アインシュタイン、その実在愛

今週の書物/
『アインシュタイン回顧録』
アルベルト・アインシュタイン著、渡辺正訳、ちくま学芸文庫、2022年刊

実在か否か?

先週に続いて『アインシュタイン回顧録』(アルベルト・アインシュタイン著、渡辺正訳、ちくま学芸文庫、2022年刊)を読もう。著者が60歳代後半に「自伝のようなもの」と題して綴った文章だ。軟らかな話題が満載かと思いきや、思い切り硬い話だった。(*1)

先週も書いたことだが、著者の関心事は「何を、どう考えるか」にあり、半生記も「脳内の出来事」に重きを置いている。実際、本書には物理の話が次々に出てくるが、それは著者の思考を跡づけるかたちで語られる。これが、ふつうの科学本と違うところだ。

で、先週の当欄が焦点を当てたのは、著者が若いころに培ったニュートン力学批判の視点だった。物理学史を振り返ると、19世紀には電磁気学が進展して、電場や磁場という「場」の概念が生まれた。これは、質量と力と運動法則だけで世界を記述しようとするニュートン流の質点の力学とは相いれなかった。著者は、この矛盾に真正面から向きあった。学界には二元論的な考え方も出てきたが、それでは満足できなかったのだ――。

今週は先へ進もう。注目するのは、著者が実在論者だったことだ。たとえば、1905年に発表したブラウン運動の考察。この年は「アインシュタイン奇跡の年」と呼ばれ、著者が画期的な論文を次々に出した。一番有名なのが、特殊相対性理論。そして、電子が光によって弾きだされる光電効果の理論。これは量子論の発展に寄与した。それらの陰に隠れがちだが、ブラウン運動の研究も科学史に残る。それが原子や分子の実在を決定づけたからだ。

ブラウン運動とは、花粉が水面で見せる不規則な動きを言う。植物学者のロバート・ブラウンが見つけていた。著者の論文は、それを理論づけたものだ。水面に浮かぶ微粒子の運動を熱力学の分子運動論を使って考えると、「粒子の動きを定量的に表す統計的な法則」が見つかった。その計算結果は、観察結果に「みごとに一致」する。これが、原子や分子が実在するか否かという、当時物理学界を揺るがしていた論争に決着をつけたのである。

実在するとみる「原子論」の旗手は、熱力学、統計力学のルートヴィッヒ・ボルツマン。対する「懐疑派」は、物理学者であり哲学者でもあるエルンスト・マッハらだった。ボルツマンが自死したのは1906年。著者のブラウン運動の論文とほとんど入れ違いだった。

著者は、この件ではボルツマンの側に立った。その主張はこうだ。「懐疑派」は「観測事実だけを科学知識の源泉とみる」(本書では斜体部分に傍点、以下も)という「実証主義的な姿勢」に固執して世界像を見誤った――。「脳が自在につむぎ出す概念」も「現実と突き合わせつつ使われていく」ならば「観測事実の説明に大きく役立つことがある」。言葉をかえれば、脳は観測事実の向こう側に潜む実在物を見逃さないということか。

著者は、人間の観測行為の有無にかかわらず、物理世界は現実に在るという実在論にこだわっていた。そのことは量子論に対する懐疑につながった。批判の的は1920年代半ばに確立した量子力学だ。電子が原子核の周りでどんな運動状態にあるか、ということなどを記述する。ヴェルナー・ハイゼンベルクの行列力学とエルヴィン・シュレーディンガーの波動力学の2流派があるが、本書は後者に出てくる波動関数ψの弱点を突いている。

ψに対して、著者には疑問があった。アイザック・ニュートンの力学では「空間内の『質点と時間』が現実」、ジェームズ・クラーク・マクスウェルの電磁気学では「空間内の『場と時間』が現実」である。では、量子力学のψもなんらかの「現実」を表しているのか?

著者自身も、これが即答しにくい難題であることは認めている。ψは、観測者が電子の位置や運動量を測ったとき、ある値をとる状態が「これこれの確率で見つかる」ということを言っている。この確率を「現実の量」として実測するには、測定を幾度となく繰り返さなければならない。では、1回きりの測定で得た位置や運動量の値はいったい何なのか。それは、決定論に従って事前に予測できるものなのかどうか。わからないことが多い。

著者はここで、架空の人物二人の対話を提示する。A氏は、「系」をかたちづくる粒子の位置や運動量は測定前に「決まっているはずだ」という立場。そうならば、ψは「系の実体」について「だいたいのことしか表していない」ことになる。これに対して、B氏は決定論を否定して、こう言う。位置や運動量は測定時に限り「ψが決める特有な確率」に従って「ある値が顔を出す」。だから、ψは「系の実体を余すところなく表現してる」と譲らない。

著者は、ψは不完全だとしてA氏を支持する。一方、B氏の側に立つのが、当欄もとりあげた量子力学の多世界解釈だ。それはψの完全性を主張している(*2)。多世界解釈の登場は1957年。本書の原著執筆よりも後のことなので、著者はもちろん言及していない。

著者がψの不完全性を論じる箇所でもちだすのが、局所実在論だ。ここで述べられていることは、著者のグループが1935年に発表した「EPRの逆説」と重なりあう(EPRは、著者と論文共著者の姓の頭文字。ただし、本書はEPRの論文には触れていない)。

