ゴールディングの烽火は何か

今週の書物/
『蠅の王』
ウィリアム・ゴールディング著、平井正穂訳、新潮文庫、1975年文庫化

レンズ

孤島の少年たちの物語を今週も。長編小説『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング著、平井正穂訳、新潮文庫、1975年文庫化)。英国少年の一群が飛行機の遭難で取り残された場所は、太平洋の無人島だった。そこに一つの社会が生まれて……という話だ。

先週は、ほら貝の話をした。その殻は、主人公ラーフが礁湖の底から拾いあげたものだ。ラーフは相棒のピギーにそそのかされて、それに息を吹き込む。深い響きに誘われて、島のあちこちに散っていた少年たちが集まってくる。「集会」が召集されたのだ。社会の原風景と言ってよいだろう。彼らは指導者を決めることから始めるが、ほら貝によってみんなを呼び寄せたラーフが選ばれる。ほら貝は何か? 民主主義の象徴らしいと書いた。

今週は、烽火の話をしよう。ラーフは、さすが指導者らしく、少年たちの未来を構想していた。島の山頂に火をおこして烽火をあげるのだ。沖合を通る船がそれを見つければ、遭難信号のSOSと受けとめて救助に来てくれるだろう。自分たちが置かれた状況を冷静に考え抜いた末の現実的な方針だ。私は先週、話のまくらで英国人には〈火事場の馬鹿力〉があると書いたが、ここには緊急時の〈馬鹿力〉ならぬ理性力が見てとれる。

ただ、烽火をあげるのも簡単ではない。最大の問題は着火だ。マッチはない。少年たちが目をつけたのがピギーの眼鏡だ。それで集光して火をつける。ここで気になるのは、近視用の凹レンズでは光が集まらないことだ。ピギーは遠視かなにかで凸レンズを使っていたのか。だが、そのことに言及はない。著者はオックスフォード大学で理系学生だったこともあるというのに……そんなところにこだわらないのは、この小説の寓話性ゆえだろう。

ともかくも火はついた。次にラーフは、「烽火の番」を決めることを提案する。火を絶やしたら、そのときに船が通り過ぎて救助の機会を逸するおそれがあるからだ。この任務を引き受けようと手を挙げたのが、合唱隊のリーダー格で今は狩猟隊を率いるジャックだ。自分の仲間を班分けして、今週は「アルト組」、来週は「ソプラノ組」(少年たちの合唱隊だから声域が「アルト」「ソプラノ」なのだ)というように輪番で火を見守る、と申し出る。

この時点で、ラーフの指導体制は安定していた。彼が「ほら貝のある所」を集会場とみなすという規則を提案すると、ジャックをはじめ少年たちもそれに賛成した。こうして法治のしくみが整っていく。「ほら貝」は、ここでも民主主義を示す一つの記号だった。

だが、ほら貝民主主義にもほころびが見えてくる。ある日、ラーフが水平線に煙を見つけたときのことだ。それは、船舶が通過中であることのしるしだ。ところがこのとき、山上に烽火が見えないではないか。山に登ると、やはり火も煙もなかった。見張り役もいない。千載一遇の好機を逃したのだ。ラーフは沖へ目をやり、遠ざかる船に向かって「引っ返すんだ!」と叫んだ。はらわたが煮えくり返る思いで「畜生!」と悪言も吐いた。

やがて、狩猟隊の面々が下から登ってくる。「豚ヲ殺セ。喉ヲ切レ。血ヲ絞レ」と歌っている。棒を担いで豚1頭を吊りさげている隊員たちの姿も見える。ジャックは山頂に登り切ると、ラーフに向かって「どうだい! 豚をしとめたんだぞ」と自慢する。ラーフから「きみたち、火を消してたじゃないか」となじられても、狩りの成功に酔いしれている。「血がどくどく流れちゃってさ」「あの血をきみに見せたかったよ!」と動じない。

「船が沖を通ったのだぞ」。ラーフは彼方の水平線を指差して言う。そのひとことは、ジャックをもひるませた。このとき山頂にはピギーも来ていて、ジャック批判に加勢する。「きみはなんだといえば、すぐ血のことばかりいうじゃないか」「ぼくたちは、イギリスに帰れたかもしれないんだぞ――」。救いの手につかまりそこなった現実は、狩猟隊の少年たちにも動揺を与える。ジャックは、最後には謝罪の言葉を口にすることになる。

この山上の一幕は、ほら貝民主主義の社会が二派に分裂したことを見せつける。一方は、「烽火」という唯一の通信手段に希望を託して一刻も早く母国の土を踏もうと考えるラーフ・ピギー派。他方は、「狩猟」という当座の悦楽に浸ろうとするジャック派。前者は、いわば理性派。自分たちは近代社会の一員であるという強い自覚が感じられる。後者は野性派か。「すぐ血のことばかりいう」性向は原始生活への回帰を思わせる。

