五輪はかつて自由に語られた

今週の書物/
『1964年の東京オリンピック――「世紀の祭典」はいかに書かれ、語られたか』
石井正己編、河出書房新社、2014年刊

五つの輪

日本列島には1億人余が暮らしている。今この瞬間も、喜んでいる人がいれば、悲しみにくれている人もいる。どこかで結婚式があれば、別のどこかで葬式も同時進行中だ。世に明と暗が共存することは、私たちが受け入れなければならない現実だろう。

ただ、それは結婚式と葬式の話だ。いずれも私的な行事だから、世にあまねく影響を与えることはない。だが、明暗の一対がオリンピック・パラリンピック(オリパラ)とパンデミック(疫病禍)となると事情が違ってくる。人類の祝祭が、世界中の人々の生命を脅かすわざわいの最中に催されようとしているのだ。オリパラがもたらす歓喜も、疫病禍に起因する苦難や悲嘆も、すべて公的な領域にある。私的明暗の同時進行とは質が異なる。

国内ではこのところずっと、今夏のオリパラが論争の的になっている。1年の延期でコロナ禍制圧を祝う機会になる、という楽観論が見当違いとわかったからだ。開催の是非をめぐっては、いくつかの模範解答があった。たとえば、選手の思いを第一に考えるべきだという主張。あるいは、開催の可否は科学の判断に委ねるべきだという意見。いずれも、もっともだ。ただ、私たちが考慮すべきは「選手の思い」と「科学の判断」だけではない。

第一に、オリパラがただのスポーツ大会ではないとの認識は、五輪誘致派の間に当初からあったのではないか。それは、震災からの復興と関係づけられたり、外国人観光客需要を押しあげるとして期待されたりした。五輪は、社会心理や経済活動と密接不可分なのだ。

第二に、オリパラ開催を科学で決める、という話も一筋縄ではいかない。科学の視点で言えば、コロナ禍を抑え込むには人流を減らすのがよいに決まっている。正解は、中止か延期しかないだろう。だが、実際には開催を前提にして感染制御策を立案することにとどまりがちだ。前提条件に、すでに政治的、経済的な思惑が紛れ込んでいる。政治家はそのことに触れず、科学者に諮ったという手続きだけをもって「科学の判断」を仰いだと言い繕う。

昨今のオリパラ問題は小学校の科目にたとえると、こうなる。体育が中心にあるのだが、その枠に収まりきらない。理科に関係しているが、理科が答えを出してくれるわけでもない。実際のところは、社会科の時間に考えるべき論題がいっぱい詰まっているのだ。本稿冒頭の話題も、あえて言えば社会科の守備範囲だ。公的な災厄のさなかに公的な祝祭に心躍らせられない人々が多くいるのではないか――そういう慮りがもっとあってよい。

で、今週は『1964年の東京オリンピック――「世紀の祭典」はいかに書かれ、語られたか』(石井正己編、河出書房新社、2014年刊)。1964年の東京五輪について、新聞や雑誌に載った小説家や評論家、文化人、知識人ら総勢34人の寄稿や鼎談対談を集めている。編者は1958年生まれの国文学、民俗学の研究者。序文によれば、64年東京五輪前後の国内メディアには作家たちが次々に登場して「筆のオリンピック」の状況にあったという。

この本は大きく分けると、五輪そのものに密着した「開会式」「観戦記」「閉会式」の3部から成るが、それらに添えるかたちで「オリンピックまで」「オリンピックのさなか」「祭りのあと」という章も設けている。五輪を取り巻く世相も視野に入れているのだ。

開催まで1カ月という今この時点に同期させるという意味で、今回は「オリンピックまで」に焦点を絞ることにする。この章だけでも、井上靖、山口瞳、松本清張、丸谷才一、小田実、渡辺華子という7人の筆者が競うように感慨を綴り、持論を述べている。

あのころの平均的な日本人の心情を汲みとっていて正攻法の作家だな、と思わせるのは井上靖だ。その一文は1964年10月10日付の「毎日新聞」に掲載されたから、10日の開会式直前の心境を語ったものとみてよい。それは、4年前にローマ五輪を現地で観たときの体験から書きだされる。閉会式で、電光掲示板に浮かぶ「さようなら、東京で」という次回予告を目にした瞬間、「本当に東京で開かれるだろうか」と心配になったという。

その理由は、突飛なものではない。五輪のためには道路を整えなくてはならないし、競技場も必要だ。「果たして四年間のうちにできるだろうか」。そんな思いがあったという。ところが4年後の今、道路も競技場もできあがっている。井上は、ローマの不安が「杞憂(きゆう)だった」として、それらを仕上げた人々に素直に謝意を表す。ここで目をとめたいのは、井上が五輪の整備項目を列挙するとき、道路→競技場の順で書いていることだ。

