ジジェクの事件!がやって来た

『監視と処罰ですか?/いいですねー、お願いしまーす!』
スラヴォイ・ジジェク著、松本潤一郎訳、『現代思想』(2020年5月号、青土社)より

日々の管理

5年前のことだ。当欄の前身「本読み by chance」で『事件!――哲学とは何か』(スラヴォイ・ジジェク著、鈴木晶訳、河出ブックス)という本をとりあげたことがある(2015年12月18日付「ジジェク「事件!」の科学技術批判」)。著者は1949年生まれ、中欧スロベニアの哲学者。この本は2014年に刊行された。理系知をふんだんに取り込んだ同時代の哲学書。ネット社会の分析には、そうか、なるほどなあ、と目を見開かされた。

そこでは、ソーシャルメディア全盛の世相が皮肉られていた。なにごとかを世の中に発信する活動は、かつてはマスメディアに独占されていたが、今はだれにでもできる。これは、ネットという公共空間を一気に広げたように思えるが、そうではない、という。たとえば、「自分のヌードや個人的なデータや猥褻な夢をウェブ上にさらけだす人」が現れたことをどうみるか。私的空間を押し広げているととらえれば、公共空間の「私物化」にほかならない。

私は前述の拙稿で、著者には現代の科学技術が近代精神の産物を人々から奪いつつあるとみる歴史観があるらしい、と書いた。ネット空間の「私物化」は、IT即ち情報〈技術〉が「公共性」を脅かしている例だ。別の箇所には、脳〈科学〉批判も出てくる。科学者は神経回路の作用にばかり目を向けて、「自律した自由な主体としての〈自己〉の概念」を「幻想」と切り捨てるようになった、という。「主体性」も追いやられてしまったのである。

この本の題名にある「事件!」とは何か。文中には、事件とは何かを説明する記述があれやこれや出てくるので、ひとことでは定義できない。ただ著者は、人々が「公共性」や「主体性」を取り戻す契機となる事件を「!」付きで思い描いているようだと私は感じた。

もしかしたら……と思うのが、今回の新型コロナウイルス感染禍だ。これは、まぎれもなく人類史を揺るがす事件だが、著者は、そこに人々が変わるきっかけを見ようとしているのではないか。そうならば、この事件はまさに「事件!」ではないか。

で、今週は「監視と処罰ですか?/いいですねー、お願いしまーす!」(スラヴォイ・ジジェク著、松本潤一郎訳)を『現代思想』(2020年5月号、青土社)で読む。これは“The Philosophical Salon”というウェブサイトに今年3月16日付で載せた論考であり、原題は“Monitor and punish? Yes, please!”。「監視と処罰」は、ミシェル・フーコーの著書『監獄の誕生』(邦題)の原題から採ったらしい。コロナ禍の今を読み解いた論考だ。

そこで最初にとりあげられるのは、新型コロナウイルスの感染禍が「人びとの統制および規制措置の正当化と合法化」に手を貸しているように見える現実だ。例に挙がるのは、中国の「デジタル化された社会統制」やイタリアの「全面的厳重封鎖」。この種の統制や規制は、従来の「西洋民主主義社会」の常識では思いもよらぬことであり、リベラル派は警戒している。では、著者自身も同じ立場をとるのかと言えば、ちょっと違うらしい。

読み進むと、こんな記述に出会うからだ。「コロナウィルスの蔓延によってコミュニズムに新たな息吹が吹き込まれるかもしれないと提案したとき、案の定、私の主張は嘲弄された」(引用箇所で「ウィルス」とあるのは原文のママ、以下も)。表題同様に挑発的だ。

では、そのコミュニズムとは何か。図式的に要約すればこうなる。「呼吸器関連の医療機器を大幅に増やす必要」→「国家が直接介入する必要」→「その成功は、他国との連携にかかっている」。最後には、ああインターナショナル! 国際連帯が求められるというのだ。

著者は医療資源の配分――たとえば人工呼吸器や病床を誰に優先的に充てがうかというトリアージ――にも言及する。その局面で「最も弱い年長者を犠牲にする」という「適者生存」の論理が頭をもたげるが、それに対抗するのも「再発明されたコミュニズム」だという。

