ノーベル賞が語るウイルスとの闘い

今週の書物/
2020
年ノーベル医学生理学賞発表資料(スウェーデン・カロリンスカ医科大学)
2020
年ノーベル化学賞発表資料(スウェーデン王立科学アカデミー)
=画像はこれらの一部

ハサミ

先週に続いて、理系ノーベル賞の発表資料を読んでいこう。今週は、医学生理学賞と化学賞だ。前者の行方では、ゲノム編集という遺伝子改変技術の開発が本命視されていたが、それが後者に回った。その結果、今年は生命科学系が2賞を占めることになった。

医学生理学賞を受けるのは、C型肝炎ウイルスの発見にかかわった米国のハーベイ・オルター、英国生まれカナダ在住のマイケル・ホートン、米国のチャールズ・ライスの3人(敬称略、以下も)。先週の月曜、その発表をネット中継で見ていて、C型肝炎という言葉を耳にした瞬間、そうか、そこを突いてきたか、と私は思った。新型コロナウイルスが猛威をふるう年、コロナをちょっと外したところで人間とウイルスの関係に光を当てたのだ。

コロナがらみの研究が今年、選ばれる可能性は限りなく小さかった。現時点でコロナ禍は克服されていない。人類の共通感情として、ノーベル賞はまだ早すぎるのだ。実務面をみても、受賞候補の推薦期限は1月末。この時点で地球規模の大流行は始まっていなかったので、コロナ禍を視野に入れた推薦はほぼなかったとみてよい。ただ選考そのものは、大流行のさなかに進められた。コロナの時代に示唆を与える研究は一目置かれただろう。

そこで行き着いた選考結果は、人類が近過去に体験したウイルスとの闘いの成功物語だった。私自身の科学記者生活を振り返ると、1980年代には「非A非B型」と呼ばれる正体不明の肝炎が医療報道の大きなテーマだった。輸血で感染するが、病原体がわからず、手の打ちようがない。ところが1989年、米製薬企業カイロン社のグループが遺伝子レベルの研究で、その病原体らしいウイルスを突きとめた。これがC型肝炎ウイルスである。

受賞者のうちホートンは、このときカイロン社グループの中心にいた人。オルターは、それに先立って1970年代から非A非B型肝炎の研究に取り組み、この病に未知のウイルスがかかわっていることを見極めた。ライスは1990年代、ホートンたちが見つけたウイルスが実際に肝炎を起こすことを動物実験で最終確認した。ここで押さえておくべきは、一連の仕事は70年代に始まり、90年代に完結する大事業だったことだ。

プレスリリースでは、彼らの発見によって、このウイルスに対する精密な血液検査ができるようになり、肝炎の輸血感染が多くの地域で消滅したこと、C型肝炎向けの抗ウイルス薬の開発が加速されたことなどに触れた後、こう書く。「この病気は今や歴史上初めて、治せる病になった。全世界の人々がC型肝炎ウイルスから解放されるという期待も高まっているのだ」。この段落の冒頭には、次のような一文もある。

“The Nobel Laureates’ discovery of Hepatitis C virus is a landmark achievement in the ongoing battle against viral diseases.”

「ノーベル賞受賞者たちのC型肝炎ウイルス発見は、今も進行中のウイルス性の諸病との闘いで金字塔となるものだ」。ここで“battle”に“ongoing”という形容詞がつき、 “viral diseases”が複数形になっているのを見落としてはならない。今回の医学生理学賞は、コロナ禍の先行きが見えない私たちに対して、現代医学はウイルスに勝てるのだ、と励ますメッセージのように思える。ただし、それは一朝一夕にはいかない、と釘を刺しながら……。

化学賞は、フランス生まれのエマニュエル・シャルパンティエ、米国のジェニファー・ダウドナの受賞が決まった。授賞理由は冒頭に書いた通り、ゲノム編集技術の開発。これを使えば、生命体の遺伝子一式を載せたゲノムのDNA(デオキシリボ核酸)塩基配列を、ワープロソフトで文章を直すように改変できる。医療から農業までさまざまな分野で活用が期待されているが、遺伝子にどこまで手を加えてよいかという倫理問題も呼び起こしている。

技術そのものについては、当欄の前身で書物を紹介しながら、そのしくみを素描している(「本読み by chance」2017年5月19日付「ゲノム編集で思う人体という自然」、同2019年3月15日付「ゲノム編集を同時代の記者と考える」)。今回は、この技術もまたウイルス感染とは無縁でないことに話題を絞る。化学賞の選考にあたった科学者がコロナ禍を意識していたとは考えないが、この受賞研究にもウイルスの影が見え隠れするのだ。

それはどんな局面か? ゲノム編集では、ハサミ役の酵素が狙いを定めた塩基配列に導かれ、そこでDNAを切断する。このしくみが、細菌の対ウイルス防衛システムに倣ったものだというのだ。細菌たちも人類同様、ウイルスと闘っているのである。

