苦海浄土を先入観なしに読む

今週の書物/
『苦海浄土――わが水俣病』
石牟礼道子著、講談社文庫、2004年新装版、単行本は1969年刊

水銀

ジョニー・デップが製作して主演する映画「MINAMATA――ミナマタ」が今秋、公開された。1970年代、熊本県水俣の地に住みついて、公害病である水俣病の現実を世界の人々に伝えた米国の写真家ユージン・スミス。その活動を跡づける作品だ。

私がこの映画のことを知ったのは、テレビのニュースからだ。たまたま秋口に読んでいたのが、文庫版『苦海浄土――わが水俣病』(石牟礼道子著、講談社文庫、2004年新装版)だった。時間を見つけては少しずつ読み進んでいたので、頭のなかに「ミナマタ」が宿っていた。そんなとき、テレビから「ミナマタ」が聞こえてきたのだ。めぐり合わせの妙に驚いた。これを奇貨として、今回は『苦海…』をとりあげることにする。

当欄の前身でも打ち明けたことだが、私はこの本をこれまで完読していなかった(「本読み by chance」2018年3月2日付「石牟礼文学が射た近代という病」)。『苦海…』は1970年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞にいったん選ばれている。著者本人が受賞を辞退したため、作品の一部は「候補作」として『文藝春秋』誌(1970年5月号)に載った。それを読みかじって作品世界の底知れなさに圧倒され、以来、敬遠してしまったのだ。

拙稿「石牟礼文学が射た…」は、著者の石牟礼道子さん(1927~2018)が亡くなった直後に書いた。本来ならあのときに『苦海…』全編を読み通すべきだった。だが、私がとりあげた本は、地元紙記者が執筆した『水俣病を知っていますか』(高峰武著、岩波ブックレット)だった。なおも敬遠を続けたのである。それではいけない、という思いも残った。だから先日、書店の中古本コーナーで『苦海…』を見つけると、それをすぐに買い込んだ。

で、今回は巻末解説を含む400ページ余を読み切ったのだが、実はこれでも完読ではない。『苦海…』は、この本の刊行後に第2部、第3部が続いており、副題に「わが水俣病」とあるものは第1部にすぎない。この作品は、ほんとうに底知れないのである。

その第1部を読んでわかったのは、意外にも記録性が高い、ということだ。半世紀前の第一印象のせいもあって、この作品では水俣の人々、とりわけ水俣病患者たちが内なる思いをひたすら語っている、という先入観があった。だが実際は、それにとどまらない。化学物質の大量生産拠点が有機水銀という毒物を吐きだし、それが地産地消の地域社会に生きる人々の生をむしばんでいったという水俣の現代史が見渡せるつくりになっている。

この本には生の資料が頻出する。たとえば、新日本窒素肥料(現・チッソ)の附属病院医師、細川一博士が1956年8月、患者30人の診療結果をまとめた報告書。その病は、博士自身が同年5月に「原因不明」の神経疾患として保健所に届けていたものだ。これが「水俣病」の初確認とされる。博士は後年、病因が同社の排水にあることを動物実験で確かめたが、会社の意向で公表できなかった。科学者の良心と企業の理屈の板挟みになった人である。

この報告書は、水俣病確認直後の貴重な臨床記録だ。「まず四肢末端のじんじんする感があり次いで物が握れない。ボタンがかけられない。歩くとつまずく。走れない。甘ったれた様な言葉になる。又しばしば目が見えにくい。耳が遠い。食物がのみこみにくい」と、逐一症状が記されている。「増悪」「漸次軽快」などの医師用語もそのままだ。「後貽症」(後遺症のこと)には「四肢運動障害、言語障害、視力障害(稀に盲 難聴等)」とある。

報告書の結びでは「家族ならびに地域集積性の極めて顕著なこと」や「海岸地方に多いこと」も指摘されている。海岸部に集中しているのなら海が関係しているのだろう、同一家族に多いのなら食生活が原因かもしれない――そんな疑いをにおわせる記述だ。

この本には『熊本医学会雑誌』(第31巻補冊第1、1957年1月)に載った論文も出てくる。長文の引用だ。それによれば、この病気の多発集落は海寄りの傾斜地にあり、住人には「近海並びに、港湾内での漁獲に従事するものが多い」。食事面では副食で「漁獲の魚貝類を多食する」との記述もある。論文は、発病は「共通原因」の「長期連続曝露」によるとしたうえで、その「原因」を「汚染された港湾生棲の魚貝類」に絞り込んでいる。

『熊本医学会雑誌』の同じ巻からは、別の論文も引用されている。この病気にかかった猫の観察記録だ。「踊リヲ踊ッタリ走リマワッタリシテ、ツイニハ海ニトビコンデシマウ」「前脚ハ固定シタママ後脚デ地面ヲケルタメ、人間ノ逆立チト同様、体ガ浮キ上ガルヨウニナル」――漢字カタカナ交じりの武骨な文字列。意味を読みとろうにもすんなりとはいかない。猫の目に映る世界も同じようにぎこちなくなっているのか。そんなふうに思えてくる。

もちろん、『苦海…』最大の読みどころは水俣病患者の生きる姿、発する言葉にある。第一章に登場する少年「九平」も、その一人だ。庭で「おそろしく一心に、一連の『作業』をくり返していた」。ラジオのプロ野球中継が大好き。「作業」は野球の練習なのだ。ただ、「彼の足と腰はいつも安定を欠き」「へっぴり腰ないし、および腰」――この描写によって、後段に出てくる細川報告書の「四肢運動障害」が血肉化されて見えてくる。

