立花隆の宇宙は夢とロマンじゃない

今週の書物/
「宇宙船『地球号』の構造」(『諸君』1971年4月号初出)
=『文明の逆説――危機の時代の人間研究』(立花隆著、講談社文庫、1984年刊)所収

宇宙から見た地球(NASA画像)

もう、ふた昔も前に『サイアス』という雑誌があった。1996年秋に創刊された隔週刊の科学誌だ。朝日新聞社が出していた月刊『科学朝日』の改名後継誌。残念なことだが、やがて月刊に戻り、世紀末の2000年に「休刊」という名の店じまいとなった。

『サイアス』創刊号(1996年10月18日付)で表紙を飾ったのが、先日訃報が伝えられた希代のジャーナリスト、立花隆さんの顔の大写しである。その余白を埋めるように誌名『SCIaS』のロゴがあり、「連載/立花隆/100億年の旅」(/は改行)という大見出しもあった。見出しで大書されているのは連載名「100億年の旅」ではなく、筆者「立花隆」のほうだ。出版市場で、この人の集客力がどれほど強かったかがみてとれる。

創刊の半年前、私は新聞社内の異動で出版局へ移り、まもなく『サイアス』編集部の副編集長になった。副編の仕事は、編集長のもとで誌面を企画したり、寄稿者や記者の原稿を整えたりすることだ。副編は二人いたが、立花連載の担当は私になった。私は創刊の準備段階からかかわり、編集者となる部員とともに立花事務所をよく訪ねたものだ。それは「猫ビル」と愛称される建物で、階ごとに別分野の書物を詰め込んだ知の要塞だった。

「100億年の旅」は、立花さんが理系の研究室を訪れ、研究者に長時間のインタビューをして記事にまとめるというものだった。人工知能、ロボット、仮想現実感……当時はまだ目新しくもあった領域に分け入り、突っ込んだ質問をたたみかける。取材は、知的好奇心の赴くまま盛りあがったようだ。私が深夜、編集部で仕事をしていると、取材に付き添う部員から電話がかかり、「まだ続いています」とあきれ気味の報告を受けることもあった。

やがて、立花さんから原稿が届く。私はそれを副編として読むのだから、誤字脱字がないか、事実誤認がないか、中見出しをどうするか、など実務に気をとられた。いま思うと、立花流の科学筆法を第一読者としてもっと味わえばよかったな、という悔いがある。

立花流の特徴は、工学系の研究者を取材したときに際立つ。工学研究は、たいてい実社会に直結している。その成果は経済活動と密接不可分で、ベンチャービジネスを生みだしたり、知的財産権に実を結んだりする。だが、立花さんの主たる関心は、そこにはなかった。理学系の研究、たとえば素粒子物理に興味を抱くのと同じように、工学研究に魅せられていたように思えるのだ。ロボット工学ならば、ロボットを通じて人間を知るというように。

で、今週の書物は「宇宙船『地球号』の構造」(『諸君』1971年4月号初出、『文明の逆説――危機の時代の人間研究』=立花隆著、講談社文庫、1984年刊=所収)という論考だ。著者は1940年生まれだから、これは30代になりたてのころに書かれた。出世作「田中角栄研究」(1974年)が世に出るより3年前のことである。『文明の逆説』は、今回の一編を含む初期の論考を1冊にまとめたもので、単行本は1976年に講談社から出ている。

本題に入る前に、この本の冒頭に収められた「文明の逆説――序論と解題」に触れておこう。そこでは、自身がルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインに惹かれて論理学や現代数学に誘われ、科学哲学や言語哲学にも関心をもつに至ったことを打ち明けている。ローマ帝国史など史学の蘊蓄も披露している。衒学的なのは若さ故か。ただ、著者が田中角栄を書くときも、先端研究を論ずるときも、脳裏にこんな知的背景があったことは心にとめておきたい。

論考「宇宙船『地球号』…」は、地球を宇宙船に見立てる論法が「思想的流行」として席巻中、という話から切りだされる。「流行」の理由には、執筆の前々年、米国のアポロ宇宙船が人類を月に送り込んだということがあった。だが、それだけではない、と私は思う。

たとえば、『宇宙船地球号 操縦マニュアル』(R・バックミンスター・フラー著、芹沢高志訳、ちくま学芸文庫)。邦題にある「宇宙船地球号」は“Spaceship Earth”の直訳であり、原著の刊行は1969年。この本を読むと、1970年前後は人類が資源乱費の愚に気づく転換点だったことがわかる(「本読み by chance」2016年1月22日付「フラーに乗って300回の通過点」)。当時「地球号」という言葉には、そんな危機感が凝縮されていた。

立花論考「宇宙船『地球号』…」も、同様の危機感に根ざしている。だから、著者が宇宙を好きだとしても、それは、メディアが宇宙の話題をとりあげる場面で用いる常套句「夢とロマン」とはもっとも遠いところにある。これは、強調しておきたいことだ。

この論考で、著者は「宇宙空間は死の空間である」という。私たちが、地球の外に「裸のまま」で放置されたとしよう。そこには、紫外線が降り注いでいる。太陽風など高エネルギー粒子が吹きつけ、隕石や宇宙塵も高速で飛んでくる。もちろん、息を吸いたくても空気がない。新陳代謝に欠かせない物質もない。細かなことを言えば、太陽の方角を向けば焦熱、振り返れば極寒という極端な温度差もある。とても生きてはいけないのだ。