その防衛システムのすぐれているところは、細菌がウイルスの塩基配列を覚えていることにある。細菌は、ウイルスが細胞内に攻め込んできたとき、その塩基配列の一部を自らのゲノムに取り込んで、データベースとして保存しておくのである。その結果、ウイルスが再び侵入してくると、ハサミの役目を果たす酵素がデータベースの情報に導かれてその塩基配列にとりつき、それをちぎって解体してしまう。

では、化学賞の発表資料――。今回は、その一般向けの解説がなかなか読ませる。もともとシャルパンティエは、病原性細菌の攻撃性や薬剤耐性に関心があった。ダウドナは、細胞内でRNA(リボ核酸)分子の断片が遺伝子の制御調節に関与するしくみ――RNA干渉――を探っていた。その二人が出会って「クリスパー・キャス9」と呼ばれるゲノム編集技術に結実させる様子を、折々のエピソードを交えて物語仕立てで描いている。

ウイルスが顔を出すエピソードは2006年、ダウドナにかかってきた1本の電話から始まる。当時彼女は、すでにカリフォルニア大学バークリー校で研究チームを率いていた。電話の相手は、別部門にいる微生物学者。細菌研究の分野で最近、不思議な発見があったという話だった。細菌のDNAに同じ塩基配列が繰り返し現れるところがあり、繰り返し部分の間にはさまる配列を調べると、ウイルスのそれと合致しているように見えたというのだ。

これは免疫システムの一部ではないかとして、次のような仮説が示される。
“ if a bacterium has succeeded in surviving a virus infection, it adds a piece of the virus’ genetic code into its genome as a memory of the infection.”
「細菌がウイルスに感染したけれど生き延びたとしよう。このときにその細菌は、ウイルスの遺伝暗号のひとかけらを感染の記憶として自らのゲノムに付け加えるのだ」

その微生物学者は、細菌がウイルスと闘うしくみは、ダウドナが研究しているRNA干渉に似ているのではないか、と問いかけたという。実際、細菌の「感染の記憶」を生かした免疫システムではRNA分子が大きな役割を果たしていた。クリスパー・キャス9でも、ハサミ役の酵素の案内役に人工のRNA断片を用いる。このエピソードは、研究者同士の井戸端会議のような会話が科学にとってどれほど大切かを教えてくれる。

それにしても驚くのは、細菌の賢さだ。ウイルスに襲われても攻められっ放しではいない。ひそやかに、したたかに、相手の弱みとなる情報を貯め込んでいたのだ。進化論的に言えば、そういう能力を身につけたものが生き残ってきたということなのだろう。

コロナ禍に立ち向かうのは、医学や医療の専門家だけではない。社会活動や経済活動をどのようなかたちで続けていくのかというところで、すべての人々がかかわっている。私たちも、ウイルスの裏をかくような生き方ができないか。そんな思いが一瞬、心をよぎった。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年10月16日公開、通算544回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

戦時の科学者、国家の過剰

今週の書物/
『湯川秀樹の戦争と平和――ノーベル賞科学者が遺した希望』
小沼通二著、岩波ブックレット、2020年刊

戦中戦後

今年の終戦記念日、NHKが「太陽の子」というドラマを放映した。先の戦時、日本でも陸軍と海軍がそれぞれ原爆開発を画策したことは知られているが、このドラマでは京都帝国大学の物理学徒たちが海軍の委託を受けて原爆研究にかかわったことが主題となった。

で今週は、その渦中にいた科学者たちの現実を近刊の書物を通じて垣間見てみよう。『湯川秀樹の戦争と平和――ノーベル賞科学者が遺した希望』(小沼通二著、岩波ブックレット、2020年刊)。著者は1931年生まれ、素粒子論が専門の物理学者。東京大学出身だが京都大学にも勤務、理論物理で日本初のノーベル賞を受けた湯川秀樹の活動を支えた。現在は慶應義塾大学、東京都市大学の名誉教授、世界平和アピール七人委員会のメンバーでもある。

個人的な話をすれば、著者は私にとって最大の恩人の一人だ。新聞社で科学部員になって3年目の1985年、湯川のノーベル賞研究「中間子論」の論文発表50年を記念する国際会議(開催地・京都)でお世話になったのが始まりだった。2007年に湯川の個人日記を記事にしたときは、湯川家との話しあいから記述内容の読み解きまで、全面的なお力添えをいただいた(朝日新聞2007年1月23日付朝刊「中間子着想 湯川博士の4日間」)。

この個人日記は、湯川家が保存していたもので、主に1930年代、日米開戦前の日々のあれこれを記していた。ヤマ場は、中間子論を完成させた1934年の記述分。これについては、著者が編者となって『湯川秀樹日記――昭和九年:中間子論への道』(小沼通二編、朝日選書)という本が出ている。一方で湯川は京都大学にも、本来は研究室日誌と呼ぶべき日記を大量に残していた(京大湯川記念館資料室所蔵)。ここには開戦後のことも綴られている。

