女王去って連邦は悩む

今週の書物/
読売新聞、東京新聞、朝日新聞各紙の2022年9月20日付朝刊

王室

英国はすごい、と目を見張ったのは1994年、ネルソン・マンデラ大統領の新体制となった南アフリカ共和国が直ちに英連邦(the Commonwealth)に再加盟したこと、そして翌年、エリザベス英女王の訪問を手厚く迎えたことだ。人種隔離政策アパルトヘイトによる「白人支配」を終わらせた政権がなぜ、かつて植民地支配していた旧宗主国になじみ、微笑みかけようとするのか。この展開に驚いた人や首を捻った人もいたに違いない。

南アは1931年に独立すると英連邦に加わるが、1961年には離脱している。人種隔離政策に国際社会の批判が集まっていたことが背景にある。その政策を捨てたのだから、元に戻れるということなのだろう。だが、わざわざ戻る必要もないではないか。

そのころ、私はロンドン駐在だった。新政権の樹立を挟む1993年と1995年には任地から南アへ出張もした。目的は南アの核兵器放棄について取材することだったが、その合間に現地で人種間の緊張も垣間見た。たとえば、タクシーで「黒人」の運転手と世間話をしていると、辛辣な「白人」観を聞かされたものだ。ただ、このとき「アフリカーナー」と呼ばれるオランダ系住人は散々な言われ方だったが、英国系はさほど嫌われていなかった。

運転手との世間話という小さな私的体験を根拠に英国の植民地主義をどうこう言うことは控えるべきだろう――そう自戒していたときに英女王の南ア訪問があったのだ。私が現地で受けた印象はあながち的外れではなかった。これは、大英帝国の植民地統治が巧妙だったのか。それとも、南アには欧州の入植者が複数の民族だったという特殊事情があって、英国系が相対的に善玉扱いされたということなのか。私には即断できない。

で今週は、書籍ではなく、エリザベス女王の国葬報道で英連邦を考えてみる。

私は女王国葬の当日、葬儀と葬列を米CNNでずっと見ていた。もっとも印象に残ったのは、英連邦に対する配慮が半端ではない、ということだった。葬儀の冒頭、要人たちが聖書を読む場面で、英国のリズ・トラス首相よりも先に朗読に立ったのがパトリシア・スコットランドという女性だ。肩書は「英連邦事務総長」。帽子の陰から褐色の顔がのぞく。この葬儀が、英国というよりも英連邦のものであることを感じさせる式次第だった。

スコットランド事務総長の横顔に触れておこう。英連邦の公式サイトによると、彼女はドミニカ国生まれ、カリブ海諸国出身では二人目、女性としては初の事務総長だという。いや、それだけを紹介したのでは不十分だ。英文ウィキペディアには、彼女が英国の外交官、弁護士であり、労働党の政治家だという記述がある。「英国とドミニカ国の二重国籍である」とも書かれている。この二重性こそが英連邦のありようを体現しているように思われる。

そもそも、英連邦とは何か。公式サイトにある一文を訳せば、こうなる。「英連邦は、対等な関係にある56の独立国の自発的意思にもとづく連合体である」――ただ、原文に「英連邦」はなく、“The Commonwealth”とあるだけ。「英連邦」は訳語に過ぎない。サイトには「加盟国政府は、開発や民主主義、平和のような目標を共有することで合意している」とも書かれている。この連合体は、ただの仲良しクラブということか。

ところが話は、そう簡単ではない。連邦は二重構造なのだ。そのことは英連邦の公式サイトに明記されていないが、英王室の公式サイトに入るとわかる。“Commonwealth realms”という用語が出てくるのだ。「エリザベス女王を君主とする国」(当欄の公開時点では、この記述が女王存命時のままとなっている)を指すという。邦訳は「英連邦王国」。英国以外の英連邦加盟国のうち14カ国は、英国と同一の人物を君主としているのである。

独立、対等を旨とする国々の連合体でありながら、加盟国の約4分の1はうち一つの国の君主を自国の君主に定めている。英連邦王国のつながりはふつう〈同君連合〉とみなされないが、形式的にはそう呼んでもおかしくない状態にある。矛盾を含む構造である。

