メルケルは原発を「倫理」で裁いた

今週の書物/
『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争の真実』
熊谷徹著、日経BP社、2012年刊

緑の思想

元新聞記者には悲しい性がある。テレビのニュースを見ながら「この人のこと、よく知っているよ、無名のころからね」と自慢してみたりする。去年暮れ、政界を引退したドイツの前首相アンゲラ・メルケルさんも、私にとってはそんな自慢の種だ。もっとも、「無名のころから」「よく知っている」とは到底言えない。ドイツ国外で知名度がまだ低かったときにちょっと見かけたことがある、という話だ。だが、それはとても印象深い。

1995年4月、ベルリンでは第1回気候変動枠組み条約締約国会議(COP1)が開かれていた。この会議は脱温暖化の国際合意をめざしている。ベルリン後、年に1度ずつ回を重ね、今では各国の首脳級が顔を見せるほどの大舞台になっている。これまでに「京都議定書」や「パリ協定」をまとめてきた実績もある。だが、第1回は暗中模索の状態にあった。このときにドイツの環境相で、会議の議長を務めたのがメルケルさんだ。当時は弱冠40歳。

会議では、二酸化炭素(CO₂)など温室効果ガスの排出削減を2000年以降にどう進めるかが焦点だった。小さな島嶼国は、海面上昇への危機感から厳しい削減目標を求めた。米国などの先進工業国は、削減のために石油依存を改めることに消極的だった。インドなどの新興工業国は、大幅削減は先進工業国から、と言い張った。産油国は、脱石油の機運を警戒していた。こんな混迷のなかで、メルケルさんはホスト国の立場から合意点を探ったのだ。

私は当時ロンドン駐在で、ベルリンに出張して会議を取材した。このときに気づいたのは、メルケルさんが目を真っ赤にしていたことだ。やがて、その理由が噂話として報道陣にも伝わってくる。連日連夜、水面下の交渉を重ねて寝不足だったらしい。

COP1は結局、具体的な削減目標を決められなかった。ただ、2年後の第3回会議(COP3)までに目標を盛り込んだ文書をまとめることで合意した。期限を定めたことの意味は大きい。実際、京都で開かれたCOP3では京都議定書が採択されたのである。

そのメルケルさん(以下は敬称略)が2005年、保守政党キリスト教民主同盟(CDU)の党首として総選挙に勝った。以来16年間、政権を担ったのである。ドナルド・トランプ前米大統領に象徴される自国第一主義が世界を席巻した時代、それに抗して国際協調にこだわり続けた人である。私には、その政治姿勢がCOP1議長としての奔走ぶりとダブって見える。ただ、存在感を示したのはそれだけではない。もう一つ、特記すべきことがある。

それは、2011年3月11日に東日本大震災があり、東京電力福島第一原発の事故が起こったときの対応だ。翌12日にドイツ国内の原発総点検を表明、15日には古い原発の一時停止を決めた。そして6月、国内全原発の2022年までの閉鎖を閣議決定したのである。

これは二つの点で驚きだった。一つには、遠い国の事故に敏感であったこと。もう一つは、自身が決めた原発政策を覆したことだ。メルケル政権は当初、社会民主党(SPD)と大連立を組み、それまでSPDと緑の党の連立政権が進めていた脱原発路線を踏襲していたが、2009年の大連立解消後は原発容認に傾き、2010年秋には国内原発の運転延長を決めていた。それからわずか半年で再びの方針転換。朝令暮改の感は否めない。

メルケル自身の説明によれば、「日本という高度な技術水準を持つ国」で事故が起こったことで、原発に「予測不能なリスク」があることを認識したからだという(2015年の来日時、朝日新聞社主催の講演会での発言=在日ドイツ大使館のウェブサイトで読める)。ただ、それだけで重要政策を反転させたりはしないだろう。たぶん、本人の思考様式にもドイツ社会の思想風土にも素地があったのだ。本稿では、そこのところを探りたいと思う。

で、今週は『なぜメルケルは「転向」したのか――ドイツ原子力四〇年戦争の真実』(熊谷徹著、日経BP社、2012年刊)。「転向」の語感からメルケル批判本と受けとられかねないが、それは違う。一読すると、彼女の「転向」を賢明な選択とみていることがわかる。

著者は1959年生まれのジャーナリスト。NHKの国際記者としてワシントンに駐在、ベルリンの壁崩壊の報道などに当たった。1990年からフリーランスとなり、ドイツのミュンヘンに住んで、欧州の政治経済やエネルギー、環境問題を取材してきた。

この本は第1章で、福島第一原発事故がドイツ国内でどれほど大きなニュースとして報じられたかを報告している。人々は1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故を鮮明に記憶しており、福島事故を「我がことのように」感じたのである。有力紙には“Tokio in Angst”(「不安におののく東京」)という見出しが躍り、「福島から一万キロも離れているにもかかわらず、放射線測定器やヨード錠剤を買い求める人が続出した」という。

この不安は民意となって表れた。福島事故の約2週間後、バーデン・ヴュルテンベルク州の州議会選挙で原発問題が争点となり、脱原発を掲げる緑の党(正式には「連合90・緑の党」)が得票率を倍増させて、SPDとの連立で州首相の椅子を勝ち取ったのだ。

さらに4月、著者にとっても「大変意外」なことが起こる。電力企業を含む「ドイツ・エネルギー水道事業連合会(BDEW)」が、「電力の安定供給」などを条件に「原発の完全廃止に合意する」と言明したのだ。2023年までに、とした。メルケル政権が2カ月後に発表した期限より1年遅いだけだ。福島事故で原発反対の世論は極限まで高まった。これを受けて産業界も動きだした。メルケルの脱原発は、お膳立てができていたとも言えそうだ。