今週の書物『…戦争と平和』は、湯川の生い立ちまで遡ってその人となりが描かれ、1981年に亡くなるまでの平和運動家としての足どりも跡づけられている。とはいえ、最大の読みどころは「第二章 戦火の時代に」だろう。この章では京大所蔵の日記をもとに、湯川が戦時中にどんな学究生活を送ったかを浮かびあがらせている。気になるのは、軍事色の強い活動だ。それらのどこまでが自発的で、どこからが強制されたものだったのか――。

そのあたりの見極めは難しい。湯川の日記は身辺の出来事の記録が中心で、心情の吐露が少ないからだ。戦時の心模様を推し量るには、戦後の日々に焦点を当てた「第三章 思索の人から行動の人へ」が助けになる。この章では、湯川が反核平和運動に奔走した姿が描きだされている。戦後の平和に対する熱情が戦中に戦争がもたらした深淵の底深さを逆に照らしだす。戦中戦後を貫いて湯川の「戦争と平和」に迫ったこの本の意義は、そこにある。

では、第二章に立ち戻って、日記の要点を拾いあげていこう。1941年12月8日の日米開戦から1943年末まで、湯川自身は軍事研究に近づいていないようだ。目立って見えてくるのは、一人の国民――臣民と言うべきか――としての心情だけ。開戦の日の夜、帰宅して夕刊を開くと「ハワイにて米主力艦オクラホマを撃沈等幸先よきニュース」が載っていた。「久しい間の暗雲晴れ、天日を望むが如き爽快の感に満つ」と書いている。

この本では1943年、湯川が地元の京都新聞に寄せた年頭所感も引用されている。「既存の科学技術の成果を出来るだけ早く、戦力の増強に活用すること」を「今日の科学者の最も大いなる責務」としつつ、「科学の真の根基をわが国土に培養する」必要を説き、それなしには「科学、技術の源泉は久しからずして枯渇する」と警告している。すぐには応用できない基礎研究のことも忘れるな、という科学者の危機感がそう言わせたのだろう。

この年4月、湯川は文化勲章を受けた。そのことで国家主義的な団体とのかかわりが出てくる。6月には東京で大日本言論報告会総会に出席、受章を祝う記念品を贈られる。機関誌『言論報告』創刊号には、湯川の午餐会での「卓上演説」が収録されている。「言論界で日本的世界観の樹立が力強く言われている、自然科学の方面からそういう思想に何らかの基礎づけができればしたい」と述べたという。こじつけの感は否めない。

日記によれば、湯川の軍事接近は1944年初めから。前年、文部省が科学者の「動員」策を打ちだした影響があるのだろう。1月27日、神奈川県横須賀で海軍の航空機研究施設などを見学した。2月13日には東京にある財界人の大倉喜七郎男爵邸で、当時は海軍軍人だった高松宮や物理学者の仁科芳雄を交えた会合に出ている。大倉財閥は海軍の電波兵器開発に敷地を提供しており、会合は「海軍の研究に関係があると思う」と著者はみる。

この本の強みは、湯川と軍事とのかかわりを日記の記述から定量的に浮かびあがらせた点にある。余談だが、これができる人は著者を措いてほかにいない。日記は、湯川流の癖字だらけでふつうの人には太刀打ちできないが、著者には読める。さらに周辺事情も知っているから、メモ書き一つでも意味を汲みとれる。その解読の結果は、こうだ。湯川の「軍事研究関連の会合や訪問や視察」は1944年が27回29日、45年が12回16日――。

この数字の見方は、さまざまだろう。私自身は、湯川の学究生活のかなりの部分が「軍事」に割かれていた、あるいは攪乱されていたように感じる。活動件数は1944年1月~45年8月の20カ月に計39回なのだから月2回のペースだ。新幹線がない時代、京都から横須賀へ、東京へ出張もしている。湯川は戦争末期に及んで、基礎科学を「国土に培養する」などと言っているだけでは済まされず、自身もキナ臭い世界に引きずり込まれたのだ。

その最たるものが、「太陽の子」でドラマ化された「F研究」だろう。海軍が荒勝文策京大教授に委託した研究。ウランの原子核分裂(nuclear fission)を軍事利用する道を探ろうとした。日記には1944年9月22日、「荒勝氏と核分裂の件相談」とある。10月4日には大阪で海軍との相談会にも出た。出席者が残した記録によれば、湯川も「連鎖反応の可能性」を解説したらしい。核分裂の「連鎖反応」は、原爆のエネルギーを得る要件である。

日記をさらにたどろう。1945年5月には、F研究が正式の「戦時研究」となり、6月23日には「第一回打合せ会」が学内で開かれる。7月21日には滋賀県大津の琵琶湖ホテルへ。著者によれば、海軍との会合があり、湯川は「世界の原子力」について語ったらしい。

