今週の書物/
『ミス・マープル最初の事件――牧師館の殺人』
アガサ・クリスティ著、山田順子訳、創元推理文庫、2022年刊
初秋の朝、英国からエリザベス女王の訃報が届いた。私の心に残ったのは、英国放送協会BBCの第1報だ。年配のキャスターが暗い色調の服に身を包み、淡々と伝える。「王室の発表によれば、女王はきょう午後、バルモラル城で“peacefully”に逝去しました」。“peacefully”は、この文脈では「安らかに」と訳すべきだろう。だが、私には「平和裏に」と聞こえた。その静かな死は、女王がキナ臭い世界に向けて発した遺言のように思えたからだ。
英国の王室というのは、不思議な存在だ。「君臨すれども統治せず」というが、その「君臨」とは何か。私がロンドン駐在の記者時代に驚いたのは、議会での女王演説だ。女王が、施政方針を読みあげる映像がテレビに流れていた。その政策はもちろん、議会によって選ばれた内閣が決めたものであり、女王の見解ではない。ここには女王の人権を度外視した虚構があるが、なぜかそれを問わない。どうしてこんなことを続けているのだろうか。
英国の議会と王室をめぐる諸々のしきたりについては、先輩記者からいろいろと教わった。そこには、かつて国王との間にあった緊張感を今も忘れない、という議会の決意があるという。なるほど、そうかもしれない。民主主義国家であっても絶対君主のような権力者がいつ現れるかわからない。それを抑えるのは、民主主義が王権よりも優位にあることの不断の確認だ。この作業で仮想の敵役を演ずるのが女王ということになる。
つまり、女王はたまたま王室の一員として生まれたために、自分の人権を一部犠牲にしてきた。それでも、一個人として自分を見失うことはなかったように思える。考えてみれば、あの“annus horribilis”(ラテン語で「酷い年」)発言も、ただの弱音ではなかった。
1992年11月、私がロンドンに着任後まもなくのことだ。この年、英国では王族夫婦の別居や離婚が相次ぎ、ウインザー城の火災もあった。女王にとっては在位40年の区切りだったが、その記念式典で「酷い年となった」と内心の思いを吐露したのだ。私はこの言葉を聞いたとき、ずいぶん率直な人だなあと思った。率直というのは理知的であるということだ。自分を客観視して心の整理をつけているからこそ正直になれる。
そんな英国人高齢女性の利発さを思い返していてすぐに思いだされるのが、クリスティ作品の素人探偵ミス・マープルだ。で、今週はマープルものを読もう、と思って書店に出かけた。選んだのが『ミス・マープル最初の事件――牧師館の殺人』(アガサ・クリスティ著、山田順子訳、創元推理文庫、2022年刊)だ。原著の発表は1930年。この邦訳は、出版元の東京創元社が「名作ミステリ新訳プロジェクト」の1冊として刊行している。
マープルは、当欄やその前身ブログに一度ならず登場している(*1、*2)。『予告殺人』(アガサ・クリスティー著、羽田詩津子訳、ハヤカワ文庫)と、『パディントン発4時50分』(アガサ・クリスティー著、松下祥子訳、ハヤカワ文庫)だ。幸い、行きつけの書店に在庫があった『牧師館…』は未読だった。ならばこれにしよう、と決めたわけだ。余談だが、Agatha Christieの日本語表記がハヤカワと創元で異なることを今回初めて知った。
さっそく『牧師館…』を開いてみると、マープルものの「最初の事件」らしく、事件はジェーン・マープルが暮らすセント・メアリ・ミード村で起こっている。それも、マープル邸の隣地が現場だ。読者にとってうれしいことに、巻頭にはその一帯の地図がある。
駅から表通りが延び、片側に商店が並んでいる。向かい側には庭付きの住宅群。うち一つがマープル邸だ。その隣に牧師夫妻の居宅牧師館や開業医の家がある。表通りの四つ辻には教会、そしてパブ兼宿屋「ブルーボア(青い猪)亭」。周辺には畑地もあり、住宅群の後方に森も広がっている。森の小径は治安判事の屋敷「オールドホール」に通じているらしい。あるべきものがあるべき場所にある――典型的な英国の田園風景だ(*3)。
この作品は、牧師の一人称で書かれている。だからマープル像は、牧師の目に映ったものだ。「ミス・マープルはおだやかで、ものしずかな白髪の老婦人」、それでいて「危険な人物」でもある――。こんなふうに描写されるのは、村の高齢女性4人が午後のひととき牧師館に集まり、お茶会を楽しむ場面。マープルの発言を聞いていると村の人々に対する観察も人物評もお茶会仲間より一枚上手、通りいっぺんの見方をしないのだ。
