「識者」ファインマンの闘いに学ぶ

「ファインマン氏、ワシントンに行く――チャレンジャー号爆発事故調査のいきさつ」
=『困ります、ファインマンさん』(リチャード・P・ファインマン著、大貫昌子訳、岩波現代文庫、2001年刊)所収

氷水

コロナ禍で問われているのは、専門家と政治家の関係だ。政治家は、次の一手を聞かれると「専門家の意見をうかがって決める」と言う。ところが実際には、その真意を汲みとらないことがままある。都合のよいところだけつまみ食いしたりするのだ。

専門家という言葉にも罠がある。専門家とは、特定の分野に通じた人のこと。だから、A分野のことを聴きたければ、Aの専門家を集めなければならない。B分野ならB、C分野ならCだ。ところが現実にはA、B、Cの専門家が一堂に会して、バランスよく結論をまとめることになる。これは、専門家というよりも有識者の集団だ。世論が二分される問題で合意点を探るのなら話は別だが、危機に直面して専門知を求めているときには不向きだ。

去年夏、コロナ対策をめぐって医療か経済かという二項対立が際立ったとき、私は朝日新聞の言論ウェブサイト「論座」(2020年7月24日付)に「コロナ対策、いま必要なのは『識者会議』か?」という論考を書いた。必要なのは「分科会」という名の識者会議ではなく、政策判断に直接の助言を与える実働集団だ。医療系、経済系それぞれの専門家集団が連携して、人々の接触機会の節減目標などを試算すべきではないか、と主張したのである。

1年たって、状況は変わった。医療か経済かの二項対立は薄れ、医療崩壊を抑えることが経済回復への近道との見方が広まっている。その結果、専門家の声がまとまりやすくなり、政府を動かす局面もあった。だが、事がオリンピック・パラリンピックの開催にかかわるとなると、政府はかたくな。専門家の意見をつまみ食いして済まそうとしている気配が濃厚だ。再び、識者会議の弱点を見せつけているとは言えないだろうか。

そんなことを考えていたら、この話にも例外があることに気づいた。識者として呼ばれ、おそらくは大所高所の議論だけを求められていたのに、自ら実働集団の役目まで果たした人がいた。米国の理論物理学者リチャード・P・ファインマン(1918~1988)である。

で、今週は「ファインマン氏、ワシントンに行く――チャレンジャー号爆発事故調査のいきさつ」(『困ります、ファインマンさん』〈リチャード・P・ファインマン著、大貫昌子訳、岩波現代文庫、2001年刊〉所収)。著者は、素粒子論など理論物理学が専門。1965年、朝永振一郎らとともにノーベル物理学賞を受けた。この一編は1986年、スペースシャトル・チャレンジャー事故の調査を担う大統領委員会に加わったときの体験記である。

事故は1986年1月、チャレンジャーの打ち上げ直後に起こった。爆発で機体は壊れ、乗組員7人は帰らぬ人となった。固体燃料ロケットの継ぎ目付近に欠陥があったことが、しだいにわかってくる。その事故を調べたのが、この委員会だ。委員長は元国務長官のウィリアム・ロジャーズ弁護士。委員13人の大半は理系で、軍人や雑誌編集者もいる。だから、専門家会議というよりも識者会議に近い。著者も、宇宙工学のことでは門外漢だった。

委員会は、この年の6月まで続き、最終報告書をまとめた。そこでは、著者自身の「報告」が「付録」扱いとなった。いわば、少数意見の併記。著者は持論を譲らなかったということだ。委員会では、その存在感をフルに発揮したのだとも言えよう。

著者の委員としての動き方を知って敬意を禁じ得ないのは、二つのことだ。一つは、自分は専門家ではない、と強く認識していること。もう一つは、にもかかわらず、いや、だからこそ、専門家の話を遠慮することなく聴きまくっていることだ。

それは、事前準備の段階から見てとれる。著者は2月上旬、初会合のために夜行便でワシントンへ向かう当日、地元パサデナで動きだす。勤め先のカリフォルニア工科大学は、米航空宇宙局(NASA)の研究を担うジェット推進研究所(JPL)を運営している。そこで、シャトルに詳しい技師の一人ひとりから、知っていることを洗いざらい聞きだしたという。「とにかく彼らはシャトルのことなら隅から隅まで知りぬいていた」と驚嘆している。

このときに書きとめたメモの2行目に「Oリングに焦げ跡を発見」とある。「Oリング」は、問題の継ぎ目部分にぐるりと巻かれた合成ゴムの密封材だ。チャレンジャー事故の調査でにわかに世に知られるようになった。朝日新聞の当時の報道では、大統領委員会でも2月中旬に「Oリング」という用語が登場しているが、著者はそれに先だって、Oリングがシャトルの要注意箇所らしいとの知識を自前の聞き込みで仕入れていたのである。