第三章「ゆき女きき書」では、「ゆき」という患者が市立病院の病室で語りつづける。「嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた」「海の上はほんによかった」「ボラもなあ、あやつたちもあの魚どもも、タコどもももぞか(可愛い)とばい」(太字箇所に傍点)――これは、自ら漁に出て海の幸とともに暮らしていた人の真情だろう。医学会雑誌にある「汚染された港湾生棲の魚貝類」の「長期連続曝露」の現実がここにある。

作品全編を通してみると、このように主観と客観が巧妙に組み合わされている。著者の目に映る光景や、著者の耳がとらえた言葉は、水俣病という病が人間のありようにどんな影響を与えたかを生々しく、主観的に伝えてくれる。一方で、その合間に挟み込まれた報告書や論文などは無味乾燥である分、客観性があって、見たこと聞いたことの嘘のなさを裏打ちしてくれる。その二つの効果が見事に響きあったのが『苦海…』ではないか。

それで改めて思うのは、『苦海…』が1970年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞の選考審査に合格していることだ。大宅賞は、ノンフィクションに的を絞っている。1970年は初回だったのだから、当然、ノンフィクション性が高く評価されたとみるべきだろう。だが私たちは、作品の価値を水俣病の患者、家族の声を紡いだところにばかり見いだしがちだ。もう少し、ノンフィクション作品としての構造に関心を寄せてもよいだろう。

と、やや結論めいたことを書いたのだが、私にはもう一つ大いに気になることがある。巻末解説「石牟礼道子の世界」が、「実をいえば『苦海浄土』は聞き書なぞではないし、ルポルタージュですらない」と断じているのだ。その執筆者である渡辺京二さんは、石牟礼さんが1965~66年に『苦海…』の原型となる文章を連載した『熊本風土記』誌の編集人だ。作品誕生の事情をよく知っている。その人の言葉だから聞き流せない。

渡辺解説によると、石牟礼さんは患者たちの家をさほど足繁くは訪れていない。訪問時にノートや録音機を持参しなかった、ともいう。彼はあるとき、『苦海…』にある患者の言葉は実際に口に出して語られたものなのか、という疑念をぶつけてみた。「すると彼女はいたずらを見つけられた女の子みたいな顔になった」。そして、こんな答えを返したという。「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」

元新聞記者としては、驚くよりほかない。取材相手の発言を聞いて、主語と述語がつながらなかったり、「てにをは」がでたらめだったりするとき、書き手が相手の意をくみとって文を整えることはありうる。だが、それは最小限にとどめるべきものだ。ところが『苦海…』の著者は、気後れすることなく「心の中」を「文字にする」と言ったという。この内幕話は、私がこの作品を読んで受けた「記録性が高い」という印象を全否定しかねない。

そう言えば、この作品では事実と虚構の線引きがあいまいだ。登場人物には固有名詞が付されているが、それが実名なのか仮名なのかがはっきりしない。人物ばかりではない。水俣病の原因を「汚染された港湾生棲の魚貝類」とにらんだ前述の論文は、表題を「水俣地方に発生した原因不明の中枢神経系疾患に関する疫学調査成績」と明記しているが、筆者名は書かれていない。だから読み手は一瞬、論文は架空なのかと疑ってしまう。

実は、この表題の論文が実在することは今、熊本大学図書館の公式サイトで確かめられる。そこには、執筆陣の氏名も列記されている。この作品が採用した文書はリアルとみてよいだろう。その記録性が、著者による患者の「心の中」の斟酌を支えているのである。

渡辺さんはこの解説で、『苦海…』を「石牟礼道子の私小説である」と言っている。「私小説」かどうかは別にして、「小説」らしさに満ちていると私も思う。小説ではあっても、リアルな大事件の深層を感じとったという一点でノンフィクションなのかもしれない。

次回も『苦海…』を続ける。今度は、小説としての側面に光を当てるつもりだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年10月22日公開、同月24日更新、通算597回
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イルカ知を「動物の権利」で考える

今週の書物/
『イルカの島』
アーサー・C・クラーク著、小野田和子訳、創元SF文庫、1994年刊

動物福祉“animal welfare”

私のように1950~60年代、東京西郊に育った世代にとって、海と言えば江の島だった。正しく言い直せば、江の島の対岸にある藤沢市の片瀬海岸だ。当時の小田急電車は相模大野から江ノ島線に入ると、林地や田畑の只中を突っ切った。やがて、終点の片瀬江ノ島駅に着く。駅舎は、竜宮城を模した造り。子どもにとっては、これだけで遠足気分になったものだ。そこからちょっと歩けば砂浜に出る。眼前には白波の押し寄せる海が広がっていた。

小学校にあがる前だったか、あるいは、あがってまもなくだったか、真夏の一日、祖父母に連れられて、この海岸に来た。祖父母は当時の感覚からすればもう年寄りの域に達していたから、浜辺で水着になることはなかった。足を向けたのは、海沿いにある「江の島水族館」(現・新江ノ島水族館)。お目当ては、館の付属施設「江の島マリンランド」である。プールで水しぶきをあげて繰り広げられるイルカショーが人気の的だった。

今、新江ノ島水族館(「えのすい」)の公式ウェブサイトを開くと、沿革欄にその記述がある。マリンランドは1957年5月に開業。飼育は、カマイルカ3頭から始まった。「日本で初めてイルカの持つ能力をショーという形にアレンジして紹介することに成功」とある。

喝采があった。イルカたちが水面から跳びあがる。次から次へ弧を描いて空を切り、再び水中に消える。それが人間による調教の結果であり、イルカは芸をさせられているのだとしても、私たちはその芸達者ぶりに見とれたのだ。だが今、私たちは同じものを目のあたりにしても、あれほど素直に胸躍らせることはないだろう。現に私は近年も「えのすい」を訪れ、ショーを観ているが、心の片隅には一抹のわだかまりがあった。

