今週の書物/
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
マックス・ヴェーバー著、大塚久雄訳、岩波文庫、1989年改訳刊
資本主義という言葉ほど、この半世紀でイメージが反転したものはないのではないか。年寄りの思い出話をさせてもらえば、日本社会では高度成長真っ盛りの1960年代、資本主義はフル回転で私たちを豊かにしてくれたわりに良い印象がなかった。
なぜだろうか。すぐに思いあたるのは、あのころはまだ資本主義と対立する社会主義が健在だったことだ。今も、この一対は対義語として成立する。ただ、片方がすっかりかすんでしまった。社会主義と言ってもピンと来ない人がふえてしまったのである。
1960年代は違った。人々の何割かは確実に社会主義の思潮に共感を覚えていた。旧ソ連に代表される社会主義体制を望む人が多かったとは言えないが、勤め人の声が政治経済に反映されて、賃金水準が高まり、福祉制度が整うことには期待感があったのだ。その視点に立つと、資本家は悪役となり、資本主義には負のイメージがつきまとった。この空気感は、社会主義政党の党員シンパのみならず、世の中に広く浸透していたと言ってよいだろう。
例を挙げよう。当時の政界でも保守政治家が多数派だったが、その人たちも自分が守ろうとしているものが資本主義だと宣明することはめったになかった。自らの立場に話が及んだときには、自由主義の擁護者という言葉を好んで使っていたように思う。
思い返せば、私が新聞社に入った理由の一つもそこにあった。1970年代後半の社会には、資本主義を嫌う空気がまだ残っていた。私は、学生運動をしていたわけでもなく、社会主義者だったこともない。それでも、資本主義の手先になりたくないとは思った。新聞社も株式会社なので手先に違いない――実際、「商業新聞」「ブルジョワ新聞」「ブル新」という呼ばれ方もあった――が、相対的に資本主義色が薄いように思われたのだ。
ところが近年は、この空気が一掃された。資本主義と社会主義を見比べると、後者のほうに負のイメージがとりついている。ただそれにしては、資本主義という言葉をあまり見かけない。最近の議論は、なんであれ資本主義を既定のものとして受け入れている感があるので、その前提を言う必要がなくなったようにも見える。むしろ、同じ資本主義の範囲内で、市場万能の新自由主義をとるか、そうでない側に立つかが問われる局面がふえている。
で、今週は資本主義について考える。手にとったのは、必読の書とされる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー著、大塚久雄訳、岩波文庫、1989年改訳刊)。必読と言いながら自分は読んでいなかったことを正直に告白する。
今回、食指が動いたのは、昨秋の当欄で『フランクリン自伝』(ベンジャミン・フランクリン著、松本慎一、西川正身訳、岩波文庫、1957年刊)をとりあげたことによる。米国を独立に導いた政治家であり、実業家であり、理系知識人でもあった人物の立志伝を読んで、ドイツの社会科学者マックス・ヴェーバー(1864~1920)が言う「資本主義の精神」らしきものを嗅ぎとったのである。(2020年11月6日付「フランクリンにみる米国の原点」)
この嗅覚は、的外れではなかった。本を開くと、第一章の「資本主義の『精神』」と題する節で3ページほども費やして、フランクリンの言葉を延々と引用しているのだ。そこには「〈時間は貨幣だ〉ということを忘れてはいけない」「〈信用は貨幣だ〉ということを忘れてはいけない」「貨幣は〈繁殖し子を生むもの〉だということを忘れてはいけない」(〈 〉内は傍点箇所、以下も)……。こんな警句が箇条書きのように並ぶ。
3番目の「貨幣は〈繁殖し子を生むもの〉」に注目しよう。フランクリンは、警句をたとえ話で説明する。5シリングの元手で資金運用を始めると、いずれは100ポンドを手にすることもできる、というのだ。「貨幣の額が多ければ多いほど、運用ごとに生まれる貨幣は多くなり、利益の増大はますます速くなっていく」――資金を複利でふやせば、富は指数関数で膨らむ。なるほど、これは資本主義の醍醐味そのものではないか。
ここでは刺激的に、親豚を殺すことは「子豚を一〇〇〇代までも殺しつくすこと」とも書かれている。少額の貨幣でもそれを生かさなくては、得られるはずの多額の貨幣を「殺し(!)つくす」ことになると説くのだ。運用しないことを怠惰とみなす立場である。
