いまなぜ、資本主義にノーなのか

今週の書物/
『人新世の「資本論」』
斎藤幸平著、集英社新書、2020年刊

成長

のっぺりした街になってしまったなあ、と思う。私が住んでいる辺りのどの通りがどうというわけではないのだが、なべて商店街はのっぺりしてしまった。

のっぺりとは、平らなさまを言う。ただ私はここで、荷風やタモリ、あるいは『武蔵野夫人』の大岡昇平のように地形の起伏にこだわっているわけではない(「本読み by chance」2019年2月1日付「東京に江戸を重ねる荷風ブラタモリ」、当欄2021年4月23日付「武蔵野夫人、崖線という危うさ」、当欄2021年4月30日付「武蔵野夫人というハケの心理学」)。そうではなくて、沿道が単調になったことを嘆いているのだ。

数十年も続いた老舗の和菓子屋、ひと癖ありそうな店主のいる古書店などが次々と消えていく。代わって現れるのは、たいていがフランチャイズか、それに似た店々。いつのまにか、コンビニ→ファストフード→スマホショップのような並びができあがっている。

コンビニ→ファストフード……のような配列が目立つのは、一つや二つの街に限った話ではない。いまや、どこの街にもある定番の風景になっている。だから、のっぺりは一つの商店街を形容する言葉にとどまらない。日本社会そのものがのっぺりしてきたのだ。

科学用語では、こうした変化をエントロピーが増大するという。熱い湯1瓶と冷たい水1瓶を混ぜると2瓶分のぬるま湯ができる、というような法則だ。熱湯と冷水が1瓶ずつという状態には、瓶1本ずつの個性がある。ところがぬるま湯2瓶分となれば個性がない。のっぺりしているわけだ。Aという町の酒屋もBという町の乾物屋もCという流通大資本のコンビニ店になる。無個性の増大、これはエントロピーの増大にほかならない。

ここで思いだすのが、子どものころに社会科で教わった社会主義国の政治経済体制だ。福祉の水準は高いが、都市も農村も国営企業や集団農場でひと色に染まっているという。私たちの世代は社会主義に憧れつつも、その単色の世界にはついていけないと思ったものだ。大きなエントロピーに対する嫌悪である。資本主義はイヤだが、それが保証する自由は失いたくない――そう思う若者が多かった。かく言う私も、その一人だった。

ところがどうだろう。今は、資本主義こそが世界をひと色に染めているではないか。大きな資本が小さな資本を吸い込み、国境を越えて人々を同じ市場に囲い込む。これではまるで、エントロピー増大の牽引車だ。これまで私たちは、資本主義は人々の個性を重んじる、と信じてきた。新自由主義が民間活力に期待を寄せたのも、この通念があったからだ。だがそれは、どうも嘘っぽい。もう一度、資本主義を問い直したほうがよい。

で、今週は『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著、集英社新書、2020年9月刊)。「新書大賞2021」に選ばれるなど、話題の本である。著者は1987年生まれ、ベルリンのフンボルト大学などで哲学を学び、今は大阪市立大学大学院で准教授を務めている。専門は経済思想、社会思想。前著『大洪水の前に』(邦題、堀之内出版、2019年刊)はカール・マルクス(1818~1883)の「エコ社会主義」を論じた本で、数カ国で出版されている。

書名にある「人新世」は、近年よく耳にする新語だ。地質学の用語に倣って「人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代」(本書「はじめに」から)を指している。このことからもわかるように、著者は、気候変動という今日的な切り口で資本主義の矛盾をあばき、マルクスの文献を精読して、そこに解決の糸口を見いだしている。さらに言えば、本書の刊行直前に勃発したコロナ禍も、この文脈のなかで論じている。

著者は本書で、マルクス自身の思想を3段階に分けている。①「生産力至上主義」(1840~1850年代)→②「エコ社会主義」(1860年代)→③「脱成長コミュニズム」(1870~1880年代)という進化があったとみているのだ。持続可能性の重視は①にないが、②③にはある。経済成長の追求は①②にあるが、③にはない。代表的な著作をこの区分に当てはめると、『共産党宣言』は①期に、『資本論第1巻』は②期にそれぞれ刊行されている。

著者によれば、マルクスは②期の『資本論』第1巻で、人は「自然に働きかけ、さまざまなものを摂取し、排出するという絶えざる循環の過程」を生きている、という人間観を提示した。そこには「人間と自然の物質代謝」がある。この代謝は、資本主義によって価値の増殖を最大化するように変えられてしまう。「資本主義は物質代謝に『修復不可能な亀裂』を生み出すことになる」――『資本論』は、そんな警鐘を鳴らしているのだという。

だが、この主張は従来のマルクス主義解釈では脇役だった。それは、自然環境の破壊が旧社会主義国で顕著だったことを見ればわかる。たとえば、旧ソ連は5カ年計画を掲げて経済成長をめざした。成長の原動力を市場ではなく、計画経済に求めようとしたところだけが資本主義国と異なる。だから、その生産活動の一部は資本主義国と同様に公害をまき散らしたのである。ただそれでも、②期のエコロジーは知る人ぞ知る話ではあった。