では、私たちはなぜ、地球ならば生きていけるのだろうか? 紫外線を大量に浴びずにいられるのは、上空にオゾン層があるからだ。太陽風の直撃を受けずに済むのは、地磁気が防御壁になっているからだ……。このように著者は、地球が私たちに与えてくれる恩恵を一つずつ挙げていく。著者にとっての宇宙は、人間の生存条件を考えるときの思考実験の舞台になっている。「宇宙船」に対する関心も、この文脈のなかにあると言ってよい。

この論考には、なるほどそうだな、と思うたとえ話がある。航空機のしくみを知りたいなら、「模型飛行機を作ってみれば、空気より重いものが空を飛ぶのに必要なメカニズムがわかる」。物事の本質に迫るには「いちばん簡単なモデル」を考察するのが最善であり、有人宇宙船は地球の「簡単なモデル」になる。「宇宙船と現実の地球を比較してみることによって、我々は地球をより本質的に知ることができるだろう」と、著者は言うのだ。

読みどころの一つは、物資の自給自足だ。著者によれば、アポロ司令船は乗組員の排泄物を液体なら外へ捨て、固体なら殺菌密封して持ち帰った。だが、次世代の「火星宇宙船」では、長期飛行になるので循環型のシステムが提案されているという。宇宙船に緑藻類クロレラの培養装置を置く。排泄物はクロレラの肥料にする。二酸化炭素も光合成の原料として吸収させる。その光合成が船内に食料と酸素を供給する――そんな案が紹介されている。

著者は、これを地球と比べる。結論は「地球のほうがはるかによくできている」。地球規模で「エコシステム(生態系)」という「物質循環系」が働いて、水も食料も酸素も「すべての必要物資の自給自足体制が完全にととのっている」からだ。生物界の食物連鎖も、大気と海洋の間で起こる気象現象も、この系の一翼を担う。著者は、エコロジーという環境保護思想を、世間に先んじて1970年代初頭から強く意識していたことになる。

この論考は、文明の失敗も箇条書きにしている。著者が筆頭に挙げるのは、食料増産が「エコシステムを単純化し、不安定なものにしたこと」だ。畑とは「自然の植物群落」を排除して、限られた作物だけを育てる「極度に特異な場所」にほかならない。それが地表の一角――著者が引く統計では陸地の15%――を占めて、「自然のダイナミックな均衡と進化」を阻害しているという(当欄2021年5月21日付「石さんが砂について書いた話」参照)。

気候変動に論及したくだりもある。「宇宙船でいえば、エアコン装置を破壊するようなことを、現に我々はやりつつあるのだ」。ここでは、地球の温暖化と寒冷化の両方が語られており、温暖化については原因の一つが「炭酸ガス」(二酸化炭素)の「温室効果」であることに触れている。温暖化がメディアで大きく扱われるようになったのは1980年代後半からだ。この点でも、著者の知的関心は未来の論題を先取りしていたのである。

立花さんの宇宙は、夢の宇宙でないばかりか実在の宇宙でもなかったように私には思える。それは、人間が地球に生存することの幸運を実感できる脳内空間ではなかったか。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年7月2日公開、同月9日最終更新、通算581回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

「識者」ファインマンの闘いに学ぶ

「ファインマン氏、ワシントンに行く――チャレンジャー号爆発事故調査のいきさつ」
=『困ります、ファインマンさん』(リチャード・P・ファインマン著、大貫昌子訳、岩波現代文庫、2001年刊)所収

氷水

コロナ禍で問われているのは、専門家と政治家の関係だ。政治家は、次の一手を聞かれると「専門家の意見をうかがって決める」と言う。ところが実際には、その真意を汲みとらないことがままある。都合のよいところだけつまみ食いしたりするのだ。

専門家という言葉にも罠がある。専門家とは、特定の分野に通じた人のこと。だから、A分野のことを聴きたければ、Aの専門家を集めなければならない。B分野ならB、C分野ならCだ。ところが現実にはA、B、Cの専門家が一堂に会して、バランスよく結論をまとめることになる。これは、専門家というよりも有識者の集団だ。世論が二分される問題で合意点を探るのなら話は別だが、危機に直面して専門知を求めているときには不向きだ。

去年夏、コロナ対策をめぐって医療か経済かという二項対立が際立ったとき、私は朝日新聞の言論ウェブサイト「論座」(2020年7月24日付)に「コロナ対策、いま必要なのは『識者会議』か?」という論考を書いた。必要なのは「分科会」という名の識者会議ではなく、政策判断に直接の助言を与える実働集団だ。医療系、経済系それぞれの専門家集団が連携して、人々の接触機会の節減目標などを試算すべきではないか、と主張したのである。

1年たって、状況は変わった。医療か経済かの二項対立は薄れ、医療崩壊を抑えることが経済回復への近道との見方が広まっている。その結果、専門家の声がまとまりやすくなり、政府を動かす局面もあった。だが、事がオリンピック・パラリンピックの開催にかかわるとなると、政府はかたくな。専門家の意見をつまみ食いして済まそうとしている気配が濃厚だ。再び、識者会議の弱点を見せつけているとは言えないだろうか。