この論考で興味深いのは、著者が統制の概念を国家、社会のレベルから個人のレベルに引き寄せていることだ。コロナ禍の今、私たちはあらゆる「接触」に神経をとがらせており、「気になる物に触らず」「ベンチに座らず」「抱擁や握手を避け」「鼻に触れたり眼を擦ったりしない」という日常を過ごしている。「われわれを統御しているのは国家やその他の機関だけではない。われわれは自分を統御し規律化する術も学ぶべきなのだ!」

著者は、スロベニア(旧ユーゴスラビアの一部)という共産圏に育った。コミュニズムの「統制」には反発もあるだろう。その人がコミュニズムの再生を予感しているのだ。このことの意味は大きい。「統制」は「西洋民主主義社会」の価値観と相性が悪いが、とりあえずは生き延びるために致し方ない。コロナ禍はそれほどのことなのだ。このあたりを読んでいると、私たちは今、歴史的な転換点にいることを痛感する。

著者の論述は、終盤で文明論の色彩を帯びてくる。「どれほどみごとな精神的建造物をわれわれ人類が築きあげても、ウィルスや小惑星といった愚かな自然の偶発性が、それを完膚なきまでに壊滅させるかもしれない」。ここでは、ウイルスを小惑星と並べているところに注目したい。ウイルスは、遺伝子を変異させて凶悪度を高める。小惑星は、カオス運動で地球に接近することがある。どちらも予測困難。災厄は不意にやって来る。

私たちは災厄に見舞われたとき、なすがままにされているわけにはいかない。人類は人類以外の敵と闘わなくてはならない、そのためには統制や連帯が欠かせない――著者によれば、それを実現してくれそうなのが「再発明されたコミュニズム」というわけだ。私は、そこに近代精神の再評価を見てしまう。その論調は、科学技術の時代に「主体性」や「公共性」の復権を求めた前述の書『事件!…』とも響きあっている。

この論考は、人間すらも客観視している。ウイルスはヒトの体に忍び込み、そのしくみを借りて自らの遺伝情報を複製していくが、同じような存在はもう一つある――「人間の精神もまた、一種のウィルスではないか」というのだ。これは思いつきではない。進化生物学者リチャード・ドーキンスが提案した「ミーム(模伝子)」の概念に呼応している。(「本読み by chance」2017年9月15日付「ドーキンスで気づく近代進化論の妙」)

たしかに「精神」はヒトに「寄生」して「自己複製」を繰り返す。ヒトの体を乗っ取ってきたとも言えるだろう。ところが、そこに新しい乗っ取り犯が現れて、先客を脅かすようになったのだ。私たちは今、ヒトをめぐるウイルス対「精神」の闘争の渦中にいる。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月10日公開、同日更新、通算530回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

フィッツジェラルド、大恐慌のあとで

『マイ・ロスト・シティー』
スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹訳、中公文庫、1984年刊

摩天楼

新型コロナウイルス感染禍は、しだいに経済危機の様相を帯びはじめている。感染予防の決め手が今のところ、人と人との間の距離を十分にとること、できるなら接触しないでいることにあるというのだから、金回りがよくなるはずはない。

先々週の当欄「コロナの時代に新聞は変わる」(2020年5月29日付)に書いた通り、フランスの歴史家エマニュエル・トッド氏のインタビュー記事(朝日新聞2020年5月23日朝刊)からは、この感染禍によって新自由主義経済が退場を迫られているように思われる。それに伴って、経済のグローバル化という潮流も勢いを失うだろう。ただ、では次に何がやって来るのかと思いをめぐらせると、答えがない。ただ途方に暮れるばかりだ。

経済の危機らしきものは、これまでも幾度となくあった。私たちの世代にとって忘れがたいのは、石油ショック(1973)、バブル崩壊(1991)、リーマン・ショック(2008)の三つだ。このうち前者二つは、とくに強烈な印象がある。石油ショックでは、産業活動の右肩上がりにいきなりブレーキがかかった。バブル崩壊では、浮かれ調子だった世相に突然、暗雲が立ち込めた。皮膚感覚として、事前と事後の落差が大きかったのである。