湯川の終戦までの1年をどうみるか。占領軍は、湯川は原発開発計画に「全く関与していなかったか、わずかしか関与していなかった」と判定した。「湯川自身が非常に抽象的な物理学にしか興味を持っていない」事実が、関与のなさ、もしくは小ささと「符合している」とされたのだ。(占領軍に協力した米国の物理学者P・モリソン執筆の「秘密報告」=本書が引用した政池明著『荒勝文策と原子核物理学の黎明』〈京都大学学術出版会〉による)

私は、この判定に敵国の科学者にもあった湯川への敬意を感じつつ、違和感も覚える。引っかかるのは「非常に抽象的な物理学にしか興味を持っていない」とある点だ。湯川は、買って出たことではないかもしれないが、軍人を相手に原子核物理の先生役を務めている。心の片隅には、開戦の日に真珠湾の戦果を称えた素朴な心情があり、自分は「非常に抽象的な物理学」を「国土に培養する」のだという自負が芽生えていたのではないか。

そう考える理由は、湯川自身が終戦後まもなく発した言葉にある。第三章の冒頭では『週刊朝日』(1945年11月4日付)への寄稿「静かに思ふ」が引かれている。そのなかで湯川は、「道義の頽廃」を招いた原因に「個人・家族・社会・国家・世界といふやうな系列の中から、国家だけを取り出し、これに唯一絶対の権威を認めたこと」を挙げたという。科学者として戦中、国家ばかりにとらわれた浅慮を悔いているように思える。

湯川は戦後、世界政府の樹立をめざす運動にかかわった。その構想は冷戦時、夢想の産物に見えた。自国第一主義台頭の今は、なおさらだ。それは実現しても遠い先のことだろう。ただ、一人の科学者の内面を思い、国家意識の過剰を戒めることなら今でもできる。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年8月28日公開、同年9月20日最終更新、通算537回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

特別な8月、コロナと核の接点

今週の書物/
広島、長崎の平和宣言
松井一實・広島市長、田上富久・長崎市長(2020年8月)

カレンダー

今年の夏を「特別な夏」と呼んだのは、小池百合子東京都知事だ。コロナ禍は夏の風景を一変させた。人気の花火大会がとりやめになった、甲子園の応援合戦が消えた……そんな話ばかりではない。私たちは、いつもの年とは違う思いで鎮魂の日を迎えた。

8月と言えば、すぐに頭に浮かぶのは6日、9日、15日だ。俳句では、それを詠み込んだ類似句がたくさんできている(「本読み by chance」2016年12月9日付「俳句に学ぶ知財の時代の生き方」)。二つの被爆と一つの敗戦は今年、満75年の節目だったのだが、いずれも感染を避けるため、規模を小さくして挙行された。人々がまばらに並ぶ光景は、私たちがいま置かれている異様な事態を強く印象づけるものだった。

私は毎年、これらの式典で要人が語る言葉――宣言や挨拶や式辞――に注目している。いずれも平和の尊さを訴えていることに変わりはない。きれいごとの羅列という印象も拭えない。だが結構、読みどころがあるのだ。そのときならではの問題意識が織り込まれていることがある。行間ににじませた思いが伝わってくることもある。だからなるべく、テレビの生中継やニュースで聞くだけではなく、テキスト全文を熟読するようにしている。

2013年には松井一實・広島市長と田上富久・長崎市長の平和宣言を拙著『科学をいまどう語るか――啓蒙から批評へ』(岩波現代選書)で引いたこともある。このときに私が注目したのは、両市長ともその夏の宣言で東京電力福島第一原発事故に触れ、核エネルギーの危うさが原爆と原発に共通することを強く匂わせた点だ。日本社会は戦後長く、核の軍事利用と原子力の平和利用を別件として論じてきたが、それに疑問符を投げかけたのである。

今年は両市長がコロナ禍に言及するだろうと予想していたら、案の定そうだった。ということで今回は、松井・広島市長と田上・長崎市長の2020年版「平和宣言」(それぞれ8月6日と9日に発表)をとりあげる。全文は、広島市と長崎市の公式サイトで読んだ。

ではまず、広島市の平和宣言から。松井市長は第2段落でさっそく、新型コロナウイルス禍に言及している。その脅威は「悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか」という。その反面教師とは、約100年前のスペイン風邪だ。

それは第1次世界大戦中の1918年にはやり始め、翌19年にかけて流行の波が3度も押し寄せた。世界保健機関(WHO)は、全人類の25~30%ほどが感染したと推計している(国立感染症研究所感染症情報センターの公式ウェブサイトによる)。宣言はこのいきさつを踏まえて、こう強調する。「敵対する国家間での『連帯』が叶わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥(おとしい)れました」

