友の句集、鳥が運ぶ回想の種子

今週の書物/
『句集 鳥の緯度』
土屋秀夫著、山河叢書32、青磁社、2021年刊

椅子の脚

古くからの友人が句集を出した。友と私は小学校以来、すべて同じ学校を出た。職場は違ったが、どちらもメディア界だった。ふつう以上には濃厚な関係だ。俳句という、読みようでどのようにも読める作品群を私が読むことは、それなりに意味があるだろう。

友人は俳句の素人ではない。プロというわけではないが、有名な句会に出たり、結社に加わったりして修業を積んできた。いくつかの賞も受けている。だから、句集の掲載句はすべて水準以上だ。当欄でその一部を紹介する意味は小さくないように思われる。

で、今週は『句集 鳥の緯度』(土屋秀夫著、山河叢書32、青磁社、2021年刊)。著者、即ちわが友は1951年生まれ、山河俳句会の同人であり、現代俳句協会会員でもある。

本の帯に「北から南から鳥は日本に渡ってくる/赤い実を食べた鳥が私の荒地に種を落とした/…(中略)…/俳句の交わりから、詩のミューズから/到来した種が育って荒地は草原になった」とある。「あとがき」によれば、著者は散歩していて空き地にムラサキシキブを見つけ、鳥の落とし種が実を結んだのだろう、と推察した。「鳥の作った庭、私の句もそれに似ている」と思ったという。さっそく、その庭をのぞいてみよう――。

まず、私が世代的共感を抱いた句から。
舐めて貼る八十二円レノンの忌
封書が82円だったのは、2014年~2019年。一方、ジョン・レノンがニューヨークで暴漢に射殺されたのは1980年12月8日。切手貼りなどの些細な動作で、ふと昔の出来事が思い浮かぶことはよくある。私たちの年齢では、その時間幅が数十年に及ぶ。

「レノン撃たる」の一報を、私は初任地北陸の小都市で聞いた。場所は、県庁の記者クラブ。通信社の記者が東京本社から聞きつけたのだ。一瞬、茫然とした。あの日、窓の外は雪模様の曇天で……。作者にもきっと、同じような体験があるのだろう。この句には、郵便料金82円が時間軸の基点になるという妙がある。それにしてもコロナ禍の今、切手ペロリはたしなめられそうだ。古い手紙の82円切手は「舐めて貼る」時代の証言者か。

冬木立どの木も過去に遇ったひと
落葉樹の魅力は、初夏の新緑や晩秋の色づきだけではない。裸木(はだかぎ)と呼ばれる冬木立の姿もいい。枝分かれの細部が露わになり、木々の個性が見えてくる。「あの枝ぶりは毅然としていて、どこかあの人に似ている」「あの枝のあの曲がり方は、あいつの心の屈折そっくりだ」――並木道を歩きながら、樹木1本ずつを「過去に遇ったひと」に見立て、甘口辛口の思いを巡らせる。リタイア世代、冬の散歩道ならではの愉悦か。

風景句で気に入った2句。
菜畑の奥に廃業ラブホテル
菜畑という言葉で目に浮かんだのは、ドイツの風景だ。その春、私はミュンヘン郊外の量子光学研究所を訪れていた。荷電粒子を宙に浮かせ、光を当てる実験について取材しながら、窓外に広がる菜畑に目を奪われた。物理は無機の極みだが、菜の花はムッとするほど有機的。その対比が際立った。この句にもそれがある。ラブホは有機的なはずだが、ここでは看板の文字が欠け、窓の鎧戸も破れて無機の気配が漂う。「廃業」の一語が絶妙。

赤とんぼ物流倉庫という荒野
春の句「菜畑…ラブホ」の秋版。こちらの句では「赤とんぼ」が有機的、一方、「物流倉庫」はただでさえ無機的だが、その印象が「荒野」のひとことでいっそう強まった。川べりの敷地にはコンテナが野積みされている。庫内はロボットがいるだけか。

次に、静物句をいくつか。
じゃが芋が鈍器のように置かれあり
私の記者経験では、警察は窃盗事件の発生を発表するとき、「ドアをバール様のものでこじ開け」という表現を多用した。バールは鉄梃(かなてこ)。窃盗犯は、鉄梃かどうかわからないが、鉄梃状のモノを使ったということだ。モノから道具としての属性を差し引く「様のもの」。この句の「鈍器のよう」にも同様の作用がある。じゃが芋から、ポテサラやおでんの材料という性格が引きはがされている。芋を実存にしてしまった句。

寒晴の肉感的な椅子の脚
過去のあるビロードの椅子青嵐
作者は、椅子という家具に強いこだわりがあるようだ。前者は、冬の陽光が差し込む部屋にいて、無人の椅子に目をとめた句だろう。太陽が低いから、日差しは斜め。脚部にも光が届くのだ。「肉感的」とあることで、この椅子はかつてそこに座った人の分身となる。作者は、その人との交流を追憶しているのかもしれない。後者は、椅子が呼び起こす回想性をより直截的に詠んだ句。「ビロード」の質感が体温の名残のように思えてくる。

ここで打ち明け話をすると、私は作者が発起人である句会に参加している。指導役の宗匠を歌壇俳壇から招いて開かれる。メンバーにも句歴豊かな人が多いが、私のような純然アマチュアもいる。定例の句会では、メンバーが匿名で投句した作品から秀句を互選する。この句集には、作者がその句会に出したものも含まれている。そのなかには、私が会では選ばなかったが今回選びたくなった作品もある。そんな句を二つ挙げよう。