そのあたりの寓意を、著者は巧妙に私たちに伝えてくれる。理性を象徴するものは、ピギーの眼鏡。山上のにらみ合いで、ジャックはピギーをひっぱたき、眼鏡が吹っ飛んで片方のレンズが割れてしまう。それによって、烽火の着火は「わずかに残った一枚のレンズ」が頼みの綱ということになった。一方、野性の象徴は、狩猟隊のいでたちだ。狩りを終えてから山上に現れた彼らは「ほとんどみな素っ裸」で、ジャックは顔一面に粘土を塗っていた。

この寓意から私たちが連想することは多い。たとえば「烽火」は、地球温暖化を抑えようという機運にたとえてもよいだろう。これに対しては、化石燃料の恩恵を手放したくないという人々がいて、その一群を「狩猟」の快楽に走る一派になぞらえることもできる。

「狩猟」の一派が戦果を見せびらかせて悦に入る様子は、世界から戦争がなくならない状況を暗示しているのかもしれない。「烽火」がレンズ1枚に頼ることになる筋書きは、賢明な問題解決策でさえ危うさがつきものであることを示唆しているようにも思える。

ゴールディンの島は、どこかの列島であっても決しておかしくない。私たちの社会にも理性と野性が併存する。私たちの心にもラーフやピギーやジャックが棲みついている。
*引用中のルビは原則として外しました。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年4月2日公開、通算568回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

ゴールディングのほら貝は何か

今週の書物/
『蠅の王』
ウィリアム・ゴールディング著、平井正穂訳、新潮文庫、1975年文庫化

太平洋

〈火事場の馬鹿力〉という言葉がある。火の手があがったとき、火元近くに住む人が、ふだんなら到底もちあげられない家財道具一式を家から運びだす――そんなイメージか。人間には、火急のときにだけ湧きあがる潜在力があることを言い表している。

だれが、いつごろから言いだしたのか。日本家屋はたいていが木造なので、どの町でも大火が繰り返されてきた。だからたぶん、日本起源なのだろう(確信はないので、間違っていたらご教示を)。ただあるときから、これは外来のことわざであってもおかしくないと思うようになった。30年近く前のことだが、英国で暮らしていたとき、英国人こそ火事場で日本人の幾倍ものパワーを発揮してみせる人たちだ、と実感したのである。

たとえば、こんなことがあった。日本政界の要人が英国にやって来たときの話だ。お忍びの気配があり、訪英の理由がはっきりしない。私がいた新聞社では、駐ロンドンのヨーロッパ総局員が総がかりで要人の動静をうかがうことになった。これには科学記者の私も駆りだされ、終日、ある建物の前に張りついたことを覚えている。このときに〈馬鹿力〉を見せつけたのが、日ごろは私たちの仕事を陰で支えてくれている現地スタッフの青年だった。

英国の名門大学出身で、ジャーナリスト志望。朗らかな性格だが、知識人としての矜持もある。私たちの仕事ぶりを冷静に見つめていて、夕暮れどきのパブ談議などでは辛辣な批評を口にすることもあった。だから、相手が要人とはいえパパラッチまがいの追跡取材には皮肉の一つも言うのではないか、と私は思った。ところが総力戦当日の朝、彼は自前のオートバイにまたがって現れ、終日、ロンドン市街を東へ西へと走り回ったのだ。

英国人は、ここぞというときに頑張る――。最近も私たちは、そのことを目の当たりにした。新型コロナウイルス感染症に対するワクチン開発だ。去年、オックスフォード大学と製薬大手アストラゼネカのグループが秋の実用化をめざしている、という報道が流れたとき、半信半疑の人は多かっただろう。実際、そこまでは速くなかった。とはいえ、今年初めには接種に漕ぎつけたのだ。ここにも〈火事場の馬鹿力〉があったと言ってよい。

で、今週は、そんな英国の精神風土を感じさせてくれる長編小説『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング著、平井正穂訳、新潮文庫、1975年文庫化)。著者(1911~1993)は英国の作家。1954年にこの作品で文学界に躍り出て、1983年にはノーベル文学賞を受けている。略歴欄によると、オックスフォード大学を出て演劇の道に入ったが、その後、海軍の軍人となり、ノルマンディー上陸作戦にも加わった。戦後は教師生活も経験したという。

私は、この文豪と奇縁がある。1993年6月、彼がイングランド南西部の自宅で死体となって見つかったというニュースを東京へ送稿しているのだ。この時点で心臓発作が原因らしいとわかっていたから、事件性はなかった。拙稿は死去の第1報を伝える短信だったので、それに東京の文芸記者が注解を添えてくれた。この作品にも言及していて「寓意(ぐうい)性に富む独特の作風で注目を集めた」とある(朝日新聞1993年6月21日朝刊)。