それは、「動物の権利」(“animal rights”)が脳裏にちらついたからだ。この言葉を私は1990年代、欧州に駐在していたとき、しばしば目や耳にした。動物の権利保護は旧来の動物愛護とは別次元にある。家畜や実験動物の待遇、動物園のあり方などについて動物側の視点から問い直そうとする。私は、その主張がときに矛盾をはらむことに違和感を抱きつつ、人間がこれまであまりにも自己中心的だったことに気づかされたのである。

この機運の例を挙げよう。世界動物園水族館協会(WAZA)は2015年、イルカを入り江に追い込む捕獲法(追い込み漁)が「倫理・動物福祉規程」(画像)に反するとして、この方法で捕まえたイルカが日本で飼育されていることに警告を発した。これを受けて、日本動物園水族館協会(JAZA)は追い込み漁で獲ったイルカを買い入れることを加盟施設に禁じた。今ではイルカショーのあり方も、動物の権利や福祉の観点から見直されている。

で、今週は『イルカの島』(アーサー・C・クラーク著、小野田和子訳、創元SF文庫、1994年刊)。原著は1963年に出た。著者(1917~2008)は、『2001年宇宙の旅』で知られるSF作家。英国生まれだが、後半生はスリランカ(旧名セイロン)で暮らした。宇宙開発やITに象徴される第2次大戦後の科学技術を前のめりにとらえた人だった。ただ、その前のめりは衛星通信時代の到来を予言していたように、ときに的を射ていた。

本書も書き出しは、表題『イルカ…』に似合わず、近未来SF風だ。21世紀、深夜の北米内陸部。「谷間沿いの古い高速道路を、空気のクッションにのって、そのホヴァーシップは疾走していた」。それは、水陸両用の高速交通手段だ。轟音を発しながら近づいてきたが、その音が急に止まる。「いったいなにがおこったのだろう?」。主人公のジョニー・クリントンはベッドから抜けだして、その高速浮揚船「サンタアナ号」を見にゆく。

ジョニーは、幼いころに両親を航空機事故で失っていた。叔母の家庭で育てられたが、疎外感を拭いきれなかった。そこに突然、世界中を駆けまわる乗りものが現れたのだ。「チャンスが手まねきしているのなら、それについていくまでだ」。こっそり、黙って乗り込む。サンタアナ号はまもなく動きだした。積み荷の表示からみると、行き先はオーストラリアらしい。太平洋に出て大海原を突っ走る……。そして予想外の沈没事故が起こる。

ここからが、作品の本題だ。ジョニーが海面の浮遊物をいかだにして漂流していると、イルカの群れが近づいてきて、いかだを押してくれるではないか。連れてこられたのは、オーストラリア北東沖に広がるサンゴ礁地帯グレート・バリア・リーフの小島。島民は、そこを「イルカ島」と呼んでいた。イルカとの意思疎通を試みる研究所があるのだ。ジョニーは島に居ついて、研究所の創設者カザン教授やキース博士、そしてイルカたちと交流する。

研究室には、電子機器がぎっしり置かれている。教授と博士はスピーカーから聞こえてくる音に夢中だ。どうやら、イルカの鳴き声らしい。細部まで聴きとろうと、録音テープの回転数を落として再生している。イルカの発声に発信の形跡を見てとるつもりなのだろう。

ジョニーは、教授がイルカ語をしゃべるのも聞いた。それは、「器用にくるくると調子の変わる口笛」だった。教授によれば「イルカ語を流暢にしゃべることは、人間にはまずむり」。だが、自分は「ふだんよく使ういいまわしだったら十くらいは、なんとかしゃべれる」と言う。イルカ界には仲間内で通じるイルカ語があり、それは人間でも片言ならば習得できる――教授には、そしてたぶん著者自身にも、そんな確信があるらしい。

私が興味を覚えるのは、この作品は筋書きが牧歌的なのに、小道具が妙にテクノっぽいことだ。執筆時点の1960年代は、「半導体素子を使った精密な電子部品」が出回り、エレクトロニクスの開花期にあったからだろう。教授がジョニーに「きみにやってもらいたい仕事がある」と言って差し出すのも、キーが並ぶ「電卓のような装置」。腕時計式に腕に巻いて使う。家電のリモコン、あるいはウェアラブル端末の原型がここにはある。

キーの表示は「止まれ」「いけ」「危険!」「助けて!」……。キーを押せば「キーに書いてある言葉が、イルカ語できこえる」と教授。ジョニーに水中でこの装置を使ってもらい、イルカがどんな反応を見せるかを探ろうというのだ。イルカたちは、たいていのキーに的確に対応したが、「危険!」を押しても動かなかった。この実験が、人間の企てた「ゲーム」と察知したらしい。「彼らのほうが頭の回転が早いことはたしかだ」と教授は驚嘆する。

教授には、いくつかの構想があった。その一つが「海の歴史」をイルカに聞くことだ。人類の文明史は、古代や中世の詩人の記憶を通じて「何世代にもわたって継承」されてきた。だがそれは、有史時代の出来事に限られる。イルカにも「すばらしい記憶力」があるので、詩人の役目を果たす語り部がいるはずだ。実際に教授は、そんな語り部が語ったという伝説の一部を知り合いのイルカから聞いていた。それは人類が及ばない時間幅の物語だった。

