苦海の物語を都市小説として読む

今週の書物/
『苦海浄土――わが水俣病』
石牟礼道子著、講談社文庫、2004年新装版、単行本は1969年刊

アセトアルデヒド

今週も『苦海浄土――わが水俣病』(石牟礼道子著、講談社文庫、2004年新装版、単行本は1969年刊)の話を。(当欄2021年10月22日付「苦海浄土を先入観なしに読む」)

この作品は、1970年に第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれた。本人が辞退したことで受賞作とはならなかったが、選ばれたことに相違はない。私は読まず嫌いで敬遠してきたのだが、精読すると、さすがノンフィクションらしいなと感じる一面と、これもノンフィクションなのかという一面が混在していた。そこには、新聞記者流のノンフィクション観には収まり切らない文章表現がある。そんなことを先週は書いた。

実際、私が数十ページを読んだだけで感じとったのは、この作品には小説の顔があるな、ということだった。アルベール・カミュの小説『ペスト』にどこか似ている感じがした。共通するのは、病が面的にはびこること。片方は感染症で、もう一方は公害病だが、ともに地域社会をまるごと揺るがす。都市そのものが有機的であり、作品の影の主人公といった趣がある。(当欄2020年5月8日付「ペスト』考、拙稿再読で知る怖さ」)

『苦海…』でそれが最初に見えてくるのは、冒頭の章で水俣市役所衛生課の仕事ぶりが描かれるくだりだ。衛生課は1960年代半ば、水俣病患者の検診があるときにその送迎用バスを走らせていた。バスが患者のいる集落にやって来て合図のクラクションが聞こえると、人々が路地から現れ、海辺の道やたんぼ沿いの道に集まってくる。そこには「首がすわらない胎児性水俣病の子どもたち」がいる。「おぼつかない足つきの成人患者たち」もいる。

著者は、バスの車内風景も「私」を主語に描きだす。患者や患者家族たちの「不安げな様子」が車中では弱まるというのだ。発語の難しい子は、バスに乗っていることがうれしいようで「かすかな声」を発している。大人たちも子を見守りながら心を和ませて「おしゃべり」している。著者は、この小さな幸福に疎外感の裏返しを見てとる。「故郷の景色の中に、いつもすっぽりと入りきれないで暮らしてきたこと」の証しだというのだ。

もう一人、焦点が当てられるのは、そのバスの運転手だ。子どもたちに「よう」「やあ」と声をかけ、発車時には「そうら、行くぞ」のひと声がある。体の不自由な子が乗ってきたときは、微笑を浮かべて着席の世話をする。好感のもてる青年だ。ところが運転中は「どこかおこってさえ見える顔つき」になる。「自分でもわからないままに、蓄積されてゆくいきどおりをためこんでいて、始末に困っているよう」――「私」の目にはそう映る。

この青年の「いきどおり」に、同郷人に対する「本能的な連帯心のようなもの」があることを著者は見抜く。それは、水俣市民が水俣病に対して示す反応の一つであり、「この土地をめぐっている地下水のような、尽きぬやさしさ」にほかならないというのである。

ここで著者は、青年の個人史にも立ち入っている。彼は水俣病が現れたころ、地元でタクシーの運転手だった。当時、市外や県外の乗客がどっとふえた。記者もいる。役人もいる。学者もいる。行き先は新日窒の工場、市立病院、市役所、そして宿泊先の温泉……。熊本大学の研究陣を水俣病の多発地域まで乗せていくこともあった。だから「彼なりの判断を水俣病全体に持っている」ようなのだが、そのことを自分から話そうとはしない。

私が『苦海…』に文学性を感じるのは、著者がこのように脇役に過ぎない一人の青年に目をやり、その寡黙ぶりから水俣の人々の深層心理に思いをめぐらせていることだ。この多角的な視点こそが、カミュ『ペスト』に通じる都市小説らしさを醸しだしているのである。

「水俣とはいかなる所か」と切りだされるくだりでは、地域史にも言い及んでいる。不知火海の向こうには、天草や島原がある。だから古来、「中央文化のお下(さ)がり」よりはむしろ、「大陸南方および南蛮文化」の影響下にあった。幕藩体制のもとでは、肥後の地にありながらも隣の薩摩との間で農民や商人の行き来があり、「商いを交わし婚姻を結び、信教の自由をとり交した形跡」も残っている。開かれた土地柄だったのだ。

主要産品には塩があった。ところが、1905(明治38)年に塩の専売制が始まって製塩業は大打撃を受ける。そこに工場を進出させたのが、新興の日本窒素肥料だ。1908(明治41)年のことだ。やがて水俣村(後の水俣市)民の心には「日本化学産業界の異色コンツェルン日窒を、抱き育ててきたのだという先進意識」が根づく。1961年には市の税収の約半分が「日窒関係」(当時の社名は「新日本窒素肥料」)で占められるまでになった。

そのころ、新日窒がアセトアルデヒドを生産する工程では水銀の触媒が使われ、それがメチル水銀となって八代海に排出されていた。メチル水銀は海洋生態系のなかで魚貝類の体内で濃縮される。それらが地産地消の生活を営んでいた人々に禍をもたらしたのである。

この歴史的背景は水俣の地域社会に亀裂をもたらした。「日窒関係」を生活の糧にする人々とそうでない人々、水俣病を背負う人々とそうでない人々の間には意識の乖離がある。「日窒関係」に依存しながら縁者に患者がいる、という立場もありうるので、そういう人たちは内なる葛藤を抱え込んだに違いない。著者は水俣で起こった一つの騒動を通じて、その軋轢を浮かびあがらせる。これで、作品はますます都市小説の色彩を強める。