では、『蠅の…』は寓話なのか。これは、即答が難しい。辞書類によれば、寓話ではふつう、動物たちが人間のように振る舞ったり、ものを考えたりする。擬人化の一点で、すでにリアリズムを離脱している。ところが、この小説の主人公は正真正銘の人間だ。筋書きも、ほんとにあった出来事だと言われたら半信半疑になる程度には現実感がある。だが一方で、私たちの世界に対する遠回しの批判、すなわち風刺として読めるのだ。

冒頭の一文はこうだ。「金髪をしたその少年は、身をかがめるようにして、岩壁の一番下の数フィートの所を下りてゆき、それから礁湖の方角へとぼとぼ歩きかけていた」(ルビや注は省く、以下も)。「金髪」なのだから、少年は欧米系なのだろう。「礁湖」とあるから、彼がいるのは珊瑚礁に囲まれた南の島か?――読み進んでいくと、どうやら英国の少年たちが集団で太平洋の無人島に取り残されたのだとわかってくる。

少年たちの会話から、何が起こったかを推察してみよう。「これは島なんだ」「海の中にあるあれ、きっと珊瑚礁だぜ」→どうやら、海から上陸したのではないらしい。「ぼくたちを降下させてから、あの操縦士はどっかへ飛んでいったんだよ」→そうか、空からやってきたのか。「ぼくたちの飛行機が落ちかかったとき」機体の一部から「火が吹いていたよ」→搭乗機が遭難したのは間違いなさそうだ。だが、周りに胴体の残骸はない。

英国の少年が大挙して太平洋の空路を飛ぶ。戦時の避難行動ではあるらしいのだが、詳しい説明はない。しかも、その飛行機は火だるまになり、孤島で搭乗者を脱出させて姿を消す――そんなことが現実にあるだろうか。寓意の匂いは、ここらあたりからも漂う。いや、著者が意図して漂わせたのかもしれない。ありそうにないが、ありえなくもない状況をあえてつくり出して、そこに人間を置いたのだ。それも、自我が露わになりやすい少年たちを。

寓意を成り立たせるためか、この小説は設定が簡素化されている。一つには、生存の最低条件がそろっていることだ。渇きには小川の淡水がある。飢えに対して南国の果実もある。だから、少年たちの間に生きるか死ぬかの生存競争はない。もう一つ、女子が一人もいないことも見落とせない。思春期の前であっても、男女が入り交じれば淡い恋心の一つや二つは芽生えるだろう。だが、そんな話が差し挟まる余地は完全に排除されている。

この作品から私たちが感知できるのは、社会はどのように生まれ、どのように壊れていくのかということだ。少年たちは俗世間に揉まれていないから、白紙の状態から社会を築きはじめる。それは、原始人が群れることに似ている。だが、群れにいざこざはつきものだ。団結は綻び、ときに分裂する。そのありさまが、限界状況に直面する少年たちの姿を通して遠慮会釈なく描かれるのだ。それは、読み手に一つの思考実験を提供してくれる。

小説なので、筋立てに深入りはしない。少年のうち、3人だけを紹介しておこう。主人公はラーフ、12歳。「ボクサーにでもなれそう」な体格だが、顔つきには「ある種の柔和さ」がある。父が海軍軍人ということもあって、泳ぎはうまい。相棒は「ピギー」(豚ちゃん)と呼ばれる聡明な少年。肥満気味で眼鏡をかけていて、喘息の持病がある。敵役はジャック。遭難機に団体で乗っていた少年合唱隊のヘッド・ボーイ(首席隊員)である。

少年たちが初めて集うくだりが印象的だ。ラーフが礁湖の底から巻き貝を拾いあげる。濃いクリーム色に淡い紅色が入り交じった色合い、螺旋のねじれがある。「これを吹いてみんな集めたら?」。ピギーにそそのかされて、ラーフは殻に息を吹き込む。最初はまともな音が出なかったが、やがて「深い、つんざくような響き」が一帯に広がる。その音に誘われて、あちこちから少年たちが集まってくる。こうして「集会」が召集されたのである。

その集会では、ジャックが「どうやったら救助されるか」を話しあおう、と呼びかける。ラーフは、そのまえに指導者となる隊長を決めよう、と提案する。すると、ジャックは合唱隊首席の自分が隊長になる、と名乗り出る。早くも主導権争いの兆候が見てとれる。

隊長は結局、選挙で決めることになる。ジャックは「指導者らしい指導者」になりそうだった。ピギーにも「聡明さ」という強みがあった。だが、「一般の大勢は、漠としてただ隊長を選びたいという希望から、ラーフという特定の個人を拍手喝采とともに選ぼうとする方向へ変っていった」。こうして合唱隊員以外の全員が挙手して、ラーフが選ばれる。群れはカリスマを求めるということだろう。ではなぜ、ラーフがカリスマになりえたのか?