この記述から、64年東京五輪が都市の建設事業とほぼ同義であった構図が見えてくる。

もちろん、その構図の裏側に目をやる人もいる。開催前年に書かれた山口瞳の「江分利満氏のオリンピック論」がそうだ(『月刊朝日ソノラマ』1963年10月号)。五輪は1年先だが、「オリンピックはもう終ってしまった、と考えている人もあるに違いない」。五輪にかかわる政治家や財界人、建設業者やホテル経営者の胸中には「もう予算はきまってしまった、もう何も出てこない」という認識があるはずだ、と見抜くのだ。鋭いではないか。

小田実は、五輪を間近にした東京の各所を見てまわり、その感想を寄稿している(共同通信1964年10月7日付配信、本書掲載分の底本は『東京オリンピック』=講談社編、1964年刊)。それによると、「オリンピックに関係するところ」と「しないところ」に「あまりにも明瞭な差異」があったという。五輪にかかわる場所には巨費が投じられ、新しい建築や道路が出現している。かかわりがなければ「ゴロタ石のゴロゴロ道のまま」だ。

小田は、さすが反骨の人である。世の中に、五輪という「世界の運動会」に興味がなく、「ヒルネでもしていたほうがよい」と思う人がいることを忘れない。そうした人もいてよいはずなのに、「政治」は「ヒルネ組をまるで『非国民』扱い」――そう指弾する。

ここで私がとりわけ目を惹かれたのは、こうした「政治」がジャーナリズムを巻き込んで、人々の間に「既成事実の重視」「長いものにまかれろ」という社会心理を根づかせた、と指摘していることだ。それは、「きみが反対だって、もう施設はできてしまった。こうなった以上は一億一心で」と、ささやきかけてくるという。1964年の五輪前夜、街にはそんな気分があふれ返っていたらしい。それは、オリパラ2020直前の今と共通する。

ただ、「ヒルネ組」も黙ってはいない。松本清張は『サンデー毎日』1964年9月15日臨時増刊号への寄稿で「いったい私はスポーツにはそれほどの興味はない」と冷ややかだ。自身の青春期、スポーツ好きの若者には大学出が多かったとして、「学校を出ていない私」はスポーツに無縁だったことを打ち明ける。「何かの理由で、東京オリンピックが中止になったら、さぞ快いだろうなと思うくらい」。そんな異論も、あのころは堂々と言えたのだ。

丸谷才一の一編(『婦人公論』1964年10月号)は、英会話術の指南。“You won’t come up to my room?”(「君はぼくの部屋へ来ないんだね?」)と聞かれたとき、「ゆきません」のつもりで“Yes.”と答えたなら「ゆきます」の意にとられると警告、「ラジオは本当はレイディオ」など、指導は細やかだ。だが、「会話というものは言葉だけでおこなわれるものでは決してない」と「態度」「表情」などの効能も説いて、読み手を安心させている。

最後の一文は、渡辺華子が1961年7月8日付「読売新聞」に寄せた論考。彼女はその前年、ローマで五輪に続けて開かれた「国際下半身不随者オリンピック」(第1回パラリンピック)を観戦していた。それは、選手が応援の側にも回ったり、観客がどの国にも声援を送ったりで、まるで「草運動会」のよう。「対抗意識と緊張感の過剰な一般オリンピック」より「ずっと楽しかった」という。この感想は、結果として五輪批判にもなっている。

1960年代前半、東京五輪が刻々と迫るなかでも、その祝祭をめぐって、なにものにも縛られない議論がメディアで展開された。今は、型破りの論調がほとんど見当たらない。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年6月18日公開、通算579回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
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5 Replies to “五輪はかつて自由に語られた”

  1. 尾関さん

    「祝祭」と聞くと、季節感、収穫、宗教性といった言葉が心に浮かびます。
    オリンピックも確かに「祝祭」ですが、心に浮かぶのは「人為性」。そして、そこからくる「巨大な利権」。

    ゆえに、山口瞳さんの慧眼に驚きました。

    しかし、やはり気になるのはブログを締める尾関さんの “今は、型破りの論調がほとんど見当たらない”という言葉。

    ひとつの理由はこの10年の政治の劣化でしょう。まともな対話をせず、力で、つまり、それが官僚であれマスコミであれ、相手の “生活レベルの維持・向上への希求” を人質にした自由な発言への圧力。

    もうひとつは自分と異なる意見や考え方を容赦なく指弾する風潮とそのツールとしてのSNS。本来は誰もが発言の機会を持てるプラットフォームであったものが、かえって人々を萎縮させてしまう皮肉。

    1964年は終戦からほんの19年。言論の自由を体感できたでしょうし、経済発展が見えていたでしょうから、何を言おうが食いっぱぐれることを恐れる必要は無かったのでは。
    一方で、少子高齢化で経済の衰退への不安が人々の心を覆っている昨今。