そんなことを考えていたら、この話にも例外があることに気づいた。識者として呼ばれ、おそらくは大所高所の議論だけを求められていたのに、自ら実働集団の役目まで果たした人がいた。米国の理論物理学者リチャード・P・ファインマン(1918~1988)である。

で、今週は「ファインマン氏、ワシントンに行く――チャレンジャー号爆発事故調査のいきさつ」(『困ります、ファインマンさん』〈リチャード・P・ファインマン著、大貫昌子訳、岩波現代文庫、2001年刊〉所収)。著者は、素粒子論など理論物理学が専門。1965年、朝永振一郎らとともにノーベル物理学賞を受けた。この一編は1986年、スペースシャトル・チャレンジャー事故の調査を担う大統領委員会に加わったときの体験記である。

事故は1986年1月、チャレンジャーの打ち上げ直後に起こった。爆発で機体は壊れ、乗組員7人は帰らぬ人となった。固体燃料ロケットの継ぎ目付近に欠陥があったことが、しだいにわかってくる。その事故を調べたのが、この委員会だ。委員長は元国務長官のウィリアム・ロジャーズ弁護士。委員13人の大半は理系で、軍人や雑誌編集者もいる。だから、専門家会議というよりも識者会議に近い。著者も、宇宙工学のことでは門外漢だった。

委員会は、この年の6月まで続き、最終報告書をまとめた。そこでは、著者自身の「報告」が「付録」扱いとなった。いわば、少数意見の併記。著者は持論を譲らなかったということだ。委員会では、その存在感をフルに発揮したのだとも言えよう。

著者の委員としての動き方を知って敬意を禁じ得ないのは、二つのことだ。一つは、自分は専門家ではない、と強く認識していること。もう一つは、にもかかわらず、いや、だからこそ、専門家の話を遠慮することなく聴きまくっていることだ。

それは、事前準備の段階から見てとれる。著者は2月上旬、初会合のために夜行便でワシントンへ向かう当日、地元パサデナで動きだす。勤め先のカリフォルニア工科大学は、米航空宇宙局(NASA)の研究を担うジェット推進研究所(JPL)を運営している。そこで、シャトルに詳しい技師の一人ひとりから、知っていることを洗いざらい聞きだしたという。「とにかく彼らはシャトルのことなら隅から隅まで知りぬいていた」と驚嘆している。

このときに書きとめたメモの2行目に「Oリングに焦げ跡を発見」とある。「Oリング」は、問題の継ぎ目部分にぐるりと巻かれた合成ゴムの密封材だ。チャレンジャー事故の調査でにわかに世に知られるようになった。朝日新聞の当時の報道では、大統領委員会でも2月中旬に「Oリング」という用語が登場しているが、著者はそれに先だって、Oリングがシャトルの要注意箇所らしいとの知識を自前の聞き込みで仕入れていたのである。

Oリングに目をつけた委員の一人に空軍高官のドナルド・クティナ氏もいる。初会合の日、地下鉄で職場に帰ろうとしている姿を見て「運転手つきの特別車なんぞにふんぞり返って乗りたがる軍人どもとは大違いだ」と著者は好感を抱く。こうして二人は仲良くなる。

ある日、そのクティナ氏から電話がかかってくる。「実は今朝、車のキャブレターをいじっているうちにひょいと思いついたんですがね」「先生は物理の教授でしょう。いったい寒さはOリングにどんな影響を及ぼすものですか?」(太字箇所に傍点)。事故は極寒の日に起こっているから「目のつけどころ」の良い質問だ。著者は「硬くなるはず」と即答した。それにしても、車をガチャガチャやっているときに頭が冴えるとは米国人らしい。

Oリングについては、著者自身の武勇伝もある。委員会の席で実験をやってのけたのだ。同様のゴム材を手に入れ、工具で締めつけて氷水に浸けた。しばらくして水から取りだすと、工具を外しても形が元に戻らない。「この物質は三二度(セ氏〇度)の温度のときには、一、二秒どころかもっと長い間弾力を失うということです」。余談だが、この日は前回の会議で委員席に置かれていた氷入りの水が配られておらず、あわてて注文したという。

こうして、Oリングの低温による硬化が密封機能を弱め、事故の引きがねになったことがわかってくる。これは著者の手柄話のように巷間伝えられたが、この体験記は、それもクティナ氏が「手がかり」をくれたからこそ、とことわっている。著者は公正な人だった。

もう一つ、著者の面目が躍如なのは、NASAがシャトル打ち上げの失敗率を低くみている事実を突きとめたことだ。技術者の一人は、それを1%(100回に1回)とはじき出していた。無人ロケットの実績をもとに、有人飛行時の安全対策も見込んで試算したという。ところがNASA上層部は、失敗は「10万回に1回」と言い張った。これだと1日1回打ち上げても300年間は成功が続くことになる、と著者はあきれる。

ちなみにこの技術者は、シャトルが上空で制御不能になる事態を想定して、墜落による地上の被害を小さくするために機体を爆破する装置を積むかどうかを決める立場にあった。技術者は任務を果たすために、失敗のリスクを直視しなくてはならないのである。

