新聞記者オールディーズ考

今週の書物/
『事件記者【報道癒着】』
酒井直行著、島田一男原案、新波出版、2017年刊

紙と板

先々週、先週と新聞記者のレガシーを語った。伝説の人とも呼べる先輩記者の訃報が届いて、先行世代が残してくれた職業観を真正面から受けとめてみたのだ。ただ、ちょっと話がまじめ過ぎた。記者の仕事には、もっとハチャメチャな側面がある。

事実を先んじて伝えたい。記者を突き動かしているのは、そんな子どもじみた思いだ。夕刊、朝刊と日に2回、勝ち負けの決まるレースがある。超一級の情報を自分だけがつかみ、それを記事にして競争相手に一泡吹かせたい――その一心で日々、駆けまわっている。

この競争は、「抜く」「抜かれる」という業界用語で表現される。市場経済ではものごとの価値が「売れる」「売れない」で測られるが、新聞記者はそれを気にしない。頭にあるのは「抜く」「抜かれる」の物差しばかり。そのことは、当欄の前身(「本読み by chance」2019年10月25日付「横山秀夫「64」にみる記者の生態学」)でも書いた。メディアの無定見を「売らんかな」の精神のせいにする人が多いが、新聞に限って言えばそうではない。

新聞記者の世界は、資本主義以前。中世も古代も跳び越えて、太古の狩猟社会のようだ。それを描いたドラマにNHKがテレビ草創期に毎週放映した「事件記者」(1958~1966)がある。警視庁記者クラブに詰める記者たちがギルド的友愛でつながりながら、化かし合いの競争を繰り広げる。私は少年時代、将来の自分が同じ道に入ることも知らず、この番組に熱中した。(「本読み by chance」2014年5月2日付「ジャジャジャジャーンの事件記者」)

私は、新聞記者になったが科学畑が長かったので「事件記者」とは言えない。ただ駆けだし時代、警察の記者クラブにいたころの自分を思い返すと、あのドラマの記者群像とダブって見える。それは、子どもじみた大人という記者の特性がむき出しになる世界だった――。

で、今週は『事件記者【報道癒着】』(酒井直行著、島田一男原案、新波出版、2017年刊)を電子書籍で読む。島田はドラマ「事件記者」の原作者。ちなみに前述の拙稿「ジャジャジャジャーン…」では、彼が書いた小説『事件記者』(徳間文庫)をとりあげている。その設定を引き継いで21世紀の今を舞台に仕立て直したのが、今回の小説だ。著者は1966年生まれ、ドラマの脚本やゲームシナリオなどの執筆も手がけている。

当欄は、ここで酒井版『事件記者』の筋書きには立ち入らない。断片的なエピソードをいくつか拾いだし、ドラマの記憶や私自身の思い出にある昔の記者像と今現在のそれを引き比べて、彼此の違いをあぶり出してみたい、と思う。

まずは、朝の記者クラブ風景。東京日報の相沢キャップがソファーで各紙朝刊に目を通している。「出勤途中の電車内で、各新聞社の電子版朝刊にはスマホで一通り目を通してきてはいるのだが、やはり、毎朝きまっての特オチ特ダネのチェックはインクの匂いがまだ残る新聞紙面で確認するに限る」(引用部のルビは省く、以下も)。私は「電子版」「スマホ」の語句を見て、今ならそうだろうなと納得し、すぐに、でもちょっと違うなと苦笑した。

昔の記者は当然、電子版で他紙の特ダネにあわてるようなことはなかった。私たちは、事件記者であろうが科学記者であろうが、自腹を切って競争紙を定期購読するのが常だったのだ。それは、ひとえに一刻も早く朝刊を開いて「特オチ特ダネのチェック」をするためだった。布団のなかで他紙の大見出しに愕然とし、いっぺんに目が覚めたことは幾度もある。今は「電子版」で済ますのだろうが、ただ「出勤途中の電車内で」というは遅すぎる!

警察と新聞の関係も激変した。相沢が訳あって、庁舎玄関の制服警官と言葉を交わす場面がある。警官は礼儀正しいが、ふだんは不愛想。相沢は「分かっています。上から言われているんでしょ? マスコミの人間とはあまり親しくするなって」。そして、先輩の懐旧談を受け売りする。「昔はそれこそ、捜査一課の刑事たちと記者クラブの連中が一緒になって近くの居酒屋で酒を酌み交わしたり、家族同士の付き合いなんかも頻繁にあったらしいよ」

相沢が、新人記者に取材法を伝授するくだりにはこんな嘆きも。「その昔は、夜討ち朝駆けと言って、担当刑事の家まで朝に夜に日参してはネタを仕入れてきたものなんだが、これが今ではずいぶん難しい」。世間が、公務員の守秘義務に厳しくなったのだ。