たとえば、石油ショック後は一時期、繁華街の照明が落とされ、テレビは深夜番組をとりやめた。私たちは1960年代の高度成長期、街はどんどん明るくなるもの、夜はどんどん長くなるものと信じ込んでいたから、常識がひっくり返されたのだ。バブル崩壊後は、夜更けの街で流しのタクシーを拾いやすくなった。1980年代、バブル経済が踊っていたころは酔客の帰宅ラッシュで空車探しが大変だったから、需給の逆転に驚かされたものだ。

コロナ後にもきっと、今の私たちには思いもよらない生活風景が待ち受けていることだろう。その時点からコロナ以前を振り返れば、自分たちはなんとお気楽だったのか、と苦笑するに違いない。で、今週は過去の経済危機に思いを馳せて、書物を選んだ。

『マイ・ロスト・シティー』(スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹訳、中公文庫、1984年刊)。単行本は、中央公論社が1981年に刊行した。著者(1896~1940)は、『グレート・ギャツビー』――私たちの世代には映画化された「華麗なるギャツビー」の題名が忘れがたいのだが――で知られる米国の小説家。この本では、表題作のエッセイを最後に置き、その前に五つの短編を収めている。所収作品を選んだ訳者は当時、新進作家だった。

訳者の著者に対する思い入れの強さは、巻頭にある「フィッツジェラルド体験」と題する一文からもわかる。「何年ものあいだ、スコット・フィッツジェラルドだけが僕の師であり、大学であり、文学仲間であった」という記述には、最大級の敬意が込められている。

絶賛するのは、20回は読んだという短編『バビロン再訪』(残念なことに、本書の収録作品ではない)の冒頭部。パリの有名ホテルで客がバーテンに、常連客らしい知人一人ひとりの消息を尋ねる場面だ。バーテンは、そのつど「スイスに行かれました」「アメリカにお帰りになりましてね」「先週お見受けしましたよ」と答えていく。この一節だけで、作品から匂い立つ雰囲気が感じとれるし、飾りを剥ぎ取った骨格も見えてくるという。

それを、訳者は「宇宙」と呼ぶ。「極めて小さな個人的な宇宙ではあるけれど、やはりそれは宇宙だ」。著者は一つの宇宙を分解せず、そっくり提示できる作家ということになる。

この巻頭文は、著者の略伝も記している。米国中西部セントポールの生まれ。父は教養人だったようだが、事業につまずいて家計は厳しかった。母の実家が裕福で、その支援を得て「なんとか中産階級としての体面を保っていた」のである。その結果、東部の名門プリンストン大学に進むことができた。こんな背景から「金持に対する憧れと憎悪、自己憐憫と自己客体視という彼の生涯のテーマともなる二面性が芽生えていたのだろう」と、訳者はみる。

訳者は、著者の作品の魅力に「相反する様々な感情が所狭しとひしめきあっていること」を挙げている。二面性を文学に昇華したのだ。逆向きのベクトルには「上昇志向」と「下降感覚」がある。中西部生まれの「素朴さ」とニューヨーク暮らしの「洗練」もある。

こうした二面性や相反感情が時代の空気と共振したのは間違いない。米国は1910年代末、第1次世界大戦(1914~1918)の戦勝気分に沸いていた。ところが20年代末に大恐慌に見舞われる。著者の作品には、20年代米国社会の「上昇」と「下降」が生々しく映しだされている。この本の6編をみても、大恐慌の前と後に書かれたものの間に断絶が見てとれる。そこには世相の暗転があり、それを目のあたりにして途方に暮れる人々がいる。

で、今回は、6編のうちで唯一のエッセイ「マイ・ロスト・シティー」に話を絞ろう。これは大恐慌後に書かれたものだが、著者自身の少年期や青年期にさかのぼりながら、その折々に目の当たりにしたニューヨーク像を通して、この大都市の変転を跡づけている。

たとえば、1919年はこうだ。「ニューヨークの街はまるで世界の誕生を思わせるような虹色の輝きにむせていた。帰還した連隊は五番街を行進し、若い娘たちはまるでそれにひきよせられるように、東や北にその足を向けた」。大戦戦勝の高揚がそこにはある。