理系の有識者が果たすべきは、こうした理系思考を報告や提言や答申に反映することにあるのだろう。著者は、NASAの「10万回に1回」論を追及していくが、先方も譲らない。著者が米国の宇宙開発に対して抱いた最大の違和感は、ここにあったように思う。

苦笑いしたのは、忖度というものが米国にもあることだ。著者によれば、NASAではこんなことが起こっているらしい――。シャトル計画の予算を議会で通すには、それが安全で経済的であると言わなくてはならない。だから、上層部は「そんなに何回も飛べるわけがありません」という現場の声を聞いたとたん、議会で嘘をつく立場に追い込まれることになる。現場は、上層部から疎ましがられたくないから黙る。これが、NASA版の忖度だ。

2年後、著者は永眠した。素粒子だけでなく、官僚の振る舞いまで見抜いた最晩年だった。有識者とはこういう人を言うのだろう。お見事ですね、ファインマンさん!
(執筆撮影・尾関章)
=2021年6月25日公開、同年7月9日更新、同月9日更新、通算580回
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量子力学のリョ、実存に出会う

今週の書物/
『NIELS BOHR
仁科芳雄著、青空文庫(底本は『岩波講座物理學Ⅰ.B. 學者傳記』、岩波書店、1940年刊)

デルタエックス(文末に注)

量子ほど、科学者は馴染んでいるのに世間に通用しない言葉はない。そんなこともあるからだろう、量子をめぐってはさまざまな誤解がある。量子論=量子力学と受けとめる向きがあるが、これは正しくない。あえて不等号を用いれば量子論>量子力学となる。

量子論の元年は、ドイツの物理学者マックス・プランクが量子仮説を提案した1900年と言えよう。それは先週の当欄でも触れたように、物体が電磁波を放ったり吸い込んだりするとき、やりとりされるエネルギーがとびとびの値をとる、という仮説だった。エネルギーには、1個、2個……と数えられる塊があるというわけだ。物理学者たちは、このような塊を「量子」と呼ぶようになった。(2021年5月28日付「量子の世界に一歩踏み込む」)

量子の概念を取り込んで生まれた物理学の体系が量子力学だ。1920年代半ばに確立された。建設者としてはウェルナー・ハイゼンベルクとエルウィン・シュレーディンガーの名がまず挙がるが、欧州の物理学者群像が知を持ち寄って築いたという色彩が強い。

量子仮説の登場から量子力学の誕生までに四半世紀が過ぎている。この間に物理学者は、原子がどんなつくりになっているか、などの懸案を量子論に沿って説明しようとした。こうした試みを前期量子論という。ニールス・ボーアは前期量子論の中心人物と言ってよい。

先週とりあげた『NIELS BOHR』(仁科芳雄著、青空文庫=底本は『岩波講座物理學Ⅰ.B. 學者傳記』、岩波書店、1940年刊)は、ボーアの業績として、量子仮説を踏まえた原子模型や、量子論と古典論の折り合いをつける対応原理の提案を挙げている。当欄も前回は、この二点に的を絞った。それで幕を引こうとも思ったのだが、考えを変えた。この『傳記』がさらっと触れている量子力学のことも触れておこう。そう思い直したのだ。

この一編は、量子力学が産声をあげて間もないころに書かれた。それが誕生直後、どう受けとめられていたかを、欧州にゆかりのある物理学者が語っているのである。素通りする手はない。もう1回とりあげて、リョウシリキガクのリョくらいまでは掬いあげておこう。

読んでわかったのは、そこにある量子力学の記述が1970年代に出回っていた解説書に近いことだ。初期の解釈が数十年も健在だったということか。ところが1980年代以降、事態は大きく動く。先端技術のおかげで、量子力学のつかさどる世界が実験室で再現できるようになり、そこから新しい量子力学観が台頭したのだ。当欄は今後、この潮流を追いかけていくつもりだが、そのまえに1930年代風の見方を復習しておきたいと思う。

『傳記』本文に入ろう。著者は「量子力学の発見には、直接にボーアの手で行われた部分はない」とことわったうえで、ボーアの薫陶を受けた人々が見いだした量子力学にボーア自身がどうかかわったかを論じている。それによると、ハイゼンベルクの不確定性原理には格別の興味を抱いたらしい。自分にも似た発想があったようで、「ハイゼンベルクの思考実験中の行論を訂正し」「原理の因って来る所を明かにした」とある。

この原理によると、「正規共役」という関係にある一対の量――たとえば粒子の位置と運動量――では、「一方を測定する実験を行うと、量子論的実在にあっては其実験の為に無視し得ない影響を他方の量に与えることを避け得ない」。片方を「非常に正確に」突きとめようとすると、もう一方は「全く解らなくなって了う」。ボーアはこれを「相補性理論」と呼んで、アルバート・アインシュタインの相対性理論に対置させた、という。

量子力学の世界では、位置を見極めるか、運動量を測るか、で事態がガラッと変わる。著者の言葉によれば「観測の仕方によって現象が規定せられる」のである。これは「物は観方による」という日常の教訓に言い換えられることも書き添えられている。

