タクシーの推理、超ロング客の謎

今週の書物/
『一方通行――夜明日出夫の事件簿』
笹沢左保著、講談社文庫、1995年刊

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このところ、硬い本が続いた。ここらで、ちょっと息を抜こう。私の息抜きは、テレビの前に寝転がって、ひと昔前、ふた昔前の2時間ドラマをほろ酔い気分で観ることだ。今回は当欄も、同じような脱力状態で前世紀ミステリーの世界をさまよってみよう。

2時間ドラマの人気シリーズといえば、十津川警部、浅見光彦、霞夕子……と年齢性別さまざまな主人公がいる。夜明日出夫もその一人。「タクシードライバーの推理日誌」(テレビ朝日系列)に、元警視庁捜査一課刑事のタクシー運転手として登場する。

「タクシードライバー…」は、定型化が際立つ2時間ドラマだ。たとえば、冒頭場面。渡瀬恒彦演じる夜明がハンドルを握っている。すると、後部座席で大島蓉子演じる中年女性客が、わがままを言ってひと騒動引き起こす――。いつの間にか定着した前振りの賑やかしだ。ただ、ドラマの本筋とは関係ない。ドタバタが一段落して、次に乗ってくる〈2番目の客〉が問題人物。どこか謎めいている。こうして視聴者は事件を予感する。

シリーズは回を重ねるごとに、こんな〈お約束〉が生まれ、視聴者が筋の流れを読めるようになった。夜明は〈2番目の客〉の信頼を勝ち得て、ご指名で迎車を頼まれるほどになる。無線で駆けつけた〈2番目の客〉の仕事場は、偶然にも夜明の娘あゆみが働くアルバイト先だった。親子は、そこでばったり対面する……。細部にまで定型ギャグが張りめぐらされている。規格化された部材で組み立てられたプレファブ建築のようだ。

実は、この定型化こそ2時間ドラマの魅力だ。「タクシードライバー…」は、始まって10分ほどで犯人の目星がつく。30分もすれば事件の構図が見通せる。あとはウトウトしていてもいい――。これは、2時間ドラマの商品価値の一つと言ってもよい。

「タクシードライバー…」シリーズについては実は6年前、当欄の前身ブログでもとりあげている()。あのときは「定型化」を別の視点から説明した。その一節はこうだ。

《このシリーズが好評を博したのは、誰が犯人かの謎ときに主眼を置くフーダニット(whodunit)にしなかったからだろう。どの回も、犯人は最初から目星がついていた。これは、テレビドラマの宿命を熟知しているからこその選択ではなかったか。制作陣は、犯人役にA級の役者をあてがうのが常だ。だから、視聴者は番組表の出演者名列を見ただけで見当がついてしまう。そもそも、テレビで犯人当てを売りにするのは無理がある》

この推察は、さほど見当違いではなかろう。テレビドラマには、小説にない制約がある。登場人物の顔がすべて公開されていることだ。美しいが翳のある女優が画面に現れたら、フーダニットの答えは見えているも同然ではないか。だから、制作陣はフーダニットを最初からあきらめ、別の選択をした。事は予想通りに運ぶ。その結果、安心して観ていられる。この価値を極大化したのが「タクシードライバー…」シリーズだと言ってよい。

では、シリーズの原作はどうか。

今週は、『一方通行――夜明日出夫の事件簿』(笹沢左保著、講談社文庫、1995年刊)を読む。1992年、「小説現代」臨時増刊に発表された長編推理小説。同年、「講談社ノベルス」の1冊としても刊行されている。著者が1990年から手がけた夜明日出夫ものの第6作に当たる。調べてみると、この1編も1994年、シリーズ第4作としてドラマ化されている。〈2番目の客〉となるのがめずらしく男性で、その役を寺尾聰が演じたらしい。

原作の冒頭部はどうか。冬の午後、夜明は東京・江古田界隈を走っている。乗客は女子高校生らしい二人。「そこで、停めて!」といきなり叫ぶ。メーター料金をきっかり2で割り、それぞれ千円札と小銭を出しあう。マイペースだが、大島蓉子ほどの毒気はない。

この小説には、前振りがもう一つある。女子二人が降りた後、「ドロボー」という絶叫が聞こえてくる。バイク男が女性の通行人からハンドバッグを奪ったのだ。夜明はタクシーの向きを変えてバイクの行く手を阻み、ひったくり犯がバイクを乗り捨てて逃げようとするところを取り押さえた。パトカーが駆けつけたとき、最年長の警官が驚いたように言う。「ああ、夜明警部補じゃありませんか」。この一幕はテレビでも見た記憶がある。

〈2番目の客〉は、原作も男性だった。40代後半か。黒のスーツを三つ揃いで着こなしている。サングラスで目もとを隠しているが、「知的で繊細で、いわゆるインテリの顔」だ。とりあえずの行き先は、神奈川県の川崎港。18時発のフェリーに乗るのだという。