そのフランクリンの思想を、著者即ちヴェーバーはどうみているのか。フランクリンが推奨する「ひたむきに貨幣を獲得しようとする努力」には幸福や快楽を追い求める気配が薄く、そこでなされる営利の活動が「物質的生活の要求を充たすための手段」ではなく「人生の目的」であることを強調する。富をふやす勤勉さそのものに価値を見いだす倫理観と言えよう。これが、やがて資本主義経済を回す原動力となっていく。
著者によれば、フランクリンは、近代社会で貨幣の源は職業人としての「有能さ」にあると考えていた。ここで職業とはドイツ語で言えばBerufであり、そこには「神から与えられた使命」即ち「天職」の意もあるという。こうして、この本の論題も宗教へ移っていく。
この本は中盤で、プロテスタント各派の思想の違いを詳しく述べているのだが、その理解の前提となる知識が乏しいので、この部分についてどうこう言うことは控える。当欄で私が読み込もうと思うのは、第二章第二節「禁欲と資本主義精神」だ。著者は「〈天職理念〉のもっとも首尾一貫した基礎づけを示しているのは、カルヴァン派から発生したイギリスのピュウリタニズム」とみて、これを資本主義に結びつけていく。
英国の清教徒ピューリタンは「富とその獲得」について、どう考えていたのか。一見すると、富の獲得を否定しているようだが、そうではないと著者は分析する。その教えが「真に」不道徳とみなすのは、富の所有にあぐらをかいて「〈休息する〉こと」であり、「富の〈享楽〉」に耽って「怠惰や肉の欲」の虜となることだ、という。休むな、遊ぶな、もっと稼げということか。フランクリンの「時間は貨幣だ」即ち「時は金なり」に通じている。
著者は、ピューリタニズムを代表する神学者リチャード・バクスター(1615~1691)らの文献を漁り、その勤勉志向を見ていく。「時間の損失」として「無益なおしゃべり」や「贅沢」に×印がつくのはわかる。だが、「睡眠」まで指弾される。驚くのは、宗教者なら奨励してもよいはずの「黙想」ですら、批判の対象となっていることだ。「天職における神の意志の積極的な実行に比べて、神によろこばれることが〈少ない〉」との理由である。
ボーッとしていてはダメということか。働くために働くという思想である。著者は、それを「労働」が「神の定めたまうた生活の〈自己〉目的」になっていると表現する。だからこそと言うべきか、バクスターは厳格に「富裕であるとしても、この無条件的な誡命から免れることはできない」との立場をとる。中世スコラ哲学も労働を促したが、「財産によって生活できる者」は適用外だったという。ピューリタニズムは、そこが違う。
「天職」重視は定職の勧めでもある。著者は、バクスターの次の言葉を引く。「確定した職業でないばあいは、労働は一定しない臨時労働にすぎず、人々は労働よりも怠惰に時間をついやすことが多い」。これが、17世紀の論述であることに注目したい。近代前夜、怠惰を嫌う宗教倫理が、資本主義社会の分業化への流れにかみ合ったのだ。いや、それだけではない。その先に、専門職を重んじる現代社会を見通していたようにも思える。
ヴェーバーがピューリタニズムから抽出した資本主義像は、私たちの先行世代が1960年代に経験したことに見てとれる。モーレツに働き、終身雇用制のもとで定職をまっとうする人が多かった。それが21世紀の今はどうか。ワークライフバランスの機運が高まり、転職は珍しくなくなり、「臨時」の働き手に過酷労働のしわ寄せがきている。資本主義が当たり前の時代になったが、それを支えていたはずの精神は現実から遠のくばかりだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年4月9日公開、通算569回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。
尾関さん
『必読の書』を既にちゃんと読んでいた虫です、笑。
ヴェーバーの資本主義論はカルヴァンの『予定説(カルヴィニズム)』と分かち難い関係にあります。カルヴァンとは、あの宗教改革で有名なカルヴァンです。
では『予定説(カルヴィニズム)』とは?これはプロテスタント神学に於ける『決定論』と言う事ができます。人がその生涯を終えた後に過ごす場所が生まれる前から決定されているとカルヴァンは考えました。
何故か?ルターもそうであったように、宗教改革者としてのカルヴァンも改革の土台を聖書そのものに置きました。ご存知のように、当時のカトリックでは免罪符と交換で天国に行けるとするほどに本筋から逸脱していましたから(無論、本来のカトリシズムはそのようなものではありません)。
ルターもそうでしたが、カルヴァンもまた人間の救済は神の一方的な恩寵によるという考え方を聖書の核心として注目しました。カルヴァンはこれをさらに徹底させ、人の行く末は生まれる以前に決定されていると教えました。一方的な恩寵による救済に人間側の関与があってはならないと考えたからです(今なお、決定されたのは天地創造の前か後かといった論争が続いています。或いは、決定論と宣教とにどう折り合いをつけるのかといった論争もあります)。