夜討ち朝駆けは、かつて事件記者の日課だった。おぼろげな記憶では、ドラマ「事件記者」の面々も、村チョウさん、山チョウさんと呼ばれる刑事の自宅玄関前に群がって、捜査情報を聴きだしていたように思う。これは事件記者に限らず記者一般に言えることだが、連れだって飲みにいくのであれ、自宅に押しかけるのであれ、家族と仲良しになるのであれ、取材先との間に私的交流があることは、情報源に食い込んでいるとして褒められたものだ。

これは、なあなあの関係を生んだ。東京日報が機動捜査隊の出動を嗅ぎつけて、凶悪事件の発生を知ったとき、長老記者は新人にこんな思い出話をする。「ワシらと刑事たちがツーカーの間柄じゃった頃は、機動捜査隊が動き出す前に、捜査一課の顔馴染みの刑事がここに顔を出して、『コロシの一報が入ったけど尾いてくるかい?』なんて声かけてくれたもんじゃ」。現場では、短時間だが立ち入りを許して写真も撮らせてくれたという。

長老の回顧談には、新聞社のハイヤーが社旗を立てて捜査車両を追いかける話も出てくる。旗はボンネットの先端でひらめいている。それは、ドラマ「事件記者」のオープニング映像そのものだ。あのころの新聞社旗は、報道機関は公器なのだ、という自負の表れだったように思う。今の感覚で言えば、思いあがっている。あの旗は、そんな歪んだ自負の匂いを町中にまき散らしていたのだから、世間の反感を買うのも当然だろう。

新聞が、公器としての特権をふりかざす時代は終わったのだ。だから、記者も創意工夫を凝らさなくてはならない。そんなこともあるのかと思わせる一節が、この小説にはある。前述の機捜隊出動を東京日報の記者がどう察知したか。警視庁近くのビルで別の記者クラブに詰めていた記者が、窓際に据えたビデオカメラで機捜隊の車が出ていく瞬間を録画したというのだ。テクノロジーが「ツーカー」の欠如を補ったのである。

昔と変わらないのは記者クラブか。私が京都支局の警察回りだったとき、キャップからこっぴどく叱られたことがある。内偵取材の資料を無造作にポケットに突っ込んでクラブに戻って来たら、咎められたのだ。他社に感づかれるではないか、というわけだ。相沢も、新人にクラブの作法を教え込んでいる。他社のブースに足を踏み入れるのはダメ。他社が何を追いかけているかは、些細な「会話や態度」から嗅ぎとらなければならない――。

昔と変わらない取材方法もある。私は京都時代、殺人事件が起こると現場周辺の家々や店々を回って「聞き込み」をしたものだ。この小説で新人記者が、現場に急いでも規制線の先に立ち入れないなら意味がないのでは、と突っかかると、先輩記者が諭す。「事件記者が取材するポイントはごまんとある」。被害者の隣人知人を見つけて、どんな人物だったか、誰とつきあっていたかを聞く。商店や飲食店を回って、日ごろの暮らしぶりを探る――。

足で稼ぐ事件取材は今も続いているわけだ。ただ、今どきの記者たちは昔よりずっと辛い目に遭っているに違いない。個人情報保護の認識が広まったからだ。政治家や企業トップの不正なら、公人の情報は開示すべきだ、と堂々と言える。だが、市井の事件当事者についてあれこれ聞きだすとなると話は別だ。事件の真相は、辛いことだが次世代に手渡すべき公的な記録であり、限られた範囲で公にされなくてはならないと思えるのだが……。

今週は1960年代のドラマを思いだしながら、ハチャメチャな話を懐かしもうと思っていた。だが結局は、前回「新聞記者というレガシー/その2」(2020年9月18日付)同様の切実な論点に戻ってしまった。やはり、新聞は深刻な局面にあるのだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年9月25日公開、同日最終更新、通算541回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

虚子、客観写生の向こう側

今週の書物/
『虚子百句』
小西昭夫著、創風社出版、2010年刊

ものと蔭

秋めいてきた。その移ろいは蝉の鳴き方一つでわかる。自分が季節の兆しに敏感とはとても言えないが、それでも70年近く生きていると、なんとはなしに感じとれることがふえてくる。で、今週は、そんな季節感にもかかわる俳句本を開くことにしよう。

『虚子百句』(小西昭夫著、創風社出版、2010年刊)。虚子は、もちろん高浜虚子(1874~1959)のこと。明治・大正・昭和を生き抜いた俳壇主流の俳人である。愛媛県松山に生まれ、同郷の正岡子規に師事、夏目漱石とも交流があった。著者については、この本に横顔紹介が見当たらない。愛媛新聞のウェブサイトによると、松山市在住の人で、俳句誌『子規新報』の編集長を務めており、同紙俳句欄の選者でもあるという。

私がこの1冊を選んだのは、どうしてか。一つは、まったくの偶然だ。コロナ禍で書店に出向くのもためらわれ、拙宅の本のストックを漁っていたら、この本がひょっこり現れた。「虚子」の名に一瞬敬遠の思いがかすめたのだが、ぱらぱらめくるとdog-ear(犬の耳)、すなわち、ページの隅を折った箇所がある。「初蝶来何色と問ふ黄と答ふ」(上の句は「はつちょうく」と読む)。いい句だ。だが、自分がかつて付箋代わりに犬の耳を折った記憶はない。

