ソシュールで構造主義再び

今週の書物/
『ソシュール』
ジョナサン・カラー著、川本茂雄訳、岩波書店「同時代ライブラリー」、1992年刊

色の差異

「主義」が輝いていた時代があった。私が学生だったころがそうだ。自己紹介で「僕はナニ主義者」と名乗るべきか、そのナニを何にしようか、といつも考えていた。

1970年代初め、よその大学で開かれる自主ゼミに通ったことがある。それを「自主ゼミ」と呼ぶのが正しいかどうかは、定義にもよるだろう。主宰者の男性若手教員は工学系だったが、テーマは彼の専門領域に限定されなかった。灯ともしごろの研究室に週1回、学内外の若者が勝手に集まり、なんでもよいからしゃべりたいことをしゃべり合うという感じ。その議論でも、「主義」という言葉には隠然とした重みがあった。

ただ興味深いのは、このときすでに社会主義の輝きが薄れかけていたことだ。主宰者の教員は新左翼への共感を明言したものだが、だからといってマルクス主義を説くことはなかった。連合赤軍事件が発覚するより前のことだが、新左翼運動はすでに衰退していた。

そのゼミで私が忘れられないのは、ある晩、初参加の青年が持論を延々と展開したことだ。芸術系の学生だったと思う。言葉の端々から、古今東西の書物を読み漁っていることがわかった。そこで飛びだした用語が「構造主義」である。私には、青年がこう言っているように聞こえた。マルクス主義は古い、実存主義も古い、今は構造主義だ――。さらに「ポスト構造主義」にも言及していたかもしれないが、そこまでの記憶はない。

そのころ、私も「構造主義」という言葉は知っていた。新書版の解説書はすでに読んでいたと思う。ただ、ピンとこなかった。その意図がつかみ切れなかったのだ。ところが、くだんの青年は弁舌さわやかに、それを思想史の時間軸に位置づけている!

私が構造主義に惹き込まれなかった理由は明らかだ。それは、新鮮ではある。「意味するもの」「意味されるもの」といった耳慣れない用語を駆使して、物事の本質を読み解いてくれる。だが、そこにとどまっていないか? 少なくとも私には、そう思えた。構造主義は、世界のしくみを理解するための方法論に過ぎない。自分がどう生きてどう行動するかという問いには、なにも指針を与えてくれない――そんな不満を拭えなかった。

だから、マルクス主義や実存主義は古い、構造主義は新しいという仕分けには納得できない面があった。これらは同列の品目ではないので、新旧を比べるのは適当でないように思えたのだ。私は青年の話ぶりに気おされながらも、心の片隅に違和感を宿しつづけた。

で、今週は『ソシュール』(ジョナサン・カラー著、川本茂雄訳、岩波書店「同時代ライブラリー」、1992年刊)。フェルディナン・ド・ソシュール(1857~1913)はスイスの言語学者。その研究は構造主義の原点に位置づけられている。著者は1944年生まれ、米国出身の近代語、比較文学の研究者。本書の原著が刊行された1976年時点では、英国の大学で教職に就いていた。邦訳の単行本は1978年、岩波書店が出している。

当欄は先週、ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』に登場する新言語「ニュースピーク」を素描した(*1)。痛感したのは、言語と思考が密接不可分なことだ。この機会に言語のしくみそのものも考察したい。そう思ったのも、本書を選んだ理由である。

本書によると、ソシュールは自身の研究の全体像について、ほとんどなにも書き残さなかった。このため、ジュネーブ大学での講義録『一般言語学講義』がよく読まれる。学生のノートなど複数の筆記記録をもとに関係者がまとめたものだ。著者は、これをノート原本と突きあわせると、ソシュール本人の真意を伝えていない面があることを指摘する。本書は随所で『講義』を参照しつつ、一方で著者なりのソシュール思想「再構築」をめざしている。

中身に入ろう。第Ⅱ章「ソシュールの言語理論」を開くと、さっそく「言語は記号の体系である」という一文に出あう。「音」はふつうにはただの音だが、それが「観念を表現ないし伝達するのに役立つ」場合にだけ、「言語」の価値を帯びる。では、どんなときに音は観念を伝えられるのか。音が「慣習の体系の一部」「記号の体系の一部」であるときだという。この「体系の一部」という表現に、私は構造主義の空気を感じとった。

ここで「記号」とは何だろうか。それは、「記号表示する形式」と「記号表示される観念」の「合一」だという。ソシュールの用語に従えば、前者はsignifiant(能記)、後者はsignifié(所記)。片仮名書きすると、シニフィアンとシニフィエになる。懐かしい響きだ。これらこそが〈意味するもの〉と〈意味されるもの〉だった。音がなにものかを意味し、なにものかがそれによって意味されるとき、言語という記号が成立するのである。

次いで本書は「言語記号は恣意的である」と書く。「能記と所記との特殊な結合」は気まぐれというのだ。所記として哺乳類の一種(日本語圏で「犬」と呼ばれるもの)を思い浮かべよう。英語圏の人は、これに対する能記にdogをあてがうが、それはlodやtetであっても一向にかまわない。いくつもある能記候補のうちの一つが最適という「内在的理由」はないのだ。これが、ソシュール言語学が言語記号に見いだした基本原理だという。