その英連邦が、国葬で格別の扱いを受けたのは聖書朗読だけではなかった。読売新聞のロンドン電は「参列者の席順/英連邦を重視」と伝えている。会場では、女王の棺に近いところから英連邦王国、そのほかの英連邦諸国の順に参列者の席が並んだという。記事は、米国大統領に用意された座席が14列目だったという地元の報道に触れ、英国は英米関係を特別視しているが「国葬では英連邦の関係性を優先させた」と分析している。

東京新聞は、英連邦に焦点を当てたロンドン電でこんな見方もしている。「欧州連合(EU)からの離脱で国際的な評価が傷ついた英国は、以前よりも英連邦を重視している」。これも腑に落ちる指摘だ。私の実感では、英国人の欧州大陸に対する距離感は私たちが想像するよりも大きく、アジア・アフリカに対するそれは想像以上に小さい。このことは、英国メディアがどんな国際ニュースを頻繁にとりあげているかを見るとよくわかる。

手厚いアジア・アフリカ報道からは旧宗主国の〈上から目線〉も感じられる。だが、それだけではない。英国には、旧植民地からやって来た人々やその子孫が大勢いる。そのなかには、前述のスコットランド氏や先日の保守党党首選を最後まで争ったリシ・スナク氏のように社会の中枢を占める人たちもいる。英国は多民族社会であり、英連邦はそれを支える〈ふるさと連合〉なのだ。ただ、それはあくまで英国側の視点に立った話と言えよう。

現実に、英連邦の内部には反発もある。朝日新聞国際面の記事は「アフリカ大陸からは、女王への追悼の声が上がる一方で、英国の過去の植民支配や弾圧への憤りも聞かれた」としている。「憤り」の例に挙がるのは、ケニア人女性のツイッター発信だ。1950~60年代の独立闘争では祖父母世代が英国に「弾圧された」、だから自分は女王を「追悼することができない」――。これを読むと、私が南アで受けた印象はやはり例外的なのかとも思う。

英連邦王国では、その変則的な君主制に対して違和感が生じているようだ。同じ朝日新聞国際面の記事によると、英連邦王国の一つ、カナダのトルドー政権は国葬当日を休日扱いにしたが、国内にはこれに同調しない州も複数あったという。かつてフランス人の入植も盛んで、フランス語で暮らす人々が多いケベック州はその一つ。州首相は「子どもの登校日を減らすのは避けたい。パンデミックで既に、十分だ」と語ったという。

同様に英連邦王国であるオーストラリアには、君主制をやめようという動きがある。「与党労働党は共和制移行を党方針に掲げている」(東京新聞)、「アルバニージー首相は共和制移行に向けた議論をするため、担当副大臣を任命した」(朝日新聞)という状況なのだ。女王への追悼機運で移行にブレーキがかかっているようだが、英連邦王国の人々には、なぜ王様を海の向こうから借りてこなくてはならないのか、という思いもあるだろう。

東京新聞のロンドン電には思わず苦笑した言葉がある。女王弔問の列に並んでいた人から聞きとったひとことだ。その人の妹は英連邦王国の一つ、ニュージーランドに在住だが、「共和制になったら『変な大統領』が誕生しかねない」と心配している、という。この懸念は、ここ10年ほどで急に現実味を帯びるようになった。君主制をやめるときには「変な大統領」が出てこないしくみを考えなくてはならない。これは心にとめておくべきだろう。

それにしても、である。私たちは――少なくとも私は――英女王の国葬にうっとり見とれてしまった。そこには、生涯の職務を全うした人に対する敬意があった。伝統に裏打ちされた厳かさがあった。そしてなによりも、美しかった。と同時に、凋落した旧帝国の思惑が見え隠れしていた。過去の植民地支配の苦い記憶も聞こえてきた。さらに、君主制懐疑の風も吹きつけている。女王は死してなお、歴史を映す鏡になっているとは言えないか。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年9月30日公開、通算646回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

5 Replies to “女王去って連邦は悩む”

  1. 尾関さん

    きょう更新された貴ブログ、植草さんと尾関さんの個人史の重なり合いの回想、興味深く拝読致しました。感想は別の機会に譲ることとし、今日は間近に迫ったチャールズ国王の戴冠式に絡んで少々。