一つの系が部分系1と部分系2から成るとしよう。量子力学によれば、全体系にも部分系にもそれぞれψがある。部分系1を測定すると、その結果が全体系のψを通じて部分系2のψに影響する。部分系同士が離れていても、部分系1を測ったとたん「テレパシーが働いたかのごとく」部分系2が変化するわけだ。著者は、これを断固否定する。物理学には局所性があり、物事は複数の場所にまたがって一気には決まらない、とみる。

この局所実在論はその後、否定された。それは、1970年代以降の実験研究による。去年、ノーベル物理学賞を贈られたアラン・アスペ(フランス)、ジョン・F・クラウザー(米国)、アントン・ツァイリンガー(オーストリア)の3氏は、その実験に挑んだ人々だ。「量子もつれ」と呼ばれる関係にある一対の光子をつくり、2光子が離れていても両方の状態が一挙に決まる様子を確かめた。著者はその実験結果を知ることなく、1955年に逝去した。

もし、著者が近年の量子研究熱を目の当たりにしたなら、どんな顔をするだろうか。そんな意地悪な空想もないわけではない。ただ、著者は理想をとことん追い求めながらも、理想通りにいかない現実をまともに受けとめた。私はそこに誠実さを感じる。

著者の物理学者としての理想は、一元論であり、実在論であり、決定論だったのだろう。ひとことでいえば、スッキリ明快な物理学をめざしていた。ただ研究は、そんな思惑を裏切ることもある。ときには自分自身の研究が悩みのタネを生みだすこともあった。

たとえば、こういうことだ。当欄が前回話題にしたように、著者にとってはニュートン流の「質点」の力学よりもマクスウェル流の「場」の物理が魅力的に見えた。学界には、この共存を受け入れる考え方が生まれたが、アインシュタインは一元論を理想としたので「場」の物理に一本化できないか、と考えた。ところが、奇跡の年1905年に発表した研究結果には、この願望に背くものが一つならず含まれていたように私は思う。

前述のブラウン運動を見てみよう。著者の研究が分子や原子の存在を支持したことは、実在論には適ったが、それは「質点」の力学の再評価にもつながったのではないか。

光電効果も、ややこしい。著者は、物質に光を当てると電子が飛びだす現象を考察して、光には粒子の一面があることを突きとめた。どちらかといえば「質点」のイメージになじむ理論だ。光の粒(光子)には質量がないから「質点」とは言えないが、粒子は離散的なので「場」のイメージとはそりが合わない。さらにこの理論によって、光は波であり、粒子でもあるということになった。この二面性もなんとか一元論の枠組みに収めたい――。

こう読んでくると、アインシュタインは自分で厄介ごとを抱え込む物理学者だったようにも思える。だが、そもそも科学とは一筋縄で答えが出るものではない。本人は理想と現実が角突きあわせる「脳内の出来事」に、かえって心地よさを感じていたのかもしれない。

*1 当欄2023年1月20日付「アインシュタイン、思考の自伝
*2 当欄2021年11月12日付「世界は一つでないと今なら言える
☆外国人の人名は、著者の表記に従いました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年1月27日公開、通算663回
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アインシュタイン、思考の自伝

今週の書物/
『アインシュタイン回顧録』
アルベルト・アインシュタイン著、渡辺正訳、ちくま学芸文庫、2022年刊

考える

理系本を語るのは難しい。とりわけ、それが数学のように抽象世界を相手にする分野なら、なおさらだ。物理学も、今や具象世界を抽象世界に投影して考える営みとなっているから同様だ。それなのに私は、ついついその難所に引き寄せられてしまう。

一つには、私が科学畑の元新聞記者であり、今も科学ジャーナリストを名乗っているからだろう。現役時代は、業務として研究者から難しい話を根掘り葉掘り聞きだし、それを記事にしていた。その習性が今、老後の読書に乗り移ってしまった感じだ。

言うまでもないことだが、私は取材時に難しい話を100%理解していたわけではない。そうかと言って、まったくわからなかったということもない。いや、正直に言おう。話を聞きはじめた時点で理解度が0%だったことはある。それでもめげずに愚問の数々を投げかけていくと、おぼろげながら話の輪郭がつかめるようになってくる。これでようやく、記事の見通しが立つのだ。足裏の痒みを靴底から掻くような作業ではある。

では、輪郭をつかむとは何なのか。理解度が0%と100%の間にある状態なのは確かだ。だがそれは、50%だ、60%だ、というように数字で表せるものではない。あえて言えば、わかったような気持ちになる心のありようを指しているのではないか。

わかったような気持ち――これは、私たち人間にとって欠かせない。この世界がどんなものかわからずに生きるのは危険だ。だが、ヒトという生きものが、なにもかもわかることはありえない。ならばとりあえず、的外れにならない範囲でわかったような気持ちになることが必要ではないか。科学ジャーナリズムの存在意義の一つは、そんな心理状態を人々に提供することにある。科学本が一般向けに書かれ、読まれるのも同じ理由からだろう。