ただ、この恣意性は一筋縄ではいかない。本書がまず指摘するのは、言語によって所記が異なるということだ。フランス語にaimerという動詞がある。これを英訳するときは、like(好き)かlove(愛する)のどちらかを選ぶことになる。フランス語では「好き」と「愛する」が一つの概念をかたちづくり、一つの所記となっている。ところが、英語では別々の概念であり、所記なのだ。世界の「分節」の仕方が言語次第で多様なことがわかる。

所記が「可変的・偶発的な概念」であることも具体的に語られている。例示される言葉は形容詞のsillyだ。もとは「幸いな」「恵まれた」「信仰深い」だったが、「無垢な」「力のない」などに変わり、今では「愚か」を意味するに至った。「能記sillyに付着された概念が継続的に境界を移し変え」「世界を一時代から次の時代へと異った仕方で分節した」わけだ。この間に能記も変化して、片仮名で表記すればセリーがシリーになったという。

著者によれば、ソシュールが恣意的とみてとったのは能記と所記の関係にとどまらない。所記が恣意的であり、能記も恣意的なのだ。「能記も所記もともに、純粋に関係的ないしは差異的な存在体である」――これがどうやら、ソシュール言語学の核心であるらしい。

本書では、いくつかの具体例が挙がっている。色名語、すなわち色の名前がその一つだ。brown(褐色)がどんな色であるかを学ぶときのことを考えよう。生徒は、brownという色がred(赤)やtan(黄褐色)、grey(灰色)、yellow(黄)、black(黒)と「区別」されることを教わるまでは「brownの意味を知るに至らない」。brownを「独立の概念」とみてはいけない。それは「色名語の体系中の一辞項」ととらえるべきなのだ。

「重要なのは区別」であることを実感する例には列車の呼び方もある。8時25分ジュネーブ発パリ行き急行とは何か? この列車は連日運行されるが、日によって車両も乗務員も入れ代わる。発車時刻がダイヤの乱れで8時25分より遅れる日もある。だが私たちは、それを同じ8時25分ジュネーブ発パリ行き急行と呼ぶのだ。理由は、この列車が10時25分ジュネーブ発パリ行き急行などとは別の列車であるからにほかならない。

本書には「言語学における説明は構造的」という記述がある。ソシュールが切りひらいた近代言語学は「要素を創り出し、かつ画定するところの諸関係から成る根底所在の体系」を提示して、そこにある「諸形式」と「結合法則」を説明づけようとしているという。難しい! これを私なりに意訳すれば、言語学は能記や所記の差異に目を向け、その関係図を描きだすことで言語の形式と法則を突きとめる試みである、ということか。

構造主義がようやく目に見えてきた。ソシュールはAやBを語るとき、A、BそのものよりもAとBの差異や関係から成る「構造」に注目したのだ。これは私たちの生き方に直接はかかわらないが、世界の見方に影響を与える。来週もソシュール思想を追いかける。
*1 当欄2022年7月1日付「オーウェル、言葉が痩せていく
(執筆撮影・尾関章)
=2022年7月8日公開、通算634回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

オーウェル、言葉が痩せていく

今週の書物/
『一九八四年』
ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、新訳版、ハヤカワepi文庫、2009年刊

ニュースピーク

言葉の貧困は目を覆うばかりだ。ボキャブラリー(語彙)が痩せ細った、と言い換えてもよい。「緊張感をもって」「スピード感をもって」「説明責任を果たしてほしい」……政治家の発言を聞いていると、同じ語句が機械的に並べられている感じがある。

有名人が不祥事を起こしたときのコメントも同様の症状を呈している。「重く受けとめています」「お騒がせして申し訳ありません」――記者会見があれば、ここで深々と頭を下げる。これは、官庁や企業の幹部が身内の不祥事について謝るときも同様だ。

市井の人々も例外ではない。たとえば、大リーグの大谷翔平選手がリアル二刀流の試合で勝利投手となり、打者としても本塁打2本を連発したとしよう。テレビのニュース番組が街を行き交う人々に感想を聞いたとき、返ってくる答えは「勇気をもらいました」「元気をありがとう」。勇気であれ元気であれ、心のありようは物品のように受け渡しできないはずだが、なぜかそう言う。世間には紋切り型のもの言いが蔓延している。

これらを一つずつ分析してみれば、それぞれに理由はある。政治家の「緊張感」や「スピード感」は、無策を取りつくろうため常套句に逃げているのだろう。有名人や官庁・企業幹部の「重く受けとめています」「お騒がせして申し訳ありません」は危機管理のいわば定石で、瑕疵の範囲を限定して訴訟リスクを下げようという思惑が透けて見える。そして「勇気」や「元気」は万能型の称賛用語で、ときには敗者を称えるときにも用いられる。

ただ、言葉の貧困から見えてくる共通項もある。今、私たちが無思考の社会にいるということだ。思考停止の社会と言ってもよいが、思考を途中でやめたわけではない。思考すべきところを思考せず、それを避けて通ったという感じだ。思考回避の社会とも言えないのは、思考を主体的に避けたのではなく、自覚しないまま無思考状態に陥っているからだ。私たちはいつのまにか、ものを考えないよう習慣づけられてしまったのではないか。