1959年11月2日午前のことだ。水俣市立病院前は沸き立っていた。この日、水俣市には国会議員団が初の現地調査に訪れていて、水俣病患者家庭互助会の代表らが議員団に支援を陳情したのだ。そこには不知火海区の3漁協も、2000人とも4000人ともいわれる大集団で押しかけていた。漁師たちは昼食後、隊列を組んで新日窒水俣工場の正門前へ向かう。慣れないデモだった。この一部始終を、著者は現場で目撃したという。

著者は「定かならぬ物音」を聞きつけて正門のそばに近づく。漁師たちが工場になだれ込み、投石で窓ガラスを割って建物に入り、机や椅子、テレタイプのような事務機器を近くの排水溝へ投げ落としていた。建物脇に置かれた自転車も捨てられている。「こげん溝!/うっとめろ!」(/は改行、以下も)――この排水溝がメチル水銀を海に垂れ流していた水路かどうかははっきりしない。ただ、漁師が「溝」を狙い撃ちした心情はわかる。

この場面では、さらに強烈な描写もある。若い女性が、幼い子一人を背負い、もう一人を手でつなぎとめながら叫び声をあげている。「ああ、/とうちゃんの、ボーナスの減る。/ボーナスの減る!/やめてくれーい!」。声は、物品が壊されるたびに聞こえてくる。「彼女は日窒工員の妻にちがいない」(社名は原文のママ)と著者は直感する。昔ながらの村落社会が工業都市に変容し、そのことで人々が分断された現実が、この絶叫に凝縮している。

この出来事は、議員団の一人によって10日後、衆議院農林水産委員会で報告された。その議事資料も、この作品には織り込まれている。報告者は「関係漁民数千人」から「切実な陳情を受けた」としたうえで、こう語っている。「その後これら関係漁民の一部が工場に押入り事務所を損傷する等暴挙に出たことは遺憾に存ずる次第であります」――騒動が遺憾なのはわかるが、それより先に遺憾の意を表すべきことがあっただろうに、と思う。

バス運転手の内なる怒り、工員家族の素朴な嘆き。この作品からは、近代日本の工業化が地産地消の社会をどう崩壊させ、人間の次元でどんなひずみを生んだかが見えてくる。
*当欄の前身「本読み by chance」に関連記事が二つあります。
原田水俣学で知る科学者本来の姿」(2016年5月20日付)
石牟礼文学が射た近代という病」(2018年3月2日付)
(執筆撮影・尾関章)
=2021年10月29日公開、通算598回
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苦海浄土を先入観なしに読む

今週の書物/
『苦海浄土――わが水俣病』
石牟礼道子著、講談社文庫、2004年新装版、単行本は1969年刊

水銀

ジョニー・デップが製作して主演する映画「MINAMATA――ミナマタ」が今秋、公開された。1970年代、熊本県水俣の地に住みついて、公害病である水俣病の現実を世界の人々に伝えた米国の写真家ユージン・スミス。その活動を跡づける作品だ。

私がこの映画のことを知ったのは、テレビのニュースからだ。たまたま秋口に読んでいたのが、文庫版『苦海浄土――わが水俣病』(石牟礼道子著、講談社文庫、2004年新装版)だった。時間を見つけては少しずつ読み進んでいたので、頭のなかに「ミナマタ」が宿っていた。そんなとき、テレビから「ミナマタ」が聞こえてきたのだ。めぐり合わせの妙に驚いた。これを奇貨として、今回は『苦海…』をとりあげることにする。

当欄の前身でも打ち明けたことだが、私はこの本をこれまで完読していなかった(「本読み by chance」2018年3月2日付「石牟礼文学が射た近代という病」)。『苦海…』は1970年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞にいったん選ばれている。著者本人が受賞を辞退したため、作品の一部は「候補作」として『文藝春秋』誌(1970年5月号)に載った。それを読みかじって作品世界の底知れなさに圧倒され、以来、敬遠してしまったのだ。

拙稿「石牟礼文学が射た…」は、著者の石牟礼道子さん(1927~2018)が亡くなった直後に書いた。本来ならあのときに『苦海…』全編を読み通すべきだった。だが、私がとりあげた本は、地元紙記者が執筆した『水俣病を知っていますか』(高峰武著、岩波ブックレット)だった。なおも敬遠を続けたのである。それではいけない、という思いも残った。だから先日、書店の中古本コーナーで『苦海…』を見つけると、それをすぐに買い込んだ。

で、今回は巻末解説を含む400ページ余を読み切ったのだが、実はこれでも完読ではない。『苦海…』は、この本の刊行後に第2部、第3部が続いており、副題に「わが水俣病」とあるものは第1部にすぎない。この作品は、ほんとうに底知れないのである。

その第1部を読んでわかったのは、意外にも記録性が高い、ということだ。半世紀前の第一印象のせいもあって、この作品では水俣の人々、とりわけ水俣病患者たちが内なる思いをひたすら語っている、という先入観があった。だが実際は、それにとどまらない。化学物質の大量生産拠点が有機水銀という毒物を吐きだし、それが地産地消の地域社会に生きる人々の生をむしばんでいったという水俣の現代史が見渡せるつくりになっている。

この本には生の資料が頻出する。たとえば、新日本窒素肥料(現・チッソ)の附属病院医師、細川一博士が1956年8月、患者30人の診療結果をまとめた報告書。その病は、博士自身が同年5月に「原因不明」の神経疾患として保健所に届けていたものだ。これが「水俣病」の初確認とされる。博士は後年、病因が同社の排水にあることを動物実験で確かめたが、会社の意向で公表できなかった。科学者の良心と企業の理屈の板挟みになった人である。

