホールまで』(スティーヴン・W・ホーキング著、林一訳、ハヤカワ文庫NF)。そこでは、時間と空間の区別がつかないのか。(*3

ということは、ホイーラー=ド・ウィット方程式を受け入れるのであれ、ホーキング宇宙論を支持するのであれ、宇宙の始まりを考えるときは時間を棚に上げ、とりあえず空間に注目すればよいらしい。問題は、空間がどんなものかだ。来週は、そこに焦点を当てる。
*1 当欄2023年5月5日付「時間がない』と物理学者は言った
*2 当欄2023年5月12日付「時間の流れを感じる物理学
*3 「本読み by chance」2018年3月30日付「ホーキングの虚時間を熟読吟味する
(執筆撮影・尾関章)
=2023年10月20日公開、同月22日更新、通算700回
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寺山修司の競馬で語る科学

今週の書物/
『ぼくが戦争に行くとき――反時代的な即興論文』
寺山修司著、中公文庫、2020年刊

競馬

当欄は先々週、詩人寺山修司を話題にした。1週で読み切りにしたのは、翌週にノーベル賞発表が控えていたからだ。本当はもう一つ、寺山についてぜひ書きとめておきたいことがあった。あの本には科学談議がある。そこにツッコミを入れてみたかった。

ということで、今週は異例だが、再び『ぼくが戦争に行くとき――反時代的な即興論文』(寺山修司著、中公文庫、2020年刊、単行本は読売新聞社が1969年に刊行)に戻る。

寺山修司といえば、科学には無縁の人のように思える。だが、本当はちょっと違うらしい。それがわかるのが、本書の「希望という病気――東京大学」と題する章で「はとバス」の教育効果などを語ったくだりだ()。唐突に、自身がかつて「物理学と因数分解と西洋史年表の暗記にたけた高校生」だったことを打ち明けている。得意分野に物理を挙げ、しかも数学に強かったというのだから、理系少年の側面が間違いなくあったのだろう。

科学談議があるのは、本書終盤の章「青少年のための賭博学入門」のなかの一節。著者は競馬について持論を展開しているのだが、それがそのまま科学論になっている。

とくに「近ごろ、私は電子計算機による『競馬予想』ということに興味を持っている」と語るくだりが読みどころだ。「電子計算機」と聞いてピンとこない世代もあるだろうが、これはもちろんコンピューターのことだ。ここで著者は、コンピューター予想に対する警戒感を隠さない。コンピューターが「合理的な法則」を見いだし、「完全な『的中』予想」が夢でなくなれば「競馬の賭博は姿を消さざるを得なくなってしまう」という。

コンピューター予想の問題は「レースの時間を追い越して、結果だけを先に発表してしまうこと」と、著者は言う。これは、コンピューター予想が「レースを分析してゆく科学的な大時間」のみを視野に入れ、「個人個人の選択してゆく運命的な小時間」を排除することを意味する。些細なブレが最終結果を左右することもあるのに、それには目もくれないということか。「コンピューターは、競馬から幸運を奪い取ってしまう」と指摘する。

ここで著者がもち出すのは、「ロマネスク」だ。小説のように数奇な、という語意だろう。物理学が支配する世界では、ロマネスク流の「あした、なにが起こるかわかってしまったら、あしたまで生きてる楽しみがない」という人生観が通用しない、とみる。

著者ははからずも、競馬談議から自身の科学観を吐露している。具体論に入るのは、1968年の日本ダービー、オークスなど重賞レース。コンピューター予想と実際のレース結果を比べて、コンピューターが何を見落としていたかを突きとめようとする。

ダービーは、競馬新聞のコンピューター予想で1着マーチス(2分28秒4)、2着タケシバオー(2分28秒6)とされていた。ところが、ふたを開けてみれば、1着タニノハローモア(2分31秒1)、2着タケシバオー(2分31秒9)だった。タイムが予想ほどよくなかったのは、雨で「馬場が稍(やや)重に変わったこと」が影響したらしい。ここで著者の関心は天候に向かう。雨降りはなぜ、コンピューターで予知できないのかという話だ。

雨降りは「科学的必然」とも思えるが、著者は、そうではなく「偶然」なのではないかと問いかけて次のように結論する。私たちは身の回りの出来事の大半を「科学を介して理性的認識に還元」する。だが、この世には「理性が届かない確率論の外の世界」がある!