で、今週は言葉と思考について考えながら、引きつづき『一九八四年』(ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、新訳版、ハヤカワepi文庫、2009年刊)をとりあげる。著者は1949年の視座から1984年の未来を見通したとき、そこに監視社会という反理想郷(ディストピア)が現れることを小説にした。先週の当欄に書いたように、そのディストピアでは人々の思考も操られている。そして、このときに言葉が果たす役割は大きそうなのだ。

『一九八四年』が秀逸なのは、そこに新しい言語「ニュースピーク」を登場させていることだ。たとえば、前回の拙稿(*1)にも書いたように、主人公のウィンストンは勤め先の真理省記録局で新聞の叙勲記事を書き換えるよう命じられるのだが、その業務命令もニュースピークで書かれているのだ。訳者は、それを巧妙に日本語化している。「bb勲功報道 倍超非良 言及 非在人間 全面方式書直 ファイル化前 上託」という具合だ。

bbによる叙勲の報道は大変によろしくないものだった、記事に出てくるのは居もしない人物だ、全面的に書き直せ……そう読み解ける。ここでbbは、英、米を含む大国オセアニアの「党」指導者ビッグ・ブラザーのことだろう。用件だけを伝えている感じの文面だ。

この言語がどんなものかは、この作品の末尾に添えられた「附録」を読むとわかる。「ニュースピークの諸原理」と題された一文だ。ニュースピークが「イギリス社会主義」の「要請」に適うように考えだされた「オセアニアの公用語」であること、1984年の時点では標準英語(オールドスピーク)と併用されていたが、2050年ごろまでには完全に置き換わるだろうと予想されていたことなどが、もっともらしく解説されている。

「イギリス社会主義(English Socialism)」は、略称「イングソック(Ingsoc)」。作品本体には、ビッグ・ブラザーの政敵の著書を引用するかたちでその説明がある。それはオセアニアの「党」が掲げる思想で、「党がオセアニアにある全てを所有する」という体制を支えている。支配層の中心は官僚、科学者、技師、労働組合活動家、広告の専門家、教師、報道人……などだという。中間層がいつのまにか一党独裁を生みだした、という感じか。

「附録」に戻って、ニュースピークの一端を紹介しよう。一つ言えるのは、それが英語を簡素にしていることだ。標準英語では、動詞の「考える」がthinkで名詞の「思考」はthoughtだが、ニュースピークでは動詞であれ名詞であれthinkでよい。これと反対に、名詞を動詞として使いこなす例もニュースピークにはある。「切る」はcutではなくknifeなのだ。これらの簡略化は、私のように英語を母語としない者には大変ありがたい。

簡略化は、このほかにもある。ニュースピークでは「悪い」のbadが不要で、「非良」のungoodが代用される。形容詞を強めたければ、語頭に「超」のplusや「倍超」のdoubleplusをくっつければよい。前出の「倍超非良」はdoubleplusungoodだったのだろう。

だが、ニュースピークには怖い側面がある。ひとことで言えば、意味を痩せ細らせることだ。典型例はfreeという言葉。標準英語では「自由な/免れた」の両方を意味するが、ニュースピークでは「免れた」の語意が強まった。「この犬はシラミを免れている」との趣旨で「シラミから自由である」という表現が成り立たないこともないが、「政治的に自由な」「知的に自由な」はありえない。この種の「自由」は言語空間から消滅したのだ。

同様のことはequalについても言える。equalという形容詞は、ニュースピークでも「すべての人間は等しい」という文に用いられるが、このときequalに込められた意味は体格や体力が「等しい」ということで、「平等」の概念はまったく含意していない。

これらの特徴から、イングソックがニュースピークに何を「要請」したかが浮かびあがってくる。それは、「イングソック以外の思考様式を不可能にする」ことだ。本稿のまくらにも書いたように、思考と言葉は密接な関係にある。だから、意味の痩せ細った新言語が広まれば、「異端の思考」をしそうな人が現れても「思考不能」の状態に追い込める――。オセアニアの「党」は、そんな「思惑」があってニュースピークを導入したのである。

もちろん、「思惑」通りには事が進まない。1984年の時点ではオールドスピークが日常言語だったから、ニュースピークで会話や文書を交わしても、オールドスピークにまとわりついた「元々の意味」を忘れられない。ここで威力を発揮するのが、「二重思考」だ。これは前回の拙稿で紹介した通り、とりあえずは「ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱き、その両方を受け入れる」という思考法だ。そのうえで危ない考えを回避していく。

このくだりで、著者は不気味な予言をしている。将来、ニュースピークしか知らない世代に代替わりしたら、その人々は「自由な」に「知的に自由な」の意があり、「等しい」が「政治的に平等な」も意味するとは思いも寄らないだろう、というのだ。「自由な」や「等しい」は即物的になり、その語句に詰め込まれた思想はすっかり剥ぎとられてしまう。言葉が思考から切り離され、ただの意思伝達手段、いわば信号になっていく感じか。

昨今の「緊張感をもって」「重く受けとめて」「勇気をもらいました」という常套句も、私にはニュースピークの一種に思われる。思考の気配がなく、定石の棋譜のようにしか聞こえないからだ。人類の前途にはオールドスピークからの完全離脱が待ち受けているのか。
☆引用部にあるルビは原則、省きました。
*1 当欄2022年6月24日付「オーウェル、嘘は真実となる
*2 本書『一九八四年』については、当欄2022年1月21日付「宗匠のかくも過激な歌自伝」でも言及しています。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年7月1日公開、同日更新、通算633回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

オーウェル、嘘は真実となる

今週の書物/
『一九八四年』
ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、新訳版、ハヤカワepi文庫、2009年刊

気送管へ?