この報告書は、水俣病確認直後の貴重な臨床記録だ。「まず四肢末端のじんじんする感があり次いで物が握れない。ボタンがかけられない。歩くとつまずく。走れない。甘ったれた様な言葉になる。又しばしば目が見えにくい。耳が遠い。食物がのみこみにくい」と、逐一症状が記されている。「増悪」「漸次軽快」などの医師用語もそのままだ。「後貽症」(後遺症のこと)には「四肢運動障害、言語障害、視力障害(稀に盲 難聴等)」とある。

報告書の結びでは「家族ならびに地域集積性の極めて顕著なこと」や「海岸地方に多いこと」も指摘されている。海岸部に集中しているのなら海が関係しているのだろう、同一家族に多いのなら食生活が原因かもしれない――そんな疑いをにおわせる記述だ。

この本には『熊本医学会雑誌』(第31巻補冊第1、1957年1月)に載った論文も出てくる。長文の引用だ。それによれば、この病気の多発集落は海寄りの傾斜地にあり、住人には「近海並びに、港湾内での漁獲に従事するものが多い」。食事面では副食で「漁獲の魚貝類を多食する」との記述もある。論文は、発病は「共通原因」の「長期連続曝露」によるとしたうえで、その「原因」を「汚染された港湾生棲の魚貝類」に絞り込んでいる。

『熊本医学会雑誌』の同じ巻からは、別の論文も引用されている。この病気にかかった猫の観察記録だ。「踊リヲ踊ッタリ走リマワッタリシテ、ツイニハ海ニトビコンデシマウ」「前脚ハ固定シタママ後脚デ地面ヲケルタメ、人間ノ逆立チト同様、体ガ浮キ上ガルヨウニナル」――漢字カタカナ交じりの武骨な文字列。意味を読みとろうにもすんなりとはいかない。猫の目に映る世界も同じようにぎこちなくなっているのか。そんなふうに思えてくる。

もちろん、『苦海…』最大の読みどころは水俣病患者の生きる姿、発する言葉にある。第一章に登場する少年「九平」も、その一人だ。庭で「おそろしく一心に、一連の『作業』をくり返していた」。ラジオのプロ野球中継が大好き。「作業」は野球の練習なのだ。ただ、「彼の足と腰はいつも安定を欠き」「へっぴり腰ないし、および腰」――この描写によって、後段に出てくる細川報告書の「四肢運動障害」が血肉化されて見えてくる。

第三章「ゆき女きき書」では、「ゆき」という患者が市立病院の病室で語りつづける。「嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた」「海の上はほんによかった」「ボラもなあ、あやつたちもあの魚どもも、タコどもももぞか(可愛い)とばい」(太字箇所に傍点)――これは、自ら漁に出て海の幸とともに暮らしていた人の真情だろう。医学会雑誌にある「汚染された港湾生棲の魚貝類」の「長期連続曝露」の現実がここにある。

作品全編を通してみると、このように主観と客観が巧妙に組み合わされている。著者の目に映る光景や、著者の耳がとらえた言葉は、水俣病という病が人間のありようにどんな影響を与えたかを生々しく、主観的に伝えてくれる。一方で、その合間に挟み込まれた報告書や論文などは無味乾燥である分、客観性があって、見たこと聞いたことの嘘のなさを裏打ちしてくれる。その二つの効果が見事に響きあったのが『苦海…』ではないか。

それで改めて思うのは、『苦海…』が1970年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞の選考審査に合格していることだ。大宅賞は、ノンフィクションに的を絞っている。1970年は初回だったのだから、当然、ノンフィクション性が高く評価されたとみるべきだろう。だが私たちは、作品の価値を水俣病の患者、家族の声を紡いだところにばかり見いだしがちだ。もう少し、ノンフィクション作品としての構造に関心を寄せてもよいだろう。

と、やや結論めいたことを書いたのだが、私にはもう一つ大いに気になることがある。巻末解説「石牟礼道子の世界」が、「実をいえば『苦海浄土』は聞き書なぞではないし、ルポルタージュですらない」と断じているのだ。その執筆者である渡辺京二さんは、石牟礼さんが1965~66年に『苦海…』の原型となる文章を連載した『熊本風土記』誌の編集人だ。作品誕生の事情をよく知っている。その人の言葉だから聞き流せない。

渡辺解説によると、石牟礼さんは患者たちの家をさほど足繁くは訪れていない。訪問時にノートや録音機を持参しなかった、ともいう。彼はあるとき、『苦海…』にある患者の言葉は実際に口に出して語られたものなのか、という疑念をぶつけてみた。「すると彼女はいたずらを見つけられた女の子みたいな顔になった」。そして、こんな答えを返したという。「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」

元新聞記者としては、驚くよりほかない。取材相手の発言を聞いて、主語と述語がつながらなかったり、「てにをは」がでたらめだったりするとき、書き手が相手の意をくみとって文を整えることはありうる。だが、それは最小限にとどめるべきものだ。ところが『苦海…』の著者は、気後れすることなく「心の中」を「文字にする」と言ったという。この内幕話は、私がこの作品を読んで受けた「記録性が高い」という印象を全否定しかねない。

そう言えば、この作品では事実と虚構の線引きがあいまいだ。登場人物には固有名詞が付されているが、それが実名なのか仮名なのかがはっきりしない。人物ばかりではない。水俣病の原因を「汚染された港湾生棲の魚貝類」とにらんだ前述の論文は、表題を「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患に関する疫学調査成績」と明記しているが、筆者名は書かれていない。だから読み手は一瞬、論文は架空なのかと疑ってしまう。

実は、この表題の論文が実在することは今、熊本大学図書館の公式サイトで確かめられる。そこには、執筆陣の氏名も列記されている。この作品が採用した文書はリアルとみてよいだろう。その記録性が、著者による患者の「心の中」の斟酌を支えているのである。