さて、困ったのは民衆です。カルヴィニズムに従えば、悪行の限りをを尽くし欲望のままに生きても、善行を積んでも、既に決定されている自分の立場には何の影響も及ぼさないからです。
民衆の困惑にカルヴァン派の指導者達が勧めたのは、どちらにしても分からないのだから、自分が望む立場に相応しい生活をしたらどうかというもので、その生活が勤勉に働くことだったのです。そしてこの生き方が『予定説』に賛同するか否かに関わらず、広くピューリタンの世界に広がっていきました。
以上のように、ヴェーバーがプロテスタンティズムが資本主義を生んだという時、より厳密には、カルヴァンの『予定説(カルヴィニズム)』の拡がりの歴史が資本主義を生んだと主張しているわけです。
ところで、カルヴァンのこの名著はかつての輝きを失っていますね、特に、欧米の学者に間で。その理由が『大阪』というのがまた面白い。「儲かってまっか?」には敵わないといった塩梅です。
江戸時代には既に市場経済があり、1730年には大阪・堂島の米会所が幕府に公認されました。ここで行われていたのが、現在の資本主義の最先端、或いは、終焉の象徴とでも呼ぶべき『先物取り引き』そのものなんですね。
しかも人間インターネットとでも呼ぶべき手旗信号で大阪から江戸を初め多くの場所に米会所の米相場がさして時間をかけずに伝えられました。300年も前に、米価を巡る先物取り引きで大阪を中心に大儲けをしたり、大損したり、我々の先輩は熱を上げていたわけです。
この歴史が伝えられると、欧米の学者の間に困惑が広がると同時に、さすがに大阪を発祥の地とまでは言わないけれど、資本主義は必ずしも欧米に始まり世界に拡がったものではないという主張が出てくるようになったわけです。
サルトルとレビ=ストロースの論争で、サルトルの思想や歴史観が西欧中心の域を出ていないことが示されたと言われます。
ヴェーバーもまた、大阪のおかげでかつての『必読の書』としてその威光を失っていくのでしょうか。
虫さん
なるほど、資本主義の誕生がキリスト教(それもプロテスタンティズム)社会限定のものではないことを大阪(当時は大坂)が証明した――そんな見方もできるかもしれませんね。
フランクリン流の資本主義は投資を奨励したが、投機についてはどうだったのでしょうか。
投機が幅を利かせるようになる前と後とで、「資本主義」を区分けしたほうがよいように私には思えます。
尾関さん
投資と投機をどこで区切るかは難しいところでしょうね。
米会所の場合、全国の年貢米が大坂に集まったわけですが、さすがに米俵という現物の取り引きだけでは重くてしょうがない。
そこで、米そのものを扱う現物取り引きと米に変換可能な米切手の2通りの取り引き方法が正式に設定されたようです。
これは幕府による追認で、江戸と大坂では既に行われていて、江戸と大坂の主導権争い、先物取り引きを利用した投機の活発化で米の相場が乱高下するなど、幕府や藩の財政を危機に追い込みかねない事態があったとのことです。
この事態を危惧した幕府が、いわば介入する形で1730年に大坂の米会所を公認し、同時に米の最低価格を決定しています。
これは天保の改革の一部ですから、吉宗(松平健)と大岡越前(加藤剛)が行ったと思えばわかりやすい。
こう見ると、投資と投機の間は紙一重で、大きな契機は現物取り引きに加えて売買の『売』と『買』の時期をずらす方法を編み出した結果、投機のプラットフォームが誕生したように見えてきます。
虫さん
大坂(現・大阪)は先物取引の先進地だったんですね。
先物を商うという行為は、座標変換や対称性の概念と密接にかかわっているように私には思えます(素人考えですが……)。
その数理思考のモダニズムが、どうして金儲けのところでとどまってしまったのか。
数学や物理学の分野でも先行してよかったように感じるのですが。
尾関さん
大坂は先物取引きの先進地というよりも、先物取引き発祥の地なんですね。
なぜ金儲けでとどまったかといえば、大坂だったから、と応えるほか無いように思います、笑。
後は、関孝和を米相場に誘う友人がいなかったからでしょう。
虫さん
ニヤリ。
でも、湯川秀樹が中間子論を着想したのは、阪大講師時代だったんですよ。
尾関さん
先物取引きも湯川博士の中間子論も大坂で生まれたわけですから、湯川博士の話はむしろ「大坂特殊論」を補強するものですね。金儲けの話とは外れますが。
ただ、核力もその後「〇〇的利用」の名の下、金儲けの技術に化けてませんか?