ラーフは、少年たちにとって「ほら貝を吹いた存在」であり、ほら貝を抱えて「みんなのくるのを待っていた存在」だ。そのことで、ほかのだれと比べても「別格」だった。ここで著者は、ほら貝に特別な意味を与えている。ほら貝が暗示するものは、古代ならば祭祀の神器だろう。近代に入ってからは、社会主義などのイデオロギーがその役目を果たしたこともある。今ならば、ネット受けするポピュリスト的な振る舞いかもしれない。

著者がこの物語でほら貝に映し込もうとしたものは、神器ともイデオロギーともポピュリズムとも違うようだ。ラーフは少年たちに対して、集会の議事運営で一つのことを求める。発言権はほら貝をもっている子にある、という決まりだ。「ぼくの次に話をする子に、このほら貝をわたす」「話している間、その子はそれをもってりゃいい」――だれにも意見表明の権利がある。ほら貝は議会制民主主義の象徴であり、ラーフはその体現者なのか。

こうして島では、ほら貝民主主義と呼べる理性的な社会が始まったかに見える。だが、その前途には深淵が口を開けていた。今回は紙幅が尽きたので、次回もう一度、この本を。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年3月26日公開、同月28日最終更新、通算567回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

3・11の内省、10年後の紙面

今週の書物/
『朝日新聞』
2021
年3月11日発行朝刊(東京本社最終版)

午後2時46分

あれは、ひと昔も前のことだったのだ。きのうは終日、そんな思いに耽った。東日本大震災と、それが引きがねとなった東京電力福島第一原発事故。あの3・11から10年――。

節目と言ってしまえば、それまでだ。だが、この10周年はふつうの10周年とは違う。大震災からの復興と大事故の後始末の道程で、一つの里程標になるだけではない。その日を、あの大震災や大事故に匹敵するほどの疫病禍のなかで迎えたのである。

新型コロナウイルスの感染禍は10年前の災厄と重なる部分がある。

大津波が押し寄せたとき、人々はひたすら高台に逃げるしかなかった。今回のコロナ禍では、人々がウイルスとの接触を避けるため、距離を置き、マスクをつけ、手を洗うばかりだ。自然界の脅威をかわすのに人間はほとんど丸腰でいる、という一点で両者は共通する。

原発事故の放射能もコロナ禍の病原体も、目に見えない。放射線は微量でも長く浴びれば健康被害が心配されるが、それがどれほどかははっきりしない。コロナ禍は無症状の感染者も媒介役となるので、感染経路を見定めるのが難しい。ともにリスクが不透明だ。

こう見てくると、3・11の10周年は、私たちにとって内省の契機となる。人間と自然、あるいは人間と技術の関係を考え直す格好の機会である。で、今週は、きのう届いた新聞を熟読することにしよう。手にとったのは、朝日新聞2021年3月11日付朝刊である。

ことわっておくと、当欄は今回、先週の書物『不思議な国の原子力――日本の現状』(河合武著、角川新書、1961年刊)を続けてとりあげるつもりだった。書きとめておきたいことがまだあるからだ。だが、公開日が3・11から10年の翌日になるというめぐりあわせに動かされて、急遽予定を変更した。3・11紙面となれば、現役記者たちはジャーナリスト精神を高ぶらせて取材執筆しているのだろう。それに敬意を表したいと思ったのだ。

まずは、新聞の顔とも言える第1面から。予想の通り、「東日本大震災10年」の大見出しを縦に置き、震災関連の記事で全面を埋め尽した。写真は、福島県内の被災地の男性が朝焼けの海に向かって両腕を広げている後ろ姿。記事本文は統計に重きを置き、避難生活を送る人が全国に今もなお4万余人いることや、被災地の人口が10年間で揺れ動いたことを強調している。意外なのは、原発事故に的を絞った記事がこのページになかったことだ。

実際、この日の朝日新聞はニュース面に限れば、津波被災に焦点を当てたつくりになっている。第2面は1面を受けて「縮む沿岸部 膨らむ仙台」という長文の記事を載せ、人口変動に伴う地域ごとの盛衰を虫の目で浮かびあがらせた。

記者が取材したのは、三陸沿岸の宮城県気仙沼、岩手県釜石と中核都市の仙台。たとえば、気仙沼の今はどうか。市の人口は震災前の約17%減。20~30代の女性が震災後の5年で4分の1減ったという数字もある。「縮む」現実だ。だが、新しい息吹もある。被災地支援の活動などを通じて地元に根づいた県外出身者だ。市の半島部にはシェアハウスがあり、そこには関西や北陸、中国地方からやって来た20代の女性たちが暮らしている。