渡辺さんはこの解説で、『苦海…』を「石牟礼道子の私小説である」と言っている。「私小説」かどうかは別にして、「小説」らしさに満ちていると私も思う。小説ではあっても、リアルな大事件の深層を感じとったという一点でノンフィクションなのかもしれない。

次回も『苦海…』を続ける。今度は、小説としての側面に光を当てるつもりだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年10月22日公開、同月24日更新、通算597回
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オセローという欧州多様性の葛藤

今週の書物/
『新訳 オセロー』
ウィリアム・シェイクスピア作、河合祥一郎訳、角川文庫、2018年刊

オセロ

欧州は欧州だ。自己完結している。私たちは、そんな偏見から逃れられない。たとえば、欧州史といえば、古代のギリシャ・ローマ→中世のキリスト教→近世の絶対王政→近代の市民社会という図式が頭に浮かび、これは内発的な史的展開だと思いがちだ。

だが欧州も、折々に外から影響を受けている。11世紀から十字軍が中東に遠征して、イスラム世界と衝突した。13世紀には北東アジアからモンゴル帝国の西進があり、次いで小アジアからオスマン帝国が地中海一帯に進出してきた。15世紀に始まる大航海時代、今度は欧州人が支配域を広げ、世界中から多様な物品を取り込んだ。ティーを午後に楽しむのも、ポテトを主食並みの食材としているのも、この外部との接触があったからだ。

で、今週はさっそく本の話に入る。とりあげるのは、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『新訳 オセロー』(河合祥一郎訳、角川文庫、2018年刊)。沙翁(1564~1616)作品では四大悲劇の一つとされている。訳者あとがきによれば、原著初版が世に出たのは1622年。作者没後のことである。ただ、同じ作品と思われる芝居が1604年に上演されたという記録がある。この事実から、作者が執筆したのは1603~04年だろうとみられている。

1604年の上演記録にある題名は『ヴェニスのムーア人』。出版時の表題も『ヴェニスのムーア人オセローの悲劇』だった。「ムーア人」は、欧州人がアフリカ北西部の人々を指して言う言葉だ。この作品は、欧州人にとって異世界の人物を主人公にしているのである。

もう一つ押さえておきたいのは、これがどこの話か、ということだ。1カ所は、原題にある通り都市国家ヴェニス(ヴェネチア)だが、そこだけではない。全5幕のうち、ヴェニスの部は第1幕だけで、残りは地中海のキプロス島を舞台にしている。ヴェニスは1570年代、東方貿易の窓口であるキプロスをめぐってオスマン帝国と争い、現地に派兵していた。そのころの出来事らしい。ここでも作品は、異世界に片足を突っ込んでいる。

主人公オセローはムーア人だが、ヴェニスで勇敢さが買われ、「将軍」の要職に就いていた。対オスマンのいくさでは最前線のキプロスに赴くことになる。ヴェニスは東方の異邦人と戦うとき、南方の異邦人を指揮官に押し立てたのである。もちろん、この筋書きはフィクションだ。ただ心にとめておきたいのは、欧州では近世であっても、異民族が交じり合う物語が成り立ったということだ。半面、そこに摩擦も起こるわけだが……。

異文化摩擦の話に先立って、登場人物を素描しておこう。オセローは少年時代、奴隷に売られたこともある苦労人で、7歳の頃から戦場に出ていたという生粋の軍人だ。デズデモーナは、その妻になる人。ヴェニスの元老院議員ブラバンショーの娘で、オセローと恋に落ちた。オセローの旗手を務める軍人がイアーゴー。副官の座を争う出世競争でキャシオーという優男に敗れ、不満が募っている。そこで、いろいろと悪知恵を働かせる。

その悪巧みに巻き込まれ、そうとは知らず、手を貸してしまう人もいる。一人はイアーゴーの妻エミーリア。デズデモーナに仕えて、身の回りの世話をしている。もう一人はイアーゴーの友人、ロダリーゴー。デズデモーナに思いを寄せていた青年だ。

ここでは第一幕だけを紹介しておこう。第一場の冒頭では、イアーゴーがロダリーゴーを相手に、キャシオー抜擢の副官人事を腐し、自分にはオセローを敬愛する理由がないことを言い募っている。ロダリーゴーが「じゃあ部下なんか辞めちゃえば?」とけしかけると、「まあ、落ち着け」とたしなめる。「勤めはきちんとやってみせるが、心は自分のことに向ける連中もいる」「俺もその一人ってわけだ」――面従腹背の構えである。

イアーゴーとロダリーゴーは連れだって、ブラバンショーの邸にやって来る。二人は、夜更けだというのに「おーい」「起きろ、おーい」と大声をあげる。ブラバンショーが二階の窓辺に姿を現すと、イアーゴーは衝撃のニュースを告げる。オセローとデズデモーナが今まさに結ばれようとしている、というのだ。ブラバンショーは当初真に受けなかったが、邸内を探してみると娘の姿がない。「本当だった。何ということだ」と打ちのめされる。

こうして第二場では、オセローとブラバンショーが対面する。第三場では、公爵が元老院議員を召集して開く「閣議」で、オセローが「トルコ軍征伐」に派遣されることが決まる。デズデモーナも本人の強い意思があって、夫に同行することになるのだが……。

この戯曲には、今の私たちから見れば不適切な表現が多出している。「肌の色の違いによる人種差別」があからさまで「『白』を表す語(fair)が『美しさ』や『公平性』を表した一方、『黒』という色には『腹黒さ』や『穢れ』などの否定的な意味が籠められることが多かった」と、「訳者あとがき」にもある。訳者は「こうした当時の強烈な差別意識を理解したうえでなければ」「この作品の本質に迫ることはできない」と言う。