    チャールズの面構え(以下、尊称省略)は何か大英帝国の歴史が刻み込まれた印象があり気に入っていたのですが、今に至る彼の言動を知るにつれ、段々と普通の顔に見えて来ました、笑。

    さて、戴冠式についての私の関心はカンタベリー大司教の説教にあります。
    教皇権と王権の相克は欧州の歴史を貫く大河のようなものです。
    カール大帝は西ヨーロッパを統一したほどの権勢を誇りましたが、800ADにバチカンで戴冠されて初めてカール皇帝となりました。そして、あのカノッサの屈辱で教皇権の王権に対する優位が固められる。
    さらにはフランス革命による王政の弱体化や消滅などなど。
     
    英国の場合は欧州各国とは一線を画して早々とバチカンと袂を分かっていますね。ヘンリー8世の時ですから16世紀のことですが、自ら主導して作った「上訴禁止法」でバチカンの影響を排除し、加えて「国王至上法」。英国国王は新しく生まれた「英国国教会」の「地上における唯一最高の首長」という法律ですから凄い。
    ヘンリー8世は自分の中に王権と神権とを合体してしまったのですね。しかも、その動機が自分の結婚や離婚についてとやかく言ってくるバチカンを黙らせるためであったのに、その対抗手段が今日まで生き続けて英国で神権と王権の相克を排除しているわけですから、やはり、英国は面白い。

    この興味はエリザベス女王の国葬の時にも抱いていたことなんですが、荘厳な儀式に目を奪われてカンタベリー大主教の説教はなんとなく聞き流してしまいました。そこで先日あらたに聴いてみました。要約すれば、エリザベス女王のキリストへの確かな信仰を讃え、その信仰が礎となって若くして即位した時の宣誓を生涯を通して守り通した、というものでした。

    さて、実はチャールズの戴冠式で大主教が説教を行うかどうかは知りません。もしあるとすれば、「母のようにキリスト教信仰に基づいて英国を治めなさい」といったものになるのでしょう。ただ、大主教の本音は、「あなたはもう英国の国王だ。そのことをよく自覚して、手にインクがついたぐらいでイライラするのはやめなさい」という辺りか?
    チャールズは先日、ウクライナ戦争に関してかなり政治的に踏み込んだ発言をしましたね。国王としてのチャールズの今後に興味津々です。目が離せません。

  2. 虫さん
    英国在住時代、地元紙を読みながら痛感したのは、英国王室の人々は市井の人々の「鏡」になっている、ということでした。
    いまどきの言葉でいえば、ロールモデルでしょうか?
    ただ、ロールモデルを「模範」と訳すと、ちょっと違う。
    「参照事例」といった感じでしょうか。
    私には王室の人々も、その役割を自覚しているように思えました。
    王族の特権を享受するのだから、一定程度のプライバシーは放棄する――そんな感じでしょうか。
    私が英国にいたのは、現国王のチャールズ皇太子がダイアナ妃と別居したころでしたが、連日のように報道される夫妻の不和話は、同時代を生きる人々の夫婦観や恋愛観に少なからぬ影響を与えていたように思います。
    チャールズ国王は、ふつうならリタイア生活を楽しむべき年齢になってから「現役」生活に入ったわけで、これからの一挙手一投足は高齢社会を生きる人々のロールモデルになることでしょう。
    たしかに、目が離せませんね。

  3. 尾関さん

    さきの投稿でチャールズ新国王の戴冠式、そしてカンタベリー大司教がどんな説教をするかに関心がある旨のコメントを差し上げました。そこで今日は実際に行われた戴冠式について。
    イエスの言葉に自分は仕えられるために来たのではなく、仕えるために来た、というものがありますが、大司教の説教の内容はこの言葉に尽きた感があります。
    英国国教会の長であるチャールズ(以下、尊称省略)に対して徹底的に仕える立場を貫徹しなさい、つまり、イエスに似た姿を示す国教会の長となりなさい、との一貫した説教でしたね。
    チャールズは会衆に背を向け、大半の時間を最後の晩餐の壁画を仰ぐ位置におりました。王の立場であれば王座から臣民を睥睨するわけですが、逆ですね。やはり、戴冠式は英国国教会の宗教行事なんですね。