スペイン風邪を「連帯」欠如の悪しき前例と見ているのだ。このことは、上記サイトの記述に照らすと腑に落ちる。流行の第1波に襲われたのは、大戦真っ盛りの2018年春から夏にかけて。このときの対策が手ぬるかったことは容易に推察される。参戦国は防疫と経済の両立どころではない。戦争に国力を注がねばならなかったのだ。結局は感染を第1波で封じ込められず、終戦前後の晩秋、より強烈な第2波を招いた。(季節は北半球のもの)

コロナ禍で「国家間」の「連帯」というと、医療資源を融通しあう国際協力がまず思い浮かぶ。これについては、スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクも、感染拡大の初期に執筆した「監視と処罰ですか?/いいですねー、お願いしまーす!」(松本潤一郎訳、『現代思想』2020年5月号所収)で論じている。ジジェクは、そこにコミュニズム再生の可能性を見ているのだ。(当欄2020年7月10日付「ジジェクの事件!がやって来た」)

宣言は、思想にまでは踏み込まない。感じとれるのは、連帯の第一歩は戦争しないことという素朴な訴えだ。幸いなことに今、世界規模の戦争はない。だが、政治権力者の顔ぶれを見渡すと、自国中心の発想が際立つ人があちこちにいる。紛争のタネは尽きず、その先には核戦争の危険がある。そこで市長は「私たち市民社会は、自国第一主義に拠ることなく、『連帯』して脅威に立ち向かわなければなりません」と強調するのだ。

広島宣言の要点は、「脅威」という一語に新型コロナウイルスの感染拡大と核戦争の危険増大をダブらせたことだろう。それは裏返せば、コロナ禍対策でもし世界に連帯の機運が蘇れば、核兵器禁止の流れも再び強まるかもしれないという淡い期待を抱かせる。

次に長崎平和宣言に進もう。こちらは後段で、コロナ禍の話が出てくる。とりあげているのは、医療関係者が緊迫した状況下で検査や治療に追われていたとき、世の人々が拍手を送ったことだ。この最近の出来事を振り返りながら、田上市長は呼びかける。「被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者」にも「心からの敬意と感謝を込めて拍手を」と。

私がはっとさせられたのは、市長が被爆者を患者や感染者ではなく医療スタッフになぞらえたことだ。被爆者は核の被害者だが、同時に核の不条理を体現して核戦争を食いとめてきた人々でもある。だから、「敬意」と「感謝」を表明したのだ。私は子どものころのキューバ危機を思いだす(「本読み by chance」2015年11月13日「米大統領選で僕の血が騒ぐワケ」)。人類は被爆の怖さを教えられていたからこそ、破滅を回避できたのだろう。

長崎宣言には、コロナ禍ももちだしながら、若い世代に語りかけたくだりもある。「新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです」。含蓄に富む一文だ。

新型コロナウイルス感染症や地球温暖化に対して、私たちが「当事者」というのはよくわかる。言葉を換えれば、被害者然としてはいられないということだ。前者で、人々は自分がうつされるリスクだけでなく、自分がうつすリスクも負わされている。後者では、その影響と思われる異常気象に右往左往しているのも自分、その元凶とされる温室効果ガス大量放出に手を貸しているのも自分という構図がある。

では、核兵器はどうか。これは政治家が扱う案件であり、私たちの大勢はもっぱら危険にさらされる側にいるというのが世間の常識だろう。ところが宣言は、それをコロナ禍や温暖化と並べたのである。そこから感じとれるのは、あなたの国の政治家が核戦略に執着したり、核不拡散に無関心だったりするならば、そんな人物を選んだあなたにも責任がありますよ、という理屈だ。市長がそこまで意図したかどうかはわからないが……。

2020年夏、広島と長崎の平和宣言は、核廃絶とコロナ禍克服をそれぞれの視点で結びつけた。広島は国際連帯の文脈で、長崎は市民の意識に引き寄せて。どちらも、来年の宣言ではコロナ禍がどう書かれることになるだろうか、と思わせるものではあった。

で、最後は楽屋話を。この拙稿は速報性ということでは先週公開したほうがよかったが、1週遅らせた。安倍晋三首相が15日の全国戦没者追悼式で読みあげる式辞もコロナ禍に言及するだろうから、その話を盛り込もうと思っていたのだ。たしかに、コロナは出てきた。ただ、「現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え……」とあるだけだった。首相の人間観や歴史観に格別の関心があるわけではないのだが、ちょっと拍子抜けだった。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年8月21日公開、通算536回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

ジジェクの事件!がやって来た

今週の書物/
「監視と処罰ですか?/いいですねー、お願いしまーす!」
スラヴォイ・ジジェク著、松本潤一郎訳、『現代思想』(2020年5月号、青土社)より

日々の管理

5年前のことだ。当欄の前身「本読み by chance」で『事件!――哲学とは何か』(スラヴォイ・ジジェク著、鈴木晶訳、河出ブックス)という本をとりあげたことがある(2015年12月18日付「ジジェク『事件!』の科学技術批判」)。著者は1949年生まれ、中欧スロベニアの哲学者。この本は2014年に刊行された。理系知をふんだんに取り込んだ同時代の哲学書。ネット社会の分析には、そうか、なるほどなあ、と目を見開かされた。