気は進まないが、本稿もその一端に触れておこう。第一幕第一場で、イアーゴーがオセローとデズデモーナの恋についてブラバンショーに告げ口するときの表現は「たった今、まさに今、老いた黒羊が/あんたの白い雌羊にまたがってる」(/は改行、以下も)。別の箇所でも、イアーゴーはオセローを「アフリカ産の馬」と揶揄している。当時の欧州社会に、対岸アフリカの肌が暗色の人々に対する差別意識があったことは歴然だ。

第一幕第二場でブラバンショーがオセローに投げつける罵りも、この差別意識に根ざしている。デズデモーナは「魔法」でもかけられなければ「ヴェニスの裕福な巻毛の美男子たちとの/縁談を断り」「貴様のような男の真っ黒な胸に――/喜びでなく恐怖へと――飛び込むはずがない」。娘がオセローになびいたのは「悪魔の力」のせい、と断ずるのだ。オセローの肌の色を異質なものとして嫌うだけでなく、悪魔に結びつけて排除しようとする。

この戯曲の凄いのは、その差別社会にオセローが毅然と対峙することだ。閣議の席で公爵から弁明を促されて、こう言う――。自分がデズデモーナを父親のもとから「連れ去った」のは事実であり、すでに「結婚」もしている。「私の罪はそれがすべてであり、それ以上では/ありません」と言い切る。そして、「私の情熱の罪」を「白状しましょう」と切りだして、自分がどのようにしてデズデモーナの心をつかんだのかを打ち明けるのだ。

その弁明によれば、オセローはデズデモーナに自身の身の上話を聞かせた。戦場で命拾いしたこと、奴隷となったが救いだされたこと、あちこち旅して洞窟や砂漠や山岳を回ったこと。「若かりし日の苦労を話しては、/しばしばその目から涙を絞りました」。それでデズデモーナは心を動かされ「私がくぐってきた危険ゆえに私を愛してくれる」。これが「魔法のすべて」というのだ。巧妙にも「魔法」という言葉を逆手にとっている。

まもなく、デズデモーナもこの場にやって来る。オセローが呼ぶように頼んだのだ。彼女は言う。「私がムーア様を愛し、共に暮らしたいと/思っておりますことは、後先顧みぬ私の/奔放な振る舞いで世間に知れました」。自身の意思で「ムーア様」、即ちオセローと結ばれたことを公言したのである。さらに「夫の名誉ある武勲」に「わが魂と運命を捧げております」と言って、自分もオセローとともに戦地へ行きたいと申し出る――。

閣議のくだりでは、ぜひとも引用したい台詞がある。公爵がオセローに弁明を求めたとき、それに同調する元老院議員が発した問いだ。「君は、この若い娘御の愛情を/密かに捻じ曲げ、毒で抑えつけたのか?/それとも、心を通わす会話をして/愛してもらうようになったのか」。これは、オセローの告白を先回りしている。異文化の間にも心の通いあいがあり、恋愛は成立する――そう考える人も16世紀の欧州にいたということだろう。

この戯曲を読んで思うのは、欧州の二重性だ。そこにはかつて、肌の色の異なる人を異種の動物であるかのようにみなす苛烈な差別社会があった。だが一方では、そういう異邦人を――キリスト教に改宗していたということもあるのだろうが――高位の職に登用する度量があった。それだけではない。異邦人が自らの心模様を語るとき、それに耳を傾ける人もいた。近代の価値観が確立する前の時代であっても、異文化共存の芽はあったのだ。

この戯曲は、後段で悲劇に転じる。きっかけは、オセローがイアーゴーの奸計によって、自分はヴェニス社会では「他者」に過ぎないと思わされたこと、と訳者は分析している。私自身はそうは感じなかったのだが、この悲劇はやはり異文化摩擦の帰結だったのか?
*引用箇所にあるルビは原則として省いた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年10月1日公開、通算594回
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疫病で人類が入れかわるという話

今週の書物/
『赤死病』
ジャック・ロンドン著、辻井栄滋訳、白水uブックス、2020年刊

アフターコロナという言葉をよく耳にする。だが、ワクチンが登場すればウイルスも変異する、というイタチごっこを見ていると、人と人とが距離を置くこと以外に鉄壁の感染予防策が見当たらない病に本当のアフターはあるのだろうか、と思ってしまう。

とはいえ、コロナ禍もいつかは収束するだろう。収まり方には、いくつかのパターンが考えられる。一つは、ウイルスの主流が人間の生命を脅かさない平和共存型に変わっていくという筋書きだ。ウイルスは感染先の生体のしくみを借用して増殖するので、その生体が安泰であるほうが都合よい。だから、この筋書きは十分にありうると思うが、それには進化論的な時間がかかる。ウイルスの世界では進化の所要時間が短いことを願うばかりだ。

もう一つ、治療用の特効薬が現れて、この感染症がふつうの病気になるという道筋もある。人類は20世紀後半、生命の遺伝情報をDNA(デオキシリボ核酸)やRNA(リボ核酸)の塩基配列として読み取ることを覚えた。今の科学者は、新型コロナウイルスの塩基配列を見極めている。病原体の正体を見抜いているということだ。だから、特効薬の開発は大いに期待できるが、それにどのくらいの歳月がかかるかはわからない。

最悪のシナリオもある。ウイルスが邪悪なものへ変異することだ。さきほど、ウイルスの主流が平和共存型になる可能性があると言ったのは、あくまで長い目で見たときのことだ。遺伝子の変異は偶然に左右されるから、短期的には悪い方向に向かうこともある――。