木守柿通勤準急加速する
木守柿は、収穫後の木にあえて残した柿の実を言う。翌年の結実を願う風習らしい。この常識を知らなかったために私は選句しなかった。反省。梢に一つ二つ残る鮮烈な柿色。それが車窓に見えたなら絶対に目で追うだろう。動体視力を振り切る通勤準急が憎い。

叡山をむこうにまわし赤蛙
この句を選ばなかったのは、無知ゆえではない。京都に単身で住んだとき、鴨川沿いに寓居を借りた。対岸に五山送り火の大文字が見え、彼方には叡山も望めた。私は、赤蛙に自分の京都を奪われた気がしたのだ。選句には、ときにそんな嫉妬心が作用する。

次いで、社会派風ともとれる2句。
アロハ着てパチンコ打ちにいく自由
これも句会に出され、私は1票を投じた。「アロハ」を唐突に感じる向きもあろうが、句会の兼題(課題のようなもの)が「アロハシャツ」だったのだ。「アロハ」の軽装感と「パチンコ」の騒然感を「自由」という高邁な概念に結びつけた。散文風なのがいい。

電気ケトルの先に原子炉すべりひゆ
湯はガスで沸かすもの、というのは過去の話、うちはオール電化です、と悦に入っていたら、電気湯沸かしの大もとに原発という核分裂の湯沸かしがあることに気づいた――そんな感じか。私は一瞬、下の句「すべりひゆ」を古めかしい動詞かと思った。調べてみると、雑草の一種ではないか。ここでも、自らの無知に赤面。作者は植物に詳しいので、この草を夏の季語として下の句に置いたのだろう。だがなぜ、スベリヒユなのか?

電力と雑草という異世界のアイテムを出会わせる。俳句の極意はそこにあるのだから、理由を詮索するのは無粋だ。でも、どこかで異世界同士が通じあっていないか。そう思ってスベリヒユの画像をネット検索すると、茎が地を這うように枝分かれしていた。送電網(グリッド)の図面に見えなくもない。作者にはこのイメージがあって、そこに電力を重ねあわせたのか、それとも意図はないのに偶然、ぴったり重なりあったのか。

蛇足を言い添えれば、スベリヒユはトウモロコシなどと同様、光合成を高能率にこなす植物(C4植物)だという。光合成→二酸化炭素固定→脱炭素社会と、この一面もエネルギー・環境問題につながる。こうみてくると、スベリヒユは下の句に適任だったのか。

最後に、この句集でもっとも危うい句。
古本のような女をめくり遅日
「古本のような女」と読んで、ギクッとする。ふつうなら言ってはいけない言葉だ。「古本」と言えば、ネット通販の注意書きにある「一部にヤケ、表紙にスレ」を連想してしまう。だが裏を返せば、その本はたくさんの旅をして、多くの人に出会ってきたのかもしれない。動詞「めくり」もきわどいが、この句の主人公は本の頁を繰るように「女」の話を聴いているのだ、と解釈しよう。早春の午後遅く、傾く陽射しを受けながら……。

締めは、友人に敬意と謝意を込めて拙句を。
友の句を巡りたずねて暦果つ(寛太無)
(執筆撮影・尾関章)
=2021年12月17日公開、通算605回
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グレコの時代、実存の左派批判

今週の書物/
「汚れた手」
ジャン-ポール・サルトル著、白井浩司訳
サルトル全集第7巻『汚れた手(改訂版)』所収、人文書院、1961年改訂

枯葉、というより落ち葉

語りかけられているようだ。なんと心地よいことだろう。私は今、そんな歌声を聞いている。「枯葉」「詩人の魂」……。スピーカーの向こうで歌っているのは、ジュリエット・グレコ。去年9月、93歳で逝った――。シャンソンは、私たちの世代にとって格別の音楽ジャンルだ。ジャズやロックと違って、どこか文学の香りがする。こんなことをフランス語がわからない私が言うのも滑稽だが、言葉なしにシャンソンはありえない。

1970年前後、私はブンガク青年だった。文才があったわけではない。読書量が多かったとも言えない。ただ、ブンガクっぽい雰囲気に触れると、コロッと参ってしまうきらいがあったのだ。だから、音楽の嗜好のなかでジャズやカントリー&ウェスタンの比重が高まっても、シャンソンはずっと憧れの的だった。渋谷駅近くにシャンソンのレコードだけを回している喫茶店があったので、ときどきそこを訪れては時間をつぶしていた。

シャンソン歌手のなかでもグレコは特別な存在だった。歌の向こうにセーヌ左岸、サン・ジェルマン・デ・プレの空気が感じとれたからだ。地下酒場に実存主義哲学者ジャン-ポール・サルトルらがたむろして知的な会話を交わしている――あの低音の歌声を聞いていると、そんな情景が思い浮かんだ。来日時のテレビ出演でも、黒っぽいドレスをまとって表情たっぷりに歌う姿が現代フランスの知性を象徴しているように見えたのである。

実際にグレコは第2次大戦後まもなく、セーヌ左岸で喝采を浴びた人だった。酒場の客たちから「実存主義のミューズ」と呼ばれたという。彼女が、あの時代に人心をつかんだのはなぜか。それは、個人史が同時代史に重なり、人々の共感を呼んだからだろう。グレコの母や姉は戦時中、対独レジスタンス運動にかかわり、ナチスによって収容所に送られていた。そんな事情で彼女自身も少女時代から自立を余儀なくされ、歌手になったという。