男は江古田に自宅があるが、訳あって5年間も東京を離れていた。最近帰京したが、ホテル住まい。家には妻がいるのに帰宅しない。今も門の前までは行ったが、呼び鈴ひとつ鳴らさず、引き返してきたという。謎だらけだ。〈2番目の客〉の必須要件を満たしている。

その男が、車内の運転手表示を見て「夜明日出夫さんか」と独りごとのように言い、爆弾提案をする。「夜明さんにも、旅行に付き合ってもらうわけにはいきませんかね」。自身の名が「井狩真矢(しんや)」であること、今回は船で宮崎県日向に渡り、そこから陸路で九州を横断、長崎県の雲仙温泉で泊まるつもりであることを打ち明けた。「ブラッと出かける」旅だ。飛行機でひとっ飛びしないのも「旅の途中」を大事にしたいからだという。

井狩の考えでは、九州では陸上区間のすべてをタクシー1台にまかせる。ということは、全行程で運転手を束縛することになる。井狩はフェリー代や高速道路料金、宿泊費を負担したうえで、往復の走行の対価として45万円を支払うという。運転手の立場でいえば、願ってもない長距離(ロング)の客だ。夜明は、テレビでもこの手の上客にしばしば恵まれて「ロングの夜明」の異名をとるが、これほどの「超ロング」はめったにない。

井狩がもちかけた話は不自然だ。「旅の途中」を楽しみたいなら九州上陸後にタクシーを借り切ればよい。なぜ、フェリーの船旅にまで東京のタクシー運転手を車付きで同行させるのか。井狩は、日向でタクシーをつかまえて雲仙までと頼むのが「何となく面倒で億劫」と言うのだが、説得力はない。ただ、不自然さが漂うからこそ、なにか底意を感じてしまう。井狩の胸中にどんな企みがあるのか、読者もあれこれ思いをめぐらすことになる。

作中には、運転手側の事情も書かれている。1)突然ロングの発注を受けると営業所への帰庫時間を守れない2)タクシーは二人の運転手が1台を交代で使っているので、一人が何日間も乗るには相方の了解がいる3)昼夜ぶっ通しの仕事は二人一組で引き受けるのが原則――。法令から当局の指導、営業所の規則まで、運転手には諸々の縛りがある。その一方で、ロングが一定距離以上に及ぶなら客の求めを断ることも認められているらしい。

ただ、今回は幸運にも上記三つの難関を切り抜けられそうだった。このころ、業界は運転手不足が深刻で1台に二人を割り当てることが難しくなり、夜明は1台を独占していたからだ。これで1)と2)は突破できる。3)は労働時間の制限にかかわるので微妙だが、フェリー乗船中は「事実上、乗務しないで休んでいる」から営業所も容認するはず、と夜明は勝手に決め込んだ。これが、現実社会に通用する理屈かどうかはわからない。

九州旅行まるごとのロング走行は、乗客からみて常識を逸しているだけではなく、運転手の側からみても想定外だった。にもかかわらず、この作品は無理を通して夜明に超ロングを押しつけている。それができるのも、エンタメ小説の特権だろう。ちなみに本作のテレビ版では、井狩が雲仙温泉に行ってくれとは言わない。目的地は栃木県・川治温泉。ロングではあるが超ロングではない。テレビのほうが現実的ということだろうか。

この小説もドラマ同様、タクシーにロングの客が現れた時点で犯人探しのハラハラ感は薄れている。フーダニット路線は、原作でも半ば放棄されていたのだ。読者は読み進むうち、犯人にどんな動機があり、どのようなトリックを使って犯行に及んだのかというハウダニット(howdunit)に引き寄せられていく。井狩の言葉を借りて言えば、タクシーものミステリーの読みどころは犯人特定という目的地ではなく、「旅の途中」にある。
* 「本読み by chance」2017年3月24日付「渡瀬恒彦、2Hとともに去りぬ
☆ 引用箇所にあるルビは原則省きました。
(執筆撮影・尾関章)
=2023年6月2日公開、通算680回
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

3 Replies to “タクシーの推理、超ロング客の謎”

  1. 尾関さん

    「ロングの夜明」ですか……いや、懐かしい。尾関さんの足元にも及びませんが、私も2Hが好きで、特に「タクシードライバーシリーズ…」は見逃せませんでしたね。

    勤め人だった頃、仕事が深夜に及んでタクシーで帰宅すると、まず通る道路が夜明さんが仕事を始める通りでした。
    私は外を眺めながら、この辺であのオバチャンが乗って、そして、この辺りが2番目で、などとボンヤリ考えながら身体から力を抜いてゆくわけです。