第2章は、ドイツ政界で西独時代の1970年代から繰り広げられてきた原子力問題の攻防を要約している。ここで注目すべきは、1980年に誕生した緑の党の存在だ。この党はただ、原発に反対するのではない。主張の背景には「エコロジー」という新思想があった。

では、エコロジーとは何か。著者によれば、それは「環境保護政策」の枠組みを超え、「人間の生き方そのもの」にかかわる。緑の党発起人の一人は、エコロジーを「人間の存在を自然環境の文脈の一部と考える」哲学と定義したという。ここから、党が掲げた「我々は地球を、我々の子どもたちから預かったにすぎない」というスローガンが生まれてくる。私たちには「子どもたちに美しい環境をそのまま引き継ぐ義務がある」ということだ。

この本の更なる読みどころは、メルケル政権が、どんな手順で脱原発を決断したかを解説した第3章だ。メルケルは、二つの委員会の助言を聴いたという。

一つは原子炉安全委員会。原子力技術者らでつくる既存の組織だ。福島事故後、ドイツの全原発に対して電力会社の提出データをもとに「ストレステスト(耐性検査)」をおこなった。地震、洪水、停電、航空機事故、テロ……など10項目の危険要因に対して、どれだけ耐えられるかを数値によって表す試みだ。2カ月後には「ドイツの原発は、航空機の墜落を除けば、比較的高い耐久性を持っている」などとする「鑑定書」を出した。

もう一つは、メルケルが新たに設けた「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」。こちらは、人文社会系の学者や宗教家など原子力技術とは無縁の人が大勢を占める。著者も書いているように、臓器移植や着床前診断など医療に対する倫理委に似ている。政府内部にも、エネルギー問題になぜ倫理委か、と首をひねる見方はあったらしい。だが、原発事故には「多くの国民の健康に影響を与える可能性がある」とする理屈が通ったという。

この倫理委員会も2カ月後に「提言書」をまとめている。「福島事故は、原発の安全性について、専門家の判断に対する国民の信頼を揺るがした」と分析、原子力のリスクとどう向きあうかという問題は「もはや専門家に任せることはできない」との立場を明確に打ちだしたものだ。委員会内の合意点として「経済、社会、あるいは環境に著しい悪影響が生じない限り、原子力の使用をできるだけ早くやめる」との結論をまとめている。

ここで言い添えたいのは、著者が倫理委の結論について、「細かいデータやシミュレーションによって裏打ちされた分析結果ではない」と敢えてことわっていることだ。私も提言書からの引用を読んで、データよりも思想が際立っているな、という印象を受ける。

たとえば、提言書では「自然環境を自分の目的のために破壊せず、将来の世代のために保護する」責務が私たちにはある、という見解が示されている。根拠として「キリスト教の伝統とヨーロッパ文化の特性」を挙げているところは、旧来の保守思想と響きあっている。だが、この理屈づけを度外視すれば、緑の党の思想にそっくりではないか。エコロジーは緑の党だけのものではない、ということを如実に物語っているように私は思う。

興味深いのは、メルケルが二つの委員会のうちの後者、すなわち倫理委の結論を選択したことである。この事情を著者はこう読み解いている。メルケルは福島事故後、政治家として「政治的な生き残り」には脱原発しかないことを直観した。脱原発を決意はしたが、「独断で決めた」とは思われたくない。そこで「原子力について厳しい見方を持つ知識人を集めて倫理委員会を作り、急遽、提言書をまとめさせた」のではないか――。

これに100%は同意しないが、かなりよいところを突いてはいるだろう。ただ、彼女の決断を、政治家のしたたかさだけで説明づけて終わりにしたくはない。

メルケルは東ドイツにいたころ、物理学の研究者だった。福島事故に「予測不能のリスク」を見てとったのは、事実の前には謙虚でなければならないという科学者の良心の表れだろう。だが、彼女はそれだけの人ではなかった。科学技術政策には理系知だけでなく文系知も欠かせない、という見識を併せもっていたのだ。だからこそ、原発の是非を倫理委員会に諮ったのではないか。日本社会の原発論議に抜け落ちた視点がここにはある。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年1月28日公開、通算611回
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グレコの時代、実存の左派批判

今週の書物/
「汚れた手」
ジャン-ポール・サルトル著、白井浩司訳
サルトル全集第7巻『汚れた手(改訂版)』所収、人文書院、1961年改訂

枯葉、というより落ち葉

語りかけられているようだ。なんと心地よいことだろう。私は今、そんな歌声を聞いている。「枯葉」「詩人の魂」……。スピーカーの向こうで歌っているのは、ジュリエット・グレコ。去年9月、93歳で逝った――。シャンソンは、私たちの世代にとって格別の音楽ジャンルだ。ジャズやロックと違って、どこか文学の香りがする。こんなことをフランス語がわからない私が言うのも滑稽だが、言葉なしにシャンソンはありえない。

1970年前後、私はブンガク青年だった。文才があったわけではない。読書量が多かったとも言えない。ただ、ブンガクっぽい雰囲気に触れると、コロッと参ってしまうきらいがあったのだ。だから、音楽の嗜好のなかでジャズやカントリー&ウェスタンの比重が高まっても、シャンソンはずっと憧れの的だった。渋谷駅近くにシャンソンのレコードだけを回している喫茶店があったので、ときどきそこを訪れては時間をつぶしていた。