ここで押さえておきたいのは、著者が考える「偶然」が「確率論の外」にあるということだ。「偶然」と聞くとサイコロが思い浮かぶが、本書の記述をそのまま受けとめれば、サイコロを振って3の目が出る確率が6分の1というのも「科学的必然」になる。ということは、量子力学を確率論でとらえるときにも「偶然」は介在しないのか。著者にとっての「偶然」は、サイコロのひと振りよりも強力なデタラメさを有しているらしい。

競馬では「偶然」の寄与が大きいという話は、レースそのものの分析にも出てくる。この年のダービーではタニノハローモアが最初から飛びだし、ハナ(先頭)に立った。ペースが遅いから、ほかの馬の騎手たちは高を括っていたが、結局、逃げ切られてしまった。敗者は口々に言う。「足をとられて、のめった」「前がふさがって出られなかった」……。「こうしたいくつかのアクシデントを、理性はどのようにして予測するか?」と著者は問いつめる。

この年は、オークスでもコンピューター予想が外れた。こちらにも、「偶然」はかかわっていた。一つは、レースのカギを握るとみられていた馬が車で輸送中に交通事故に遭って出走できなかったこと。もう一つは、逃げ馬の1頭がスタート時にフライング、余分に走った分、レース本番で力が尽きてしまったこと。勝ち負けを決めたのは結局、「悟性の限界を暴力的に超えていった、見えない偶然を支配する力」だったという。

この一文で著者が「偶然」の例に挙げているのは、気まぐれな空模様や不測の災難だ。私たちがいま2023年の時点で思うのは、これらは1968年から半世紀が過ぎてなお「偶然」のままか、それとも科学の進歩で「必然」と見なされるようになったか、という問題だ。天気予報についていえば、衛星画像などのおかげで的中率が高まったように思われる。競馬のコンピューター予想も精度が上がり、「必然」の度合いが強まっているのではないか。

話はそう簡単ではない。なぜなら、科学の新しい流れが「必然」と「偶然」のとらえ方に見直しを迫ったからだ。複雑系の研究が、「必然」であっても人間には事実上「偶然」と言うしかない現象、すなわちカオスが自然界に存在することを示したのである。

カオスの理論は、古典物理学の枠内にある。未来はニュートンの運動方程式などできっちり予測できるから、決定論の世界だ。ところが、方程式に打ち込む数値をちょっと変えただけで未来図が大きく異なってしまう場合がある。初期条件の違いに敏感な現象だ。蝶の羽ばたきが遠くの国で嵐を起こすというバタフライ効果が、これに当たる。未来予測は、理屈のうえでは可能でも実際は難しい。「必然」の未来が人間には「偶然」のように見える。

余談を言えば、1960年代に気象のカオス現象を見いだしたエドワード・ローレンツ(1917~2008、米国)の逸話がおもしろい。気象の移り変わりをコンピューターで再現する数値実験を試みていたとき、入力値を概数にまるめたら、まるめなかった場合と大きく違う結果になった、という。バタフライ効果を発見したわけだ。コンピューターは人間に科学の威力を見せつけているが、と同時に、科学の限界も教えてくれたことになる。

それにしても、著者の賭博論は示唆に富む。ダービーで馬場を稍重にした雨は古典物理学の方程式に従うので「必然」だが、私たちにはそれが「偶然」に映る。一頭の馬が「のめった」ことを蝶の羽ばたきに見立てれば、そのレースが番狂わせになったことはバタフライ効果といえるかもしれない。「幸運」の根源に何があるかが見えてくるではないか。著者は、競馬の醍醐味がカオスにあることを直観で見抜いていたのかもしれない。
* 当欄2023年9月29日付「寺山修司、反1960年代の美学
(執筆撮影・尾関章)
=2023年10月13日公開、通算699回
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ノーベル物理学賞、踊り場の年に

今週の書物/
ノーベル賞発表資料(物理学賞、2023年)
スウェーデン王立科学アカデミー

ノーベル週

発表前》
今年のノーベル賞発表が進行中だ。すでに生理学・医学、物理学、化学、文学の4賞が決まった。今夕、平和賞の発表があり、来週初めには経済学賞も決定する。ただ私は、この日程に先立って今、受賞者がだれひとり決まっていない時点で本稿を書いている。