大坂で先物取引きを着想した面々にはノーベル賞を与えたいですね。
虫さん
私自身のコメントを整理してみます。
大阪が湯川秀樹の中間子論に貢献したというとき、それは昭和初期にあった大阪モダニズム(たとえば阪急文化など)が知的活動に刺激を与えたことを指しています。
このことは、湯川自身の自伝や日記を読むと感じとれます。
だから、貢献は間接的なのですね。
欧米の都市文化には、もう少し直接的な貢献がある。
たとえば、19世紀英国のマイケル・ファラデー。
彼は市井の一青年(日本風に言えば商家の奉公人)でしたが、電気や磁石に関心を抱き、資本主義流の勤勉さで研究を進めて、電磁気学の礎を築きました。
それが、20世紀の相対性理論や量子力学につながったわけです。
ベンジャミン・フランクリンの雷の研究にも、勤勉さという一点で共通点がありますね(時系列ではフランクリン→ファラデーですが)。
そうした構図が、日本の資本主義にはなかった、と私には思えるわけです。
尾関さん
この名著は以前の輝きを失っているとする段落で、私は『カルヴァン』のと書きましたが、正しくは『ヴェーバー』の、になります。失礼しました。
資本主義という言葉のイメージが良くなったり悪くなったりは確かにありますね。貧富の差が大きくなった時や自分たちが搾取されていると思った時に悪いイメージを持つのはあたりまえとしても、今のように社会システムが複雑になってみると悪いイメージすら持つことができない。悪者が見えてこない社会というのはある意味怖い。この怖い社会のことを少し書いてみたいと思います。
インターネットのせいで新聞の制作や流通にかかる費用が限りなくゼロに近づき、新聞社は「紙面を生み出す記者たちの働き」と「コンピュータのコスト」だけで新聞を多くの人に流通させることができるようになりました。その結果、これまで紙を納めていた業者をはじめ、印刷や流通にかかわってきた人たち、そして販売店や新聞配達の人たちが大きな影響を受け、投資の回収とか仕事に見合う収入とかいった資本主義の基本が壊れる。そんなことが起きつつあるのが今の状況ではないですか?
膨大な量の情報がタダで読者に届いてしまうという状況は、新聞だけではありません。似たような状況は、通信や出版、音楽やスポーツなどの業界にも見られ、多くの会社の利益が枯渇し、業界全体の存続が危ぶまれたりしています。
じつは、AIやブロックチェインのせいもあって、同じようなことがほぼすべての産業で起きていて、そのことにみんな気づいているのだけれど、考えないようにしているというのが現状ではないでしょうか。
自動車産業で働いている人たちのなかで、自動車産業に未来があると信じている人はほとんどいない。電機業界で働いている人たちのなかで、過去の栄光が戻ると思っている人は少ない。ほぼすべての製造業が同じ状況です。だからといって、製造業以外がいいわけではない。パブリックセクターも例外ではなく、労働力はどんどんいらなくなる。
資本主義がとてもうまくいった結果、生産性が上がり、コストが下がり、少ない労働者で採算がとれるようになり、Debtism などという新しい経済システムが生まれてしまいました。
AIやブロックチェインがなかなか浸透しない社会でグローバルな競争にさらされている会社は、重いハンディを背負わされているわけで、コロナで目くらましされているけれど、コロナ後には現実と戦わなければならない。なかなか大変です。
資本主義をもう一度見直すことも大事かもしれませんが、資本主義かどうかということとは関係のない21世紀の競争原理を考えることのほうがより大事に思えます。過去の考えが(それがどんなに立派なものであっても)通じるような状況ではないと思うのですが、どうですか?
「資本主義が当たり前の時代になったが、それを支えていたはずの精神は現実から遠のくばかりだ」というのは嘆きなのでしょうか、それとも単なる呟きなのでしょうか。高い理想という精神と低いレベルの現実とが乖離していくのは、ごく自然のこと。新しい精神に基づいた新しいシステムが出てくれば。。。などというのは、夢物語なのでしょうかね。
それにしても、「ヴェーバー資本主義の精神はどこへ」から、いろいろなことを考えさせられますね。いや、不思議です。
38さん
《「資本主義が当たり前の時代になったが、それを支えていたはずの精神は現実から遠のくばかりだ」というのは嘆きなのでしょうか、それとも単なる呟きなのでしょうか》
呟きです。
おっしゃる通り、こうした乖離はあって当然ですね。
そのことを知らぬげに、18~20世紀初頭の資本主義像で21世紀の資本主義を美化するようなことはしたくない、と思っているわけです。