ただ、科学記事を書くのと、科学本を読書ブログで話題にするのとでは勝手が違う。記事の取材では科学者に根掘り葉掘り質問をぶつけられるが、読書ブログを書くのにその工程はない。情報源は本そのもの。本をあれこれ撫でまわし、食らいつけるところを齧りとっていくしかない。今回は、20世紀でもっとも著名な科学者の手になる書物を齧れる限り齧ってみよう。さて、それで、わかったような気持ちになれるかどうか――。

『アインシュタイン回顧録』(アルベルト・アインシュタイン著、渡辺正訳、ちくま学芸文庫、2022年刊)。著者アインシュタイン(1879~1955)は、ドイツ生まれで米国へ渡った理論物理学者。時空の物理学である特殊相対性理論や一般相対性理論を築いたことで知られる。量子論への寄与も大きい。「訳者あとがき」によれば、本書原文は“Albert Einstein: Philosopher-Scientist”という書物(1949年刊)の巻頭に収められている。

本書では、その「訳者あとがき」の分量が本文の約半分もある。しかも、訳者は化学系の工学博士。理論物理学者ではない。だから、著者の業績に対して適度な距離感を保っている。その立ち位置は、私たち読者と同じ地平にいるように思えて心地よい。

本書原文の題名は“Autobiographisches”(「自伝のようなもの」)。ところが、まったく自伝らしくない。ページをめくると物理学の話が次々に出てくる。数式が顔を出すこともある。著者自身は、この文章を「自分の葬儀に使う弔辞」みたいなものと言う。自分にとって大事なのは「何をどう考えるか」(本書では斜体部分に傍点、以下も)であって「日々の雑事」に関心はないとして、「脳内の出来事」を中心に書く姿勢を鮮明にしている。

一例として、著者は幼少期の体験を書きとめている。父親から方位磁石を見せてもらったときの「驚き」だ。方位磁石は、本体をどちらの向きに動かしても針は一定方向を指し示す。それは「脳内にできていた概念世界とは、まったく合わない」ことだった。このように私たちの脳は、既存の概念世界と衝突する現象に出あったとき「大きく揺さぶられる」。そんな体験を繰り返すことが「思考力を鍛える」と、著者は主張している。

本書の価値を高めているのは、そんな著者の「脳内の出来事」がそのまま科学史になっていることだ。私も今回の読書では、そこに目を向けることにした。まずは、19世紀の物理学にニュートン力学ばなれの兆しがあったことを本書からたどってみよう。

ニュートン力学は、「質点系の力学」だ。アイザック・ニュートンが17世紀に打ちたて、19世紀には「物理全体の基礎」となっていた。そこには、「質量」と「力」とニュートンの「運動法則」の三つさえあれば万事を語れる、という世界観がある。これは、著者が物理専攻の学生だった19世紀末、物理学の「ドグマ」(教義)になっていた。ただ同じころ、その「信仰」を揺るがせるような動きが出てきたという。新しい研究分野の台頭である。

一つは、波動光学だ。これを「力学の土俵」で理解するのは難しかった。光は、力学の視点からは「エーテルという弾性体の振動」とみなされる。もしそうならば、空間にはエーテルが充満しているはずだ。ただ光は横波であり縦波ではないから、エーテルは縦波を起こさない「非圧縮性の固体」に近いに違いない。ところが、実際には「どんな物体も空間内をスイスイ動いていく」ではないか。これではとても固体とは思えない――。

もう一つは、電磁気学である。マイケル・ファラデーやジェームズ・クラーク・マクスウェルが築きあげた。この研究によって、「重さのあるどんなものとも関係のない電磁現象、つまり電磁の生む波」が真空中を伝わることもわかったのである。

光も電磁波も――光も電磁波の1帯域であることはわかってくるのだが――質点系の力学でとらえることはできない。それは、質量と力と運動法則で成り立つニュートン力学の三角形とは別のところに存在するわけだ。ここに新しい物理学の出番があった。

著者は、ニュートン力学に「内的完全性」があるか、「内的に単純(自然)」かどうか、という観点でも議論を展開している。ここでは、ニュートンが物体とは無関係な存在として想定した「絶対空間」の難点を論じ、その運動法則は「力の起源」を明らかにしていない、力と位置エネルギーの数式には「勝手な仮定」が紛れ込んでいる、などの見解も示している。著者の「脳内」では、ニュートン力学のあちこちに綻びが見えていたことになる。

波動光学や電磁気学では、「場」が主役となる。ニュートン力学の「遠隔力」が、「場」に取って代わられるのだ。本書は、ヘンドリック・ローレンツが1870年代に提示した電磁世界のイメージを要約している。私がさらに要約すると、以下のようになる。

・電磁場は真空でも存在可能
・粒子は電荷が在る場所
・粒子間の真空には、粒子の電荷の位置と速度に対応して場が発生する
・粒子の電荷は場を生み、場は粒子の電荷に影響を与える
・このとき粒子はニュートンの運動法則に従って動く

著者はローレンツの仕事を評価しつつ、自身が若いころに抱いた違和感も率直に打ち明けている。「ニュートンが重視した質点と、どこまでも広がる……その両方を基本概念に使っている」。物理学者らしく、その「二元論」的構造に引っかかったのだ。著者は、ここで一つの着想を得る。「場」のエネルギー密度が著しく大きな領域を「粒子」とみればよいのではないか。それがうまくいけば、質点の運動方程式も「場」の方程式から導ける。