本稿の後段では、視点を現時点に戻す。賞の選考結果を見て、その発表資料を読み込むつもりだ。ノーベル賞理系部門の発表資料は、科学研究を私たち一般人がどう受けとめたらよいか、そのヒントを与えてくれる。今年もそれを味わうことにする。

事前事後2段階の執筆を思いついたのには訳がある。私は新聞社の科学記者だったころ、ノーベル賞発表前の数週間は心が張りつめていた。発表は日本時間の夜なので、翌朝の新聞に記事を間に合わせるには事前の準備が欠かせない。受賞者が日本人なら人物像や逸話もたっぷり紙面化するからなおさらだ。だから初秋になると、いつも受賞者の予想に思いをめぐらせていた。あのソワソワ感を当欄の作業でも再体験したい。そんな魂胆があった。

私が現役時代、理系3賞のうちもっとも注目していたのは物理学賞だ。物理領域を取材する機会が多かったからだが、科学の動向をみるときの指標になりやすいということもあった。ということで、今回も物理学賞について書く。ただ、私はいま退職の身で、近年どんな研究がもてはやされているかをつぶさには知らない。だから、あの人が受賞しそう、という予想はできない。賞全体の大きな流れについて四方山話風に語ることにしよう。

そんな視点で見ると、今年の物理学賞は踊り場の状態にあると言える。俗っぽい比喩を用いれば、狙っていた「大魚」をひととおり釣りあげた直後ということだ。だから今回は、ほっと一息ついて海を見つめ、次なる釣果を探しているところだろう。

では、その「大魚」にはどんなものあったか。私が真っ先に挙げたいのは、去年の受賞研究「量子もつれ」だ(*1)。アラン・アスペ(フランス)、ジョン・F・クラウザー(米国)、アントン・ツァイリンガー(オーストリア)の3氏が、量子世界では光子(光の粒子)対が「量子もつれ」という強い相関関係をもちうることを確かめ、それがもたらす現象を調べた。量子コンピューター開発のような量子情報科学に道を開いたが、それだけではない。

量子もつれは、私たちがニュートン物理学によって頭に刷り込まれたものとは異なる世界像をはらんでいる。たとえば、状態の重ね合わせ。粒子の状態はAかBかだけではなく、AでもありBでもあることがありうるという。あるいは非局所性。A、Bの重ね合わせにある粒子対の片方がAと観測された瞬間、遠く離れたもう一方がBであることが確定するという。受賞者の研究で私たちの世界像は一変したと言ってよい。

だから、去年の受賞研究は超弩級だった、というのが私の個人的見解だ。私は1990年代にアスペ、ツァイリンガー両氏に対面取材しているので、とくに二人の受賞は待ち望んでいた。それが現実になったことで、今年はある種の虚脱感のなかにいる。

量子研究に対する物理学賞を振り返ると、世紀の変わり目に受賞ラッシュがあった。低温で現れる量子現象の研究が4回(1996年、1998年、2001年、2003年)、低温実験の手法開発が1回(1997年)。量子力学の基礎問題が再び注目されるようになった証しだった。

量子情報科学につながる研究が脚光を浴びたのは2012年だ。状態の重ね合わせを壊さずに保ち、操作する実験に成功したセルジュ・アロシュ(フランス)、デイビッド・ワインランド(米国)両氏が受賞した。それは、「シュレーディンガーの猫」という思考実験で空想される量子世界の不可解さを現実に見せつけるものだった。2012年と2022年の二つの受賞研究によって、量子力学の世界像はもはや疑う余地がなくなった。

「大魚」は量子の分野だけではない。2010年代以降の受賞研究を見てみよう。素粒子分野では、2013年のヒッグス粒子。質量の起源とされる粒子が巨大加速器実験で見つかったのを受けて、その粒子の存在を予言した理論研究者が賞を受けた。2015年には、ニュートリノ質量の発見。受賞者の一人は梶田隆章さんだ。巨大加速器がなくても自然界の観測で素粒子探究の最前線に立てることを示したという点で、物理学の新潮流を代表していた。

宇宙・天文分野では、2011年の受賞研究が宇宙の加速膨張の発見。これは、宇宙の成分表やシナリオを根底から見直すきっかけとなった。2017年には重力波の観測。アルバート・アインシュタインが一般相対論で予言していた時空の波を100年たって検出した。