そこでは、ソーシャルメディア全盛の世相が皮肉られていた。なにごとかを世の中に発信する活動は、かつてはマスメディアに独占されていたが、今はだれにでもできる。これは、ネットという公共空間を一気に広げたように思えるが、そうではない、という。たとえば、「自分のヌードや個人的なデータや猥褻な夢をウェブ上にさらけだす人」が現れたことをどうみるか。私的空間を押し広げているととらえれば、公共空間の「私物化」にほかならない。

私は前述の拙稿で、著者には現代の科学技術が近代精神の産物を人々から奪いつつあるとみる歴史観があるらしい、と書いた。ネット空間の「私物化」は、IT即ち情報〈技術〉が「公共性」を脅かしている例だ。別の箇所には、脳〈科学〉批判も出てくる。科学者は神経回路の作用にばかり目を向けて、「自律した自由な主体としての〈自己〉の概念」を「幻想」と切り捨てるようになった、という。「主体性」も追いやられてしまったのである。

この本の題名にある「事件!」とは何か。文中には、事件とは何かを説明する記述があれやこれや出てくるので、ひとことでは定義できない。ただ著者は、人々が「公共性」や「主体性」を取り戻す契機となる事件を「!」付きで思い描いているようだと私は感じた。

もしかしたら……と思うのが、今回の新型コロナウイルス感染禍だ。これは、まぎれもなく人類史を揺るがす事件だが、著者は、そこに人々が変わるきっかけを見ようとしているのではないか。そうならば、この事件はまさに「事件!」ではないか。

で、今週は「監視と処罰ですか?/いいですねー、お願いしまーす!」(スラヴォイ・ジジェク著、松本潤一郎訳)を『現代思想』(2020年5月号、青土社)で読む。これは“The Philosophical Salon”というウェブサイトに今年3月16日付で載せた論考であり、原題は“Monitor and punish? Yes, please!”。「監視と処罰」は、ミシェル・フーコーの著書『監獄の誕生』(邦題)の原題から採ったらしい。コロナ禍の今を読み解いた論考だ。

そこで最初にとりあげられるのは、新型コロナウイルスの感染禍が「人びとの統制および規制措置の正当化と合法化」に手を貸しているように見える現実だ。例に挙がるのは、中国の「デジタル化された社会統制」やイタリアの「全面的厳重封鎖」。この種の統制や規制は、従来の「西洋民主主義社会」の常識では思いもよらぬことであり、リベラル派は警戒している。では、著者自身も同じ立場をとるのかと言えば、ちょっと違うらしい。

読み進むと、こんな記述に出会うからだ。「コロナウィルスの蔓延によってコミュニズムに新たな息吹が吹き込まれるかもしれないと提案したとき、案の定、私の主張は嘲弄された」(引用箇所で「ウィルス」とあるのは原文のママ、以下も)。表題同様に挑発的だ。

では、そのコミュニズムとは何か。図式的に要約すればこうなる。「呼吸器関連の医療機器を大幅に増やす必要」→「国家が直接介入する必要」→「その成功は、他国との連携にかかっている」。最後には、ああインターナショナル! 国際連帯が求められるというのだ。

著者は医療資源の配分――たとえば人工呼吸器や病床を誰に優先的に充てがうかというトリアージ――にも言及する。その局面で「最も弱い年長者を犠牲にする」という「適者生存」の論理が頭をもたげるが、それに対抗するのも「再発明されたコミュニズム」だという。

この論考で興味深いのは、著者が統制の概念を国家、社会のレベルから個人のレベルに引き寄せていることだ。コロナ禍の今、私たちはあらゆる「接触」に神経をとがらせており、「気になる物に触らず」「ベンチに座らず」「抱擁や握手を避け」「鼻に触れたり眼を擦ったりしない」という日常を過ごしている。「われわれを統御しているのは国家やその他の機関だけではない。われわれは自分を統御し規律化する術も学ぶべきなのだ!」

著者は、スロベニア(旧ユーゴスラビアの一部)という共産圏に育った。コミュニズムの「統制」には反発もあるだろう。その人がコミュニズムの再生を予感しているのだ。このことの意味は大きい。「統制」は「西洋民主主義社会」の価値観と相性が悪いが、とりあえずは生き延びるために致し方ない。コロナ禍はそれほどのことなのだ。このあたりを読んでいると、私たちは今、歴史的な転換点にいることを痛感する。