2022年、監視社会がここまで進むとは、だれが思っていただろうか?

30年ほど前、英国で少年による幼児の誘拐殺人があった。当時、私はロンドン駐在の科学記者。事件があまりに猟奇的だったこともあり、記事にしなかった。今思うと、それは怠慢だったかもしれない。容疑者特定の決め手が街頭の監視カメラだったからだ。

監視カメラと聞いて、私は一瞬「イヤだな」と思った。街が見張られているなんて……。でも、この装置があったからこそ事件は解決した。犯罪の抑止力があるということだ。実際その後、英国は監視カメラ大国になる。あの事件は一つの転機だったかもしれない。

ただ、英国と監視カメラの取り合わせには違和感がある。英国は、とにもかくにも自由と民主主義の国ではないか。人権感覚の強い人々が大勢いる。その社会が、なぜ監視カメラをあっさり受け入れたのか。理由は、いくつか思い浮かぶ。1970~1990年代、北アイルランド紛争が激化してテロが相次いだことも大きく影響しているだろう。この問題では、英国社会の現実主義が人権感覚をしのいで、治安を優先させたということかもしれない。

思い返すと世紀が変わるころまで、私たちは人権に対して旧来の見方をしていた。それによれば、監視行為は刑務所などいくつかの例外を除いて許されない。ところが、この20年余でそんなことを言っていられなくなった。海外ではテロや乱射事件……。国内でも通り魔事件やあおり運転……。相次ぐ凶事に監視待望論が強まった。監視の目はコンビニの防犯カメラやドラレコの車載カメラなどに多様化され、その〈視界〉を広げている。

しかも、監視の道具は今やカメラだけではない。私たちの行動は、今日的な技術によっても追跡されている。スマートフォンを持って街を歩けば、自分がどのあたりをうろついていたかが記録される。散歩の経路にとどまらない。心の軌跡もまた見透かされている。インターネットの閲覧履歴を手がかりに、自分が何をほしいか、どこへ行きたがっているかまで推察されてしまう。もはや、監視カメラだけに目を奪われている場合ではない。

カメラの背後には警察がある。民間が取り付けたものでも警察が映像を使う。ところがスマホとなると、ネットの向こうに誰がいるかがなかなか見えてこない。旧来の人権観のように国家権力だけを警戒していればよいわけではない。不気味さは、いっそう増している。

2022年の今、監視社会の実相はこうだ――。一つには、監視している主体を見極めきれないこと。もう一つは、監視されている対象が人間の内面にも及ぼうとしていること。この認識を踏まえて、今週は70年ほど前に書かれた長編の未来小説をとりあげる。

『一九八四年』(ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳、新訳版、ハヤカワepi文庫、2009年刊)。著者は英国の作家。1903年に生まれ、1950年に死去した。著者紹介欄には「二十世紀の思想、政治に多大なる影響を与えた小説家」とある。代表作には、風刺の効いた寓話小説『動物農場』も。本書は1949年に発表されたが、刊行時点から35年後の未来社会を描いている。1984年をすでに通過した私たちが読むと、その想像力に圧倒される。

主人公はウィンストン・スミス、39歳。ロンドン在住で「真理省」職員。この省は「報道、娯楽、教育及び芸術」を扱う。政府官庁には、ほかに「戦争」担当の「平和省」、「法と秩序の維持」を担う「愛情省」、「経済問題」を受けもつ「潤沢省」がある。一つ、付けくわえると、この国は英国ではなく「オセアニア」だという。英、米、豪などから成る。そのころの世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3国が割拠していた。

この作品で、著者の先見性の的確さが見てとれるのは「テレスクリーン」の普及だ。ウィンストンの自宅マンションにも、真理省記録局の職場にもある。たとえば、自室の装置は「壁面の一部を形成している曇った鏡のような長方形の金属板」とされている。驚くのは、この装置が送受信双方向の機能を具えていることだ。一方では、当局の思想宣伝を一身に浴びることになる。もう一方では、当局に自らの言動が筒抜けになってしまう。

受信の例として作品に頻出するのは、「臨時ニュース」のような音声情報だ。これは、執筆時点がラジオ全盛の時代だったからか。だが、スクリーンに映像が映る場面も出てくるから、著者は薄型テレビの開発などエレクトロニクスの進展を予感していた。送信機能についていえば、自分がいつも見られているわけだから監視カメラやスマホの追跡機能も先取りしている。著者は、監視社会の到来もすっかり見抜いていたのだ。

職場の風景が印象深い。ウィンストンがいる部屋や廊下の壁には穴がいくつも並んでいる。「記憶穴」と呼ばれるものだ。職員たちは、手にした書類を「破棄すべき」ものと見てとったとたん、「一番近くにある〈記憶穴〉の上げ蓋を開け、それを放り込むのが反射的な行動になっていた」。書類は穴に投げ込まれると、気送管――筒状に丸めた文書を空気圧で飛ばす装置――を通って、庁舎内のどこかにある「巨大な焼却炉」へ直行するのだ。