わかりやすい話では2019年、太陽系外惑星の発見が受賞研究の一つに選ばれている。1990年代半ばまで、惑星は太陽系だけにあると思われていたが、それが覆ったのだ。地球外生命が存在する可能性も強まったわけだから、これもまた世界像を塗りかえる業績だった。

物理学には複雑系科学という分野があり、ここ数十年活発になっているが、ノーベル物理学賞はなぜか関心を示さなかった。ところが2021年に突然、「複雑系の理解に対する画期的な貢献」という授賞理由を掲げ、3氏に賞を贈った。その一人が、気候変動の数理研究が専門の真鍋淑郎さんだ。ノーベル賞が温暖化問題に着眼したことに世間は喝采したが、それだけではない。複雑系科学を正当に位置づけるという課題をようやく果たしたのである。

と、こう書き連ねてくると、物理学賞は諸分野の「大魚」のほとんどを釣りあげてきたと言ってよい。ただ、科学という大湖は広くて深い。私は気づかないでいるが、「大魚」に育ってまもない新顔の重要研究もきっとあるに違いない。発表が楽しみだ――。

発表後》
で10月3日、スウェーデン王立科学アカデミーは今年のノーベル物理学賞を発表した。賞が光を当てたのは「アト秒」。アトとは10のマイナス18乗のこと。時間幅がアト秒単位のきわめて短い光パルスをつくって物質内の電子の振る舞いを調べる手法を開発したピエール・アゴスティーニ(米国)、フェレンツ・クラウス(ドイツ)、アンヌ・ルイリエ(スウェーデン)各氏が受賞した。ここでカッコ内の国名は、所属先の所在地を示している。

発表を聞いて、なるほどと私は思った。アト秒の物理は10年ほど前、欧米の科学誌を賑わせていた。極微の探究はついに時間尺度にも及んだ、という文脈で語られていたように思う。その興奮を私はすっかり忘れていたが、ノーベル賞はしっかり覚えていた。

では、本題の発表資料に入ろう。今回読むのは、報道資料(press release、A4判1枚)と一般向け科学解説(popular science background、同5枚)の2種類。以下の記述では、それぞれ「報道」「解説」と略記する。

一読して気づくのは、物理世界の途方もなさを私たちがなんとなく実感できるよう工夫していることだ。アト秒については「報道」「解説」とも、宇宙誕生から今までの時間、即ち138億年に含まれる1秒の個数が、1秒間が含むアト秒の個数に比肩するとしている。

光パルスがなぜ役立つかでは、「解説」に次の一文がある。「高速度撮影やストロボ光があれば、素早く動く現象も詳細な画像でとらえられる」。パルスがストロボ光の役目を果たすというわけだ。ただ、このたとえはアト秒物理が注目されだしたころからあった。

問題は、十分に短い光パルスをどうつくるかだ。「解説」によると、かつてはフェムト秒(フェムトは10のマイナス15乗)より短くはできないとみられていた。ところが21世紀初め、アゴスティーニ、クラウス両氏が、それぞれ数百アト秒のパルスを生みだす。この成果の土台を築いたのが、ルイリエ氏の1980年代からの研究だった。「解説」は、その手法の要点を簡略な図と明快な文章で説明している。要約すればこうだ――。

レーザー光をガスのなかに通すと、ガスの原子内の電子が外へ飛びだす。電子はレーザー光からエネルギーを貰い、原子内に戻ると、余分なエネルギーを光として放つ。この光は、振動数がもとのレーザー光の整数倍になっている。音楽で言えば「倍音」に当たる。これら「倍音」の光をうまく重ね合わせれば、波の干渉で強めあったり弱めあったりして時間幅がアト秒のパルスが現れる――まるで光の手品のようではないか。

科学の醍醐味の一端が、この発表資料からは感じとれる。私たちは資料執筆者の筆力に導かれ、科学者の思考を追体験できるからだ。これも、ノーベル賞の効用だろう。

アト秒の物理は、当欄の関心事である時間論とも関係している(*2*3)。だから、これからも目が離せない。今年の物理学賞は、私に大事な宿題を思いださせてくれた。
*1 当欄2022年10月7日付「量子もつれをふつうの言葉で語る
*2 当欄2023年5月5日付「時間がない』と物理学者は言った
*3 当欄2023年5月12日付「時間の流れを感じる物理学
(執筆撮影・尾関章)
=2023年10月6日公開、通算698回
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寺山修司、反1960年代の美学