考えてみれば、著者の一般相対論は、重力を「遠隔力」とは見ず、重力の「場」で一元的に描きだした。それだけではない。「力の起源」も時空の曲がりによって説明している。

前述のように、著者は既存の概念世界と相いれない物事に出あうことに価値を見いだしている。青年時代に遭遇した「場」の物理学は、まさにそれだったのだろう。これを糸口に、当時の「ドグマ」ニュートン力学を批判的にとらえて相対論にたどりついたのだ。

著者アインシュタインの「脳内の出来事」は、これにとどまらない。相いれない難物との遭遇はほかにもあったのだ、次回も本書で、その脳内模様をたどってみよう。
☆引用箇所にあるルビは原則、省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年1月20日公開、通算662回
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初夢代わりに漱石の夢をのぞく

今週の書物/
「夢十夜」(夏目漱石)
=『文鳥・夢十夜』(夏目漱石著、新潮文庫、1976年刊)所収

目を閉じても見えるもの

新年だから初夢の話をしたいのだが、思いだせない。最近は、もの忘れだけでなく夢忘れも多くなった。勤め人生活をやめ、目覚めの時間をゆっくり過ごせるようになったのだから、今見たばかりの夢を反芻したいと思うのだが、それができない。

ただ、去年暮れに見た夢に、おぼろげながら覚えているものがある。筋というほどのものはない。ほとんど短編映画、いやTVコマーシャルのようなものだった。その夢は、私が寝室で寝ているという現実を起点にしている。起きて隣のリビングルームへ行きたいが、ためらっているのだ。隣室は真っ暗のはず。ひとりでは怖い。子どものように恐怖心を抱く。それでも私は、いつのまにか歩いている。闇のほうへ一歩、一歩……。

そして私は、闇のなかに突っ立っている。不思議なことに、そこは隣室ではない。もはやわが家にいないのだ。今いるのはスタジアムのフィールド。この情景が浮かんだのは、たぶんサッカーW杯の影響だろう。私はサッカーファンではないのだが、それでもカタール発の映像は脳裏に焼きついていた。ただ、そのスタジアムは暗くて静まりかえっている。選手もサポーターもいない。私は、闇の底にただ一人取り残されている。

ところが突然、意外なことが起こる。スタンドを見あげると、スコアボードのような電光板に女性の顔が映しだされているではないか。画面いっぱいの大写し。顔つきは欧米人のようで、一瞬、アンディ・ウォーホルが描いたマリリン・モンローかとも思った。だが、表情はもっと現代風だ。CNNのニュースキャスターのようにも見える。静止画が、やがて動画に変わる。女性の顔はシュルレアリスムの絵のように歪んで……そこで夢は消えた。

私は、自分の夢をフロイト流に分析してほしいわけではない。夢を糸口に、意識よりも深層に潜む自分の「無意識」を探りたい、とも思わない。ただ、夢の一つを今ここに書きだしたことで、ひとつはっきりしたことがある。夢は自分には制御不能ということだ。

眠っているときに隣室が気になる、という心理はわからないでもない。隣室で就寝前にしておくべきだったことを睡眠中に思いだしたのかもしれない。ただ、その隣室が突然、スタジアムに変わった理由がわからない。スタジアムの出現はW杯効果だとしても、なぜ隣室がそれに化けるのか。さらに言えば、暗闇に光が差して女性の顔が浮びあがるという鮮烈な展開も不可解だ。私は映像作家でもないのに、こんな演出をやってのけるとは。

ふと思うのは、夢は自分とは別の生きものではないか、ということだ。内面に住みついてはいるが、制御の及ばない意識体系。私たちは、そんな存在を寄生させているのかもしれない。もしそうならば、私の脳にはいくつもの世界が同居しているのか――。

で、今週は新年恒例の夏目漱石。今年は「夢十夜」を読む。『文鳥・夢十夜』(夏目漱石著、新潮文庫、1976年刊)に収められている。著者(1867~1916)が1908(明治41)年夏、東京、大阪の朝日新聞に連載した掌編の連作だ。「第一夜」から「第十夜」までの10編から成る。「第一夜」~「第三夜」と「第五夜」の4編は冒頭の1行が「こんな夢を見た」。残り6編にこの文言はないが、それも夢の話であることは明白なつくりとなっている。

「第一夜」はこうだ。目の前に女が横たわっていて「もう死にます」と静かに言う。血色がよくて死ぬようには見えないのだが、その言葉は確固としている。「自分」が「大丈夫だろうね」と声をかけると、女は「でも、死ぬんですもの、仕方がないわ」と応じる。

その女は「自分」に埋葬を頼む。穴掘りには真珠貝を使ってほしい、墓標は空から降ってきた星のかけらがよい、そう細かく指図して「墓の傍に坐って待っていて下さい」と言う。「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう」。こうして100年たてば、「きっと逢いに来ますから」と約束して逝く。「自分」は庭に出て真珠貝で穴を掘った。星のかけらを見つけて墓石代わりにした……さて「自分」は100年待ったのか? 女は戻って来たのか?