1984年のオセアニアでは「過去が消され、その消去自体が忘れられ、嘘が真実となる」。これが、日常になっている。過去が都合悪ければ、記録した文書をなきものにしたり書き換えたりする。私たちが報道で耳にする文書の廃棄や改竄が制度化されているのだ。

この小説では、ウィンストンがどんな作業をしていたかが詳述されている。気送管で届けられた書類には次のような業務命令が書かれていた――。1983年12月3日付の新聞に載った「ビッグ・ブラザー」による「勲功通達」の記事は「極めて不十分」だった。「存在していない人物に言及している」ので「全面的」に書き換えるように! ここで ビッグ・ブラザーはオセアニアの「党」の指導者。実在性さえ不確かな謎めいた人物である。

新聞の記事によると、ビッグ・ブラザーは今回、「FFCC」という組織のウィザーズ同志に「第二等大殊勲章」を授けた。FFCCは、水兵に慰問品を贈る組織。ところが、この組織が解体された。不祥事があったのか、政治的確執によるものか、理由はわからない。いずれにしてもウィザーズは存在してはいけない人となり、叙勲はあってはならない過去になった。ウィンストンがなすべきは、その過去を抹消して別の過去をつくりだすことだった。

ウィンストンが思いついたのは、英雄譚だった。「英雄の最期にふさわしい状況下で最近戦死した人物」の称賛記事はどうか。それででっちあげたのが「オーグルヴィ同志」だ。

オーグルヴィ同志は6歳でスパイ団に入り、11歳で叔父を思考警察に売り、19歳で新種の手投げ弾を考えだした。これは、敵軍の捕虜31人を「処分」するときに使われた。23歳になり、ヘリコプターに乗って重要公文書を運ぶ途中、敵機に追いかけられる。同志は公文書を抱え、眼下の海へ飛び降りた。浮きあがることがないよう、体に重しを括りつけて……。同志は架空でも、「数行の活字と数枚の偽造写真」で「実在することになる」のだ。

ただ私が思うに、この改竄には限界がある。記事を書き換えても、すでに発行された新聞紙面は変えられない。デジタル化以前の時代なら、なおさらだろう。さらに人はいったん知ってしまった記憶を掻き消すことができないではないか。心に消しゴムはないのだ。

このツッコミを切り抜ける仕掛けとして、著者が作品にもち込んだのが「二重思考」である。作中ではビッグ・ブラザーの政敵エマニュエル・ゴールドスタインの著作に、その定義がある。それは「ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱き、その両方を受け入れる能力」だ。オセアニアでは「党」の知識人たちが「自分の記憶をどちらの方向に改変しなければならないかを知っている」という。こうして「事実」は都合よく塗りかえられていく。

思考のありようひとつで過去は思い直せるということか。それによって、過去そのものも変わってしまうのか。では、思考のありようはどのように変えられていくのか。『一九八四年』には、聞いてみたいことが山ほどある。次回もまた、この本の読みどころを。
☆引用部にあるルビは原則、省きました。
*本書『一九八四年』については、当欄2022年1月21日付「宗匠のかくも過激な歌自伝」でも言及しています。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年6月24日公開、同月29日最終更新、通算632回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

ロシアに「ソ連」を見る話

今週の書物/
『歴史・祝祭・神話』
山口昌男著、中公文庫、1978年刊

ロシア

ロシアのウクライナ侵攻は、政治権力というものの怖さを私たちに見せつける。権力者がいったん軍事行動の指示を出せば、兵士たちは隣国に踏み込んで人間を殺傷することを強いられる。隣国の兵士たちも、それに対抗しようと殺傷能力のある武器を手にとる――そんな悪循環が日々繰り返されている。しかも、この軍事行動は軍事とは無縁の人々をも巻き込み、生命を奪い、家族を引き裂き、生活の場をずたずたにしているのだ。

今回の侵攻についていえば、軍事行動のカードを最初に切った政治権力はロシアのプーチン政権であり、もっと端的にいえば大統領のウラジーミル・プーチン氏その人である。怖いのは、国内外の批判にまったく耳を傾けようとしないことだ。国際社会の圧力に馬耳東風なだけではない。ロシア国内では言論を統制し、デモ活動を取り締まって、戦争反対の動きを封じようとしている。独裁と言われても仕方ない体制が、そこに出現している。

不思議に思うのは、ロシアという国がしくみのうえでは民意にもとづく民主主義国家であることだ。大統領は任期6年で、直接選挙によって選ばれる。議会には上下両院があり、下院の選挙は5年ごとにある。それなのになぜ、こんな政治権力が出現したのか。

ただ、不思議に思いつつも、その思いはすぐに消えてしまう。私と同世代、あるいは私よりも年長の世代に限ったことだろうが、妙に納得してしまうのだ。かつてユーラシア大陸には、ソビエト社会主義共和国連邦、略称ソ連という大国があった。ソ連は東西冷戦の終焉からまもない1991年に解体され、その継承国となったのがロシア連邦だ。だから私たちは、ロシアのニュースに触れると、そこにどうしてもソ連の影を見てしまう。

