プレート論が待たれた時代

今週の書物/
『大地の動きをさぐる』
杉村新著、岩波現代文庫、2023年6月刊

プレート

「プレート」と聞いて、何を思い浮かべるか? 50年前なら「ビルの銘板」や「自動車のナンバー」だっただろうが、最近は「地球を覆う岩板」「地震を起こす岩板」と答える人が結構いるのではないか。東日本大震災を経験した今なら、なおさらだ。

地球科学にプレートテクトニクスという理論(以下、プレート論と呼ぶ)が登場したのは、1960年代のことだ。地球表層部は、そこが陸か海かを問わず、幾枚もの岩板(*1)で覆われている。それらはゆっくり動いており、境界部では互いに押したり離れたり、片方がもう一方の下に潜ったり、とさまざまな相互作用をする。これが地震などの地学現象を引き起こしている――ザクッといえば、こんな地球観だ。1970年代初めまでに広まった。

ところが日本の学界では、この理論がなかなか受け入れられなかった。その事情については、今年5月の当欄でも触れたように、泊次郎著『プレートテクトニクスの拒絶と受容――戦後日本の地球科学史』(東京大学出版会、2008年刊)が跡づけている(*2)。その本によれば、プレート論は東西冷戦のさなかに西側世界で確立されたこともあって、反米機運から嫌われたり、弁証法的唯物論の史観に乏しいと指弾されたりしたという。

イデオロギーが科学を歪めた例だ。ただ、このときでも日本国内にはプレート論を支持する研究者たちがいた。いや、支持という表現はふさわしくない気がする。地道な研究を重ねていたら、プレート論的な見方にたどり着いたと言ったほうが的確だろう。

その一人に私は会っている。大阪市立大学教授を務めた構造地質学者、藤田和夫さん(1919~2008)だ。関西の山々を歩きまわり、六甲山系の花崗岩が「ぼろぼろ」なのを見て山が押されていることを実感した。その「押すしくみ」をプレート論が説明してくれた。(*3)

日本列島の地殻変動に「押すしくみ」が欠かせないことに気づいたのは藤田さんだけではなかった。今年6月に出版された『大地の動きをさぐる』(杉村新著、岩波現代文庫)は、そのことを教えてくれる。国内には大地の隆起沈降や断層活動を探る研究が多くあり、その蓄積のうえに著者たち自身が実地調査で得た知見を重ねあわせてみると、「押すしくみ」の存在が確信できたというのだ。ちなみに本書には、藤田さんの名も随所に出てくる。

著者は1923年生まれ。東京大学で地質学を学び、神戸大学で教授を務めた。著書に『グローバルテクトニクス』(東京大学出版会)など。2014年には日本地球惑星科学連合から「フェロー」として顕彰された。同連合の公式サイトを開くと、「主な業績」の一つに「プレートテクトニクス理論の重要性を早くから理解し、日本列島の新生代の地震・火山活動と構造運動をプレートの動きと関連づけて研究した」ことが挙げられている。

本書は、岩波書店が少年少女向けに出していた「岩波科学の本」シリーズの一冊(1973年刊)を文庫化したものだ。ちょうど50年を経ての再登場である。半世紀の歳月を感じさせることがいくつかある。なにより驚くのは、巻末索引に「プレート」や「プレートテクトニクス」という言葉がまったく出てこないこと。前述のように日本国内では、プレート論は1973年の時点で欧米発の新説でしかなかった。この事情を反映しているのだろう。

本書の性格をめぐって、一つ書き添えたいことがある。岩波書店のウェブサイトによると、「岩波科学の本」シリーズは「著者みずからが研究の中で体験したこと」や「科学の探求の道すじ」を重んじていた。本書も導入部で、著者が旧制高校時代から地学好きで、学術論文も読み込んでいたことが書かれている。「まえがき」では、読者に「初めから通して読んでいただきたい」と要請。体験談の一つひとつに著者の思い入れがあるのだろう。

このように本書の視点は、著者の探究心に根差している。ただし、著者自身がかかわった研究を紹介することにとどまってはいない。同分野や近隣分野の人々の仕事に目を配り、それらを突き合わせたら見えてくるものがあった、という思考体験も披瀝されている。

たとえば、第2章「地盤沈下の正体」。地盤沈下は、国内の大都市低地部で20世紀半ばに顕著になった現象だが、科学者が地下水位の観測を重ねた結果、これは地下水が大量に汲みあげられ、粘土層が水分を失って縮むために起こることがわかったという。「地殻変動の一種ではない」と結論づけられたのである。一見すると、当たり前のことを確認しただけのように見える。だが、科学ではそのプロセスが大事なことを著者は説く。