今週の書物/
『ぼくが戦争に行くとき――反時代的な即興論文』
寺山修司著、中公文庫、2020年刊

書を捨てよ

この夏、私は新聞に載った1枚の写真に目を惹きつけられた。鉄道の操車場だろうか、引き込み線のレールがうねるように延びている。線路はポイント箇所で分岐したり、合流したりしていて、貨物車輛が停まっているところもある。手前には、青年らしさが残る男性。線路の砕石や枕木を踏んでこちらに歩いてくる。背広にネクタイ、革靴といういでたち。コートの裾を風になびかせている。詩人寺山修司(1935~1983)30代の姿だ。

写真は、朝日新聞読書面(2023年8月12日付)のトップ記事に添えられていた。ただ、一見して報道写真とは異質だ。キャプションには「寺山修司=1967年、青森港の引き込み線」とあるだけ。誰がなんのために撮影したのか、どんな理由でこの背景が選ばれたのかは、よくわからない。ネット検索を試みると、大手レコード店のポスターに同一とみられる画像が使われているから、広く出回っているものなのかもしれない。

ともあれ、私は懐かしさを覚えた。なによりも今なら、被写体が線路を歩くという場面の撮影は、映画のロケでもなければ許されないだろう。だが1960年代は、当該施設の現場責任者に頼めば融通を利かせてもらえたのではないか。その意味で、この1枚はあのころの緩さを証明している。それは、昨今のコンプライアンス(規範遵守)一辺倒の世相になじまない。あのころと今の空気感の落差が、この画面からは見てとれる。

もう一つ、印象的なのは寺山の服装。コートの着こなしで不良っぽさを醸しだしてはいるものの、詩作や演劇などで前衛文化の先端にいた人にしてはスクエア(真面目)だ。寺山修司とはどんな人物だったのか。この写真から、私はそれを知りたくなった。

記事も私の好奇心をそそる。比較文学者の堀江秀史さんが「この人を読む」という企画で寺山を論じているのだが、そのなかに「寺山は、いつも自信に満ちている」「自己の悲惨な現実を詠むことを嫌った」という記述がある。これは、ちょっと意外だった。

寺山で私がまず思いだすのは、あの東北訛りだ。饒舌で、言葉が次々に湧き出してくるのだが、どこか沈潜した感じがつきまとう。そこを巧妙に切りとったのが、タモリのものまねだ。その印象から、この人の内面では郷里青森の風土が東京の都市文化と軋轢を起こして、引け目のような心理を生みだしているのではないかと私は思っていたが、「自信に満ちている」という。これはもう一度、本人自身の話に耳を傾けなくてはならない。

で、今週は『ぼくが戦争に行くとき――反時代的な即興論文』(寺山修司著、中公文庫、2020年刊)。エッセイや演説の再録などを30編ほど集めた本で、読売新聞社が1969年に刊行したものの文庫化。書名に「ぼくが戦争に…」とあるが、いわゆる戦争の話ではない。

本文に入ろう。最初の一編は「風に吹かれて――反戦青年委員会」。冒頭の一文に土曜深夜、場末の映画館で東映のヤクザ映画を観るのが楽しみ、という話がある。中学生のころ、「暴力はいいが、権力はいけないよ」と説く人がいたこと。その後、G・ソレルの本で「力が上から下へ働く時に権力となり、下から上に働く時には暴力となるのだ」という一文に出あったこと。著者のそんな思い出話を読むと、あのころの暴力観が想起される。

こんな話から切りだされるのも、1960年代後半に新左翼運動が台頭していたからだろう。反戦青年委員会は、もともと社会党や総評の傘下で生まれたが、1967~1968年には、「個人としての主体性」も尊重する組織となり、羽田や成田などの闘争拠点や新宿騒乱事件で機動隊と対立した。既成左翼から離れて新左翼の一翼を担ったと言ってよい。ところが、そのこともあって中高年の労働者との間に溝ができる。それがなぜかを著者は考察する。

著者が問題視するのは、労働者の多くが「自らの労働に疑問を持っていない」現実だ。働くことが「楽しいか」と問うのを怠り、「生き甲斐を思想化すること」を放棄しているという。たしかにあのころ労働運動の主流は、労働者が働くのは「生活のため」と割り切って賃上げ闘争に没頭し、新左翼は「革命に臨め」と呼びかけることに夢中だった。これに対して著者は、「労働そのものを通して、生き甲斐の思想化を急げ」と主張している。