本書が光を当てるのは、これまで知られていなかった③期の思想だ。著者によると、いま世界のマルクス学究の間では『マルクス・エンゲルス全集』の新版刊行を企てるMEGA計画(MEGAは「マルクス」「エンゲルス」「全集」を独語表記したときの頭文字)が進行中で、著者もそれに参加している。新版に収められる草稿、ノート類に「今まで埋もれていた晩期マルクスのエコロジカルな資本主義批判」があった、という。

MEGA研究によって明らかになったマルクス晩年のエコロジー探究には目を見張る。なによりも驚かされるのは、自然科学が視野のど真ん中にあることだ。「地質学、植物学、化学、鉱物学などについての膨大な研究ノートが残っている」という。「過剰な森林伐採」による気候変化や、石炭などの埋蔵資源を乏しくする「化石燃料の乱費」、開発行為が生物を脅かす「種の絶滅」などについて書物を読み漁り、理解を深めていたらしい。

マルクスは、そこから「脱成長コミュニズム」と呼べる思想を構築していくのだが、その中身に入る前に、いま2020年代の世界がどんな状況にあるかをみておこう。本書も、現代の資本主義が地球の生態系(エコシステム)をどのように乱しているかを詳述している。

最初のキーワードは「グローバル・サウス」だ。その意味は南北問題の南、即ち途上国とほぼ重なるが、もう少し幅広くとらえて「グローバル化によって被害を受ける領域ならびにその住民」のことをいう。逆を言えば、私たちはグローバル・ノースに属する。著者は「グローバル・ノースにおける大量生産・大量消費型の社会」が「グローバル・サウスからの労働力の搾取と自然資源の収奪なしに…(中略)…不可能」であることを指摘する。

具体例が挙げられている。たとえば、ファストファッションの衣料品だ。原料の綿花栽培を担うのは「インドの貧しい農民」だ。「四〇℃の酷暑のなかで作業を行う」だけでなく、1年ごとに「遺伝子組み換え品種の種子と化学肥料、除草剤」を買わされるという負担もある。工程の川下には「劣悪な条件で働くバングラデシュの労働者たち」もいる。2013年には、複数の縫製工場が同居するビルが崩壊して千を超える人命が奪われる事故があった。

グローバル・サウスが収奪される自然資源には「環境」も含まれる。この本には、加工食品やファストフードに多用されるパーム油の話が出てくる。アブラヤシの実から採れる油である。産地のインドネシアやマレーシアでは、アブラヤシの農園づくりのために熱帯雨林が伐採された結果、生態系が壊され、土壌が削られ、川も農薬などに汚染されて魚が減っているという。地産地消の暮らしが壊滅状態に陥ってしまったのだ。

このくだりには、もう一つ「外部化」というキーワードもある。グローバル・ノースが「豊かさ」の「代償」をグローバル・サウスに「転嫁」してしまうことだ。「外部化」には怖い一面がある。ノースの人々は「代償」をサウスへ追いやることで、その現実を見ないで済む。「代償」の「不可視化」である。こうしたノースのありようを、ドイツの社会学者シュテファン・レーセニッヒは「外部化社会」と名づけ、批判的に論じているという。

人新世とは、その転嫁が極まって「外部が消尽した時代」というのが、この本の見方だ。「資本は無限の価値増殖を目指すが、地球は有限」である。だから、「外部を使いつくすと」「危機が始まる」。それがもっとも極端に表れたのが気候変動だ、というのだ。

これには、補足が必要だろう。二酸化炭素(CO₂)の温室効果による地球温暖化では、グローバル・ノースが化石燃料を燃やしてCO₂を吐きだすことが即、グローバル・サウスからの収奪とは言えない。なぜなら、温暖化は地球全域に及ぶからだ。ただ私なりに考察すれば、こうは言える。ノースの人々は化石燃料の燃焼によって恩恵も受けている。これに対して、サウスの人々は温暖化の負荷ばかりを押しつけられる。だから、転嫁なのだ。

ところが最近は、グローバル・ノースの人々にも気候変動の被害が「可視化」されてきた。著者が言うようにスーパー台風などが気候変動の表れだとすれば、ノースにも「代償」が見えてきたのだ。「外部化」という現代資本主義の仕掛けが行き詰まったと言ってよい。

このくだりは、この本の最大の読みどころだ。今風の資本主義批判の核心と言ってよい。理系の目で見れば「地球は有限」は自明のことだ。ところが資本主義は、そこに「運用ごとに生まれる貨幣は多くなり……」(ベンジャミン・フランクリン、当欄2021年4月9日付「ヴェーバー資本主義の精神はどこへ」)という無限増殖を期待した。私たちは「外部化」の破綻で起こる災厄の予感のなかで、有限に無限を求めることの愚にようやく気づいたのだ。

「脱成長コミュニズム」に立ち入る前に紙幅が尽きた。来週も引きつづき、本書を読む。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年5月7日公開、同月11日更新、通算573回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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ヴェーバー資本主義の精神はどこへ

今週の書物/
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
マックス・ヴェーバー著、大塚久雄訳、岩波文庫、1989年改訳刊