    私は主に次の二つの視点からあの番組を楽しんだのだと思います。
    まず、職業は人格や性格を変えるのか、というポイント。2番目の乗客が事件の焦点にいるという定石があるわけですが、私の記憶では女性が圧倒的に多かった。そして、夜明さんはこの女性を心底信用してしまいます(これが次に述べる元部下との不協和音を生むわけです)。
    特にロングの場合、乗客の女性と過ごす時間が長くなって情が移るのか、夜明さんの女性に対する信頼度が増し、夜明さんは言わば盲目と化すわけです(ところが、この女性が事件の犯人だったりする)。
    これは夜明さんの女性好きに起因するのか、それとも、有能な刑事として人を疑うことを生業としてきたことの反動、つまり人格の変容なのか?
    答えはまだ出ていません。
     
    次のポイントは元上司と元部下の立場の逆転による微妙な人間関係です。
    元部下が正式に夜明さんに事件解決の協力を依頼するはずもなく、たまたま夜明さんが乗せた乗客が事件にからんでいて、その事件をたまたま元部下が追っているという、あり得ない偶然が起きて立場の逆転したチームが生まれるわけです(まあ、上手く出来てますね)。
    女性を犯人と睨む元部下と女性を信頼してやまない夜明さんとの微妙な対立がなんとも愉快。元部下は遠慮がちに主張するし、夜明さんも怒鳴ったりはできない。

    私は今、個人事業主として仕事をしていますが、「夜明さん化」する場合があるんです。一応経済行為ですから契約書を交わすわけですが、私の元部下が発注者になり、元上司の私は受注者。
    日本の商習慣では発注者が横柄な場合が多いんですが、私の元部下は「です・ます」を貫き、私は「…いいよ、そのままでいいよ」といった調子。挙句に「作業量が正確に把握出来ておらず、こんな安い報酬でお願いしてすみませんでした」といったメールが来たりする。無理ですね。変えられません。もちろん、幸い熟睡中に布団ごと運ばれることはありませんね、笑。

  2. 尾関さん、

    Goodreads の書棚に、

    Whodunit Books
    https://www.goodreads.com/shelf/show/whodunit

    Howdunit Books
    https://www.goodreads.com/shelf/show/howdunit

    Whydunit Books
    https://www.goodreads.com/shelf/show/whydunit

    Whodunit Howdunit Whydunit Books
    https://www.goodreads.com/shelf/show/whodunit-howdunit-whydunit

    と4つの書棚があり、Whodunit Books には アガサ・クリスティ が並んでいるのを見て「そりゃそうだ」と変に納得し、Howdunit Books に 東野圭吾の『聖女の救済』があるのを見て「訳されてる!」と感激し、Whydunit Books に スティーグ・ラーソン の『ドラゴン・タトゥーの女』を見て「ふーむ」と唸り、Whodunit Howdunit Whydunit Books に 横溝正史の『犬神家の一族』があって「ひぇー」と声を上げてしまいました。

    で、そのうちの「Howdunit」ですが、意外性とか書き方の巧みさとかが際立つ作品が多いように思えます。

    面白いのは、377冊もの作品を発表した笹沢左保という人が、「Howdunit」のなかに予定調和とか定型化といった極めて日本的なものを持ち込んだことです。笹沢左保という書くことに強いこだわりを持つ人が、予定調和や定型化を持ち込む。多分計算づくだったに違いありません。

    日本の社会のなかには予定調和や定型化を好むところがあって、笹沢左保の世代にはそれはいいこととされ、東野圭吾の世代にはそれをよしとしない雰囲気があったのではないか。実際いまとなっては、予定調和や定型化は批判の的になってしまっています。

    尾関さんが書いておられるような「事は予想通りに運ぶ。その結果、安心して観ていられる」というまったり感に包まれるというか、何とも言えない平和な感じになるというか、そんなのんびりした空気が消えてゆく気がしてなりません。どうにかなりませんかね?

    あっ、ちなみに私がいまいるところは、音といえば鳥のさえずりくらい。書類の申請をしても出来てくるのは多分数か月先、医者の予約を取ろうとしたら5か月先と言われるような、のんびりした場所です。ここで「タクシードライバーの推理日誌」を寝っ転がりながら見たら、きっと最後まで起きていられないような気がします。見ながら寝てしまうという幸福が味わえるかも。。。

    今回も、どうでもいいコメントでした。テヘへ。

  3. 虫さん、38さん
    脱力系の拙稿に、まったり感のあるコメントをそれぞれいただき、感謝にたえません(微笑、失礼)。

    《幸い熟睡中に布団ごと運ばれることはありませんね》(虫さん)
    拙稿が書き漏らした定型ギャグにも言及していただきました。
    《東野圭吾の世代にはそれをよしとしない雰囲気があったのではないか》(38さん)
    日本のミステリーの潮目を的確にとらえていらっしゃいますね。

    ありがとうございました。

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