    私が興味を持っていた神権と王権の関係、或いは相克は全く見られませんでした。当然ですね。エリザベス女王が逝去されたと同時にチャールズは国王と国教会の長との両方の立場を既に受け継いでいますから。そして、これは正に16世紀のヘンリー8世効果ですね。
    自分の結婚・離婚問題に端を発してバチカンと袂を分かち、権力欲なのか知恵なのかは分かりませんが英国国教会を設立してその長になり、同時に王権を兼務したヘンリー8世。その制度が21世紀の今、すっかり定着した赴きです。
    そもそも欧州では君主制の国も少なくなり、もはや中世の王権と神権の相克が歴史を動かすという時代はすっかり過去のこととなったようです。

    では今の課題はと言えば、やはり移民の流入とそれに伴う宗教の多様化なのでしょう。

    英国では戦後の復興期に旧植民地から労働力として多くの移民が移り住んだとのことで移民の歴史が比較的長く、現に首相がインド系であるという日本では考えられない状況にありますが、それでも移民問題には根深いものがあるようです。
    チャールズはこの問題、或いは非キリスト教への理解が深く、戴冠式でも叙任の場面でイスラム教などの人々が宝器をチャールズに手渡すなどの姿が見られました。メディアも専らチャールズが重視する多様性を反映した戴冠式、という視点から報道していました。

    ここで忘れてならないのは、カンタベリー大司教の存在なのですね。ジャスティン・ウェルビーさん。英国国教会から派生した世界の聖公会(プロテスタント)の最高位の聖職者になります。
    聖公会には非常に幅広い立場があり、一方にはカトリックに強い親和性を抱くグループから(このグループの存在ゆえに英国国教会をカトリックの英国版とする誤解があるわけです)、他方には、アメリカの福音主義に近いグループがあります(特にオーストラリアの聖公会はこの傾向を強く持ちます)。

    この立場を異にするグループを包摂する大きな宗派である聖公会をまとめているのがウェルビーさんであり、言わば両側からの批判の矢面に立たされる立場にありますが、その聡明さ、深い信仰と見識、そして誰もが認めざるを得ない公正さで聖公会をまとめているわけです。

    さて、ウェルビーさん自身の立場はと言えば、ややリベラルであり、彼がそうであったからこそ今回の戴冠式が実現し得たのではないかと私は考えています。

    最後にもうひとつ。今回の戴冠式でカミラさんが正式にクイーンとなりましたが、チャールズの不倫相手として、ダイアナを苦しめた女性として、英国民から嫌悪された女性でした。その女性がクイーンとして正式に認められるまでの道筋を描き、導いててきたのがウェルビーさんなのですね。
    これは業務と言えば業務です。チャールズが英国国教会の長(大臣)であり、ウェルビーさんは最高位の聖職者(次官)なわけですから、チャールズが英国国教会の長として、そして英国国王として戴冠式を迎えられる道を整えるという重責を担ったのですね。

    国王としてのチャールズの今後から目が離せません。と同時に、YouTubeでカンタベリー大司教の姿を見ながら思いに耽る戴冠式鑑賞となりました。

  4. 虫さん
    君主制と国教会――英国社会は、近現代の社会設計と折りあいのつけにくい二つの伝統を抱え込んでいます。
    日本は、日本国憲法による象徴天皇制のもとで、皇室の宗教を国事行為と切り離しましたが、英国ではそういうこともない。
    英国国教会を王室の宗教として存続させつつ、人々の間にある諸宗教諸宗派と同列にとらえる――。
    実践を通して、そんな社会に変えていこうということなのでしょう。

  5. 尾関さん

    チャールズ国王は尾関さんの仰るような思惑でしょう。そして、今回はカンタベリー大司教がウェルビーさんであったから多様性に配慮し、チャールズ国王の意向を反映した戴冠式になりえたとも言えるでしょう。

    一方では、国教会の守旧派聖職者や信者の中には今回の戴冠式を苦々しい思いで見ていた人々が少なからずいたはずです。国教会内の勢力図が今後どうなるかによっては、守旧派が力を増し、国教会の長であるチャールズと聖職者達との対立が露見するという可能性もゼロではないでしょう。

    まあ、多くの場合、結果は想像や予想をはるかに超えたものになるものです。このテーマでの対話はここまでと致しましょう。
    ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です