時は金なり

資本主義という言葉ほど、この半世紀でイメージが反転したものはないのではないか。年寄りの思い出話をさせてもらえば、日本社会では高度成長真っ盛りの1960年代、資本主義はフル回転で私たちを豊かにしてくれたわりに良い印象がなかった。

なぜだろうか。すぐに思いあたるのは、あのころはまだ資本主義と対立する社会主義が健在だったことだ。今も、この一対は対義語として成立する。ただ、片方がすっかりかすんでしまった。社会主義と言ってもピンと来ない人がふえてしまったのである。

1960年代は違った。人々の何割かは確実に社会主義の思潮に共感を覚えていた。旧ソ連に代表される社会主義体制を望む人が多かったとは言えないが、勤め人の声が政治経済に反映されて、賃金水準が高まり、福祉制度が整うことには期待感があったのだ。その視点に立つと、資本家は悪役となり、資本主義には負のイメージがつきまとった。この空気感は、社会主義政党の党員シンパのみならず、世の中に広く浸透していたと言ってよいだろう。

例を挙げよう。当時の政界でも保守政治家が多数派だったが、その人たちも自分が守ろうとしているものが資本主義だと宣明することはめったになかった。自らの立場に話が及んだときには、自由主義の擁護者という言葉を好んで使っていたように思う。

思い返せば、私が新聞社に入った理由の一つもそこにあった。1970年代後半の社会には、資本主義を嫌う空気がまだ残っていた。私は、学生運動をしていたわけでもなく、社会主義者だったこともない。それでも、資本主義の手先になりたくないとは思った。新聞社も株式会社なので手先に違いない――実際、「商業新聞」「ブルジョワ新聞」「ブル新」という呼ばれ方もあった――が、相対的に資本主義色が薄いように思われたのだ。

ところが近年は、この空気が一掃された。資本主義と社会主義を見比べると、後者のほうに負のイメージがとりついている。ただそれにしては、資本主義という言葉をあまり見かけない。最近の議論は、なんであれ資本主義を既定のものとして受け入れている感があるので、その前提を言う必要がなくなったようにも見える。むしろ、同じ資本主義の範囲内で、市場万能の新自由主義をとるか、そうでない側に立つかが問われる局面がふえている。

で、今週は資本主義について考える。手にとったのは、必読の書とされる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー著、大塚久雄訳、岩波文庫、1989年改訳刊)。必読と言いながら自分は読んでいなかったことを正直に告白する。

今回、食指が動いたのは、昨秋の当欄で『フランクリン自伝』(ベンジャミン・フランクリン著、松本慎一、西川正身訳、岩波文庫、1957年刊)をとりあげたことによる。米国を独立に導いた政治家であり、実業家であり、理系知識人でもあった人物の立志伝を読んで、ドイツの社会科学者マックス・ヴェーバー(1864~1920)が言う「資本主義の精神」らしきものを嗅ぎとったのである。(2020年11月6日付「フランクリンにみる米国の原点」)

この嗅覚は、的外れではなかった。本を開くと、第一章の「資本主義の『精神』」と題する節で3ページほども費やして、フランクリンの言葉を延々と引用しているのだ。そこには「〈時間は貨幣だ〉ということを忘れてはいけない」「〈信用は貨幣だ〉ということを忘れてはいけない」「貨幣は〈繁殖し子を生むもの〉だということを忘れてはいけない」(〈 〉内は傍点箇所、以下も)……。こんな警句が箇条書きのように並ぶ。

3番目の「貨幣は〈繁殖し子を生むもの〉」に注目しよう。フランクリンは、警句をたとえ話で説明する。5シリングの元手で資金運用を始めると、いずれは100ポンドを手にすることもできる、というのだ。「貨幣の額が多ければ多いほど、運用ごとに生まれる貨幣は多くなり、利益の増大はますます速くなっていく」――資金を複利でふやせば、富は指数関数で膨らむ。なるほど、これは資本主義の醍醐味そのものではないか。

ここでは刺激的に、親豚を殺すことは「子豚を一〇〇〇代までも殺しつくすこと」とも書かれている。少額の貨幣でもそれを生かさなくては、得られるはずの多額の貨幣を「殺し(!)つくす」ことになると説くのだ。運用しないことを怠惰とみなす立場である。

そのフランクリンの思想を、著者即ちヴェーバーはどうみているのか。フランクリンが推奨する「ひたむきに貨幣を獲得しようとする努力」には幸福や快楽を追い求める気配が薄く、そこでなされる営利の活動が「物質的生活の要求を充たすための手段」ではなく「人生の目的」であることを強調する。富をふやす勤勉さそのものに価値を見いだす倫理観と言えよう。これが、やがて資本主義経済を回す原動力となっていく。

著者によれば、フランクリンは、近代社会で貨幣の源は職業人としての「有能さ」にあると考えていた。ここで職業とはドイツ語で言えばBerufであり、そこには「神から与えられた使命」即ち「天職」の意もあるという。こうして、この本の論題も宗教へ移っていく。