シャンソン歌手のなかでもグレコは特別な存在だった。歌の向こうにセーヌ左岸、サン・ジェルマン・デ・プレの空気が感じとれたからだ。地下酒場に実存主義哲学者ジャン-ポール・サルトルらがたむろして知的な会話を交わしている――あの低音の歌声を聞いていると、そんな情景が思い浮かんだ。来日時のテレビ出演でも、黒っぽいドレスをまとって表情たっぷりに歌う姿が現代フランスの知性を象徴しているように見えたのである。

実際にグレコは第2次大戦後まもなく、セーヌ左岸で喝采を浴びた人だった。酒場の客たちから「実存主義のミューズ」と呼ばれたという。彼女が、あの時代に人心をつかんだのはなぜか。それは、個人史が同時代史に重なり、人々の共感を呼んだからだろう。グレコの母や姉は戦時中、対独レジスタンス運動にかかわり、ナチスによって収容所に送られていた。そんな事情で彼女自身も少女時代から自立を余儀なくされ、歌手になったという。

ここで押さえておきたいのは、セーヌ左岸の戦後史だ。パリがナチス・ドイツの占領から解放されて20年ほどが過ぎたころ、左岸の主役は代替わりした。1968年、若者たちが立ちあがって五月革命が起こると、左岸の大学街が主舞台となる。私がグレコに魅せられたのは、その余韻が残る1970年前後。私のグレコに対する憧憬には周回遅れの時間差があった。(「本読み by chance」2016年5月13日付「五月革命、禁止が禁止された日々」)

で、今週は、戯曲「汚れた手」(ジャン-ポール・サルトル著、白井浩司訳、サルトル全集第7巻『汚れた手(改訂版)』所収、人文書院、1961年改訂)。本を開くと「1948年4月2日、パリ、アントワーヌ劇場にて初演」とある。まさに、グレコが一世を風靡していたころの作品だ。当時のフランス知識人が何を考えていたかを知る助けになる。ただ、そこに描かれているのは、イリリという架空の国で戦時下に起こった出来事なのだが……。

第一場第一景では、街道筋の民家に青年が訪ねてくる。居住人の女性、オルガは警戒心から拳銃を隠しもって扉を開ける。そこには旧知のユゴーがいた。「刑期は五年だったんじゃないの?」。刑期半ばで仮釈放されたという。どうやらここは、左翼党派の拠点らしい。

ユゴーは23歳。読み進んでわかるのは、政治弾圧で服役したのではないらしいことだ。党の実力者エドレルを射殺したかどで罰せられていた。本人によれば、凶行は別の党幹部の命令による。ところが、刑務所に差し入れられた菓子には毒物が含まれていた。今は、党に対する不信感が拭えない。オルガに向かって「命令なんてものは影も形もなくなるんだ」「命令はうしろにとり残され、僕はたったひとりで前進した」と言い募る。

実際、党の追っ手が押しかけてくる。オルガはユゴーを寝室にかくまい、彼を引き渡そうとはしない。そして、党幹部のルイを呼んで、追っ手を送り込んだことに抗議する。自分は党を思っている、それでなくともドイツのイリリ侵攻後、党は人材を失うばかりだ――「あの子が回収可能かどうか調べもしないで、粛清していいとは思えないわ」。ここで、「回収」を「粛清」の対義語にしているところに党派というものの怖さが見てとれる。

ルイはオルガの説得を受け入れ、戸外に見張り役を置いただけで、とりあえずは引き揚げる。家のなかには再び、ユゴーとオルガだけが残る。そこで彼は2年前、1943年3月に遡って自らの体験を振り返る。その回想が、第二場から第六場までの物語である。

第二場の冒頭は、この家でユゴーがタイプライターのキーをひたすら叩いている場面。入党後1年が過ぎたころで、党の機関紙づくりに追われているらしい。このとき、彼には焦りがあった。オルガにも「仲間が殺されているのに、安閑としてタイプを打っているのがいやになった」と訴え、自分が「直接行動」に打って出られるようルイに頼んでほしい、と懇願する。そして、その意思はルイに伝わる。これが、すべての始まりだった。

ユゴーの回想は、戯曲としておもしろい。だから、ここで筋書きをなぞれば、興ざめになってしまう。そこで当欄は別の角度から、この本を読む。焦点を当てるのは、近過去に左翼党派がどんな苦悩を抱え、どんな落とし穴に直面していたか、ということだ。

戦時、イリリ国の政治状況はルイの台詞から読みとれる。政権を担うのは、ファシズム勢力の摂政派で、枢軸国に近い立場をとっている。対抗するのはルイがいる党、すなわち労働党だ。「デモクラシーのため、自由のため、階級なき社会のため」を旗印にしている。もう一つ、ブルジョワジーを代表するパンタゴン党が中間に位置している。自由主義者から国家主義者まで、その支持層は広い。政界は三つ巴の力学で動いているわけだ。

労働党も一枚岩ではない。もとをたどれば、多数派の民主社会党と少数派の農民党が合流した党だからだ。エドレルは前者の側にいる。ルイはもともと後者の代表だった。

この作品では、エドレルが摂政派やパンタゴン党と手を結ぼうとする。挙国一致体制をめざすというのだ。交渉に訪れた両派代表に対して、執行委員会の椅子の半数を労働党によこせ、と強気に出る。背景には、枢軸国ドイツの敗色が濃くなり、イリリに対するソ連の影響力が強まるという目算があった。自党のみが戦時下でもソ連と接触してきたと自負して、こう言う。「ソ連がここにやってきたら、彼らはわれわれの眼で万事を眺めるでしょう」