伝説のなかには「太陽が空からおりてきた」という文言があった。大爆発があり、海水は熱湯と化して周辺のイルカは息絶え、逃げ延びたイルカもしばらくして死んだという。ここで、博士は驚くべき解釈をする。「数千年前に、どこかに宇宙船が着水した」「核エンジンが爆発し、海が放射能で汚染された」。教授もこの見方を支持して、知的生命体の飛来があったという仮説を立てる。それで、イルカからもっと話を聞きだそうとするのだ。

この作品は、エレクトロニクスがたかだか電卓級の技術水準でしかなかったころ、その先に広がる情報技術(IT)の時代を見通している。描かれるのは、通信のネットワークに海洋哺乳類を引き入れようとする人々だ。人類の記憶を有史、地上の制約から解き放って、有史以前や海洋に拡張しようという発想は良い。人とイルカの交流も微笑ましい。だが、そこに見られるイルカへの友愛と期待は、動物愛護という地点にとどまっているように思える。

気になるのは、シャチに対する実験だ。シャチはクジラ目マイルカ科の海洋哺乳類だが、広義の仲間と言ってもよいイルカですら捕食してしまう。そこで教授は、生理学者のチームにシャチの「教育」を委ねる。脳内に電極を装着して脳の働きを調べたり、電流をアメとムチのように使って行動を制御したりする、というものだ。こうしてシャチは、イルカを襲わなくなった。イルカにとっては都合よいが、シャチの権利は完全に無視されている。

ジョニーは、生理学者がシャチの脳を電気仕掛けで操作する様子を見て、「自分もこんなふうに他人にコントロールされる可能性があるんだろうか?」と自問する。悪用されれば「核エネルギー」と同様、「危険な道具」になる――。この点では、著者も科学技術に対して前のめりではない。ただシャチの実験には、もう一つ別の問題があることを忘れてはならない。それは動物の権利を、エコロジーに適うかたちでどう重んじるか、という難問だ。

人間が異種の動物に知性を見いだすことは、動物の権利尊重につながる。人知が相対化され、知性の多様さに気づく契機にもなる。だが、知的で友好的だからと言って、その種ばかりに肩入れすれば生態系の平衡が失われる。可愛い異種だけを可愛がってはいけない。
*引用箇所にあるルビは原則として省いた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年8月27日公開、同日更新、通算589回
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原爆の真実はないことにされた

今週の書物/
『原爆初動調査 隠された真実』
NHK
スペシャル、2021年8月9日放映

テレビ(番組表は朝日新聞より)

表題に「…書物たち」と謳いながら、テレビ番組について語るのはどうか。そんなためらいはあった。だが、前身のブログも「本読み…」を名乗りながら、ときに映画を題材にしていた。映像も音声も「書物」の別形態と解釈して、思考の糸口にさせてもらおう。

『原爆初動調査 隠された真実』(NHKスペシャル、2021年8月9日放映)。この番組を見ようと思った理由は、当欄先々週の『荒勝文策と原子核物理学の黎明』(政池明著、京都大学学術出版会)にある。(2021年8月6日付「あの夏、科学者は広島に急いだ」)

あの本によると、京都帝国大学のグループが被爆直後の広島を踏査した結果は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が原爆被害の研究を規制するよりも早く世に出たので、史料価値が高いということだった。それで、原爆をめぐる米軍の情報操作が気になったのだ。

実際、京大グループの調査結果は異例なかたちで公表されていた。グループを率いる物理学者荒勝文策教授が一般紙に寄稿したのだ(朝日新聞大阪本社版に4回連載、1945年9月14日~17日付)。新聞の手早さがGHQを出し抜いたとも言えよう。

本題に入ろう。このドキュメンタリーでは、米国の軍部が広島、長崎への原爆投下後、被爆地の初動調査で何を見いだしたのか、そのデータをどう扱ったのか――が主テーマになっている。取材班は、日本国内はもとより米国や旧ソ連圏にも足を運んで、当事者の親族や関係分野の専門家から話を聞きだし、秘蔵の資料も掘り起こしていく。それで見えてくるのは、原爆の真実が政治の思惑に翻弄され、歪められたという事実だ。

このドキュメンタリーは、そんな戦後史の構図を大上段からは描かない。政治の思惑によってもたらされた不条理を、一つの地域の住人の目でとらえ直している。そのことで、この初動調査をめぐる情報操作がどれほど罪深いことであったかが胸に迫ってくる。

その地域とは、長崎市中心部から約3km離れた西山地区だ。8月9日、原爆が落とされた瞬間は、熱線や爆風が周りの山に遮られて被害を免れた。ただこの日、住人は不気味な体験をする。「泥の雨」が降ったのだ。やがて、体調不良を訴える人や原因がわからずに亡くなる人が出てくる。原爆の怖さは一過性ではなく、尾を引く。その正体は、天空から降る物質や地上で放射化した物質が出しつづける放射線――残留放射線である。

米国は1945年9月から約4カ月間、科学者や軍人を長崎と広島へ派遣して、現地調査に当たらせた。取材班は今回、米海軍が二つの被爆地の約1000地点で残留放射線を調べた記録を発掘する。そこで注目されている地点の一つが「西山地区」だった。

その報告書に特記されていたのは、こういうことだ。「西山地区は山あいにあり、爆発時の初期放射線を受けずに済んだ。ところが、残留放射線は爆心地よりも高かった」。計測された最高線量は1時間当たり11マイクロシーベルト。まる4日間で一般人の年間線量限度に達する。測定器を地面に近づけると数値が倍に跳ねあがる、という生々しい体験も記されている。この地区の残留放射線が高いのは地形に起因するらしい、と結論づけていた。