    確かに当時とは世相が違うとは思いますが、萎縮して語るべきを語らぬ言い訳にはならない。久々に目にした懐かしい人々の名前とその発言を知り、今の日本には侍がいなくなってしまったという感慨を新たにいたしました。

  2. 虫さん
    今回、話題にした作家や評論家は政治的な立ち位置はさまざまですが、いずれもそんなに「過激」な人ではない。
    当時のサラリーマンを読者層にしていた人が多いですよね。
    反戦を叫んだ人もいるが、市民運動のスタイルをとろうとしていた。
    そういう、いわばオトナの文化人が発するメッセージが、これだけ幅の広さをもっていることが新鮮でした(もちろん、私たちの世代は当時のことをリアルタイムで知ってはいるのだけれど)。
    昨今の貧困なるメディア状況は、やはりSNSの効果によるものなのでしょうか。
    模範解答からちょっと外れたことを言うと、それは燃えあがり、「謝罪」が待っている。
    この状況を打ち破るには、ポストSNSの新しいメディアが生まれなくてはならないのかもしれませんね。

  3. 尾関さん、

    いいタイミングでのいい話題ですね。

    南部靖之と竹中平蔵のようにあからさまに儲けるのでなく、高橋治之や森喜朗のように怪しくむしりとるのでもない、もっと見えないところでオリンピック利権に絡む何万もの人たちにとって、延期で被った被害を儲けに変えなければいけないわけですから、オリンピックの中止はありえないシナリオだったのでしょう。
    Baron Von Ripper-off, a.k.a. IOC President Thomas Bach(ぼったくり男爵・バッハ会長)とNBCのスティーブ・バーク、ラミーヌ・ディアックとと竹田恒和、電通とシンガポール・マフィアなどなど、今回のオリンピック関連で思い浮かぶ個人や会社は数限りない。まるでかつても堤義明の亡霊が何千人もの姿になって世界中に現れた感じです。
    橋本聖子会長や丸川珠代大臣はそれまで縁のなかった数兆円という金額の流れを前にして、呆然というか唖然というかそんな感じで、絶対に中止はできないと、どのステークホルダーにも損を被らせるわけにはいかないと、心に誓っているのではないでしょうか。
    それにしても、南部靖之と竹中平蔵の中抜きは酷いですね。
    。。。とガス抜きをしたあとで、本題です。

    1964年東京五輪と2020年東京五輪の一番大きな違いは、目に見えるか見えないかの違いだと思います。
    今、山口瞳が「江分利満氏のオリンピック論」を書いたらどんなことを書くのだろうか? そんな想像をしてみると、いろいろ浮かんできます。
    2085年東京五輪が開催されることになったら、山口瞳が(いや、江分利満氏が)何を書くのか? 想像は尽きません。

    1964年頃は良くも悪くも啓蒙の時代でした。民主主義を啓蒙するという矛盾がまかり通っていた。片側に知識人がいて、反対側にいる大衆を啓蒙する。知識人から大衆への知の流れがあって、それは誰もがものを考えるという民主主義の理想からは程遠いものであったけれど、人は今より素直で、まとまりやすかったのではないかと思うのです。
    2021年はだいぶ違います。PRの時代といえば聞こえはいいけれど、騙しの時代です。オリンピックが楽しみだ、オリンピックの感動と興奮、安心安全のオリンピック、人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとしてのオリンピック、オリンピック開催により被災地の復興が加速するなどなど、レトリックとも言えないフレーズが積み重なり、空っぽになっていく。虚しいばかりです。

    小田実が「既成事実の重視」「長いものにまかれろ」という社会心理を根づかせたと書いたのはその通りだと思いますが、では今はどうなのか? 「文字が読まれなくなった」と書くか、「知性が失われていった」と書くか、それとも「人々は自発的に従うようになった」と書くでしょうか?

    空気を読み忖度する人たちが{日本人選手が獲得したメダルひとつひとつ」に歓喜する情景が、今から浮かんできます。どうなっても電通とNBCは勝つのでしょう。

    確かに、五輪と、新型コロナウイルスのことと、経済と政治とが、これほどまでに「密接不可分」になってしまうと、誰にも先は読めませんね。

    これから先の1カ月か2か月が(不謹慎ですが)いろいろな意味でとても楽しみです。

  4. 38さん
    《1964年頃は良くも悪くも啓蒙の時代でした》《片側に知識人がいて、反対側にいる大衆を啓蒙する》
    おっしゃる通りですね。
    そう言えば、あのころは「大衆」という言葉がよく使われました。
    今、大衆の一人を自任する人は少ない。
    それなのに、自立した個人があちこちで現れている、という感じもない。
    不思議な同調圧力集団です。

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