そもそも、本を買ったことも思いだせないのだ。たぶん俳句を始めたころ、先達の一人から貰ったのだろう。くれた人は、うっかり犬の耳を元に戻すことを忘れていたのではなかったか。これが10年ほどして私の心をとらえる。そのいきさつそのものが俳句のようだ。

もう一つは、たまたま開いたページで「森田愛子」の名を見つけたこと。森田(1917~1947)は福井県の港町三国(現・坂井市)で豪商の娘として生まれ、東京に進学して結核療養中、句づくりを始める。私は新聞記者としての初任地が福井だったので、その名に愛着がある(「本読み by chance」2016年4月29日付「三国湊ノスタルジック街道をゆく」)。そう言えば、彼女は虚子の孫弟子。この本には、森田ゆかりの次の句が載っていた。

不思議やな汝れが踊れば吾が泣く(汝れは「なれ」)
虚子は戦時中の1943年11月、三国に帰郷している愛子を見舞い、隣の石川県にある山中温泉に泊まる。本書によれば、この句の詞書には「山中、吉野屋に一泊。愛子の母われを慰めんと謡ひ踊り愛子も亦踊る」とある。季語は「踊り」で、秋。北陸の空模様が、冬めいた激しさを帯びはじめたころのように思う。そんな折、山深い温泉宿で母娘が旅人の心を癒すように舞い踊る。娘は、自身の病のことを忘れたかのように……。

この句に一瞬、私はたじろいだ。あなたが踊るのを見て私が泣くというのは、情緒的に過ぎはしないか? 虚子と言えば「花鳥諷詠」「客観写生」を唱えた人として知られる。その人が「不思議やな」と独りごち、最後は「泣く」ほどに感極まっている!

この本は、著者が『子規新報』に連載した記事をまとめたもので、精選された百余句を一つずつとりあげ、それぞれの解説に1ページを充てている。ところどころに挟まれた著者の「エッセイ」や「あとがき」にも独自の虚子論がある。そこから感じとれるのは、虚子に固定観念のレッテルを貼るな、という戒めである。たまたま目にとめた「不思議やな…」の句は、孫弟子への感情が横溢して、レッテルとはもっとも遠いところにあるように思えた。

で、今回はレッテルを忘れ、虚心坦懐になって虚子の秋の句を堪能してみよう。
もの置けばそこに生れぬ秋の蔭
秋めいた今、私の心にもっともしっくり来る句はこれだった。窓から差し込む日差しが斜めの度合いを強めると、蔭が意識されるようになる。著者は「具体的なペンや湯呑みといった品物を詠まず『もの』とだけ表現したこと」に工夫の跡を見ている。

「もの」という言葉が力を発揮した句は、ほかにもある。
大いなるものが過ぎ行く野分かな
1934(昭和9)年、関西を中心に大きな爪痕を残した室戸台風を詠んだ一句らしい。ここでも、強風、豪雨、高潮といった個別事象にまったく触れていない。「大いなるもの」という言葉を選ぶことで「巨人が通りすぎていったような感じ」を表した、と著者はみる。

著者によれば、この作品はもともと中の句が「もの北にゆく」だったが、推敲されて「ものが過ぎ行く」に変わったという。ここにも、「北に」という方向性を捨象した強みが出ている。「写生」を唱える人も、具象を巧妙に捨てる技に長けていたのだ。

目にて書く大いなる文字秋の空
天高し雲行く方に我も行く
2句に共通するのは、自然界に対して作者自身と思われる主体がかかわり、その身体感覚が詠まれていることだ。空を見あげ、視線の先を動かして字を書いた気分になる、あるいは雲の流れにつられて思わず歩く。そこには動詞付きの主観がある。

動詞付きで描かれるのは、自分だけではない。
月の友三人を追ふ一人かな
柿を食ひながら来る人柿の村
前者では、月があり、月見を先に始める3人がいて遅刻する1人もいる。その5者の関係性がおもしろい。後者は、柿の朱色の季節感が齧りとられていくことの妙。

ワガハイノカイミヨウモナキススキカナ
これは、夏目漱石の飼い猫の死を、漱石門下の松根東洋城の電報で知ったときの返電。虚子は、漱石に『吾輩は猫である』の執筆を促した張本人なので、他人事ではなかった。片仮名書きは電報だから当然だが、それが「いい味を出している」(著者)。これは「挨拶句」と呼ばれるもので、ふつうの作品とは同列に論じられないが、虚子の機知が感じられる。

最後に、私の胸に今、もっとも染み入る句を一つ。
彼一語我一語秋深みかも
「彼がぽつりと一語を発する。それに答えて我も一語を発する」(著者)。そこにあるのは、極小の対話だ。居酒屋で会話を途切れさせないことに汲々とする若者には真似ができまい。(「本読み by chance」2016年3月25日付「綿矢「蹴りたい」の自律的な孤独」)