ユゴーはエドレルに面と向かって、党には社会主義経済という目標と階級闘争という手段があるのに「資本主義経済の枠内で、各階級の協力政策を実現するため、党を利用しようとしている」と非難する。だが、エドレルは動じない。社会主義軍が自国を占領しそうな情勢を好機とみて、それに便乗しない手はないというのだ。「われわれは自力で革命を遂行するほど強力ではない」。労働者の国際連帯が素朴に信奉されていたころの論理である。

この戯曲は、左翼党派が陥りがちな落とし穴も浮かびあがらせる。裕福な家庭に育った知識人党員への妬みが仲間うちに燻ることだ。社会主義の主役は労働者ということになっている。ところが現実には、知識人の指導力も欠かせない。そこに軋轢のタネがある。

これは第一場で、ルイがオルガに向けて言い放ったユゴー評にも見てとれる。「あいつは規律のないアナーキスト、ポーズをとることしか考えないインテリ」――。ユゴーは、父が燃料会社の副社長で自身も博士号を得ている。「僕は家を、そして階級を棄てた」と言い張るが、その入党も労働者出身の党員からは「この人はいわば道楽から入った」と侮蔑されている。道楽ではないことを見せたくて「直接行動」に走ったと言えなくもない。

エドレルは生前、党が摂政派と取引して対ソ停戦に成功すれば多くの人命を救うことになると主張して、ユゴーを「君は人間を愛していない」「君は原則しか愛していない」と批判している。「君は自分を憎んでいるから、人間を憎んでいる」とも言い添えている。知識人の独りよがりの自己否定は理念一本やりの教条主義を生み、回りまわって人間否定につながるということか。たしかに、そういう光景を私たちは見てきたような気がする。

この戯曲は、日本の左派が1970年代に迷い込んだ袋小路も暗示している。サルトルは大戦直後、自身が左派でありながら、その弱点を実存主義者の目で見抜いていた。実存主義からの左派批判がもっと深まっていれば、その後の政治風景は変わっていたかもしれない。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年12月3日公開、通算603回
*当欄は今年、「実存」の話題を継続的にとりあげています。
漱石の実存、30分の空白」(2021年1月8日)
実存の年頃にサルトルを再訪する」(2021年1月29日)
サルトル的実存の科学観(2021年2月5日)
新実存をもういっぺん吟味する(2021年2月19日)
量子力学のリョ、実存に出会う(2021年6月4日)
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優生学の優しい罠

今週の書物/
『「現代優生学」の脅威』
池田清彦著、インターナショナル新書、集英社インターナショナル、2021

DNAの二重らせん

コロナ禍のニュースを聞いていて、ギクッとする瞬間があった。「命の選択」という言葉を耳にしたときだ。病床が足らず、入院させる人、治療する人を選ばなくてはならない――そんな状況が国内でも現出した。その結果、「自宅療養」を強いられた人が在宅で落命する悲劇も相次いだ。医療資源が限られているという現実があらわになり、この人には薬を提供するが、あの人には我慢してもらう、という選別がなされたのである。

「命の選択」という言葉は、科学記者にとって耳慣れないものではない。科学報道の一領域に生命倫理があり、案件の一つに出生前診断があった。30年ほど前には、受精卵にさかのぼって遺伝子のDNAや染色体を調べ、遺伝病の有無などを突きとめる着床前診断も登場した。これらは、現実には赤ちゃんを産むかどうかという問題につながってくる。そこで記者たちは、この診断技術をとりあげるとき、「命の選択」という表現を用いたのである。

実は、その着床前診断をめぐって今夏、見落とせないニュースがあった。日本産科婦人科学会が、診断対象となる遺伝性の病気の範囲を広げる方針を決めたというのだ。これまでは「成人に達する以前に」生き続けられないおそれがある重い遺伝病などに限っていた。だが、今後は「原則、成人に達する以前に」という文言に改め、大人になってから発症するものも条件付きで認めようというのだ(朝日新聞2021年6月27日朝刊)。

新たに加わる診断対象としては、現時点で有効な治療法が望めない病気などを挙げている。不気味なのは、範囲がどこまで広がるかわからないことだ。最近では多くの病気に遺伝要因が見つかり、遺伝性とされる病気が旧来の遺伝病の枠に収まらないからである。

これは、生命倫理の大事件と言ってよい。ところが世間では、それほど騒ぎにならなかった。考えてみれば、私たちは今、自分がコロナ禍で「選択」の対象になりかねない状況にある。自身の危機感が先に立って、人類の倫理を考える余裕がなくなっているのか。

で、今週は、こうした生命倫理の問題に今日的な角度から迫ってみる。手にとったのは『「現代優生学」の脅威』(池田清彦著、インターナショナル新書、集英社インターナショナル、2021年刊)。集英社の『kotoba』誌に2020年に連載された論考をもとにしている。著者は1947年生まれの生物学者、評論家。生物学を構造主義の視点から論じ、進化論など生物学のテーマに限らず、科学論や社会問題など幅広い分野で著作がある。

本書「まえがき」によれば、「優生学」とは「優れた者たちによる高度な社会」を目標とする研究をいう。そのためには「優れた者たち」の血筋だけを後続世代に残し、「劣った者たち」のそれは絶やすか、あるいは「改良」すればよい、という発想をする。

この発想を現実社会で具現化したのが、ナチス・ドイツによる「優生政策」だ。それは、「障害者の『断種』とユダヤ人の大量殺戮という人類史上最悪の災厄」を引き起こしてしまった。この経緯もあって、優生学の主張は第2次世界大戦後の先進諸国で「タブー」となった。だが、著者が「その後も国家施策などに小さくない影響を与えました」と指摘している通り、「いわゆる優生思想」はさまざまなかたちで生き延びてきたのである。