ここで押さえておきたいのは、セーヌ左岸の戦後史だ。パリがナチス・ドイツの占領から解放されて20年ほどが過ぎたころ、左岸の主役は代替わりした。1968年、若者たちが立ちあがって五月革命が起こると、左岸の大学街が主舞台となる。私がグレコに魅せられたのは、その余韻が残る1970年前後。私のグレコに対する憧憬には周回遅れの時間差があった。(「本読み by chance」2016年5月13日付「五月革命、禁止が禁止された日々」)

で、今週は、戯曲「汚れた手」(ジャン-ポール・サルトル著、白井浩司訳、サルトル全集第7巻『汚れた手(改訂版)』所収、人文書院、1961年改訂)。本を開くと「1948年4月2日、パリ、アントワーヌ劇場にて初演」とある。まさに、グレコが一世を風靡していたころの作品だ。当時のフランス知識人が何を考えていたかを知る助けになる。ただ、そこに描かれているのは、イリリという架空の国で戦時下に起こった出来事なのだが……。

第一場第一景では、街道筋の民家に青年が訪ねてくる。居住人の女性、オルガは警戒心から拳銃を隠しもって扉を開ける。そこには旧知のユゴーがいた。「刑期は五年だったんじゃないの?」。刑期半ばで仮釈放されたという。どうやらここは、左翼党派の拠点らしい。

ユゴーは23歳。読み進んでわかるのは、政治弾圧で服役したのではないらしいことだ。党の実力者エドレルを射殺したかどで罰せられていた。本人によれば、凶行は別の党幹部の命令による。ところが、刑務所に差し入れられた菓子には毒物が含まれていた。今は、党に対する不信感が拭えない。オルガに向かって「命令なんてものは影も形もなくなるんだ」「命令はうしろにとり残され、僕はたったひとりで前進した」と言い募る。

実際、党の追っ手が押しかけてくる。オルガはユゴーを寝室にかくまい、彼を引き渡そうとはしない。そして、党幹部のルイを呼んで、追っ手を送り込んだことに抗議する。自分は党を思っている、それでなくともドイツのイリリ侵攻後、党は人材を失うばかりだ――「あの子が回収可能かどうか調べもしないで、粛清していいとは思えないわ」。ここで、「回収」を「粛清」の対義語にしているところに党派というものの怖さが見てとれる。

ルイはオルガの説得を受け入れ、戸外に見張り役を置いただけで、とりあえずは引き揚げる。家のなかには再び、ユゴーとオルガだけが残る。そこで彼は2年前、1943年3月に遡って自らの体験を振り返る。その回想が、第二場から第六場までの物語である。

第二場の冒頭は、この家でユゴーがタイプライターのキーをひたすら叩いている場面。入党後1年が過ぎたころで、党の機関紙づくりに追われているらしい。このとき、彼には焦りがあった。オルガにも「仲間が殺されているのに、安閑としてタイプを打っているのがいやになった」と訴え、自分が「直接行動」に打って出られるようルイに頼んでほしい、と懇願する。そして、その意思はルイに伝わる。これが、すべての始まりだった。

ユゴーの回想は、戯曲としておもしろい。だから、ここで筋書きをなぞれば、興ざめになってしまう。そこで当欄は別の角度から、この本を読む。焦点を当てるのは、近過去に左翼党派がどんな苦悩を抱え、どんな落とし穴に直面していたか、ということだ。

戦時、イリリ国の政治状況はルイの台詞から読みとれる。政権を担うのは、ファシズム勢力の摂政派で、枢軸国に近い立場をとっている。対抗するのはルイがいる党、すなわち労働党だ。「デモクラシーのため、自由のため、階級なき社会のため」を旗印にしている。もう一つ、ブルジョワジーを代表するパンタゴン党が中間に位置している。自由主義者から国家主義者まで、その支持層は広い。政界は三つ巴の力学で動いているわけだ。

労働党も一枚岩ではない。もとをたどれば、多数派の民主社会党と少数派の農民党が合流した党だからだ。エドレルは前者の側にいる。ルイはもともと後者の代表だった。

この作品では、エドレルが摂政派やパンタゴン党と手を結ぼうとする。挙国一致体制をめざすというのだ。交渉に訪れた両派代表に対して、執行委員会の椅子の半数を労働党によこせ、と強気に出る。背景には、枢軸国ドイツの敗色が濃くなり、イリリに対するソ連の影響力が強まるという目算があった。自党のみが戦時下でもソ連と接触してきたと自負して、こう言う。「ソ連がここにやってきたら、彼らはわれわれの眼で万事を眺めるでしょう」

ユゴーはエドレルに面と向かって、党には社会主義経済という目標と階級闘争という手段があるのに「資本主義経済の枠内で、各階級の協力政策を実現するため、党を利用しようとしている」と非難する。だが、エドレルは動じない。社会主義軍が自国を占領しそうな情勢を好機とみて、それに便乗しない手はないというのだ。「われわれは自力で革命を遂行するほど強力ではない」。労働者の国際連帯が素朴に信奉されていたころの論理である。

この戯曲は、左翼党派が陥りがちな落とし穴も浮かびあがらせる。裕福な家庭に育った知識人党員への妬みが仲間うちに燻ることだ。社会主義の主役は労働者ということになっている。ところが現実には、知識人の指導力も欠かせない。そこに軋轢のタネがある。