この句は1950(昭和25)年の作。虚子はすでに70代後半だった。著者は、その「秋深みかも」に「人生の秋の時間」もみてとる。たしかにそうだろう。私たち高齢者の足が友との会食から遠のく昨今、一語ずつのやりとりでもできたなら、と切に思う。
*句にはすべてルビが振られていましたが、当欄の引用では一部を除いて省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年9月4日公開、同月5日更新、通算538回
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寅彦にもう1回、こだわってみる

今週の書物/
『銀座アルプス』
寺田寅彦著、角川文庫、2020年刊

野球

引きつづき、文人物理学者寺田寅彦(1878~1935)を話題にする。寅彦に対しては深い敬意を抱いているのだが、どうも好きになれない。それがなぜかはわからなかったのだが、随筆集『銀座アルプス』を読んでいて理由らしきものを発見した。寅彦はジャズが大嫌いだったのだ。よりにもよって、私がこよなく愛するジャズを――そんなことを前回は書いた。(当欄2020年7月31日付「寅彦のどこが好き、どこが嫌い?」)

これは、いちゃもんだ、と自分でも思う。人は若かったころの流行に共感しても、年をとってから出てきたものには抵抗感を覚えがちだ。私がヒップホップを敬遠するように、寅彦はジャズを「じゃかじゃか」(「備忘録」1927年)と揶揄したのだろう。

一つ、思考実験をしてみる。寅彦が70年ほど遅れて生まれ、団塊の世代だったなら、どんな青春を過ごしたかということだ。1960年代に東大理学部の学生だったとすると、お茶の水界隈のジャズ喫茶で首を振りふり、大好きなコーヒーを啜っていたような気がする。「マイルスはバラードがいいね」「ピアノは、やっぱりエヴァンスかな」などと、友人に蘊蓄を傾けていたのではないか。学生運動にのめり込んだかまでは推察しかねるが……。

私がそう思う根拠は、この随筆集のなかにある。「断片Ⅱ」(1927年)の冒頭、連句について述べた一節だ。連句、すなわち複数の作者が句をつないでいく詩作の妙がこう表現されている。「前句の世界へすっかり身を沈めてその底から何物かを握(つか)んで浮上ってくるとそこに自分自身の世界が開けている」。前句が月並みでも附句によって輝きを増し、「そこからまた次に来る世界の胚子(はいし)が生れる」――そんな連鎖があるというのだ。

これは、ジャズの醍醐味そのものではないか。ジャズでは、奏者が次々に「次に来る世界の胚子」を産み落とし、新しい世界を切りひらいていく。寅彦は、それを知ることがなかった。代わって、よく似たものを日本の韻文芸術に見いだしていたのである。

連句談議は、「映画時代」(1930年)にもある。ここでは、劇映画の「プロットにないよけいなものは塵(ちり)一筋も写さない」という制作姿勢が批判される。劇映画は舞台劇と違うのだから、「天然の偶然的なプロット」を取り込むべきだという。手本としてもちだされるのが連句。そこに見られる「天然と人事との複雑に入り乱れたシーンからシーンへの推移」は映画でこそ可視化できるのではないか。そんな提案をしているのだ。

寅彦のジャズ心は時間軸だけでなく、空間軸にも息づいている。表題作「銀座アルプス」(1933年)を見てみよう。ここで「アルプス」とは、銀座界隈に建ち並ぶ百貨店を指している。その山のてっぺん、すなわちデパートの屋上に立つと、眼下の街並みは建物の高さがばらばらだ。低層家屋のなかに中層のビルが交ざっているのだろう。「このちぐはぐな凹凸は『近代的感覚』があってパリの大通りのような単調な眠さがない」

「ちぐはぐな凹凸」に興趣を見いだしているのだ。これは寅彦が俳諧味を愛していたからだろうが、と同時に、ジャズ的なるものに対する感受性があるからのようにも私は思う。さらに驚かされるのは、そのちぐはぐさを「近代的」と形容していることだ。建築で近代主義(モダニズム)と言えば、箱形の建物が思い浮かぶ。だから、近代都市の景観はすっきりしている。ところが、寅彦は凹凸に近代を見ているのだ。ポストモダンに先回りしたのか。

こうした感性は、物理学者としての世界観とも響きあっている。それは当欄前回で言及した古典物理学――金米糖や線香花火――だけの話ではない。「野球時代」(1929年)という一編には、誕生したばかりの量子力学について述べたくだりがある。

「不確定」は、かつて「主観」の専売特許だったが、それを新しい物理学は「客観的実在の世界へ転籍させた」というのだ。ウェルナー・ハイゼンベルクが唱えた不確定性原理のことだろう。寅彦は、どんなに精密な測定をしても「過去と未来には末拡がりに朦朧(もうろう)たる不明の笹縁(ささべり)がつきまとってくる」と書く。だから、「確定と偶然との相争うヒットの遊戯」――即ち野球に人は魅せられるのだろうと考える。