ただ私は、ソ連らしいソ連をリアルタイムでは知らない。先行世代が語る言葉から、それを感じとっていたのだ。たとえば「粛清」。もともとは批判勢力の追放を意味するが、ソ連では物理的な抹殺をも含意した。1917年のロシア革命が駆動力となって生まれたソ連の共産党一党独裁体制では、党指導部が1920年代から1930年代にかけてこの弾圧で批判勢力を封じた。その中心にいたのが、ヨシフ・スターリン(1879~1953)である。

今回のウクライナ侵攻でプーチン政権の独裁ぶりをみると、スターリン体制の残滓が亡霊のように現れた気がする。民主主義のしくみがあっても同じ病を発症したのだ。スターリン的なるものは一党独裁の社会主義体制を必要条件とはしていなかったのか――。

で、今週の1冊は『歴史・祝祭・神話』(山口昌男著、中公文庫、1978年刊)。著者(1931~2013)は北海道生まれの文化人類学者。東京大学を卒業後、ナイジェリアやインドネシアに赴いて現地調査による研究を重ねた。『アフリカの神話的世界』『道化の民俗学』などの著書がある。本書は、中央公論社の月刊誌『歴史と人物』1973年4月号に載った同名の論考をもとにしている。単行本が1974年に同社から出た後、文庫化された。

ちなみにこの論考は、今では岩波現代文庫の1冊にもなっているから、そちらで読んだ方も多いだろう。私は先日、書店の古書コーナーでたまたま本書に出あった。その目次に「スターリンの病理的宇宙」といった章があるのを見て、思わず手が伸びたのだ。

私が思うに、本書の最大の強みは著者が文化人類学者であることだ。一党独裁の社会主義体制の指導部に巣くった歪んだ心理を政治思想とは別の次元で見つめ直して、その病理に迫っている。この視点に立てば、ソ連の社会主義を捨てたロシアが今なお、スターリン的なるものを引きずっていることも不思議ではない。ソ連時代の思考様式、行動様式からマルクス・レーニン主義がすっぽり抜け、様式のみが残っているということではないか。

ことわっておくと、本書はソ連史ばかりを話題にしているのではない。とりあげているのは、スペインの詩人ガルシア・ロルカの作品世界であったり、欧州の中世史であったり、日本の南北朝時代史、戦国時代史であったり、あるいはナチス・ドイツの現代史であったりする。著者は、これらの題材について膨大な量の文献を読み込み、そこから人類の歴史を動かす普遍原理をすくいとっている。ソ連についての考察は、その延長線上にある。

文化人類学者らしい考察だなと思わせるのは、随所で「はたもの」という言葉をもちだしていることだ。その原意は機織りの道具だが、それを磔(はりつけ)の刑具として使う風習もあったことから、磔刑の受刑者を指すことがあるらしい。本書の記述を要約すると、こうなるだろうか。「はたもの」は権力者にとって「時間(歴史=秩序)の外」へ追いだすべき存在であり、「『秩序』を可視のものとするために必要」である――。

言葉を換えれば、「はたもの」は生贄にほかならない。ただ、「はたもの」の役はだれでも担えるものではないらしい。著者は東西古今の文献をもとに、こう結論する。「はたもの」は「平日」でなく「祝祭日」的だ。そこには「節度」ではなく「過度」、「秩序」ではなく「混沌」がある。その人は「『生感情(ヴァイタリティ)』の過度の所有者」であり、「はみ出し」と言ってもよい。「政治的世界の秩序を脅しながら、これに活力を与える」のだ。

では、初期ソ連を率いた共産党で誰が「はたもの」に仕立てあげられたのか。ここに登場するのが、レフ・トロツキー(1879~1940)。「トロツキスト」という左翼陣営内のレッテル貼りでよく知られた革命家だ。評価は党派によって分かれたが、本書はそのような路線論争には立ち入らない。著者はひたすらトロツキーの逸話を拾いあげ、その人物像を浮き彫りにしながら、なぜ彼が「はたもの」の役回りに追い込まれていったかを探っている。

本書は、1917年ロシア革命の指導者ウラジーミル・レーニンが1924年に病没する前後、党内がどのように揺れ動いたかを跡づける。芝居に見立てれば、主役がトロツキーであり、敵役がスターリンだ。ただ両者の間にあったのは、ふつうの意味でいう権力闘争ではない。敵役が権力志向なのは間違いないが、主役はそれほどでもなかったのだ。「スターリンは敵の長所も弱点も知り尽していたのに、トロツキーはなんの研究もしていなかった」

本書によれば、トロツキーは「ここ一番という時に、跳ぶことができなかった」。レーニンが後継者含みのポストを用意してもそれを受けなかった。スターリンから攻撃されても反撃しようとしなかった。ただ「謙虚」なのか、内部抗争を「嫌悪」していたのか、「楽天的性格」ゆえにいつかは勝てると思っていたのか、あるいは、もともと俗世間にまみれない「隠者的性格」を具えていたのか――著者が挙げる推測は尽きない。

興味をそそられるのは、著者がトロツキーの弱点を1923年の「文化的な言葉づかいのための闘い」という論文に見いだしていることだ。トロツキーは論文で、ロシア社会に「悪罵の言葉」があふれていると指摘して、国語学者や言語学者、民俗学者にこう問いかける。「ロシア語以外にこんなにしまりが無く、べたべたして、調子の低い悪態の言葉があるのかどうか」と。その「卑しむべき悪態のパターン」が革命後も引き継がれているという。