日本の国家施策はどうか。第四章「日本人と優生学」を見てみよう。1948年、戦時中の「国民優生法」を受け継いで「優生保護法」が定められ、第一条で「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」とうたわれた。今からみれば不適切極まりない表現だ。これによって、ハンセン病患者の断種手術も正当化された。この法律が、こうした優生学的な条項を除いて「母体保護法」に代わったのは1996年。「優生」は戦後半世紀も生き延びていた。

では、国内の優生思想は1996年で息絶えたのか。いやいや、それはしぶとく生きている、と見抜いたのが本書だ。書名に「現代優生学」とあるのは、この理由からだろう。ここで「現代」とは、21世紀の今を指している。著者は「まえがき」で、出生前診断による妊娠中絶や、知的障害者施設を標的にした多人数殺傷事件などを例に挙げ、「戦後、一度は封印されたはずの優生学が、奇妙な新しさをまとって再浮上している」と書いている。

出生前診断について言えば、診断結果を受けて中絶するかどうかを決断するのは胎児や受精卵の親御さんだ。この立場に身を置いて考えれば、迷いがいかほどのものかが想像できる。片方には、わが子に苦難を背負うことなく育ってほしいという願望がある。他方には、授かった生命に対する敬意と愛情がある。そこに覆いかぶさってくるのが、今風の自己決定権尊重だ。お決めになるのは、あなたご自身です、というわけだ。

一方、前述の多人数殺傷事件は、重度障害者の生を社会が支えることに異を唱える一青年の手で引き起こされた。それ自体は凶悪犯罪であり、刑事裁判で裁くよりほかない。ただ、そんな主張を正論であるかのように公言する人間が現れた背景は座視できないだろう。そこに見え隠れするのは、生産性を高めることばかりに熱心な世間の風潮だ。なにごとも効率本位で考えようとする新自由主義の価値観も影響しているように思える。

こうしてみると、著者が言う通り、「現代優生学」は確かに「奇妙な新しさをまとって」いる。その「新しさ」を醸しだすキーワードが自己決定権や新自由主義ではないか、と私は思う。自己決定権は、今や〈保守派〉の対義語となった〈リベラル派〉も尊重している(*)。新自由主義は、〈リベラル派〉の経済政策と対立するが、ナチズムのように全否定はされない。このようにして優生思想は私たちの時代に優しげな罠を仕掛けるのだ。

私が本書で衝撃を受けたのは、優しげな罠は実は優生思想の源流にも見てとれることだ。著者は、19世紀末のドイツで優生学を切りひらいた先人に光を当てている。一人は医師でもあったヴィルヘルム・シャルマイヤー、もう一人はアルフレート・プレッツだ。

まずは、シャルマイヤーから。本書によると、その主張はダーウィン進化論に強く影響されている。「文明や文化が発展するほど、自然淘汰が阻害され、人間の変質(退化)が進む」と考えたのだ。「変質(退化)」を促すものとして「医学・公衆衛生の発達」を挙げる。「虚弱な個体が生き延びて、子を産み続けること」が淘汰の妨げとなり、退化をもたらすというのが、その論理だった。医師が医学の意義を懐疑するという不思議な構図がある。

驚くのは、彼がこの考え方を意外な方向に押し広げることだ。「退化」の要因として「戦争による兵役」や「私有財産制」(「資本制」)も問題視する。前者は「強健者や壮健な人間を選択的に早逝させる」、後者は「資本家は虚弱でも生存できる」という状況をつくりだす――そう考えて、反戦と社会主義の立場をとったという。ここからは、経済的な弱者は支援するが生物学的な弱者は切り捨てる、という歪んだ弱者擁護の思考回路が見てとれる。

彼の発想でもう一つ見過ごせないのは、すべての国民の「病歴記録証」をつくり、それを当局が保管するという施策だ。病気の遺伝要因を次世代に受け渡さないように、婚姻届を出すときに「記録証の提示」を求める。これは、今ならばDNA情報の管理というかたちをとるだろう。プライバシー保護の観点から反対意見が殺到するのは必至だが、技術的にはすぐにも実現できることだ。私たちは優生学の誘惑にきわめて近いところにいる。

もう一人、プレッツは「人種衛生学」の提唱者。人間の集合には、相互扶助の原理で動く側面(「社会」)と、闘争や淘汰が避けられない側面(「種」)があるとみた。懸念したのは、種が「淘汰の低減」に直面すると「社会」の発展が鈍ることだ。「相互扶助と淘汰の両立」を目標に考えを練り、思い至ったのが「淘汰を出生前に移行させる」ことだった。遺伝性の病気を抱える人々の生殖を規制しようという発想は、ここから出てきたという。

優生学は、昔はあからさまに、人類の存続や社会の発展がときに個人の権利より優先されるという立場から主張された。今は個人の権利が第一とささやきながら、個人の次元で辛い選択を迫る局面が出てきたように見える。だから昔より、細心の注意が欠かせない。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年11月26日公開、通算602回
*本読み by chance「朝日を嫌うリベラル新潮流」(2018年11月23日付)参照
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世界が違うとはどういうことか

今週の書物/
『量子力学の奥深くに隠されているもの――コペンハーゲン解釈から多世界理論へ』
ショーン・キャロル著、塩原通緒訳、青土社、2020年刊

枝分かれ

今週も引き続き、『量子力学の奥深くに隠されているもの――コペンハーゲン解釈から多世界理論へ』(ショーン・キャロル著、塩原通緒訳、青土社、2020年刊)を読む(当欄2021年11月12日付「世界は一つでないと今なら言える」)。