この一編には、夢の夢らしさが凝縮されている。死にそうにない人間が自殺するわけでもなく「死ぬ」と言って死んでいく。墓所は、寺でもなく墓苑でもなく庭先だ。所望の真珠貝や隕石が、都合よく手に入る。考えにくいことばかりが継起するのである。

その極みは、100年待てという遺言だ。長寿社会の今でこそ人生100年などと言われるようになったが、明治期の100年は人間の尺度を超えていた。生活感覚では実感できない長さだっただろう。それが、女と男の関係に紛れ込んでくるところが夢なのだ。

「第三夜」の夢にも、同様の夢らしさがある。「自分」はわが子を背負っている。6歳の子だ。不可思議なのは、「自分」が気づかないうちにその子が盲目になっていることだ。「自分」が畦道を歩いていると、背中の子が大人びたもの言いで「田圃へ掛ったね」と言い当てる。田圃とわかった理由を問うと「だって鷺が鳴くじゃないか」。実際、返事の後に鷺の鳴き声が聞こえた。わが子はただ勘がよいというのではない。予知能力があるらしい。

「自分」は「少し怖くなった」ので、背中の子を森に捨てようと思いはじめる。と、子が「ふふん」と冷笑する。森の近くまで来ると「遠慮しないでもいい」と促したりもする。心の内側を見透かされているようだ。このあたりから、子が発する言葉は不気味さを帯びてくる。「もう少し行くと解る。――丁度こんな晩だったな」。100年前の晩のことである。1808年、江戸時代の文化5年にあったおぞましい出来事が「自分」の心に呼び起こされるのだ。

わが子を背負い、田園地帯を歩くことまでは日常だ。だが、子が知らぬ間に視覚を失ったり、大人っぽい口を聞くようになったりするのは、いかにも夢だ。そのうえ、ここでも100年という人間の尺度を超えた時間が登場人物の世界に入り込んでくるのだ。

本書巻末の解説(三好行雄執筆)によると、この「第三夜」は伊藤整、荒正人らの評論を通じて漱石の「原罪意識のありかを告げるもの」とみられるようになったという。

「第六夜」は、夢の奥行きとなる時間幅がもっと大きい。「自分」は「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいる」という噂を聞きつけて現場に出かける。「松の緑」と「朱塗の門」のたたずまいが「何となく古風」。「自分」は鎌倉時代へトリップしているのだ。

山門の周りには野次馬が群がっている。「自分」が「能くああ無造作に鑿を使って、思う様な眉や鼻が出来るものだな」とつぶやくと、近くにいた男がおもしろいことを言う。眉や鼻はもともと「木の中に埋っている」のだ、石ころを土中から掘りだすような作業だから「決して間違う筈はない」。それを聞くと「自分」は山門を立ち去り、家に帰るなり樫の薪材に鑿を当て、金槌を振るってみるのだが……。思いも寄らない話の展開だ。

時間ではなく、空間の妙を見せつけるのが「第八夜」の夢だ。それは、「自分」が床屋の店内に入るところから始まる。部屋は「窓が二方に開いて、残る二方に鏡が懸っている」。理髪台の一つに腰を下ろすと、正面の鏡には、まず自分の顔があり、その後方に窓が映り込んでいる。「窓の外を通る徃来の人の腰から上がよく見えた」。夢はこのあと、表の通りを歩く人々を素描する。ガラスがつくり出す鏡越し、窓越しの世界は映画のようでもある。

この「第八夜」で床屋の店先を通り過ぎたパナマ帽の男は、「第十夜」で主役格になって再登場する。「第八夜」では鏡の向こうで女を連れていて得意顔だったが、「第十夜」では女難に遭って寝込んでいる。街角の水菓子店(果物店)でナンパしたつもりが、逆に連れ去られて1週間ほど行方不明となる。帰ってきてから打ち明けた話がうそでないのなら、彼が体験したことは奇妙奇天烈だ――夢のなかの人物が夢を語るような入れ子構造である。

漱石「夢十夜」の「夢」は、それが本当の夢かどうかは別にして夢らしいものではある。時空の枷が払われ、虚実の境がぼやけ、自分の中に別のだれかがいるようにも見える――。さて私は今年、どんな夢を見るのか。別のだれかがいいヤツならよいが、と切に願う。

☆引用箇所のルビは原則、省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年1月13日公開、通算661回
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今年は、なんでも覚悟する

今週の書物/
スベトラーナ・アレクシエービッチさんにインタビュー
朝日新聞2023年1月1日朝刊

新春(*1)

1年前は的外れだった。2022年年頭の当欄には、国政が改憲に向かって動くとの見立てがあった(2022年1月7日付「社説にみる改憲機運の落とし穴)。ところが、現実はそれをスキップした。私たちの眼前には、もうすでにキナ臭い世界がある。

ロシアによるウクライナ侵攻が2月に勃発した。大国の軍隊が隣国にずかずかと入り込んで武力を行使する――その「軍事行動」にはいろいろな理由づけがなされたが、説得力はない。今日の国際社会の常識に照らせば、暴挙というほかなかった。

予想外の事態が突然出現したため、日本国内の世論も一気に防衛力増強へ傾いた。その風向きに便乗するかのように、政府は現行憲法の生命線である専守防衛の原則を拡大解釈して、敵基地攻撃能力を備えることにした。事実上の改憲といえるのではないか。