「希望という病気――東京大学」という一編は、1960年代末、学園紛争が極点に達した東京大学の構内に立ち入り、落書きされた壁などを見て回りながら、大学論を展開する。おもしろいのは、理想の大学像のたとえに東京見物の「はとバス」を挙げていることだ。

著者によれば、「はとバス」は東京に出てきてから経験した「最大の学問的感激」だった。なぜなら、「自分たちが啓蒙されつつある現実のなかを走り抜けてゆく、という快感があった」からだという。言い換えれば「肉眼で確かめた世界」を「説明されつつある世界」に重ね合わせることで、そのズレを発見できたわけだ。『書を捨てよ、町へ出よう』の著者らしい見解だ。高等教育が提供すべきものが何かをずばり言い当てている。

あの寺山調のしゃべりを堪能できるのは「一九六八年、関西学院大学でのラリー」。著者は当時、各地の大学を訪れて集会で話しており、そのうちの一つがこの一編だ。質疑応答で、大学生の想像力が乏しいのは大学生自身のせいか、それとも国民全体の問題かと問われ、こう答える。「あなたならあなたの問題としてですね、あなたが最近、毎日が楽しいかどうかとかね、そういうことじゃないかと思いますね」。ここにもまた「楽しい」が出てくる。

前述のように、著者は労働者に対して「生き甲斐を思想化する」よう促すが、ここでは大学生に「幸福を思想的にとらえる主体性」を求めている。「思想化」あるいは「思想的にとらえる」とは、自分なりにイメージを練りあげることを指しているのだろう。

では、著者は「生き甲斐」や「幸福」にどんなイメージをもっているのか。それは、具体的に語られない。ただ、第5章「同世代の戦士たち」に並ぶ競輪選手や競馬の騎手、サッカー選手、ボクサーの人物評を読むとヒントは見えてくる。著者にとっての「生き甲斐」や「幸福」は、どうやらスポーツの美学とも関係しているらしい。ひとことでは言えないので、ここでは要約しない。ただ、第5章は本書の読みどころではある。

話を戻すと、「…関西学院大学でのラリー」には学生運動に対する苦言もあった。学生たちの言葉が「自分の肉体のなかで」「一つの存在にまで高まっていない」として、「資本主義の矛盾」「国家権力」「反動」といった政治用語は、その「手応え」を「自分の肉体のなかで、きちんと捉え直して使ったほうがいい」と助言する。ここで「肉体」を連発するのも、著者がスポーツの美学に心惹かれていることの表れのように思われる。

こうみてくると、著者寺山修司は、私が想像していたよりもずっとわかりやすい人のように思えてきた。なによりまず、労働であれ、学生生活であれ、人生に「生き甲斐」や「幸福」があることを確信している。問題は、それを個々人がその人なりに「思想化」しないでいることにあるというのだ。思想を前面に押し立てる政治運動は盛んだが、その思想は個々人の「生き甲斐」や「幸福」とは別のところにあったということだろうか。

本書には、著者が1968年、米国の公民権運動指導者マーチン・ルーサー・キング牧師がテネシー州で暗殺された日、首都ワシントンにいたことが書かれている(「私怨をもって政治を超えられるか」)。ホテルの支配人から夜の外出を控えるよう求められたという。渡米の目的は不明だが、こんな歴史的事件にたまたま居合わせたのは海外に出る頻度が高かったからだろう。著者の視野が世界的だったことをうかがわせるエピソードだ。

著者は、この「私怨をもって…」で、政治的な暗殺は「個人の情念」と無関係でないという主張を展開する。テロ行為は「手工業的」な部分抜きにあり得ず、それは「『暴力』そのものが人格化してゆかざるを得ないような孤独な生活」を伴うというのだ。

考えてみれば、1968年は政治の年だった。日本では大学紛争が相次いだ。米国ではベトナム反戦の機運が高まった。フランスではパリ五月革命が起こった。チェコスロバキアでは「プラハの春」の風が吹いた。一方で、これらと逆向きの事件も起こる。米国ではキング牧師だけではなく、ロバート・ケネディ上院議員も暗殺されている。そんななかで著者は、徹底して個々人にこだわる。本書副題「反時代的…」の意味はそこにあるのだろう。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年9月29日公開、通算697回
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