著者の論述は、終盤で文明論の色彩を帯びてくる。「どれほどみごとな精神的建造物をわれわれ人類が築きあげても、ウィルスや小惑星といった愚かな自然の偶発性が、それを完膚なきまでに壊滅させるかもしれない」。ここでは、ウイルスを小惑星と並べているところに注目したい。ウイルスは、遺伝子を変異させて凶悪度を高める。小惑星は、カオス運動で地球に接近することがある。どちらも予測困難。災厄は不意にやって来る。

私たちは災厄に見舞われたとき、なすがままにされているわけにはいかない。人類は人類以外の敵と闘わなくてはならない、そのためには統制や連帯が欠かせない――著者によれば、それを実現してくれそうなのが「再発明されたコミュニズム」というわけだ。私は、そこに近代精神の再評価を見てしまう。その論調は、科学技術の時代に「主体性」や「公共性」の復権を求めた前述の書『事件!…』とも響きあっている。

この論考は、人間すらも客観視している。ウイルスはヒトの体に忍び込み、そのしくみを借りて自らの遺伝情報を複製していくが、同じような存在はもう一つある――「人間の精神もまた、一種のウィルスではないか」というのだ。これは思いつきではない。進化生物学者リチャード・ドーキンスが提案した「ミーム(模伝子)」の概念に呼応している。(「本読み by chance」2017年9月15日付「ドーキンスで気づく近代進化論の妙」)

たしかに「精神」はヒトに「寄生」して「自己複製」を繰り返す。ヒトの体を乗っ取ってきたとも言えるだろう。ところが、そこに新しい乗っ取り犯が現れて、先客を脅かすようになったのだ。私たちは今、ヒトをめぐるウイルス対「精神」の闘争の渦中にいる。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月10日公開、同年8月13日最終更新、通算530回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

5Gで2Hは変わるか

今週の書物/
『5G
――次世代移動通信規格の可能性』
森川博之著、岩波新書、2020年刊

スマホの向こう

2時間ミステリー(業界では2Hと呼ぶらしい)のことは、当欄の前身でも繰り返し話題にしてきた。マンネリのドラマによくつきあっていられるね、という揶揄も聞くが、マンネリのまったり感がよいのだ。いや、それだけではない。余得がいっぱいある。

2Hは最近、新作が少ないが、BS局やCS局で旧作再放映を観ることができる。その副産物として楽しめるのが、1980年代~2010年代へのタイムスリップだ。街の風景、人々の言葉遣い、身の回りの品々……どれも時代を映している。なかでも、それがいつかを教えてくれる最強の記号は電話だろう。拙稿「ミステリーで懐かしむ黒電話の時代」(「本読み by chance」2015年1月16日付)では、次のように時間軸をさかのぼった。

〈ざっくり色分けすれば、2010年代はスマートフォン、00年代なら折り畳み式携帯、それも最初のころはアンテナ付き、1990年代後半は畳めない細長携帯、それ以前は固定電話が優勢でプッシュフォン、1980年代半ばより前はダイヤル式も多かった〉

同様の時代区分はIT業界にもある。移動電話を第1世代(1G)から第4世代(4G)まで世代分けしている。1Gの起点を1980年代としているようだから、人々の実感よりも早い。新技術が市場に出回るまでには、それなりの時間がかかるということだろう。

2020年代の私たちを待ち受けているのが5Gだ。コロナ禍がこの流れに水を差すという見方はある。だが、それとは逆の見通しもある。今、感染症に対する防衛策として社会活動を遠隔方式に改める動きが一気に広まっている。この潮流は、コロナ禍が収まっても次なる新型感染症の脅威が残るから変わらないだろう。そう考えると、5Gはブームがいったん勢いを失うかもしれないが、コロナ後の社会で待望されていると言えよう。

で、今週は『5G――次世代移動通信規格の可能性』(森川博之著、岩波新書、2020年刊)。著者は1965年生まれ、もともと電子工学を専攻した東京大学大学院教授。内外の審議会、公的委員会で要職を務めるなど、情報社会の未来図を描いてきた人だ。この本の刊行日は4月17日。コロナ禍の影響を考察する余裕はなかったようなので、コロナ後に5Gがどんな役割を果たすかに思いをめぐらすのは、読者自身ということになる。

この本には、移動通信の各世代を私たちに引き寄せた記述もある。「1Gは電話、2Gはメール、3Gは写真、4Gは動画」というのだ。たしかに携帯電話を初めて手にしたころ、それは持ち運び自在の電話機にほかならなかった。折り畳み式が出回るころには、短文メールをやりとりしていた。カメラとしても使われるようになると、撮影即送信という早業を楽しんだ。「写メ」である。そして今、スマホ画面で動画を見るのは日常になった。

では、5Gはどんなものになるのか。著者によれば、それは「超高速」「低遅延」「多数同時接続」の三つを具えた通信になる。このうち「超高速」は目新しくはない。1~4Gの進化は「高速化」の軸に沿っており、5Gはそれを「延伸したもの」に過ぎないからだ。