このくだりには、こんな記述も見かける。「観測に於て、観測体と被観測体とが古典論の場合のように截然たる区別をつけられない」――これを読んだとき、実存主義のイメージが頭をよぎった。そういえば、サルトルは「物を物として捉える」には「主体が必要」と言い切っていた。20世紀前半、量子力学と実存主義という別分野の潮流に響きあうものがあったように私には思える。(当欄2021年2月5日付「サルトル的実存の科学観」)

『傳記』によれば、ボーアは量子力学がはらむ波動説と粒子説の相克も「相補性の考察」で「解決した」。光の正体は19世紀には波動と見られていたが、1905年にアインシュタインが光量子仮説を唱えたことで粒子としての側面が無視できなくなった。1920年代前半にはルイ・ド・ブロイが電子のような物質にも波動としての側面があることを理論づけた。光も物質も、波と粒の両面を併せもつことがわかったのだ。これをどう考えるか。

ボーアが、この難題と向きあうときにもちだしたのは、私たちが現象のどこに着眼するかという、視点の相補性だ。量子力学の世界では「時間空間」内の「伝播」や「運動」を議論するときは波動らしく見えるが、「エネルギー、運動量」を問題にする場合は粒子らしくなる、というのである。二つの側面は相容れないが「一方が問題となって居る時は他方は自然に姿を消して了う」。だから、両説ともそれなりに正しいことになる。

著者によれば、「時間空間」の問題で波動らしさが際立つことは、不確定性原理によって支持されている。この原理の通りなら、観測によってさまざまな状態が現れるわけだから、こうならばああなるという古典論の因果律は成り立たない。私たちには「確率が与えられるだけ」であり、因果律は「統計的結果」に反映されるだけだ。状態が統計的に散らばる様子は波として表現できる。だから、波動らしさが卓越する――なるほどそうか、と思う。

一方、「エネルギー、運動量」は量子力学でも「不滅則」に従うので古典論の因果律が成立する、と著者はみる。不滅則、即ち保存則が粒子らしさの源泉というのである。ビリヤードの球がエネルギーや運動量を保存するように転がる様子をイメージすると、なんとなくわかったような気分になるが、私は十分には納得できていない。不確定性原理は、粒子の位置を絞り込めば運動量がばらつく、と言う。このとき、運動量の保存則はどうなるのか。

この『傳記』で残念なのは、量子力学最大の謎が語られていないことだ。状態の重ね合わせである。ボーアの学派が広めたコペンハーゲン解釈によれば、量子力学の世界では複数の状態が重ね合わさることがあり、観測の瞬間にそれが一つに定まる。この解釈は、物理学徒の間では教科書の知識のように定着しているが、不自然な印象を拭えない。ボーア自身はどう考えていたのか。そのことを知るには、別の書物を探さなければなるまい。
〈注〉⊿は、ばらつきを表す記号デルタ。⊿xは位置xのばらつきを表している。
*引用では文字づかいを現代風に改め、原語で書かれた人名も片仮名表記にした。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年6月4日公開、同年7月1日最終更新、通算577回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

量子の世界に一歩踏み込む

今週の書物/
『NIELS BOHR
仁科芳雄著、青空文庫(底本は『岩波講座物理學Ⅰ.B. 學者傳記』、岩波書店、1940年刊)

エイチバー(文末に注)

当欄は今年の年頭、実存主義にこだわった。夏目漱石の日記に「実存」を見て、ジャン-ポール・サルトルの講演を本で読んだ。さらに去年とりあげたマルクス・ガブリエルの『新実存主義』(廣瀬覚訳、岩波新書)も読み直してみた。(2021年1月8日付「漱石の実存、30分の空白」、2021年1月29日付「実存の年頃にサルトルを再訪する」、2021年2月5日付「サルトル的実存の科学観」、2021年2月19日付「新実存をもういっぺん吟味する」)

こうしてみると、当欄のあり方として、ときに一つのテーマにこだわるのも悪くはない。昨春、新しい看板として「めぐりあう書物たち」を掲げたとき、第一には自分自身と本との出会いという意味を込めたが、内心には本同士のめぐりあいもあり、と思っていた。私がこだわりのテーマを追いかければ、そこに本同士のネットワークが生まれるかもしれない。ならば今年は、テーマをもう一つ選ぼう。それで思いついたのが量子力学である。

振り返れば量子力学は、私にとって抜くに抜けないトゲのようなものだった。学生時代に物理学を学んだが、理系職に就くことを断念したのは、量子力学につまずいたからだ。数式が何を言いたいかがわからない、わからない数式を用いて仕事はできない――。

不惑を過ぎて、私は量子力学に再会した。ロンドン駐在の科学記者だった1990年代、量子力学が再び物理学者の関心事になっている流れを知り、それを欧州各地で取材したのである。報告記事は、まず紙面に載せ(朝日新聞科学面連載「量子の時代」、1995年10~12月に10回)、さらに本にまとめた(『量子論の宿題は解けるか』講談社ブルーバックス、1997年刊)。このときに気づいたのは、量子力学は物理学者にとってもトゲだということだ。

