今週の書物/
「東京日記」
=『東京日記 他六篇』(内田百閒著、岩波文庫、1992年刊)所収
ありえないことがある――これは、年をとればとるほど痛感することである。東日本大震災のような天災に見舞われる、新型コロナウイルス感染症のような疫病がはやる、ウクライナ侵攻のような不条理に出遭う。これらはいずれも不意をつく出来事だったが、歴史を顧みれば似たような災厄はあった。ありえない、とは決して言えない。ところが、人生には本当にありえないことが起こる。それはむしろ、ありふれた風景のなかにある。
たとえば電車に乗っていて、前方の座席を見渡したとしよう。乗客6人のうち5人が片手に板切れをもち、もう一方の手でトントン叩いている――別段驚くこともないありふれた光景だ。だが、昔からありふれていたわけではない。こんなことはありえなかった。
20世紀末に情報技術(IT)が台頭したころから、世の中は大きく変わるという予感はあった。21世紀初めにかけて、世界はインターネットで結ばれ、私たちは携帯電話を手にするようになった。ネットとケータイがうまく組み合わされば、私たちの生活様式が激変するのは理の当然だ。ただ、人々が黙々と板切れを叩く姿が日常の風景に溶け込むとは、だれが予想しただろう。あのころ、それはほとんどありえないことだった。
その板切れ、即ちスマートフォンが開発され、消費者に受け入れられ、世の隅々にまで行き渡る道筋を私は検証したわけではない。だから直感で言うのだが、スマホ文明は必然だけで生まれたわけではないだろう。偶然が別の向きに働けば、端末のありようやネットとのつながり方が異なったものとなり、掌の板切れも指先のトントンも出現しなかったのではないか。私たちはIT進化の数多ある小枝の一つに紛れ込んだだけなのかもしれない。
そう考えてみると、私たちが今ありえないと思っていることを見くびってはいけない。ありえないようなことが、いずれ現実になることは大いにありうるのだ。で、今週は『東京日記 他六篇』(内田百閒著、岩波文庫、1992年刊)の表題作を読む。「改造」誌1938年1月号に発表された作品だ。これは短編小説というよりも、23話から成る掌編連作とみたほうがよい。登場人物にとってありえないと思われる話が次々に出てくる。
作品に入るまえに、著者百閒(1889~1971)について予習しておこう。生家は岡山の造り酒屋。東京帝国大学でドイツ文学を学び、学生時代、夏目漱石門下に入った。卒業後は陸軍士官学校などで教職に就くかたわら、小説家や随筆家として文筆活動に勤しんだ。
本書の巻末解説(川村二郎執筆)によれば、百閒文学は「一貫して、日常の中に唐突に落ちこむ別世界の影に執着している」という。この「東京日記」もそうだ。私は漱石の「夢十夜」を連想した(*)。ドイツ文学でいえば、フランツ・カフカの作風に近い。
著者の人柄がしのばれる一文が本書巻末にある。著者に師事し、本書の出版にかかわった中村武志さんのことわり書きだ。それによると、著者は戦後も亡くなるまで「旧漢字、旧仮名づかいを厳として固守」した。時流に左右されない頑固な人だったのだろう。ただ、この文庫版では遺族の許可を得て、新漢字、新仮名づかいに改められている。そうしたのは、「できるだけ多く」の若者たちに百閒作品に触れてほしいとの一念からだという。
では、「東京日記」第1話に入ろう。ここでは「日常」と「別世界」の落差が巧みな筆づかいで描かれている。「日常」を実感させるのは東京に実在する地名だ。「三宅坂」「日比谷の交叉点」……東京人ならば、そう聞いて「ああ、あのあたりだな」とお濠端の風景が目に浮かぶに違いない。ところが、そのお濠から「牛の胴体よりもっと大きな鰻」が姿を現し、「ぬるぬると電車線路を数寄屋橋の方へ伝い出した」。これはまぎれもなく「別世界」だ。