こう見てくると、私は戸惑うばかりだ。寅彦が物理学者として志向するものも、文学者として好むものも私の心に響いてくる。それなのに、なぜ好きと素直に言えないのか。その答えのヒントになりそうなのが「雑記」の一節「ノーベル・プライズ」(1923年)だ。

この短文は、夜に電話が鳴り、新聞社が相次いでノーベル賞の発表について聞いてきた、という体験談から始まる。新聞記者は昔から同じようなことをしていたわけだ。前年1922年の物理学賞は前年分と併せて二人に贈られた。21年がアルバート・アインシュタイン、22年がニールス・ボーア、相対論と量子論の両巨頭が受賞者になった。もっとも前者への授賞は、相対論と関係なく、光電効果の理論研究に対してではあったのだが。

アインシュタインの知名度はすでに高かったので、記者たちが知りたがったのはもっぱらボーアだった。物理通ならだれでも知っている巨人が世間では知られていない。「それほどに科学者の世界は世間を離れている」とあきれた後、ボーアの私生活を描いていく。

ネタ元は、欧州でボーアに会ってきたばかりの友人。その帰朝報告によると、ボーアは郊外の別荘にしばしば出かけて、考えごとや書きものをしているという。「どうかすると芝生の上に寝転がって他所目(よそめ)にはぼんやり雲を眺めている」のだとか。

ここで寅彦は、科学者を応用志向型と純理探究型に分けてボーアを後者に分類する。世の人々がそういう学者を大事に思うなら「はたから構わない」ほうがよい、と主張する。芝生でそっとしておきましょう、というわけだ。寅彦自身は、防災に一家言あるので前者の一面があるが、金米糖や線香花火に惹かれるところは後者だ。「ボーアの内面生活を想像して羨ましくまたゆかしく思っていた」とも打ち明けているから、後者の側面が強いのだろう。

実際、寅彦も「郊外の田舎」に「隠れ家を作った」(本書所収「路傍の草」1925年)。クラシック音楽を愛するように田園を求めたのだ。そこには、日本の知識人社会にあった世俗ばなれ志向が見てとれる。世間を高踏的に見渡している感じか。科学者が高踏の匂いを漂わせるとき、その言葉は〈啓蒙〉の響きを帯びてしまう。私はたぶん、そこに引っかかったのだ。それは、科学の解説書を〈啓蒙〉書と呼ぶことに対する違和感に通じている。

もう一つ、ちょっと残念なのは、「天然の偶然的なプロット」や「ちぐはぐな凹凸」を愛した人が自身の生活には破調を求めなかったことだ。植草甚一のように気まぐれな寺田寅彦がいてもよかったのだ(当欄2020年4月24日付「J・Jに倣って気まぐれに書く」)。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年8月7日公開、同月9日最終更新、通算534回
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寅彦のどこが好き、どこが嫌い?

今週の書物/
『銀座アルプス』
寺田寅彦著、角川文庫、2020年刊

金米糖

寺田寅彦(1878~1935)と言えば文理両道の人だ。同じように文理を股にかけた先人に南方熊楠(1867~1941)がいる。両者は、いずれも明治、大正、昭和を生き抜いた同時代人。正直に内心を打ち明けると、私は後者に心惹かれ、前者を敬遠する傾向にある。

文理とは言っても、その文と理は二人の間でだいぶ違う。文では、寅彦が文学系、熊楠が民俗学系。理では、寅彦が物理学系、熊楠が生物学系。私は小説や俳句が好きで量子論にも興味があるのだから当然寅彦派かと自分でも思うのだが、それがどっこい熊楠派だ。

なぜだろう、と思う。すぐに気づくのは、寅彦があまりにもちゃんとした人であることだ。ちゃんとした大学を出て、ちゃんとした地位を得て、晩年までちゃんと学界にとどまった。一方、熊楠は学校を中退して外国を放浪、その後、紀州熊野に住みついて独りで探究を続けた(「本読み by chance」2017年6月2日付「熊楠の『動』、ロンドンの青春」)。この対照は見事なほどだ。私は、どうしても熊楠の在野精神に共感してしまう。

ただ、それだけの理由で寅彦を嫌うのは理不尽だ。いや、そもそも全人格を嫌っているわけではない。その証拠にかつて高知に所用で赴いたときには、わずかな自由時間に寅彦の旧宅(復元建築、「寺田寅彦記念館」)を訪ねている。心のどこかで寅彦に惹かれているのだ。広い意味では敬愛する偉人ということになろう。ただ、その作品を読んでいると違和感を覚えてしまう。違和感の正体を知りたくて、今週は寅彦本を開いた。

『銀座アルプス』(寺田寅彦著、角川文庫、2020年刊)。明治末期から昭和期にかけて書かれた随筆30編を収めている。表紙カバーには「近代文学史に輝く科学随筆の名手による短文の傑作選」とあるから、寅彦流の文理両道を知る手がかりになるだろう。