量子力学は1920年代半ばに出来あがったが、その解釈はずっと宿題だった。何を言おうとしているかは、物理学者にもはっきりしなかったのである。ところが20世紀も押し詰まったころ、宿題の答えの手がかりが見えてきた。量子力学が露わになる世界が、極微や極低温などの先端技術によって実験室でも再現できるようになったからだ。その試みが量子コンピューターや量子暗号といった次世代技術の芽を秘めていることも研究を後押しした。

量子コンピューターや量子暗号が政治経済の記事にも登場するようになった昨今の状況に接して、一つ残念に思うのは、その技術と表裏の関係にある量子力学の解釈問題が置き去りにされていることだ。そんなことは技術革新と関係ない、と言われてしまえばそれまでだ。だが、量子力学をどう解釈するかは、私たちが世界をどうとらえるかに深く結びついている。私たちは、もしかしたら現有の世界観をそっくり取り換えなくてはならないのだ。

で、今週選んだ書物は、電子出版の『NIELS BOHR』(仁科芳雄著、青空文庫〈底本は『岩波講座物理學Ⅰ.B. 學者傳記』、岩波書店、1940年刊〉)。そもそも、量子力学の誕生にどんな動機があったのか、そこのところをしっかり押さえておこうと思ったのである。

この一編は、20世紀前半に日本の物理学界を牽引した著者(1890~1951)が、自身も渡欧時に師事したデンマークの物理学者ニールス・ボーア(1885~1962)の半生を簡略に綴ったものだ。ボーアの家庭環境や滞英遊学などにも触れているが、当欄は科学史の側面に的を絞る。マックス・プランクの量子仮説(1900年)を原点とする量子論の流れが、1920年代に量子力学として結実するまでのいきさつが見えてくるからである。

本題に入る前に、お許しをいただきたいことがある。この文章は全編、旧字体、旧仮名づかいで書かれている。デンマークを「丁抹」とするなど、旧式の地名表記もある。さらに著者は、ボーアをBohr、ケンブリッジをCambridgeとするなど原語表記も多用している。こうした文章は、昭和戦前の文化遺産として貴重なものだ。当欄はそのことを認めたうえで、本文の引用にあたって文字づかいや表記の仕方を現代風に改めることにする。

ボーアの業績で有名なのは、1913年に提案した原子模型だ。そこには「古典論では律し得ない二つの基礎仮定」があった。一つめは、原子内で電子の運動は「定常状態のみが許される」こと。「中間の状態」はない。二つめは、ある状態から別の状態へ移るとき、エネルギーのやりとりは電磁波の放射吸収によってなされ、その電磁波の振動数(ν)はエネルギーをプランク定数(ℎ)で割った値になること。なぜ、こんな仮定ができるのか?

それは、プランクの量子仮説を踏まえているからだ。この仮説では、エネルギーは塊のように一つ、二つと数えられる。ボーアは、それを原子の内部構造にもち込んだのである。(「本読み by chance」2019年12月6日付「ポアンカレ本で量子論の産声を聴く」)

この英断には前段がある。1910年代初め、ボーアは英国のマンチェスターでアーネスト・ラザフォードに会っている。その直前、ラザフォードは散乱現象の実験で、原子は原子核とその周りの電子からできていることを確かめていた。これによって、J・J・トムソンが主張していたブドウパン型の模型――「陽電気の雲塊の中に電子が浮かんで居るもの」――が否定され、長岡半太郎の土星型模型に近いものが有力な原子像になった。

ただ、この原子像にも難があった。分光学の研究で原子にはスペクトルがあること、すなわち、原子は元素の種類ごとに特定の振動数の電磁波しか放射吸収しないことがわかっていた。ところが、もし電子が古典論の物理に則って隕石の落下のように滑らかに軌道を落としていくのなら、とびとびの振動数をもつ電磁波の放射を説明できない。この矛盾を切り抜ける奇手が、原子が従うべき掟としての「二つの基礎仮定」だった。

ボーアの原子模型は、このように量子論を受け入れているが、一方で古典論にも踏みとどまっている。著者によると、原子の定常状態そのもののエネルギー値は、原子核や電子のような荷電粒子に適用されるクーロンの法則によって古典物理から算出しているというのだ。木に竹を接ぐような話ではある。興味深いのは、この値が今日の量子力学を用いた計算結果にもぴったり合うらしいことだ。著者は、それを「偶然の一致」と言っている。

木に竹を接ぐことになった事情を説明するくだりも、この一編にはある。著者によれば、私たちの「概念」は「巨視的事象」によってかたちづくられているので「描像能力の極限を超えて居る原子、分子等の微視的対象」には当てはめられない。古典論は「描像能力の限界内にある」ので、微視世界までは「定量的」に解き明かせないというのだ。この壁を突破するには、十余年後の「描像を超脱した量子力学」の登場を待たなくてはならない。

ただ、ボーアは二兎を追った。「定量」を可能にするために「二つの基礎仮定」を導入して量子論に一歩踏み込んだが、古典論に片足を残して「描像」も手放さなかった。著者は、その原子模型を「描像を用い得る」「一つの表現法」と位置づけている。