この本は中盤で、プロテスタント各派の思想の違いを詳しく述べているのだが、その理解の前提となる知識が乏しいので、この部分についてどうこう言うことは控える。当欄で私が読み込もうと思うのは、第二章第二節「禁欲と資本主義精神」だ。著者は「〈天職理念〉のもっとも首尾一貫した基礎づけを示しているのは、カルヴァン派から発生したイギリスのピュウリタニズム」とみて、これを資本主義に結びつけていく。

英国の清教徒ピューリタンは「富とその獲得」について、どう考えていたのか。一見すると、富の獲得を否定しているようだが、そうではないと著者は分析する。その教えが「真に」不道徳とみなすのは、富の所有にあぐらをかいて「〈休息する〉こと」であり、「富の〈享楽〉」に耽って「怠惰や肉の欲」の虜となることだ、という。休むな、遊ぶな、もっと稼げということか。フランクリンの「時間は貨幣だ」即ち「時は金なり」に通じている。

著者は、ピューリタニズムを代表する神学者リチャード・バクスター(1615~1691)らの文献を漁り、その勤勉志向を見ていく。「時間の損失」として「無益なおしゃべり」や「贅沢」に×印がつくのはわかる。だが、「睡眠」まで指弾される。驚くのは、宗教者なら奨励してもよいはずの「黙想」ですら、批判の対象となっていることだ。「天職における神の意志の積極的な実行に比べて、神によろこばれることが〈少ない〉」との理由である。

ボーッとしていてはダメということか。働くために働くという思想である。著者は、それを「労働」が「神の定めたまうた生活の〈自己〉目的」になっていると表現する。だからこそと言うべきか、バクスターは厳格に「富裕であるとしても、この無条件的な誡命から免れることはできない」との立場をとる。中世スコラ哲学も労働を促したが、「財産によって生活できる者」は適用外だったという。ピューリタニズムは、そこが違う。

「天職」重視は定職の勧めでもある。著者は、バクスターの次の言葉を引く。「確定した職業でないばあいは、労働は一定しない臨時労働にすぎず、人々は労働よりも怠惰に時間をついやすことが多い」。これが、17世紀の論述であることに注目したい。近代前夜、怠惰を嫌う宗教倫理が、資本主義社会の分業化への流れにかみ合ったのだ。いや、それだけではない。その先に、専門職を重んじる現代社会を見通していたようにも思える。

ヴェーバーがピューリタニズムから抽出した資本主義像は、私たちの先行世代が1960年代に経験したことに見てとれる。モーレツに働き、終身雇用制のもとで定職をまっとうする人が多かった。それが21世紀の今はどうか。ワークライフバランスの機運が高まり、転職は珍しくなくなり、「臨時」の働き手に過酷労働のしわ寄せがきている。資本主義が当たり前の時代になったが、それを支えていたはずの精神は現実から遠のくばかりだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年4月9日公開、通算569回
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元旦社説にちょっと注文をつける

今週の書物/
「社説――《核・気候・コロナ》文明への問いの波頭に立つ」
朝日新聞2021年1月1日朝刊

元旦の日差し

年が改まった。私には服喪という私的事情があるので、ここでも慶賀の言葉は控える。だが、そうでなくとも「おめでとう」とは言い難い。世界中、この列島にもこの都市にも、新型コロナウイルスの感染症でたおれた人々が数えきれないほどいる。今この瞬間、病床には息を喘がせている人たちも大勢いる。そして、そういう人々を助けようと、暦にかかわりなく治療と看護にあたるスタッフがいる。それが、2021年新春の風景である。

とはいえ、きょうは元日だ。お祝い気分はなくとも、心を新たにする節目であることに違いはない。とりわけ今年は元日がたまたま金曜日であり、拙稿ブログの公開日に重なった。心にひと区切りをつけるのにふさわしいものを読み、考えてみたいと思う。

で、選んだのは、今しがた届いた新聞だ。私自身の新聞記者としての体験から言うと、新聞人は昔から元日付の朝刊に異様なほどの力を注ぐ。第1面や社会面だけでなく各ジャンルのページも、これはという特ダネを掲げたり、全力投球の連載初回を大ぶりに扱ったりする。自分たちは時代の記録係であるとの自負がきっとあるのだろう。だから、紙面のどこをかじってみても新年のひと区切り感があるのだが、やはりここは社説をとりあげよう。

「社説――《核・気候・コロナ》文明への問いの波頭に立つ」(朝日新聞2021年1月1日付朝刊)。なぜ朝日新聞なのかと突っ込まれそうだが、今は1紙しか定期購読していないこともある。古巣の新聞が、どんな時代の切りとり方をしているかに注目したいと思う。

社説がまくらに振った話題は、昨春、長崎原爆資料館が玄関に掲示した「長崎からのメッセージ」。資料館の関心事である「核兵器」を「環境問題」「新型コロナ」と並べ、それらの共通項を見抜いていた。いずれも「立ち向かう時に必要」なのは、「自分が当事者だと自覚すること」「人を思いやること」「結末を想像すること」「行動に移すこと」だというのである。なるほど、同感だ。社説筆者は格好のまくらを掘りだしてきたものだ、と思う。