先週も書いたことだが、量子力学について専門家を質問攻めにしていると、途中で疎外感に襲われることがある。ここで「専門家」というのは、物理を数式で考えられる人のことだ。当方にはそれができないから、必死でイメージを頭に思い浮かべようとする。最初は、なんとなくわかった感じになるが、あるところから先へ進めなくなる。挙句、「量子力学は日常世界のイメージでは理解できないんですよ」――そんな通告を受けてしまうのだ。

その壁を突破したいというのが、量子力学に関心を寄せる素人の切なる願いである。同じ思いの人は少なくない。友人知人のなかには、果敢にも高年齢になってから量子力学の方程式を学ぶ人がいる。私も、数式を眺めて雰囲気を感じとるくらいの水準には達したい。ただ、今さら数理の技を身につけようとは思わない。それよりはやはり、量子力学をイメージしたいのだ。絵画にだって具象画だけでなく抽象画というものがあるではないか!

これは、決して高望みではないらしい。この本の著者は、量子力学を「説明できないもの、理解できないもの」とする通念を取っ払いたいという立場を本文中で鮮明にしている。幸いなことに、そしてありがたいことに、専門家にも強い味方が現れたのである。

この本は、ひとことで言えば量子力学の解釈にかかわる書物である。邦題の副題にある通り、教科書的なコペンハーゲン解釈を批判的にとらえ、これまで異端とされてきた多世界解釈の強みを浮かびあがらせている。ここではまず、先週のおさらいをしておこう。

多世界理論では、波動関数のみを世界の現実とみる。それは、方程式に従って刻々変化していく。これを波動関数の時間発展という。そこにあるのは決定論だ。コペンハーゲン解釈のように確率論で物事が決まったりはしない。波動関数は観測によって、観測する側とされる側が一体となったものの重ね合わせになる。このとき、観測者は――あなたや私も――どんな状態を観測したかによって分岐している。世界も観測者も、枝分かれしたのである。

さて、いよいよ本題に入る。先週よりももう一歩深く、多世界解釈に踏み込むことにしよう。今週は、観測とは何か、観測によって世界が分かれるとはどういうことか――この2点について、イメージを思い描くことにこだわりながら考えていこうと思う。

まずは、観測について。ここで出てくる用語が「デコヒーレンス」だ。これは、状態の重ね合わせ(これを、コヒーレントな状態という)が壊されることを意味する。著者によれば、この概念が1970年、ドイツの物理学者ハインツ・ディーター・ツェーから提案されると、多世界解釈にとって「必須の要素」になった。デコヒーレンスは、観測で「波動関数が収縮して見える理由」を教えてくれる。そこに「『観測』とは何か」の答えもある。

一般論で言えば、デコヒーレンスの主犯は周辺環境だ。聴き入っている音楽が窓の外を走るオートバイの爆音でぶち壊しになるように、量子世界の状態の重ね合わせは周りの騒々しさによって台無しになる。だから、重ね合わせを情報処理の仕掛けに用いる量子コンピューターでは、その部分を周辺環境から遠ざけることが求められている。著者はこの本で、周辺環境の存在が観測という行為と密接不可分であることを述べている。

前回も書いたように、量子世界の観測では観測する側とされる側が量子もつれになる。今回、新たに考慮に入れるのは、観測する側が世界から孤立していないということだ。この本では、電子に具わるスピンという性質を見てとる観測装置が登場する。これは、スピンが上向きなら目盛り盤の針が左に振れ、下向きなら針は右を指す――というように作動する。この装置にも空気の分子や光の粒(光子)がぶつかっていて、相互作用が生じている。

ここで、空気や光などは「環境」と呼んでよい。量子力学の言葉で言えば、観測装置は空気や光などと相互作用することで「環境と量子もつれの状態」にある。このときに見落としてならないのは、「環境」が漠然としていることだ。「光子などの粒子をすべて追跡するなど、誰にだってできない」。そこで「厳密に何がどうなるか」はつかめない。観測装置と環境との量子もつれは把握不能――これこそがデコヒーレンスの本質であるらしい。

これは観測装置にとって、もつれる環境が一つに定まらないことを意味する。量子もつれごとに相手となる環境が異なるのだ。その結果、装置はそれぞれの環境に引きずられてしまう。ここに世界の分岐がある。著者の見方を私なりに理解したのは、そういうことだ。

では、スピンの観測で何が起こるかを時系列でたどってみよう。観測前、電子は〈スピン上〉と〈スピン下〉が重ね合わさるコヒーレントな状態にあり、それに観測装置の針がどちらにも振れない〈針中〉の状態と〈環境0〉がもつれ合っていた。ところが、観測された途端、〈スピン上〉・〈針左〉・〈環境1〉が量子もつれで一体になった状態と、〈スピン下〉・〈針右〉・〈環境2〉が同様にもつれて一体化している状態とが重ね合わさることになる。

著者は、この過程を数式風の略図で説明している。これは観測の核心をついていてわかりやすい。当欄は図の部分を言葉に置き換え、同じことを文字と記号だけで表現してみよう。ここでは、「+」は重ね合わせを、「・」はもつれをそれぞれ表している。
(〈スピン上〉+〈スピン下〉)・〈針中〉・〈環境0〉
➡〈スピン上〉・〈針左〉・〈環境1〉+〈スピン下〉・〈針右〉・〈環境2〉