それと対照的なのは、「膨らむ仙台」の現実だ。仙台駅周辺では再開発の計画が復興景気で加速され、「タワーマンションの建設ラッシュとなり、大型商業施設も次々オープンした」。そのタワマン群の谷間に災害公営住宅もある。日の当たらない3階には、石巻の自宅を津波で失った高齢女性が入居している。「安住の地と思ったんだが……」。被災からの「復興」が産み落としたミニ一極集中だ。皮肉なことにそれは、被災の当事者にあまりに冷たい。

ページを繰って最終ページのひとつ手前、第一社会面を見てみよう。これも、この日は通常のニュースを外して震災一色になっている。大半を占めるのが、岩手県の北上に住む母(43)と娘(13)の話だ。あの日、津波は母の実家がある県沿岸部の陸前高田も襲った。実家に電話をかけるが、つながらない。母は、3歳の娘とその弟を連れて車で駆けつけようとするが、ガソリンが足りない。「信号は消え、ガソリンスタンドも閉まっていた」

親子は結局、引き返した。陸前高田では、母の母親(当時59)――娘の祖母――が生命を落とし、母の祖父(93)――娘の曽祖父――の行方もわからなくなっていた。悲しい体験だ。この記事には車中での親子の会話が載っていて、それが胸を打つ。
母「高田のばあちゃんたち心配なんだよね」
娘「おばあちゃんを助けにいこう」

母は今も、娘の言った「助けにいこう」のひとことが忘れられない。「あの日行くことは出来なかったが、気持ちが重なり娘が味方になってくれたと思うと、心が和らいだ」――。この記事は、ふつうならば新聞に登場しないような市井の家族を描いている。ただ、思い返せばあの日、私たち日本列島に住む人々の多くが肉親の安否に気を揉んだのだ。「心配なんだよね」「助けにいこう」のやりとりは、その記憶を否応なく蘇らせる。

原発については、ニュース面ではなく、新聞の内側に収められたページに紡ぐべき言葉を見いだした。オピニオン面では、東北学で有名な民俗学者の赤坂憲雄さんが大型インタビューに答えている。私が同感するのは「福島第一原発が爆発する光景は、戦後の東北が東京に電気やエネルギー、安い労働力を供出してきたことをむき出しにしました」という受けとめ方だ。それは、東北が背負う「植民地」的な歴史の戦後版だという。

赤坂さんが、福島を自然エネルギー(再生可能エネルギー)の「特区」にしようと主張する理由も、この見方に立脚する。「原発に象徴される中央集権型システムが震災で壁にぶつかったのだから、地域分権的な社会を目指すべきだ」「自然から贈与されたエネルギーが地域の自治・自立に役立つ。それが再エネに魅(ひ)かれた理由でした」。ただ今は、再エネ計画も「メガの発想にとらわれ」、集権システムに取り込まれている現実があるという。

赤坂インタビューには、私が3・11から10年の紙面でもっとも読みたかった見解がちりばめられていた。同様のことは科学面の大型インタビューについても言える。こちらは、地震学者石橋克彦さんの話をたっぷり聞いている。石橋さんは、地震が原発事故を呼び起こし、複合災害となる「原発震災」の怖さを1990年代から警告してきた人だ。ただ今回は話題を原発にとどめず、コロナ禍やリニア中央新幹線にまで広げている。そこがいい。

コロナ禍では、食料自給率が低さや成長戦略の観光頼みなどの「危うさ」が露呈したとして「県単位くらいで食料やエネルギーを基本的に自給できるような、分散型の社会」への移行を訴える。リニア中央新幹線は、南海トラフ巨大地震と無縁でないとして「トンネルの内部が損壊したり、出口で斜面崩壊が生じて列車が埋没したりするおそれ」を指摘する。リニア計画と原子力を並べて「両方とも国策民営で、きちんと批判する専門家が少ない」とも。

赤坂さんも石橋さんも自らの識見をもとに、世の中を分権型社会へ、分散型社会へ変えていこうという方向性を提言している。私がちょっと残念に思うのは、そういう大きな絵が朝日新聞自身の報道からはあまり見えなかったことだ。中核都市と沿岸部の間に見いだされたミニ一極集中の歪みは、いまだ原発によるエネルギー大量生産のシステムから脱けだせないでいる日本社会の縮図ではないのか――そんな問いかけがあってもよかった。

個人的な思いを披瀝すれば、私は10年前、現役記者として朝日新聞の原発ゼロ社説をまとめる作業にかかわった。朝日新聞は戦後長く、原子力利用推進の旗を振っていた。旧ソ連チェルノブイリ原発事故のころから原発抑制論を打ちだすようになってはいたが、それでは不十分で全面廃止しなくてはならない、と明言したのだ。社説は、過去の社論の反省を含むものとなった。あの決意を再確認する記事を、今回紙面のどこかで読みたかった(*)。