ここで社説は焦眉の問題、コロナ禍の話に入る。人々は今「誰もがウイルスに襲われうること」「感染や、その拡大という『結末』を想像し、一人ひとりが行動を律する必要」を知るに至った、という。たしかに、この災厄は人類のすべてが「当事者」であり、それに対抗するには、めいめいが周りの「人」に気を配り、社会に与える影響の「結末」まで思い描いて自らの「行動」を規制しなくてはならない――まさに、メッセージの言う通りだ。

まったくその通りなのだが、元科学記者としてやや物足りないと感じることが、いくつかある。一つには、「当事者」の意味にもう一歩踏み込んでほしかった。感染症で、人はうつされる側になる一方、うつす側にもなりうる。今回のコロナ禍は、無症状の人の感染が少なくないので、自分が当事者だと実感しないまま、うつされてうつすという過程に関与してしまうことがある。感性だけでなく理性でも、当事者意識を強めなくてはならない。

もう一つは「行動」だ。社説筆者が書くとおり、私たちはコロナ禍で「一人ひとりが行動を律する必要」に迫られた。マスク着用しかり、ステイホームしかり、大人数の飲み会自粛しかり。日本社会では、それらがおもに心がけとして為されたのだから、まさに各自が行動を律したと言ってよい。この方法で行動変容をかなりの水準まで達成できたのは、同調圧力が強いという精神風土の特徴が、今回ばかりはプラスに働いたのかもしれない。

ただ、ここには私たちがこれから対峙しなくてはならない難題が立ちはだかっている。世界は、そして日本も1980年代末に冷戦の終結を見てから、人間の自由を至上の価値観として共有するようになった。経済政策の新自由主義だけではない。世の中のさまざまな局面で選択の自由が重んじられるようになっていたのだ。そんなときに「行動を律する必要」が出てきたのである。(当欄2020年7月10日付「ジジェクの事件!がやって来た」参照)

自由の制限は、権力者が支配を強めるためのものなら許しがたい。だが、それが弱者の生命を守るという公益のためなら受け入れなければならない。その方法をどうするか。社説は、この一点にも目を向けてほしかった。コロナ禍に限らず感染症の大流行は、対策も急を要する。自由の制約を伴う手段を講じるとき、事前に十分な議論を尽くせないことがありうる。それならば事後の徹底検証が欠かせない――そんな提案もありえただろう。

今回の社説は、コロナ禍が効率優先の社会の暗部を浮かびあがらせたことを指摘している。テレワークなどの恩恵を受けられない「看護、介護、物流」など「対面労働」の「エッセンシャルワーカー」が「格差」に苦しんでいないか、といった問題提起だ。私も、この点は同感だ。これも新自由主義にかかわる論題だからこそ、コロナ後の時代に私たちが自由という概念をどうとらえ直すべきかについて思考を展開してほしかった。

コロナ禍論に対する注文はこのくらいにしよう。この社説は「長崎からのメッセージ」を踏まえ、コロナ禍対応と同様、核兵器の廃絶をめざすのであれ、地球環境を守るのであれ、「当事者」と「行動」の2語がカギになることを強調している。環境保護については、すぐ腑に落ちる。温暖化が化石燃料の大量消費に起因するのなら、私たちの行動次第でそれを食いとめられる。だれもが原因を生みだす当事者でもあり、被害を受ける当事者でもある。

ところが反核となると、ピンとこない面がある。核兵器の開発や保有を企てるのは政治家だ。私たちとは遠いところにある話ではないか。ふつうは、そう思ってしまう。だが、その通念を振り払って自分事としてとらえ直そう。この社説は、そう訴えているように見える。

最後に、言葉尻にこだわった余談。この社説の見出しにある「波頭に立つ」は結語にも登場する。「若い世代」が「未来社会の当事者」として「このままで人類は持続可能なのかという問いの波頭に立っている」というのだ。気になるのは、「波頭」という言葉である。

「波頭」は、辞書類によれば波の盛りあがりのてっぺん。「問い」のてっぺんに立つとはどういうことだろうか。読者の多くはたぶん、「最前線で問題と向きあう」といったイメージで理解したような気がする。あえて「波」に結びつけて言い換えれば、「問題を波面の先頭でとらえる」という感じか。今回の「波頭に立つ」を誤用とは言うまい。言葉の意味は、時代とともに変わる。「波頭」はやがて「波面の先頭」になるのかもしれない。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年1月1日公開、同月2日最終更新、通算555回
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東独、ひとつの国が消えたとき

今週の書物/
『ドイツ統一』
アンドレアス・レダー著、板橋拓己訳、岩波新書、2020年刊

ドイツビール

去年の今ごろ、私たちの世代はベルリンの壁崩壊から30年の感慨に耽った(当欄の前身「本読み by chance」2019年11月15日付「あの日、壁崩壊に僕らが見たもの」)。1年後の今、壁崩壊30周年のあとにもう一つ、大きな通過点があることに気づいた。

ドイツ統一から30年の歳月が流れたのだ。1990年10月3日、東西ドイツ――と言ってもピンと来ない世代がふえたが――が合体して、一つのドイツが再登場した。これによって、第2次大戦後、欧州中央に居座っていた大きな変則状態が消滅したと言ってよい。