この式からは、多くのことがわかる。スピンだけの重ね合わせ状態が観測によって消え、その代わり、スピンと針と環境がそっくり異なる世界が重ね合わさることになる。世界の数は観測前に一つだったのが、観測後には二つになる。これこそが、世界の枝分かれだ。

さて、いよいよ「観測者」の出番である。装置の目盛り盤の傍らに針を読む人間がいるとしよう。世界が枝分かれするなら「観測者も残りの宇宙にともなって」「コピーに分岐する」。ここで「残りの宇宙」とは環境の別表現だ。では、それぞれの分身は何を見るのか? 〈スピン上〉〈スピン下〉のどちらか一つしか見えない。「波動関数が収縮したように見える」(原文では太字部分に傍点)というのは、実はこういうことだったのである。

この略図を見ると、観測という行為が私たちにとってどんな意味をもつのかについて、別の角度からも考えたくなる。観測とは、電子のように重ね合わせの状態にあるものに取りついて、自分自身をも枝分かれさせる行為ではないか――そんなふうに思えてくる。

枝分かれのくだりで興味深いのは、そこに「世界」論があることだ。著者が「世界」の条件として挙げるのは「世界のさまざまな部分が、少なくとも原則として、お互いに影響を及ぼせていること」だ。逆をいえば、影響を及ぼせないなら別世界と言ってもよいのだろう。この本は「幽霊世界」をもちだす。幽霊たちがどこかにいる可能性を論じつつ「幽霊世界で起こることは私たちの世界で起こることとは絶対に関わりを持たない」と断じている。

もし、多世界理論が正しいとしても、別の世界にいる分身とは交信できない。向こうの世界に渡って分身と入れかわるわけにもいかない。今の私にとって私はこの私だけであり、世界はこの世界しかない。世界がいっぱいあっても、この世界はかけがえがない。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年11月19日公開、通算601回
*余談ですが、今回と似たタイトルで小文を書いたことがあります。「『あなたとは世界が違う』という話」(「本読み by chance」2015年5月8日付)。青春のほろ苦さとともにある「世界が違う」。これも、どこかで多世界のイメージと響きあうような気がします。
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世界は一つでないと今なら言える

今週の書物/
『量子力学の奥深くに隠されているもの――コペンハーゲン解釈から多世界理論へ』
ショーン・キャロル著、塩原通緒訳、青土社、2020年刊

観測

危険思想という言葉がある。それは、異端者に対するレッテルとして使われることが多い。言うまでもないことだが、このレッテル貼りはよくない。人は心のなかでなら何を思い描いてもよいのだ。その自由が、ときに常識の呪縛を解き放ってくれることもある。

私もかつて、自分自身が危険思想の持ち主と見られているように感じたことがある。極左に走ったわけではない。極右に振れたわけでも、過激な宗教に染まったのでもない。そもそも一つの考えの信奉者になったことは、これまで一度もない。ただ、科学記者として一つのテーマを追いかけていて、常識外の見解に興味を抱き、それを記事にしたことはある。このとき、周りの視線に危険思想を遠ざけようとする気配があったことを覚えている。

「一つのテーマ」とは量子力学である。1920年代半ばに打ちたてられた新しい物理学だ。私は1995年、欧州に科学記者として駐在していたとき、量子力学の核心部を生かした量子コンピューターや量子暗号の研究が台頭していることを知り、取材に駆けまわって報告記事を書いた。それは、量子力学の不可解さをどう解釈するかという哲学めいた問いに深くかかわっていた。答えの一つが多世界解釈。これこそが上記の「常識外の見解」である。

ざっくり要約しよう。量子力学の世界は波動関数というもので記述される。ここでは、電子を例にとろう。その状態は波によって表される。位置一つとっても、電子は一点にあるのではなく、A点にもB点にもC点にも……あることになる。重ね合わせの状態だ。ところが、私がその位置を測ったとしよう。すると電子の在り処はA点かB点かC点か……どこか一カ所に定まる。何が起こったのか? これが量子力学の観測問題である。

定説としては、コペンハーゲン解釈が広まっている。コペンハーゲンは、量子論の先駆者ニールス・ボーアの本拠地だ。この解釈は、ボーアの系譜にある物理学者らが唱えたので教科書的な見解として受け入れられてきた。それによると、観測の瞬間に波束の収縮ということが起こる。電子がA点にあるとの測定結果が出たとしよう。このとき、波は膨らみを失い、A点の箇所だけに聳え立つ。もはやB点、C点……には波の影もかたちもない。

コペンハーゲン解釈の対抗馬が多世界解釈だ。この立場では、波束は収縮しない。波は観測後も続く。そこでは、電子がA点にあるのを見た私、B点にあるのを見た私、C点にあるのを見た私……が重なり合う。観測の瞬間に私はいくつにも分かれ、それぞれの分身がそれぞれの世界を生きていくのだ。〈多世界〉と呼ぶ理由はここにある。この考え方は量子力学誕生の約30年後、1957年に米国の大学院生ヒュー・エヴェレットが発表していた。

荒唐無稽な世界観ではある。危険視されるのも致し方ないか。いや、違う。常識外ではあるが、常識の世界を乱さないからだ。この解釈に従えば、私には無数の分身がいることになるが、一つの分身が別の分身のいる世界と行き来したり、分身同士がメールをやりとりしたりはできない。それぞれの私がそれぞれの世界で物理法則に従うのだから何も問題ない。だが、それでも冷たい視線が向けられた。少なくとも四半世紀前までは……。