最後にもう一度第1面に戻り、コラム「天声人語」を。そこには「いまこの地震列島で命をつないでいるのは、おそらく何かの偶然」と書かれている。確率論の世界を生きる覚悟だろうか。奇しくも現在、私たちはコロナ禍のさなかで似たような心理状態にある。
*朝日新聞は翌3月12日付で「原発ゼロ社会」に向け、文字通り「決意を再確認」する社説を載せた。12日付紙面はニュース面でも原発事故をとりあげ、第1~2面で福島県の現状を伝えている(東京本社最終版)。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年3月12日公開、翌13日更新、通算565回
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今夜もスマホに手が伸びる

今週の書物/
『スマホ脳』
アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳、新潮新書、2020年刊

ちっぽけな板切れ

「スマホ」という言葉がすっかり日本語になったことに驚く。『広辞苑』(岩波書店)にも載っているというから完全に根づいたと言ってよいだろう。私にとって意外なのは、スマートフォンが「スマフォ」ではなく「スマホ」と略されて受け入れられたことである。

外来語の表記はこの数十年、原語原音志向が強まっていた。米国の先住民族「ネーティブ・アメリカン」が「ネイティブ・アメリカン」になる。画布「カンバス」は「カンヴァス」に……その伝でいけば、当世風端末スマートフォンの略語は「スマフォ」がふさわしい。

ではなぜ、「スマホ」で定着したのか? 私の仮説はこうだ。たぶん、日本語を母語とする人の脳には「フォ」音を嫌い、「ホ」音を好む性向がある。「フォ」ではなく「ホ」と発声するほうが楽ちんで省エネ、という回路が組み込まれているのだろう。それは、「フォ」がおしゃれでインテリ風に聞こえそうだ、という世俗的な思惑より根深い。今回は「フォ」の思惑がはたらくよりも早く、この回路が決着をつけてしまったのだ――。

これは、スマホそのものの普及がとてつもなく速かったことも反映している。たしかに、2010年ごろを境に電車の車内風景は一変した。向かい側の座席を眺めていると、スマホの画面を見つめて指先を動かしている人が過半数ということが多い。昭和期、通勤電車のサラリーマンがそろって経済紙やスポーツ紙に目を走らせていた光景が思いだされるが、それよりもはるかに幅広い層の心をわしづかみにしているのが昨今のスマホである。

私の世代にとって不思議なのは、なぜ、こんなものが広まったのか、ということだ。私たちは若いころ、活字文化はやがて廃れ、映像と音響の時代がやって来る、と信じ込んでいた。それなのに自分は新聞社に就職したわけだから、最初から負けを覚悟していたことになる。そのとき勝ち組に想定していたのはテレビだった。ところが今、勝者の座を占めそうなのは大画面のテレビではなく、手のひらに載るちっぽけな板切れだ。

思うに、それは使い手の指先を乗っ取る。映像と音響を受けとるだけならテレビがあればよい。持ち運べるというのであれば、目や耳の近くに装着するウェアラブル端末のほうが便利だろう。それなのに手持ちの板きれが広まった理由は、指でポンポンとタップできるからだ。その結果、使い手はツイートであれ、ゲームであれ、アクションを起こせるようになった。受動だけでなく能動の欲求も満たしてくれる点にスマホの強みがある。

で、今週の1冊は『スマホ脳』(アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳、新潮新書、2020年刊)。著者は、スウェーデンの精神科医。ベストセラーの著作もある。1974年生まれというから、10代のころにはまだネット社会が広がっていなかった。

原著は2019年に刊行された。ただ、邦訳には2020年4月の日付で「コロナに寄せて」と題する「新しいまえがき」が収められている。そこで著者は「人間の脳はデジタル社会に適応していない」と強調しつつ、今、スマホが「外界とのライフラインになった」事実を指摘する。それは、新型コロナウイルス感染症の蔓延状況を刻々と伝えて私たちの心をざわつかせる一方、テレワークや家族・友人とのやりとりで私たちを支えてくれてもいる。

コロナ禍は、私たちがスマホを手放せずにいる状況を見せつけた。だが、この本は、スマホが人間に適合していないことを忘れるな、という警告に満ちている。本の刊行とコロナ禍が重なって、はからずもIT(情報技術)がはらむ矛盾が浮かびあがったことになる。

脳がスマホに不適応という話を、著者は人類史から説き起こす。本書第1章の冒頭には、ただの点「・」を100×100=1万個も並べた見開き2ページがある。これらの点の連なりが現生人類の歴史20万年を表すとみたとき、「・」1個は20年間に相当する。そのうえで、人類が「スマホ、フェイスブック、インターネットがあって当たり前の世界」にいる期間は「・」1個という。「・」3個余を生きてきた私も納得するたとえだ。