これは第一場で、ルイがオルガに向けて言い放ったユゴー評にも見てとれる。「あいつは規律のないアナーキスト、ポーズをとることしか考えないインテリ」――。ユゴーは、父が燃料会社の副社長で自身も博士号を得ている。「僕は家を、そして階級を棄てた」と言い張るが、その入党も労働者出身の党員からは「この人はいわば道楽から入った」と侮蔑されている。道楽ではないことを見せたくて「直接行動」に走ったと言えなくもない。

エドレルは生前、党が摂政派と取引して対ソ停戦に成功すれば多くの人命を救うことになると主張して、ユゴーを「君は人間を愛していない」「君は原則しか愛していない」と批判している。「君は自分を憎んでいるから、人間を憎んでいる」とも言い添えている。知識人の独りよがりの自己否定は理念一本やりの教条主義を生み、回りまわって人間否定につながるということか。たしかに、そういう光景を私たちは見てきたような気がする。

この戯曲は、日本の左派が1970年代に迷い込んだ袋小路も暗示している。サルトルは大戦直後、自身が左派でありながら、その弱点を実存主義者の目で見抜いていた。実存主義からの左派批判がもっと深まっていれば、その後の政治風景は変わっていたかもしれない。
(執筆撮影・尾関章)
=2020年12月3日公開、通算603回
*当欄は今年、「実存」の話題を継続的にとりあげています。
漱石の実存、30分の空白」(2021年1月8日)
実存の年頃にサルトルを再訪する」(2021年1月29日)
サルトル的実存の科学観(2021年2月5日)
新実存をもういっぺん吟味する(2021年2月19日)
量子力学のリョ、実存に出会う(2021年6月4日)
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世界が違うとはどういうことか

今週の書物/
『量子力学の奥深くに隠されているもの――コペンハーゲン解釈から多世界理論へ』
ショーン・キャロル著、塩原通緒訳、青土社、2020年刊

枝分かれ

今週も引き続き、『量子力学の奥深くに隠されているもの――コペンハーゲン解釈から多世界理論へ』(ショーン・キャロル著、塩原通緒訳、青土社、2020年刊)を読む(当欄2021年11月12日付「世界は一つでないと今なら言える」)。

先週も書いたことだが、量子力学について専門家を質問攻めにしていると、途中で疎外感に襲われることがある。ここで「専門家」というのは、物理を数式で考えられる人のことだ。当方にはそれができないから、必死でイメージを頭に思い浮かべようとする。最初は、なんとなくわかった感じになるが、あるところから先へ進めなくなる。挙句、「量子力学は日常世界のイメージでは理解できないんですよ」――そんな通告を受けてしまうのだ。

その壁を突破したいというのが、量子力学に関心を寄せる素人の切なる願いである。同じ思いの人は少なくない。友人知人のなかには、果敢にも高年齢になってから量子力学の方程式を学ぶ人がいる。私も、数式を眺めて雰囲気を感じとるくらいの水準には達したい。ただ、今さら数理の技を身につけようとは思わない。それよりはやはり、量子力学をイメージしたいのだ。絵画にだって具象画だけでなく抽象画というものがあるではないか!

これは、決して高望みではないらしい。この本の著者は、量子力学を「説明できないもの、理解できないもの」とする通念を取っ払いたいという立場を本文中で鮮明にしている。幸いなことに、そしてありがたいことに、専門家にも強い味方が現れたのである。

この本は、ひとことで言えば量子力学の解釈にかかわる書物である。邦題の副題にある通り、教科書的なコペンハーゲン解釈を批判的にとらえ、これまで異端とされてきた多世界解釈の強みを浮かびあがらせている。ここではまず、先週のおさらいをしておこう。

多世界理論では、波動関数のみを世界の現実とみる。それは、方程式に従って刻々変化していく。これを波動関数の時間発展という。そこにあるのは決定論だ。コペンハーゲン解釈のように確率論で物事が決まったりはしない。波動関数は観測によって、観測する側とされる側が一体となったものの重ね合わせになる。このとき、観測者は――あなたや私も――どんな状態を観測したかによって分岐している。世界も観測者も、枝分かれしたのである。

さて、いよいよ本題に入る。先週よりももう一歩深く、多世界解釈に踏み込むことにしよう。今週は、観測とは何か、観測によって世界が分かれるとはどういうことか――この2点について、イメージを思い描くことにこだわりながら考えていこうと思う。

まずは、観測について。ここで出てくる用語が「デコヒーレンス」だ。これは、状態の重ね合わせ(これを、コヒーレントな状態という)が壊されることを意味する。著者によれば、この概念が1970年、ドイツの物理学者ハインツ・ディーター・ツェーから提案されると、多世界解釈にとって「必須の要素」になった。デコヒーレンスは、観測で「波動関数が収縮して見える理由」を教えてくれる。そこに「『観測』とは何か」の答えもある。

一般論で言えば、デコヒーレンスの主犯は周辺環境だ。聴き入っている音楽が窓の外を走るオートバイの爆音でぶち壊しになるように、量子世界の状態の重ね合わせは周りの騒々しさによって台無しになる。だから、重ね合わせを情報処理の仕掛けに用いる量子コンピューターでは、その部分を周辺環境から遠ざけることが求められている。著者はこの本で、周辺環境の存在が観測という行為と密接不可分であることを述べている。

前回も書いたように、量子世界の観測では観測する側とされる側が量子もつれになる。今回、新たに考慮に入れるのは、観測する側が世界から孤立していないということだ。この本では、電子に具わるスピンという性質を見てとる観測装置が登場する。これは、スピンが上向きなら目盛り盤の針が左に振れ、下向きなら針は右を指す――というように作動する。この装置にも空気の分子や光の粒(光子)がぶつかっていて、相互作用が生じている。