で、今週は、その空気が今や大きく変わったことをうかがわせる一冊。『量子力学の奥深くに隠されているもの――コペンハーゲン解釈から多世界理論へ』(ショーン・キャロル著、塩原通緒訳、青土社、2020年刊)。著者は米国カリフォルニア工科大学の理論物理学者。序章で多世界の理論が「うさんくさい」とみられてきたことを認めつつ、それは「量子力学を理解する最も純粋な方法」(原文では太字箇所に傍点、以下も)と言って憚らない。

この本の組み立ては、大きくとらえればこんなふうだ――。前半は、読み手を量子力学の世界に招き入れ、それを素直に受けとめれば多世界理論に行き着くことを堂々と論じている。後半に入ると、別の解釈には何があるか、量子論が宇宙論の「時空」にどうかかわるか、といった問いにも答えていく。後半は、かなり難しい。当欄は、とりあえず前半に絞って話を進めたい。ただいずれの日か、この本に戻って後半部分にも触れたいとは思う。

第一章には著者の宣言がある。「量子力学が説明できないもの、理解できないものとだけは思われないようにする」という決意表明だ。これは、科学者でもないのに物理学の周辺をうろついてきた者には新鮮に聞こえる。私は科学記者として、量子力学の不可解さについて物理学者を質問攻めにしてきたが、最後には、日常の感覚ではとらえきれないんだよ、と突き放されたものだ。だが、この本は最後まで面倒をみてくれそうではないか。

第二章では、「緊縮量子力学(austere quantum mechanics)」と呼ばれる立場が「勇気ある定式化」として紹介される。「緊縮」では硬いので、節約型の量子力学と言い換えてもよいだろう。波動関数だけに注目して、余計なことを考えない。著者は、量子力学をもっとも素直に受けとめれば、世界は一つではない、世界はたくさんある、とみるのが自然であることを論じている。多世界理論が「最も純粋」というのは、そのことである。

著者は、節約型の量子力学に二つの側面を見てとる。一つは、波動関数を「知識の整理を助けるだけの帳簿作成装置」とみないことだ。それを「現実をそのまま写し取ったもの」ととらえる――「認識論的」ではなく、「存在論的」な考え方に立とうというのである。

もう一つは、波動関数について「それは決定論的な規則にしたがって時間発展し、それ以外は何も関係しない」とみることだ。ここでは「決定論的」の一語に注目したい。量子力学は確率論の物理学とも言われるが、波動関数に限れば方程式通りの決定論に従う。

では、存在論的であり、決定論的でもある波動関数の正体とは何か? 著者によれば、それは量子状態だ。ならば量子状態とは? 「私たちが観測をしてみた場合のあらゆる可能な結果の重ね合わせ」だという。重ね合わせがまるごと方程式に従って移りゆくのである。

著者はこの「緊縮量子力学」を、前述のコペンハーゲン解釈――この本では「教科書量子力学」と呼んでいる――に対置して議論を進めていく。観測という行為のとらえ方について両者を対比しているところが読みどころだ。ここでは、それをなぞっておこう。

「教科書…」は、原子や電子のように微視的なものの観測では観測される側と観測する側の間に線を引いて考える。観測される側は量子力学に支配されているが、観測する側は古典力学の法則に従う、とみるのだ。ところが「緊縮…」は、この仕切りを取っ払う。たとえば、電子を写せるカメラがあったとして電子をカメラで観測する場合を考えてみよう。このとき、カメラの様子も電子と同様に波動関数によって表現するのである。

それでは、カメラの波動関数とはどんなものでどのように変化するのか。カメラが観測装置として電子の位置を見極めるとき、その波動関数が観測前に意味しているのは「これはカメラで、まだ電子を見ていない」ということだ。ところが、電子を被写体としてとらえた途端、「電子がここにいるのを見たかもしれないし、あそこにいるのを見たかもしれない」……に変わる。カメラの状態も、電子の重ね合わせに引きずられて重ね合わさるのだ。

えっ、カメラの重ね合わせだって? 重ね合わせは、電子のような微視世界でなら許せるが、私たちが暮らす巨視世界ではありえない――そんな違和感に応えるように、著者は私たちがこの不気味な重ね合わせを見ないで済む理屈を種明かししてくれる。

それは、量子力学では「二つの異なる物体」も「一つの波動関数だけ」で表されるということだ。こうして電子とカメラはつながる。その波動関数は、電子とカメラの「あらゆる可能な組み合わせの重ね合わせ」だ。ただ、なんでもあり、というわけではない。「電子はこの場所にあって、カメラはその同じ場所で電子を観測した」という整合性は求められる。一定の条件に縛られているのだ。このつながりが「量子もつれ」である。

観測とは、観測する側と観測される側が量子もつれを起こすことだ。ここで著者は、カメラをあなたに置き換えることを促す。あなたは当初、「まだその電子を見ていない」が、観測するとともにもつれが生じて「電子が見つかる可能性のある場所それぞれ」について電子とつながる。その結果、「ちょうどその場所にいる電子を見つけたあなた」が重ね合わせ状態になる。あなたまで重なり合うのだ。分身の登場である。ここに多世界が成立する。

さあ、ようやく多世界理論にたどり着いた。次回も引きつづき、この話を続ける。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年11月12日公開、通算600回
*当欄は今年、「量子」の話題を継続的にとりあげています。
量子の世界に一歩踏み込む」(2021年5月28日付)
量子力学のリョ、実存に出会う」(2021年6月4日付)
量子力学の正体にもう一歩迫る」(2021年9月10日付)
量子のアルプス、「波」の登山路」(2021年9月17日付)
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