では、さすが寅彦と思われる一編から。「流言蜚語」(1924年)。関東大震災の翌年に東京日日新聞に載ったもので、震災時に流言が虐殺事件を引き起こした近過去を科学者の目で振り返っている。引きあいに出されるのは燃焼実験。管状の容器に水素と酸素を入れて火花を飛ばすと「火花のところで始まった燃焼が、次から次へと伝播(でんぱ)していく」。このようになる条件は、水素と酸素が「適当な割合」で混ざっていることだという。

著者は、流言蜚語に類似点を見る。流言にも火花の役目を果たす発生源がある。だが、それだけでは流言にならない。「次へ次へと受け次ぎ取り次ぐべき媒質が存在しなければ『伝播』は起らない」のだ。では、伝播を担う媒質は何か? それは「市民自身」だという。

その論理はこうだ。「今夜の三時に大地震がある」という噂が広まりかけたとしよう。このとき「町内の親父株(おやじかぶ)」の「三割」であっても、今日の科学では地震の発生時刻まで予知できないとわかっていれば「そのような流言の卵は孵化(かえ)らないで腐ってしまうだろう」というのだ。ここでは「親父株」の「三割」が要点だ。流言を防ぐ条件は、自らは媒質とならず、かえって伝播を抑えられる人が一定程度いることなのだろう。

この考え方は、今の世の中にも当てはまる。新型コロナウイルス感染症禍で私たちに求められているのは、ウイルスの伝播に手を貸すな、ということだ。マスクをする、不用意にものに触らない、人との間に距離を置く――これは、感染から自分の身を守るためだけではない。もしかしたら自分が感染しているかもしれないと考えて、周りの人の感染リスクを減らすためだ。これは、自身が伝播の可能性を抑える人になることを意味する。

寅彦流科学のすばらしさは、探究を一つの事象の枠内にとどめないことだ。ある現象を支配しているしくみを別の現象にあてがってみると、通用することがある。上述の例で言えば、燃焼の伝播が噂やデマの読み解きにつながる。それは、感染症に脅かされている社会に示唆を与えることにもなる。分野横断的と言ってよい。個々の物質にこだわるよりも物事一般のしくみに目を向ける物理学者だからこそできる離れ業だろう。

寅彦流ということでは、本書所収の「備忘録」(1927年)に織り込まれた「金米糖」と題する話も見逃せない。そこで著者は、私たちが科学に対して抱く通念の落とし穴を見抜いて、教えてくれる。一見科学的な思考が、実は科学的でなかったりするのだ。

話題となるのは、金米糖(「金平糖」とも書く)がなぜ真ん丸でないのか、ということだ。私たちは、この砂糖の塊ができるときに「特にどの方向に多く生長しなければならぬという理由が考えられない」(「考えられない」に傍点)。物理空間は等方的と考えているわけだ。これは、まっとうな論理と言えよう。それなのになぜ、いくつかの方向にだけ「論理などには頓着(とんちゃく)なく、にょきにょきと角を出して生長する」のであろうか?

著者は、この論理は誤りではないと明言して、なぜこんなことが起こるかを説明する。それによれば、等方的とは「統計的平均についてはじめて云われ得る」ことなのだ。平均は平均であり、個別の事象はそれに一致しないというわけだ。さらに、自然界には「平均からの離背(りはん)が一度でき始めるとそれがますます助長される」(ルビは本書のママ)という傾向もあることが指摘されている。「角」は論理を破ってはいなかったのだ。

統計は、科学者だけのものではない。社会や経済を考えるときにも重宝している。だからこそ、この教訓は重い。私たちは全体の平均を過大視して部分にズレがあることを忘れていないか、あるいは部分だけを見て全体像を見失っていないか――。

「備忘録」には「線香花火」の話も載っている。著者は「灼熱した球の中から火花が飛び出し、それがまた二段三段に破裂する、あの現象」に興味を示す。枝分かれの妙があるからだろう。20世紀終盤に複雑系の科学が興り、分岐現象も関心事になる。それを先取りする好奇心だ。著者の科学心は、モノの根源よりもコトの摂理を追究する反還元主義の先駆けだった。(「本読み by chance」2016年8月19日付「『かたち』から入るというサイエンス」)

で、実は、このくだりを読んでいて私は大発見をしたのだ。自分が寅彦派になれない理由の一つがわかった。それは、音楽の趣味にかかわっているらしい。著者は、線香花火の火花の「時間的ならびに空間的の分布」を音楽にたとえる。「荘重なラルゴで始まったのが、アンダンテ、アレグロを経て、プレスティシモになったと思うと、急激なデクレスセンドで、哀れに淋(さび)しいフィナーレに移っていく」。さすが、クラシック通だ。

著者は、線香花火には「序破急」や「起承転結」があるとほめる一方、新趣向の花火を「無作法」で「タクトもなければリズムもない」と腐す。そして、こう決めつけるのだ。「線香花火がベートーヴェンのソナタであれば、これはじゃかじゃかのジャズ音楽である」