著者によれば、現生人類史1万個の点のうち9500個分は、人類が「狩猟採集民として生きてきた」。ところが、最後の数百個分で文明が興り、周りの環境がガラッと変わったのだ。狩猟採集時代が終わってからの時間は「進化の見地から見れば一瞬のようなもの」であり、人類の進化はそれを反映していない。人間は「今生きている時代には合っていない」のだ。今もなお、狩りをしたり、木の実を採ったりする仕様になっているらしい。

これは、「・」3個前にも言えたはずだ。私たちは60年前、書物から情報を仕入れ、ペンでものを書いていたが、あれだって狩猟採集民仕様には合わなかった。だが、そのズレは、あのころと今とでずいぶん違っている。私がこの本から受けた印象では、現代人の脳に残る狩猟採集民仕様は、書物・ペンの時代には過去の遺物に過ぎなかったが、スマホ時代になってむしろ再活性化したように思える。あたかも、水を得た魚のように……。

ここで、私が気づいたこの本の長所と短所を挙げておこう。長所は、著者の専門分野を中心に多彩なデータがちりばめられていることだ。短所は、出どころがわからないデータもあること。私たちがスマホを手にとる頻度が「10分に一度」というのは、その一つである。ただ、「朝起きてまずやるのは、スマホに手を伸ばすこと」「1日の最後にやるのはスマホをベッド脇のテーブルに置くこと」という記述には納得する。私自身もそれに近いからだ。

で、本稿では、私たちがなぜ、ついついスマホに手を伸ばしてしまうのか、という謎に注目する。著者は、これを狩猟採集民仕様の脳で説明している。どんな空模様だと危険な猛獣に遭遇しやすいか、どんな場面で獲物となる獣の注意力が鈍るか。そんな知識があれば生き延びるのに有利だ。だから、人間には「新しい情報を探そうとする本能」が具わった。それが向かう先が、今はスマホなどのIT端末になった――というわけだ。

著者の解説によれば、「新しい情報」、すなわち「新しい場所」「新しい人」「新しいこと」をめざす欲求をつかさどるのが脳内のドーパミン。目新しさに「反応して」つくられる物質だ。それが、自分自身に「さあ、これに集中しろ」と働きかけるのだという。こうして人間は行動を起こし、その結果、心が満たされる。このときに満足感をもたらす物質がエンドルフィンだ。スマホは、このしくみにぴったり嵌る存在と言ってよいだろう。

興味深い知見がある。このドーパミンのしくみは、欲求の対象そのものよりも、その対象への「期待」に強く反応することが実験研究でわかった、というのだ。なにかをもらえることが確実視されるときよりも、不確実なときのほうがドーパミンの放出量がふえることになる。「報酬を得られるかどうかわからなくても、私たちは探し続ける」のだ。そんな行動様式が「食料不足の世界に生きた祖先」にとって都合がよかった、と著者はみる。

現代を生きる私たちも、この「人間に組み込まれた不確かな結果への偏愛」をしっかり受け継いでいる。著者が典型例として挙げるのが、ギャンブル依存症。いったん賭けを始めたらそこから抜けられなくなるのも、不確実ゆえの「期待」があるからだ。

「期待」はスマホによっても生まれる。「着信音が聞こえたとき」は「実際にメールやチャットを読んでいるとき」よりドーパミン放出量が多いという。「大事な連絡かもしれない」と反応するのだ。着信音がなくても似たようなことが言える。SNSを使っている人ならば投稿後、「『いいね』がついていないか」という思いから逃れられず、それを確かめようとするだろう、というのだ。こうして私たちの手はスマホのほうへ伸びていく――。

著者は「人間の脳はデジタル社会に適応していない」と言いながら、結局は脳がスマホに弄ばれている現実をあばき出す。ここで話を整理すれば、近現代人の理性的な脳はスマホとそりが合わないが、内面に潜む狩猟採集民の脳はそれと相性が良いということだ。

テクノロジーの最先端が私たちの内なる原始人に寄生する。そんな時代が到来したのだ。変異した原始人に乗っ取られないようにしなければ……スマホを手に、そう自戒する。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年2月26日公開、同年3月2日更新、通算563回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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新実存をもういっぺん吟味する

今週の書物/
『新実存主義』
マルクス・ガブリエル著、廣瀬覚訳、岩波新書、2020年刊

自転車

今週は、いつもと異なる趣向で。先日、当欄でジャン-ポール・サルトルの『実存主義とは何か――実存主義はヒューマニズムである』(伊吹武彦訳、人文書院「サルトル全集第十三巻」、1955年刊)をとりあげたとき、その2回目「サルトル的実存の科学観」(2021年2月5日付)に虫さんからコメントをいただいた。「総論賛成、各論反対」「『新実存主義』は私も読みましたが、あの主張が実存主義の進化形とは思えませんでした」というのである。