ウクライナ侵攻が日本社会に拙速な変更をもたらしたのは、それだけではない。原子力政策がそうだ。ロシアは石油や天然ガスの輸出大国なので、侵攻に対する西側諸国の経済制裁はエネルギー需給を逼迫させた。その一方で、国際社会の課題として地球温暖化を抑えるための脱炭素化がある。これで息を吹き返したのが、原発活用論だ。その追い風を受けて、日本政府は原発の新規建造や60年間超の運転を認める政策に舵を切った。

見通しの悪さをいえば、コロナ禍に対しても見方が甘かった。1年前の冬、日本では感染の第6波が立ちあがっていたが、それも春夏には収まるだろう、という希望的予感があった。だが、実際はどうか。6波のあとも7波、8波に見舞われている。

コロナ禍では、私たちの意識も変わった。政府はこの1年で行動規制を緩めた。社会を動かさなければ経済は回らない。人々の我慢も限界に達している。そんな事情があって、オミクロン株は従来株と比べて感染力は高いが重症化リスクが低い、というデータに飛びついたのだ。とはいえ緩和策で感染者がふえれば、それに引きずられて重症者も増加する。コロナ禍の実害をやむなく受け入れる感覚が、世の中に居座った感がある。

ウクライナ侵攻の突発、いつまでも終わらないコロナ禍――予想外のことがもとで心はぐらつき、世の中も変容した。私たちは引きつづき、そんな事象に取り囲まれている。2023年も何が起こるかわからない。相当の覚悟を決めなくてはなるまい。

で今週の書物は、私の古巣朝日新聞の元日紙面。ぱらぱらめくっていくと、オピニオン欄の表題に「『覚悟』の時代に」とあった。今年のキーワードは、やはり「覚悟」なのか。

とりあげたい記事はたくさんあるが、今回はベラルーシのノーベル賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチさん(74)へのインタビューに焦点を当てる。第1面から2面にかけて展開された大型記事だ。1面トップに据えられた前文によれば、取材陣(文・根本晃記者、写真・関田航記者)は11月下旬、彼女が今住んでいるベルリンの自宅を訪れたという。先週の当欄に書いたように、秋口から準備を進めてきた新年企画なのだろう(*2)。

インタビューの主題はロシアのウクライナ侵攻だ。1面トップを飾ったアレクシエービッチさんの横顔は憂いをたたえている。おそらくは、ウクライナの苛酷な現実に思いをめぐらせてのことだろう。その表情を写真に収めた関田記者が大みそか、滞在先のキーウでロシアのミサイルによると思われる攻撃に遭い、足にけがをしたという記事が同じ朝刊の別のページに載っている。現地の緊迫感が伝わってくるようなめぐりあわせだ。

アレクシエービッチさんは、どんな人か。前文にはこう要約されている。旧ソ連ウクライナ生まれ。父はベラルーシ人、母はウクライナ人。執筆に用いてきた言語はロシア語。旧ソ連のアフガン侵攻やチェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故に目を向け、「社会や時代の犠牲となった『小さき人々』の声につぶさに耳を傾けてきた」。当欄の前身「本読み by chance」も、彼女がノーベル文学賞を受けた2015年、その著作を紹介している(*3)。

ではさっそく、インタビュー本文に入ろう。アレクシエービッチさんはウクライナ侵攻の第一報に触れたとき、「ただただ涙がこぼれました」と打ち明ける。ロシア文化になじみ、ロシアが「大好き」な人間なので「戦争が始まるなんて到底信じられなかった」。

その一方で彼女は、「戦争は美しい」と主張する男性に取材した経験を語る。「夜の野原で砲弾が飛んでいる姿はとても美しい」「美しい瞬間があるんだ」――そんな悪魔的な言葉を引いて、彼女は戦争には「人間の心を支配してしまうようなものがある」と指摘する。

「ウクライナ侵攻では人間から獣がはい出しています」。インタビューでは、そんな衝撃的な言葉もとび出す。作家は「人の中にできるだけ人の部分があるようにするため」に仕事をしているというのが、彼女の持論だ。「文学は人間を育み、人々の心を強くしなければなりません」。名前が挙がるのはロシアの文豪たち。「ドストエフスキーやトルストイは、人間がなぜ獣に変貌(へんぼう)するのか理解しようとしてきました」という。

聞き手の記者が、ウクライナ侵攻ではロシア軍の占拠地域で「残虐な行為」が相次いだことに水を向けると、彼女も「なぜ、こうもすぐに人間の文化的な部分が失われてしまうのでしょうか」と慨嘆している。では、何が原因でロシア社会に「獣」性が現れたのか。

その答えをアレクシエービッチさんは用意していた。「ロシア人を獣にしたのはテレビ」と言い切るのだ。ロシアのテレビメディアが数年前から、プーチン政権の意向に沿ってウクライナを敵視する報道をしてきたことにロシア人の多くが影響された、という。

一例は、ウクライナで捕虜になったロシア兵と郷里の母親との電話のやりとりだ。兵士が「ここにはナチはいない」と言うと、母は「誰に吹き込まれたの」と突っぱねた。反論の論拠にしたのは、ロシアのテレビ報道だったという。電話はウクライナ側が「実情を伝えれば解放してやる」と促したものだそうだから、兵士の言葉にも吟味は必要だろう。ただ、ロシアでテレビが伝えるウクライナ像の多くが歪んでいることは間違いなさそうだ。