この報告書のまとめ役となった海軍少佐は、生理学が専門だった。当然、健康被害への関心がある。調査では放射線の線量を測るだけでなく、住人の血液も分析したという。

では、この記録は米本国でどんな扱いを受けたのか。くだんの少佐の証言はこうだ――。帰国してから報告書を完成させ、マル秘(シークレット)文書として提出すると、上官に呼びつけられる。そこには、原爆開発のマンハッタン計画を仕切り、被爆地調査の責任者でもあったレズリー・グローブス陸軍少将がいた。「これは、トップシークレットにすべきだった。すべてを忘れろ。報告書を書いたことも忘れろ」。耳を疑う言葉ではないか。

グローブスはなぜ、こんな無茶を言ったのか? このドキュメンタリーによれば、彼にとって、そのころの悩みの種は残留放射線だったらしい。被爆者の受難は「疫病」に似てすぐに収まらない、被爆地には「70年も草木が生えない」――世間ではそんなことが言われだし、原爆の健康被害は長く続くとの見方が強まっていた。米国は、そこに占領軍の兵士を送り込むわけだから、議会や世論に反発の嵐が吹いても不思議はなかったのだ。

グローブスにとって残留放射線はあってほしくないものだった。だから、「ない」と言いたい。好都合にも、助け舟があった。マンハッタン計画の中心にいた物理学者ロバート・オッペンハイマーの見解だ。広島や長崎の原爆は高度600mで爆発したので、放射性物質はほとんど落下せず、直下の地上に残留放射線はない――というのだ。グローブスは、これに飛びついた。科学によって確認された事実を科学者の権威によって否定したのである。

このドキュメンタリーは、米国原子力委員会の議事録も引いている。グローブスは残留放射線について問われ、こう答えた。「皆無と断言できます」。高いところでの爆発であることを強調して「放射能による後遺症はない」とも言う。質問に「倫理」という言葉が出てきたときは「ひと握りの日本国民が放射能被害に遭うか、その10倍もの米国人の命を救うかという問題」と切り返している。被爆者の立場からみれば許しがたい暴言である。

原子力委の議事録によれば、グローブスは国家戦略として核開発を続行する必要も訴えている。「原子力研究をやめることは、米国が自ら死を選ぶことに等しい」。この立場からみれば、被爆地で見つかった残留放射線は邪魔ものでしかなかっただろう。

グローブスの論理は、あまりにも自己中心的だ。戦争を正当化して「ひと握り」の他国民を見捨てる。自国民にも放射線のリスクを伏せて、占領政策や核政策を進めようとする。そこにあるのは自国第一、軍事第一の思想で、科学者は都合よく利用されるばかりだった。

ドキュメンタリーでは、西山地区の一人の女性に焦点を当て、この不条理をあぶりだす。1945年夏には1歳、兄の背におんぶされていたとき、泥の雨を浴びた。健康だったが、17歳で白血病が見つかり、23歳で命が尽きた。発病は残留放射線のせいなのか? 疑わしいが断定はできない。被爆していない人も一定の比率で白血病を発症するからだ。もっていきようのない怒り。画面には、成人式を記念する着物姿の写真が映しだされる。

米国の核科学者の一人も、西山地区の調査資料を遺していた。今年、遺族が遺品のなかから見つけたという。そこには、採取した土が含む放射性元素の核種名が並んでいた。このドキュメンタリーは、日本の科学者にも取材して、これらのデータがもし「日本に伝えられていたら」……と問いかける。核種によっては人体の特定の部位にたまりやすいものがある。だから、データはどんな病気が起こりやすくなるかを知る手がかりにはなりえたのだ。

白血病死した前述の女性の義姉は言う。「腹がたちます。人として見ていない感じがする。実験みたいにしているなって」。胸に突き刺さる言葉だ。米国は、実証を重んじる気風のせいか、原爆被害の実態をつぶさに調べた。だが、その結果を真っ先に知らせるべき人に知らせず、自分たちが知っていることすら伏せ、あることをないことにした。西山地区の人々は被爆し、被曝し、そして無断で被験者にさせられたとは言えないか。

このドキュメンタリーは後段で、連合国の一つであった旧ソ連も被爆地を調査したことに触れている。これで驚くのは、調査員の手帳には被爆のものすごさや残留放射線に起因するらしい被害が書きとめられているのに、ソ連政府の報告書が「被爆地は、報道されていたほど恐ろしい状況にない」としていることだ。当時のスターリン政権は米国への対抗心から原爆の威力を小さく見せようとしていた、と歴史学者は分析している。

原爆は原子核反応によって爆発するから、放射線という目に見えないものを伴う。だからその影響調査は、科学的な測定だけが頼りだ。ところが現実には、政治の思惑に弄ばれていた。その実態は、20世紀最悪の情報操作の一つだったように私には思える。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年8月20日公開、同日最終更新、通算588回
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あの夏、科学者は広島に急いだ

今週の書物/
『荒勝文策と原子核物理学の黎明』
政池明著、京都大学学術出版会、2018年刊

8月6日

東京五輪2020はまもなく閉幕だが、コロナ禍の拡大はとどまるところを知らない。気がかりなことが多い夏だが、今週は公開日が8月6日にぴったり重なった。折しも政府は7月、広島の原爆で「黒い雨」を浴びた人々に対して「被爆者」認定の幅を広げることを決めた。当事者たちが起こした訴訟で下級審による原告勝訴の判決を受け入れ、上告を見送ったのだ。そこで今回は76年前、広島の現実に科学者がどう向きあったかに着目する。