量子論と古典論の折り合いをつけることにも、ボーアは腐心した。これは、そんなに簡単なことではない。片方には、「単一の振動数を有する光量子」ばかりが放出される量子論の現象がある。そこに見られる振動数は不連続で、とびとびだ。もう一方には、「同時に多くの振動数をもった光を出す」ような古典論の現象がある。こちらは、光の振動数が切れ目なく連続している。この二つの物理学を仲良く併存させる道はあるのか。

ボーアは、こう考えた。量子論でも対象が大きくなって巨視の領域に近づけば、とびとびが連続に見えてくる。「極限」に達すれば古典論と「同じことになる」――逆を言えば、古典論は量子論の一部とみなせる。これが「対応原理」と呼ばれるものだ。

この一編を読んで印象深いのは、1910年代、量子力学前夜の量子論――これを前期量子論という――が「描像」にこだわったことだ。物理学の精神としては健全だったと言えるのではないか。今、量子力学の探究は実験技術の進展によって急展開を見せ、巨視と微視の境目が薄れている。もはや量子世界を「描像能力の極限を超えて居る」と突き放せなくなった。わけがわからないならわからないなりに、その世界をイメージしたい。切にそう思う。
〈注〉ℎはプランク定数。それを2πで割った数値がℏで「エイチバー」と読む。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年5月28日公開、同日更新、通算576回
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石さんが砂について書いた話

今週の書物/
『砂戦争――知られざる資源争奪戦』
石弘之著、角川新書、2020年刊

砂は砂でも星の砂

古巣のことを言うのはちょっと心苦しいが、私がいた新聞社の私がいた部署にもスター記者が何人かいた。石弘之さんもその一人だ。テレビに頻繁に出て、一世を風靡するというのとはちょっと違う。独自の取材領域を切り開いて名声を得たジャーナリストだ。

環境記者の先駆けである。1970年代から地球環境のことを考えていた。ということは、世の中よりも数歩先を行っていたことになる。環境ジャーナリズムの先駆者であるばかりでなく、環境問題にかかわる人々の先頭集団にいた、と言ってよい。

だから、いろいろなところから声がかかる。在社中に国連環境計画(UNEP)で上級顧問を務めた。退社後は複数の国立大学で教授職に就き、駐ザンビアの大使にもなった。著書は数えきれないほどある。なかでも『地球環境報告』(岩波新書)は有名だ。

私も、石さんが率いる取材班に入ったことがある。1984年、「新食糧革命」〈注〉という連載企画のチームに加わったのだ。私にとっては初めての海外取材の機会となった。石さんからは、日程の組み方から領収書の整理法まで外国出張のイロハを教えてもらった。そう言えばあのころから、石さんはエレベーターのボタンをグータッチで押していた。当時すでに手指による接触感染のリスクを知っていて、私たちにさりげなく注意を促したのだ。

「新食糧革命」は、遺伝子組み換えや細胞融合などのバイオ技術を農業にも生かそうという機運を科学記者が世界各地で取材して報告する企画だった。下手をすれば、科学技術礼讃になりかねない。だが、取材を進めていくうちに、農業バイオ技術が生産性だけを追い求めれば地球の遺伝子資源の多様性が損なわれることに気づかされた。記事では、この懸念も強調した。これは、石さんの薫陶を受けたからにほかならない。

で、今週の1冊は『砂戦争――知られざる資源争奪戦』(石弘之著、角川新書、2020年刊)。書店で背表紙に懐かしい名を見つけ、思わず手にとった。著者は1940年生まれ。現時点80代なのに現役感のある本だ。なによりも驚いたのは、書名の「砂戦争」である。

科学記者の間には――私の古巣だけの話かもしれないが――カタもの、ヤワラカものという業界用語がある。ザクッと言えば、前者は無機系で、物理学や天文学、情報科学などの領域を言う。後者は有機系で、医学や生物学などを指す。著者は自分の姓とは裏腹に、有機系の動植物が好きな人。環境問題の記事で原子力のようなカタモノ領域に踏み込むことはあっても、関心事はもっぱらヤワラカものと思っていた。それがなんと「砂」である。

本文に入ろう。冒頭でまず、UNEPの「砂資源は想像以上に希少化している」とする報告書が引かれている。2014年に公表されたものだ。それによると、世界の砂の採掘量は年間470億~590億トン。大半がコンクリートの骨材になるので、砂と混ぜ合わされるセメントの生産流通状況から推計された。この採掘総量は毎年、世界各地の川の流れが供給する土砂総量の約2倍。2060年には年間820億トンになると予想されている。

この本には、砂の500億トンは「体積にすれば東京ドーム2万杯」という表現がある。砂資源の商取引が世界全体で約700億ドルの市場をかたちづくっており、それは「産業ロボットの市場と同規模」との記述もある。この箇所で私は、石流の筆法は健在だな、と思った。国際機関の資料を漁って問題解読に役立つ数字を見つけてくる。その数字がどれほどのものか実感できるよう工夫する。統計に血を通わせることを忘れないのだ。

比喩や比較を多用するだけではない。体積を「東京ドーム」で数えるようなことは、気の利いた記者ならだれでも思いつく。著者は、そこにとどまらない。豊かな取材歴や読書歴で蓄積された知識を引っぱり出して、数字の背後に隠れた意味を読みとっていく。