率直に言えば、この説明には若干の違和感がある。今の時代、テレビにそれほどまでの影響力があるのか、と思われるからだ。ロシアの人々も、高齢世代を除けばSNSに馴染んでいるだろう。だから、テレビ報道が政府寄りに偏っても、偏りはすぐばれるのではないか。SNSにも規制がかかっているらしいが、SNSの不自由さは目に見えるかたちで現れるので、メディア統制の意図をかえって見抜かれてしまうのではないか――。

とはいえ、「人間から獣が」出てきたようなウクライナの現実に、一方的な情報が関与しているのは確かだ。その意味で、アレクシエービッチさんの言葉は、私たちへの警告となる。日本社会に、あからさまなメディア統制はない。SNSは、ほとんど言いたい放題だ。だが、それがかえって付和雷同のうねりを生みだすことがある。政府は、その波に乗っかって権力を行使しようとする。私たちは、情報社会の高度な不気味さに包まれている。

私たちが今年、最悪の事態として覚悟しなければならないのは、武力行使やコロナ禍が延々と続くことだけではない。一方的な情報の波に対しても身構えなければならないだろう。なぜならその波にのまれることが、事態をいっそう悪い方向へ動かしてしまうからだ。

アレクシエービッチさんは、絶望に直面する人の「よりどころ」は「日常そのもの」であり、それは「朝のコーヒーの一杯でもよい」と言う。そういえば、けさのコーヒーは苦いけれど心をほっとさせてくれた。2023年が、そんなコーヒーのようであればよいと思う。

*1 新聞は、朝日新聞2023年1月1日朝刊(東京本社最終版)
*2 当欄2022年12月30日付「大晦日、人はなぜ区切るのか
*3 「本読み by chance」2015年10月16日付「ベラルーシ作家にノーベル賞の意味
(執筆撮影・尾関章)
=2022年1月6日公開、通算660回
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エルノーの事件、男よ法よ倫理よ

今週の書物/
「事件」(アニー・エルノー著、菊地よしみ訳)
=『嫉妬/事件』(アニー・エルノー著、堀茂樹、菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫、2022年10月刊所収

中間選挙(*1)

米国上下両院の中間選挙では、与党民主党が事前の予想に反して善戦した。前共和党政権の人事で保守色を強めていた米連邦最高裁が今年6月、人工妊娠中絶を認めない判決を下したことに反発が広がり、中絶容認の立場をとる民主党候補に票が集まったらしい。

米国政治では、プロライフ対プロチョイスが対立軸になっている。前者は、生命の原点を受精卵とみて中絶を許さない。後者は、産むか産まないかの選択権はあくまで当事者にあると主張する。前者の背後には宗教右派が控え、後者はリベラル派が支えるという構図だ。

この構図には、類似版もある。忘れがたいのは、2004年の米大統領選挙だ。受精卵由来の胚性幹細胞(ES細胞)を使って人体の組織を再建する再生医療が争点になった。その研究は、共和党候補のジョージ・W・ブッシュ大統領が抑制していたが、民主党のジョン・ケリー候補は推進論を主張した。この論戦では、片方に受精卵を守ろうというプロライフ思想があり、もう一方に病苦を背負う人々を科学で支援しようとするリベラル思想があった。

当欄はここで、プロライフ対プロチョイスもしくはプロライフ対リベラルの論争で、どちらに分があるかということを書くつもりはない。ただ、こうした問題で議論が沸騰する米国社会には敬意を払いたい。私たちの日本社会には、その気配がない。

そんなことを思っていたとき、「事件」(アニー・エルノー著、菊地よしみ訳)を読んだ。当欄が先週とりあげた「嫉妬」とともに『嫉妬/事件』(アニー・エルノー著、堀茂樹、菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫所収)に収められている(*2)。この作品もまた、著者が主人公を自伝的に引き受ける「オートフィクション」の形式をとる。発表は2000年だが、作中で語られる「わたし」は1960年代の学生。うたかたの恋の末に妊娠する。

ただ、「わたし」を語る「わたし」の視点は2000年ごろにある。作品冒頭で今の「わたし」がパリの病院でエイズ検査を受けた――幸い結果は陰性だった――とき、同様の恐怖感のなかで「医師の診断を待っていた」過去の「わたし」が想起される。

その回顧の記述では、1963年10月にノルマンディー地方ルーアンの女子学生寮で「生理がやってくるのを一週間以上待っていた」日々が綴られる。下着の「染み」を待ち望む、手帳に毎夜「なし」と記す、深夜、目が覚めてそのことを再確認する……。11月に入り、街の診療所で受診した。妊娠だった。医師は「父親のいない子供のほうが、かわいいものですよ」などと言う。「わたし」は手帳に「身の毛がよだつ」と書いている。

妊娠の原因は、政治学を専攻する学生Pとの交際にあった。夏に知りあい、秋にPのいるボルドーを訪ねたのだ。「セックスの快楽のさなかに、男の肉体以外のものがわたしのなかに存在すると感じたことはなかった」。そのあとPとは「何となく別れて」いた。

妊娠証明書が医師から届く。そこには「分娩予定日」が1964年7月8日と記載されていた。「わたし」は「夏を、太陽を目に想い浮かべた」。そして、証明書を破って捨てたのだ。Pには手紙で妊娠を告げ、「このままの状態でいたくない」旨を書き添えた。「このまま」でいないとは、中絶することだ。妊娠の報せはPの心を動揺させるだろう。逆に「わたし」が「中絶する決心」をほのめかしたことはPに「深い安堵感」をもたらすだろう――。