それならばあの本がある、と思い浮かんだのが『荒勝文策と原子核物理学の黎明』(政池明著、京都大学学術出版会、2018年刊)。著者は1934年生まれ、京都大学出身で、素粒子研究が専門の物理学者だ。京大教授などを務めた後、2000年代半ばに日本学術振興会ワシントン研究連絡センター長として現地に駐在した。本書は、このときに米国の議会図書館や公文書館の資料を調べ、さらには国内の文献も読み込んでまとめた大著である。

著者は私にとっても、おつきあいの深い物理学者だ。若手記者のころは素粒子物理の取材でお世話になった。新聞社を退職してからは同じサイエンスカフェに参加していた。そう言えば去年2月、コロナ禍のマスク生活に突入する直前、会食をご一緒している。

その席での話題の一つが、本書が跡づけた京都帝国大学の戦時研究だった。表題にある荒勝文策は敗戦前後、京大教授だった原子核物理学者。戦中は海軍の委託で原子核エネルギーの解放を軍事に用いる可能性を探った。「F研究」である。それが原爆開発にどれほど近づいていたのか。著者から教わることは多かった。だから、いずれは当欄で本書を紹介したいと考えていた(書名だけは2020年8月28日付「戦時の科学者、国家の過剰」で言及)。

この流れで言えば、本書を手にとったならば、まずはF研究の記述を読み込むのが筋だ。だが今回はあえて、もう一つの読みどころをとりあげることにする。荒勝を中心とする京大チームが被爆直後の広島を踏査した記録である。新型爆弾は、一瞬にして都市一つを全壊させるほどのものなので核エネルギーの解放である疑いがきわめて濃厚だったが、即断はできない。現地調査の第一の使命は、その正体を確定させることだった。

私が、この記録に惹かれたのには理由がある。原子核物理学者が被爆現場を歩くというのは、科学者が科学の生みだした地獄を目撃することだ。そこで何を思い、どんな動きをとったかを見れば、そこから科学者特有の思考様式や行動様式が浮かびあがってくるように思われた。で、今回は本書第1編「通史」の第2部「原爆の調査」に的を絞る。京大が1945年8月から9月にかけて都合3回、広島へ送りだした調査団の活動が詳述されている。

まずは8月6日、広島に原爆が落とされた後、荒勝グループにはどんな情報がどのようなかたちで届いたのか。本書によると、荒勝は7日夕、同盟通信の記者から「情報を得た」。情報の中身は書かれていないが、米国のハリー・トルーマン大統領が原爆投下を公表したのが日本時間7日未明だから、そのことも含まれていたのだろう。同じ日、東京でも同盟通信記者が理化学研究所の物理学者仁科芳雄に接触、大統領声明文を手渡したという。

さすが理系集団と思わせるのは、グループの一員である京大化学研究所の所員が、米国の短波放送を聞いて原爆の詳報を得ていたことだ。それは大統領声明だけでなく、原爆開発にどれほどの資金と人員が投じられ、核実験がどんなものだったかについても伝えていた。

8月9日、京大調査団が広島に向けて出発する。京都駅午後9時半発の夜行に乗った。荒勝を団長とする総勢11人。「理学部班」と「医学部班」の2班編成で、理学部班には荒勝グループの助教授や大学院生が含まれ、陸海軍の技術将校も加わっていた。広島到着は翌10日正午前。調査団は「広島駅近くで死傷者を積んだ無蓋貨車とすれ違い、さらに駅前の屍を見て衝撃を受ける」。これは、団員の日記をもとにした記述である。

調査団は土壌などの試料採取を駅裏の東練兵場から始め、続いて市内を回った。荒勝ら幹部は、陸海軍が仁科ら東京の調査団と開いていた「合同特殊爆弾研究会」に合流する。興味深いのは、会議で新型爆弾の正体について問われたとき、仁科は「原子爆弾だと思います」と答えたが、荒勝は「そう思います」と同調しつつ「今科学的な調査をやっているから、それが出来たら判断します」と確答を控えたことだ。科学者らしい見解ではある。

実際、この時点では原爆否定説もあった。陸軍がまとめた報告書によれば、米軍が夜のうちに上空から発火剤や閃光剤を撒き散らし、夜が明けてから火をつけて爆発させたという説などが出ていたらしい。大本営発表流のフェイクか、情報収集力の乏しさゆえの妄想か。

荒勝チームは10日夜、帰途につく。二夜連続の列車泊。一刻も早く「確証を得たい」と考えたのだ。11日昼前、京都着。大学では大学院生や学部生が待ち構えていて、手づくりのガイガーカウンターで放射能を測った。本書は、当時の学部生が60年余の歳月を経て、当日を振り返った私信を紹介している。試料に人骨が混ざっていたこと、「練兵場の砂」から「自然放射能の3倍以上」を検知して「ゾー」としたこと……その記憶は生々しい。

ただ、これでも「科学的」には不十分だった。著者によれば、荒勝にとって原爆の確証を得るとは「核分裂によって生ずる放射性物質」や「核分裂の際発生する中性子による誘導放射能」をとらえることを意味した。「核分裂」の直接証拠を押さえようとしたのだ。それには、試料がもっと要る。そこでグループは12日夜、広島へ第2次調査団を送りだす。今度は合わせて9人。理学部の研究者と海軍の技術陣が中心で学部生も動員された。

第2次調査団もまた、市内を歩き回って試料を集めた。背中のリュックは試料で満杯になる。「焼け跡の泥棒に間違えられた」ことが一度ならずあったという。集めたのは、土壌や金属片、馬の骨片など。倒壊電柱の碍子からは接着剤の硫黄成分が、焼け跡に残る電力計からは部品の磁石やアルミニウム回転板が、それぞれ採取された。馬の骨(カルシウムを含む)、硫黄、磁石(たぶん鉄製)、アルミ板……目のつけどころが、ちょっと違う。