Oリングに目をつけた委員の一人に空軍高官のドナルド・クティナ氏もいる。初会合の日、地下鉄で職場に帰ろうとしている姿を見て「運転手つきの特別車なんぞにふんぞり返って乗りたがる軍人どもとは大違いだ」と著者は好感を抱く。こうして二人は仲良くなる。

ある日、そのクティナ氏から電話がかかってくる。「実は今朝、車のキャブレターをいじっているうちにひょいと思いついたんですがね」「先生は物理の教授でしょう。いったい寒さはOリングにどんな影響を及ぼすものですか?」(太字箇所に傍点)。事故は極寒の日に起こっているから「目のつけどころ」の良い質問だ。著者は「硬くなるはず」と即答した。それにしても、車をガチャガチャやっているときに頭が冴えるとは米国人らしい。

Oリングについては、著者自身の武勇伝もある。委員会の席で実験をやってのけたのだ。同様のゴム材を手に入れ、工具で締めつけて氷水に浸けた。しばらくして水から取りだすと、工具を外しても形が元に戻らない。「この物質は三二度(セ氏〇度)の温度のときには、一、二秒どころかもっと長い間弾力を失うということです」。余談だが、この日は前回の会議で委員席に置かれていた氷入りの水が配られておらず、あわてて注文したという。

こうして、Oリングの低温による硬化が密封機能を弱め、事故の引きがねになったことがわかってくる。これは著者の手柄話のように巷間伝えられたが、この体験記は、それもクティナ氏が「手がかり」をくれたからこそ、とことわっている。著者は公正な人だった。

もう一つ、著者の面目が躍如なのは、NASAがシャトル打ち上げの失敗率を低くみている事実を突きとめたことだ。技術者の一人は、それを1%(100回に1回)とはじき出していた。無人ロケットの実績をもとに、有人飛行時の安全対策も見込んで試算したという。ところがNASA上層部は、失敗は「10万回に1回」と言い張った。これだと1日1回打ち上げても300年間は成功が続くことになる、と著者はあきれる。

ちなみにこの技術者は、シャトルが上空で制御不能になる事態を想定して、墜落による地上の被害を小さくするために機体を爆破する装置を積むかどうかを決める立場にあった。技術者は任務を果たすために、失敗のリスクを直視しなくてはならないのである。

理系の有識者が果たすべきは、こうした理系思考を報告や提言や答申に反映することにあるのだろう。著者は、NASAの「10万回に1回」論を追及していくが、先方も譲らない。著者が米国の宇宙開発に対して抱いた最大の違和感は、ここにあったように思う。

苦笑いしたのは、忖度というものが米国にもあることだ。著者によれば、NASAではこんなことが起こっているらしい――。シャトル計画の予算を議会で通すには、それが安全で経済的であると言わなくてはならない。だから、上層部は「そんなに何回も飛べるわけがありません」という現場の声を聞いたとたん、議会で嘘をつく立場に追い込まれることになる。現場は、上層部から疎ましがられたくないから黙る。これが、NASA版の忖度だ。

2年後、著者は永眠した。素粒子だけでなく、官僚の振る舞いまで見抜いた最晩年だった。有識者とはこういう人を言うのだろう。お見事ですね、ファインマンさん!
(執筆撮影・尾関章)
=2021年6月25日公開、同年7月9日更新、同月9日更新、通算580回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

5 Replies to “「識者」ファインマンの闘いに学ぶ”

  1. 尾関さん

    何らかの提言や答申が求められて専門家や有識者の委員会が設けられるとき、まず頭に浮かぶのは「誰がどのような基準で委員を選定したのか」という問いです。

    私もある専門領域に身を置いてきましたが、当然のことながら内部にはさまざまな考え方があります。もし外部から提言を求められて委員が選定される場合、ある「学派」から多くの委員が選ばれれば、提言はその学派色を帯びるでしょう。

    では誰が選ぶのか?専門家選定の場合、その専門性ゆえに外部からの選定は難しいかもしれません。内部で選ぶとすれば内部力学が働くかもしれないし、提言を求めた相手への忖度が働く可能性もあります。
     