この「砂資源」の「希少化」についても、そうした知的な肉づけがある。そのくだりは、米科学誌『サイエンス』が2017年に載せたA・トレスらの論文「迫り来る砂のコモンズの悲劇」の話から切りだされる。表題にある「コモンズの悲劇」は、米国の生態学者ギャレット・ハーディン(故人)が1968年に提起した概念だという。ここでコモンズとは、封建時代、領主のもとで村人が自分の家畜を自由に放牧できた共有地のことを指している。

その「悲劇」とは、こういうことだ。村人が、個々の利益を最大にしようとコモンズへの放牧をひたすら拡大していくと、家畜によって「草が食べ尽くされて」しまい、飼育が不可能となる。「コモンズの自由は破滅をもたらすので、管理が必要」というのが、ハーディンの結論だった。著者の石さんは1968年当時、「駆け出しの科学記者」だったが、人間活動の「性急」さに地球は耐えるかという問題意識に「共感を覚えた」という。

放牧地の問題は、人類が無限の経済成長を追い求めても資源は有限である、という地球の縮図だ。今では「大気」であれ、「水資源」であれ、「森林」であれ、ありとあらゆる環境問題が「コモンズの悲劇」の文脈で語られる。2017年のサイエンス論文は、それがついに「砂」にも及びつつあることを指摘するものだった。これを受けて、本書『砂戦争』は砂資源の現状を地球規模の大局観、歴史観のなかでとらえようとしているのである。

ひとこと付けくわえれば、この視点は、当欄が先々週と先週話題にした「外部化社会」批判にも通じていると言えるだろう。(当欄2021年5月7日付「いまなぜ、資本主義にノーなのか」、当欄2021年5月14日付「エコと成長は並び立たないのか」)

実際、この本ではローカルな話題からグローバルな問題が見えてくる。中国のくだりでは「上海中心部に壁のように立ち塞がる高層ビル群を眺めていると、これら建造物が呑み込んだ砂は、いったいどこから運ばれてきたのだろうか、という疑問に囚われる」と切りだし、経済成長を支える砂供給に目を向ける。採掘先は、もともと長江だったが、その影響もあってか洪水が頻発した。2000年代になると、中流域江西省の鄱陽湖へ移ったという。

この話も定量研究で裏打ちされている。紹介されるのは、中国や米国の研究者が衛星画像を解析した結果だ。砂の搬出体積を、湖から出ていく運搬船の隻数から推し量ると2005~2006年には年間「東京ドーム約200杯分」だった。前述した2010年代半ばの世界の採掘量「東京ドーム2万杯」の1%に当たるが、2000年代には総量がそこまで多くなかったはずだ。たぶん、世界の砂採掘の1%以上が一つの湖に集中していたのだろう。

鄱陽湖は渡り鳥の越冬地だ。湿地の保護をめざすラムサール条約の登録地でもある。ところが地元の研究者によると、砂の採掘量が川から流れ込む量の30倍もあるので、湖の生態系は激変したという。とくに心配なのは、絶滅危惧種のソデグロヅルだ。浅瀬の草や魚を餌にするので、採掘で水深が変わることが致命的な打撃となる。砂という無機物のありようが乱されれば、草や魚や鳥から成る生態系も攪乱される――そのことを物語る事例である。

アラブ首長国連邦ドバイの話もすごい。人工島が300余もあり、そこに大量の砂が使われている。海底にまず石材を投じ、それを基礎にして砂を盛っていくのだという。その砂も海底から吸引して調達するというのだから、地産地消ならぬ海産海消か。地形の改変であることには違いない。もう一つ言えば、この大事業は石油採掘がもたらす富によって実現したものだ。人間がとことん地球の表面を引っかきまわしている現実が見えてくる。

インドネシアでは、ジャカルタなどの開発で、沖合の島々が砂の供給源となり、水没の危機に直面した。シンガポールは、「国土拡張」の埋め立て工事で砂を周辺国から大量輸入して国際摩擦を引き起こした。砂を吸い込むブラックホールは枚挙にいとまがない。

ここで著者は、富裕国が貧困国から砂を買いまくって国土を広げたり、高層ビルを建てたりするのは社会正義にもとる、というカナダ・オタワ大学の研究者ローラ・シェーンバーガーの指摘を引く。彼女は「砂は人間のタイムスケール内では再生可能な資源ではないから」と理由づけているという。砂資源は、太陽光のようにずっと降り注いではくれない。いったん収奪されれば、人間社会が想定する近未来には復元されないのである。

最後に、私がこの本でもっとも心動かされた著者自身の言葉を引用しよう。「最近、私はこう考えることがよくある。地球をスイカにたとえるならば、甘い赤い身を食い尽くして、今や周辺の白い部分をかじりはじめたのではないだろうか」。水産品で言えば、深海魚まで食べるようになった。化石資源で言えば、オイルシェールにまで手を出すようになった。獲り尽くす、採り尽くすという行動様式は、足もとの砂にも及んでいる。怖い話だ。
〈注〉『新食糧革命――バイオ技術と植物資源』(朝日新聞科学部、朝日新聞社刊)
*引用では、本文にあるルビを省いた。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年5月21日公開、通算575回
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