注目すべきは、残り二つ。低遅延の目標は、情報をやりとりするときの遅れを1ミリ秒、即ち1000分の1秒に置く。多数同時接続では1キロ四方の域内に端末機器100万台をつなげるようにする。これらは、ただの量的な進化ととらえるべきではない。それによって質の異なる「サービス」が生まれることになる。具体的には機械の「遠隔制御」、クルマの「自動運転」、リモート方式の「手術支援」などが期待されている、という。

1~4Gでは、通信の恩恵を受ける側の中心に消費者がいた。それは、前述の電話→メール→写真→動画の足どりをみてもわかるだろう。世代が代わるごとに消費者世界のありようが変わってきた。ところが、5Gは「制御」「運転」「手術」の列挙でわかるように職業人にも大きな影響を与える。たとえば、工事現場で重機が無人操作され、小売店が無人の営業になれば、建設業界や流通業界の人々の働き方は一変するだろう。

このあたりのくだりを読んでいて気になるのは、業界内でしかわからない用語が乱造されていることだ。たとえば、“B2C”と“B2B”。前者は企業が消費者向けにサービスを提供すること(本書では“Business to Customer”、ただし“Business to Consumer”とする説もある)を指し、後者は企業間取引(“Business to Business”)を意味する。5GはB2Bの市場を広げるというのだが、これなどわざわざ略語にする必要があるのだろうか。

私がこの本の長所と思うのは、ハードウェアの記述が手厚いことだ。情報系の本というとソフトウェアの話で終わってしまいがちだが、この本は違う。コトの技術にもモノの技術が必須要件としてかかわっていることを見落とすな、と叱られているような感じにもなる。

著者は「通信機器市場やスマートフォン市場では、残念ながら日本企業は競争力を失ってしまった」としたうえで、「5Gを支える部品や計測装置では日本企業の存在感は高い」とうたいあげる。5Gではミリ波など周波数の高い電波を使うので、これまでの部品が通用しないことがある。ある決まった周波数域だけを選り分ける「フィルター」などを例に挙げ、それをミリ波対応にする技術では日本企業が優位に立っていることを強調している。

地味だなあ、という気はする。主戦場で負けたから周縁部で取り戻す、という負け惜しみのようにも聞こえる。だが、必ずしもそうではない。実際、ハードの技術革新は都市を様変わりさせる潜在力があるのだ。たとえば「窓の基地局化」。電波は高周波になるほど障害物を回り込みにくくなり、到達距離も縮まる。だから、5Gの基地局は密に配置しなくてはならない。その結果、ビルの窓にガラスのアンテナが据えつけられるかもしれないという。

ここで著者は「生態系」という言葉を用いて、こう問いかける。「5G市場の生態系は、今までの延長線上となるのか、それとも新たな生態系が生まれるのか」――5Gは、消費者の目からみると、クルマ事情や買い物街の風景、病院の様子などを激変させるだろう。だが、それだけではない。生産者の立場からみても、新しい製品開発の機会をもたらしてくれそうだ。人間社会の「生態系」全体が変わるのは間違いないように私には思える。

この本からは、5Gがモノの物理に制約されている現実も見てとれる。5Gは低遅延化で「1ミリ秒以下」をめざしているが、著者によれば、それは「『無線区間』のみ」の遅れだ。基地局とサーバー(サービス提供用コンピューター)は光回線のような有線で結ばれているが、その区間の遅れは計算に入っていない。太平洋を越えた遠隔手術にも有線の壁がある。海底ケーブル部分に「往復で100ミリ秒程度」の遅延が見込まれるから、という。

有線遅延の制約を克服する技術として紹介されているのが「エッジコンピューティング」。昨今の情報管理では、手もちのデータを「クラウド」(雲)と呼ぶサーバー群に預ける方法が広まっているが、それに逆行する新機軸だ。基地局のそば、端末のそばに「エッジサーバー」を設けて情報処理する、という。端末そのものにエッジの役割を付加することもあるらしい。遅延を縮められ、貴重なデータを手近に置けるから、一石二鳥かもしれない。

著者は、コンピューターの技術が「集中と分散」を繰り返しているという歴史観を示す。20世紀半ばまでさかのぼって跡づけると、汎用機→パソコン→クラウド→エッジの流れがこれに相当する。技術の進化が生態系の遷移のようにも思えてくるではないか。

最後に、ハード面の話で気がかりが一つ。5Gに割り当てられる電波には、これまで移動通信に使われてこなかった高周波が含まれる。電磁波としてみると、赤外光や可視光に近い波長域。だから大丈夫かな、と思う気持ちがある半面、なじみの薄い電波が急に身近なところを飛び交うようになることに不安もある。欧州などで5Gの健康影響に警戒論があるのも、そんな事情があるからだろう。後日、5Gのリスクについても1冊読んでみたい。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月3日公開、通算529回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。