荒勝の目論見は、海軍に提出した「調査結果」の文書に載っている。その筋書きはこうだ。爆弾がウランの核分裂によるものなら、爆発時に中性子が放たれ、地上の物質にぶち当たる。その結果、物質は放射能を帯びる。放射化による誘導放射能だ。カルシウムも硫黄も鉄もアルミも、中性子によって放射化されればβ線を放つ――。実際、収集した試料にはどれも「強烈なβ放射能」があり、「高速中性子による誘導放射能」の存在が歴然だった。

荒勝は8月15日、結論を下して、海軍技術研究所の将校宛てに電報を打つ。
「シンバクダンハゲンシカクバクダントハンテイス」
この日、日本は敗戦したのである。

本書は、科学者の心にときに悪魔が顔をのぞかせることも見逃さない。たとえば、調査団の学生が後年、自著に記した反省の弁を引用している。この人は、自分が拾った試料の放射能が京大調査団のなかで最高値を記録したことに「少し気をよくしていた」。そんな自分が「恥ずかしくなる」と振り返っている。本書を読むと、当時すでに放射線被曝の怖さはかなりの程度まで知られていたことがわかるが、それでもこんな心理状態に陥ったのだ。

もっと怖い話もある。荒勝が第1次調査団の帰洛を急がせたのは、調査報告を早めるためだけではなかったとする側近の証言だ。京都にも原爆投下があるらしいという噂を広島で聞きつけ、爆発の一部始終を比叡山頂で観測しようと思い立ったからだという。本書は『昭和史の天皇――原爆投下』(読売新聞社編、角川文庫)を引いているだけで、それを裏打ちする史料はない。もし本当なら、科学者の探究心の底知れなさに背筋が寒くなる。

京大は9月、第3次の調査団を広島へ送り込んだ。理学部班の目的は残留放射能を調べることだった。ところが17日、枕崎台風が中国地方を襲い、深夜に宿舎の陸軍病院が山津波の直撃を受ける。11人が犠牲となった。本書は、そのいきさつも入念に記している。

被爆直後の広島に入った京大の科学者は志の高い人々だった。一つには、一都市を壊滅状態にさせた元凶の正体をあくまでも科学によって突きとめようとしたことだ。もう一つは、そのためならば、ということで、放射線によって自らが受けるリスクも顧みず、焼け野原を歩きまわったことだ。いずれも、科学者らしいと言えば科学者らしい。だが、その科学者らしさは、ときに理性と矛盾する。そんな痛切な教訓が本書からは見てとれる。
*この拙稿本文では、本書に登場する人物の敬称を省いた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年8月6日公開、同日更新、通算586回
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チャペックの疫病禍を冷静に読む

今週の書物/
『白い病』
カレル・チャペック著、阿部賢一訳、岩波文庫、2020年9月刊

白いマスク

去年、コロナ禍の前途が見通せなかったころ、私の本漁りは混乱した。世を覆う暗雲は無視できない。その一方で、生々しい話からは目をそらしたい気分もあった。たとえば、パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』(飯田亮介訳、早川書房、2020年4月刊)は、その緊迫感ゆえに当欄で直ちにとりあげたが(2020年5月1日付「物理系作家リアルタイムのコロナ考」)、買い込んだままページを開くのをためらっていた本もある。

戯曲『白い病』(カレル・チャペック著、阿部賢一訳、岩波文庫、2020年9月刊)は、その一つだ。著者(1890~1938)はチェコ生まれの作家。代表作「R・U・R」はロボットという新語を生みだした戯曲で、AI(人工知能)時代の到来も予感させる。

チャペックと言えば、私はその著書『未来からの手紙――チャペック・エッセイ集』(飯島周編訳、平凡社ライブラリー)を話題にしたことがある(「本読み by chance」2016年1月8日付「チャペック流「初夢」の見方」)。それは、排他的な移民政策をとる権力者が米国に現れる未来を予測していた。そして実際、この拙稿公開から1年後、国境を壁で閉ざす政策を掲げたドナルド・トランプ氏が米国大統領に就任したのである。

大した予言力だ。それは、チャペックがもともと新聞記者だったことに由来するのかもしれない。作品の主題は、個人の心の襞や愛憎ではない。ジャーナリストの鑑識眼で社会を読み解き、それにいくつかの仮定を施して次の時代を見通す。さながら、コンピューターを用いた数値実験のようなものだ。その作家が、この戯曲では疫病禍をとりあげている。私たちが直面するコロナ禍の先行きが暴かれているようで、ちょっと怖いではないか。

さて、そんなふうに怖気づいてから半年ほどが過ぎた。今も、コロナ禍は深刻なままだ。特効薬がない、病床確保が十分ではない、という状況は変わらない。ワクチン接種が始まったことだけが明るい材料だが、半面、ウイルスの変異株が次々に現れて心配な雲行きだ。一つだけ明言できるのは、あとしばらくは――たぶん、それは年単位の話だろう――ウイルスとワクチンの攻防が続くということ。そんな全体像だけは認識できるようになった。

ならばきっと、半年前よりもこの作品を冷静に吟味できるだろう。そもそも、ここに描かれる「白い病」は架空の疫病だ。しかも、作品が発表されたのは1世紀前の1937年。DNAの立体構造発見(1953年)よりもずっと前のことだから、感染の有無を遺伝子レベルで調べるPCR検査はなく、蔓延の様子を正しく把握することも至難の業だった。病原体の正体はわからず、伝播経路も追跡できない。とりあえず、今のコロナ禍とは別の話だ。