たとえば、古墳発掘のために村に滞在し、青い猪亭に宿泊している男女が話題になったとき。男性は考古学者を名乗り、女性はその秘書だという。どちらも結婚していないらしい。お茶会仲間の一人が、その秘書をあげつらって「育ちのいい女性ならあんなまねはしませんよ」「独身男性の秘書になるなんて」と顔をしかめると、マープルは「おや」と驚いてみせて「わたしは既婚男性のほうが油断ならないと思いますよ」と言ってのける。
村には、若手の画家が畑の一角の小屋に住みついている。この青年の行状もお茶会仲間の関心事だ。画家は治安判事の娘をモデルに水着姿の絵を描いており、それを知った判事との間でひと悶着あったという話も飛びだす。仲間の一人は「この若いふたりのあいだには、なにかあるんでしょうかね?」「ありそうな気がするんだけど」と勘ぐるが、マープルは「そうは思えないわね」と同調しない。「なにかある」のは別人だ、とにらむのだ。
お茶会の終わり、牧師はマープルに直言する。この村の人々は「おしゃべりがすぎる」という苦言だった。これに対して、マープルは「あなたは世間をごぞんじない」と切り返す。「長いあいだ人間性なるものを観察していると」「多大な期待などしなくなる」と打ち明けて、「根も葉もない噂」にも「真実」が潜んでいることがよくある、と諭すのだ。噂は無批判に信じてはいけないが、「真実」に迫るには聞いておいたほうがよいということか。
その日の後刻、牧師は画家と女性のキスシーンを目撃する。女性は、治安判事の娘ではない。彼女の継母、即ち判事の妻だった。「自制的」と思われている人だ。「マープルの眼力」が「目先の出来事」に惑わされず「物事の本質」を見抜いたことに牧師は感心する。
事件は翌日の夕、牧師館で起こる。治安判事が書斎で牧師の帰宅を待っていたとき、後頭部を銃で撃たれ、息絶えたのだ。謎めいたことが多かった。その一つは、牧師が面談を約束した時刻に不在だったことだ。彼は、教区に住む病人が危篤との電話を受けてその家に出向いたのだ。ところが訪ねると、病人の体調は安定していた。だれかがニセの電話をかけたらしい。殺人事件として捜査が始まると、画家が警察に自首してきた――。
このあたりから、ミス・マープルが事件の謎解きにかかわってくる。当欄は、その過程で見えてくるマープル流推理のクセを拾いあげたいのだが、それはやめる。ネタばらしを避けるためだけではない。この小説では、事件解決の途中段階でマープルが考えていたことが終盤になってひっくり返ることも少なくないからだ。彼女は時々刻々、自分の考えを変えている。なにごとも疑ってかかり、疑ってかかる自分自身も疑っているような気配だ。
一つだけ、謎解きの途中経過を紹介しておこう。警察が殺害動機のある人物を二人に絞り込んだとき、マープルは、ほかにも「少なくとも七人はいます」と反論した。後段の記述によると、彼女は実際に7人を思い描いていた。その顔ぶれから、あらゆる可能性を排除していないことがわかる。世間の常識にとらわれないのだ。この幅広の推理こそがマープル流の真骨頂だろう。そのときに役立つのが人間観察であり、噂の収集である。
マープルは、村に飛び交う噂に耳を塞がない。噂を参考にして理詰めの思考を組み立てる。ただ、そこから導いた仮説は自分自身でも懐疑しているから、めったに口にしない。受信には積極的だが、発信は慎重。情報社会にあって、もっとも賢明な態度と言えよう。
マープルものを読んでいると、英国で愛読した大衆紙を思いだす。英国人は噂好きで、社会全体がセント・メアリ・ミード村なのだ。新聞報道をお茶会に見立てれば、英王室はお茶会の会話に噂話のタネを提供してきた。ただ王室の人々は総じて、噂に煩わされながらもそれを巧妙にかわし、自分の思考を貫いてきたのではないだろうか。噂とのつきあい方という一点で、女王の姿はミス・マープルに重なっているように私には思える。
*1 当欄2020年10月30日付「アガサで知る英国田園の戦後」
*2 「本読み by chance」2016年2月5日付「クリスティーの〈英〉列車で行こう」
*3 当欄2022年9月16日付「アメニティの本質を独歩に聴く」
☆引用部分のルビは原則、省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年9月23日公開、通算645回
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