1920年には「突如『新しい世代(ヤンガー・ジェネレーション)』という観念が姿を現わし、ニューヨークの都市生活の様々な要素をひとつのつぼの中に溶け込ませてしまった」(「つぼ」に傍点)。それは、「明るさ」「華やかさ」「生命力」などが混ぜ合わさった「ひとつの空気」だった。もったいぶった晩餐会というより、ちょっと崩れた立食パーティーのような感じ。欧州知識人も一目おく小粋で若々しい文化の登場だった。

著者のデビューは、ちょうどこの年。「私は時代の代弁者(スポークスマン)というだけでなく、時代の申し子という地位にまで祀り上げられてしまった」。夜を徹して原稿を書きまくり、大枚をはたいて引っ越しを繰り返す日々。「暑い日曜日の夜に私はタクシーの屋根に乗って五番街を走り回った」との記述もある。だが、その一方で「自分たちはそんな華やかな社会とは本当は無縁な存在なんだと思い込んでいた」。ここにも二面性がある。

1927年は欄熟の日々か。そのころ、著者は数年の外国生活を終え、帰米していた。「一九二〇年のあの不安気な空気は確として金色に光り輝く絶え間のない歓声の中に没し去り、友人たちの多くは金持になっていた」。ショービジネスは「ますます大がかりに」、建物は「ますます高く」、道徳心は「ますますゆるめられ」、アルコールは「ますます安価に」――そう、20年から33年までは禁酒法の時代だが、街には酒があふれ返っていたらしい。

オフィス街が酒浸りになる様子はこう表現されている。1920年には「昼食前にひとつカクテルでも」などと言う人物は「ショッキングな存在」だったが、29年には「オフィスの半分には酒瓶が置かれ、大きなビルの半分にはもぐり酒場(スピーキージー)があった」。

まさにバブルの絶頂期。「私の行きつけの床屋は株に五十万ドルばかり投資して引退していた」とあるように、人々は労働よりも投機に走った。「もううんざりだ」――著者は再び国外へ出て、滞在先の北アフリカで「あの崩壊(ガラ)の音を聞いた」。大恐慌である。2年後、ニューヨークに帰ると、そこは「墓場」のようであり、「廃虚」のようでもあり、「遊びまわっていた」のは「無邪気な亡霊たち」だけだった。「床屋はまた店に戻った」のである。

印象深いのは、著者フィッツジェラルドがエンパイア・ステート・ビルの高みに立ったときの眺め。「ニューヨークは何処までも果てしなく続くビルの谷間ではなかった」。それは「四方の先端を大地の中にすっぽりと吸い込まれた限りある都市の姿」だったのだ。果てしないのは「青や緑の大地」のほうであることに摩天楼で気づくという逆説。大事象の大波をかぶって途方に暮れたとき、人間は人間の限界を自覚するのかもしれない。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年6月12日公開、通算526回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

コロナの時代に新聞は変わる

新聞オピニオン面の「新型コロナ」インタビュー
エマニュエル・トッド氏(聞き手・高久潤記者)、朝日新聞2020年5月23日朝刊

時差

最近の新聞は、世の論客に大舞台を提供するようになった。私の古巣、朝日新聞について言えば、オピニオン面の大型インタビューがこれに当たる。1ページの2/3ほどを費やして、思いのたけを語ってもらうのだから、読みごたえはある。

新型コロナウイルス感染禍をめぐっても、このインタビュー欄に内外の論客が次々登場している。すぐに気づくのは、聞き手がビデオ電話、テレビ会議システムなどを通して遠くから問いかける例が目立っていることだ。在社の後輩から漏れ伝わる話によると、コロナ禍が広まってからは日常の取材でも直接の面談を避け、遠隔対話方式をとることがふえているという。オピニオン面が、それに同調するのも当然だろう。

皮肉なのは、それが日本の新聞の国際化を後押ししていることだ。Aという国にXという識者がいたとしよう。これまでなら担当記者は、まずX氏から取材予約をとり、海外出張を申請してA国へ飛ぶことになろう。新聞には電話やメールによる一問一答の記事がないわけではないが、大型インタビューとなれば昔ながらの「足で稼げ」型の取材手法が当然視されたに違いない。ところが、今回は防疫の観点から、それができなくなった。