ここで、空気や光などは「環境」と呼んでよい。量子力学の言葉で言えば、観測装置は空気や光などと相互作用することで「環境と量子もつれの状態」にある。このときに見落としてならないのは、「環境」が漠然としていることだ。「光子などの粒子をすべて追跡するなど、誰にだってできない」。そこで「厳密に何がどうなるか」はつかめない。観測装置と環境との量子もつれは把握不能――これこそがデコヒーレンスの本質であるらしい。

これは観測装置にとって、もつれる環境が一つに定まらないことを意味する。量子もつれごとに相手となる環境が異なるのだ。その結果、装置はそれぞれの環境に引きずられてしまう。ここに世界の分岐がある。著者の見方を私なりに理解したのは、そういうことだ。

では、スピンの観測で何が起こるかを時系列でたどってみよう。観測前、電子は〈スピン上〉と〈スピン下〉が重ね合わさるコヒーレントな状態にあり、それに観測装置の針がどちらにも振れない〈針中〉の状態と〈環境0〉がもつれ合っていた。ところが、観測された途端、〈スピン上〉・〈針左〉・〈環境1〉が量子もつれで一体になった状態と、〈スピン下〉・〈針右〉・〈環境2〉が同様にもつれて一体化している状態とが重ね合わさることになる。

著者は、この過程を数式風の略図で説明している。これは観測の核心をついていてわかりやすい。当欄は図の部分を言葉に置き換え、同じことを文字と記号だけで表現してみよう。ここでは、「+」は重ね合わせを、「・」はもつれをそれぞれ表している。
(〈スピン上〉+〈スピン下〉)・〈針中〉・〈環境0〉
➡〈スピン上〉・〈針左〉・〈環境1〉+〈スピン下〉・〈針右〉・〈環境2〉

この式からは、多くのことがわかる。スピンだけの重ね合わせ状態が観測によって消え、その代わり、スピンと針と環境がそっくり異なる世界が重ね合わさることになる。世界の数は観測前に一つだったのが、観測後には二つになる。これこそが、世界の枝分かれだ。

さて、いよいよ「観測者」の出番である。装置の目盛り盤の傍らに針を読む人間がいるとしよう。世界が枝分かれするなら「観測者も残りの宇宙にともなって」「コピーに分岐する」。ここで「残りの宇宙」とは環境の別表現だ。では、それぞれの分身は何を見るのか? 〈スピン上〉〈スピン下〉のどちらか一つしか見えない。「波動関数が収縮したように見える」(原文では太字部分に傍点)というのは、実はこういうことだったのである。

この略図を見ると、観測という行為が私たちにとってどんな意味をもつのかについて、別の角度からも考えたくなる。観測とは、電子のように重ね合わせの状態にあるものに取りついて、自分自身をも枝分かれさせる行為ではないか――そんなふうに思えてくる。

枝分かれのくだりで興味深いのは、そこに「世界」論があることだ。著者が「世界」の条件として挙げるのは「世界のさまざまな部分が、少なくとも原則として、お互いに影響を及ぼせていること」だ。逆をいえば、影響を及ぼせないなら別世界と言ってもよいのだろう。この本は「幽霊世界」をもちだす。幽霊たちがどこかにいる可能性を論じつつ「幽霊世界で起こることは私たちの世界で起こることとは絶対に関わりを持たない」と断じている。

もし、多世界理論が正しいとしても、別の世界にいる分身とは交信できない。向こうの世界に渡って分身と入れかわるわけにもいかない。今の私にとって私はこの私だけであり、世界はこの世界しかない。世界がいっぱいあっても、この世界はかけがえがない。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年11月19日公開、通算601回
*余談ですが、今回と似たタイトルで小文を書いたことがあります。「『あなたとは世界が違う』という話」(「本読み by chance」2015年5月8日付)。青春のほろ苦さとともにある「世界が違う」。これも、どこかで多世界のイメージと響きあうような気がします。
■引用はことわりがない限り、冒頭に掲げた書物からのものです。
■本文の時制や人物の年齢、肩書などは公開時点のものとします。
■公開後の更新は最小限にとどめます。

世界は一つでないと今なら言える

今週の書物/
『量子力学の奥深くに隠されているもの――コペンハーゲン解釈から多世界理論へ』
ショーン・キャロル著、塩原通緒訳、青土社、2020年刊

観測

危険思想という言葉がある。それは、異端者に対するレッテルとして使われることが多い。言うまでもないことだが、このレッテル貼りはよくない。人は心のなかでなら何を思い描いてもよいのだ。その自由が、ときに常識の呪縛を解き放ってくれることもある。

私もかつて、自分自身が危険思想の持ち主と見られているように感じたことがある。極左に走ったわけではない。極右に振れたわけでも、過激な宗教に染まったのでもない。そもそも一つの考えの信奉者になったことは、これまで一度もない。ただ、科学記者として一つのテーマを追いかけていて、常識外の見解に興味を抱き、それを記事にしたことはある。このとき、周りの視線に危険思想を遠ざけようとする気配があったことを覚えている。

「一つのテーマ」とは量子力学である。1920年代半ばに打ちたてられた新しい物理学だ。私は1995年、欧州に科学記者として駐在していたとき、量子力学の核心部を生かした量子コンピューターや量子暗号の研究が台頭していることを知り、取材に駆けまわって報告記事を書いた。それは、量子力学の不可解さをどう解釈するかという哲学めいた問いに深くかかわっていた。答えの一つが多世界解釈。これこそが上記の「常識外の見解」である。