で、今週は『赤死病』(ジャック・ロンドン著、辻井栄滋訳、白水uブックス、2020年刊)から、表題作の中編小説を読む。著者(1876~1916)は米国サンフランシスコ生まれの作家。『野性の呼び声』(『荒野の呼び声』の邦題も)など、大自然を舞台とする作品が有名だが、社会派でもある。自身も缶詰工場で働き、漁船に乗り組み、新聞の特派員になるなど多彩な職種を経験した。日露戦争のころ、日本にも取材で訪れている。

この本は、その社会派としての一面が感じられる作品を収めている。人類の行方に思いをめぐらせたSF風小説2編とエッセイ1編。表題作は2010年に単行本(新樹社刊)として邦訳されたものが底本だが、原著は1910年に発表されている。だが、小説の時代設定は2073年。一人の老いた男が孫たちに60年前、2013年に勃発した疫病禍について語るという仕掛けだ。コロナ禍の到来を100年前から見抜いていたようにも思えるではないか。

その疫病が、赤死病(scarlet plague)である。2013年夏、ニューヨークに「わけのわからない病気」が出現する。その病態を老人の話をもとに描けば、こうなる。患者は、鼓動が速まり発熱、顔面や体表に「まっ赤な発疹が」「野火のように広がる」。痙攣が起こり、それが収まったかと思うと、しびれが下半身から上半身に昇ってきて「心臓の高さにまで達したとき、そいつは死んでしまう」。この間、わずか15分ほど、という速さだ。

同じように文学作品が想定した架空の病として、すぐに思い浮かぶのは「チェン氏病」だ。カレル・チャペックの戯曲『白い病』(阿部賢一訳、岩波文庫)に出てくる。皮膚に「大理石のような白斑」が現れ、死に至ることが多いという疫病だった(当欄2021年7月9日付「チャペックの疫病禍を冷静に読む」)。ただ、その「白い病」発表は1937年。1918~19年のスペイン風邪大流行よりも後だ。「赤死病」の着想は、それよりも早い。

書きだしの一文に「道は、その昔盛り土をして鉄道線路が走っていたところに続いていた」とある。一瞬、赤字ローカル線の廃線敷が見えてきたのかな、とも思う。だが、登場人物のいでたちを知って、ローカルな問題ではないとわかる。体を覆っている「衣服」が、老人は「やぎの皮」、少年は「熊の皮」。まるで原始人ではないか。少年は眼光鋭く、嗅覚も聴覚も敏感のようだ。実際、弓矢を手にしていて狩猟生活を送っているのである。

これだけの話でも読みとれるのは、この作品では、2013年の赤死病禍によって世界の風景が一変したということだ。ビフォーには工業化社会があった。ところが、赤死病禍をくぐり抜けると人類史は初期化され、アフターでは原始生活に戻ってしまう――。

冒頭に廃線敷を振ったのは、作品が構想されたのが20世紀初めだったからだろう。著者が100年先を見通して2013年の文明を代表するものとして思い描けたのは、鉄道くらいだったということだ。ただ、現実に2013年を通過した私たちにとって鉄道は古すぎる。

私たちが今、2013年を象徴するものは何だったかと訊かれれば、まちがいなくスマートフォンと答えるだろう。悪趣味になるが、作品冒頭の文をそっくり書き換えればこうなる。「道端のあちこちに横たわる白骨死体の手には、なぜか決まって板切れのような物体が握られていた」――。この100年余の文明の飛躍は大きい。100年前にはIT(情報技術)やAI(人工知能)に支えられた社会など、想像すらできなかっただろう。

ただ、著者も現代技術の一端を先取りしている。老人は2013年の世情を語るなかで「空には飛行船があった――気球や航空機が」と言っている。ライト兄弟の初飛行が1903年だから、飛行機は執筆時にもあったが、それが空を賑わすことまで予想していたのである。

ITへの流れも予感していたように見える。老人によれば、赤死病禍がニューヨークで勃発したというニュースは「無線電報」で広まった。これは、新聞の電信記事を指しているのだろう。「その頃、わしらは空中を通じて話をしておった。何千マイルも離れてな」

著者は、現実の2010年代の様相をある程度取り込んでいたとみるべきだろう。この作品では、凶悪な疫病禍が人類を初期化したわけだが、同じ構図が現実の21世紀社会で成り立たないとはいえないのだ。人類は原始時代に引き戻されるかもしれない。そんな暗い未来図――ディストピア――にも思いをめぐらすことが、この作品の読み方の一つだ。ではまず、赤死病がなぜ、人類の初期化を起こしてしまったのかを考えてみよう。

最大の要因は、感染拡大のすさまじさにあるのだろう。この作品では、赤死病患者は死に至ると同時に死体が「見るみるうちに粉みじん」となり、飛散する。その結果、「病原菌のすべてが、たちどころに自由にされてしまう」。菌がまき散らされた後の感染経路までは説明されていないが、おそらく空気感染などで広がるのだろう。今どきの用語で言えば、実効再生産数は1を超えて途方もなく大きくなっていたに違いない。

こうして、人類は絶滅寸前となる。老人は「わしの見当では、現在の世界の人口は三百五十から四百人」と言う。米西海岸に散在する部族の規模から推し量った人数だ。米東部からは「何の消息や気配も届いていない」。老人にとって「少年時代や青年の頃に知っておった世界は、もうなくなってしまった」のである。現代人らしい現代人は、技術文明がぷっつり途絶えるとともに姿を消した。いわば、人類がそっくり入れかわったと言ってもよい。

人類が初期化されると、技術文明を失うだけではない。老人が、自分は2013年当時カリフォルニア大学バークリー校の教授で、英文学の講義をしていたという話をすると、孫の一人が「ただ喋って、喋って、喋るばっかりだったのか?」と訊いてくる。愕然とするのは、次のひとことだ。「誰がじいさんのために肉を狩りに行ったんだ?」――人類が歴史を刻むたびに強めてきた分業体制の概念が、ここではまったく通用しなくなっている。