壁崩壊は、ひとことで言えば解放だった。閉じ込められた人々が壁を壊し、外へ出て、自由の空気を思いきり吸った。それは、祝祭にほかならない。だが、祭りのあとには大きな宿題が残った。東ベルリンを首都とする東ドイツ(東独)、即ちドイツ民主共和国の今後をどうするか、という問題だ。ドイツ人は結局、東西統一という道を選んだ。東ドイツが、それまでの西ドイツ(西独)、即ちドイツ連邦共和国の一部になる、という方式だった。

考えてみれば、これは大変なことではなかったか。一つの国が、戦争もなく平和裏に消滅したのだ。ドイツ民主共和国は1949年の建国以来、ソ連型の社会主義体制をとってきた。西側とはまったく違う政治がある。経済の様相も異なる。それが、なにはともあれ民意を反映させるかたちで解消された。こんな大事業が成し遂げられたのは、なぜなのだろう。国際政治の力学がそうさせたのか、ドイツ市民が理性的だったからか。

ともあれ30年後の今、あのドイツ統一はないほうがよかった、と思う人はそう多くないように見える。もちろん、歪みはさまざまなかたちで噴出している。それを差し引いても、あのタイミングであの体制転換を果たしたことは賢明だったのではないか。

で、今週は『ドイツ統一』(アンドレアス・レダー著、板橋拓己訳、岩波新書、2020年刊)。著者は1967年生まれのドイツの現代史家。略歴欄に現職はマインツ大学教授とあるが、訳者解説によると「中道保守のキリスト教民主同盟(CDU)の熱心な党員」であり、政治活動にも積極的だという。ドイツ統一の西側の牽引車はCDUを中心とするヘルムート・コール政権だったので、この本は、そのことを念頭に置いて読んだほうがよいだろう。

この本で、ああ、そんなことがあったなあ、と思いだされるのが、東独の人々が列をなして国境を越えようとしている映像だ。壁崩壊よりも前のこと、いきなり西独に入るのではない。同じ東欧圏の国を通って西側へ脱け出る人の流れが起こったのである。先駆けとなったのは、ハンガリールート。この国は1989年9月、中立国オーストリアとの国境を開放した。月末時点で、東独から来た3万人がオーストリア経由で西独に移り住んだという。

旧チェコスロヴァキアのプラハにも、ポーランドのワルシャワにも東独の人々が「難民」として押し寄せた。東独指導部は「難民のイメージ」が建国40年の式典に水を差すことを嫌って、プラハで「難民庇護」を求めていた自国民向けに東独経由西独行きの特別列車まで仕立てた。これには「出国者たちの身元を確認する機会を確保しよう」との思惑もあったが、「列車の通過は、指導部の降伏を国民の前にはっきりと示すことになった」。

実際、そのころ、ドイツ社会主義統一党(SED)が率いる東独指導部はガタガタだった。その体制崩壊の要因を、著者は三つ挙げる。ソ連がゴルバチョフ体制になったこと、党指導部が硬直化していたこと、そして、1989年に顕著になった「反対派運動の台頭」だ。

事実上の一党支配が続く東独に、どんな「反対派」がありえたのか。この本によれば、1980年代には、教会を核にして「平和、環境、人権を掲げるグループ」が生まれていた。壁崩壊の89年11月に並び立っていたのは、「新フォーラム」「民主主義をいま」「民主主義の出発」などの運動体。リーダーには、画家、映画監督、分子生物学者、物理学者や弁護士らがいた。文化人や知識人が東独体制の抑圧に対して声をあげたという色彩が強かったようだ。

ここで押さえておくべきは、反対派イコール統一志向派ではなかったことだ。著者は、新フォーラムについて「彼らのプライオリティは、改革され、独立した東ドイツに置かれていた」と指摘する。めざしていたのは「政治的な自由《と》経済的な自由に塗り潰されている西側のシステム」(《 》は傍点箇所)ではなかった。東西いずれの体制とも異なる「第三の道」――「改革された民主的な社会主義」だった、という。

ところが壁崩壊後、東独内には統一を渇望する世論が起こる。デモでは「再統一」の横断幕が見られるようになった。集会で発言者が「四〇年を経て、もはや社会主義の新たな変種を試みる気などない」という思いを語って、拍手が鳴りやまなかったこともある、という。その発言者は、工具職人だった。市井の人々のすぐそばに、同胞たちの成功物語に彩られた自由主義経済があり、反対派の主張がもはや心に響かなくなっていたのである。

反対派はSED改革派とともに「円卓会議」に参加して東独再生をめざすが、世論の西独志向は強まるばかりだった。「ドイツ・マルクが来るなら、われわれはとどまる。来ないならば、われわれがそちらに行く!」。デモでは、そんなスローガンも現れたという。

この状況に攻めの姿勢をとったのが、西独コール政権だ。コール首相は1989年11月、「連邦国家的秩序」を目標に置く10項目の計画を発表、翌90年2月には両独の「通貨同盟」も提案する。首相はそれを急いだ理由を、農民が雷を警戒して「刈り入れた干し草をしまい込もうとする」心理で説明したという。念頭にあったのは、ソ連の不安定な情勢らしい。ゴルバチョフ体制が崩れれば鉄のカーテンが再び下ろされかねない、というわけか。