ざっくり要約しよう。量子力学の世界は波動関数というもので記述される。ここでは、電子を例にとろう。その状態は波によって表される。位置一つとっても、電子は一点にあるのではなく、A点にもB点にもC点にも……あることになる。重ね合わせの状態だ。ところが、私がその位置を測ったとしよう。すると電子の在り処はA点かB点かC点か……どこか一カ所に定まる。何が起こったのか? これが量子力学の観測問題である。

定説としては、コペンハーゲン解釈が広まっている。コペンハーゲンは、量子論の先駆者ニールス・ボーアの本拠地だ。この解釈は、ボーアの系譜にある物理学者らが唱えたので教科書的な見解として受け入れられてきた。それによると、観測の瞬間に波束の収縮ということが起こる。電子がA点にあるとの測定結果が出たとしよう。このとき、波は膨らみを失い、A点の箇所だけに聳え立つ。もはやB点、C点……には波の影もかたちもない。

コペンハーゲン解釈の対抗馬が多世界解釈だ。この立場では、波束は収縮しない。波は観測後も続く。そこでは、電子がA点にあるのを見た私、B点にあるのを見た私、C点にあるのを見た私……が重なり合う。観測の瞬間に私はいくつにも分かれ、それぞれの分身がそれぞれの世界を生きていくのだ。〈多世界〉と呼ぶ理由はここにある。この考え方は量子力学誕生の約30年後、1957年に米国の大学院生ヒュー・エヴェレットが発表していた。

荒唐無稽な世界観ではある。危険視されるのも致し方ないか。いや、違う。常識外ではあるが、常識の世界を乱さないからだ。この解釈に従えば、私には無数の分身がいることになるが、一つの分身が別の分身のいる世界と行き来したり、分身同士がメールをやりとりしたりはできない。それぞれの私がそれぞれの世界で物理法則に従うのだから何も問題ない。だが、それでも冷たい視線が向けられた。少なくとも四半世紀前までは……。

で、今週は、その空気が今や大きく変わったことをうかがわせる一冊。『量子力学の奥深くに隠されているもの――コペンハーゲン解釈から多世界理論へ』(ショーン・キャロル著、塩原通緒訳、青土社、2020年刊)。著者は米国カリフォルニア工科大学の理論物理学者。序章で多世界の理論が「うさんくさい」とみられてきたことを認めつつ、それは「量子力学を理解する最も純粋な方法」(原文では太字箇所に傍点、以下も)と言って憚らない。

この本の組み立ては、大きくとらえればこんなふうだ――。前半は、読み手を量子力学の世界に招き入れ、それを素直に受けとめれば多世界理論に行き着くことを堂々と論じている。後半に入ると、別の解釈には何があるか、量子論が宇宙論の「時空」にどうかかわるか、といった問いにも答えていく。後半は、かなり難しい。当欄は、とりあえず前半に絞って話を進めたい。ただいずれの日か、この本に戻って後半部分にも触れたいとは思う。

第一章には著者の宣言がある。「量子力学が説明できないもの、理解できないものとだけは思われないようにする」という決意表明だ。これは、科学者でもないのに物理学の周辺をうろついてきた者には新鮮に聞こえる。私は科学記者として、量子力学の不可解さについて物理学者を質問攻めにしてきたが、最後には、日常の感覚ではとらえきれないんだよ、と突き放されたものだ。だが、この本は最後まで面倒をみてくれそうではないか。

第二章では、「緊縮量子力学(austere quantum mechanics)」と呼ばれる立場が「勇気ある定式化」として紹介される。「緊縮」では硬いので、節約型の量子力学と言い換えてもよいだろう。波動関数だけに注目して、余計なことを考えない。著者は、量子力学をもっとも素直に受けとめれば、世界は一つではない、世界はたくさんある、とみるのが自然であることを論じている。多世界理論が「最も純粋」というのは、そのことである。

著者は、節約型の量子力学に二つの側面を見てとる。一つは、波動関数を「知識の整理を助けるだけの帳簿作成装置」とみないことだ。それを「現実をそのまま写し取ったもの」ととらえる――「認識論的」ではなく、「存在論的」な考え方に立とうというのである。

もう一つは、波動関数について「それは決定論的な規則にしたがって時間発展し、それ以外は何も関係しない」とみることだ。ここでは「決定論的」の一語に注目したい。量子力学は確率論の物理学とも言われるが、波動関数に限れば方程式通りの決定論に従う。

では、存在論的であり、決定論的でもある波動関数の正体とは何か? 著者によれば、それは量子状態だ。ならば量子状態とは? 「私たちが観測をしてみた場合のあらゆる可能な結果の重ね合わせ」だという。重ね合わせがまるごと方程式に従って移りゆくのである。

著者はこの「緊縮量子力学」を、前述のコペンハーゲン解釈――この本では「教科書量子力学」と呼んでいる――に対置して議論を進めていく。観測という行為のとらえ方について両者を対比しているところが読みどころだ。ここでは、それをなぞっておこう。

「教科書…」は、原子や電子のように微視的なものの観測では観測される側と観測する側の間に線を引いて考える。観測される側は量子力学に支配されているが、観測する側は古典力学の法則に従う、とみるのだ。ところが「緊縮…」は、この仕切りを取っ払う。たとえば、電子を写せるカメラがあったとして電子をカメラで観測する場合を考えてみよう。このとき、カメラの様子も電子と同様に波動関数によって表現するのである。