    専門家にせよ有識者にせよ選ぶということは難しいですね。ましてその提言が人々の生活に影響を与えたり税金の投入をもたらすとすれば尚更です。
    それ故に「選ぶ人を選ぶプロセス」が明白な透明性とともに示される必要があると思っています。
    (ならば、選ぶ人を選ぶ人を選ぶ人は誰か、という具合にエンドレスになり、オチは純粋な客観性は存在するのかという哲学的な話になるでしょうから「選ぶ人を選ぶ人」までで止めておきます)。

    日本の裁判員制度では、裁判員候補者が事前に担当裁判官からさまざまな質問を受けますが、これは非公開です。

    アメリカの陪審制では、陪審員候補者が検察側と被告側から徹底的に質問されますが(尋問)、これは非公開ではありません。
    候補者が担当する裁判の陪審員としての良識を有しているかの判断や、検察側、被告側による自陣に不利な候補者の排除のためのプロセスですが、いずれにせよ、おおやけに行われます。

    「選ぶ(裁く)人をどう選ぶか」がオープンにされているわけです。
    もちろん人種問題も背景にあると思いますが、日本よりも説明責任を大切にする文化の根が深いのでしょう。
    (それにしても、知らぬ間に候補者にされ、呼びだされた挙句に激しく尋問されるとはたまりませんね。尋問ですよ!)

    さて、ファインマンさん。大統領委員会での活躍ぶりは痛快ですね。気さくでありながら矛盾や杜撰さを認めない人柄がよく伝わってきました。
    それに、古典論を土台にした技術の粋であるチャレンジャーの事故原因調査委員会にノーベル賞受賞者の素粒子論の専門家が加わっているところが何とも興味を引きます。

    チャレンジャー計画といえばアメリカの大国家事業でした。そのチャレンジャーが爆発して飛行士達の命が失われた。その事故原因調査委員会の委員選定がどう行われたか、或いは、なぜファインマンさんが選ばれたのか?
    今回取り上げられた本にそのあたりに関する記述はありますか?

    1. 虫さん
      ファインマン氏が委員を依頼されたいきさつ。
      本文にNASAの「親玉」、ウィリアム・グラハム長官代行から直接、電話がかかってきたとあります。
      グラハム氏は学生時代、カリフォルニア工科大学でファインマン氏の授業を受けていたのだとか。
      だから、恩師の性格も行動様式もよく知っていたはず。
      それでも頼んだのだから、大したものです。
      ノーベル賞受賞者だからという理由の、権威にすがっただけの人選ではなかったようですね。

      1. 尾関さん

        ご回答ありがとうございました。正直なところ、ちょっと驚きました。

        ゲスの勘繰りかもしれませんが、外部の第三者による調査を避けたNASAによるNASAの調査の匂いがします。国の威信が傷つくことを嫌った政府の意向を受けた結果として。

        そう考えると、このNASAの「親玉」は大した人物ですね。NASA寄りの結論よりも真実の究明を優先させ、気さくでありながら直言居士であるファインマン氏にお目付役として白羽の矢を立てたのでは?

        あくまでも私の見立てが前提ではありますが、ファインマン氏とグラハム氏の師弟コンビ、実に痛快なコンビです。

  2. 尾関さん、

    相手が誰であるかなど関係なく、どんな大物であろうとも意見が変だと思えば、とんでもないことを言ってしまうというファインマンが、もし日本の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議にメンバーとして参加していたら、どうなっていたでしょうか? ファインマンは新型コロナウィルスの専門家ではない。にもかかわらず、いや、だからこそ、河岡義裕など専門家の話を遠慮することなく聴きまくって、すばらしい「付録」を書いてくれたのではないか。そんな想像をすると、なんだか嬉しくなります。
    いろいろ気を遣って言いたいことも言えなくなるような場所では、ファイマンのような人は(専門家であるなしに関わらず)とても役に立つのだと、そんなことを思いました。

    ファイマンはイザヤ・ベンダサンが描いた典型的なユダヤ人とはだいぶ違い、とても愉快ですね。1人目の奥さんには死なれ、2人目の奥さんには逃げられ、家に来ていたメイドを3人目の奥さんにしたファイマンが(熱中すると他のことは目に入らなくなり、思っていることをなんでも言ってしまうファイマンが)生きていくのは難しかったと思いますが、ファイマンみたいな人がいるといないとでは大違い。いてほしい人のひとりだと思います。

    いい本のいい紹介、ありがとうございました。

    1. 38さん
      おっしゃられるように、今の時代、そこにファインマン氏がいてくれたらな、と思う場所がいくつもありますね。
      そんな場所だらけだ、と言ってもいい。
      こういう状況になってしまったのは、ネットとソーシャルメディアの前ではファインマン的であることがしんどい、という事情があるのかもしれません。
      ふつうに率直であることが、とても難しい世の中になりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です