ガーン――である。私は、金米糖や線香花火にむしろジャズを見ていた。どちらの物理現象もニュートン物理学の決定論に支配されているが、予測がなかなかつかない。次に何が来るか、期待通りになることもあるが、はずされることもある。これは、ジャズの醍醐味そのものではないか。楽譜があっても、それに縛られない。アドリブに満ちている。奏者のソロ演奏が次々につながれていく様子は、著者が惹かれる物理世界の時間発展に似ている。

「リズムもない」花火を、リズムが真髄のジャズにたとえたのも見当外れだ。ただ、そのことをもって著者を批判したら不公平だろう。著者は明治期に欧州文化を吸収した人なのだから、クラシック音楽への思い入れはさもありなんと納得する。ジャズを知るには早く生まれ過ぎたのだ。一方、私はジャズがモダンジャズにまで進化してから、その虜になった。だから、私のジャズ好きをもって著者のジャズ嫌いを論ずるつもりはない。

それにしても、線香花火に「起承転結」をみるとは――。寅彦は物事が予想外に展開することに心ときめかせながらも、最後はやっぱり、ちゃんとしたかったのか。もしかしたら、内面に矛盾を抱えていたのかもしれない。次回にもう一度、この本をとりあげる。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月31日公開、同年8月7日最終更新、通算533回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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「人種」というかくも人為的な言葉

今週の書物/
『「他者」の起源――ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』
トニ・モリスン著、荒このみ訳・解説、森本あんり寄稿、集英社新書、2019年刊

人為の区分け

米国で「黒人」差別に対する抗議行動が広がっている。きっかけは、中西部ミネアポリスで「黒人」市民ジョージ・フロイドさんが「白人」警官に首を押さえつけられて亡くなった、という事件。公民権法の制定から56年。半世紀余の歳月を思うと、絶望感に襲われる。

フロイド事件を特徴づけるのは、「黒人」対「白人」の構図だ。米国では警官が「白人」、市民が「黒人」という組み合わせで加害行為があると、それが全土を揺るがす事件となる。犠牲者は一個人ではなく、「黒人」の象徴としての役回りを担わされる。

「黒人」と「白人」――。考えてみれば怖い区分けだ。肌の色の違いで分けたのだとしたら、粗っぽすぎる。「黒人」と呼ばれる人々の顔にはさまざまな色調があり、一概に黒いとは言えない。「白人」たちも同様で、白いとは言い切れない。米国社会では、そうした個人差をすべて捨象して人々の間に線を引いたのだ。今でこそ「アフリカ系」「欧州系」という呼び方があるが、今回のような事件の報道では「黒人」「白人」の用語が飛び交う。

抗議行動では、“Black Lives Matter”という標語が掲げられている。「黒人の命は大切だ」と訳される。今風に政治的公正(ポリティカル・コレクトネス)の表現にこだわれば“African-American Lives Matter”(アフリカ系米国人の生命は大切だ)と言うべきかもしれないが、差別に抗う側自身が“Black Lives”を前面に出していることに注目すべきだろう。“Black”には情念が感じられるからか。いや、それだけではなさそうだ。

たぶん、米国の「黒人」たちには「アフリカ系」という言葉で括れないなにかがあるのだろう。それは、自分たちもまた米国をつくってきたのだという自負のように思える。私たち日本人は第2次大戦後、太平洋の対岸から吹きつける米国文化の風にさらされてきた。だから、「黒人」なしの米国はありえないことを実感している。「黒人」は米国全人口の1割強に過ぎないが、文化の担い手としての存在感は半端ではない。

「黒人」なしでは絶対に生まれなかったものは、ジャズだ。あのリズム感はアフリカ由来だが、アフリカ大陸ではジャズが育たなかった。「白人」たちの音楽資源――たとえばピアノやベースやサックスなど――を取り込んで新しいジャンルを切りひらいたのである。ジャズの最大の魅力は、アフタービートだろう。ズンチャッ、ズンチャッ……のチャッが強調されるリズムだ。そこには、「白人」文化のクラシック音楽に乏しい躍動感がある。

「黒人」は、ジャズに代表される米国文化の担い手であることに誇りを感じている。その象徴が、“Black”なのだろう。だが、米国社会が「黒人」を正当に受け入れてきたとは到底言えない。だからこそ、今も“Black Lives Matter”の声がわきあがるのだ。

で、今週は『「他者」の起源――ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』(トニ・モリスン著、荒このみ訳・解説、森本あんり寄稿、集英社新書、2019年刊)。著者は1931年、米国オハイオ州で生まれた。大手出版社で編集者を務めるかたわら、作家として活動。代表作に『青い眼がほしい』『ビラヴド』などがある。93年、アフリカ系米国人として初めてノーベル文学賞を受けた。この本は、2016年のハーバード大学連続講演をもとにしている。