たかが言葉づかいのことではないか、と思われるかもしれない。ただ、著者は言い添える。「悪態の集中砲火」はやがて制度化されてトロツキー自身にも浴びせられ、さらにスターリン体制下の「粛清」で「肉体言語」のかたちをとって大展開されたことを。

著者は、トロツキーの思考に「西欧の優越性、ロシアの後進性という図式」がしみついていたことを見逃さない。「西欧派」は、レーニン時代は好印象を与えたがレーニン後は逆転した。「これこれの事象は西欧諸国にはない」という物言いは「党官僚」に対しては説得力がなかった。西欧派であることが「異邦人=侵略者というレッテルと結びついた」のだ。どことなく、ウクライナをなじるプーチン政権の言い分を連想させるではないか。

ウクライナはソ連から独立後、西欧志向を強めていた。そう考えると、プーチン氏のウクライナ観は、「党官僚」のトロツキー観に近いのかもしれない。この見立ては、トロツキーがウクライナ出身であり、しかもウクライナの現大統領ウォロディミル・ゼレンスキー氏と同様にユダヤ系だったことを思うと、いっそうもっともらしい。プーチン氏の内面には西欧嫌いがあるのか。だとしても、あの軍事行動は常軌を逸しているが……。

トロツキーは結局、「はたもの」になった。亡命の末、1940年にメキシコで暗殺者の手にかかったのだ。文化人類学者のトロツキー論を読んでつくづく思うのは、人間社会はイデオロギーのあるなしにかかわらずよく似た過ちを繰り返している、ということだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2022年6月10日公開、通算630回
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森の暗がりで哲学に触れる

今週の書物/
『樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声』
ペーター・ヴォールレーベン著、長谷川圭訳、ハヤカワ文庫NF、2018年刊

新緑

「森」という言葉で思いだすのは、東京西郊の某学園構内にあった小樹林だ。正門を入ってグラウンドに下りる斜面に高木が生い茂っていた。私が幼かったころは万事鷹揚な時代で、学園は近所の住人が構内を散歩するのを黙認していた。その学園町に住んでいた母方の祖母も、孫をそこに連れていったものだ。「さあ、モリへ行きましょう」――。あの樹林は今もあるだろうか。昔のようには立ち入れないだろうから、すぐには確かめられない。

この思い出話からもわかるように、日本で都会の住人が思い描く森林像はつましい。ちっぽけな緑陰を見ても森と思ってしまう。東京の住宅街に限っていえば、それは斜面の自然であることが多い。当欄が昨春とりあげた大岡昇平『武蔵野夫人』でいえば、多摩川の河岸段丘がつくりだした国分寺崖線の緑ということになる(*1、*2)。では私たちは、森というものの本質を取り違えているのだろうか。必ずしも、そうとは言えない。

たとえば、あの学園の「森」は十分に暗かった。部活の選手たちがグラウンドで発する声を聞きながら、下り坂にさしかかると、いつのまにか陽射しが翳り、辺りはひんやりして湿った空気に包まれた。このこと一つをとっても、森らしい森といえる。森イコール木々の葉叢(はむら)に覆われた空間ととらえれば、あの「森」も間違いなく森だった。ただ、都会の森は小さい。一瞬のうちに通り抜けられるので、多くのことを見逃してしまう。

話は、幼時から青春期に飛ぶ。そのころになると私も頭でっかちになり、森林のことを理屈っぽく考えた。ちょうど、生態学(エコロジー)という学問領域が生態系(エコシステム)という用語とともに脚光を浴び、それが環境保護思想(エコロジー)に結びついた時期と重なる。その生態系を体現するものが森だった。森は樹木だけのものではない。鳥がいる、虫がいる、獣もいる、草がある、キノコも――それが「系」だと頭で理解した。

たとえば、拙宅玄関わきの落葉広葉樹。植木職人に聞くとムクノキだという。私たち家族が引っ越してきてから実生で育った。春先に新芽が出て葉が繁りだすころ、数種類の鳥たちがやってきて、ときに愛らしく、ときに騒々しく、鳴き声をあげる。これも生態系だ。

だが、それは思いあがりかもしれない。庭木の生態系は所詮、人工の産物だ。森の生態系を再現してはいない。森は、ただ多種の生物が共存するという意味での生態系ではない。その暗がりは、人間の尺度を超えた自然の営みを秘めているらしい――。

で、今週の1冊は『樹木たちの知られざる生活――森林管理官が聴いた森の声』(ペーター・ヴォールレーベン著、長谷川圭訳、ハヤカワ文庫NF、2018年刊)。著者は、ドイツで森林管理に携わる人だ。1964年、ボン生まれ。大学で林学を学び、営林署勤めを20年余続けた後、独立した。ドイツには「フリーランス」の森林管理家がいるということか。原著は2015年刊。邦訳は、単行本が2017年に早川書房から出て、翌年に文庫化された。

本書は、エッセイ風の短文37編から成る。著者が日々、森を見回っていて気づいたことを思いのままに綴り、その合間に生物学の文献などを引いて、最新の研究結果を織り込んでいる。多種多彩な樹木やキノコ、鳥、虫が次から次に登場するので、読むほうは途中でついていくのがしんどくなる。ということで当欄は、森の生態系について系統立てて論ずることはあきらめた。印象に強く残った話をいくつか拾いあげてみることにする。