さっそく、戯曲の中身に入ろう。この作品で、著者は疫病流行時の世相を模式化して描いている。それは、いわば社会の縮図だ。登場人物には、最高権力者と思しき元帥がいる。爵位を有する軍需産業の経営者もいる。二人一組で産軍複合体の象徴か。医学界には、大物の大学病院教授。この人は、国の「枢密顧問官」でもある。新聞記者も出てくる。中流家庭の家族も顔を出す。そして陰の主役が、変わり者扱いされる医師ガレーン博士だ。

まずは、この病の素描から。教授は記者の取材に答える。「皮膚に小さな白い斑点ができるが、大理石のように冷たく、患部の感覚は麻痺している」。罹患の徴候は「大理石のような白斑(マクラ・マルモレア)」だが、皮膚病ではない。「純粋に体内の病」であり、数カ月後に敗血症で亡くなる人が多いという。治療は「適量の鎮静剤を処方すること」。対症療法しかないということだ。教授は、この現実を記者にはわからない用語を使って言う。

教授によれば、この疫病は「白い病」と呼ばれているが、正式名称は症例報告者の名に因んで「チェン氏病」。初症例が見つかったのは「ペイピン」の病院だという。ペイピンが「北平」なら北京の旧称だ。教授は、中国では「興味深い新しい病気」が「毎年のように」出現していると言い添える。黄禍論の影響も感じとれる。だが一方で「貧困がその一因」との認識も示しているから、作者の帝国主義批判の表出と読めないこともない。

チェン氏病は、すでに世界的な大流行、即ち「パンデミック」の様相を呈している。500万人超が亡くなり、患者数は1200万人にのぼる。世界人口が今の3分の1のころだから単純には比較できないが、死者数が数百万人規模である点は今回のコロナ禍と共通する。

さらに注目したいのは、教授が「白い病」のパンデミックが見かけより大きいとみていることだ。報告された患者数の3倍以上の人々が「斑点ができているのを知らずに世界中を駆けずり回っている」――と教授は指摘する。斑点は無感覚だから感染に気づかない、多くの人は知らないうちに感染拡大に手を貸している、ということだ。これは、コロナ禍で無症状の感染者がウイルスの伝播に一役買っている現状を連想させる。

このことは疑心暗鬼も呼び起こす。それは、教授が自室でひとりになったとき、ふと漏らす独り言からもうかがわれる。ト書きに「立ち上がって、鏡の前に立ち、注意深く顔を眺める」とあり、「いや、ないな。まだ、出てはいないな」とつぶやく。教授は新聞記者に対しては、医学の権威としてチェン氏病の蔓延を客観的に論じていた。だが内心を覗けば、自分自身も感染しているかもしれない、という疑念を拭い去れないでいたのだ。

もう一つギクッとするのは、「白い病」が年齢限定であることだ。教授は、感染が45歳、あるいは50歳以上に限られるとして、人体の経年変化「いわゆる老化」がこの疫病に有利な条件もたらすという見解を披瀝する。今回の新型コロナウイルス感染症には、罹患年齢にはっきりした区切りはない。だが、高齢者が重症になりやすいという傾向は早くから言われてきた。著者は、疫病禍が老若の断絶を明るみに出すことも見通していたのである。

この戯曲では、一家団欒の会話にもこの軋轢がもちだされる。父が「五十前後の人間だけが病気になるのはどう考えても公平じゃない」と不満を漏らすと、娘は辛辣に応じる。「若い世代に場所を譲るためでしょ」。息子も、この世代交代論に乗ってくる。国家試験のために受験勉強中の身だが、先がつかえていれば合格しても職がないというのだ。「でも、もうすこし長生きしてほしいけど」と言い添えているから、半ば軽口ではあるのだが……。

病気そのものの話は、このあたりで打ち切る。さて、ガレーン博士とは何者か? 大学病院で教授と面談する場面では、自分は地域医療の医師で、「とくに、貧しい方の診療をしています」と自己紹介している。その実践のなかで「白い病」の治療法を見いだしたという。数百人に施したところ、回復率は「六割ほど」。そこで、臨床試験を大学病院で試みたいと願い出る。教授は上から目線で聞き流していたが、興味がないわけでもなさそうだ。

ガレーンには強みがあった。彼はかつて、教授の義父の助手だったのだ。義父は医学界に君臨した人物。その有能な弟子だったらしい。そうと知って教授も嘆願を受け入れる。とりあえず、治療費が払えない患者が集まる13号室での治験を許すのだ。

実際、その治療効果は目を見張るものだった。元帥は「奇跡と言ってよい」とほめる。教授は当初、ガレーンが治療の詳細を明かさないことに怒り、「君は、自分の治療法を個人的な収入源と捉えている」となじっていたが、元帥の称賛には「身に余る光栄」と悦に入る。

この戯曲で最大の読みどころは、そのガレーンのたった一人の闘いだ。ネタばらしになるので、筋は追わない。ただ一つ言いたいのは、彼が「白い病」の治療法――その正体は「マスタードみたいな黄色い液体」の注射薬らしい――の独占を企む動機が、物欲でも栄誉欲でもないことだ。最終目的は悪事ではない。それどころか、善意に満ちている。ただ、善のために医療行為を駆け引きのカードにしてよいか、と問われれば議論は分かれるだろう。

これを読んで私は、コロナ禍の行方が今、ワクチンに左右されている現実を思う。ワクチンが巨大な知的財産であること、外交の切り札になること、今や安全保障の必須要件でもあること……そんな力学が際立つ時代の到来を、チャペックの『白い病』は暗示していた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年7月9日公開、同日更新、通算582回
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