1週間ほどして、米国でジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される。だが、「わたし」はそれに無関心だった。「わたし」は数カ月間、「ぼんやりした光」に浸っていた。あのころを思い返せば、「しょっちゅう街を歩いていた自分の姿」が浮かびあがってくる。

いや、数カ月にとどまらない。「何年ものあいだ、わたしは人生のその出来事のまわりをめぐっている」。たとえば、小説を読んでいて妊娠中絶の話題が出てくると、言葉が荒々しさを帯びるように感じられた。そんな「わたし」が今、中絶をめぐる自身の体験を語ろうとしているのだ。「何も書かずに死ぬこともできる」。だが「そうしてしまうのは、おそらくあやまちだろう」――オートフィクション作家の心の揺れが見てとれる。

この体験記を読み込む前に予備知識として知っておきたいのは、当時のフランスで妊娠中絶が禁じられていたことだ。巻末の「『事件』解説」(井上たか子執筆)によると、それは1970年代半ばに「女性の自由意思による妊娠中絶」が条件付きで合法化されるまで続いた。したがって、1960年代の「わたし」は非合法を選択したわけだ。今の「わたし」は、たとえ現行法が「公正」になっていても「過去の話」を埋もれさせてはいけない、と思う。

妊娠証明書を破り、中絶の決意を固めてから「わたし」の内面はどう変化したのか。本作は、その様子も克明に書き込んでいる。講義に出席しても、学生食堂にいても、「わたし」は「お腹に何も宿していない女子学生たち」とは別世界にいた。ただ、自分が置かれた状況を思いめぐらすとき、「妊娠」「身籠もる(グロセス)」「子供が生まれるのを待っている」という言葉は避けた。とくに「グロセス」は「グロテスク」を連想させるので封印した。

「妊娠」「身籠もる」は「未来を受け入れる」を含意していているが、「わたし」にはその意志がない。「消滅させる決心をしたものにわざわざ名前をつける必要もない」のだ。当時の手帳を見ると、「それ」とか「例のもの」といった表現に置き換えられていた。

では、「わたし」は非合法の妊娠中絶をどのように決行したのか? 学友の女子が私立病院で准看護師をしている年配女性の存在を教えてくれた。パリ在住のマダムP・Rだ。彼女は「子宮頸部にゾンデを挿入」して「流産するのを待つ」という方法で中絶の闇営業をしていた。1月にパリへ行き、マダムP・Rのアパルトマンの一室で処置を受ける。本作には、その前後の一部始終が記されているが、あまりに生々しいのでここでは触れない。

当欄では、本作を読んで私が考えさせられた三つのことを書いておこう。

一つには、男性はどこにいるのか、ということだ。Pとは手紙を出した後に再会したが、「彼は何の解決策も見つけていなかった」。妊娠の負担をすべて女性に押しつけてしまったのか。ほかの男たちも身勝手だ。「わたし」が妊娠の悩みを告白した男子学生の一人は、妻帯者でありながら言い寄ってきた。「わたし」は妊娠の事実によって「寝るのに応じるかどうかわからない娘」から「間違いなく寝たことのある娘」に変わったのだった。

二つめは、合法非合法をどうみるか、ということだ。私たちは今、なにかと言うとコンプライアンスという用語をもちだす。英語の“compliance”は「遵守(順守)」という意味だが、日本社会では守るべきものを法律と決めつけて「法令遵守」と訳すことが多い。だが、世の中には、法以外にも尊重すべきものがある。たとえば良心、そして人権。1960年代のフランスでは、自らの良心に従って法よりも自己決定権を尊ぶ人々がいた。

そして最後は、プロライフ対プロチョイスの問題だ。本作を読みとおすと、当時のフランスで女性たちが負わされてきた不条理の大きさを思い知らされる。だから私は、プロチョイス思想に共感する。ただ、「わたし」が胎内の存在を「消滅させる決心をしたもの」と位置づけ、「それ」「例のもの」と呼んでいたというくだりでは違和感も覚えた。プロチョイスの視点でみても、受精卵や胎児はただのモノとは言えないのではないか。

そんな感想を抱くのも、私が新聞記者時代、生命倫理を取材してきたからだ。1980年代以降、生殖補助医療などの分野で生殖細胞や受精卵に手を加える技術が次々に現われた。一つ言えるのは、積極論者も慎重論者もこれらを生命の人為操作と見て議論していたことだ。考えてみれば、妊娠中絶も同様にとらえられる。プロライフであれ、プロチョイスであれ、中絶は生命倫理の論題なのである。この認識が1960年代には乏しかったのではないか。

米国の状況などをみると、妊娠中絶は2020年代もなお「事件」であり続ける。ただしその議論では、今日的な生命操作が提起した倫理問題も参照すべきなのだろう。

*1 新聞の見出しは、朝日新聞2022年11月10日朝刊(東京本社最終版)より
*2 当欄2022年11月25日付「ノーベル賞作家、事実と虚構の間で
(執筆撮影・尾関章)
=2022年12月2日公開、同日更新、通算655回
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