老人は分業社会を批判的に説明する。「わしら支配階級の者が、すべての土地、すべての機械、何もかもことごとく所有しておった」「食べ物を手に入れる者たちは、わしらの奴隷だった」。著者は社会主義を支持していたから、原始共産制への共感がこう言わせたのか。

人類の初期化では、人間の世界観もやせ細ってしまう。そのことを痛感する場面もある。老人が赤死病について縷々語っていると、孫の一人が「その病原菌ってやつを見れやしないんだろ、じいさん」とツッコミを入れ、「見れないものなど、ありゃあしねえ」と畳みかけてくる。原始の世界観では、見えるもの、聞こえるもの、におうもの、触れるもの、味がするものだけが頼りだ。知的作業で世界を押しひろげることができない。

本稿のまくらにも書いたように、私たちは今、コロナ禍の病原体を突きとめている。それは、細菌よりもずっと小さなウイルスだ。当然、肉眼では「見れない」(ら抜きを改めれば「見られない」)が、電子顕微鏡で可視化できる。それだけでなく、その遺伝情報まで解読できるようになった。これは、人類が蓄積してきた知の成果といえる。ただ、もしも絶滅寸前にまで追い込まれれば、同じ知をもう一度、最初から積みあげなくてはならない。

新型コロナウイルスがさらに邪悪な方向へ変異して、万一、感染の拡大速度や致死率が赤死病並みになれば、そんな最悪の事態すら想定しなくてはならなくなる。私たちの行く手に人類史的な難所が待ち受けていないとも限らないのだ。そのことは心にとめておきたい。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年9月24日公開、通算593回
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イルカ知を「動物の権利」で考える

今週の書物/
『イルカの島』
アーサー・C・クラーク著、小野田和子訳、創元SF文庫、1994年刊

動物福祉“animal welfare”

私のように1950~60年代、東京西郊に育った世代にとって、海と言えば江の島だった。正しく言い直せば、江の島の対岸にある藤沢市の片瀬海岸だ。当時の小田急電車は相模大野から江ノ島線に入ると、林地や田畑の只中を突っ切った。やがて、終点の片瀬江ノ島駅に着く。駅舎は、竜宮城を模した造り。子どもにとっては、これだけで遠足気分になったものだ。そこからちょっと歩けば砂浜に出る。眼前には白波の押し寄せる海が広がっていた。

小学校にあがる前だったか、あるいは、あがってまもなくだったか、真夏の一日、祖父母に連れられて、この海岸に来た。祖父母は当時の感覚からすればもう年寄りの域に達していたから、浜辺で水着になることはなかった。足を向けたのは、海沿いにある「江の島水族館」(現・新江ノ島水族館)。お目当ては、館の付属施設「江の島マリンランド」である。プールで水しぶきをあげて繰り広げられるイルカショーが人気の的だった。

今、新江ノ島水族館(「えのすい」)の公式ウェブサイトを開くと、沿革欄にその記述がある。マリンランドは1957年5月に開業。飼育は、カマイルカ3頭から始まった。「日本で初めてイルカの持つ能力をショーという形にアレンジして紹介することに成功」とある。

喝采があった。イルカたちが水面から跳びあがる。次から次へ弧を描いて空を切り、再び水中に消える。それが人間による調教の結果であり、イルカは芸をさせられているのだとしても、私たちはその芸達者ぶりに見とれたのだ。だが今、私たちは同じものを目のあたりにしても、あれほど素直に胸躍らせることはないだろう。現に私は近年も「えのすい」を訪れ、ショーを観ているが、心の片隅には一抹のわだかまりがあった。

それは、「動物の権利」(“animal rights”)が脳裏にちらついたからだ。この言葉を私は1990年代、欧州に駐在していたとき、しばしば目や耳にした。動物の権利保護は旧来の動物愛護とは別次元にある。家畜や実験動物の待遇、動物園のあり方などについて動物側の視点から問い直そうとする。私は、その主張がときに矛盾をはらむことに違和感を抱きつつ、人間がこれまであまりにも自己中心的だったことに気づかされたのである。

この機運の例を挙げよう。世界動物園水族館協会(WAZA)は2015年、イルカを入り江に追い込む捕獲法(追い込み漁)が「倫理・動物福祉規程」(画像)に反するとして、この方法で捕まえたイルカが日本で飼育されていることに警告を発した。これを受けて、日本動物園水族館協会(JAZA)は追い込み漁で獲ったイルカを買い入れることを加盟施設に禁じた。今ではイルカショーのあり方も、動物の権利や福祉の観点から見直されている。

で、今週は『イルカの島』(アーサー・C・クラーク著、小野田和子訳、創元SF文庫、1994年刊)。原著は1963年に出た。著者(1917~2008)は、『2001年宇宙の旅』で知られるSF作家。英国生まれだが、後半生はスリランカ(旧名セイロン)で暮らした。宇宙開発やITに象徴される第2次大戦後の科学技術を前のめりにとらえた人だった。ただ、その前のめりは衛星通信時代の到来を予言していたように、ときに的を射ていた。

本書も書き出しは、表題『イルカ…』に似合わず、近未来SF風だ。21世紀、深夜の北米内陸部。「谷間沿いの古い高速道路を、空気のクッションにのって、そのホヴァーシップは疾走していた」。それは、水陸両用の高速交通手段だ。轟音を発しながら近づいてきたが、その音が急に止まる。「いったいなにがおこったのだろう?」。主人公のジョニー・クリントンはベッドから抜けだして、その高速浮揚船「サンタアナ号」を見にゆく。