それが、興味深い効果をもたらした。遠隔対話方式ならば、相手が海外にいようと国内にいようと大差ない。言語の壁さえ乗り越えることができれば、地球の反対側にいる人でも目の前にいて話しかけられているように感じられる。日本の新聞記者にとって、世界は内と外に二分された取材対象ではなくなったのだ。コロナ後の日本社会を見通すとき、新聞のつくり方も記者の世界観も大きく変わっていくだろうと思われる。

で、今週の「書物」は、朝日新聞2020年5月23日朝刊に載ったオピニオン面「新型コロナ」インタビュー。フランスの論客エマニュエル・トッド氏の見解を高久潤記者が聞いている。トッド氏は1951年生まれ、歴史家であり、人口学者でもある。(以下、敬称略)

このインタビュー記事の最上段に掲げられた見出しは「『戦争』でなく『失敗』」。トッドは、自国のマクロン大統領が今回の感染禍を「戦争」にたとえたことを批判して、こう言う。「フランスで起きたことのかなりの部分は、この30年にわたる政策の帰結です」。人工呼吸器の不足などを例に挙げ、医療に充てるべき人材や資金を削り込んで「新自由主義的な経済へ対応させていく」路線をとったことが「致命的な失敗」だったと主張する。

「私たちは、医療システムをはじめとした社会保障や公衆衛生を自らの選択によって脆弱(ぜいじゃく)にしてきた結果、感染者を隔離し、人々を自宅に封じ込めるしか方策がなくなってしまった」――この見方は、「失敗」の核心を突いている。

私なりに、それを思考実験で裏づけてみよう。たとえば、感染禍の初期からあまねく公衆がPCR検査を受けられ、陽性となった人に療養・治療の場が用意されていたとする。その場合でも感染者の隔離は欠かせないが、すべての人々を「自宅に封じ込める」必要は薄れる。理屈のうえでは、陽性者に活動を控えてもらい、陰性者が社会生活を営むことで経済を回すことができただろうからだ。だが実際は、そうならなかった。

このあとトッドは、こう切り込む。「人々の移動を止めざるを得なくなったことで、世界経済はまひした。このことは新自由主義的なグローバル化への反発も高めるでしょう」。新自由主義は社会保障や公衆衛生を蔑ろにした結果、自滅寸前の状態に陥ったのである。

トッドによれば、「新自由主義的な経済政策が、人間の生命は守らないし、いざとなれば結局その経済自体をストップすることでしか対応できないこと」がはっきりした。その先を見通すとき、復権しそうなのが国ごとに生活必需品を自給する経済だという。

以上が、このトッド・インタビューを貫く主題だが、このほかにもコロナ禍を考える際の論点がいくつかある。

一つは、戦争とコロナ禍の違いを人口学者の目でとらえた箇所。戦争は、大勢の若者の生命を奪うので「社会の人口構成を変える」。ところが、今回の感染禍は、高齢者が犠牲になることが多いので「人口動態に新しい変化をもたらすものではありません」。なるほど、そんな見方もあるのか。ただ、そうであっても今の社会は、なべて高齢者など高リスク群の救命第一で動いている。これは、私のような高齢者にとっては、ただただありがたいことだ。

世界中に人道精神の発露がある――この一点こそ、今回のコロナ禍を「戦争」にたとえることが適切でない最大の理由ではないか。私には、そう思えてならない。

もう一つ興味を覚えるのは、人々と政治家の関係を語った部分。トッドによれば、英仏では政府が有効な施策を打ちだせず、政治家はただ「ひとまず家にいてください」と言うばかりだった。「でも市民は、それなりに秩序立った社会を維持した」。その結果、「エリートが機能しなくても社会の統制はとれる」と人々が実感した意味は大きい、という。日本社会でも私たちは、緊急事態宣言下の「自粛」で同様の体験をしたと言ってよいだろう。

いったいどうして、私たちは自律的に「秩序」を保てたのか。人々が知的に進化してリスクに敏感になったのか。規制に盾つく気骨を失い、従順になったからか。それとも、ネット社会が同調効果を強めたのか――この謎は、ぜひとも解き明かしてみたい。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年5月29日公開、通算524回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。