それでは、カメラの波動関数とはどんなものでどのように変化するのか。カメラが観測装置として電子の位置を見極めるとき、その波動関数が観測前に意味しているのは「これはカメラで、まだ電子を見ていない」ということだ。ところが、電子を被写体としてとらえた途端、「電子がここにいるのを見たかもしれないし、あそこにいるのを見たかもしれない」……に変わる。カメラの状態も、電子の重ね合わせに引きずられて重ね合わさるのだ。

えっ、カメラの重ね合わせだって? 重ね合わせは、電子のような微視世界でなら許せるが、私たちが暮らす巨視世界ではありえない――そんな違和感に応えるように、著者は私たちがこの不気味な重ね合わせを見ないで済む理屈を種明かししてくれる。

それは、量子力学では「二つの異なる物体」も「一つの波動関数だけ」で表されるということだ。こうして電子とカメラはつながる。その波動関数は、電子とカメラの「あらゆる可能な組み合わせの重ね合わせ」だ。ただ、なんでもあり、というわけではない。「電子はこの場所にあって、カメラはその同じ場所で電子を観測した」という整合性は求められる。一定の条件に縛られているのだ。このつながりが「量子もつれ」である。

観測とは、観測する側と観測される側が量子もつれを起こすことだ。ここで著者は、カメラをあなたに置き換えることを促す。あなたは当初、「まだその電子を見ていない」が、観測するとともにもつれが生じて「電子が見つかる可能性のある場所それぞれ」について電子とつながる。その結果、「ちょうどその場所にいる電子を見つけたあなた」が重ね合わせ状態になる。あなたまで重なり合うのだ。分身の登場である。ここに多世界が成立する。

さあ、ようやく多世界理論にたどり着いた。次回も引きつづき、この話を続ける。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年11月12日公開、通算600回
*当欄は今年、「量子」の話題を継続的にとりあげています。
量子の世界に一歩踏み込む」(2021年5月28日付)
量子力学のリョ、実存に出会う」(2021年6月4日付)
量子力学の正体にもう一歩迫る」(2021年9月10日付)
量子のアルプス、「波」の登山路」(2021年9月17日付)
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村上春樹の私小説的反私小説

今週の書物/
『一人称単数』
村上春樹著、文藝春秋社、2020年刊

1968年、セ・リーグ

ものを書く仕事に就いた者の常として、私にも作家志望のころがあった。学生時代、文芸サークルの部室に出入りしたことがある。友人たちとガリ版刷りの同人誌を出したこともある。思い返してみれば、20歳前後のころに会社勤めするつもりなどさらさらなかった。

結果としては会社員になった。ただ、就職先が新聞社で、あのころはほかの業界よりも多少は自由の空気が漂っていたから、内心の作家志望は捨てなかった。とはいえ新聞記者という職種のせわしなさは半端ではないから、ふだんはそんな野心をすっかり忘れている。帰宅後の深夜、こっそり小説を書きためる余裕もない。時折、このまま記者を続けるのかなあという迷いが心に浮かぶとき、自分が作家志望であることを再確認していたのだ。

私が「作家」を思い浮かべるとき、それは、ほとんど「小説家」と同義だった。私と同世代の新聞記者が駆けだしのころ、メディア界にはノンフィクション旋風が吹いていたから、記者の延長線上にノンフィクション作家を位置づけ、それを最終ゴールと考える人もいた。だが、私は違った。心のどこかで、事実に即してものを書く自分は世を忍ぶ仮の姿、と思っていたのだ。真に書くべきことは虚構のなかにこそある、とでもいうように。

その意味では、もはや私は作家志望ではない。野心は、いつのまにか雲散霧消した。たぶん、年齢のせいだろう。残された時間は限られている。ゼロから虚構を築くことにかまけてはいられない。自身の記憶を紡いで、そこから想念を膨らませていく――自分から逃れられないのが人間の宿命ならば、そのほうが自然ではないか。そう思うようになった今、この心境に響きあう短編小説集に出あった。当代きっての人気作家のものだ。

『一人称単数』(村上春樹著、文藝春秋社、2020年刊)。2018~2020年に『文學界』誌に発表された7編に、表題作の書き下ろし1編を加えた作品集。著者が古希にさしかかり、そして70代に入ったころの作品群である。当欄は去年、『猫を棄てる――父親について語るとき』(文藝春秋社、2020年刊)という作品――小説ではなく「文章」――をとりあげたが、それと似た空気感もある(2020年10月2日付「村上春樹で思う父子という関係

この短編集所収の作品群を一つに分類するのは、なかなか難しい。すぐに思いつくのは、私小説だ。もう一つ思い浮かぶのは、自伝である。ただ、よく読んでみれば、そのどちらとも言えない。それはなぜか? 今回は、このあたりから話を切りだしてみよう。

まず、なぜ私小説と言えないのか。書名『一人称単数』は、私小説性を暗示しているように見える。一連の作品も「僕」や「ぼく」や「私」の視点で書かれている。ただ、それらに著者の実体験が投影されている度合いは、まちまちだ。いくつかの作品では、私小説を支えるリアリズムが完全に吹っ飛んでしまっている。その空想体験が著者自身にあるのだとすれば私小説と言えなくもないが、ふつうの私小説とはまったく趣が異なる。

私小説らしくないのは、それだけではない。私小説らしい私小説では、作家が一人称で青春期の挫折や中年期の惑いなどを赤裸々に語る。「生きざま」と呼ばれるものが現在進行形で提示されるのだ。だがこの本では、過去を遠目に眺めている作品が目立つ。