ジョニーは、幼いころに両親を航空機事故で失っていた。叔母の家庭で育てられたが、疎外感を拭いきれなかった。そこに突然、世界中を駆けまわる乗りものが現れたのだ。「チャンスが手まねきしているのなら、それについていくまでだ」。こっそり、黙って乗り込む。サンタアナ号はまもなく動きだした。積み荷の表示からみると、行き先はオーストラリアらしい。太平洋に出て大海原を突っ走る……。そして予想外の沈没事故が起こる。

ここからが、作品の本題だ。ジョニーが海面の浮遊物をいかだにして漂流していると、イルカの群れが近づいてきて、いかだを押してくれるではないか。連れてこられたのは、オーストラリア北東沖に広がるサンゴ礁地帯グレート・バリア・リーフの小島。島民は、そこを「イルカ島」と呼んでいた。イルカとの意思疎通を試みる研究所があるのだ。ジョニーは島に居ついて、研究所の創設者カザン教授やキース博士、そしてイルカたちと交流する。

研究室には、電子機器がぎっしり置かれている。教授と博士はスピーカーから聞こえてくる音に夢中だ。どうやら、イルカの鳴き声らしい。細部まで聴きとろうと、録音テープの回転数を落として再生している。イルカの発声に発信の形跡を見てとるつもりなのだろう。

ジョニーは、教授がイルカ語をしゃべるのも聞いた。それは、「器用にくるくると調子の変わる口笛」だった。教授によれば「イルカ語を流暢にしゃべることは、人間にはまずむり」。だが、自分は「ふだんよく使ういいまわしだったら十くらいは、なんとかしゃべれる」と言う。イルカ界には仲間内で通じるイルカ語があり、それは人間でも片言ならば習得できる――教授には、そしてたぶん著者自身にも、そんな確信があるらしい。

私が興味を覚えるのは、この作品は筋書きが牧歌的なのに、小道具が妙にテクノっぽいことだ。執筆時点の1960年代は、「半導体素子を使った精密な電子部品」が出回り、エレクトロニクスの開花期にあったからだろう。教授がジョニーに「きみにやってもらいたい仕事がある」と言って差し出すのも、キーが並ぶ「電卓のような装置」。腕時計式に腕に巻いて使う。家電のリモコン、あるいはウェアラブル端末の原型がここにはある。

キーの表示は「止まれ」「いけ」「危険!」「助けて!」……。キーを押せば「キーに書いてある言葉が、イルカ語できこえる」と教授。ジョニーに水中でこの装置を使ってもらい、イルカがどんな反応を見せるかを探ろうというのだ。イルカたちは、たいていのキーに的確に対応したが、「危険!」を押しても動かなかった。この実験が、人間の企てた「ゲーム」と察知したらしい。「彼らのほうが頭の回転が早いことはたしかだ」と教授は驚嘆する。

教授には、いくつかの構想があった。その一つが「海の歴史」をイルカに聞くことだ。人類の文明史は、古代や中世の詩人の記憶を通じて「何世代にもわたって継承」されてきた。だがそれは、有史時代の出来事に限られる。イルカにも「すばらしい記憶力」があるので、詩人の役目を果たす語り部がいるはずだ。実際に教授は、そんな語り部が語ったという伝説の一部を知り合いのイルカから聞いていた。それは人類が及ばない時間幅の物語だった。

伝説のなかには「太陽が空からおりてきた」という文言があった。大爆発があり、海水は熱湯と化して周辺のイルカは息絶え、逃げ延びたイルカもしばらくして死んだという。ここで、博士は驚くべき解釈をする。「数千年前に、どこかに宇宙船が着水した」「核エンジンが爆発し、海が放射能で汚染された」。教授もこの見方を支持して、知的生命体の飛来があったという仮説を立てる。それで、イルカからもっと話を聞きだそうとするのだ。

この作品は、エレクトロニクスがたかだか電卓級の技術水準でしかなかったころ、その先に広がる情報技術(IT)の時代を見通している。描かれるのは、通信のネットワークに海洋哺乳類を引き入れようとする人々だ。人類の記憶を有史、地上の制約から解き放って、有史以前や海洋に拡張しようという発想は良い。人とイルカの交流も微笑ましい。だが、そこに見られるイルカへの友愛と期待は、動物愛護という地点にとどまっているように思える。

気になるのは、シャチに対する実験だ。シャチはクジラ目マイルカ科の海洋哺乳類だが、広義の仲間と言ってもよいイルカですら捕食してしまう。そこで教授は、生理学者のチームにシャチの「教育」を委ねる。脳内に電極を装着して脳の働きを調べたり、電流をアメとムチのように使って行動を制御したりする、というものだ。こうしてシャチは、イルカを襲わなくなった。イルカにとっては都合よいが、シャチの権利は完全に無視されている。

ジョニーは、生理学者がシャチの脳を電気仕掛けで操作する様子を見て、「自分もこんなふうに他人にコントロールされる可能性があるんだろうか?」と自問する。悪用されれば「核エネルギー」と同様、「危険な道具」になる――。この点では、著者も科学技術に対して前のめりではない。ただシャチの実験には、もう一つ別の問題があることを忘れてはならない。それは動物の権利を、エコロジーに適うかたちでどう重んじるか、という難問だ。

人間が異種の動物に知性を見いだすことは、動物の権利尊重につながる。人知が相対化され、知性の多様さに気づく契機にもなる。だが、知的で友好的だからと言って、その種ばかりに肩入れすれば生態系の平衡が失われる。可愛い異種だけを可愛がってはいけない。
*引用箇所にあるルビは原則として省いた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年8月27日公開、同日更新、通算589回
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