同じ2月、東西ドイツと米ソ、英国、フランスの戦勝国が「2+4」という対話の枠組みをつくることが発表される。それぞれの国の思惑が絡みあう力学もこの本の読みどころなのだが、要約は難しい。ただ、統一にとって大きな阻害要因はなかったと言えそうだ。

この本で見えてくるのは、統一が東独の人々にもたらした副作用の深刻さである。東独は、市場経済が一気に流れ込んだことで就業構造が一変した。農業、製造業の分野で労働人口が激減、サービス業ではふえたが、全体としては厳しい雇用状況に直面した。1993年になって壁崩壊当時の職場に居残っていた人はわずか29%という。この現実は「一般的に転職がきわめて稀であった東ドイツの伝統に鑑みると、由々しき問題」だった。

著者によれば、統一前の東独にあった社会主義体制下の企業は、労働者にとって単なる職場ではなく、「社会的共同体の場」だった。そこは「生活形成の場」でもあり、「子供の養育や休暇や文化のための組織」が付随していた。それをもぎ取られる人々が大勢いたというわけだ。私はこのくだりを読んで、かつて日本の終身雇用型企業に、運動会などの社内行事や保養所などの福利厚生施設が一式揃っていたことを思いだした。

こうした苦難は当然、体制の崩壊に起因する。人々は「補助金を多く投入する計画経済的な福祉独裁」の「停滞」から「市場経済的で多元主義的な経済・社会システム」の「混沌」に放り込まれた、と著者はみる。東独の産業は「重工業的段階」にあったが、そこにいきなり「自由とリスク」や「マイクロエレクトロニクス時代の変化のダイナミズム」や「グローバル化」の波が押し寄せ、「二重の近代化」をせっついたのだ。

二つの国が一つになるのは並大抵のことではなかった。たとえば、交換レート。この本によれば、東独マルクは西側のドイツ・マルクに比べて圧倒的に弱かったが、東独側は1対1での切り替えを求めた。最終的には、賃金給与は1対1だが、ほかの場合はさまざまな条件によって1対1のことも2対1のこともあるという複雑な方式で折りあった。その副作用にもこの本は触れているが、なにはともあれ「力業」で妥協点に漕ぎ着いたのである。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年10月23日公開、通算545回
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5Gで2Hは変わるか

今週の書物/
『5G
――次世代移動通信規格の可能性』
森川博之著、岩波新書、2020年刊

スマホの向こう

2時間ミステリー(業界では2Hと呼ぶらしい)のことは、当欄の前身でも繰り返し話題にしてきた。マンネリのドラマによくつきあっていられるね、という揶揄も聞くが、マンネリのまったり感がよいのだ。いや、それだけではない。余得がいっぱいある。

2Hは最近、新作が少ないが、BS局やCS局で旧作再放映を観ることができる。その副産物として楽しめるのが、1980年代~2010年代へのタイムスリップだ。街の風景、人々の言葉遣い、身の回りの品々……どれも時代を映している。なかでも、それがいつかを教えてくれる最強の記号は電話だろう。拙稿「ミステリーで懐かしむ黒電話の時代」(「本読み by chance」2015年1月16日付)では、次のように時間軸をさかのぼった。

〈ざっくり色分けすれば、2010年代はスマートフォン、00年代なら折り畳み式携帯、それも最初のころはアンテナ付き、1990年代後半は畳めない細長携帯、それ以前は固定電話が優勢でプッシュフォン、1980年代半ばより前はダイヤル式も多かった〉

同様の時代区分はIT業界にもある。移動電話を第1世代(1G)から第4世代(4G)まで世代分けしている。1Gの起点を1980年代としているようだから、人々の実感よりも早い。新技術が市場に出回るまでには、それなりの時間がかかるということだろう。

2020年代の私たちを待ち受けているのが5Gだ。コロナ禍がこの流れに水を差すという見方はある。だが、それとは逆の見通しもある。今、感染症に対する防衛策として社会活動を遠隔方式に改める動きが一気に広まっている。この潮流は、コロナ禍が収まっても次なる新型感染症の脅威が残るから変わらないだろう。そう考えると、5Gはブームがいったん勢いを失うかもしれないが、コロナ後の社会で待望されていると言えよう。

で、今週は『5G――次世代移動通信規格の可能性』(森川博之著、岩波新書、2020年刊)。著者は1965年生まれ、もともと電子工学を専攻した東京大学大学院教授。内外の審議会、公的委員会で要職を務めるなど、情報社会の未来図を描いてきた人だ。この本の刊行日は4月17日。コロナ禍の影響を考察する余裕はなかったようなので、コロナ後に5Gがどんな役割を果たすかに思いをめぐらすのは、読者自身ということになる。

この本には、移動通信の各世代を私たちに引き寄せた記述もある。「1Gは電話、2Gはメール、3Gは写真、4Gは動画」というのだ。たしかに携帯電話を初めて手にしたころ、それは持ち運び自在の電話機にほかならなかった。折り畳み式が出回るころには、短文メールをやりとりしていた。カメラとしても使われるようになると、撮影即送信という早業を楽しんだ。「写メ」である。そして今、スマホ画面で動画を見るのは日常になった。