地球科学者が地学現象をとらえるとき、相手にするのは「地殻」だ。東京を例にとると、低地の地盤沈下を起こす有楽町層は堆積層で、できてから2万年未満なので地殻を覆うものでしかない。「沈下」が地殻変動と異なるならば、研究の対象から外せることになる。地盤沈下の解明は「解こうと思っている糸のからまりに、もう一本別の糸がからまってわからなくなった状態から、その一本を抜いてしまったようなもの」だった。

地盤沈下は、都市問題としては解決すべき難題だ。だが、地球科学を究めるときは、とりあえず度外視してよい。科学者には、ときにこういう思考の整理が必要なのだろう。

本書の大きな読みどころは、中盤で岐阜県の阿寺断層を語るくだりだ。1950年代後半、木曽川沿いの恵那郡坂下町(現・中津川市)で河岸段丘を横切る断層崖が見つかった。これは、阿寺断層の南東部分だった。著者は1961年、研究仲間と現地調査に入る。段丘崖と断層崖が入り交じる一帯で断層のずれを測るという手間のかかる作業だった。その結果、水平のずれが垂直のずれの5倍ほどあり、それが「左ずれ」(*4)であることがわかった。

このとき、著者は宿で仲間と語りあっている。高さ10mのビルは「見上げなければならない」が、地面を10m歩くのは「あっという間」だ。断層のずれも水平成分は「目立たない」。それが垂直成分よりも大きいのを「定量的」に示せたことの達成感は大きかった。

「左ずれ」は著者の予想通りだった。それは過去の地震で地表部に現れた断層の様子から推察されたことだ。日本列島で19世紀末~20世紀半ばに起こった大地震の水平ずれ断層には規則性があった。これらの断層は〈北―南か、北西―南東〉方向と〈東―西か、北東―南西〉方向に二分され、前者は左ずれ、後者は右ずれなのだ。阿寺断層は1891年の濃尾地震でできた根尾谷断層にほぼ並行で、北西―南東方向に走る。これが予想の根拠だった。

地震によって出現する断層は地震断層と呼ばれる。阿寺断層は、そうではない。だが著者は、両者を「同格」に扱う。これも見逃がせないところだ。阿寺断層は過去何千年、あるいは何万年の間にずれを生じる活動を経験したとみられ、地震断層と同様「活断層」だからだ。「一〇〇〇年単位というような長い目で見れば、『今』でも動きつつある」といえる。ここでは「今」の時間幅を地球規模に広げて、大地を動態でとらえている。

著者は水平ずれ断層を日本地図に落とし込んでいく。新しい知見が得られれば、それを加えていった。これには、前述の藤田さんが見つけた断層も含まれる。こうしてできあがった分布図からも、あの規則性が浮かびあがった。しかも、それぞれの断層は〈北―南か、北西―南東〉と〈東―西か、北東―南西〉の「格子模様」に乗っかっているように見えるのだ。その格子のます目は「真四角」というより「菱形」。ひしゃげていた。

著者は、謎解きの糸口として岩石の圧縮実験を紹介している。圧縮力のかけ方次第で、ひび割れがひしゃげた方向に現れ、その方向によって左ずれ、右ずれに分かれたという。同様の力が日本列島中央部には働いているのだろうとみる藤田説に著者は言及している。

著者は本書で、謎を解き明かしてはいない。「このような現象を支配していると思われる、より本質的な現象が、いつか思いがけない方面から明らかにされるかもしれない」と述べるにとどめる。「より本質的な現象」で真っ先に思い浮かぶのはプレート運動だ。

だが、繰り返しになるが、本書はプレートには一切触れていない。格子模様についても、それを生みだす力の存在を示唆するだけ。ただそれでも、地殻変動の背後に地球規模のうごめきがあるらしい、と読者は感じることができる。凄みのある本だ。
*1新聞は「岩板」と表記してきたが、「岩盤」の用語もある。
*2 当欄2023年5月19日付「311大津波、科学者の憤怒
*3 朝日新聞2009年1月15日付夕刊「窓」欄「政治に揺れた地学」
*4 断層の向こう側の地面が左方向に動くとき、「左ずれ」という。
☆引用箇所にあるルビは原則省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年9月8日公開、通算694回
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