『新実存主義』は、私が去年春、当欄前身の「本読み by chance」最終回で読んだ本だ(2020年3月27日付「なぜ今、実存主義アゲインなのか」)。ドイツ気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルが学究仲間との対話形式で論陣を張った書物である。前述の拙稿「…実存の科学観」では、この1年前の読書体験を呼び起こして実存主義の変遷に言及したのだが、その変わり方を過大に評価したということか。気になって改めて『新実存…』を開いてみた。

まずは、その再読で大失態に気づいた。拙稿「…実存の科学観」で「あの本では、情報科学の神経回路網(ニューラルネットワーク)や人工知能(AI)などが中心的な論題となっていた」と書いたのだが、これは記憶違いによる誤り。ガブリエルはこの本で科学の話題を積極的にとりあげているが、情報科学やAIには踏み込んでいない。ただ、脳の神経回路については論じていた。ということで拙稿を本日付で更新、記述を改める。お詫びします。

で今回、当欄で考えてみようと思うのは、科学の視点でみたときにサルトルの旧実存主義(サルトルには失礼だが、当欄では仮に「旧」と呼ぶ)とガブリエルの新実存主義のどこが違うか、ということだ。その一つは、物質世界をどうとらえるか、である。

新旧の実存主義は、どちらも唯物論にノーを突きつける。だが、その言説には違いがある。「旧」は素朴で牧歌的だ。サルトルによれば、実存主義は「人間を物体視しない」。それのみならず、「人間界を、物質界とは区別された諸価値の全体として構成しよう」との思惑もある。その根底には、絶対的な真理としてルネ・デカルトの命題「われ考う、故にわれあり」が据えられていた。(当欄2021年1月29日付「実存の年頃にサルトルを再訪する」)

これに対して、「新」の唯物論批判は具体論に立ち入って組み立てられる。軸となるのは、心と脳の関係をどうとらえるか、という問いだ。そこには、唯物論者に歩み寄ったようにも見える記述が出てくる。たとえば、「非物質的な魂などありはしない」「私が死後も生き続けることはありえない」……。ちなみにここで「非物質的な魂」とは、物質やエネルギーの関与なしに自然界の因果関係に影響を与える「作用因」だという。

ガブリエルは、心脳関係をサイクリングと自転車のかかわり方にたとえる。「自転車は、サイクリングのために必要な物質的条件である」。言い換えれば、物質世界に自転車がなければサイクリングはできない。それと同様に、脳は心の必要条件であり、物質世界に脳がなければ心は成り立たないというのである。ここでは、サルトルの「人間界を、物質界とは区別された諸価値の全体として構成しよう」という野心が失われているように思われる。

ただ、ガブリエルは決して唯物論に転向したわけではない。このたとえ話で念を押されるのは、「自転車はサイクリングの原因ではない」「自転車はサイクリングと同一ではない」ということだ。新実存主義では、「人間の心的活動に必要な条件の一部」が「自然の過程」すなわち物質世界の出来事と言えるに過ぎない。必要条件は、ほかにいくつもある。それらが「組み合わさって十分条件が整う」――こうして心が成立するというのだ。

1年前の「本読み by chance」で書いたように、ガブリエルは脳の「神経回路」を「洗練した心的語彙に対応する自然種と同一視すること」(「自然種」は「自然界の事物」といった意味)を批判しているが、これも同様の視点から言い得ることなのだろう。

どうしても知りたくなるのが、ガブリエルが心の必要条件として脳以外に何を想定しているのか、ということだ。今回の再読で私は答えを探したが、わかりやすい説明は見つからなかった。ただ、物質世界に対応物を見いだせないものの一つが「何千年ものあいだ志向的スタンスで記述されてきた現象」という指摘はヒントになる。人間は過去に歴史を背負う存在、未来になにごとかをめざす存在である――そんなことを示唆しているように思う。

新実存主義は、実在を「ひとつのもの」とも「心的なものと物質的なもののふたつ」ともみない。それを「たがいに還元不可能な多様なものの集まり」ととらえる。ここに、実存主義「旧」版から「新」版への移行がある。これは、進化と呼べないかもしれないが――。

ここであえて一つ、ツッコミを入れれば、現代の科学技術がAIによって「志向的スタンス」まで再現できるようになれば、心模様に対応する物質世界もありうるという話になってしまう。実存が人間の占有物でなくなる日がやがては来るのだろうか。

ガブリエルはこの本で、自身の科学に対する「姿勢」も宣言している。「無窮の宇宙についてわれわれが科学的知識を積み重ねてきた」という史実も「この宇宙にかんしてはいまだ無知同然」という現実も、どちらも認めるという。そんな立場に、今日の哲学者はいる。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年2月19日公開、同月20日更新、通算562回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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