では、自伝の変種なのか。どうも、それとも違う。自伝なら記述が系統だっているはずだが、そうとは言えない。もちろん、当欄が推した『植草甚一自伝』(著者代表・植草甚一、晶文社刊)のような例外はある(2020年4月24日付「J・Jに倣って気まぐれに書く」)。あの本は、植草がメディアに載せた文章を寄せ集めたものだったが、その組み立て方が本人の気ままな生き方にぴったり合うものだからこそ、「自伝」と呼べたのだ。

……と、ここまで書いてきて思うのは、稀代のストーリーテラーであっても齢七十ともなると自分が生きてきた現実の重みが増してくるのだなあ、ということだ。私的リアリズムと作家としての想像力が釣りあったところに、これらの作品群があるとは言えないか。

所収作品のいくつかを覗いてみよう。最初にとりあげたいのは「『ヤクルト・スワローズ詩集』」という一編。「一九六八年、この年に村上春樹がサンケイ・アトムズのファンになった」(サンケイ・アトムズはヤクルト・スワローズの前身)とあるから、著者の個人史に即している。「僕」はそのころから神宮球場の外野席――座席がなく芝生の斜面だった――に腰を下ろし、試合を観ながら「暇つぶしに詩のようなものをノートに書き留めていた」。

1982年、「僕」はそれらを「半ば自費出版」で世に出した。「『羊をめぐる冒険』を書き上げる少し前」とあるから、これも個人史と矛盾しない。収められたのはどんな詩か。「八回の表/1対9(だかなんだか)でスワローズは負けていた」――この球団は下位低迷の時代が長かった。「阪神のラインバックのお尻は/均整が取れていて、自然な好感が持てる」(/は改行)――ラインバックがいたのもあの時代だ。現実のプロ野球史も踏襲している。

実は『ヤクルト・スワローズ詩集』は、著者が折にふれて話題にしてきた。その出版の真偽は、村上春樹ファンの間で永遠の謎であるようなのだ。そんな出版物の幻影がこの短編集にも顔をのぞかせた。時を重ねれば虚も実になる、とでも言うように……。

この作品の対極にあるのが「品川猿の告白」か。「僕」が「群馬県M*温泉」のさびれた宿で湯に浸かっていると、年老いた猿が浴室に入ってきて「背中をお流ししましょうか?」と声を掛けてくる。猿は言う。自分は東京・品川の御殿山近辺で大学教師の家に住んでいた。飼い主はクラシック音楽が好きで、自分もその影響を受けた。ブルックナーで言えば「七番」の「第三楽章」が好き――。これは、どうみても私小説とも自伝とも言い難い。

「僕」は深夜、品川猿を部屋に招き、ビールを飲みながら身の上話を聞く。その猿には、人間の女性に恋して「名前を盗む」欲求があった。免許証などをこっそり手に入れ、名前を見つめて念じる――そんな「プラトニックな行為」である。奇想天外な小話としてはおもしろい。ただ、この短編はそれで終わらない。「僕」は5年ほどして、その嘘っぽさが反転するような奇妙な体験談に出あう。もしかしたら、品川猿は実在するのかもしれない!

「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」という一編でも虚が紛れ込む。チャーリー・パーカー(1920~1955)はジャズ界では伝説のアルトサックス奏者で、バードの愛称で呼ばれる。「僕」は学生時代、バードが実は1960年代も生き延びていて、ボサノヴァ奏者と組んでLPを出したという「架空のレコード批評」を大学の文芸誌に寄稿した。編集長は、その「もっともらしいでっちあげ」をすっかり本気にしてしまったという。

15年が過ぎて「僕」は、その「若き日の無責任で気楽なジョーク」のしっぺ返しに遭う。舞台はニューヨーク。宿のホテルを出てイースト14丁目界隈をぶらつき、中古レコード店をのぞく……そこで何を見つけたかは、だいたい察しがつくだろう。

心にズシンと響くのは、最後に収められた表題作。「私」がバーでミステリーを読みながらカクテルを飲んでいると、一人の女性客が話しかけてくる。「そんなことをしていて、なにか愉しい?」。言葉づかいが挑発めいている。だが、誘っているのではない。「悪意」もしくは「敵対する意識」が感じられる。「あなたのことを存じ上げていましたっけ?」と聞きただすと「私はあなたのお友だちの、お友だちなの」という答えが返ってくる。

女性客は「私」を責めたてる。彼女の友だちは、そして彼女自身も「不愉快に思っている」「思い当たることはあるはずよ」「三年前に、どこかの水辺であったことを」……。「私」には「身に覚えのない不当な糾弾」だ。だが、「実際の私ではない私」が3年前に水辺で起こした悪事を暴かれ、「私の中にある私自身のあずかり知らない何か」が可視化されそうだという恐怖感が、「私」にはある。ここでは、「私」の自己同一性が揺らいでいる。

この短編集では、作家村上春樹が生きてきた実在の時間軸にいくつもの架空の小話が絡みついている。人間に恋する猿に出会ったという妄想も、バードがボサノヴァを吹いたというでっちあげも、3年前の出来事をなじる不意打ちも……どれもこれも、事実と虚構の境目がぼやけている。しかも、その境目は時の流れとともに微妙にずれ動いているようにも見える。もしかして70歳になるとは、そんな虚実の経年変化を実感することなのか。
(執筆撮影・尾関章)
=2021年11月5日公開、通算599回
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