第一章冒頭のエピソードは強烈だ。著者がまだ物心もつかなかった1930年代前半、一族のなかで尊敬を集めていた曽祖母――「腕利きの助産師だった」――が訪ねてきた。自身は「漆黒の肌の持ち主」。その人が著者姉妹を見て「この子たち、異物が混入しているね」と言ったというのだ。「黒人」として「純血ではない」ということだろう。著者が逆説のようにして、米国社会の底流にある心理を知った瞬間だった、と言ってよいだろう。

この章には、米国やその周辺地域で「混血」がどのように進んでいたかを暗示する史実も明らかにされる。18世紀半ば、一人の英国青年が自国の植民地ジャマイカでサトウキビ畑の農園主となり、「反省あるいは識見の欠落している事実のみの日記」を遺した。それは、当人の奴隷女性たちに対する「性的活動」を「相手と会った時間、満足度、行為の頻度、とくに行為のなされた場所について記録している」ものだったという。

驚くべきは、この記録がラテン語交じりで書かれていたことだ。「午前一〇時半ごろ」「コンゴ人、サトウキビ畑のスーパー・テラム(地面の上で)」などというように。著者は、ここに「奴隷制度を『ロマンス化』する文学的試み」をみてとる。

ただ、その「文学」が欺瞞に満ちたものであることは、巻末の「訳者解説」を読むとよくわかる。「奴隷制度のもとでは、白人の農園主たちは奴隷女と関係を持ち、奴隷を増やすことが奨励された」というのだ。「奴隷は財産」であり、「奴隷女から生まれた子どもも奴隷」として扱われたから、「農園主は自分の財産を増やすためにも関係を持った」――「ロマンス化」の裏側には、人間を人間と見ない醜悪な経済原理が横たわっていたのである。

講演録本文に戻ろう。著者は、ウィリアム・フォークナーの小説『アブサロム、アブサロム!』をとりあげる。この作品では、近親相姦と「人種」混交を比べれば後者のほうが「おぞましい」とみる南部「白人」社会にあった価値観が描かれている。「白人」による「ロマンス化」を「白人」自身が否定していたのだ。作中では、「黒人」の血を16分の1だけ受け継ぐ男が悲劇に見舞われる。「黒人」の血は「一滴」であれ「異物」とみなされたからだ。

主従の関係にまかせた性的活動は、当時の道徳観からみても許しがたかったのだろう。著者は「奴隷が『異なる種』であることは、奴隷所有者が自分は正常だと確認するためにどうしても必要だった」とみる。このときに都合よく使われたのが、「人種」という概念だ。

この歴史を踏まえると、著者が講演で「他者」「よそ者」に焦点を当てた理由が見えてくる。生物分類学の視点に立てば「わたしたちは人間という種」(より厳密に言えば、現生人類か)にほかならない。にもかかわらず、人間は同じ社会の空気を吸っていても「人種」という小分類にこだわり、わざわざ「他者」「よそ者」をこしらえていく。「一滴の血」ですら「他者」「よそ者」の証明にしてしまうのだから、そこにあるのは排除のベクトルでしかない。

この本からは、著者が米国社会を蝕む「他者化」のバカバカしさ、愚かさをどのように見破ってきたかを知ることができる。そこにあるのは、作家としての技法を凝らした作品群だ。ここでは、二つの方法論を紹介しておこう。

一つは、「人種消去」。短編小説『レシタティフ』で試みたものだ。登場人物のだれがどの「人種」か、一切わからないようにした。これは、従来の「黒人文学」が「黒人の登場人物を描き出し、力強い物語をつむぐ努力をしてきた」のとは逆向きの姿勢だ。著者が駆逐したかったのは、「安っぽい人種主義」や「お気軽に手に入る『カラー・フェティッシュ』」だという。「カラー・フェティッシュ」とは、肌の色に対する過剰な思い入れである。

もう一つは、「黒人町」。南部オクラホマ州には、「黒人」が「白人から可能なかぎり遠く離れて」暮らすために、自分たちの町をいくつも建設したという現実の歴史がある。著者は『パラダイス』という長編小説で、この州に開かれた「ルビー」という架空の黒人町を描いた。そこでは「もっとも黒い肌――ブルー・ブラック」が「受容可能な決定的要因」となっている。曽祖母の視点が導入され、「一滴の血」の反転とも言える思考実験をしたのだ。

『パラダイス』を読んでいないので、私は作品の要点を書けない。ただ、著者がこの講演で披露した自作解説からうかがい知れるのは、ルビーという純血社会にも住人の間に「軋轢」があり、それを取りのぞくため、外によそ者を見いだそうとする人がいることだ。

人は、他者を勝手につくりたがる。それも、自分に都合のよい他者を。他者とは本来、自分ではない存在のことであり、存在の一つひとつで異なっているはずなのに、そんなことはお構いなしにひとくくりにして「異物」のかたまりにしてしまう。困ったものだ。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年7月24日公開、同日更新、通算532回
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