では、5Gはどんなものになるのか。著者によれば、それは「超高速」「低遅延」「多数同時接続」の三つを具えた通信になる。このうち「超高速」は目新しくはない。1~4Gの進化は「高速化」の軸に沿っており、5Gはそれを「延伸したもの」に過ぎないからだ。

注目すべきは、残り二つ。低遅延の目標は、情報をやりとりするときの遅れを1ミリ秒、即ち1000分の1秒に置く。多数同時接続では1キロ四方の域内に端末機器100万台をつなげるようにする。これらは、ただの量的な進化ととらえるべきではない。それによって質の異なる「サービス」が生まれることになる。具体的には機械の「遠隔制御」、クルマの「自動運転」、リモート方式の「手術支援」などが期待されている、という。

1~4Gでは、通信の恩恵を受ける側の中心に消費者がいた。それは、前述の電話→メール→写真→動画の足どりをみてもわかるだろう。世代が代わるごとに消費者世界のありようが変わってきた。ところが、5Gは「制御」「運転」「手術」の列挙でわかるように職業人にも大きな影響を与える。たとえば、工事現場で重機が無人操作され、小売店が無人の営業になれば、建設業界や流通業界の人々の働き方は一変するだろう。

このあたりのくだりを読んでいて気になるのは、業界内でしかわからない用語が乱造されていることだ。たとえば、“B2C”と“B2B”。前者は企業が消費者向けにサービスを提供すること(本書では“Business to Customer”、ただし“Business to Consumer”とする説もある)を指し、後者は企業間取引(“Business to Business”)を意味する。5GはB2Bの市場を広げるというのだが、これなどわざわざ略語にする必要があるのだろうか。

私がこの本の長所と思うのは、ハードウェアの記述が手厚いことだ。情報系の本というとソフトウェアの話で終わってしまいがちだが、この本は違う。コトの技術にもモノの技術が必須要件としてかかわっていることを見落とすな、と叱られているような感じにもなる。

著者は「通信機器市場やスマートフォン市場では、残念ながら日本企業は競争力を失ってしまった」としたうえで、「5Gを支える部品や計測装置では日本企業の存在感は高い」とうたいあげる。5Gではミリ波など周波数の高い電波を使うので、これまでの部品が通用しないことがある。ある決まった周波数域だけを選り分ける「フィルター」などを例に挙げ、それをミリ波対応にする技術では日本企業が優位に立っていることを強調している。

地味だなあ、という気はする。主戦場で負けたから周縁部で取り戻す、という負け惜しみのようにも聞こえる。だが、必ずしもそうではない。実際、ハードの技術革新は都市を様変わりさせる潜在力があるのだ。たとえば「窓の基地局化」。電波は高周波になるほど障害物を回り込みにくくなり、到達距離も縮まる。だから、5Gの基地局は密に配置しなくてはならない。その結果、ビルの窓にガラスのアンテナが据えつけられるかもしれないという。

ここで著者は「生態系」という言葉を用いて、こう問いかける。「5G市場の生態系は、今までの延長線上となるのか、それとも新たな生態系が生まれるのか」――5Gは、消費者の目からみると、クルマ事情や買い物街の風景、病院の様子などを激変させるだろう。だが、それだけではない。生産者の立場からみても、新しい製品開発の機会をもたらしてくれそうだ。人間社会の「生態系」全体が変わるのは間違いないように私には思える。

この本からは、5Gがモノの物理に制約されている現実も見てとれる。5Gは低遅延化で「1ミリ秒以下」をめざしているが、著者によれば、それは「『無線区間』のみ」の遅れだ。基地局とサーバー(サービス提供用コンピューター)は光回線のような有線で結ばれているが、その区間の遅れは計算に入っていない。太平洋を越えた遠隔手術にも有線の壁がある。海底ケーブル部分に「往復で100ミリ秒程度」の遅延が見込まれるから、という。

有線遅延の制約を克服する技術として紹介されているのが「エッジコンピューティング」。昨今の情報管理では、手もちのデータを「クラウド」(雲)と呼ぶサーバー群に預ける方法が広まっているが、それに逆行する新機軸だ。基地局のそば、端末のそばに「エッジサーバー」を設けて情報処理する、という。端末そのものにエッジの役割を付加することもあるらしい。遅延を縮められ、貴重なデータを手近に置けるから、一石二鳥かもしれない。

著者は、コンピューターの技術が「集中と分散」を繰り返しているという歴史観を示す。20世紀半ばまでさかのぼって跡づけると、汎用機→パソコン→クラウド→エッジの流れがこれに相当する。技術の進化が生態系の遷移のようにも思えてくるではないか。

最後に、ハード面の話で気がかりが一つ。5Gに割り当てられる電波には、これまで移動通信に使われてこなかった高周波が含まれる。電磁波としてみると、赤外光や可視光に近い波長域。だから大丈夫かな、と思う気持ちがある半面、なじみの薄い電波が急に身近なところを飛び交うようになることに不安もある。欧州などで5Gの健康影響に警戒論があるのも、そんな事情があるからだろう。後日、5Gのリスクについても1冊読んでみたい。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月3日公開、通算529回
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