この「別世界」には予兆があった。「私」は日比谷交叉点で、乗っていた路面電車を降ろされる。車掌は車両故障だという。雨降りだが、雨粒に「締まりがない」。風は止まり、生暖かい。夜でもないのに、ビルの窓々にあかりが見える。そのとき、お濠で異変が起こった。「白光りのする水が大きな一つの塊りになって、少しずつ、あっちこっちに揺れ出した」。こうして、大鰻が現れたのである――。不気味な気配の描き方が半端ではない。
さて、この作品でありえないことがあると痛感させられたのは第3話だ。冒頭に「永年三井の運転手をしていた男」が登場する。三井財閥のお抱え運転手だったということだろう。退職後に「食堂のおやじ」となり、彼と「私」とは店主と常連客の間柄にある。その男がある日、「老運転手」然とした制服姿で「私」の前に現れた。「古風な自動車」が外で待機している。「迎えに来てくれた」のだ。男は「私」を乗せて車を走らせた。
執筆は1930年代。すでに街に自動車が走っていた時代だが、クルマ社会の到来はまだ遠い先の話だった。その時点からみて「古風な自動車」というのだから、よほどクラシックな車種なのだろう。この一編は、そんなレトロな雰囲気で書きだされている。
では、ドライブはどんなものだったのか。車は街路を滑らかに走っていたが、四谷見附で信号が赤になり、停止した。隣には緑色のオープンカーが停まっている。ここで、不思議なことが起こる。「だれも人が乗っていなかった」はずなのに「信号が青になると同時に、私の車と並んで走り出した」のである。「前を行く自転車を避けたり」「先を横切っている荷車の為に速力をゆるめたり」もする。これはまさしく、現代の自動走行ではないか。
自動走行車を目の当たりにしても、歩行者は驚かない。警察官も同様だ。この街では、自動車に運転手がいないことが当たり前になっているようだ。「私」は、そういう人々の反応を含めて、ありえないと感じている。そこにあるのは「別世界」だった。
1930年代の視点に立つと、この「別世界」はお濠の鰻が市街を動きまわる「別世界」と等価だ。だが、視点を2023年に移せば話は違ってくる。車の自動走行は技術面では相当程度まで可能になっている。10年先を見越せば、制度面の体制も整ってくるだろう。たとえ道を行く車に人影がなくても、それは「別世界」とは言えない。そんな車を見て人々が無反応だったとしても、やはり「別世界」ではない。それは、ありうる世界なのだ。
これは、著者が考えもしなかったことだろう。この一編はレトロの雰囲気を調味料にしているくらいだから、未来物語ではない。ところが、作品発表から80年余が過ぎると、そのありえないことが近未来図に重なりあうのだ。世界は何が起こるかわからない。
この作品で私の心をもっともとらえたのは第4話。ある夜、東京駅で省線(現JR線)の上り最終電車を降り、駅前に出てみると夜空の様子がいつもと違う。「月の懸かっているのは、丸ビルの空なのだが、その丸ビルはなくなっている」。近づくと、敷地は原っぱでそこここに水たまりもあった。その夜は帰宅したが、翌朝用事があって現地を再訪すると丸ビルはやはりない。空き地は柵で囲まれていて、電話線や瓦斯管があった形跡もない――。
この一編の妙は、丸ビルがあった場所に「丸ビル前」のバス停があり、タクシーの運転手に行き先を「丸ビル」と告げればそこに連れていってくれることだ。だが、空き地のそばに佇む人に「丸ビルはどうしたのでしょう」と尋ねると、「丸ビルと云いますと」と要領を得ない。丸ビルは在ったのか、なかったのか、在るのか、ないのか……。話を最後まで読むと、ますますわからなくなってくる。この世界が「別世界」と交じりあうような作品だ。
考えてみれば、当時の丸ビルは今消え、新しい丸ビルが聳えている。街の建物が知らないうちに姿を消すのはよくあることだ。その意味では、これもありうる話なのか。
*当欄2023年1月13日付「初夢代わりに漱石の夢をのぞく」
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(執筆撮影・尾関章)
=2023年2月10日公開、通算665回
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