「友情」と題する一編では、森の木々の間にある友愛が語られている――。著者は、ブナの群生林で「苔に覆われた岩」らしいものを見かけた。近づいてみると「岩」は見間違いで、それは古木の切り株だった。驚いたことに、樹皮をナイフで剥いでみると「緑色の層」が顔を出した。植物にとって生の証しともいえる「葉緑素」である。その木は400~500年ほど前に伐採されたと推察されるが、それでもまだ生きつづけていたのだ。

「私が見つけた切り株は孤立していなかった」と著者は書く。その解説によれば、切り株が「死なずにすんだ」のは、周囲の木々が根を通じて「糖液を譲っていた」からにほかならない。容易には信じがたいが、樹木の間では「根と根が直接つながったり」「根の先が菌糸に包まれ、その菌糸が栄養の交換を手伝ったり」ということが起こる。ご近所で「栄養の交換」をしているのだ。昭和期の町内で隣家同士が醤油の貸し借りをしていたように。

興味深いのは、樹木が栄養を譲る先は同種の仲間に限らない、とあることだ。競合する樹種に分け与えることもあるのだという。なぜか。理由は「木が一本しかなければ森はできない」ということに尽きる。樹木が風雨や寒暖から身を守るにも、十分な水分とほどよい湿度を手に入れるにも、1本ではダメで森が必要だ。ただ、相手を「どの程度までサポートするか」はまちまちで「愛情の強さ」が関係している、と著者は考える。

「木の言葉」という一編には、根のネットワークが栄養だけでなく、情報のやりとりにも使われることが書かれている。1本の木が害虫に襲われたとしよう。木は虫の撃退物質をつくって自衛する一方、周りの仲間に向けて警報を発する。その通信経路の一つが根っこ。警報は化学物質や電気信号のかたちをとって伝わる、と本書にはある。このときも一役買うのが菌糸で、根っこ同士が接していなければそれらを仲立ちするという。

菌糸とは菌類から伸びた糸だ。菌類はキノコなどのことである。本書によれば、森の土くれスプーン1杯には菌糸が長さ数km分も畳み込まれているらしい。菌糸のネットワークには、“www”になぞらえて「ウッドワイドウェブ」の愛称もあるという。

著者によれば、木の根には脳の役割があるという説も有力らしい。根の先にある電気信号の伝達組織で、樹木に「行動の変化」を促す信号を検知した研究もあるという。「行動の変化」の一例は、成長組織に伸びる方向を変えさせることだ。根が、地中で岩石や水分、あるいは有害物質を感じとったとしよう。これをもとに樹木を取り巻く「状況を判断」、成長組織に「指示」を出して「危険な場所に進まないように」仕向けるわけだ。

興味深いのは、植物学者の多くが木の根の「判断」や「指示」を「知性」とはみなさないことに著者が異論を唱えている点だ。違いは、樹木では情報の感知が「行動」に結びつくまでに「時間がかかる」こと。「生き物として価値が低いということにはならない」と書く。

木がものを考えるということでは、こんな話もある――。著者は、ナラの木々が一カ所に並んでいても秋に葉が色づくタイミングがまちまちなことに気づく。落葉樹は日照時間が縮まり、温度が下がると、光合成をやめて冬眠態勢に入ろうとするが、一方で、翌春に備えて「できるだけたくさんの糖質をつくっておこう」という指向もある。「判断」は「木によって違っている」と、著者はみる。二つの思惑の間で悩むことが木にもあるのか。

著者は本書で、森の樹木を人間に見立てて描いている。樹木に対して「愛」とか「知性」とかいう言葉を使うことには、科学の見地から眉をしかめる向きもあるだろう。ただ、森には人間社会とは次元の異なる「愛」や「知性」があるのだと思えば、納得できる。

圧倒されるのは、木の時間の長さだ。著者が管理する森ではブナの若木が樹齢80歳超だが、約200歳の母親から「根を通じて」糖分を受けている。まだ、赤ちゃんなのだ。様相が変わるのは、いずれの日か母親の命が尽きるときだろう。母親が倒れれば若木の一部も倒れるが、残りは「親がいなくなってできた隙間」の恩恵を受ける。「好きなだけ光合成をするチャンス」をようやく手にするのだ。こうして若木同士の競争が起こり、勝者が跡目を継ぐ。

木の空間も長い。それは、森は動くという話からわかる。欧州の中部や北部には300万年前、すでにブナ林があったが、一部の種類は氷河期にアルプスを越え、南欧で生き延びた。間氷期の今は北上を続け、北欧の南端にまでたどり着いたという。ブナの種子は、鳥や風の力では遠くに移動しにくい。それでも生息地を、最適の場所へ少しずつずらしていくのだ。移動速度は年速400mほど。地球の生態系が動的であることに感嘆する。

森にはやはり、時間的にも空間的にも人間の尺度を超えた何かがある。私が幼い日に感じた暗がりの正体は、ものの見方を広げてくれる哲学の影だったのかもしれない。
・引用部にあるルビは原則、省きました。
*1 当欄2021年4月23日付「武蔵野夫人、崖線という危うさ
*2 当欄2021年4月30日付「武蔵野夫人というハケの心理学
(執筆撮影・尾関章)
=2022年6月3日公開、通算629回
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